【一時休載中】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

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やっと書き上がりましたが、悩みまくったので文字数が多いです。
分割しようかとも思いましたが、どこで切ろうか悩んだので、このまま行くことにしました。


第8話 怒りと憎しみと、仕組まれた革命!

 険しい山々が連なるその場所は、未開の地がほとんどであるといわれている。あまりにも複雑な地形のため、その全貌を知っている者など世界に誰1人としていないだろうと考えられていた。そんな山脈の中腹あたりに、なだらかに整えられた区画が存在していた。それは自然にできたものではあったが、後から人の手が加えられ、簡易的にではあるが居住できるように整備されていた。ここは、自給自足を営む1人の賢者が住まう場所。彼がここに住んでいることを知るものは、交流をもっている麓の村くらいのものであった。

 そのような場所に、簡素に建てられた小屋の中、大きなテーブルを囲んで数人の大人たちが顔をつきあわせていた。ヒカルは行使した瞬間移動呪文(ルーラ)により、師匠であるザナックの元を訪れていた。さしものザナックも、子供を含めて6人もがいきなり小屋の前に転移してきたことに驚いていたが、顔色の悪い女性と、モモに抱かれている幼子を見るや、話は後だといって母子に温かい食事を振る舞い、寝床を用意して眠りにつかせたのだった。その後、モモが残る皆の食事を改めて用意し、全員が空腹を満たした後、これまでに起こった出来事について、ザナックを囲んで話していたのだった。

 

「ふうむ、これはまた、えらく面倒なことに巻き込まれたもんじゃわい。」

「一番問題なのは奴らの目的が分からないことなんですが、いろいろ考えてみてもやっぱり思い当たることがなくて、手の打ちようもないのが現状なんですよね……。」

 

 確かに、現状それが最も大きく、かつやっかいな問題であることは疑いがない。モンスターたちは町を支配し、住民や旅人を苦しめ、最終的には何を成し遂げようとしているのか。単純に金儲けなどということはないだろう。それはゴルドの方の欲望であって、モンスターたちには必ず別の目的があるはずであった。

 

「それに、妙なんですよねえ。」

「ん? 妙、とは、どういうことじゃヒカル?」

「ええ、実は、あの町にいたモンスター、これまでの奴と気配が違うっていうか、なんだか違和感みたいなものをバリバリ感じるんですよ。うまくいえないんですけど、同じ名前の料理でも、作る人によって微妙に違うというか……? そんな感じです。」

 

 ザナックはふむと短く答えてから、顎に手をやって考えるポーズを撮った。他の者たちは程度の差こそあれ、よくわからないという表情をしている。当然だろう。言っている本人もよくわかっていないのだから。これは感覚的なことであり、うまく言葉で説明できるものではなかった。

 

「ヒカルよ、つまり、今回遭遇した、人に化けたモンスターとやらは、お主が今まで戦ってきたモンスターとは、創られ方が違う、そう感じたのじゃな?」

「……はい、そういうことになると思います。」

「料理のたとえでいえば、料理人、つまり作った者が違う。モンスターに当てはめると造り出した者、親玉が違うということになるかの。」

「……! そ、それってまさか……。」

「儂の仮説になるがの。それに、それが分かったところで今回の事件に何か役に立つわけでもあるまい?」

 

 それはザナックのいうとおりであった。結局の所、ザムエルの目的が分からないことには、対策の立てようがないのだから、モンスターの素性などは、分かっても分からなくても同じだということだ。

 

「う~ん、それにしても回りくどいことやるねぇ、こりゃあ、怒りだの憎しみだの恨みだの、そういう嫌な感情が町中に渦巻いてそうだねぇ。」

 

 不意に、それまでだまって話を聞いていたヤナックが、そんなことを言い出した。それを聞いたとき、ヒカルの中で、何かが1つに繋がった。

 

「そうか、そういうことか、ありがとうヤナック、これで奴らの狙いがなんとなく分かってきたぞ。」

 

 ヒカルはゲームで魔王が勇者に語っていた内容を思い出していた。確か、魔王は人間の負の感情を力としているといった描写があったはずだ。ゲームであれば単なる設定で、魔王の力はあらかじめセットされたデータに過ぎないが、ここは現実の世界だ。人間の負の感情によってその力が増幅されるとしても何ら不思議ではない。

 

「ザムエルの奴は、町の人たちや旅人を苦しめて、そこから生じる怒りや憎しみ、暴力に対する恐怖なんかを、何らかの方法で集めて、自分の親玉、例えば魔王とかに送ってるんだと思う。その方法は相変わらず分からないけどな。」

「ふむ、ありえるの。竜伝説においても魔王は負の感情の集合体、あるいはそれを糧とする化け物という位置づけになっておる。」

 

 しかし、疑問もある。先ほどザナックはさらりと流したが、今回対峙したモンスターたちの生みの親が今までと違うということは、彼らはバラモスの宝石モンスターではないということだ。なぜなら以前、炎の戦士と戦ったときに、彼はヒカルの『バラモスの宝石モンスター』という発言に、『そこまで知っているなら生かしておく訳にはいかない』という言葉を返している。この内容を信じるのであれば、今回の敵はバラモスたちとは違う、しかも宝石モンスターを作り出せるほどの力を持つ者を頂点に据える集団、ということになる。無論、これらはすべて原作知識と今までの情報を総合した、ヒカルの推察に過ぎないのだが。

 

「わ、儂には難しいことはよく判らんが、このまま放っておいたら町がどんなことになるか……。」

「そうですわね、目的がご主人様の考える通りなら、すぐに滅ぼされることはないとは思いますが……。」

 

 バスパが慌てたような、焦ったような声を上げ、モモがそれに応えるように難しい顔をする。確かに、モモのいうとおり、今すぐに町が滅ぼされる、などということはないだろうが、このまま放っておけば、ある意味では滅ぼされるより悲惨なことになりかねない。バスパを助けてしまった以上、見なかったことにするという選択肢も選べない。ヒカルはそのあたり、どこまで行っても平和な国のお人好しなのであった。

 

「でも、戻ってやっつけるとしてもどうするの? 何かの力でのぞかれていたりしたら、顔が判っちゃってるんじゃないのかな?」

「それは十分にありえるの、さて、どうしたものか……。」

 

 ミミが発した疑問に、ザナックは目を閉じて再び何か考え込んでいる。先ほどから、この場の全員が、厳しい表情を崩していない。日はすでにとっぷりと暮れ、空に浮かんだ月の光が、窓の外に広がる宵闇に光を灯している。その、青白い光と漆黒の闇で彩られたモノトーンの景色を、バスパはただ、じっと眺めていた。それはまるで、何かにすがるような、そんな表情であった。

 

***

 

