「2」   作:まなぶおじさん

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後編

 ――お前、またペパロニさんとこで食いに行くの?

 ――そーだよ。絵を見てもらう為にちょっくら

 ――最近、そこばかり行ってるじゃねえか。ホントはあれだろ、絵を見てもらうってのは建前で、実は、

 ――馬鹿言え。第三者からの感想は大事なんだからな

 ――ふーん。アンツィオでそれを言う? まあいいさ、応援してるからな

 ――あにをだよ。

 

 建前などではない、本心だ。美術とは無縁の戦車道履修者だからこそ、いたって冷静な意見を貰うことが出来る。

 しかし、「実は、」の先も否定はしない。ここ最近は、1に絵、1にペパロニ、3に昼飯のことばかり考えているのだ。

 

 確かに、ペパロニのことは好きだ。だが、それは親愛による感情かもしれないし、本当に異性として好きなのかもしれない。全くもってあやふやだ。

 だが、ペパロニに対しては好感情しか抱いていない。自分のことを助けてくれて、自分の言葉に応えてくれて、自分の絵を好きになってくれて、自分のことを支えてくれて――ほんとう、色々あったと思う。これ以上何か起ころうものなら、本気で恋してしまうと思う。

 例えそうなったとしても、ペパロニ「だからこそ」受け入れられる。正直顔も好みだし、その性格だって大好きだ。ペパロニに困ったことがあったら、腕が犠牲にならない限りは助けてあげたい――自分の中のペパロニとは、そういう存在だった。

 

 だからこそ、あやふやなままで、告白なんぞ出来ようはずもない。だから今は、

 

「よ」

「よ」

 

 屋台まで一直線に歩み、スケッチブックを掲げて挨拶をする。ペパロニは「また来てくれたんだな」と笑顔になり、手を「見せてくれくれ」と二度曲げた。

 注文をするヒマもなく、ビスコッティは「はい」とスケッチブックを手渡す。早速とばかりにスケッチブックを開き、見たことのない絵までページをひとっ跳びさせていく。

 

「お、これはこの前の戦車戦か!」

「そうそう。ホント、格好良かったからさ」

「見ててくれたんだよな。ありがとう」

 

 ペパロニが手を差し出し、ビスコッティが遠慮なく握り返す。礼を交わしたところで、ペコリーノとカルパッチョも「ほうほう」と覗ってきた。

 

「何でも描けるっすね、本当」

「ねー、本当にね。……素人意見ですが、本当に楽しんで描いたのが伝わってきます」

 

 カルパッチョの感想に対し、こくりと頷く。男とは無縁の戦車道であろうとも、戦場を好きなように描くのは実に実に面白かった。

 

「何気に大将の戦車を、P40でぶっ飛ばしてるもんなー。ニクいもん描いてくれてぇ」

「俺はアンツィオ生徒だからねー」

 

 ペパロニが、「そういやそうだな」と笑う。カルパッチョは未だに「ほうほう」と眺めていて、ペコリーノも「この絵、欲しい……」と呟いた。もちろん無料配布予定である。

 

「ホント、いい絵描くよな。これなら間違いなく入賞間違いなしだ、総統である私が保障する」

 

 自らを「総統」と言ってくれたことに、深く安堵する。緩やかに、上機嫌となっていく。

 

「ありがとう。これも全部、ペパロニさんの……アンツィオ戦車道のお陰だ」

「そこは言い直さなくても良いんですよ」

 

 カルパッチョが、にこりと微笑む。どきりとする。

 

「ペパロニのお陰、ですもんね?」

「そ、そんな。カルパッチョさんや、あなたのお陰で、」

 

 ペコリーノが、「またまたこのー」と肘で突っついてくる。あいててと声が出る。

 

「何はともあれ、ペパロニが起点となったんです。ですから、『ペパロニのお陰』でもいいんですよ?」

「そ、その」

「ねーさんは性格が良いし、美人だし、総統だし、いい女っすよねー?」

「え、まあ」

 

 思わずぽろっと、肯定してしまった。カルパッチョが深く笑み、ペコリーノの目がぎらりと光った、気がした。

 

「――そ、そうだ! 注文注文!」

「そ、そうだなそうだな」

 

 ペパロニが、スケッチブックをビスコッティへ返す。後でコピー取らないと。

 ペパロニが腕まくりして、ビスコッティが「そうだなあ」と少し悩んで、

 

「じゃあ、今日もラザニアで」

 

 ペパロニが「あいよ!」と威勢良く返事して、フライパンの取っ手を握りしめたところで、

 

「え?」

「え? いや、ラザニアを一つ」

 

 冷やかしのはずがない。本心からラザニアを食いたいと思ったから、ラザニアを注文したのだ。

 

「え、ラザニア?」

「うん。ここのラザニア、凄くうまいっしょ。お陰でハマっちゃってさー」

 

 その時、ビスコッティはそれを目にした。

 眉をハの字に曲げる、ペパロニの表情を。

 

「そうか……鉄板ナポリタン、じゃないんだ」

「え」

 

 ちょっと待てと思考する、失言でもしたのかと思い起こす。

 先ほどまでは、和気あいあいと会話しあっていた。戦車道について、絵について。

 ここまではいい、ここまでは。

 身に覚えのある事といえば、「今日もラザニアで」だ。ラザニアといえばメニューの一つで、値段だってしっかりと設定されてある。少なくとも、間違ったことは一言も口にはしていないような、

 

「まあ、カルパッチョの方が料理はうまいし? 料理の師匠だし? ラザニアにハマるのもしゃあないしゃあない」

「え、師匠なん?」

「そーなの」

 

 知らなかった。

 素でぽかんとしている中、 

 

「カルパッチョ、出番だぞ。ラザニア、作ってやれ」

 

 あ。

 そう、そうなのだ。ラザニアといえばカルパッチョの領域で、男どもからは「スマイルつきカルパッチョラザニア」とか呼ばれるくらいの名物なのだ。

 たぶん、ペパロニもラザニアは作れるのだろう。だが、ラザニアに関してはカルパッチョの方が一歩リードしているのかもしれない。師匠らしいし――ペパロニを見る。未だに眉をハの字にへこませたまま、口元をへの字に曲げたままで、じいっと自分のことを見つめている。

 ごくりと唾を飲む。「そういうこと」じゃないよな、まだ「そういう関係」じゃないよな。俺たちは仲間なんだよな――

 

「あら、たいへん!」

 

 ペコリーノが、「どうしたんすか!」と大いに驚く。ペパロニとビスコッティが「へ」と。

 

「なんてことでしょう、ラザニアのざいりょうをきらしてしまいました!」

「あ、マジっす! これではラザニアをつくることができないっす! これはこまった!」

 

 ペパロニが、「え? マジで?」と困惑する。唐突な流れに、ビスコッティは「え、そうなの?」と混乱する。

 

「ああ、なんてこと。こうなったら、ペパロニの、」

「なあカルパッチョさんや、何の材料を切らしてるんだ? すぐ調達するぞ?」

「え!? あー、えーと、それはーそのー」

 

 ペパロニは店主として、純粋に心配している。一方でビスコッティは、「あ」と疑問視した。

 

「あー、砂糖! これがないとラザニアはできないわ!」

「そっすね、そのとおりっすカルパッチョねーさん」

 

 その時、ペパロニが物言わずにトレーの上を目配りした。ケチャップやマスタード、塩コショウはまだ良かったのだが、悲しい事に、残酷なことに、砂糖がぎっしり詰まったビンが堂々と鎮座していた。

 人間、嘘でも何でもやろうとすると、中々うまくいかないものだ。

 ペパロニが、冷ややかな目つきでカルパッチョを眺める。しかし戦車道で鍛えた胆力は中々のもので、あくまで笑顔で「うん?」とカルパッチョが応える。

 次に狙われたのはペコリーノだったが、綺麗な皿を更に洗い始めた。ペパロニが「あ、こら」と声を出して、ビスコッティが「待った」と手で止めて、

 

「ペパロニが作る、鉄板ナポリタンを一つ!」

 

 あえて大げさに、人差し指を立てる。

 ――間。

 ペパロニの目と口が、まん丸く開く。ミディアムヘアが、横顔でにたりと微笑む。カルパッチョは、そのままの笑顔で親指を立てた。

 ――間、終わり。

 

「――分かった!」

 

 ペパロニが、今一度腕まくりをする。アンツィオで、一番の笑顔を輝かせながら。

 

「やっぱりオメーは、鉄板ナポリタンが一番似合うぜ!」

「えー、どういう理屈っすかそれー」

「細かいことは気にすんなって。さあさあ、これを食って、英気を養って、コンクールに出すデカい絵を描いてくれ!」

「わかった!」

 

 ビスコッティが親指を立て、ペパロニも強く微笑む。後はそのまま、屋台主として調理し始めた。

 ペパロニがフライパンに視線を集中させている間、ビスコッティが、カルパッチョとペコリーノに対して小さく頭を下げる。トラブらせてごめんなさい。

 カルパッチョは首を横に振るい、ペコリーノは「へへっ」とヤンキーピースした。更に磨かれた皿を、ふきんでさらっと磨き上げながら。

 

「はい、鉄板ナポリタンお待ち!」

「ありがとう! いただきます」

 

 スケッチブックと300万リラをカウンターの上に置いて、手と手を合わせる。次に、出来立ての鉄板ナポリタンをペパロニから受け取って、早速一口、

 

「うまい!」

「だろー?」

 

 へへ、とペパロニが笑う。やはりというか何というか、何度食べても全くもって飽きない。脳がもっと食えと、理性がもっと味わえと、本能が食え食えとやかましい。

 瞬く間に体温が、口の中が熱くなっていく。甘いソースで、舌が濡れていく。ごくりと飲み込めば、もうフォークが回転し始めていた。

 そうしてペパロニナポリタンを堪能している間、カルパッチョが音も立てずにペパロニへ接近する。ペパロニが「何?」と横目で眺めてみれば、

 

「可愛いわね、ペパロニ」

「……は?」

 

 は?

 フォークスクリューが止まる。

 

「さっきの態度って」

「な、何だよ」

 

 カルパッチョが、にこりと、

 

Gelosia(嫉妬)?」

「え? ……ち、違うよ! ただその、なんだろ、なんかこう悔しかっただけで」

「へー」

 

 カルパッチョが、ざーとらしく棒読みで返事する。ペコリーノに至っては、口を抑えて笑いをこらえていた。

 ――今更になって、他人事ではないと気づく。待った待ったと、フォークを軽く掲げる。

 

「お、俺とペパロニさんは、そういう関係じゃないですから」

「そうでしたか……」

 

 こくりと、カルパッチョが首を縦に動かして、

 

「まだ、そういう関係ですもんね」

「カルパッチョさん!」

 

 ふふふふと、カルパッチョが笑う。その時、ペコリーノがそそくさとカウンター越しまで近づいてきて、

 

「安心して欲しいっす。戦車道履修者一同は、総統とビスコッティ兄さんの、絶妙な関係を応援してるっすから」

「んだよそれー」

 

 許可は全面的に降りていたらしい。ペパロニとは「まだ」、仲間という間柄に過ぎないというのに。

 けれど、そうやって応援されるのも仕方がないことなのだ。何といったって、ここはアンツィオ高校学園艦なのだから。他人の恋愛模様を見て、幸せになれる世界なのだから。

 

「お、俺はまあ、いくらでもからかってもいいけど、ペパロニさんに迷惑をかけちゃ、」

「ビスコッティ」

 

 ビスコッティの言葉が堰き止められた。視線をペコリーノから、ペパロニへ。

 ――地面へ視線を逸らしながら、気恥ずかしそうに表情を曇らせながら、後ろ手に回しながら、ペパロニは、

 

「ペパロニさん、じゃなくて。ペパロニって、呼んでくれよ」

 

 そう、言った。同級生として当然のことを、仲間として当たり前の事を、ペパロニは言った。

 今までは、何となくそう呼べなかったのだ。初めて仲良くなった異性で、自分にとっての恩人で、アンツィオの総統で、自分よりもはるかにデカい女性だから、どうしてもさん付けで会話していたのだ。

 ――けれど、ペパロニは言った。呼び捨てで接して欲しいと。

 

 息を大きく吐く。鉄板ナポリタンへ視線を傾けた後、再びペパロニの顔を見つめる。ちらりと、目と目が合った。

 

「ペパロニ」

 

 ペパロニがそっと、ビスコッティめがけ顔を動かす。

 

「これからも、よろしくな」

 

 ナポリタンを一口食って、ごくりと飲み込んで、

 

「やっぱり、ここのナポリタンは最高に美味いな。――明日もまた、ここへ来るよ」

 

 一秒目、無表情。二秒目、まばたき。三秒目、「はあ」と呼吸。六秒目、口元が段々と緩んでいって、八秒目からペパロニらしい笑顔を取り戻していき、それ以降は――

 

「ああ! お前なら大歓迎だ! ……あ、今日はごめんな、気を遣わせて。明日はラザニアってことで」

「グラッツェ、ペパロニさん」

「あ、こら」

 

 いつものクセが出てしまった。ごめんごめんと頭を下げ、

 

「ペパロニ」

「うん」

 

 ちらりと、屋台の屋根をめがけて見上げる。そうして、何事も無かったかのように視線を元通りにして、

 

「コンクールは期待してくれ。心の底から、描きたいモノが見つかったからさ」

「ああ、必ず見に行く」

「だからペパロニも、優勝目指して頑張ってくれ。応援する」

「ありがとう」

 

 片手に食器を持ち替え、ペパロニと堅く握手を交わす。

 

「……でかいな、お前の手」

「そ、そうか?」

「ああ。芸術家の手だ」

「そうか」

 

 そっと、手と手を放す。ほっとしたのも束の間、ペパロニの左側からカルパッチョが、右側からペコリーノが、何のスキも無くペパロニを挟み込んだ。

 

「っすかそうすか、やっぱりそういう……」

「ち、違うっ!」

「そう。まあ、そういうことにしておきましょう」

 

 ねー。カルパッチョとペコリーノが、実に嬉しそうに首を横に曲げた。めちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

 ペパロニに対しての感情は、間違いなく「好き」だ。けれど好きといえば好きで、愛しているとははっきりと断言できない。

 けれど。ペパロニはとても優しくて、どこまでも明快で、最高に格好良くて強くて、自分の心を支えてくれる人だ。異性として魅せられるのも、時間の問題なのかもしれない。

 

