ガリア王ジョゼフがハルケギニアの地に死食を引き起こし、イザベラが死星を見上げたその時から――数年後。
「え……」
イザベラは目を覚ますなり、驚愕した。
なぜ自分はドレス姿で、荒野のど真ん中にいるのか、全く理解できなかったからだ。
周囲をきょろきょろを見回し、再度自分の服装を確認し、必死に記憶を辿ってみる。
「あ……」
夜、用事があると尋ねてきたカステルモールが不気味に笑みを浮かべ、杖を振ったと思ったら……気付いたらここにいたのだ。
何のために? どうしてこんな場所で置き去りにされているのか?
そんなことはイザベラにはすぐに分かった。
これでも暗部組織の長をしているのだ。陰謀の筋書きなど腐るほぼ見てきた。
『日ごろから我侭放題の王女が、周囲の目を盗んで城を抜け出し、迷子になったところで不幸にも魔物に遭遇して殺害された』
ということにされるのだろう。
つまり――
「グゥゥ……」
「ひっ」
ざっ。とイザベラの背後から土を踏みしめる音がする。
イザベラは、ゆっくりと背後を振り向き――
「あああぁぁーーっ!」
脱兎のごとく逃げ出した。
「ギャグゥー!」
棍棒をもった魔物……死食以来ハルケギニアに出没するようになった『ゴブリン』という名の小鬼は、ヨダレを撒き散らしながら、追いすがってくる。
「ひっひっ……ぃ!」
イザベラに戦う術はない。
魔法の才は落ちこぼれ。そもそも杖は奪われてしまっている。
他に武器になりそうなものも何もない。
当然、護身術など修めているわけもない。
ドレスを着ているだけの小娘でしかない。
捕まれば死ぬしかないであろうことはイザベラにも分かる。
「あぁぁっ!?」
しかし、少しも立たない間にドレスの裾を踏みつけてしまい、派手に転んでしまう。
「あっ……あ……」
棍棒を振り上げた小鬼が脅える獲物を甚振るように顔をゆがめて、ゆっくりとイザベラに近づく。
必死に後ずさりしながら、もつれ震える足でどうにか立ち上がると、再び踵を返して逃げ出す。
そして、逃げては追い詰められる――そんなことを数度続けた頃。
「はぁはぁはぁっ……」
息を乱したイザベラは、悟っていた。
逃げられない。
自分は、もう死ぬしかないのだ。
死を確信したイザベラは恐怖のあまり、目の前の現実から逃避して、顔を手で覆ってうずくまりたくなる。
「うぅ……!」
今にもそうしてしまいそうになるのを必死に抑えこむ。
目をふさいで丸まったところで死ぬだけなのは分かりきっていた。
「なん、で……わたしが」
ニタニタと笑いを浮かべながら、さあ逃げてみろといわんばかりに、ゆっくりと近づいてくる小鬼を見上げながら、イザベラは理不尽な現実を罵った。
どうして自分がこんな目に遭う!?
カステルモールは何の恨みがあってこんなことを!
殺してやる!!
大体父も父だ!
父は何をあんな小者に出し抜かれて……
「あっ……」
はたして、あの悪意が服をきたような陰謀の主ともあろう父が、カステルモール如きにまんまと出し抜かれるだろうか?
答えは1つ……父はイザベラが害されるのを知っていて意図的に見逃したのだ。
「…………」
後日、暗殺の証拠を反ジョゼフ派に突き付けて壊滅させるつもりか?
つまり、そんなことのためにイザベラは父に捨てられたのだ。
「も゛ん……か」
イザベラの両目から涙が滂沱と流れる。
イザベラは、ずっと自分を冷たい目で見てろくに相手もしない父のことはとっくに見限っていた。
それでもどこかでイザベラは期待してしまっていた。
父が娘を思ってくれていることを、大事にして守ってくれていることを、愛してくれていることを。
彼女はショックを受けている自分が馬鹿馬鹿しくて滑稽で腹立たしくてならなかった。
自分も、父も、カステルモールの馬鹿も。
ムカついてムカついてしょうがない。
「死んでやるもんか!」
燃え上がる怒りが、イザベラの心に火をつける。
それが、恐怖を紛らわせて、生への執着を強くした。
「生きのびてやる……!」
イザベラは涙を流しながら、土と埃で汚れたドレス姿のまま、両腕を胸の前に構えて小鬼に対峙した。
「生きて帰って、誰も彼もぶんなぐってやる……!」
それはあまりにも無謀すぎる行為。
ゴブリンはコボルドと大差ない程度の強さではあるが、だからといって人間の小娘が素手で勝てる相手ではない。
そんなことはイザベラにはわかっている。
だけど、クソ食らえだ。
他にどうしようもなく、無謀な行為が最も生き延びる可能性が高いのだから。
「ギャギャアーッーー!」
「うぅ……!」
そしてやはり、その愚かな試みは失敗して、棍棒の一撃によって、イザベラはその命を―ー―失わなかった。
「っ」
当たれば死ぬ! イザベラがそう思った瞬間。
彼女は、頭の中で何かが光った気がした。
「っ!?」
ゆっくりと棍棒の軌道が見えて、それにあわせて身体を動かせば当たる。
イザベラはそんな確信を覚え、衝動のままに全力でそこに拳を振りぬいた。
「……ガァッ!?」
無防備な小鬼の顔にイザベラの拳がめり込んでいた。
攻撃態勢のまま無防備な打撃を受けてしまった小鬼は、折れ砕けた歯を数本その場に残して、数メイル先の地面に転がっていく。
「ガ、ァ……!?」
「!?」
わけがわからないとった表情で、小鬼は口から血を垂れ流しながら、頬を押さえて呆然としている。
だが、この場で一番驚いていたのは、イザベラ自身であった。
電撃のような閃きが脳裏を駆け巡ったと思えば、無我夢中で身体が技を繰り出していたのだ。
(脳裏に閃いた、この技は……『カウンター』?)
