――1997年7月
この日、俺は目が醒めた。まず初めに目に入ってきたのは『
(な、何が………?)
やがて視界がクリアになっていくにつれ、様々な情報が脳裏を駆け巡る。それが俺自身の記憶なのか、それとも別な誰かの
「良かった。目を醒まされたのですね! リールベルト選手!!」
(は、はい??)
生憎と人工呼吸器を付けたままでは声を出すこともできなかったので視線と僅かな手の動作で合図をする。この看護師は、たまたま病室の近くを通りかかったのだろう。俺の意識が戻ったことに気づいて駆け寄ってきて
(いやいやいや、俺はリールベルトなんて名前じゃねえ。)
といっても声は出ないし、腕も大きく動かすことはできないので特にリアクションを返すことはできなかったけれど。とりあえず、落ち着くまではリールベルトなる人物を演じるとしよう。それが今の俺に出来る
そう、俺はかつての自分を失い、そして新しい自分を手に入れることになった。明らかに他人の人生を意識だけ乗っ取ったという倫理観もへったくれもないものだが。ただし、それは『無償の特典』ではなく下半身不随という大きなハンデキャップを背負う事になったのだが。これは、おそらくは生前の自分か、あるいはそれすらも他の別人のものなのか、どちらにせよ唐突に憑依することになった
口をパクパクと動かしていると俺の様子を見ていた看護士が呼吸器を外してくれた。そして正確な日時や、目覚めてからの現在までの記憶が混濁しているので一体何があって、どうして自分はこんな状態になっているのか等の情報を伝え聞いた。
「なるほど、私は負けたのですね」
「はい。相手選手が放った最後の攻撃がリールベルト選手の腰椎部分を強打し、意識を失ったことを確認して主審が試合を止めました。今は試合があった日から4日経った7月7日です」
当たり障りのない受け答えをして受け継いだらしい知識にはないリールベルトの人生として何があったのかという情報を仕入れていく。7月7日といえば七夕であり、たしかキルアと呼ばれる暗殺一家の跡取りの誕生日だなという余計な情報が脳裏を霞めて口角が上がりそうになるが、それを堪えて俺は呟いた。
「………試合?」
もちろん、この場所がおそらく天空闘技場であり、そこに備えられた医療施設であろうことは想像に難くないが、そこは敢えて記憶が混濁しているということを前面に出して演技し看護士の口から説明させた。その答えは、予想通りにリールベルトが200階クラスの闘士として登録を行い、90日間という猶予、そのギリギリで試合を行い今に至ったのだそうだ。そして同時に自身を包んでいる靄の様なもの(看護士には視えていないようだ)意識する。
(なるほど、これが『念』か。)
「90日間の猶予?」
それが意味するところが何かは知っているが敢えて聞く。それに看護士はスラスラと慣れた口調で答え、俺は試合を終えてから4日経っていることを告げると1つ頷いて言わんとしている内容にも答えてくれた。
「はい。お察しのとおりです。この療養期間中も試合後の猶予期間はカウントされ続けます」
「つまり、残りの猶予期間は86日。その間にいかなる理由があろうとも試合が行われない場合は、即座に200階クラスの資格を失い、
「その通りです」
なるほど。これは中々にえげつないシステムだと苦笑いを零す。下半身が動かない人間など一般的な論理で考えれば試合など続けられるはずもないのに、それでも関係なく放り出すとは恐ろしい。
「ですが、『幸いなこと』と表現するには些か不適切ではありますが、リールベルト選手には、まだ3回負けられることを選択することもできます」
「つまり、90日間という猶予のギリギリで試合に登録し、不戦敗をして猶予期間をリセットすることで最低でも後1年間は此処で生活することを選ぶこともできる、ということだね?」
「仰る通りです。ただ医療費は自己負担ですが………」
俺は看護士との受け答えに頷きを返し、点滴の付けられていない方の手で顎を擦って黙考した。とりあえずは療養に専念することにしよう。そして、この世界の医療技術が何処まで進歩しているのかは不明だが、知識にある
だが、幸いなことにリールベルトの念能力、その系統は放出系
――それの意味するところは、損傷した脊髄の回復が現代の医療技術や自身の自然治癒は不可能に近くとも、本人の意志力次第では幾らでも替えを利かせられる可能性はあるということに他ならないともいえる。
まぁ、かのゲームにあるというアイテムを用いての回復は絶望的かもしれないがな。ただ試せるなら試したいところだが………どちらにしても今すぐという訳にはいくまい。
とりあえずは、この非才の身を療養ついでに鍛え直すこととしよう。それが何が原因で、こんなことになったのかは不明だが身体を横から乗っ取る形になってしまったリールベルトへの弔いにもなるだろう。
「ありがとう、状況は呑みこめたよ。とりあえず、今は休むことにする」
「はい、それがよろしいかと思います。私なんかがいうのも何ですが、どうぞゆっくりとお休みください」
そう看護士は答え、何かあった際のナースコールの位置だけを教えて病室から去って行った。俺が教えられたナースコールを頼ることになったのは、そのすぐ後のこと。つまり――
「と、トイレに行きてぇ………」
――という切実な理由だった。
* * *
これは、ある日、突然リールベルトに成り代わった男の物語。背景にある知識は膨大で、それは【全知】と称しても過言無きものであったが、しかし宿った身体は格闘のセンスこそあれども凡才の域をでないもの。もちろん一般人というカテゴリーの中では飛びぬけていると表現しても問題はないが、それが通じぬほどに、この世界は超人たちが犇めき合っているのもまた事実ということを知ってしまったが故に、男は1つの決意をする。
――やっぱり、正々堂々と戦おうね(棒)