 一夜明け、マイラの町はいつもと同じような朝を迎えようとしていた。朝日が昇りはじめる前から、港ではおもに漁師たちが、魚を捕るために船を沖へと繰り出しはじめていた。しかし、もしこの港町に長く住み、その生活を見続けてきた人間、バスパ老人のような存在がここにいたのなら、何かしらの違和感を感じたかもしれない。港から出る船に乗っているのは若い男たちのみで、いつも彼らをサポートしているベテランの漁師たちの姿がなかった。それでも、若者たちの声で活気にあふれた港はいつもと同じように動き始める。そう、若者たちも、まるでこれが当たり前のことであるかのように振る舞っている。ごく自然に声を掛け合い、スムーズな動作で順番に船を出していく。しかし、いつも頑固なベテラン漁師たちに叱咤されながらぎこちない動きで仕事をする彼らを見慣れている者たちからすれば、それは違和感のある光景と言って良かった。

 年長者たちはどこへ行ってしまったのだろうか? その答えは、この町でも一番大きなとある宿屋の一室にあった。

 

「さて、今回が最後の寄り合いだ。奴らには気づかれてねえだろうな。」

 

 部屋の入り口に立つ、小じわの目立つ中年の男、この集団の中では若い方に入るだろう者が、全員を見回して確認を取る。集まった者たちは他者と顔を見合わせ、それから大丈夫だろうという風にうなずき合った。

 

「大丈夫じゃろう、若い者たちががんばってくれてるからな。」

 

 男たちの集団は中年~初老のもので構成されており、その中でもひときわしわと白い髭の目立つ老人が、皆の言葉を代弁するように口を開いた。同時にそれが、彼らのいう最後の会合の、開始の合図となった。

 船に乗る者たちを総じて船乗りというが、その営業形態は一様ではない。大きく分けると魚を捕る漁船、荷物を運ぶ貨物船、人を乗せる客船などが挙げられるだろう。それらにしても捕る魚の種類や、運ぶ荷物の種類、客を乗せる船のグレードなどでいくつもに分けられている。そんな、船に乗る者や、港で仕事をする者など、船に関わる仕事をする者たちの組合というものが、ここマイラの町にも存在していた。港を支配し、町に台頭するゴルドに対して、彼らは今まで散々に煮え湯を飲まされた恨みを募らせていた。この町に暮らす海の(おとこ)たちは、程度の差こそあれ、性根はバスパ老人と大きな違いはない。多少荒っぽいものや、頑固な者がいるにはいたが、彼らは皆、海を愛し、己の仕事に誇りを持っていた。そんな彼らだからこそ、たとえ自分たち以上の力で押さえつけられていても、いつまでも不本意な状態で支配されることをよしとしなかったのだ。

 

「ザムエルの奴はいつもゴルドの館にいるわけじゃあねえ。たまに、今は使われなくなった別荘の方で何やら仕事をしているみてえだ。」

「狙うとしたらザムエルがいないときの方がいいな。あいつはさほど強いとは思えねえが、何かやたらに嫌なもんを感じるんだよなぁ。」

「ああ、俺もだ、俺たちとはまったく違う世界にいるような、うまく言葉にできねえんだが、まるで人間じゃあねえみたいだ。」

 

 男たちは一致して、ザムエルがいない間にゴルドの館を襲撃し、彼を倒して町の治安を取り戻そうとしていた。彼らはザムエルの正体など知る由もなかったが、理屈では言い表せない何か、そう、生物的な本能とでもいおうか、そういった類いの感覚が、彼らにザムエルに近づくことの危険性を知らせていたのだった。とにかく、船乗りたちはこの町の権力者に対する反乱を企てており、この世界にヒカルたちが住んでいた世界のような概念があるかは判らないが、それは確かに『革命』といえるものであった。

 

「しかし、向こうさんは力の強そうな連中ばかり雇ってやがる。俺たちも鍛えちゃあいるが、奴らは人を傷つけること、殺すことを生業(なりわい)とする連中ばかりだ。さすがに正面から突破するのは難しいかもしれねえぜ。」

「それなら心配ない、協力してくれるアテがある。」

 

 隣に座る男の疑問に、最年長の老人はにやりと笑みを浮かべて答えた。そして、自分の向かい側に座る人物へ視線を送る。そこには、青い僧侶服に身を包んだ、この場には明らかに場違いな男が座っていた。男は慈悲深い、いかにも聖職者といった穏やかな表情でかすかに笑うと、静かに口を開いた。

 

「心配はいりませんよ、我々教会の者たちが、皆さんの手助けをさせていただきます。」

「おいおい神父さん、そりゃあちいとばかりまずいんじゃねえのかい? 人殺しやけんかは御法度だろう、あんたたちは。」

 

 また別の男が上げた声は、この場にいる者たちの思いを代弁するものであった。

 教会とは、この世界の生命を司るとされる『精霊神(せいれいしん)』に仕える聖職者の団体だ。国境を超えて活動することもある彼らは、いかなる国家、組織にも属しておらず、ただ己が信じる神への信仰のみで組織を維持している。彼らはその信仰心を貫くため、いくつかの厳しい掟を定めていた。その中に、人間同士の争いに加担してはならないというものがあった。。モンスターなどが相手であれば別だが、通常人間同士の争いには、たとえ国家間の戦争であっても関与することはない。だからこそ、協力を申し出るこの神父の発言は、通常ではあり得ないことであった。

 男の問いに対して、神父はもっともだという表情で一度軽くうなずくと、優しいゆっくりとした、しかしはっきりとした口調で答えた。

 

「ですから、我々は傷ついた方々の治療に専念させていただきます。戦時でも負傷者の治療などは行っていますから、特に問題ないでしょう。今回は、特別に高度な回復呪文を扱えるシスターたちに来てもらうようにお願いしましたから、皆さんはケガを気にせず存分に力を振るうことができますよ。」

 

 おおっ、と声が上がる。この世界では呪文を扱える者は人間の中ではごく少数であるため、回復呪文の支援が受けられるとすれば大きなアドバンテージとなるだろう。それに、教会のシスターといえば、普段は人里離れた修道院にいて、滅多に人前には出てこないといわれている。その上超がつくような美人の集団だという噂もある。そんなわけで、いい年をした男たちの集団は、いろいろな意味で盛り上がるのだった。

 

「よし、それじゃあ今夜、ゴルドの館を襲撃する。あまり気が進まねえ者もいるだろうが、少なくともゴルドの奴はとっ捕まえろ。間違っても殺すんじゃねえぞ。……処遇は後日、選ばれた代表者の寄り合いで決めることにする。この話は商工会や自警団の偉いさんなんかにも通してあるが、この町に住んでる連中はほとんど知らねえ。計画が外に漏れないように十分注意を払って行動してくれ。」

 

 年長者の老人が皆の顔を見渡して、念を入れて最後の確認を行う。全員が無言で、しかししっかりとうなずいたのを確認して、彼は言葉を続ける。

 