 三年生になって、はや数か月が過ぎた。あと少しで、高校最後の学生絵画コンクールが開催される。

 断言する、過去最高の絵が描き上げられるはずだ。描きたくて描きたくて仕方がない世界を、一枚のキャンパスに込めてみせる。

 

 屋台広間の喧騒の中で、「うう」と萎縮するペパロニを前にして、母のように微笑むカルパッチョを目の当たりにして、上機嫌にカウンターを拭くペコリーノを眺めて、鉄板ナポリタンを味わって、夏のような青空の中で佇んで、理由不明の「一等だ―――ッ!!」という絶叫を耳にしながら、ビスコッティは強く硬く決意する。

 

―――

 

 そうして何のトラブルもなく、平等な審査が下されながら、学生絵画コンクールが終わりを迎える。

 

 ↓

 

「というわけで、特別賞には至らなかったけれど、入選してきました。はい300万リラ」

「本当か!? うし、週末はみんなで本土行くぞ本土、美術館へハシゴだ! 半額セールだーッ!」

「やったー! で、俺も行かなきゃ駄目?」

 

 駄目だった。ペパロニとカルパッチョとペコリーノが、戦車道履修者らしい笑顔でビスコッティを取り囲んだ。

 

 ――そういう軽いやりとりをこなしてから、週末、無事に本土まで到着した。後はそのまま美術館へお邪魔したのだが、今日は随分と人が混み合っている。

 たぶん、学生絵画コンクール目当てだろう。家族連れから同年代らしい若者、じいさんばあさん、カップルまで、客層が見事にオールマイティだ。広い美術館なので、移動には困らないのだが。

 ペパロニは「人気あるなー」とコメントし、カルパッチョが「絵は刺激されますからね」と意見して、ペコリーノが「それで、兄さんの絵は?」と好奇心を隠さない。

 

「高校の部はあっち」

 

 指をさす、そのままペパロニ一同ともども付いてくる。ここに来るのはこれで三度目(文化的偵察の為)になるが、これまで以上に緊張感を孕んでいた。

 何せ、よりにもよって、ペパロニ一同に絵を見られてしまうのである。内容が内容なだけに、今の時点でめちゃくちゃ恥ずかしかった。

 美術部員にも「この絵どうよ」と見せてみたが、同業者だからこそ「へえ、新しいな」とだけ評価してくれたのだ。顔はニヤついていたが、露骨な詮索などはしないでくれていた。

 

 ――戦車道履修者は、美術とは無縁の道である。それ故に生の感情が、言葉が、反応が飛び出ても仕方がなかった。

 おそるおそる、横に歩くペパロニを見つめる。ペパロニは「楽しみだな」と笑顔で応えて、ビスコッティは「あんまり期待しないでくれよ」とだけ。

 未だに緊張したまま、ある一種の高揚感を抱いたままで、あっさりと「高校の部・絵画コンクール展示コーナー」にまで到着する。所狭しと壁に飾られた絵に囲まれ、ペコリーノが「おお……」と感嘆の声を上げる。カルパッチョもペパロニも、「すごい」とハモった。

 

 何処に飾られているんだったかなと、絵をちらちら眺めていく。テーマは人それぞれで、風景、ビル街、人、戦闘機、弾丸、戦車の絵を見つけて「お、カヴェナンター」とペパロニがコメントする。

 

「うまいですね、みんな」

 

 頷く。みんな本気になって、時には頭を抱えて、完成させて「世界一の絵だ」と称えたはずだ。

 

「お、これ見ろ。最優秀賞だって」

 

 ペパロニが指さし、カルパッチョとペコリーノが興味を示す。ビスコッティはといえば、前もって部長から報告はされていた。

 ――今年の知波単には、凄い奴がいると。 

 

 最優秀賞「知波単学園艦」 知波単学園 玉田

 

 プレートには、そう書かれてある。

 改めて、二つの目ん玉を絵に移し――息が漏れた。

 

 内容はいたってシンプル、俯瞰的な視点から捉えた知波単学園艦の絵だ。それに海という巨大な世界が加わることによって、絵のデカさが脳内で広がっていく。繊細な波しぶきを描写することによって、ダイナミックな想像をどうしても掻き立ててくれる。知波単学園艦に至っては、これでもかこうでもかというくらい描き込みまくりだ。

 この作者は、知波単学園艦の事が大好きなのだろう。趣味的な熱意が、素人である自分にすらよく伝わってきた。

 しかもシチュエーションは「夜」。学園艦全体に寂しい光が灯っていて、海は淡く暗く発光していた。

 

 納得する。これは大賞だと、心の中で納得する。

 カルパッチョも「すごい」と、ペコリーノも「かっけえ」と、ペパロニは「お嬢様学校だったっけ」とだけ。

 おめでとう、知波単学園艦の玉田さん。機会があったら、会って話がしたい。

 

 ――さて。

 最優秀賞を潜り抜けたところで、優秀賞、特別賞、蝶野賞と、ずば抜けた絵が次々と襲い掛かってくる。上手い絵とは万人に共感を与えるもので、ペパロニもカルパッチョもペコリーノも「おお」と声を出していた。

 ビスコッティも、内心は「凄いな」と思っていた。入賞間違いなしだ、と考えていた――しかし、今回ばかりは、「それらの方が上」とは考えていない。

 なぜなら、

 

「あ。これじゃないっすか? アンツィオ高校、黄田。タイトルは、」

 

 プレートに書かれたタイトルを見て、ペコリーノが「え」と呟いた。その無表情のままで、黄田の、ビスコッティの絵を見比べる。

 カルパッチョが首を傾げ、タイトルと絵を交互に見やる。この瞬間からいつもの笑顔がふっと消えて、信じられないものでも見るような目つきで、ビスコッティの絵を注目する。

 

「どうしたお前ら。ビスコッティの絵、何かあったのか?」

 

 ようやくペパロニが、一番見て欲しい人が、ビスコッティの絵に意識を向ける。

 まずはプレートを見やり、「ほうほう」と一言。後はそのまま、ビスコッティの絵を、

 ペパロニは、間違いなくそれを見た。

 

 世にも珍しい、戦車の模型が乗っかった屋台を中心に描かれた、お祭り会場の絵を。

 

 絵の中で、祭りの会場はこれでもかと賑わっている。誰も表情を曇らせたりはせず、ただただ笑っていて、時には抱きしめあっていて、中には盛りに盛る店主がいる。

 そんな賑やかの山で、一際目立っているのが戦車屋台だ。屋台の屋根には、主砲から火を噴いている戦車の絵が一枚張り付けられていて、女性の店主が明快に笑顔を浮かばせながらフライパンを握り締めている。その隣ではにこやかに笑う店員が、その隣には綺麗な皿を掲げた店員が、賑やかさに負けじと存在感を放っていた。

 

 観光客が、アンツィオの生徒が、スケッチブックを持った誰かさんが、鉄板ナポリタンやラザニアを楽しげに食べている。その誰もが、店主を慕うように寄り添っていた。

 

 ――もちろん、「ボカしてはいる」、いるが――見る。ペパロニが、瞳を震わせたままで、未だにその場から動こうとはしない。

 カルパッチョも、ペコリーノも、自分の絵をただただじっと見つめてくれている。絵の中の屋台広場に、足を運んでくれている。ノリとメシとナンパの本場の中心部を、自分が最も描きたかった世界のことを、ひたすらなまでに注視してくれていた。

 

 ――ペパロニが、ため息をこぼす。

 どんな言葉が返ってくるのだろう。良かったのか、悪かったのか、モデルにしてくれたなと怒られるのか、それ以外なのか、それは分からない。

 けれど、ペパロニは絵を見たままで、真顔を貫いたままで、

 

「ビスコッティ」

「うん?」

「……本当に、この絵が描きたかったのか?」

「うん」

「――『タイトル通りに』、描いたんだよな?」

「うん」

 

 ここで、少しだけ間が生じる。ペパロニの意識が、再び絵のものとなる。

 

「とても素敵な、絵ですね」

 

 カルパッチョもまた、絵を見たままで感想を言う。ありがとうございますと、ビスコッティは一礼する。

 

「兄さん。兄さんには、才能があるっす」

 

 ペコリーノがにこりと微笑んで、絵に集中したままでそう言ってくれた。ありがとう、ビスコッティは礼をする。

 

「ビスコッティ」

「うん?」

「……この絵には、特別賞が必要だ」

「え」

 

 ペパロニが、ビスコッティへ顔を向ける。おさげを揺らしながら、これまで以上に穏やかな表情を浮かばせていた。

 

「アンツィオ戦車道賞を、総統として受賞させる」

 

 それを聞いた瞬間、心の底から、自分は報われたのだと実感した。

 屋台広間という世界を選んだ事は、描いていて楽しい絵を描き切った事は、間違いなく正しかった。

 だからこそ、こうした結末を迎えることが出来たのだと思う。だからこそ、この結末に納得出来るのだと思う。

 ビスコッティは、絶対に笑えた。

 

「――ありがとう」

 

 笑えたままで、

 

「アンツィオ戦車道は、人を幸せにするんだな」

 

 こう言えた。

 ペパロニは、小さくこくりと頷いて、

 

「美術部も、お前も、大したものじゃないか」

 

 首を縦に振るって、再び絵を見る。本当、これを完成させるのに時間がかかったと思う。今となってはより良い思い出だ。

 それは自分だけではなく、道を歩むもの全員がそうなのだろう。美術にしても、格闘家にしても、戦車道にしても、誰もが、自分はどうすればいいと長く悩むはずだ。

 中には、自力で解決する奴だっているだろう。けれど自分は、他人の力を借りてみて、ようやく道を見定めることが出来た――隣にいる人も、そうだ。

 

 それは弱さでも、良い悪いでもない。「そういう人」だからこそ、誰かからの手が必要だったのだ。

 自分とペパロニは、そういう所がよく似ていた。だから、助けられて助けることが出来たのだと思う。そんな縁があって、色々あって、あれこれ食べてみて、この最高傑作が無事に完成した。

 

「……ビスコッティ」

「ん?」

 

 静かな美術館の中で、足音が一つだけ鳴った。

 

「もっと、こっちに来なよ。よく、絵が見えないだろ?」

 

 ペパロニがちらりとこちらを見て、ぽつりと言う。この時、「いや」と言おうとして、

 カルパッチョとミディアムヘアが、にこりと微笑んだ。口をへの字にして、頭の中で「ほんとアンツィオの人たちは」と苦言して、

 

「そうだな、わかった」

 

 ペパロニと、くっつくような距離で横並びになる。ペパロニは離れず、ビスコッティもそのまま。あえて、視線は絵に向けたままにする。

 

「……なあ」

「ん?」

「絵、描き続けるんだろ?」

「もちろん」

「そっか」

 

 その一言から、強い安堵感が伝わってきた。

 そうして少しだけ沈黙して、美術館の中で時間が過ぎていって、

 ぽつりと、 

 

「やっぱりお前は、アンツィオで一番の美術家だ」

 

 ペパロニに対しての、親愛という感情が変わっていく。

 

「――ありがとう」

「もし嫌になったりしたら、その時は、私が何か食わせてやる。何ならまけてやっから」

「グラッツェ。半額セールん時は二倍食うよ」

 

 割かし本気に言う。ペパロニが、「無理すんなよー」と苦笑する。

 

「……まあ、あれだ」

 

 ちらりと、ペパロニの横顔を見つめる。

 まるで夢でも見ているかのような、屈託のない微笑を絵に振りまいていた。

 

「私は、お前の絵のファンだから」

「そう言ってくれて嬉しい」

 

 美術館の中は、とても静かだ。人の足音が、ささやかな話し声が、「これお姉ちゃんの絵だ!」という子供の喜びが、その何もかもが静寂さを色濃くしていく。

 何となく周囲を見渡してみると、カルパッチョとペコリーノが既にどこにもいなかった。やられた、苦笑する。

 まあ、いい。

 

「ペパロニ」

「ん?」

「やっぱり、ペパロニには総統としての力がある。だから、そのままでいて」

「ああ、分かってる。もし、どうしてもダメなところがあったら――まあ、その時は人任せにするよ」

 

 ペパロニが、「へへ」と笑う。心から安堵する。

 

「……ビスコッティ」

 

 その時、手を弱々しく握りしめられた。いつもの握手とは違って、怯えが入り混じっていた。

 ペパロニの顔を見る、ペパロニと目が合う。薄く口元を曲げて、繊細そうに微笑して、

 

「ありがとう。この場所を、選んでくれて」

 

 アンツィオ高校三年生、黄田は、ペパロニに恋をした。 

 

 ――好きな人を手助けしたい。それは、想い人として当たり前の決意だった。

 だからビスコッティは、ペパロニの手をぎゅっと握る。やがてペパロニも、同じようにして握り返してくれた。

 

 心の底から願う。ペパロニが総統として、女の子として、幸せになりますように。

 素人だけれど、心から願う。アンツィオ戦車道が、今年こそ優勝できますように。

 心の奥底から決意する。ペパロニを支えられるのであれば、俺はなんだってする。

 

 

 入選「大好きな場所」 アンツィオ高校 黄田

 

―――

 

 そうして、高校戦車道全国大会もそっと近づいてくる。

 

 この時期になると毎日のように練習を行うようで、ペパロニからは『今日はたまたま調子が悪かった』とか『今日は上手くいった。やっぱりアンツィオは強い!』とか、結果報告のメールを送ってくれるようになった。

 もちろん、ビスコッティは即座に返信する。ネガティブな結果に対しては『そうそう、運はどうしようもない』とコメントして、ポジティブな戦果については『流石総統! アンツィオは強いな!』と大いに喜ぶ。我ながら打ちっぱなしなメールだなあと思うのだが、ペパロニは『グラッツェ』と返してくれるのだ――『昼休み、屋台に食べに来るか?』という締めつきで。

 

 ――そういうわけで、

 

「で? ここ最近は、マジみたいな試合が続いているんだって?」

「ああ。時間がかかってもいいから、作戦立案タイムを十分に設けたのが良かった。普段私らは、AチームとBチームに分かれているんだが」

 

 ふむふむ。カルパッチョラザニアを味わいながら、ペパロニの戦車道談義を真剣に聞く。

 

「実は、作戦タイムは割かし短かったんだな。ウチはさ、ほら、『諦めなきゃ何とかなる』みたいな感じで試合するから」

 

 あーなるほどね。アンツィオ高校学園艦の上で、一度だけつま先で足踏みする。

 

「それはそれで構わないと思うし、そもそもそういうノリは大好きだ――が、優勝を目指す以上、オツムは必要になってくる」

「……ペパロニ」

 

