おとなのみがって
抗うならば、その手に銃を
「え?睡眠薬?勿論あるけど」
応急処置を終えたいいオトナの壱番組が悪態つきながらシンヤの私室――もとい、仮初めの医務室から出てから暫く、メモ代わりのカルテ云々を整理しているとオルガを筆頭に参番組の連中が来た。突然の、或る意味予定調和とも言える問い掛けにシンヤは嘘偽りなく答え、その返答にオルガ達は破顔した。
「貸してくれ!」
「返すのかい?」
「え」
「え?」
「…言い間違えた。それ、下さい」
「いいよ」
「「いいのかよ」」
「いいんだよ」
「いいんだ…」
シノとユージンが顔を見合わせ、ビスケットは呆れたように相貌を崩す。ここで貸してくれなければ、シンヤを拘束してでも薬を手に入れなければならなかった。その手間が省けただけでも、体力面でも精神面でも安堵した。
車椅子のホイールを滑らせて、薬が保管されている薬棚のガラス戸を開きながらシンヤは言う。
「本来であれば薬剤師免許を持ってる人でなければ調合や管理は難しいけれど、そこは気前のいい社長が最低限の種類の薬品を揃えてくれているからね。はいコレとコレと…コレ。ターゲットは勿論?」
「壱番組の連中だ」
「なら、この量で十分だね。それは注射用に既に希釈されているから、水で薄めなくても効果はある。基本的に無臭だけど。因みに今日の晩御飯は?」
「シチュー、だね。今妹たちとアトラが作ってくれてるよ」
「おや、そういえば今日は彼女達が来る日だったか。どれ、後で顔を見せに行くかな」
「…俺には?」
シンヤの問いに答えたビスケットに睡眠薬が入った小瓶を渡す。一方でシンヤの立ち位置に最も近かったはずのオルガ本人は薬を手渡されない理由がわからず片眉を釣り上げていた。
当然、理由はある。
「その前に、オルガ」
「あ?」
「いいから、座りな、さいっ、
「うおっ!」
とても車椅子に座っているとは思えない膂力で引っ張られ、直立していたはずのオルガは体勢を崩し一瞬、空を舞う。
投げ飛ばされた先には椅子があり、臀部にジーンとくる痛みと共にオルガは自分が診察用の椅子に座らされているとわかった。
「全く開口一番に「睡眠薬あるか?」じゃないぞオルガ。まぁまぁこんなに殴られちゃって。あまり私の仕事を増やさないでくれ」
「はは、悪ィ…あイタッ!?」
「消毒だから染みたよ」
「それは事前に言ってくれよ…」
消毒液に浸された綿球を、鑷子で挟んで傷口に押し付けながら、シンヤは小さく溜息をついた。
「ハァ…もう此れで最後にしてくれよ、連日怪我人を診るのは私も」
「流石に堪えるか?」
「いいやまったく。寧ろ
「うっわ、すげーワーカーホリック…」
「シンヤの健康指導はカンベンだぜ…」
「最近またお腹が膨らんでて…ハッ!」
シノ、ユージンの両名には心当たりがあるようで軽く引いていた。たわわに実ったお腹を抱えるビスケットがオルガの処置を終えたシンヤの鋭い視線を感じて、思わず身が竦む。
「ビスケットくぅん? また必要以上にご飯食べたりしてないかなぁ?」
「あ、あわわわわ…悪い、ボクはこの辺で…」
「後で、建設的なダイエット計画を詰めようか」
「ヒッ」
「大丈夫。安心していいよビスケットくぅん、過程をオミットする確かな実績がある私の手にかかればシェイプアップした理想の身体が…あ、そうだオルガ」
「何だ?」
「デクスターさんは殺さないで貰えると有難い。彼、デスクワーク仲間でね」
「あいよ、他は?」
「殺ってよし」
「気持ちいいくらい爽快な返事だ」
ビスケットの目が死んでいたのは余談である。
「…因みに四人とも、一つ質問いいかな?」
瓶の蓋を開けて匂いを嗅ごうとするシノを全員で止めながら、背後から掛けられた言葉に振り向く。
「なんだ、シンヤ」
「何故私を襲撃対象にしないんだい? いや、痛い思いをすることも死ぬことも嫌だから御免被るけれど」
「なンだよ、そんなことか」
シノが鼻で笑った。
「単純に今辞められるとオレ達が困るってだけだ」
「何度も助けてくれる命の恩人を無下にするほど俺ァ軽い男じゃないぜ? こないだはありがとナ!」
「ボク達がここにいる以上は体調管理を診てくれる人がいないと困るのも事実だしね。あっダイエットの話はまた次の機会にしてくれると…」