「ゴルドの別荘の裏手に、非常食なんかがため込んである倉庫がある。普段は近寄る奴はいねえから、そこへ夕暮れ前に集合だ。神父さんがシスターたちを連れて、先に待っていてくれる手はずになってる。」

「はい、あの倉庫区画は半分ほどは使われていない建物です。非常時の避難場所を兼ねてますからね。十字架のマークがついている建物が教会の管理するものですので、そこへ入って食事でもしていてください。空き倉庫の扉は鍵を開けておきますから。」

「すまねえ神父さん、俺たちも協会に迷惑がかからねえように、あんたらを絶対に戦いには巻き込まねえように頑張るぜ。」

「ええ、どうかこの町に一刻も早く平穏を……。町の人たちや旅の方々が安心できるよう、よろしくお願いします。」

 

 そうして、にこやかに笑う神父と、男の決意を胸に秘めた船乗りの老人は、堅く手を取り合った。明日こそは、皆が心穏やかに朝を迎えられるように、そう願いを込めた誓いであった。

 

***

 

 さてその頃、同じ宿屋の別の一室では、2人の男が小さなテーブルを挟んで向かい合い、難しい顔をしていた。テーブルの上にはマイラの町の地図が広げられ、あちこちに何か文字が書き込まれている。

 

「こりゃ、思ったよりまずいことになっちゃってるわね……。」

 

 男のうちの1人がキセルをふかしながら、地図の書き込みを指でなぞってなにやら確認をしている。

「ああ、何かはわからないけど、大きな憎しみ、というか、闘争心というか、そういうものが町の至る所で感じられる。それに混じって、モンスターの気配が薄れてるみたいだ。」

 

 残るもう一人はやれやれと肩をすくめ、地図の一点をじっと見つめている。2人の男、ヒカルとヤナックは今朝早くからこの港町に滞在し、魔物たちの動向を探っていたのだ。あれから、今後どうするかを話し合ったのだが、メイヤの病が思ったよりも重く、とりあえずモモが薬師としての知識と技術をフル活用して治療してみるといってザナックの道場に残ることになった。そして現在に至っているわけだが、ここにはテーブルの上の地図とにらめっこしている2人しかいない。バスパとミグは元々この町から逃がしたのだから連れてくるわけにはいかない。メイヤが治療を受けているため、ミミが幼いミグの面倒を見るためにザナックの元に残ることになった。ヒカルはなんとか宝石モンスターたちの企みを阻止しようと、単身でもう一度町に戻ろうとしたのだが、その際に1人では何かと不便だろうと、ザナックの提案でヤナックが同行することになったのだ。

 

「朝、港の様子を見に行ったらどうも違和感があったんで、ちょいと調べてみたのよね。そうしたら、どうも今日はベテランの船乗りたちが顔を出してないって話差。しかも、ほとんど全員。こりゃあなんかあると探りを入れてみたんだが、結局それ以上のことはわからなかった。何かを隠しているのは確かなんだけどね。」

 

 モンスターたちに加えて、船乗りたちが何かをしようとしている? しかし、どちらもいったい何が目的なのかいまいち見えてこない。いや、人間たちの方だけを考えれば、ヒカルには予想していることがあるにはあったが、それは元いた世界であれば考えられる可能性であって、環境が全く異なるこの世界においても、人々の考えが同じように動くのか、はかりかねている部分があった。そのためヒカルは未だ決定的な情報が何もない状態で、自分の行動方針を決めあぐねていたのだった。やはり命のかかった戦いというものを、この世界に来るまでに何も経験していないものにとって、この世界で起こる戦いは、それこそ目前でリアルすぎる映像作品を見ているような、そんな考えの延長戦だったのかもしれない。しかし、この世界の住人であるヤナックにとっても、これから起こる戦いや男たちの覚悟など、想像できるものではなかった。彼はバラモスの存在をこの時点で知っている数少ない人間であるが、その脅威が身近に迫っているとはいえない。全体的に見れば、未だ世界は平和であり、それを脅かす者たちの恐ろしさを本当に知っているのは、ゾイック大陸のごく一部に生きる者たちくらいであろう。

 

「とりあえず、なんとも薄気味悪いけど、しばらく様子見だね、こりゃ。酒場も今の時間じゃそんなにたいした情報は手に入らないだろうし。」

「ああ、ヤナックも朝から大変だったろう、夕方くらいまで自由にしててくれ。」

「まったく、俺にあんたの手伝いしろとか、お師匠も何考えてんだか……。そいじゃ俺はしばらく、適当に時間潰してきましょうかね、休憩休憩っと。」

 

 ヤナックはそう言うと、そそくさと部屋を出て行った。敵対的な態度は以前と比べればなりを潜めている。それこそ、所見の人間が見れば気づかないだろうくらいには、表面上の2人の会話には特に敵対的なところはなかった。それでも、やはりコンプレックスから来る嫉妬というものは、そう簡単に消せるものではないのだろう。長く顔をつきあわせていれば、どこかで本音が漏れ出てしまう。そういったことを意識しているのか、ヤナックはこの町に来てから、いやおそらく、ヒカルがバスパたちを連れて戻ったときから一貫して、必要以上のことを口にしないようにしている、ヒカルにはそう思えた。

 

「やっぱまだまだ距離おかれてるなあ。俺、嫉妬されるほど才能あふれる人間じゃないんだけど。」

 

 実際、ヒカルはただのサラリーマンだ。能力もいたって平凡であり、誰かの才能をうらやむことはあっても、その逆の立場に立ったことなどなかった。しかしどういうわけか、この世界に来て魔法だけは人並み以上に使えるようになった。そのことでまさか自分が才能あるものとして評価され、嫉妬の対象になるとはさすがに予想できないことだった。そのため、ヤナックに向けられる感情は理解はできても、納得のできるものではなかったのだ。

 

***

 

 マイラの町にある倉庫区画は、港の一番西側の端にもうけられていた。それなりに広い面積が確保されてはいたが、常時使われているのは港に最も近い場所にあるごく一部だけで、それ以外は非常時の備蓄食料や、滅多に使わない物品、例えば祭りの道具などが置かれており、そういった場所には普段はまず人が近づくようなことはなかった。加えて、災害が起きたときなどの避難場所を確保するため、かなりの数の建物が空いた状態となっていた。また、この場所はゴルドの別邸からほど近く、計画を実行するには最適の場所であった。

 そんな、見た目も似たように単純で、しかしそこそこ頑丈な建物のいくつかには、入り口に様々な文様が掲げられている。それは各々の所有者や所有団体を示すサインであった。そのうちの1つ、入り口に十字架の印が掲げられた建物へ、1人の男が近づいていた。質素な布の服に身を包んでいるが、その下の肉体は鍛え上げられており、露出している日に焼けた手足は今までの武勇を誇るかのごとく、いくつもの古傷をのぞかせていた。男は入り口の扉のカギがかかっていないことを確認し、その中へと入っていった。中は薄暗いが明かりが灯してあり、歩き回るのには問題がない程度の視界は確保されていた。

