例えばそれが他人が聞いたとき、単なる荒唐無稽な夢物語に聞こえてしまうような事だったとしても、私は構わなかった。
一度でも一瞬でも、自分が決めた事は必ず何があったとしても成し遂げてみせる。
それが私の――生き方だから。
*
目覚まし時計の音に叩き起こされるようにして目を覚ました私は、ソイツが刻んでいた時間に困惑した。
「六時……」
いつもよりも一時間近く早い。
故障か、ともう一度ふとんをかぶろうとした瞬間に頭が冴えた。
「約束っ!」
我ながら良くあの体勢のままここまで景気良く飛び跳ねられたモノだと、ベッドを踏み外して床へダイブしながら思った。
アゴを強打しながらも、そのおかげで完全に目を覚ました私はそのままの勢いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
「お母さん、おはよう!」
「お、おはよう。珍しく早起きね……今日は洗濯物、外に出さない方が良いかしら」
「あーもう、そう言うの良いからさ、取り敢えず帰って来てから朝ごはん食べるから……行ってきまーすっ!」
台所に立つお母さんへの挨拶を済ました私は駆け足で玄関まで向かった……ところで気付いた。
「って、着替えてないじゃんっ」
早朝の町はどこか青白くて、眠たげな顔した人々が同じ方向へ向かってたどたどしく歩いてる。そんな中をジャージに着替えた私は今、走ってる。
あれは昨日の事だ。
――見せて。
音楽室で出会ったその子――ユキの輝きを取り戻したい一心で、半ば思い付きで口にしてしまった「一緒に音楽をやろう」という言葉。
それを聞いたユキが返して来たのがその言葉だった。
「ホンット……はぁはぁ、頑固な、子だよ」
ユキは自分の演奏が好きじゃないらしいけど、音楽は大好きなんだ。
でも、私からして見ればユキの演奏はとても素晴らしいし、気付いたら演奏してるだなんて、ホントは演奏するのが好きなんだとも思う。それでもユキは頑なに「嫌い」の一点張り。
「あーもう、焦れったいっ!」
「うわっ――な、なんだい?」
「あっいえ、盛大な独り言です……えへへ」
「そ、そうかい。気を付けた方が良いよ」
「あはは……」
ほら、ユキの意固地のせいでサラリーマンさんを驚かしちゃったじゃん。
目的地に決めた公園に着いた頃、公園の時計はちょうど七時を指していた。
「はぁはぁ……こんなに走ったの、体育の授業くらいだ」
「どうして、ですか?」
膝に手を乗せてないとこのまま前のめりに倒れそうなくらいに疲れ切った私を待っていたのは、少し戸惑った様子のユキ。
本気だと認める条件としてユキは、私に毎朝この公園までのランニングを提示してきた。
正直、頭のどこかでは確認すらもしに来てくれないんじゃないか、という不安はあった。けど、この様子を見るに、ユキはそこまで私の言葉に期待を持っていなかった訳じゃなさそうだ。
「私は負けたくないから……ユキのそのホンットに詰まらない意地なんかに、負けたくないから」
顔を上げてみると、今の言葉にムッとした表情を浮かべるユキの顔が見えた。
「何も知らないで、詰まらないとか言うのヤメて下さい」
「嫌だよ。だって、ホントに詰まんないし」
折れない。折れちゃダメなんだ。
私がここで折れちゃったら、ユキの輝きは埋もれたままになってしまうから。
「嫌い……私、櫛原さんが嫌いです。ここまで無神経な人だとは思ってもみませんでした」
「ちょっ、待ってよっ! ユキィ!」
本気で怒ってしまったようで、ユキはそそくさと帰ろうとする。
でも、負けない。負けたくない。
「私だって嫌いだよ! 自分のホントの気持ちに気付こうとしないユキなんて、大嫌いだよっ!」
精一杯に叫んだけど、ユキの背中が止まる事はなかった。
「やっちゃった、かな……」
ユキの背中が見えなくなるまで、私はその場を動けずにいた。
*
一年A組の教室に入ると、私はいの一番に親友のアンナの元へと向かった。
「怒らせちゃったみたいっ」
「……アホ、怒らせてどうすんのよ」
