【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

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ちょっと全体的に長くなってしまいましたが、ようやく下地が整いました。次話はこの続きになりますが、魔王討伐→魔法学校(仮称)の開校までで、とりあえず話の大筋は一区切りです。
時系列的にはこのお話の終了時点で原作開始8年前になります。
1話開始時点 原作開始10年前(春) 
20話終了時点 原作開始10年前(冬) 
21話終了時点 原作開始8年前(春) 
これから魔法を世界に広めていくことになりますが、残り8年分はそれなりに時間が飛びます。原作開始前の登場人物たちと少しずつ接点が見えてくると思います。


第21話 魔法学院開校! ちいさな姫の願い

 その日は珍しく、砂漠のオアシスにあるドランの機構としてはやけに寒く、昼前まで晴れ渡っていた空は南中の太陽を見せることなく、いつの間にか雲に覆われていた。そんな中、ドラン王城の最奥部の部屋で、サーラは静かに、ベッドで眠る母親を見つめていた。

 王妃はヒカルたちをこの部屋に呼んだ翌日の夕方には、すでに話すことさえままならなくなっていた。その身体は目に見えて衰弱していき、いかなる魔法屋道具(アイテム)を用いても、一向に回復する様子が無かった。この城に滞在している、薬師として最高位であろうエルフの女性が調合した薬草を用いても、それは変わらなかった。

 サーラはほとんど動かなくなった母の傍らを離れることがなく、目を閉じて何も答えない彼女に話しかけ、返答がないことに表情をゆがめ、それでもまた話しかけるという行為を繰り返していた。時折、目を開けた王妃は穏やかな表情を浮かべ、じっと娘を見つめ、ほどなくして再び眠りに入るというサイクルを繰り返していた。父が目に見えて回復していくのと反比例するように、まもなく母には終わりの時が訪れるだろう。幼いサーラはそれを、心のどこかでは分かっているのかもしれない。

 

「お母様?」

 

 サーラが気づくと、母はいつの間にか目を開けていて、顔は動かないが視線はこちらを向いているのが分かる。サーラは母の手を取り、その顔をのぞき込んで、彼女の唇がわずかに動いていることに気がついた。声はほとんど出せてはいないが、その口は短く、娘に最後の言葉を継げていた。

 

「あ……りが、とう……。」

 

 はっとしたサーラが何か言葉を発しようと口を開き駆けたとき、す母の瞳は再び閉じられた。そして、それはもはや、2度と開かれることは無かった。

 

「お母様あっ!!!」

 

 その叫びは、場内の1フロア全域に響き渡り、彼女がこのような大声を発したのは、後にも先にもこの時だけであったという。

 この日、夜を待つことなく、ドランの若き王妃、ジュリエッタは帰らぬ人となった。享年26歳、あまりにも早すぎる死であった。王族を慕っていた国民の嘆きは深く、彼らは皆、在りし日の彼女を偲び、涙したという。砂漠の国には珍しく、ちらちらと雪が舞い落ち、王都をうっすらと、白く染めていた。

 

***

 

 微生物1つ存在しない、かつての古代文明のなれの果てである忌まわしい水の底、巨大要塞と呼ばれる不気味にうごめく物体の心臓部で、自らを大魔王と故障するその魔物は、忌々しげに部下からの報告を聞いていた。

 

「ドランに正体不明の宝石モンスターが現れただと?」

「はっ、偵察に出した大ガラスからの報告によりますと、強大な力を持つものが、ドランの都を手中に収めようと画策しておりましたが、勇者とその一行に打ち倒されたとか。」

「何?! 勇者だと?!」

 

 大魔王、バラモスはさすがに驚いたのか、普段は鋭く細めている目を見開いている。跪き報告をしている部下は、びくりと身を震わせたが、努めて冷静に話を続ける。

 

「はっ、ドランの都を支配しようとしていた者は自らを魔王ムドーと名乗り、大臣をそそのかし国の乗っ取りを謀っていたようです。勇者というのは、これは正しい情報とは思えないのですが、全身を鎧で武装し、スライムに騎乗したモンスターであったといいます。」

「なんだと?」

 

 バラモスは考える。スライムに乗った騎士のモンスターなど聞いたことがない。それにムドーなる魔王の名も、初めて耳にする。近頃、自らの作りだした存在とは別の宝石モンスターが地上にわずかだが出現しており、それらはバラモスの作りだしたモンスターと同じように、何者かに使役されているようである。しかし、それがどのような存在であるのか、今の段階では全く分からない。

 この時点で、バラモスはひとつミスを犯していた。彼はスライム島から引き返してきた部下たちを、役立たずとしてろくに話も聞かず処分していたのである。消された部下たちの中には、当然マホカトールのことや、ライデインを使用する騎士のことなどを知っている者たちもいたわけで、中には県のキャットフライのようにライデインの詳細を知っている者も存在した。それらの情報をきちんと入手していれば、ムドーを倒した騎士がスライム島で自らの部下たちを撃退した存在であると、バラモスは容易に気づけたはずなのだ。しかしながら、自由に動けない状況においての失敗というのは予想以上に魔王をいらだたせ、大切な情報源を自ら葬り去るという間違いを犯させていた。