 倉庫の棚には様々なものが木箱や坪、タルなどに入れられて整理されており、所狭しと並べられていた。平時でもきちんと管理されている証拠に、中は多少ほこりっぽい部分もあったが、カビの匂いなどが漂っていることもなく、静かで落ち着いた空間となっていた。

 一番奥、入り口から最も遠い場所には小さなテーブルがあり、その中央でランプの火が赤々と燃えている。それに照らされて、パンや肉、野菜や果物など所狭しと並べられた食べ物が配膳されていた。確か神父は食事でもして休んでいてくれと言っていた。ここにアルものも食べてかまわないのだろう。テーブルを囲む椅子と同じ数だけの食器が、きれいに並べられている様子をしばし眺めて、男は椅子の1つに座って軽く食事を済ませることにした。

 

「あら、お早いお客様ですこと。」

 

 急に、背後からかけられた涼やかな声に、男は引かれるように振り返った。自分の真後ろには、倉庫の二階へ続く急な階段が設置されていた。半分梯子のような作りのそれは、取り外しの出来る簡易的なものであったはずだ。今、そのすぐ脇に濃紺の修道服を着たシスターが立っており、こちらを見つめている。年齢はよくわからないが、あどけなさの残る顔から未だに20代には達していないように見受けられる。修道服の上からでは体型も良くは分からないが、盛り上がった女性特有の双丘の膨らみは、男の目線を一瞬止めさせるほど美しい形を想像させた。シスターは子供っぽい笑みを浮かべながら、男に近づいてさらに話しかけてきた。

 

「ごめんなさい、驚かすつもりはなかったんですけど。さあ、お出かけになる前にこちらのものは自由に召し上がってください。ここに上がっている以外にも、たくさん用意してありますので、遠慮なさらず。」

「あ、ああ、すまねえな。」

 

 男はシスターに勧められるまま、かごに盛られている大きなパンを取り、適当にちぎって口の中に放り込みはじめた。シスターは彼のちょうど向かいに座り、その食べっぷりをじっと見ている。時々口元が嬉しそうに微笑んでいるのが分かる。決して悪い光景ではないのだが、食事をじっと見られているというのはなんとも居心地の悪いものである。

 

「シスター、こんなオッサンの行儀の悪い食事風景見ても、おもしろくもなんともねえだろう。何でそんなに嬉しそうなんだ?」

「あ、すみません。食事を見られるのっていやですよね、その、ごめんなさい。」

 

 シスターは申し訳なさそうに少しうつむき、また再び顔を上げた。その顔は優しく微笑んでいたが、瞳の奥に映る悲しい色を垣間見たような、そんな感覚を男は覚えた。

 

「お父さんが生きていたら、こんな風に食べてくれるのかな、って。そのパン、私が焼いたんですよ。」

「……そう、か。なかなかうめえぞ、これ。」

 

 男はシスターの口ぶりから、だいたいの事情を察したが、さらに深く訪ねるようなことはしなかった。しばらくするとシスターは立ち上がり、上階へと続く階段の方へ向かってゆっくりと歩き出した。そして、一度立ち止まって、大きな骨付き肉にかじりついている男の背に向かって言葉を投げかけた。

 

「お食事が済んだら上へ上がってきてください。戦いに行かれる前に、私たちの方で簡単な魔法的支援をさせていただきます。」

「魔法的……支援?」

「あ、はい。簡単に言うと、戦いを有利に進めるためにいくつか魔法をかけておく、ということです。少し儀式的なことをしますが、苦痛はないので受けていってください。むしろ気持ちいいと思いますよ。」

 

 振り返らないまま問うてくる男に答えを返し、シスターの女は上階の闇へと姿を消した。船乗りの男には魔法の知識などなかったから、シスターが何をしようとしているのかは皆目見当がつかなかった。しかし、彼女の様子から、何かおかしなことをされるような気はしなかった。それに、先ほどから口に運んでいる食事も、質素に見えるが素材を選んでいるらしく、非常に美味いものばかりだ。それに、なんだか気分が高揚して力があふれてくるような感覚がするのは、おそらく気のせいではないだろう。これらの食事も、戦いに赴く者たちに用意されたもので、何か特別な魔法でもかかっているのだろう、男はなんとなくそう思っていた。

 男がもっと魔法に対する知識を持っていたなら多少なりともこの先の未来は変わっていたのかも知れない。この世界においてはもちろん、ドラゴンクエストというゲームにおいて、支援魔法を戦闘開始前に使用するという概念はほぼ皆無である。少なくとも魔法という手段を行使する限り、それは戦闘中に行うものである。しかもその種類は決して多くなく、守備力を上昇させる防御呪文(スカラ)集団防御呪文(スクルト)、攻撃力を上昇させる攻撃倍加呪文(バイキルト)、炎や吹雪を軽減する寒熱防壁呪文(フバーハ)くらいが良いところである。素早さを挙げる呪文なども存在はするが、特別な局面でなければまず常用されることはない。ほかのRPGにおいて割とオーソドックスな精神耐性強化、呪い対策、状態異常耐性などの対策も呪文では行うことが出来ない。それは、世界の法則がドラゴンクエストというゲームをベースに成り立っているこの世界でも例外ではなく、魔法やアイテムの知識に長けたものであれば、この状況に違和感を覚えるはずなのだ。そう、だからこそ、知識のない「彼ら」は選ばれた、ともいえるのだが。

 男はある程度腹を満たすと、シスターが登っていった階段を同じように上り、ほどなくその姿は見えなくなった。テーブルの上には乱雑に置かれた使い終わった食器が1組と、まだまだたくさん残っているごちそうが、揺れるランプの炎に照らされて、次に訪れる者を静かに待っていた。

 

***

 

 いつの間にか、西に傾いていた日は落ち、あかね色に染まっていた空は少しずつよるの闇に落ち始めていた。いくつかの倉庫の半開きになった扉から漏れる光が、わずかに周囲を照らしているが、街頭などないこの町では、倉庫区画の様子を肉眼的に捉えることは、夜目の利かない人間にはまず不可能であろう。

 質素な作りの倉庫の1つ、その扉が開かれ、船乗りらしき男と若いシスターが姿を現した。男は何か決意を込めた瞳で夜空を見上げており、シスターの方はそんな男をじっと見つめている。何故か、その頬は上気し、わずかに赤く染まっている。瞳は潤み、何かの余韻に浸っているようにも見える。ただ、その様子は夜の闇に阻まれ、一番近くにいる男ですら正しく認識することはできないだろう。

 