昼休みの後、アンナには昨日の事を話していた。
「また始まった」と頭に手をやって首を振って見せたものの、次の瞬間には「で、どうすんの」と相談に乗ってくれた。
そして今、この状況に至る。
「どうしよう……?」
「程度が分からない事には何とも……まあ取り敢えず、明日もちゃんと公園までランニングしてさ、そこにユキさんが居ないようなら残念だけど、諦めれば?」
「嫌だっ、諦めるなんてヤだよ!」
知っちゃったんだ。
ユキが輝きたいって思ってるのを、私は知っちゃったんだ。
すくい上げるって決めたんだ。
諦めたくなんかない。
「なら、そん時にどうすれば良いのかを見付けるのはアタシじゃない。ジュリ、アンタ自身だよ」
そうだよね、うん。
「ありがとうアンナ。私、ユキのところに行ってくるっ!」
「えっ?! ちょっ、ジュリ!?」
謝ろう。
取り敢えず謝って許して貰おう。
で、ちゃんと話をしよう。
廊下にいる子たちに訊いたところ、ユキはC組らしい。
C組の扉の前まで来ると、ちょうど誰かが出て来るところだった。
「あの、ユキいます、か……って、ユキ!」
「わっ……櫛原さん、どうして?」
「あのさユキ、今朝はごめんなさいっ! 私ってバカだから言葉とか知らなくて、良い言い方が分からないんだけど……でも、ホントに勿体無いって思ったんだ。ホントは好きなのに、上手なのに、自分で自分の輝きを埋もれさせようとしてるユキがね、すごく勿体無いって思ったんだ」
あーもう、自分で言いたい事が上手くまとめられない。
謝りに来たのに、これじゃ逆効果だ。また怒らせちゃったらどうしよう……。
「あの、昼休みに昨日の場所に来て……」
それだけ言うと、ユキは無表情のまま教室の中へ戻って行ってしまった。
昼休みが待ち遠しいようで、だけど、どこか拭い切れない不安もあって、変にそわそわしたままその時を迎えた。
「ユキ、来たよ」
音楽室の扉を開けると、ユキは窓辺に手を着きながら外を眺めていた。
風にそよぐユキの長くて茶色い髪がキラキラと輝いて見えたとき、窓から入って来るそよ風に乗った呟きのようなユキの声が聞こえてきた。
「好きになりたいよ」
よく聞こうとしなければ、耳に入る前に掻き消えてしまいそうな程に弱い声音。
「私の家ってね、皆んな音楽をやってるの。お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも」
「お姉ちゃん」と発する間際にだけ、ユキは心なしか間を取った気がした。
「お父さんもお母さんもプロだし、お姉ちゃんも将来は絶対にプロになる……私だけ、私だけがあの輪に入れないの」
振り返ったユキの目に、綺麗だけど悲しげな冷たい輝きが見えた。
「お姉ちゃんは様々なコンクールで賞を貰ってる。凄い音楽家の先生に推薦も受けた。でも、私は賞なんて貰ったことない……誰からも、認めてもらったことがないの」
ユキの輝きを曇らせていた原因がわかった気がする。
ユキの周りには強い光が多過ぎたんだ。
都会で星が見えにくいのは空気の汚さだけが原因じゃないのと同じで、明る過ぎるんだ。
だからユキは、その明るさのせいで自分の輝きを見失っちゃってるんだ。
「私だけが――」
「ユキ、違うよ」
「えっ……」
伝えよう。
今度こそ、ちゃんと伝えてみせる。
「誰も、じゃない。私はユキが上手だって、ちゃんと認めてるよ」
私の言葉に期待して輝いたユキの目が途端に曇り出してしまう。
わかってる。これだけじゃユキをすくい上げられないのは。
「だから、これから一緒に認めてもらおう……一緒に、バンドで!」
目を見開いたユキへ向かって手を差し出した。
昨日は掴み返してくれなかったけど、今度はきっと大丈夫。
私はユキを信じてる。
ユキが音楽を好きな気持ちを信じてるから。
「できるの、かな……私なんかに」
「ユキだからこそ、できるんだよ!」
指先にそっと、遠慮がちに触れただけだった。
だから私は、ユキのその手をしっかりと握った。
「一緒に輝こう……絶対っ」
「うん」
こうして私たちは動き出した。