 お前もしかして。そう言いかけたところで、ペパロニがにっかり笑って否定する。

 

「安心しな、立案とかは知恵者に任せてる。私は、それをいつ下すかの指示役だ」

 

 本気で、安堵するようにため息をつく。スケッチブックに目を通しているペコリーノが、「大丈夫っすよ」と小さく声をかけてくれた。

 

「で――このAチームとBチームには、平等に知恵者を配属させている。くじ引きでな」

 

 なるほどと、ビスコッティは頷く。これで本当の意味で、戦力は平等になるわけだ。

 

「後は長期にわたる作戦タイム。スラスラと進むこともあれば、いやいやと長期化することもしょっちゅう。時には感情的になったりして、年長者が『まあ落ち着け』と仲裁することもあるな」

 

 想像する。その場に自分が居たらどうなることやら――モヤシの自分など、ビビってチビりそうになって「なんでもありません!」と沈黙するに違いなかった。

 自分が女性だとしても、一生、戦車道を歩むことは出来そうにない。

 

「けれど、試合のことを考えれば考える程、空気の真剣味が増す。作戦の事を意識すれば意識するほど……『この作戦で慌てふためく相手の姿が目に見えるぜ』と笑うようになる」

 

 ペパロニが悪そうに笑う、ビスコッティも苦笑する。

 

「で、そのテンションのままで試合を開始すれば、そりゃあもうタダでは済まない。作戦を成功させて、相手をびっくらさせつつ勝利をもぎ取ろうとするんだから」

 

 カルパッチョが、「おいしいラザニア、売ってますよー! アンツィオ一番ですよー!」と叫ぶ。戦車道履修者の声は、よく通る。

 

「だから、長い長い睨めっこが始まったり、あっちからこっちから時には上から奇襲してくることもある。待ち伏せと思わせておいて、実は迂回されていて、実は私らも迂回させてましたってこともあった」

 

 そうした試合の積み重ねの中で、ペパロニのチームが勝ったことも、負けたこともあるのだろう。

 けれどペパロニは、楽しそうにこれまでの事を語っている。何せ本気でドンパチ出来たのだ、総統としてめちゃくちゃ嬉しいに決まっていた。

 

「いやホント、毎日が充実しているよ」

「それは良かった。本当に良かった」

 

 素直に口にする。ほかでもないペパロニが、こんなにも幸せそうに笑っているのだから。

 

「……お前のお陰だ」

「え?」

「お前が総統だと認めてくれたお陰で、私は、自分の向き不向きを受け入れられた」

「それは良かった。でも俺だけじゃない、みんなが君を認めている」

「まあそう、そうなんだけどさ」

 

 その時、ペパロニが視線を逸らす。ぎこちない表情のまま、おさげをいじりながらで、

 

「……お前さ」

「ん?」

 

 どうしたんだろう。スプーンで、ラザニアを刺す。

 

「えーっと……その、一つ質問がある」

「うん」

「答えたくなかったら、答えなくてもいいから」

「いいよいいよ。何?」

 

 今日も今日とて、アンツィオ高校学園艦は平和だった。アンツィオらしく、ビスコッティもペパロニも元気に生き抜いている。

 いつものようにペパロニを見て、空気のような喧騒を耳にして、ラザニアを掬うスプーンの感触を楽しんで、ラザニアを舌で触れて、その味に何もかもが満たされて、

 

「――交際している人とか、いるのか?」

 

 そして、極めてアンツィオらしい質問を投げかけられた。抗いようもなく、五感が真っ白になる。

 

「……あ、えと、何となく気になって、な? ……ごめんっ、変な質問したっ」

 

 ペパロニが頭を下げる。それに気づけたビスコッティが、「いや、いやいや」と必死になって否定して、

 

「変なんかじゃない。アンツィオでは、よくある問いだし?」

 

 嘘は言っていない。アンツィオに三年間も住んでいれば、惚れた腫れたの話なんて嫌でも飛び込んでくる。

 友人と一緒になって「あのコとの関係、どーなんだよ」と笑ったこともあるし、「実は付き合うことになったんだよ」と笑われたこともある。かくいう自分だって、何度も何度も「ペパロニさんと付き合ってんの?」と質問されたりもした。

 そのたびに、決まってこう返答するのだ。「ただの常連だよ」と。

 ――だから、ペパロニの疑問は、アンツィオ的には何も間違ってはいない。

 

「そうか……そうだな、そうだよな」

「そうそう」

 

 だから、答えることにした。

 

「今はフリーだよフリー、恋人募集中ってやつ」

「ホントか!」

 

 ペパロニが勢いよく前のめりになる。思わずビビって後ろにたじろいでしまったが、気を取り直して一歩前進。

 

「あ、ご、ごめん」

「いや」

 

 ペパロニは何も間違っていない、ペパロニは失言なんかしていない。そう念じながら、ビスコッティが首を横に振るう。

 ――その時、スケッチブックに注目していたペコリーノが、にたりと笑った。

 

「兄さん」

「ほいほい」

「兄さんは、家庭的な女性は好きっすか?」

「え!? んまあ、好きかなあ?」

「料理を作れる女の子は、好きっすか?」

「ま、まあ」

 

 あ、

 ビスコッティ十八歳は、この流れに対して「まずい」と直感した。どうにかこうにか、ヘタクソなりに話を誤魔化そうとして、

 

「ペパロニは、とてもいい子だと思いませんか?」

 

 カルパッチョが、ペパロニの隣まで素早くスライドしてきた。

 絶望する。知恵者のカルパッチョに対して、生半可な嘘や誤魔化しなどは通用しない。

 

「か、カルパッチョ! 私は、そんなんじゃ」

「えー? 総統なのに?」

「そ、それを今言うかッ。ほ、ほらっ、ビスコッティも迷惑してる……そうだろ?」

「いやそんなことっ」

 

 たぶん、時間が止まったのだと思う。そう錯覚するほど、脳ミソがイカれたのだと思う。

 ペパロニは完全に真っ赤で、けれども嫌悪感とかそういったものは感じられない。カルパッチョは嬉しそうだし、ペコリーノは親指を立てているし、周囲のアンツィオ生徒が露骨に離脱し始めたしで、もうわやだった。

 ――時間が、再び動き出した。

 

「……なあ」

「あ、はい」

 

 ペパロニは、今もこうして恥じらっていて、目なんて合わせられなくて、口元を曲げて、口数もいよいよ少なくなってきて――今だけは、総統ではなくて、女の子らしくて、

 

「お前は――私のような女性は、好きか?」

 

 「ような」、と聞かれた。

 それは、当然、

 

「好きだよ」

「……友達としてか?」

「友人としても、女性としても……大好き」

「……そっか」

 

 ペパロニが、呼吸する。もう一度、深呼吸する。

 

「私も、お前のような男は、大好きだよ」

 

 ――、

 

「いやー、悪い! ホント悪い! ゴメンッ、こんな質問をしてしまって」

「いやいや! こんなトシだもの。こういう話の一つや二つ、出るさ」

「そうか?」

「そうそう、ここはアンツィオだもの」

「そうか、ここはアンツィオだもんな」

 

 ビスコッティとペパロニが、含み笑いをこぼす。なんだかおかしくなって、とてつもなく気分が良くなって、自分もアンツィオの住民なんだなと実感したから。

 ペパロニも、同じことを考えているのだろうか。勘違いかもしれない。

 

「ほら、カルパッチョ、宣伝しろ宣伝」

「はーい。お邪魔ものは退散しますねー」

「あ、コラ!」

 

 カルパッチョが、露骨にペパロニから距離をとる。ペコリーノも、スケッチブックをカウンター上に置きつつ、カルパッチョと一緒になって「おいしいラザニアいかがっすかー!」と叫び始めた。

 ペパロニが「ったく」と笑う。感情のひと段落がついた。

 

「な、ペパロニ」

「ん?」

 

 再び、ペパロニと目が合う。ペパロニのおさげが揺れる。

 

「――大会、頑張って。俺、応援すっから」

「ああ。ありがとう」

「困ったことがあったら、いつでも相談に乗る」

「グラッツェ、頼りにさせてもらうからな」

 

 ペパロニ印の、いつもの明快な笑顔を見て、ビスコッティは心の底から自覚する。

 

「――ペパロニ」

「ん?」

「俺、君と出会えて、本当に良かった」

 

 ペパロニのことを好きになれて、本当に良かった。

 

「……私も、」

 

 にこりと、ペパロニは微笑む。

 

「お前と出会えて、本当に良かった」

 

 ラザニアを完食して、「ごちそうさまでした」と告げて、食器をカウンターの上に置いて、想いのままペパロニへ両腕を伸ばして、カウンター越しからペパロニと抱き締めあった。

 眠るように目をつぶって、夢を見るようにそのまま浸り続ける。ああ、今頃はカルパッチョやペコリーノが大喜びしているんだろうな、自分もそうだから。

 ――まあいいと、ビスコッティは思った。ここはノリとメシとナンパの本場なのだ、目先の欲にとらわれることは実に正しい。

 

 そうしてそっと離れた後は、「また来いよ」と手を振るわれた。カルパッチョもペコリーノも、「また会いにきてくださいねー」とだけ。

 ビスコッティは「それじゃあ」と一礼して、屋台を後にする。

 

 あと少しも経てば、高校戦車道全国大会だ。自分は素人同然であるから、優勝出来る確率は何パーだとか、そういったものはまるで分からない。

 けれど、優勝出来る見込みはある。なぜなら、ペパロニという最高の総統がついているのだから。

 

 彼女には、戦車道で幸せになって欲しかった。

 彼女がそうなった後で、俺は――

 

―――

 

 

 送信者:ペパロニ

『遂に大会だ、長かったような短かったような気がする。

一回戦目の相手は知波単学園、突撃主体の中堅どころだな。とにかく突撃することで有名……のはずなんだが、ここ最近は突撃のバリエーションが増加したらしい。

相手はお嬢様学校だから、賢く攻められると恐ろしいものがある。が、私らだって強くなったんだ、負けはしない。

アンツィオは今年こそ優勝する。応援してくれ。

 

――それにしても、今年は知波単学園と縁があるな。例の最優秀賞を取った人と、会えるかな? まさかな』

 

 

 送信者:ビスコッティ

『一回戦目突破おめでとう! テレビから見ていたけれど、本当にイカしてたぜ。

知波単学園も凄かったけれど、それ以上にアンツィオは強かった。これは優勝間違いなしだな。

やっぱりペパロニは、総統としての力がある。アンツィオ一番の美術家である俺が言うんだ、間違いない! ……なんて。

何はともあれ、次の試合までゆっくり休んでね。これからも応援してる。

 

最優秀賞の人、玉田さんだっけ? その人いたかな? まあ、戦車道履修者とは限らないか』

 

 

 送信者:ペパロニ

『次の試合相手は、あのプラウダ高校だ。いやー、今年は色々と縁があるな。

だが安心しろ。今の私たちは、ノリも良ければ勢いもある! しかもオツムの使い方も分かっている! だから勝てる、間違いない。

が、少し不安といえば不安だから……この前、P40がT-34/85を撃破した絵を描いてくれただろ? それを、その……P40ん中に張ってもいいか!?

駄目だったら駄目って言ってくれ!

 

実は玉田さんと会えた。凄く豪快な人だったけれど、サラサラっと似顔絵を描いてくれたよ。画像を送る。

……上手いよな』

 

 

 送信者:ビスコッティ

『明日はいよいよ二回戦目だね。相手はあのプラウダ高校、一度はアンツィオを負かした相手だ。

けど、今のアンツィオなら大丈夫。ノリもあるし勢いもあるしインテリジェンスも整ってる、しかもペパロニが総統だぜ? 最強に決まってる。

これは勝ち確だと思うけれど、それに上乗せ出来るのなら……俺の絵を、いくらでも使っても構わない。少しでも力になれること、光栄に思う。

 

玉田さんの絵は本当に上手い、凄い、強い。これは負けてられないね……風景画中心だけれど、たまには人の絵を描いてみようかな』

 

 

 送信者:ビスコッティ

『今日の昼、屋台やってる? プラウダ高校に勝った記念として、めちゃくちゃ食いにいくつもりなんだけれど』

 

 送信者:ペパロニ

『今日は200万リラでメシを提供するぞッ! お前は必ず来い!

あの絵のお陰でもあるんだからな』

 

 送信者:ビスコッティ

『やったぜ―――ッ!!!!』

 

 

 送信者:ペパロニ

『明日はいよいよ、宿敵、大洗女子学園と試合をする。去年は大洗に負けてしまったが、今年は絶対に勝つ。

作戦はカルパッチョが、知恵者がいくつも考えてくれた。練度にしたって、私の目からすれば十分だ。

そして、私自身も満たされている。ベスト4に進出出来て、総統としてこれほど嬉しいことはない――だから、この先も勝つ、勝ちまくる。

 

改めて、お礼を言わせて欲しい。お前の言葉のお陰で、私はここまで前進出来た。そしてこの先も、歩める自信がある。

だからお前も、美術道を突き進んで欲しい。戦車道履修者のみんなも、お前の絵は好みだって評価してるんだぞ?