「大丈夫か? 無理して歩かない方が良い。」

「大丈夫です、これが私の……役目ですから。」

「役目、か。じゃあ、何が何でもこの町を、あいつらから取り返さなくちゃあな。それが俺の役目だ。」

「どうか、ご無事で……。生きて帰ってきてくださいね。」

「ああ。」

 

 男はシスターがどのような状況であるかを、見なくても理解していた。気遣いを見せる男に、シスターは何でもないというように笑って見せた。その笑顔はひどくもろく、今にも崩れてしまいそうに見えて、男は彼女を抱きしめてしまいそうになる。が、そんなことが何の助けにもならないということを、彼はよく知っていた。

 男の身体はうっすらと汗がにじんでおり、夜風が心地よい涼しさを与えてくれている。もうかなり寒い季節のはずだが、これも魔法的支援のおかげか、それに必要だと行われた儀式というもののせいなのか、彼の体は寒さで身震いすることはなかった。

 男は一度、シスターの顔をしっかり正面から見据える。よく見ると修道服で全身のかなりの部分が覆われている彼女の顔も、うっすらと汗がにじんでいるのが、薄暗い中でもなんとなく分かる。男は彼女に背を向けると、目的地に向かって歩き出した。夜の闇がマイラの町を覆い尽くす前に、目的地へ向かうべく、その姿はシスターから遠ざかっていく。

 男を見送るシスターは、徐々に暗くなって逝く町の中へと、男の姿が消えてしまっても、まだその場から動けずにいた。その目からこぼれる一筋の滴は、戦いの片棒を担いでしまった故か、船乗りの男に最愛の父親の姿を重ねたからか、あるいは、行われた「儀式」の故か……。それは誰にも分からない。そう、たとえ彼女本人だとしても、だ。

 

***

 

「ヒカルっ! 起きているか! 大変だ!!」

「ヤナック、お前も感じたのか?!」

「ああ、とんでもなく邪悪なエネルギーが、こ、この宿の真下から……!」

 

 深夜、誰もが寝静まっている暗闇の世界で、2つの出来事が起こっていた。そのうちの1つは今、ヒカルとヤナックが滞在している宿の、ちょうど真下あたりから恐ろしく邪悪なエネルギーが感じられるということだ。もっとも、彼ら2人の魔法使い以外に、そのことを察知できるものは、この町には誰もいないのだが。

 

「やっぱり予想は当たっていたようね。ザムエルとかいう奴は多分モンスターか、それに関わりのある奴で、何らかの理由で邪悪なエネルギーを集めている。」

「ゴルドと町の人を争わせて、そこから生じる負の感情をエネルギーに変えている……!」

 

 ヒカルとヤナックは言葉を交わしながらも、邪悪なエネルギーの出所を探して回っていた。それは放出されているというよりはむしろ、一カ所に集まってゆくような感覚で、彼らには感じられていた。しかし、どんなに探してみても、この宿にははっきりとわかる地下への入り口などはなく、どこでエネルギーが集められているのか、彼らにはわからなかった。さらに悪いことに、宿の従業員やほかの宿泊客の姿が見当たらない。殺されたか、何か別な手段を使われたのか、ここにいる人間はヒカルとヤナックのみであった。

 

「くっそう、何がどうなってやがるんだ。死体でも転がっているならまだしも、誰もかれも消えたようにいなくなって、もぬけの空なんて。薄気味悪いったらありゃしねえ。」

「ヒカル! 危ない後ろだ! バギ!」

「つっ……!」

 

 ドサリと何かが落ちる音がして、慌てて振り返ったヒカルの目の前に、大きな虫のようなモンスターが胴体の真ん中から両断されて転がっていた。外見から判断するに、「さそりばち」系統のモンスターだろう。薄暗い中で、その色を認識する前に、姿はかき消えて宝石になってしまったので、正確に何だったのかはわからなかった。しかし、それを悠長に考えている暇もなさそうだ。」

 

「ヤナック、伏せろっ! ギラ!」

 

 身をかがめたヤナックの頭の上を、光の帯がかすめるように広がっていく。そこから発した炎は、相対するカウンターにぶち当たると同時に、その陰に身を隠していた者たちをあぶり出した。

 

「キッヒヒ、お前たちがザムエル様の周りをかぎ回っていた奴らだな、邪魔立てはさせんぞ。全員、かかれっ!」

「「「「「メラ!」」」」」

 

 薄汚いローブを着た怪しげな5人の集団が一度に展開し、火炎呪文(メラ)の火球を同時に浴びせてくる。ヒカルはとっさにバックステップで距離おとり、自分とヤナックの周りに魔法力を展開する。

 

「ヒャダルコ!」

 

 放たれた魔法力は冷気の防壁となり、5発のメラを完全にかき消した。同時に上がった水蒸気が2人の人間をモンスターたちの視界に映らなくする。

 

「吹き飛べ! バギ!」

 

 水蒸気の煙の中から飛び出したヤナックが、敵の「まほうつかい」5体に向かって放った呪文は、瞬く間に突風を引き起こし、触れる者たちを切り刻んでいった。そして、小さな突風が収まった頃には、まほうつかいたちの姿はなく、床には散乱したカウンターの木片と、わずかな光に反射する数個の宝石があるだけだった。

 

「ふうっ、なんとかなったか……。」

 

 ヒカルは改めて、戦闘後の周囲の状況を見渡し、ふうと息を吐いた。この宿がどういう状況にあるのか、店主を初めとした従業員と宿泊客らはどうしたのか、そのあたりは未だ分からない部分が多い。ただ、自分たちのことに限っては、限りなく危険な状況であるのだけは間違いないようだ。

 

「ほう、まほうつかい達を倒したのか。やはり油断のならぬ奴よな。」

「誰だ!。」

 

 不意に、どこからともなくかけられた声に、ヒカルとヤナックはあたりを見渡した。そして、いつの間にか宿の入り口近くに、顔色の悪い商人風の優男が立っているのに気がついた。その男は、青白い顔に張り付いたような笑みを浮かべ、徐々にヒカルたちに近づいてくる。

 

「初めまして、だな。人間の魔法使い。私はザムエル。ゴルド様のお抱え商人のようなものだ。」

「ヒカル、こいつは……。」

「ああ、ヤナック、やっぱ思った通り、人間じゃない、宝石モンスターが化けているみたいだぜ。」

「ほう、そこまで分かっているのか、ならば、生かしておく訳にはいかないな……! 部下どもが始末できればよかったが、やむを得ん。私が直々にあの世に送ってやろう。」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ザムエルの体が黒い霧のようなものに包まれ、しかしわずかな時間でかき消えた。そこにあった姿は、怪しげな仮面を被り、白いローブに緑のマントを着用したものへと変わっていた。ローブの前面にはこうもりのような模様が縫い付けられており、長く垂れ下がった袖口から見えるその手の指が5本ではなく4本で、この存在が人間ではないことを示していた

 