「ま、これはシンヤの人徳ってのもあるんじゃねぇかな。ユージンのコレは照れ隠しだ」
「んな訳ねぇだろ! 打算だ打算!」
シンヤは感動も、激怒も、嫉妬も、何も抱くことはなかった。ただ、他者からの厚意は厚意として受け取っておくこととする。何故ならば、
「それはそれは、これからも頑張らせて頂きますよっと」
シンヤは彼等を実験対象としてしか見ていなかったことも、一つの事実だからだ。
「ヤァ、地獄の職場へおかえりなさいデクスターさん。依頼の整理にします? 伝票の見直しにします? それとも退職金の決算? これ全部明日の朝までですけど」
「イヤだぁああああああああああ!!!」
「しかも社長には資産の殆どを持ち出されてウチの財政は火の車です。大変ですね大わらわですね」
「え、ちょ」
「ちょっと私さっきまで働いていたのでお休み頂きますね、まだ薬の入っていない晩御飯食べてないので」
「」
絶句するデクスターから視線を外し、シンヤは車椅子を動かして執務室を出て食堂へ向かう。その道中、オルガ達に拘束されていた壱番組の連中がぞろぞろ重い体を引き摺りながら寝床へ戻っていた。恐らく次に退職金を渡すのが最後の顔合わせだろう。
無論、退職するのは彼等だけではない。恐らく弍、参番組の中でも何人かは辞めていくと予想される。貴重な人的資源が減っていくことへの寂寥感、面倒を診る人数が減ることへの安堵感、様々な感情が泡沫のように浮かんでは消える。
非情、な訳ではない。
割り切っている、という方が正しい。
人として当たり前の感情は持ち合わせているが、理性と精神が完全にそれらを二分にして掃き捨てている。シンヤにとって考えることは自由だが、思考という脳内における貴重なリソース資源の奪い合いでは実益を伴わない分野は排斥される。
「あっお医者さんだー」
「あーシンヤだー」
「ヤァヤァ。クッキーにクラッカー、また大きくなったねぇ。元気にしてたかい?」
「またそれー」
「いっつもそればっかだよねー」
「ごめんごめん、悪かったからぐるぐる回すのはやめて」
ビスケットの双子姉妹たちがキャッキャキャッキャとはしゃいでいる。車椅子に座っていたシンヤはされるがままに姉妹たちの手で車椅子を振り回されていた。遠心力で頭がぐわんぐわん回っているのに酔う気配が無いのは単純な慣れの問題である。
「晩御飯あるかい? 実はまだ食べてなくてね」
「あるよーあったかいシチュー!」
「あるよークーデリアが作ったのー!」
「え? お姫さんが?」
「ええっ!? え、えぇ…実はその…」
「ほぅ。これはこれは…とても、大きいです…」
「あの! なんだかその言い方危ないのでやめて下さい!」
「どうしたんですか?」
「おや、アトラも手伝ってくれたのかい? いつも悪いねぇ、お礼に膝の上に座っていいよ」
「シンヤさんそればっかですよね…」
ポンポンと膝を叩いているシンヤにやや苦笑い。昔はよくシンヤの膝の上に座るのが好きだったという赤裸々な過去を、昨日のように繰り返すシンヤに悪意はないのだろうが、アトラの前で見せる人間らしさには頭を抱えていた。
「もう! 子供じゃ! ないんですから!」
「それはそれは失礼した。ところで今日もあやとりやろうと思っていたんだが?」
「わぁ! 見たい、見たいです!」
「手懐けられてる…」
「お見事ですね」
クーデリアとその従者・フミタンが頷いた。
そこでぐるりと、シンヤの首が回りフミタンを視界に捉える。そして、
「おや、従者さん」
「どうも、はじめまして」
「シンヤ・ギーベンラートです。以後お見知りを」
「フミタン・アドモスです。此方こそ、宜しくお願いします」
握手。
この場においては何ら差し障りのない一風景ではあるが、二人だけはお互いに全く異なる解釈をしていた。
(アドモス―――調べた通りならばバーンスタイン家を隠れ蓑にした
(ギーベンラート―――この人が。例の生き残り、そして恒久的人類資産)
この時になり、漸く医者シンヤと従者フミタンの双方がお互いの存在を認知し、意図せずして同時に決定的な邂逅に至った訳だが、それがどんな結果を生むに至るのかはまだ不明である。