 

ああでも、一番のファンは私だってことを知って欲しいかな! それじゃあ長文失礼!』

 

 送信者:ビスコッティ

『おはよう。いよいよ、今日だね。

先日はメールをくれてありがとう。俺も、ペパロニのお陰で目を覚ませたんだ。だから良い絵が描けた、お互い様さ。

 

俺はこれからも、美術道を歩み続けるよ。あれだけ良い絵が描けるようになったんだ、これからもきっと上手くいく。

今日も俺は、テレビを通じてみんなを応援するよ。頑張ってね、ペパロニ。

あと、ファンと言ってくれて、本当にありがとう。

 

PS.優勝した後で、ペパロニへ伝えたいことがあるんだ。いいかな? 返事はいつでも良いからね』

 

 

『フラッグ車、大破! 勝者――』

 

 ペパロニが、P40のキューポラから這い出たままで沈黙する。崖下のⅣ号戦車を、じっと見据える。

 西住みほと目が合う。結果は決まったはずなのに、居合抜きのような緊迫感が抜けきれない。目を逸らそうものなら、何か言おうものなら、敗けてしまうような気がした。

 だから、みほを見る。総統として、改めて思う。

 

 ああ、このひと、強いわけだ。

 

『アンツィオ女子高等学校ッ!』

 

 ――ああ、勝ったんだった。

 周囲を見る。セモベンテドライバーの、サングラスをかけた履修者と視線が合う。二台目のP40から、カルパッチョが物言わずにその身を晒す。カルロベローチェから身を乗り出したペコリーノと、ぼんやりと見つめあう。

 ああ、勝ったんだ。

 だから、親指を立てる。カルパッチョも、ペコリーノも、サングラスをかけた履修者も、ピースしたり微笑んだりぐったりし始める。

 

 空を見上げる。

 ビスコッティ、伝えたいことってなんだい。とても待ち遠しいよ。

 

 

 その夜、ビスコッティは喜色満面の笑みで鉄板ナポリタンを食していた。初めて作るメニューだったが、今日ばかりはどうしても、これが食べたかったのだ。

 うまい――なるだけ「再現」したつもりだが、上手く出来たと思う。

 テレビをつけてみると、「アンツィオ女子高等学校、初の決勝戦進出へ!」というニュースが飛び込んできた。そのままP40が映り込み、運命を決めた一撃が4号戦車へかっ飛んでいって――『あの戦車には、あの西住みほが乗っていたんですよね。これは凄いことですよ』

 

 全くもってその通りだと思う。後から調べてみたが、西住流は「とにかく凄い」戦車道の流派だそうじゃないか。その後継者に勝てたというのは、それはもう――

 鉄板ナポリタンを、口の中へ運んでいく。うまい、めでたい。

 

 その時、ポケットの中の携帯が震えた。手早く引っこ抜いて、画面を確認して、獣のように反応して指をスライドさせる。

 こう書かれてあった。

 

 送信者:ペパロニ

『今晩は、元気にしていたか? 私たちは宴会疲れでクタクタだ。もうすぐ寝る。

……というわけで、決勝戦進出だ。後から考えると、私は西住流に勝ったんだよなあ、正直実感がない。

 

でも、これだけは言える。私は、戦車道を歩んできて本当に良かった。総統としての自覚を持てて、実に誇らしい。

それで、私は幸せ者だと断言できる。みんな私のことを認めてくれて、どこまでも歩み寄ってくれて、悲しいも嬉しいも分かち合える。これが幸せってやつなんだろうな』

 

 安堵する、ため息をつく。

 心地よく脱力したままで、心にスキが生じたままで、メール画面を上下にスライドさせて、

 

『……それで、私のことをいつだって見守ってくれて、最高の総統だと言ってくれた、お前が居る。私はとても、恵まれているんだな』

 

 言葉を失う。

 

『ありがとう、本当にありがとう。大袈裟な言い方になるけど、生きてきて、本当によかった。……優勝の件、楽しみにしているから。

長文、ごめん。面倒くさかったら、返信しなくてもいいからな。

それじゃあ、おやすみさい』

 

 ビスコッティが、返信ボタンを押す。

 

―――

 

「全員、気を付けッ!」

 

 大階段の前で、総勢六十名の戦車道履修者が、音を立てて姿勢を正す。

 見下ろす形になるから、よくも覗えるが――アンツィオ戦車道も、見事な大所帯になったと思う。去年だって、四十一名は所属していたのに。

 隣にいるペパロニの事を、ちらりと見る。アンツィオ特有のベレー帽を被って、制服を着こなして、継がれたマントを何の違和感もなくはためかせる。片手には、「導く為の」鞭が握り締められていた。

 ――カルパッチョは、改めて思う。ペパロニは、はじめから総統だったと。だから去年よりも、アンツィオ戦車道は大きくなれたのだと。

 

「最初に、お前らに礼を言いたい。よくここまでついてきてくれた、よくここまで歩んできてくれたッ! みんなが頑張ってくれたおかげで、優勝も目前だ!」

 

 一同が、にこりと微笑む。ペパロニも口元を曲げていたが、突如として真顔になり、

 

「が! 決勝相手はあの黒森峰女学園だッ! しかも奴らは、アンツィオのことをマジで警戒していると聞く!」

 

 げーまじでー。ほんとっすかー。あの黒森峰が本気になって勝てるのかねー。はらへったー。

 

「しかし、これはマイナスばかりじゃないぞ。あの黒森峰から、あの黒森峰から、『認められた』ってことだからな!」

 

 おお! あの黒森峰から! そういえばそういうことになるっすねー! ライバル、いい響きだ! ひもじー。

 

「奴らの戦力はトップクラス、規律も最強ランク、つまりガチだ。――だからこそ、私らとは相性がいい!」

 

 ちらりと、カルパッチョへ視線を向ける。カルパッチョが、にこりと笑ってみせて、

 

「黒森峰は真面目だからこそ、奇策や奇抜、ノリと勢いには弱い傾向にあるの。つまり、いつも通りに動けば大打撃を与えられるわ」

 

 おおー! なんだか自信がついてきたぞー! さっすがカルパッチョねーさん! 腹が減ってはなんとやら。

 ペパロニがにやりと笑う、鞭を振るう。

 

「カルパッチョ、そして知恵者の知力と、お前らのアンツィオ魂があれば――優勝は貰ったも同然だ」

 

 ペパロニが、歯をむき出しにして嗤う。

 

「お前らは、あの西住流に勝てたんだッ! 黒森峰にだって、勝てるッ!」

 

 うおおおお―――――ッ!!!!

 

 戦車道履修者が絶叫する、カルパッチョも上機嫌に笑う。

 

「P40も三台ッ! セモベンテたくさん! カルロベローチェいっぱい! どうだ暴れられる武器もあるぞ! 見せつけろッ!」

 

 ペパロニが、あえて大げさにマントを翻す。瞬間、

 

 総統! 総統! 総統! 総統! 総統ッ!

 

 アンツィオ戦車道履修者の視線が、ペパロニへ殺到する。意識が、ペパロニへ集中する。絶叫が、ペパロニへ向けられる。称賛が、ペパロニへ送られる。ノリと勢いが、アンツィオ高校学園艦へ響き渡る、

 ――カルパッチョは改めて、改めて思う。やっぱりペパロニは、最初から総統としての力があったのだと。先代ドゥーチェがそう認めていたからこそ、マントと鞭を託したのだと。

 

 ドゥーチェへの忠誠が、大階段前でけたたましく乱立していく。血液もそろそろ沸騰しそうなところで、

 お昼を知らせるチャイムが鳴った。規律正しく、沈黙した。

 

「おお、こんな時間か」

 

 小さく咳をこぼし、

 

「黒森峰とドンパチする前に――ランチタイムだッ!!!」

 

 いえ―――――ッ!!

 

 総勢六十名の戦車道履修者が、ペパロニが、食堂へ、屋台広場へと駆け抜けていく。カルパッチョは「もう」と苦笑しながら、安心したように鼻息をついた。

 ――ビスコッティさん。ペパロニは、総統として立派に生き抜いていますよ。

 カルパッチョのお腹も鳴る。まずは屋台広場で空腹をやっつけてから、ペパロニの屋台で活動費を稼ぐとしますか。

 

「……ペパロニ」

 

 いいな、青春してて。

 

―――

 

 静かなものだった。

 

 決戦前夜だというのに、アンツィオ高校学園艦はずいぶんと静寂に包まれていた。たぶん、ペパロニ達が本土へ旅立ったからだと思う。

 あと数時間もすれば、戦車道履修者達に火が付く。ある者は自分の為に、ある者は次へ繋げる為に、ある者はみんなの為に、堂々と戦い合うのだろう。

 自分は、戦車道とは関われないはずなのに――こうも緊張している理由なんて、最初から分かっている。あの人の行方が、気になって気になって仕方がないのだ。

 お陰で眠れもしない、絵を描く気分にもなれない。どうしようかとほんの少し思考して、「空気でも吸えば何とかなるか」と閃く。早速、散歩へ出かける事にする。

 

 夜中になって、素で散歩をするなんて初めてな気がする。大抵は買い物目的か、スケッチブックを片手に歩き回っていたものだから。

 意味もなく、ため息をつく。

 夜中に佇む、西洋風の街並みというものも、なかなか悪くはない。窓から漏れる光が、こんなにも情緒溢れているなんて。どこか白っぽい街並みが、こんなにも夜に溶け込んでいるだなんて。水音を立て続けるトレヴィーノの泉が、こんなにも寂しげに映るだなんて。人とすれ違うことのない道が、こんなにも心地良いなんて。

 

 なるほど、決勝前夜も悪くはない。こんな日でなかったら、こうした発見はできなかった。

 心の中で、ペパロニへお礼を言う。ありがとう、趣味が増えそうだよ。

 

 さて。

 

 歩き始めて、そろそろ数十分が経過する。そろそろ帰ろうかなと、街灯に照らされた道を振り返り、

 ポケットの中の携帯が、震えた。

 最初はメールかと思ったが、未だにバイブレーションが鳴り止まない。こんな時間に誰からの電話だと、緩慢な動きで携帯を引っこ抜き、

 素で声が出た。見慣れた液晶画面に、淡々としたお知らせ。『送信者:ペパロニ』。

 

 受信ボタンを押して、勢い余って「はい!」と言ってしまった。スピーカーから『あ、もしもし!? 何かまずかった!?』と、大いに驚かれる。落ち着け、夜中にペパロニから電話がかかってきただけだ。上下関係なんてない、対等であるはずだ。

 

「あ――なんでもないよ、うんうん」

『そ、そうか? なんかゴメン、こんな時間にかけてしまって』

「いいよいいよ、ヒマだったし。それで、何か用?」

『用……ってわけじゃないんだけど』

 

 気まずそうに、ペパロニが声を漏らす。あくまでビスコッティは、「うんうん」と返す。

 

『実は、緊張しまくっちゃって、眠れないんだ』

「あ、そうなんだ。実は俺も」

『え、お前も? なんでー?』

「そりゃあ……明日、ペパロニが一大決戦を繰り広げるから」

 

 ペパロニが『そうなの?』と呟く。ビスコッティが「そうなの」と返す。

 

「眠れもしないし、絵を描く気分にもなれないから、散歩してる」

『へ? 散歩?』

「そう」

 

 その時。携帯越しから、車の走る音がよく伝わってきた。

 

『あー、お前も同じことしてるんだ』

「え、君も?」

『そう。ぜんっぜん眠れないから、本土でお散歩中』

「んだよそれー」

 

 お互い、苦笑する。

 

『なんだなんだ。お前、私の生き写しか何かか?』

「かもね。最初は、似たような悩み抱えてたじゃん」

『ああ、そういえばそうだったな』

 

 息を吐いて、見上げる。夏らしい満天の星空が、知りもしない星座が、なんとなく視界に入る。

 

『……縁って、よく分かんないよな』

「だな」

『そんなところから始まって、そうして悩みが消えていって。……お前のお陰で、絵に興味を抱けた』

 

 ビスコッティが、嬉しそうに小さく頷く。

 

「俺は、君のお陰で戦車道を知ることが出来た。ほんの少し、少しだけどね」

『いや、いいんだ』

 

 視点を下界へ戻す。街灯に白く照らされた、道端に設けられたベンチを見つけ、「よっこいせ」と腰かける。

 

「ペパロニ」

『ん?』

「不安か?」

『正直な』

「だよな。相手はあの、最強クラスの黒森峰だもんな」

 

 黒森峰女学園といえば、アンツィオの間では「エリート高校」とか「(女性の)レベルが高い高校」としてよく知られている。ただ、「戦車道に強い高校」という知識も少しは。

 ペパロニの決勝相手ということで、少しは調べてみたのだが――先ず抱いた感想が、「マジかよ」だった。

 癖の無い強豪校で、マジの実力主義で、優勝経験豊富で、アンツィオの事を文明的ラスボスと認識している、そんな恐ろしい相手だった事を今更知った。

 確かに、これじゃあペパロニも緊張してしまうわけだ。考えることが多すぎて、眠れるはずもない。自分もそうなるだろうから。

 

「……凄いな、ペパロニは」

『え?』

「だって、そんな最強相手と、真っ向から戦うんだろ? 俺だったら逃げてるよ」

『どうだか。じゃあお前は、コンクールに出ることは怖かったか?』

「いいや」

『ほらな。何かに夢中になると、何だかんだで挑戦したくなるもんさ』

 

 入賞のことばかり考えて、迷走はしていた。挫折しかかってはいた。

 だが、コンクールを辞退するという選択肢はハナから存在してはいなかった。一位でも、二位でも、三位でもいい。賞を狙えるような絵が描きたいと、そんなことばかり考えていたものだ。

 

 だからペパロニも、黒森峰相手に逃げはしないのだと思う。一位でも二位でも良い、ボロボロにされたって構わない、とにかくぶつかりたい、そう考えているはずなのだ。

 何かに夢中になるということは、それに対して諦めが悪くなるという事でもある。それは決して悪などではなくて、どうしようもなく「正しい」真理なのだと思う。

 

「……だな」

『だろ。――でもまあ、そう考えていたとしても、なんかこービビっちゃってさ』

「それが人間様だしな。ましてや、ペパロニは総統だ」

『ああ。先代ドゥーチェの苦労が、本当の意味で分かった気がする』

「やったな。成長した」

『ああ、したした』

 

 くすりと、ペパロニが笑う。

 

『あー怖い怖い。黒森峰とは、初めて戦うからなー、どこまで噛みつけるかなー』

「うーん……結構いけるとは思うけど」

『私もそう思うけどなー』

 

 ペパロニはあくまでも明るく、けれども不安を孕んだままで言葉を紡いでいく。

 ――割と本気で思う。学園艦から本土までひとっ飛びして、直接励ましてやりたい。スキンシップを図って、体温を温めてやりたい。ペパロニに恋した以上、そうやって尽くしたかった。

 

『プレッシャーとかに負けないで、ちゃんと総統として振る舞えるかな』

「……カルパッチョさんに相談は」

『それも考えた。けど、土壇場で弱音を吐くってのも、士気に関わっちゃうし』

「あー、そうか。となると、戦車道とは無縁の俺がピッタリってわけか」

 

 ペパロニが本当に気まずそうに、真面目な声で「すまん」と漏らす。

 当然、ビスコッティは「問題ない」と返した。けれど人の良いペパロニは、うんうんと唸った後で、

 

『あ、あー……なんか悪いな。愚痴に付き合わせちゃって。じゃあ、そろそろ、』

「待った」

 

 真剣な声で、ペパロニとの繋がりを引き留める。

 ペパロニが沈黙する。ビスコッティは、何が出来る何がこなせると必死になって思考して――電話で交わしている以上、言葉でしかペパロニとは通じ合えない。何の賢くもない自分の言葉で、ペパロニの心を解せるかというと――