「魔術師、か……!?。」

「それだけじゃないみたいね、まだまだ伏兵がいるようよ。こりゃあかなり分が悪いね。」

 

 そう言いながらヤナックの顔はすでにザムエル、魔術師の方を向いてはいない。そして、魔法のかごに乗ったまま別の一点を目指して飛んでいく。

 

「むっ、逃がすか! ギラ!」

「ギラ!」

 

 ヒカルは魔術師の発動句に重ねるように同じ発動句を紡ぎ、ほぼ同時に放たれた閃熱呪文(ギラ)は激しくぶつかり、ヒカルと魔術師のほぼ中間でいっそう強い光を放つ。

 

「むっ、おのれ!。」

 

 衝突した2つの呪文が巻き起こす熱波と、強い光に一瞬魔術師は敵への注意をそらしてしまう。しまったと思い、もう一度先ほどまで人間の魔法使いが立っていた位置に目をやれば、そこにはもう誰の姿もなかった。

 

***

 

 そのころ町の別の場所で起こっていたもう1つの出来事は、後に「流血の革命」などというあまり聞こえの良くない名前を後の時代の歴史家たちによってつけられてしまうものであった。夜の闇に紛れてゴルドの邸宅前に集まった船乗り達は、勢いに任せて強行突入を図ったのだ。荒っぽい海の男達と、荒事のために雇われた屈強な男達との戦いは、通常であれば後者の方に軍配が上がっただろう。しかしこの夜は違った。どういうわけか船乗り達の動きが、裏社会でそれなり以上に腕を振るってきたはずの者たちと互角どころか、それ以上のキレを見せていたのだ。。

 

「今までよくも町の(もん)を苦しめてくれたなぁっ!!! もうがまんならねえ!」

「ぐっ、ぐあぁっ! く、くそったれ、なんて馬鹿力だ!。」

「オラオラオラオラ! どけやぁゴロつきども!」

「ど、どうなってやがるんだ、ホントにただの船乗りかよぉ!?」

 

 動きの速さだけではない。武器を振るう力も、戦いを前にした気構えも、とても一般人のそれを軽く凌駕していた。船乗り達は確かに、海に出るたび自然と、魔物たちの脅威にさらされており、ほかの住人達と比べれば戦い慣れしているといえただろう。しかし、対モンスター戦と対人戦では勝手が違う。それに、人間というものは同族に対する攻撃を通常は躊躇してしまうものである。裏社会で常に「対人間」の殺し合いを身近に感じている者たちに比べれば、船乗り達は対人戦に不慣れであると言い切ってよく、この状況で優勢に立つ可能性はほとんどゼロだと言ってよかった。ゴルドに雇われた荒くれ者達は普段の勢いはどこへやら。終始押されている状況をまるで理解できないでいた。船乗り達の集団は徐々に館の護りを突破し、建物の内部へと侵入していく。そんな中で、荒くれ者たちは、攻め入ってくる集団に違和感を覚えていた。

 

「ど、どうなってやがんだ? あいつは確か……!?」

「オラオラアァツ! よそ見してんじゃねえっ!」

「ぐっ、くそったれええぇつ!」

 

 その男、頭を丸坊主にした筋肉質の巨漢は、自分と戦っている相手ではないある1人の敵の様子に驚いていた。そいつは確かに、少し前に自分の拳で床にめり込ませてやった相手のはずだ。かなりの力と速度でたたきつけたため、床板が体に刺さり、骨も何本か折れていて重傷といってよかったはずだ。とどめを刺す前に邪魔が入り、ほかの仲間に救出され前線を離脱したが、こんなに早く復帰できるはずがない。しかもどう見ても、傷ついた体はその痕跡も見られないほどきれいになっており、動きもまったく疲労が見られない。つまり無傷で体力満タンな状態なのだ。

 

「そんなバカなことが……! はっ!」

「そこだあぁっ!!」

 

 気にしてはいけなかったのだ。命のやりとりをしている最中にほかのことに気を取られるなど、戦いに身を置くものとしてあるまじきことだ。しかし、無理もないだろう。このとき船乗り達に起こっていたことを、ゴルド陣営はなにひとつ把握できていなかったのだから。いや把握できたとしても、理解することなどできなかっただろうが。

 

「うごあぁっ!!」

 

 がふっ、と口から血を大量に吐き出し、坊主頭の巨漢はその場に倒れた。その腹には先を尖らせた木の棒が深く突き刺さっていた。通常であれば、鍛え抜かれた筋肉隆々の男手あれば、全神経を防御に集中することで、この程度の攻撃であればほぼダメージを受けることはない。しかし、ほかのことに気を取られていたことと、木の槍とでもいうべき獲物にかけられたバイキルトの呪文の効果により、男の頑丈な身体は貫かれてしまったのだった。突き刺さった木の棒からは淡い光が放たれており、これが通常の棒きれではないことを明確に示していた。

 ゴルドとその部下達は知らなかった。船乗りに協力を申し出た新婦が、招き入れたシスター達の回復呪文(ベホイミ)で、傷つき前線から離脱した者たちを完全回復させ、再び送り出していたことを。さらに、さまざまな魔法効果のかかった食事を取らせることで、一定時間持続する補助呪文と同じ効果を与えていたことを。そして、シスター達と船乗り達の間である「儀式」を行わせ、戦闘に対する恐怖を拭い去る精神力強化を施していたことを。さらに、これらの対策が教会のいち神父の力で行えるものではないことを、この場の誰も知らなかったのだ。

 

***

 

 なんとか宿屋の外へ出たヒカルとヤナック。しかし彼らの眼前に、黒い塊のようなものがふっと現れ、それはすぐにモンスター、魔術師の姿となって彼らの行く手を塞ぐ。

 

「逃がすと思うのか?」

「ま、そうだろうね……、ヒャド!」

「なんの、ギラ!。」

 

 ヤナックの放った氷結呪文(ヒャド)の冷気は、間髪入れずに唱えられたギラによって打ち消された。閃熱に当てられた冷気が白い水蒸気をあたりに充満させ、またも視界の悪い状況になる。

 

「うわっ、しまった!」

 

 邪悪な気配に反応して振り返ったが遅かった。敵は獣型のモンスターのようであり、身体能力が並の人間と変わらないヤナックの遙か上を行く速さで迫ってくる。夜の闇に紛れ、その全貌まではわからないが、こちらと違って相手は夜目がきくようだ。

 

「ぐはっ!」

「ヤナック! くそ、光の精霊よ、闇を照らす道標を与えよ、レミーラ!」

 

 ヒカルは手を高く突き上げ、上空に魔力を放つイメージで呪文を唱える。瞬間、ヒカルを中心とする直径数十メートルほどが照らされ、今まで見えなかったものが昼間のように鮮やかに視界に映り込む。そして、青い体毛のウサギのようなモンスターの頭に生えた角が、ヤナックの腹部に突き刺さっているのが、少し離れた位置からでも確認できた。

