アタシには夢があった。
いつか大舞台で歌う、なんて大それた夢じゃない。
別に寂れたライブハウスだって構わない。
そう、場所なんてどこでも良かったんだ……アイツらとならどこだって良かった。
*
また、あの夢を見た。
――カオリ!
けたたましいクラクションとブレーキの音、アタシたちの叫び声。へしゃげた傘が道路の脇に転がって行く。次に見えてくるのは……動かなくなったカオリの姿。
心に消えることの無い傷を負った、なんて被害者ヅラをしてる訳じゃない。ましてや、悲劇のヒロインを演じる気すら毛頭ない。
ただ、アタシは自分が許せないだけ。
「雨、降ってるのか……」
窓の外を見たアタシは、大きく溜息を吐いてから起き上がった。
一端の高校生がワンルームのアパートで一人暮らしをしてるなんて、側から見れば自由気ままで羨ましく思われるだろうが、アタシの家の事情を鑑みればそう良い物でもない。
父親と離婚した母に連れられたアタシは、中学二年まで母子家庭で育った。で、アタシが中学三年に上がろうかという頃、母は体調を崩した。それからは祖母の家に母娘で世話になる形になった。
言い様のない居辛さからアタシは、高校進学を機にこうして一人暮らしを始めさせて貰った。
祖母には引き止められたけど、日に日に衰弱していく母を見るのは辛かったし、それ以上に母の姿を辛そうな顔で見る祖母を見ているのが、アタシには何よりも耐えられなかった。
「行ってくるよ」
戸棚に飾った母の元気な頃の写真に向かっていつも通りに挨拶を済ましたアタシは、扉の外の雨模様に憂鬱さを覚えながらも傘を片手に部屋を出た。
湿ったこの街の空気は最悪で、あの日の事を嫌が応にもアタシに思い出させてくる。
「おはよう有咲ー!」
「引っ付くなぁ、濡れんだろぉ」
が、同じクラスの戸山と隣のクラスの市ヶ谷の二人は、こんな天気にも関わらずいつも通りの平常運転だ。
「朝から熱々で、羨ましい限りだね」
「あ、おはよーアンナちゃん」
「誰が熱々だ――じゃなくて、そんなことないですよぉ、あははは……」
良い意味でコッチの調子を崩して来るこの感じが、今日のアタシには救いだ。
挨拶を済ました二人は、そのままきゃっきゃと去って行った。んで、アタシにとっての救い手がもう一組、
「おっはー、アンナ!」
「おはようございます」
ジュリとユキの二人だ。
「んーっと、そっちは初々しい感じだな」
「初々しい?」
「何でもない、コッチの話だよ」
「変なアンナ……って、いつもの事か」
「おい」
本当、救われる。
*
放課後、アタシはいつも通りカオリの入院している病院へ向かった。
病院のロビーに漂うこの独特で重い空気感はいつになっても慣れない。ここへ通うようになってから半年も経った今でも。
カオリの居る二〇七号室の扉の前で深呼吸を一度して、アタシは出来る限り飄々とした顔を繕ってから中へ入った。
「よっ、カオリ」
「アンナ……いつもありがとう」
ベッドの上で上半身だけ起こした態勢のカオリは、アタシを見るや否や複雑そうな笑みを向けて来る。
「礼なんていらないよ、アタシがカオリに会いたくて来てんだからさ」
「そっか、ありがと――あっ」
「はは、ごめん、無理しなくてもいいよ」
「うん」
ようやく普通の笑顔を見せてくれた。
カオリは事故の影響で二度と自分の足で歩くことの出来ない身体になった。それに後遺症はそれだけじゃなく、利き手である右手も上手く動かせないらしい。
――命が助かっただけでも幸運だったよ。
事故の後で最初に会ったカオリは、揃って泣き出したアタシたちに向かってそう言った。すごく良い笑顔で。
「そんでさ、ジュリのヤツがまたお節介を焼いてさ」
「ふふ、ジュリさんらしいね」
「まぁね。とか言うアタシもさ、ジュリのそう言うとこ、嫌いじゃないんだよね」
カオリとジュリは互いに面識はない。
こうして見舞いに来たアタシが学校であった事を話してる内に、カオリはすっかりとジュリの人間性を掴んだようだ。
とそんな時、病室の扉が開いた。
「あれれぇアンナちゃんも来てたのぉ?」
振り返って確認するよりも先に、このおっとりとしたマイペースな口調で相手が誰かがわかった。
「よっ、サエ姉」
「もぉアンナちゃん、その呼び方はヤメてって言ったでしょー?」
「ははは――良いじゃん、サエ姉?」
「もおぉ、怒るよぉ?」
「ふふふ……」
アタシたちのお決まりとも言えるやり取りに、カオリはくすくすと笑う。
「相変わらず仲が良いね、二人は」
「何言ってんのさ。アタシら三人は、だろ?」
「……そうだね。うん、ありがとう」
分かってる。
こうしていつまでも変わらないままだと主張したとしても、もうあの日々が戻って来る事は決してないんだ。
面会時間が終わり、カオリに別れを告げてからサエ姉と二人で病院を出た頃、雨はすっかりと上がっていた。
「ねえ、アンナちゃん?」
「ん、どうかした?」
サエ姉の口調から珍しくおっとりとした感じが消えていたのを受け、嫌な予感を感じながらもアタシは平然を装って応えた。
「リナとミキの二人、新しくバンド始めたんだって」
サエ姉の言葉に込み上げて来た感情がアタシの足を止めさせる。
「嘘、だろ……」
「ううん。アンナちゃんには言わないでって言われたけど、やっぱり知っておいた方が良いと思ったから」
何だよそれ……アタシには言わないでって。
「ふざけんなよっ! リナもミキも、アタシたちを裏切ったの――」
「違う。二人はアンナちゃんの為を思って伏せようとしてたんだよ?」
「何だよアタシの為って……単に後ろめたいからだろっ」
「本当に、わからないの?」
「えっ……」
サエ姉が何を言ってるのか分からない。
アタシの為ってどういう事だよ……訳が分からない。
「アンナちゃんがすごく友達想いなのはね、わたしも二人も知ってる。だから毎日カオリちゃんのお見舞いに行ってるのもわかってるよ。だからね、二人は言えなかったの」
分かんない。
「二人はわたしたちを捨てた訳じゃないの。前へ歩き出しただけなのよ」
ヤメろ。
「カオリちゃんもきっと――」
「ヤメろよ、聞きたくないっ!」
「アンナちゃんっ!?」
分かってたよ、そんなの。
けどさ、それじゃカオリがあんまりだ。
アタシが歩き出したら、カオリは一人ぼっちになるじゃないか……一番辛いのはカオリなのに、どうしてサエ姉もリナもミキも、カオリを置き去りに出来るんだよ。
アタシには無理だ。
カオリを一人ぼっちにするなんて出来ない……そんな事をするくらいなら、アタシは一生あの日で停滞したままで良い。