 

 できる、と思った。先代ドゥーチェの名を継ごうと、頑張り過ぎていたペパロニを何とか出来たから。

 やろう、と決意した。ドゥーチェとして振る舞おうと、独りで苦悩するペパロニを何とかしたかったから。

 

「ペパロニ」

『ん?』

「俺は、ペパロニのことを仲間だと思ってる。だから、吐き出したいことがあったら何でも言ってくれ」

『……でも、お前に悪いよ』

「ペパロニ。俺は、君を守りたい」

 

 ペパロニからの言葉が、途絶える。

 

「君は、俺にとって大切な人だから。だから、ペパロニが苦しむ姿を絶対に放っておけない」

 

 ――お前と出会えて、本当に良かった。

 それは、自分にとってもそうだった。だからこそ、ペパロニの愚痴を聞けることが、苦悩を聞かせてくれることが、弱音を吐いてくれることが、とても嬉しかった。

 マイナスを聞かせてくれるほど、自分とペパロニは信頼し合えている。

 

「ペパロニの心が晴れるまで、俺はずっと付き合うよ」

『ビスコッティ』

「俺にとっての――いや、アンツィオ最強の総統でも、ペパロニは一人の人間だからね。そりゃあ、いざという時に怖くなっちゃうのもしょうがないよ」

 

 ここまで言えるのは、たぶんペパロニに対してだけだ。何とかしてあげたくて、助けたくて、救いたくて、格好つけたい人は、ペパロニしかいない。

 

「大変だよな、総統って。簡単に弱さを吐けたりもしないし……ほんと凄いって思う、俺には無理だ」

『そうかな』

「と、思うよ。俺なんてすぐに弱さをこぼしちまうし」

『健全な証拠だ』

「グラッツェ。……さっきも言ったけどさ、俺は戦車道とは無縁だ。だから気を遣う必要なんかない、どしどし言ってくれ」

 

 ペパロニが、深呼吸した。随分と話したせいだろう、携帯が熱を帯びていた。

 

『ビスコッティ』

「ん?」

『じゃあ、一つだけ』

「いいよ」

 

 一台の車が、アンツィオの街中を走り抜けていく。夜の街並みはあまりにも静かすぎて、車の足音がいつまでも鳴り響いた。

 

『励ましてくれ』

「わかった」

 

 携帯を少しだけ離す、息を深く深く吐く。

 空気を吸って、

 

「ペパロニ。テレビ越しからだけれど、俺は君を応援する」

『うん』

「俺も一緒になって戦う。絵を描くことしか、出来ないけど」

『いや、それはありがたい。お前はアンツィオ一の美術家だからな、これほど頼もしいフォローもない』

 

 ペパロニが明るく笑う。久々にペパロニらしさを見聞きしたような気がして、体全体が弛緩した。

 

『その絵、出来上がったら見せてくれよ』

「もちろん」

 

 そうは言うが、何を描くかはまるでノープランだ。最近になって、サボり気味のテーマにでも手をつけてみようか。

 例えば、人物画――

 

「ペパロニ」

『ん』

「描きたい絵、思いついた」

『お、早いな』

「まったくな。これもペパロニのお陰だ」

『何もしてないぞ、わたしゃ』

「したさ。ペパロニが、俺とこうして話してくれている」

『え、それでか?』

 

 そうそう。間髪入れずに、ビスコッティがそういう風に肯定する。

 

「ペパロニと話すたびに、俺は何かを積み重ねられてる。あれかな、これもカリスマって奴なのかな?」

『なのかなぁ? まあ、履修者達との付き合いも上手くやっていけてるとは思う』

「だよね、仲良さそうだもんね。流石ペパロニ、やっぱり最高の総統だ」

 

 十八年間ほど生きてきたが、これほど素直な気持ちで、言葉を紡いでいくのも初めてな気がする。

 嘘をつきたくはなかった、冗談で済ませたくはなかった。自分の主張を聞いて欲しかったから、ペパロニの心を解したかったから、まるきり本当のことを言えたのだと思う。

 見上げる。街灯からの白い光に、視界が覆いつくされる。とても眩しかった。

 

『……なあ』

「ん?」

『確かにその、私にはかりすまぱわーってのがあるんだと思う』

「あるある」

 

 けどさ。ペパロニが少し笑って、照れ臭そうな雰囲気を纏いながら、

 

『それ以前にさ。ビスコッティと私って、相性がいいからよく噛み合うんじゃないか?』

「あー……似たところもあるしな」

『だろ』

 

 つまりペパロニは、総統としての素質を抜きにして「お前とはうまくやっていける」と主張してくれているのだ。

 そんなの、めちゃくちゃ嬉しいに決まっていた。「えへへ」と笑ってしまえた。ペパロニも恥じらいを捨てきれないのか、「なー、ほんとなー」と言葉を空撃ちして――

 ほんの少しだけ、インターバルを置く。あつい。冷静になる時間を設けたのは良かったものの、次は誰から口を開くべきか。自分かペパロニか、ここは男らしく俺が、

 

『なー』

 

 少しだけ体がビクつく。けれど精一杯虚勢を張って、何でもなかったように、

 

「んー?」

『……私でもわかるぞ。こういうのが、『イイ雰囲気』って奴なんだろうな』

「……なー、そうなんだろうなー」

 

 目をつぶる。残光が、瞼の裏にまでしみついて離れない。

 

『それで、ノリと勢いのまま、キスとかしちゃうんだろ?』

「するする、漫画とかドラマではそうだよな」

『なー、私もさ、それはそれで良いかもって思った』

 

 ビスコッティの口元が、少しずつ緩んでいく。ペパロニからそういう風に見られていることが、とてつもなく嬉しかったから。

 

『でも今は、電話一本だけでしか繋がれない。さびしーな』

「明日になったら、すぐ会えるさ」

『だな、そういえばそうだったな』

「そうそう。それに、こういうのもキライじゃないよ」

『なんで』

「遠距離恋愛みたいだから」

 

 恋愛、という単語を、素で口にしてしまった。ビスコッティは「しまったなあ」という気持ちでうつむいたが、ペパロニは何を否定することもなく「だな」と言い、

 

『ロマンチックな解釈をするんだな。さすが、美術家』

「クサいだけさ」

『なおの事いいじゃんか。実にアンツィオらしい』

「だな、そういえば俺はアンツィオの生徒だった」

『そこ忘れんなよー』

 

 街中でビスコッティが笑い、電話越しのペパロニも含み笑いをこぼす。そういえばそうだ、自分もペパロニもアンツィオの生徒だった。

 アンツィオのナンパは、いつだってクサから始まる。相手の性格を肯定して、容姿を称賛してみせて、俺にはお前しかいないとお決まりを告げて、それで男も女性も幸せになる。そんな世界に三年間も生きてきたのだ、遠距離恋愛の一言や二言なんてアンツィオの通常運行でしかない。

 だからペパロニも、ビスコッティのクサさを肯定してくれた。「そういう仲」でもあるから。

 

「なあペパロニ」

『ん?』

「もう一発、クサいこと言っていいか?」

『いいぞ』

 

 とても良い気分だった、やっぱりペパロニのことが好きだった。

 だから、ノリと勢いのままで、デカいことを言える確信があった――ほんとう、まるでいつものような調子で、

 

「俺、ここに入学出来て良かった。ペパロニと、出会えたから」

 

 旧世代のラブドラマっぽいセリフを言う。口では平然と、心の中では「俺もー明日死ぬわ」とか転げまわって。

 けれど、でも、やっぱり、ペパロニは「そっか」と肯定してくれて、

 

『私も今日まで生きてきて、本当に良かった。お前と、会えたんだから』

 

 ここにペパロニが居たとしたら、間違いなく抱きしめていたと思う。キスもしたと思う。

 けれど今は、届かないままでいい。明日は、ペパロニには存分に戦ってほしかった。

 

「ありがとう」

『ありがとう』

 

 これで、話は途切れた。それは気まずさによるものではなくて、何もかもを話し終えたからだ。

 どんな話題であろうとも、いかな仲であろうとも、話しのネタはいつか尽きる。それが世の中の摂理だった。

 

『……ふぁああ』

「お、あくび」

『ああ。なんか、いい感じに疲れてきた。そろそろ旅館へ戻るよ』

「ちゃんと寝てね」

『ああ、分かってる。お前もな』

 

 ビスコッティも、ようやく重い腰を立ち上げる。あまりに動いていなかったせいで、体全体がぐさりと痛んだ。

 毒づくように「って」と呟き、ペパロニから『大丈夫か?』と心配されてしまった。勿論ビスコッティは、「平気平気」とだけ。

 

「じゃ、俺もそろそろ帰りますわ」

『ああ。悪い、こんな時間にまで付き合わせて』

「いや、俺も眠れなかったから。ありがとう、ペパロニ」

『こちらこそありがとう。……優勝した後、楽しみにしてるからな』

「ああ。じゃ、おやすみ」

『おやすみ』

 

 通話が切れる。

 この瞬間から、静寂の世界にぽつんと取り残された。街灯からノイズが小さく鳴っているが、それが余計に静けさを誘っているような気がする。

 周囲を見渡したところで、人なんて一人も見当たらない。車も、今となっては鳴りを潜めてしまった。夏の星空は相変わらず賑やかだったが、宇宙まで手は届かない。

 ――帰るか。

 

 今日は、よく眠れそうだ。

 

―――

 

 そして、アンツィオ女子高等学校と、黒森峰女学園の決勝戦が始まる。

 真昼間から早速テレビに火を点けて、スケッチブックとペンをすぐさま用意する。後は冷蔵庫から麦茶を引っ張り出し、コップをセッティングして戦闘準備完了だ。

 床へ、腰を下ろす。

 

 俺も一緒に戦うぞ、ペパロニ。

 

 ビスコッティは、根っこから絵描きの人だった。だからこそ、この姿勢を間違っているとは思わない。

 テレビ越しで、選手宣誓が交わされる。いよいよペパロニの一大決戦が、晴れ舞台が幕を開ける時がやってきた。

 

 ――結構暑くなってきたので、部屋の隅に置いてあった扇風機を引っ張り出す。

 コンセントを刺して、中風ボタンを押して、羽が回転し始めたところで、スケッチブックにペンを走らせていく。

 

―――

 

 アンツィオ戦車隊が黒森峰戦車隊に食らいつき、黒森峰戦車隊も大真面目に反撃する。どちらも全く退かない、双方とも絶対に諦めない。

 ペパロニの声が終始響き渡り、カルパッチョもペコリーノもその他の履修者も従うように動き回る。時には崖にぶつかったが、そんなものはノリと勢いで飛び越えてしまえば良かった。

 策を弄して黒森峰戦車隊を困らせてやり、逸見エリカ率いる黒森峰戦車隊も「おおよくやったな返してやるよ」とばかりに対応する。ぜんぜんナメられてなどいない、対等の姿勢でアンツィオ戦車隊を次々とぶっ飛ばしていく。

 

 ペパロニは励ます。お前の腕なら一発で仕留められる。お前のドライビングテクニックなら通り抜けられる。カルパッチョ考案の秘密作戦を決行する。いい装填速度だぞペコリーノ、流石アンツィオ一の食器洗いだな。砲手、この距離から撃つ場合は。アンツィオは絶対に勝てる――

 

 P40とティーガーⅡが、何でもない戦場のど真ん中で鉢合わせする。「あ」と気付くと同時に照準を合わせ、ロクに砲身が安定もしないままで、

 ペパロニのP40から最後の弾頭が、エリカのティーガーⅡから全力の弾丸が、ほぼ同時にぶっ放された。途方もない弾速であるはずなのに、ペパロニは「当たるまであと……一秒もないか」と悠長に思考する。

 後は、モロに食らうしかない。爆音とか振動とかが車内で暴れまわる中、近くにいた装填手めがけ強く抱きしめ、少しでも衝撃から守ろうとする。

 

 ↓

 

『フラッグ車、大破! 勝者――黒森峰女学園ッ!』

 

 審判が結果を叫び、次に「黒森峰女学園、優勝おめでとう!」というテロップが大きく表示される。

 観客も真剣になって試合を覗っていたのだろう。ワンテンポだけ置いて、冷静さをかなぐり捨てて歓声の雄たけびを上げ始める。

 終わった。

 ため息をつく。

 余韻に酔いしれながら、ペンをテーブルの上に置く。

 

 黒森峰の生徒は、あくまでも冷静に、けれども本当に嬉しそうに笑っている。逸見エリカという戦車隊隊長も、履修者の背中をそっと支えている。

 アンツィオの生徒は、浮かない顔でため息をついていた。遠い目をしている者もいた。そんな中で、白旗が直立したP40から、ペパロニがゆっくりと這い出てくる。後はそのまま地上に降り立ち、いったい何だろうと履修者達が注目する中で、

 

 ペパロニは、履修者の一人ひとりを、そっと抱き締めた。

 

 この試合は、一体何を生み出せたのか、それは分からない。この試合で、一体何を残せたのか、それも分からない。

 けれど、これだけは何としてでも言える。アンツィオ戦車道履修者の笑顔を見て、こればかりは断じて言える。

 

 アンツィオ戦車道は、最高にノっていた。

 ペパロニは、最高に格好良かった。

 

 ちらりと、スケッチブックを見る。

 後は、色を添えるだけだ。

 

 ↓

 

 試合が終了して、選手同士が挨拶を交わし終えれば、普通はそのまま撤収作業へ入る。

 しかしそれでも、どこでも、例外は決まって存在する。

 ここにアンツィオ女子高等学校が混ざっていれば、否応なくその場で宴会が開催されるのだ。アンツィオ戦車道履修者の参加はもちろん、相手校をも「善意」で引っ張り込む。それは中堅知波単学園だろうが、強豪プラウダ高校だろうが、西住流大洗女子学園だろうが、大真面目黒森峰女学園だろうが、同じ戦車道履修者であれば参加は決まりきっている。

 

 戦車道とは争いあう為のものではなく、武を通じて己を表現する道の一つだ。

 だから、他人の「己」を好きになるのも自由だ。同じ戦車道を歩んでいるのだから、分かり合えるに決まっている――他人好きのアンツィオは、そうして相手校と飲み食いを交わして、何だかんだいって仲良くなっていくのだ。

 