 

「く、くそう……!」

「ラリホー。」

 

 どこから声が出されているのか全く分からないそれは、しかし確かに対象を眠らせる睡眠呪文(ラリホー)の発動句を紡いでいた。ヤナックの腹に突き刺さった角が怪しく光ったかと思うと、魔力を直接送り込まれたその体は弛緩し、まぶたは次第に閉じられていく。ほどなく角がずるりと引き抜かれ、ターバンに赤ジャケット姿の青年は腹部から血を流しながらその場に倒れ服した。

 

「アルミラージかよ……! けど、離れてくれたなら好都合だ! ドルマ!」

「ギエェエ!」

「天の精霊よ、我に翼を! トベルーラ!」

 

 ヒカルの身体が青白い光に包まれ、その体を浮遊させる。そして魔物の目にさえも止まらない速度で飛翔し、アルミラージの肉体が消え失せる頃には、ヤナックの傍らまでたどり着いていた。

 

「しっかりしろ、おい!」

「くくっ、無駄なことだ。ラリホーの魔力を直接身体にたたき込まれたのだぞ? その程度で目を覚ますわけがあるまい。」

「時の精霊よ、かの者に目覚めの時を告げよ、ザメハ!」

 

 ヒカルは即座に左手をヤナックの顔にかざし、覚醒呪文(ザメハ)の呪文を唱える。しかし、その間も腹部から流れ続ける血液が、ヤナックの生命をむしばんでいく。

 

「無駄なことを。目覚める前に出血で死ぬのがオチ……、何だとっ?!」

 

 相手をあざ笑う余裕の態度を見せていた魔術師は、しかし次の瞬間に驚愕に目を見開いた。……最も素顔は顔で隠れているために、他者からは見えないのだが。しかしこのときヒカルが取った行動は、魔術師だけでなく、彼の部下であるモンスター達をも、一瞬硬直させるような光景であった。

 

「ヤナックの血肉よ、その傷を癒せ、ホイミ!」

 

 ヤナックの腹部に当てられたヒカルの右手から淡く緑色の光が放たれ、傷を塞いでいく。幸い、傷口が大して広くなかったことで、最下級である回復呪文(ホイミ)でも問題なく出血を止めることが出来たようだ。

 

「ん……、ヒカル? お、俺は……。」

「しばらく休んでいろ、俺の未熟なホイミじゃ失血までは回復できない。」

 

 目を覚ましたヤナックだが、さすがに出血量が多かったのか、まだ起き上がることができないようだ。この時点で、魔術師の手の者と思われるモンスター達がヒカルとヤナックを取り囲み、じりじりとこちらへ迫ってくる。1対多数という状況に持ち込まれ、かなり不利な状況だ。

 

「ふふ、はははは、さすがに驚いたぞ人間。レミーラをあのような目的に使ったばかりか、2つの呪文を同時に行使できると鼻……。やはり貴様は危険すぎる。今すぐ始末した方が良さそうだ。」

「……を眩き閃熱のもとに蹂躙せよ! ベギラマ!」

「何っ!」

「ダラダラ長台詞を喋っているからだ!」

 ヒカルの手から放たれた閃熱呪文(ベギラマ)は、取り囲んでいたモンスター達を炎に巻き込み、一瞬にして宝石へと変化させる。しかしさすがにすべてとは行かず、手負いのものや、無傷のものが散見される状況だ。それでも呪文1発で、敵の数をかなり減らしたことは間違いないだろう。

 

「くっ、おのれ……! こうなればやむを得ん! 暗黒の宝珠(オーブ)よ! 我に力を!」

 

 魔術師の叫びと伴にその右手に黒い霧のようなものが集まってゆき、それは次第にゆらめく炎のようなものを形作っていく。モンスターの手がゆっくりとヒカルたちの方へ向けられ、その手に宿る力を放つ言霊が紡がれる。ヒカル1人ならよけるという選択肢があったが、手負いの仲間を置き去りにすることはできず、必然的にその場での防御を選択せざるを得なくなる。

 

「消えてなくなれ! ベギラマ!」

「くっ、ヒャダルコ!!」

 

 宣告、5発のメラを防いだのと同じように、ヒカルは凍結呪文(ヒャダルコ)を周囲に展開することで、ベギラマの炎を打ち消そうと試みた。しかし、通常の閃熱ではない漆黒のそれは、張り巡らされた冷気の壁を突き破り、2人の人間へと迫り来る。

 

「くっ、だめだ、逃げられない!」

「く、くそうっ、俺が動けないばっかりに……!」

 

 どれだけ悔やんでもこの状況はいかんともしがたい。RPGにおいて、魔法職は後方支援が専門である。屈強な前衛がいてこそ、魔法の力を十分に発揮できるのだ。この場にはヒカルとヤナックの盾になって攻撃を受けてくれる盾役(タンク)も、詠唱の時間を稼いでくれる攻撃役(アタッカー)もいない。

 黒くまがまがしい熱波は、2人の魔法使いを飲み込み、その身を焼き焦がしていく。ヒャダルコでかなり減衰されているため、致命傷とはならないが、しつこくまとわりつく黒い炎は、肉体の内部にも軽くないダメージを与えていた。

 

***

 

 ゴルドの手勢と船乗り達の戦いは苛烈を極めた。といっても、ゴルド陣営が一方的な被害を出していたわけではあるが。いずれにしても、この世界の人間レベルの戦いとしては、尋常ならざる量の血が流されたのは事実であろう。豪華な調度品や装飾に彩られた館はどこもかしこも血に染まり、多くの死体が転がる地獄絵図のような状況と化していた。戦いが長引くにつれ、船乗り達の攻撃は勢いを増し、ゴルドの館を守る屈強なはずの男達の骸は、元の人物の原形をとどめないほど無残な姿をしているものばかりになっていた。

 

「あの扉が最後だぞ!!」

「ぶち破れ!!!」

 

 ついに、館の最奥部にある部屋の重厚な扉が破られた。正確なことはわからないが、かなり分厚く重厚な鉄の扉を、2人の男が持つバトルアックスが打ち破る様は、医用としか表現できなかった。その2本のオノもまた、淡い魔法の光に包まれていた。

 

「ひ、ひいぃっ!。」

「よぉ、ゴルド。今まで散々俺たちをいいように使ってくれたよなぁ。」

 

 1人の船乗りが、部屋の奥にいるガウン姿の男に向かって一歩、又一歩と近づいていく。近寄られた小太りの冴えない風貌の男は、1歩、また1歩と後ずさるが、とうとう壁際まで追い込まれて逃げ場を失ってしまう。

 

「か、かか金ならいくらでも出す! もうお前達には何もしない、だ、だから……。」

「助けてくれってか?」

 