「グギャアアアーー!!」
状況を理解したのだろう。
小鬼は激怒の表情で立ち上がると、飛びつくようにして素手で殴りかかってくる。
「たしか……こうっ!」
「ガッ……!?」
イザベラが自分でも驚くほどにあっさりと。
先ほどと同じ光景が繰り返される。
「ギギッ……グギャァー!!」
「しつこいッ!」
カウンターを二度食らったというのにしぶとく殴りかかろうとした小鬼は、三度目のカウンターを顔面に受けると同時に、頭蓋骨が砕けて、その場に崩れ落ちる。
イザベラは脳裏に閃いた『カウンター』を完全に自分のものにしていた。
「ァ……」
「か、勝った……!」
小鬼が動かなくなり、勝利を実感すると、イザベラは自分の体に力が漲るのを感じる。
強くなった。そんな気がした。
だが、安堵するのはまだ早かった。
「「「グギャーーー!」」」
小鬼の群れが雄叫びを上げて向かってきている。
今度は盾を持っている小鬼もおり、危機は続いている。
「……」
イザベラは、無言でその拳を握りしめて、構えた――
「ハンッ、ざまあみろっての」
いくつの魔物の群れを殲滅しおえた頃だろうか。
イザベラの周囲ぶは魔物の死体が散乱している。
その積み重ねた勝利の跡を一瞥すると、己が強くなった実感と充実感が溢れてくる。
「勝利のステップってね」
イザベラは返り血で赤黒く染まったドレスを翻して、勝利の美酒に酔って、クルクルとその場で回ってみせる。
手足を隠すほどに長かったドレスの裾は自ら破り捨ててあり、細い手足を晒している。
動く度に、下着が見えそうになっているだろう。
まるで色気を売りにするはしたない酒場女のような格好だ。
「くくっ」
小うるさい行儀作法の教師が見れば卒倒するな。
そんなことを思い小さく笑う。
品性などこの場ではどうでもよかった。
「ブギィーーーッ!!」
そこに、満を持して巨漢のオーク鬼が走り寄ってくる。
その迫力とビリビリと肌で感じるほどの威圧感から、おそらくこの一体の魔物の群れを支配するボスであろう。
その太い腕に握られた棍棒は、当たり所次第で女子供など一撃であの世へと送ってしまいそうだ。
「だが。当たらなければ意味がないね」
『カウンター』さえあれば、負けることは無い。
相手の攻撃を受けずに、ダメージを与えることができるのだから。
「ブギャアアーーー!」
「はっ……!? ガギュゥッ!?」
そんな慢心があったからだろうか。
イザベラは、オーク鬼が一撃を放ったところで、激しい衝撃とともに、一瞬意識を失った。
「あぐっ……み、みえ、なかった!?」
気が付けば、左腕は肘のあたりで骨が砕かれ潰されており、だらりと垂れ下がってしまっている。
動かそうとしてもピクリとも動かず、そもそも左腕の感覚がない。
ダメージが大きすぎたのだ。
痛みのあまり動きが鈍るようなことはなかったが、それはつまり怪我が深刻である証左でもある。
「だからって、死んでたまるか!」
気丈に右手だけを突き出すように構えて、オーク鬼を睨みつける。
そんな視線を見下すかのように、オーク鬼は表情を歪めて、持っていた棍棒を振り上げた。
(次当たれば死ぬ……すべてが終わってしまう……)
イザベラは、身を焦がすような熱に浮かされながら、必死に集中力を研ぎ澄ます。
(ここはかわすしかない……!)