 屈強な黒森峰戦車隊を率いるエリカも、今となっては宴会の参加者の一人だ。ペパロニが「やっぱり黒森峰はスゲーなあ、戦術教えてくれよー」とねだってみれば、エリカは困ったように笑う。何となくエリカの腕を見て、「ごつい腕時計だなあ。黒森峰はこういうところでも本格的なのか?」と口にしてみれば、エリカの頬が少しばかり赤らんだ。

 あれ、とペパロニは思う。アンツィオのカンが、ふっと沸き立つ。もしかしたら、エリカの腕時計には「良い思い出」が詰まっているのかも。

 となると、これ以上の干渉は避けるべきだ。無かったことにして、「ラザニアも食え食え」とオススメすることにする。

 

 プレゼントか、いいな。

 

 ラザニアを食べて、エリカは喜色満面の笑みを浮かばせている。それはラザニアが美味しいからなのか、腕時計について質問されたからなのか――羨ましいな、と思った。

 その時、ポケットにしまっておいた携帯が震えた。メールかなと、ペパロニが携帯を引っこ抜いて、

 

『メールが届きました byアンチョビねーさん』

 

 ナポリタンの皿を、テーブルの上に置く。エリカに対して「ちょっとごめん」と背を向け、左手で携帯を支え、右手でメールを開いて、

 

送信者:アンチョビねーさん

『こんにちは。こうしてメールを送るのは、久々な気がするな。

今は宴会中だろうから、後でこのメールを読んでくれても構わない。すごい長文になってしまって……。

 

ペパロニ、準優勝おめでとうッ! ベスト4に入るどころか、2位になってしまうなんて……お前の力で、アンツィオはここまで強くなれたんだな。

お前は間違いなく、アンツィオ戦車道の、アンツィオ高校学園艦の誇りだ。だから威張ってくれ、私にたくさんの自慢話を聞かせてくれ』

 

 言葉を失う。口で呼吸したままで、指をゆっくりとスライドさせる。

 

『私の見込んだ通り、お前は総統としての力があった、素質を抱いていた。最初は危なっかしかったけれど、気づいた時には……お前は、総統になっていた。

だから私は、お前に鞭とマントを継がせたんだ。

――ここまでアンツィオ戦車道を輝かせてくれて、本当にありがとう。試合中のお前は、本当に格好良かった。間違いなく、総統として振る舞えていた』

 

 目頭が熱くなる、呼吸が乱れていく。

 

『もう少し長くなる、本当にごめん。今更になるけれど、三年前のお礼が言いたくて』

 

 三年前?

 ペパロニが、首をひねる。

 

『覚えているかな? 私が二年の頃。あの時のアンツィオ戦車道ってさ、そりゃもうボロボロだったじゃないか。履修者もノリと勢いで動き回るし……それでまあ、『馴染んでいなかった』私は、やさぐれていた』

 

 なんだっけ、と思考する。

 

『で、また上手くいかない日が過ぎた。私は特待生なんだぞこれじゃあ立場がないぞと、それはもう焦りに焦りまくってた……でまあ、外の空気でも吸うかなってことで、滅多に来ない屋台広場にまで足を運んだわけだな』

 

 屋台広場。

 その馴染みきった単語を目にして、ペパロニから「あ」と声が漏れる。

 

『けれどやっぱり、不機嫌さは拭えなかった。空気を吸ったところで、何の解決にもなりゃしない……本当に、ふてくされてた。

――でもな、お前はな、そんな私に気づいてくれた。今でも覚えてる、『そこのクールなねーさーん、鉄板ナポリタンはどう?』の一声』

 

 はっきりと思い出す。二年前の屋台広場が、頭の中で再生されていく。

 

 あの頃は、「これが一番いいだろ」というノリで合気道を選択していた。そうして先輩がたから「活動費の稼ぎ方」を伝授して貰い、「料理なんてやったことないしなあ」と半ば諦めかけ――調理実習で、物凄い料理上手を目撃した。たまたま同じグループに所属していた、カルパッチョその人だ。

 これは良い機会かもしれない、料理そのものには興味があったし――頭を下げ、「料理を教えてくれ!」と懇願してみれば、カルパッチョは「いいよ」と快諾してくれた。それ以降、カルパッチョとは友人関係であり続けている。

 

 ――時は流れて、ペパロニは屋台を任されることになった。メインメニューは鉄板ナポリタン、好物でもある一品だ。

 いつものように、鉄板ナポリタンを観光客へ提供して、活動費を稼いでいって、順調だなと思った矢先に――ダークな顔つきをした、『クールなねーさん』の姿が目に入った。

 

 ペパロニの意識は、瞬く間にねーさんへとくぎ付けとなった。大量の憶測が、頭の中で勢いよく流れ始める。

 どうして、あんな顔をしているんだろう。ここは賑やかで、メシが美味くて、イイ奴が沢山いて、ノリが良い場所であるはずなのに、どうしてあの人はあんなにも苦しんでいるのだろう。

 分からなかった。これっぽっちも分からなかったが――半ば本能的に、ペパロニは決意した。

 

 そこのクールなねーさーん! 鉄板ナポリタンはどう!? おいしいナポリタンを食べると、何とかなるよーッ!

 

 クールなねーさんを、どうしても助けたかった。幸せになって欲しかった。だから、100万リラほどまけることにした。

 何度も呼びかけてみて、ついにアンチョビが相手をしてくれた。後はそのまま事情を耳にして、やっぱり放っておけなくなって、ペパロニは合気道から戦車道へと道を変えた。

 カルパッチョも『ペパロニがやるなら、私もやってみようかな』とついてきてくれた。

 これが全ての、始まりだった。

 

『あの一声で、私は心から救われた。今の、アンツィオとしての私が居られるのも、ぜんぶお前のお陰なんだ。

ある意味、アンツィオ戦車道はお前から始まったといえる。

……ありがとう、ペパロニ。お前は私の恩人だ』

 

 はあ、と声が漏れる。ああ、と声が出る。

 

『本当、長いメールになってしまって申し訳ない。最後に一つ、先代ドゥーチェとしてはっきりと伝える』

 

 おそるおそる、緩慢な動きで指をスライドさせる。

 ――そして、ようやく、その言葉を「聞く」ことができた。

 

『ペパロニ。お前は間違いなく、二代目ドゥーチェだ』

 

 前の自分だったら、「これを見てくれ!」と携帯を見せびらかしていたと思う。ノリと勢いのままに、大喜びしていたと思う。

 けれど今は、この思い出を胸にしまっておくことにした。冷静になったなあと、背が伸びちゃったなあと、三年間も戦車道を歩み続けたんだなあと実感する。

 ――改めて、携帯の画面を見る。

 

『後継者はもう見つけたかな? 焦らずに、じっくりと、鞭とマントの先を選んでくれ。

……本当は電話をかけたかったんだが、今はあれだ。『お前たちの時代』だからな。だから、私たちは見守るだけにするよ。

 

本当にお疲れ様でした。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました』

 

 画面を閉じる。真っ暗になった画面を、ぼうっとした目つきで見つめ続ける。

 宴会場は近いはずなのに、喧騒が遠いように聞こえる。黒森峰の生徒とアンツィオの生徒が、学園事情を気楽に暴露しあっている。まだまだ食材が尽きないのか、もっと食え食えとアンツィオの生徒が煽る。すっかりアンツィオの空気に染まったのか、黒森峰の生徒が歌を唄い始めた。周囲のアンツィオの生徒も、負けてたまるかと合唱し始める。

 ――腹、へったな。

 二代目ドゥーチェになれたことを、心から喜ぶのは後で良い。今は、目先の楽しみにとらわれよう。

 

 その時、エリカと目が合った。携帯を片手に、まるで何かを言いたそうな顔を浮かばせていて――隊長同士だからだろう。察したように、笑い声が漏れた。

 

「……良かったな」

 

 口元を曲げたまま、エリカがこくりと頷く。しんみりとした空気もそこまでで、エリカの肩を抱いた。

 

「よーし! アンツィオ名物をたらふく食わせてやるからなーッ!」

 

 エリカが、迷惑そうに苦笑する。ペパロニの肩を抱きながら。

 

 うまいモン食わせろと、ペパロニが主張する。ライオンのような髪型をした履修者が、モテモテじゃないっすかねーさんッ! と煽る。眼鏡をかけた履修者が、もう仲良くなったんですか? 隊長はほんとモテますねえと笑う。黒森峰の生徒が、隊長これ美味しいですよとラザニアを差し出してきた。エリカも一口食べ、「ん~」と満足そうに唸る。

 

 その時、そそくさとペコリーノが近づいてきた。ペパロニが「ん?」とまばたきをする、エリカの肩から手を放す。

 

「ねーさん、今日は本当にお疲れ様でした!」

「ああ。お前も、装填手としての役目を全うしたな。ゴイスな連射っぷりだったぞ」

「どもども。――で、で」

 

 ペコリーノが、音もなくにじり寄ってくる。何か嫌な予感がしたが、時すでに遅し。

 

「美術家からは、何か来てないんすか?」

「来てないよ! ヴァカ!」

「そすかー? 残念」

「残念じゃないよったく……ほら、いいからお前も楽しんでこい」

 

 はーい。あんまり反省していない声で、ペコリーノが合唱団へ加わっていく。エリカが「?」な顔つきになるが、真相を言えるはずもなく「いや、なんでも」とだけ。

 まったく。

 そういえば、優勝を逃してしまったんだっけ。これじゃあ約束は不成立になるのかな――テーブルの上から、ラザニア入りの皿を二つ回収する。片方はエリカへ、もう片方は勿論自分のものだ。

 フォークを片手に、出来立て特有の熱がこもったラザニアを一口食べる。瞬く間にパワフルな味が口の中で暴れ出し、食欲がペパロニの手つきを好き放題にコントロールする。こんなにラザニアって美味かったかなあと、ああそうか全部終わったからかと、ラザニアをじっくり噛み締める。

 

 その時、携帯がまた震えた。短いバイブレーションだったから、メールか何かだろう。

 一口、二口食べて、半分ほど食したところで、皿をテーブルの上に置く。ポケットから携帯を取り出し、なんだろうと電源を入れてみれば、

 

『メールが届きました byビスコッティ』

 

 真顔になる。画面をそっとスライドさせ、本文を目にして、

 ――そっか。

 たぶん、よく笑えていると思う。迷うことなく返信して、画面を切って、ラザニアの皿を回収してみれば、

 

「ペパロニ」

 

 カルパッチョに声をかけられた。その手には、鉄板ナポリタンが抱えられている。

 

「ああ、カルパッチョ」

「うん。……なんだか、あっという間だったね」

「だな」

「ほんとう、よくここまで辿り着いたよね」

「全くだ。こんな私でも、やればできるもんだ」

「ペパロニだから、出来たんだよ」

 

 ラザニアを食べていたはずのエリカが、合唱団めがけ歩み寄る。なんだろうと注目を浴びる中で、

 

「そうか――そうかもな」

「うん。……ペパロニ」

「ん?」

「私、戦車道を歩めて本当に良かった。最初はその、ノリで始めたんだけどね?」

「アンツィオらしいじゃないか」

「そういえばそうね」

 

 エリカが合唱団の中へ飛び込み、高らかに歌ってみせる。これが結構上手くて、アンツィオの生徒が「ウチの合唱部に入るっす!」とスカウトをかける。黒森峰が「駄目! 隊長は私たちの!」と反論する。

 

「……カルパッチョ、最初はホント大変だったよなあ。戦車に乗って、撃たれて、半べそかいて」

「もー、言わないでよ。まあいいけどね」

「悪い悪い。……怖かろうがなんだろうが、それでもお前はめげずに頑張り続けたよな。役に立とうと『勉強』までして、気づけばねーさんの副官になってた」

「うん。そういうのも含めて、いい経験をしたなって思ってる」

 

 アンツィオ戦車道履修者の歌上手が、エリカの前に突っ立ち「勝負を申し込む!」と指さす。エリカも両腕を組み、攻撃的に笑って見せる。アンツィオはもちろん、黒森峰も「おお……おお!」と盛り上がる。

 

「ホント、恐れ知らずになったよなぁお前。どうやって、半べそを克服したの?」

「フリークライミング」

「あ」

「適度にスリリングなスポーツはないかなって、検索してみたのだけれど……フリークライミングを見つけて、ビビってきちゃった」

「なるほどなー。そういや休日は、フリークライミングやってるって言ってたもんな」

「うん。最初こそ恐る恐るだったけど、今となっては壁を見るたびに手が動いちゃう」

 

 まずは歌上手が、堂々と高らかに歌う。ジャンルは聖歌、エリカが「っ!」と怯んでいる。

 

「そうか、そうか。いやー、なんというか……変わったな、私たち」

「そうね。どうしてもそうなっちゃうよね」

「私も、総統になれたしな」

「なって『た』」

「ごめんごめん」

 

 次に、エリカが歌を唄い始める。ジャンルはメタル、歌上手が「うまい……」と絶句している。

 ちらりと、手に持ったラザニアを見る。カルパッチョの得意料理であり、最初に教えてもらったメニューの一つだ。一年の頃は随分と焦がしてしまったりもしたが――今となっては、それも良い思い出に過ぎない。

 

 ラザニアを一口食べて、ふと、頭の中で「あ」と気付く。

 

 カルパッチョから料理を教えて貰ったからこそ、自分は屋台広場で屋台を構えられるようになった。そうしてラザニアを、鉄板ナポリタンを調理し続けていたところで、アンチョビが目の前を通りがかったのだ。

 料理が苦手なままだったら、今頃はアンチョビとは出会えなかっただろう。料理という「気分が良くなるもの」を作れなかったら、どうすることも出来なかったはずだ。

 ――だから。

 

「カルパッチョ」

「うん?」

「……私と、」

 

 カルパッチョが、目をまばたきさせる。ペパロニは、本当に嬉しそうに微笑んで、

 

「友達になってくれて、本当にありがとう」

 

 快く、頭を下げる。

 この世の中は、本当に上手く出来ていると思う。好きだからこそ苦悩できて、好きだからこそ諦めが悪くなれて――そんな姿勢だからこそ、どこかの誰かが共感して、手を差し伸べてくれる。

 その「事実」が、とてもたまらない。そうして幸せになるのも、なっていくのも、ひどく嬉しく思う。

 

 だから、両目をつぶってまで、カルパッチョへ礼をする。

 ありがとう。本当のきっかけを、作ってくれて。

 

「――ペパロニ」

 

 そうして、カルパッチョから軽く抱きしめられた。左手は皿で埋まっているから、右腕ででしか返せないけれど――それでも、カルパッチョの背中に腕を回した。

 