 追い詰めた側の男は、やれやれといった風にひとつ深いため息をつき、それから、人間のどこからこんな声が出せるのかというほどの大声で、そのうちに秘めた怒りをゴルドへたたきつけた。

 

「ふざけんじゃねえっ!!! てめえがいったいどんなことをしやがったのか、よおっく考えてみやがれ! てめえの欲のために町の者やよそから北旅の人たちをさんざんに苦しめやがって!!!」

 

 その男の声は部屋を、ともすれば館全体を振るわすかのような怒号であった。それがまだ言葉として聞き取れたのは、この船乗りの男が見た目によらずかなり理性的な人間であったからに他ならない。よくよく見れば、部屋に踏み込んだほかの男達の目は血走り、まるでどこかのごろつきのように下卑た笑みを浮かべているものさえいる。彼らは町を救うという当初の目的を忘れ、いつしかゴルド個人に復讐を果たす修羅の集団と化していた。

 

「おい、ゴルドの家族を見つけてきたぜ、オラ! 入れや!!。」

 

 部屋に入ってきた別の男が、縄でグルグル巻きに縛られた何者かを室内へ向けて蹴り飛ばした。手足を拘束されているため抵抗も出来ず、受け身も取れないその人物は、嫌な音を立てて床に倒れ服した。

 

「あ、あぁ。」

「や、やめてくれ、妻だけは、どうか妻と娘だけは……! そうだ娘は、娘のミーアはどこへ?!」

 

 先ほどまでのおびえていた姿とは一転して、ゴルドは船乗り達にくってかかる。それを見ていた、先ほど、おそらくゴルドの妻なのだろう人物を蹴り飛ばした男は、つまらなさそうな顔をして言い放った。

 

「ああ? 娘? 知らねえな、あ~でも、勢いに任せて突入してきたからよ、巻き込まれてお亡くなりになっちまったかもなぁ?」

「そ、そんな、た、頼むから妻だけは、妻だけは助けてくれ!」

「ああ? ふざけんじゃねえぞてめえ!!! てめえのふざけたやり方のせいでな、病気の家族の治療代が払えなくて死なせちまった奴や、ここにいる連中みたいなゴロつきに、娘をおもちゃにされたなんて奴もざらにいんだぞ!!! それを何か? てめえの家族だけ助けてくれってか?」

 

 ゴルドはそこで、返す言葉を失った。船乗りの男達の殺気に当てられてしまったからではない。怒りにまかせた怒号混じりの言葉とはいえ、彼らの主張はしごくまっとうなものに思えたからだ。元々彼は、多少欲深いところがあったとしても、少なくとも自分の家族の身を案じる不通の夫であり父親であったのだ。……もし、自分の家族が誰かのせいで死んでしまったり、人生を狂わされたのなら……? それを思ったとき、彼はここへきてようやく、本来の精神を取り戻したのだ。だからこそ、自分に怒りをぶつけてくる男の言葉に、何も言うことができなかったのだ。それは人として正しい心を取り戻しはじめていたともいえるが、すべては遅きに失していた。

 

「さあて、こいつをどうするか……。ゴルドよ、てめえの処遇は町の偉いさん達が決めるってよ、だから殺しはしねえ。だが……!」

 

 ゴルドは今度も何も言わなかった。船乗り達の目から理性の光が消え、何を話しても無駄だということを悟ってしまったのだ。絶望してしまったと言い換えてもいいだろう。そして、これからゴルドの妻に対して行われた仕打ちは「流血の革命」の最後を締めくくる惨劇として、後の世まで語り継がれることとなる……。

 

「やっちまえ!!!」

 

 その夜、大商人の豪邸に、女の悲鳴と、男の悲痛な叫びが響き渡った。それは館の襲撃騒ぎで静寂を破られた夜の港町に、消えない深い傷を刻み込んだのだった。

 

***

 

 ヒカルとヤナックはもはや、満身創痍といって差し支えない状況であった。ベギラマのダメージをその身に受けながら、彼らは勇敢に戦い抜いたと言ってよいだろう。しかし、初手から多くの呪文を行使してきたことで、未熟なヤナックのMP(マジックパワー)はとうに枯渇し、ヒカルのそれももはや風前の灯火であった。

 

「ほう、あれをしのいだか、ますます人間にしておくのは惜しい奴よ。ヒカルといったか、その名前、覚えておくぞ。……さあ、殺れ、おまえたち!」

 

 魔術師は勝利を確信し、残った部下達に攻撃の指令を飛ばす。3分の1程度に減ったが、それでも10体ほどいるモンスターの群れが、ヒカルとヤナックに向かって襲い来る。先ほど見たアルミラージが数体と、お化けアリクイ、さそりばちなど、どれも中級呪文1発で片付けられる程度の敵だが、今のヒカルには集団に有効な呪文を行使するだけの力はもはや残ってはいなかった。彼らの身体はまもなくモンスター達の爪や牙角などによって引き裂かれ、かみ砕かれ、あるいは貫かれることだろう。ヒカルの灯したレミーラの効果が薄れはじめたとき、モンスターの集団はすでに目前まで迫っていた。

 

「バギマ!」

「な、何だと?!」

 

 ヒカルたちが死を覚悟し、目をつぶった瞬間、聞き覚えのある声が響き、強烈な風が彼らの体をあおる。そして、不気味なモンスターの悲鳴と、何かがはじけるような音が聞こえてきた。ヒカルは周囲で起こっている事態を予測しながら、ゆっくりと目を開けた。

 

「ホッホッホッホッホ。」

 

 果たして、そこには節くれ立った杖を持った老人が、ふよふよと宙に浮きながら、まじゅつしを見据えていた。その小柄な姿からは想像も出来ないような膨大な力を本能で感じ、魔術師は身動きを封じられてしまっていた。

 

「まだまだ修行が足りんのう、2人とも。」

 

TO BE CONTINUED




※解説
バイキルト:攻撃力を2倍にするおなじみの呪文。本作では対象者と武器の両方に効果を示す設定にしている。いてつくはどうで消されるたびにかけなおしていたのは良い思い出。唱えられる奴が貧弱で先に死んでしまうこともよくある。
ホイミ・ベホイミ:おなじみ回復呪文。ヒカル君は回復系も使えますが苦手です。ヤナックはまだまだ未熟なのでこの時点では見習得ということにしました。
食事によるバフ:D&Dなどではわりと不通だが、食事を取ることによる追加効果というものがある。ドラクエでは通常はないが、この世界ではそういった考えの出来る奴が、少数ながらいるようだ。
黒いベギラマ:あるアイテムの力により、魔術師は魔力を増強されており通常は使えないベギラマが行使できる。しかもそれは通常のものとは異なる性質と、高い攻撃力を備えている。

負けイベント発生! ということで
なんと ザナックが たたかいに くわわった!
しかし、町の革命の方は……。
嫌な予感しかしませんねえ。

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