一瞬たりとも動きを見逃さず、相手の攻撃をどうにかいなそうと、隙を窺う。
「っ……!?」
あと一撃を受けるともはや勝ちの目はなくなる。ギリギリの状況の中で、イザベラはチャンスを手繰り寄せることに成功した。
「見切った!」
頭の中で何かが光った気がした。
「っ!?」
ゆっくりとオーク鬼が棍棒でなぎ払う動きが見えた。
それにあわせて身体を一歩後ろへと退いてみせる。
イザベラの数サント先を棍棒がかすめるが、当たることはない。
渾身のなぎ払いをかわされて体勢の崩れたオーク鬼の足を蹴り払ってしたたかに転倒させ、イザベラはそのまま右拳を振り上げ――
「っ」
そこで、また頭の中で何かが光った気がした。
「っ!?」
イザベラは握り締めた右手を開き、その手の平を見る。
何かが、そこに集まってくる。
そんな気がした。
「ふぅー」
その確信のままに、彼女は足を開き、深呼吸をして周囲からその何かを身体の中へと集め流し込む様をイメージする。
一呼吸。
周囲から集まった大気に満ちる生の気が、疲労と消耗を重ねていたイザベラの体内を癒していく。
二呼吸。
左腕の潰れた肉が形を取り戻し、砕かれた骨も再生していく。
三呼吸。
流れでたはずの血が体内から溢れるように活力を与える。
四呼吸。
イザベラは『集気法』によって完全に回復した。
「こりゃあいいね。練達の水メイジも真っ青だ」
もはや状況は決していた。
相手の技の一部を見切り、回復手段を手に入れたイザベラは、持久戦を続けるだけで勝てる。
「もっとだ! まだ私はできるっ!!」
だというのに、イザベラはただ漫然と勝とうとは思わなかった。
「サミング!」
「キック!」
「空気投げ!」
(ああ、楽しい)
次々に脳裏に閃く新たな技と身に付いていく力。
(お前はいつもこんな気分で魔法の練習をしていたんだねぇ)
それは、才能皆無の上で積み重ねた魔法の修練などと違って、手ごたえと達成感を与えてくれた。
(上達するから楽しい。楽しいからやる。やるから上達する。ってことかい。当たり前だけど、そりゃあ、あの子はあんなにも強くなれるわけだ)
そしてギリギリのところで命をやりとりするという高揚感。
「だがね! 今日から私も、お前と一緒さ!」
イザベラは闘いに酔っていた。
「……カウンターッ!」
頭蓋骨をかち割ったその一撃で、声もなく身体を崩れ落としたオーク鬼が絶命する。
「さあ、死にたいやつからかかってきな!」
いつしか自分を囲んでいた魔物達の群れを睥睨し、手招きするのだった。
走る。
イザベラは魔物達の群れの中を走って、走り抜けていく。
「グルゥッ!
「ガァッ!!」」
「ふんっ!」
「はぁっ!」
すれ違いざまに魔物達に、拳を叩き込んで粉砕しながら走り続けた。
彼らの肉を、骨を、その生命を粉砕しながら、イザベラは只管に走り抜けていった。
「おやおや。ずいぶんと遅いご到着じゃないか? ええ?」
イザベラが向かった先には、一人の男が呆然と立っていた。
「なっ……?」
「どうした? わたしが生きててそんなに不思議かい、カステルモール?」
イザベラを呆然と見つめる、カステルモールは驚愕していた。
送り込んだ魔物の群れが死体の山と化してしまっており、その山を築いたのが戦う術ももたず、魔法も使えない無能なイザベラであったからだ。
「これは……イ、イザベラ様、が?」
「そうさ、この拳でぶっ飛ばしてやったよ」
「ま、まさか……」
「で、次はあんたかい?」
腰を落として利き手を突き出し、イザベラは構える。
実戦どころか、護身術の心得すらないはずの小娘の……こけおどしにすらならない姿のはずが。
「お前が死ぬか、わたしが死ぬか……さあ試してみようじゃあないか」
そこに確かな力と脅威を感じて、カステルモールは恐れてしまう。
「救援が遅れてしまい、も、申し訳ございませぬ! 誤解なさっているとお思いですが、せ、先日は、私の姿を騙った何者かがイザベラ様を拐わした模様でして……」
「へぇ、ははぁーん。そうかいそうかい……」
「うぅ……」
彼の主張は、あからさまに苦しすぎる言い訳である。
それは本人にもわかっているのだろう。
が、イザベラとしても取り乱した姿を見れて、少しながら溜飲が下がったこともあって、追求する気はなかった。
(このイザベラ・ド・ガリアを暗殺しようとしたことは、八つ裂きにされても許されないことだけど、この力に目覚めるきっかけにもなったしねぇ)
だから。
「分かったよ」
「あがぁっ!?」
イザベラは、カステルモールの顔面に向けて、全力で拳を振りぬいた。
吹っ飛んだカステルモールはもんどりうって地面を転がっていく。
「これで勘弁してやるよ」
イザベラとしてはスカっとしたのでそれでもう満足だった。
「ともかく、クソ親父のとこへ案内しな!」
「はっ、ははぁーっ!」
大量の脂汗を流しながら、顔色を蒼白にさせたカステルモールはイザベラの言葉に従うしかなかった……
エイプリルフールということで、軽く投稿してしました。
一発ネタなので続きの予定はありません。