「友達になってくれて、私も嬉しかった。ありがとう、ペパロニ」

 

 エリカが歌勝負に勝ったらしく、黒森峰の生徒が「さっすが隊長!」と吠える、称賛する。アンツィオの歌上手も、まったくめげることなく「いつか再挑戦するっす!」と高らかに宣告した。

 この場だけは、この時だけは、アンツィオと黒森峰の境目なんてあってないようなものだった。ひとまず戦車道は歩み終えたのだし、これで良いのだ。

 

 カルパッチョを抱きしめたままで、これまでのことを思う。

 

 カルパッチョ、ありがとう。私に全てを与えてくれて。

 履修者のみんな、ありがとう。私を支えてくれて。

 ドゥーチェ、ありがとうございます。私を認めてくれて。

 

「――さて、食うか!」

「ええ」

 

 カルパッチョからそっと離れ、再び飲み食いし始める。そのうち我慢できなくなって、「私にも歌わせろ!」と飛び入り参加する。

 

 ↓

 

『準優勝おめでとう、ペパロニ。本当にお疲れ様でした――ペパロニは見事に準『優勝』したから、約束通りに伝えたいことを伝えるよ。

なるだけ二人になれる場所で会いたい。時間はいつでもいいからね』

 

「よ」

「や」

 

 人気のない、夜中の屋台広場で、ペパロニはビスコッティとこっそり落ち合う。ペパロニもビスコッティも街灯に照らされて、それが二人きりであることを強調した。

 いつもの、P40の模型が乗っかった屋台の前に居るはずなのに、まるきり別世界だなとペパロニは思う。たぶん、寂しいからだ。

 ――ふと、ビスコッティの手に目がつく。いつものスケッチブックを持参しているようだった。

 

「ごめんね。疲れているはずなのに、すぐに来てもらって」

「いや。私も、お前に会いたかったから」

 

 『今日の夜には帰艦出来る。だから、「いつもの場所」で待っていてくれ』

 ペパロニは、迷うことなくそう返信した。

 

「そっか……いや、本当、格好良かったよ」

「だろ?」

「ああ。――思うと、ペパロニの制服姿って初めて見るなあ」

 

 そういえばそうだなと、己が制服を見渡す。普段はコックコートを着ながらで交流して、美術館へ出向いた時も私服を着用していた。

 何の偶然か、総統としての姿を見せたのはこれが始めてだ。

 

「マント、似合ってるね」

「そうか?」

「ああ。かっこいいぜ」

 

 ペパロニが「えへへ」と笑う。何度かそう言われたことはあるが、異性に、ビスコッティにそう評されてはテレが入る。

 ビスコッティも後になって恥を覚えたのか、「たはは」と苦笑した。

 

「やっぱりペパロニは、最初から総統だったんだな」

「グラッツェ。お前も、美術家としての才能があるよ」

「ありがとう、ペパロニ」

 

 そうして、ビスコッティが手を差し出してくる。ペパロニは、快い気持ちで手を握り締める。

 

「ペパロニ」

「ああ」

「準優勝、本当におめでとう。これで、伝えたいことが伝えられるよ」

「優勝したわけじゃないぞー?」

「準『優勝』だろ?」

 

 極めて強調される。なんだそれ、ペパロニがくつくつと笑う。ビスコッティはふふふと微笑む。

 

「ったく……じゃあ、言ってくれ」

「ああ」

 

 ぬるい風が吹く。賑やかな場所だからこそ、夜の屋台広場はとても静かだった。

 

「ペパロニ」

「うん」

「その、最初はさ、口頭で伝えようとしたんだけれど」

「うん」

 

 ビスコッティは苦笑いして、つま先を立たせて、唸って、目を上の空に逸らす。ペパロニも首をかしげながら、ビスコッティの様子をただただ見届ける。

 踏ん切りがつかないのか、ビスコッティは「んー」と声を捻り出す。余計なことはすまいと、ペパロニはいつまでも見守り続ける。

 ――そして、何の前触れもなく、ビスコッティはスケッチブックを差し出した。

 ペパロニが「え」と呆然する、「いつものように絵を見て欲しい」と頼まれたことに気づく。

 

 スケッチブックを手に取り、ぱらぱらとページをめくる。同時に、「絵で何かを伝える気なのか」と予想する。

 一体何が書かれているのだろう、めくる速度が急に遅くなる。何をどう伝えるつもりなのだろう、一枚一枚ページを進めていく。どうしてビスコッティは恥じらったのだろう、「屋台広場」で見たことのある絵が通り過ぎていって、

 ページをめくる手が、止まった。

 

 わたしの絵だ。P40のキューポラから這い出て、満ち満ちた笑顔で黄金のトロフィーを天高く掲げている、わたしの絵だった。

 

「あの場で、君が一番格好良かった」

 

 そんなわたしに対して、カルパッチョが、ペコリーノが、アンツィオ戦車道履修者のみんなが、

 

「君が、最優秀賞者だ」

 

 腕を振り上げて、両腕を掲げて、飛び跳ねて、抱きしめあって、笑顔で大喜びしている。

 

「俺からしたら、君が最優秀賞者だ」

 

 絵の中から、「総統」と聞こえてくる。ビスコッティも、そのつもりで描いたのだろう。

 

「本当にお疲れ様でした、総統。君はやっぱり、最高の総統だ」

 

 うんも言えない、すんも言えない。わたしを見て、いつもの笑顔をしたカルパッチョに注目して、力強く両腕を上げるペコリーノに視線を映して、それぞれの表現で躍り合う履修者達をひとりひとり眺めて、また、わたしのことを見る。

 

「そんな君と出会えて、こんな俺と仲間になってくれて、俺は心から幸せだよ」

 

 何度も何度も、繰り返し繰り返し見つめ続ける。戦車を、人を、夕暮れの空を、そして地面を――

 気づく。絵の左下に、文字が書かれてある。

 

「ペパロニ。俺は、絵ばっかりの男だけれど、こんな風にしか表現できないけれど」

 

 見て、読んで、わたしはその場から動けなくなった。

 

「俺は、」

 

 TI amo(あなたを愛しています)

 

「君が好きです」

 

 ――。

 

「愛しています」

 

 ――。

 

「よかったら、俺と付き合ってください」

 

 ――。

 

 理知的に動いたのか、本能的に駆けたのか、それすらも分からない。

 

「ビスコッティ」

 

 けれど、間違いなく、わたしの両腕はビスコッティの身を包み込んでいた。

 

「好き、好き……私は、お前のことが好きだ」

 

 絶対に、ビスコッティの事を手離したくはなかった。

 

「ありがとう。私のことを、ずっと支えてくれて」

 

 絶対に、スケッチブックを手離さない。

 

「私の事を好きになってくれて、本当にありがとう」

 

 ビスコッティの腕が、男の両腕が、ペパロニを、マントを、守るように抱きしめる。

 

「なあ」

「うん」

 

 感情が止まらない、涙がまだまだ溢れてくる。泣いたのなんて、アンチョビが卒業して以来だ。

 

「明日も、これからも、私の屋台に来てくれるよな?」

「もちろんだよ」

「ラザニアでもいい、鉄板ナポリタンでもいい、これからも食べてくれるよな?」

「俺の生きがいだ」

「それで、それから、その……大学へ行っても、絵を描き続けるよな?」

「それしかないよ、俺には」

 

 頭の中で、未来を描いていく。

 ビスコッティが、鉄板ナポリタンを片手に、わたしと雑談する場面を。寂しくなったり、不安になった時は、いつでもわたしを励ましてくれるビスコッティの姿を。休日になって、私服姿に着替えて、二人きりで美術館へ行くわたしたちの光景を。

 高校を卒業しても、関係はまるで変わらなくて。目指すべき目標も不変で、

 

「私も、私も、戦車道のプロを目指すから。だから、これからも、見守ってくれ」

「当たり前だよ。どんどん頼ってくれ、力になる」

「うん。私も、お前の美術道を応援する。絶対に」

「ありがとう」

「こちらこそ」

 

 それから先、辿っていきたい未来なんて一つしかない。

 

「わたし達さ。相性、いいよな」

「ああ、良いね」

 

 最後の未来を、願いを、ケチケチせずに言おう。

 

「――結婚を前提に、付き合ってみようか?」

「いいね、そうしよう」

 

 どうしようもなく思春期くさくて、極めて責任重大な事を口にしてしまった。リアリティなんて二の次だった。

 でも、わたし達はアンツィオ高校学園艦の生徒なのだ。ノリと勢いで決意してしまって、何が悪い。

 

「……っくく、」

「ふふ……」

 

 涙が止まらないから、めちゃくちゃ嬉しいから、みんなが総統と呼んでくれるから、二代目ドゥーチェとして認められたから、女性として幸せだから、含み笑いが思わずこぼれ出る。

 

「くっ……はは、はは……ッ!」

「はは……っはは……ッ!!」

 

 良い子が眠る時間でなかったら、きっとわたし達はバカスカ笑っていただろう。

 けれど、今はこうでも良かった。ビスコッティと抱きしめあって、同じ想いを抱えあって、同じ夢を抱けたのだから。

 

 ビスコッティ、ありがとう。わたしを愛してくれて。

 

―――

 

「そこのイケてるアベック! お腹は空いてないかい!? 鉄板ナポリタン食べていきなよ!」

 

 ペパロニが遠慮無く大声で客寄せして、カルパッチョも負けじと「アンツィオ一番のラザニア、ラザニアですよーッ!」と高らかに主張する。そうしたところで観光客は寄ってくるし、そうしなくともアンツィオの生徒が次から次へと注文してくる。

 いつも以上に、忙しく繁盛しているのには理由がある。ここはコロッセオで、つまりはお祭り時で、タイトルが「アンツィオ戦車道、準優勝おめでとうフェスティバル」だからだ。

 

 となると、祭りの主役はどうしてもペパロニが選ばれる。この時点で繁盛の起点となり得たのだが、実は先ほど、マスコミからマイクを向けられたのだ。

 インタビューに対して、最初は総統らしく真面目に受け答えしていた。そうして質問に一区切りがついたところで、「これ、全国ネット?」「はい」と確認をとって、マイクを拝借し、小指を立てて、

 

 来年こそ必ず優勝しますッ!

 いえ―――ッ!

 アンツィオ一の鉄板ナポリタン、ラザニアが食べたかったらウチの屋台へ! 今なら200万リラ!

 いえ―――ッ!

 

 ――そんなわけで、料理担当のペパロニとカルパッチョは、いまめちゃくちゃ忙しい。食器洗い担当のペコリーノも、食器洗い見習いのビスコッティも、ヒーコラ言いながら皿を磨いていた。

 

「いやー、悪いっすね。手伝ってもらって」

「大丈夫大丈夫、好きでやってることだから」

「そすか? ……兄さん、美術部員っすよね? 出し物は?」

「ああ、屋台? それなんだけどさー」

 

 面白可笑しく苦笑する、キッチンにまたしても皿が積み重なる。

 

「あいつら、何処で噂を嗅ぎ付けやがったんだか。『ペパロニさんのトコ、忙しそうだぞ。手伝ってやれ』とかなんとか言ってきたんだよ」

「えー?」

 

 ペコリーノも笑う。

 

「俺もさ、最初は『俺は美術部員だよ? 弁えてるって』って言ったんだけどさ。けどあいつら、俺からフライパンを取り上げやがったの」

「うわーえげつないっすねー」

「でしょ? で、『彼女を支えてやれ、行け!』って背中押された。ったく恥ずかしいことしやがって」

 

 口では悪態をつくが、心の底では「Grazie」と言っておいた。こういう気遣いをしてくれるのが、アンツィオの良いところなのだ。

 そんな心中を察してか、ペコリーノはにこりと微笑み、

 

「いい仲間っすね」

「ああ、そう思う」

 

 皿を一枚片づけ、更なる皿をさらっと回収する。

 

「カルパッチョねーさんのラザニアは最高っすね」

「ありがとうございます」

「カルパッチョさん! ラザニアのお代わりを!」

「はーい」

「ペパロニ姐さん! こんちは!」

「こんにちは、食ってけ!」

「やあ、ここが二代目ドゥーチェの屋台だね。鉄板ナポリタン、いいかな?」

「いいぞいいぞ、食ってけ! ……ん? そのジャージ、継続か?」

「まあね」

 

 モテモテだなあと思いながら、またしても積み重ねられた皿を見て「うへえ」と漏らす。

 けれど、この賑やかさがすこぶる楽しい。皆から愛されるペパロニが見られて、とても嬉しい。

 こんな気持ちになれるのも、全てに決着がついたからだろう。厳密に言うと、これからもずっと道は続いていくが――今は、お祭り騒ぎに身を委ねることにする。ライブ会場からアンツィオメタルが演奏され始め、食器を洗う手の動きがネオクラシカルと化す。

 

「いらっしゃ――ねーさん!」

 

 客寄せとは違う、素の大声がペパロニから漏れた。ペコリーノもビスコッティも、手の動きを止めてまで振り向く。

 

「や、元気そうで何より」

「ねーさん! どうしてここに!」

「どうしてって……お前の晴れ舞台だからに決まってるだろー?」

「そうっすか! こりゃ嬉しい!」

 

 ペコリーノも、「ねーさん!」と駆け寄る。カルパッチョも、「会えて嬉しいです、ドゥーチェ!」と叫ぶ。

 そんな戦車道履修者の姿を見て、ビスコッティは、皿洗いを再開し始める。

 先代ドゥーチェ――安斎千代美が、ペパロニの健闘を称賛する。それに対して、ペパロニが「まだまだっすよー」と謙遜し始めて、カルパッチョが「今は何をしているんですか?」と質問を、ペコリーノも「大学って楽しいっすか?」と楽しげに聞く。

 

 今は、アンツィオ戦車道履修者だけの時間を尊重しよう。

 あえて黙々と、けれども嬉しい気持ちで皿を片付けていく。その間にも、後ろでは戦車道に関する話で持ち切りだった。

 一枚、また一枚と皿を洗い流していって、そろそろ慣れた手つきで次の皿を回収し、

 

「――やっぱり、お前に任せて良かった。ありがとう、二代目ドゥーチェ」

 

 含み笑いがこぼれる、ニヤケ面がどうしても止まらない。ちらりと後ろを眺めてみれば、千代美とペパロニが、力強く抱きしめあっていた。

 ――ペパロニ、俺はとても幸せだよ。

 アンツィオメタルが、コロッセオ内に反響する。それに伴って、歓声が好き勝手に暴発し始める。そんな中でも「この前の決着つけようぜ!」「パンナコッタかジェラートか、どっちが最強かをな!」と、屋台同士が争い始める。それを歓迎するかのように、観光客が「分かった、食えばいいんだな!?」と同調し始めた。

 ほんとう、アンツィオ高校学園艦へ入学出来て、本当に良かった――

 

「ん? 後ろにいるのは男か?」

 

 千代美が、間違いなく自分のことを指した。ぎこちなく首だけを振り向かせ、「どうもー、先輩」と挨拶を交わす。

 

「ええ。この人はビスコッティ、私の彼氏っす!」

 

 千代美が「ほう」と頷いて、

 

「え゛!?」

 

 千代美が大いに驚き、カルパッチョが「本当ですよ」と笑う。ペパロニはこっ恥ずかしそうに、後頭部を掻いていた。

 

「ほんとなんすよねーさん。ビスコッティの兄さんは、総統をずっと支えてきたんです」

「へー……」

 

 千代美と目が合う、めちゃくちゃ恥ずかしくなって目を逸らす。安斎千代美は先代ドゥーチェで、みんなのアイドルで、美人だから。

 

「ビスコッティさん」

「あ! 呼び捨てでいいですよ!」

「じゃあ、ビスコッティ」

「はい!」

 

 緊張するビスコッティに対して、千代美はにこりと、

 

「ありがとう。ペパロニを支えてくれて」

「あ、いえ、そんな」

 

 そこで、ペパロニがビスコッティへ近づいてくる。そのまま、肩の上に手を乗せて、

 

「こいつが居てくれたおかげで、私は、私なりの総統道を歩むことが出来たっす」

「そうか」

 

 千代美は笑ったままで、「ふう」と息をついて、

 

「良かったな、ペパロニ」

「……はい」

 

 再び、千代美がビスコッティと目を合わせる。

 一旦皿を置いて、くるりと振り向き、真正面から千代美と向き合った。

 

「ビスコッティ」

「はい」

「これからも、ペパロニのこと。よろしく頼む」

 

 ――認められた。

 だから、ビスコッティは心から笑顔になれた。ペパロニという女性をよく知っている人だからこそ、ペパロニの事を任せられた事実が凄く嬉しくて、たまらなくなって、

 

「――はいッ!」

「いい返事だ」

 

 にっかりと千代美が笑う。そうして、「さて」と財布を取り出して、

 

「鉄板ナポリタンを一つ!」

「――あいよ! ねーさん!」

 

 さーて忙しくなるぞ。

 手を叩き、再び皿と戦闘を開始する。ペコリーノもキッチンに戻ってきて、「遅れて申し訳ないっす」「いやいや」。

 

 アンツィオメタルも、そろそろ終わりを迎えようとしている。けれど、アンツィオのテンションは未だにギターソロ状態だ。

 祭りが始まって、もう数時間も経過した。皿を洗っているので、祭りに対する全貌はうかがい知れないが――観光客も、アンツィオの生徒も、恐らくは教師も、祭りの火を絶やさぬように声を張り上げ、動き回り、生きている。

 

 やっぱりここが、俺の大好きな場所だ。

 

「ビスコッティ」

「んー?」

 

 皿を洗ったまま、視線もそのまま。

 

「ずっと、一緒にいような!」

「……ああ!」

 

 視線なんて、そのままにすることしかできなかった。

 

 ↓

 

 ――ごちそうさまでした、うまかった

 ――お粗末様っす。で、これからどうするんすか?

 ――ああ、ちょっとゴミ拾いの手伝いでも

 ――ゴミ拾い? ……ああー、カレシに会いに?

 ――じゃあな!

 

 そうして、千代美はいなくなってしまった。客の勢いも段々と落ち着いていって、今となっては「いつもの調子」で屋台を回せている。

 ペコリーノと皿を洗って、ペパロニが鉄板ナポリタンを調理して、カルパッチョが「皿洗い、手伝いますね」と加勢してくれて――ようやくひと段落がつく。

 

「ふぃー……」

「そろそろ休むか」

 

 カルパッチョが「休憩中」の札を置いて、ビスコッティが人数分のパイプ椅子を運ぶ。ペパロニが「グラッツェ」と礼をして、椅子を横一列に並べて、後はそのまま死んだように座り込んだ。

 

「あー、ちかれた」

 

 ペパロニがぐったりと、けれども達成感溢れる笑みをこぼす。それはカルパッチョもペコリーノもそうで、ビスコッティだって「悪くない」と思う。

 

「皿の数、すげかった」

「黄色ばっかり見てきました」

「小銭じゃらっじゃら」

「手がぴかぴかっすよ」

 

 ロクに口も動かせない。本当に祭りを堪能しているのだなと、つくづく思う。みんなしてこれだけ疲れ果てているのに、観光客の数は一向に減らない。アンツィオの生徒は「次はダンスパーティーだってよ!」とはしゃいでいるし、教師も「先生。僕と踊っていただけませんか?」とかナンパしている。よしよく言った。

 

「ダンパ、か」

 

 ぽつりと、ペパロニが呟く。目が合う。

 ペパロニの彼氏として、すぐに察する。そうか、ペパロニは自分と、

 

「あ、いや、休憩が終わったら店を開かないと」

「あ、ああ、俺も手伝うよ」

「いや、お前は遊んでこい。履修者じゃないし」

「ペパロニと一緒じゃない祭りなんて、意味ないよ」

 

 よくもまあ、堂々と言えたものだと思う。交際していなければ、口が裂けても言えなかっただろう。

 ――その時、ペパロニの隣に座っていたカルパッチョの目が、光った、気がした。

 

「ペパロニ」

「な、なに」

 

 ただならぬ気配を察したのだろう。友人だからこそ、ペパロニから警告色が発せられる。

 

「ビスコッティさんと、カップルらしいことはした?」

「え、らしいことって」

「デートとか」

 

 していない。結婚を前提にお付き合いを初めたのも、昨日今日の話だ。

 アンツィオといえば祭りの本場でもあるから、準優勝おめでとう祭の開催なんてすぐに決まった。後はそのまま、笑いあり揉め事あり暇なしの準備に駆り出され、ペパロニと遊ぶ暇もなくこうして働いているわけだ。

 

「……あとでする」

「へえ。今、じゃないの?」

「今ってお前」

「ここ、お祭りの会場でしょ?」

 

 きっぱりと、カルパッチョが「正論」を口にする。

 これにはぐうの音も出ないのか、ペパロニはうつむいてしまった。

 

「ダンパもあるらしいですし、ねーさんッ! ささっ」

「だーからいいって、私には店が、」

 

 アンツィオの生徒は、交際をするのも見るのも大好きだ。だからペコリーノは手早く携帯を取り出し、「あ、もしもし? 今ヒマ? 手伝える?」と救援要請する。

 ペパロニが「あ、こら」と注意するがもう遅い。ペコリーノは通話を終え、親指を立ててみせた。

 

「……はあ」

 

 ペパロニが、ため息をつく。けれどどこか嬉しそうで、悪くないと思っていそうで。

 だから、ビスコッティは立ち上がった。一同が注目する中で、ペパロニを見つめて、

 

「一緒に踊ろう、ペパロニ」

 

 ペパロニが「え」と言い、「あ」と漏らして、ほんの少しだけ間を置いて、

 

「ああ! ちょっと着替えてくる」

 

 ペパロニが、元気の良い足取りで、屋台裏まで駆けていく。

 ちらりと視線を変えてみれば、カルパッチョとペコリーノが、親指をぐっと立てていた。

 

 

 ライブ会場へ到着してみれば、周囲から「総統!」「あいつがカレシか!」「素敵っす!」「マント似合ってるっすよッ!」「ペパロニさん! 俺と結婚……はいいからお幸せにッ!」「いやった―――ッ!」とかなんとかめちゃくちゃ言われた。ステージ上の演奏者からも、「みんな! 今回の主役がカレシ連れで来てくれたぞッ! 拍手ッ!」と歓迎された。

 たははとビスコッティが苦笑する、ペパロニが「グラッツェグラッツェ」と手を振る。

 

 ――なんだか、とんでもない所に来てしまった気がする。よく考えてみれば、総統の、今回の主役の彼氏なんて注目されて当たり前だった。

 どうしようなんかおっかなくなってきたんだけど。

 ペパロニの横顔を覗き見るが、子供のような眩しい笑みを浮かばせていた。何も恐れず、踊る気満々な、もはや前向きな気質しか感じられない。

 視線を察したのか、ペパロニがビスコッティの方を見る。実に実にペパロニらしい笑みを浮かばせたまま、

 

「お前と踊れるなんて、夢のようだ」

 

 ――そんなことを、言われたら。

 

「エスコートするよ、ペパロニ」

 

 このアンツィオ高校学園艦で、踊るしかないじゃないか。

 

 

 ステージ上から演奏が流れ始め、まずはアクティブな観客から動き出す。ダンスのジャンルはタランテラ、イタリアらしい陽気一色の民族舞踊だ。

 主にタンバリンとアコーディオンで音を作り出し、お祭り騒ぎに相応しいアップテンポさで観光客のアクションを誘う。とはいえども、アンツィオの祭りに訪ねた時点で「出来上がっている」ので、アンツィオの生徒も観光客もペパロニもロケットスタートを切った。

 

 唯一の例外は、中途半端に冷静さを失えていないビスコッティだ。恥ずかしいなあ注目されてるなあ囲まれてるなあと右往左往する一方で、ペパロニは笑顔でビスコッティの両手を掴み取る。後はそのまま、飛び跳ねながらでくるくる回る。

 

 最初は「うーん」だったビスコッティも、体を慣らすうちに何だか盛り上がってきた。文化系であるビスコッティも、やっぱりアンツィオの血が流れているらしい。

 ペパロニの勢いに負けじと飛び跳ね、振り回される反動をそのままにくるくると離脱する。ペパロニから「チャオ!」と手を振られる。

 そのまま小走りを維持したままで、「参加しようかなどうしようかな」と迷っているらしき、男性の観光客の手を掴み取った。

 

 タランテラに技量はいらない、テクとかコツとかは必要ない。好き勝手に飛び跳ねればいい、ここぞとばかりに他人の手を掴み取っても構わない。腰に手を当て、一人で舞踏を展開しても構わない(どうせ捕まる)。そういうものだよと、喜色満面の笑みで観光客に伝える。最初はぎこちなかった観光客も、次第にジャンプのキレが良くなってきた。

 この時点で、この観光客とはもう友達だ。何処から? 大洗! あそこは食べ物が美味しいらしいね! 観光客の、ウサギのキーホルダーが揺れる。

 

 大洗の生徒と踊る傍ら、ペパロニの姿を様子見する。基本的に他人好きであるペパロニは、他校生も観光客も子供も大人も老若男女も問わずに手を取り合う。時には両手を繋いで飛び跳ねたり、他校生をくるっと回転させたりもする。まだ背の低い子供は、ペパロニに高く掲げられて大喜びだ。

 大洗の生徒の手を放し、「チャオ!」と挨拶を交わす。後はそのままペパロニへ近づいていって、ペパロニがにこりと手を握り締めてくれた。

 絶対に離さない、絶対に俺が守る。

 そう心に決めて、ペパロニをくるっと回す。見事な回転さばきを披露した後で、ペパロニが思いっきり抱き着いてきた。周囲からの黄色い声。

 

 その身を委ねられ、体も意識も安堵する。間が生じて、思考する猶予が与えられた。

 ころっと、祭りの明日について考えてしまう。

 

 これから先、どんな日々が待ち受けているのだろう。自分はプロの美術家になれるのか、ペパロニは戦車道のプロリーガーになれるのか。それは自分も、この場で踊り合うみんなも、コロッセオに居る全員にも、分かりようがない。

 そういった難しさを抱えているのは、何も自分やペパロニだけではない。この場にいる全員が、平等に手にしているもののはずだ。

 

 ほんとう、夢を追うって難しい事だと思う。絵を描くにしたって、随分と苦しめられたものだ。

 ペパロニは、相変わらずペパロニらしい笑顔を浮かばせている。こんなにも楽しそうで、強いペパロニだって、総統の為に必死に生き抜いてきた。

 

 不安になって、ペパロニを抱きしめる。ペパロニから、「ビスコッティ」。ぎゅっとされる。

 

 ――ペパロニを、ダンサー達を見た。

 みんなが、抱き締め合うビスコッティのことを、ペパロニの事を見守っている。その人達は決して「他人」なんかじゃなくて、自分と同じ一生懸命な人間であるはずだ。

 苦楽を共にしているからこそ、祭りという非日常を快く楽しめている。自分には知りようの無い「何か」を乗り越えていったからこそ、この会場へ辿り着くことが出来た。

 そう思うと、何だかほっとする。みんな同類なんだなと、祭りの参加者なのだなと。

 

 タンバリンがヒートアップする、アコーディオンの音がコロッセオ全体に鳴り響く。

 夢を追うってほんとうに難しい事だと思う。けれど、何とかやってみたら、

 

 自分は「例外」じゃなかったけれど、入選することが出来た。

 ペパロニは「例外」じゃなかったけれど、総統になることが出来た。

 

 だから、今日という日が楽しくて楽しくて仕方がないのだ。

 ――ペパロニからそっと離れて、にこりと笑って、「踊ろう」と伝えて、「うん」と受け入れられる。みんなも音色の中で体を躍らせる、祭りが明けるその日まで飛び跳ね続ける。

 そうして活きているから、待ち構える壁をも乗り越え続けられる。

 

 もう少しで、タランテラの演奏が終わりを迎える。それでもテンションは最高潮で、唄いまくって、回って、時には他人の手を取り合って、やがてはペパロニの元へ戻っていって、

 

 後ろに倒れようとしているペパロニを抱えながら、ビスコッティはペパロニとキスを交わした。

 

 理由なんて、「ノリと勢い」でしかない。ダンサー達が歓喜の声を上げ、演奏者の一人が「フォ――ウッ!」と大喜びして、「ペパロニ! 素敵よ!」「ねーさーん! やったっすね――ッ!」と誰かが叫んだ。聞き覚えのありまくる声。

 ペパロニの手が、ビスコッティの首に回る。ビスコッティの後頭部を、優しく撫でる――しばらくは、このままでいるしかないだろう。自分もそれを望んでいる。

 

 自分の行動は、決して間違ってはいない。

 だってここは、アンツィオ高校学園艦だから。

 

 タランテラの世界が、幕を閉じる。

 

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