 

「おのれ、こざかしい魔法使いの次は、勇者に魔王だと? 儂の知らぬところで気に入らん事ばかり立て続けに起こりよる。ジャークよ、引き続き偵察を続けさせろ。ただし手を出すな、こちらの力が不十分なままで、下手に首を突っ込むのは得策ではない。」

「ははあっ、仰せのままに。」

 

 ジャークと呼ばれた部下は一礼すると、そそくさと退室していった。バラモスは目を閉じ、巨大要塞ガイムにエネルギーを送り続けながら、今後をどうしたものかと思案する。ムドーなる魔王の後ろには、おそらくもっと強大な力が潜んでいるはずだ。それが、自らを生み出したゾーマのような存在なのか、あるいはもっと、別の何かなのかは分からないが、警戒しておいた方が良さそうだ。それに、自分の知らないところで宝石モンスターが生み出されているというのは気にかかる。しかし、警戒すると言っても、現時点では情報があまりにも少なすぎる。

 

「いや……、手がかりと言えるものが、ひとつだけ、あるにはあるな……。」

 

 バラモスが目をかっと見開き、そこから妖しい光が放たれると、次の瞬間、彼の眼前には美しい琥珀色をした宝石が現れた。それはどういう原理か、宙に浮いたまま静止している。これは宝石モンスターの核をなすものではあるが、一般的な宝石と区別するのは非常に難しい。しかし、宝石モンスターを生み出すことができるバラモスにとっては、通常の宝石と見分けるのは造作も無いことである。

 しかし、普段から見慣れているはずのそれを見つめるバラモスの表情は険しく、何かを警戒していることが見て取れる。その理由は、この宝石が彼の普段から使用しているものではないからだ。

 

「ゾーマの神殿にこれがあったということは、ムドーとやらの背後にいる者は、ゾーマに接触して宝石モンスターを生み出す力、このバラモスと同じ力を得たと言うことか? それとも、元々そのような力を持った何者かが、ゾーマと接触をはかったか……。いずれにしても、儂が生み出されるより前のことであるのは間違いないようだな。」

 

 バラモスは目を閉じ、移動要塞のエネルギー充填に力を注ぐ。作業は思ったよりも難航し、10年とはいわないが数年単位での遅れが出ている。ガイムは形こそ整ってはいるが、動力機関を含めた内部の整備はほとんど進まず、自分が力を送るのと同時進行で部下たちにも作業をさせているが、それでも遅々として進まなかった。バラモス自身を含めた幹部たちの力を蓄えること、新たな宝石モンスターの軍勢を作り出すこと、精霊神の結界を解除することなど、同時進行で進めなければならないことが多すぎ、てが回っていないのが現状であった。しかし、水の底に渦巻く黒い野望は、ゆっくりと世界にその魔の手を伸ばしはじめていた。

 

***

 

 王妃の死から1週間、ドランには珍しく、すっきりとしない天気が続いていた。民衆は悲しみに沈み、邪悪な力から解放されたにもかかわらず、都はいまひとつ活気がない。そんな城下町の様子を、当面の滞在場所に選んだ宿屋の2階にある部屋から見下ろしながら、ヒカルはこれから先のことをいろいろと考えなければならなかった。

 

「ご主人様、モモでございます。」

「入って良いよ、かぎは開いてるから。」

「失礼いたします。」

 

 まもなくゆっくりと部屋の扉が開かれ、よく見慣れた女性が入室してくる。その装いを見て、ヒカルははあとため息を吐くのだった。

 

「お前ね、いい加減その口調と格好と、どうにかなんないの?」

「あら? ご主人様はこの国で確固たる地位を築くのですから、従者は今後も必要ですわ。メイドは高貴な方のお屋敷にはつきものですわ。ご主人様にふさわしい立派なお屋敷が見つかるまで、今少しお待ち頂ければと……。」

 

 その言葉に、ヒカルはさらに深くため息を吐いて、どうしてこうなったんだろうと現状を嘆く。王妃の死後、ピエール王の提案で、ドランの国に新たに、人材育成のための組織を設立するという話になったのだが、その手始めとして、優秀な魔法使いを養成する訓練所のような者はどうかという話になった。何度か検討を重ね、要約形が見えてきたときには、それは子供たちに魔法を教育する学校という形式を取ることになっていた。そして、新しく設立されることとなった「ドラン王立魔法学校(仮称)」の統率者、学校長として、ピエール王はヒカルに白羽の矢を立てたのだった。

 ヒカルだって、子供の頃から魔法を学ばせることには賛成だ。国がバックアップしてくれるのであれば、多少時間がかかるかも知れないが、いずれ優秀な魔法使いも数多く輩出されることとなるだろう。自分がそこに携わることにも異論は無い。しかし、だ。この学校は将来的に数百人規模の学生と、指導者数十名の巨大な組織となる構想がたてられており、校長という役職は、それらのすべてを取り仕切る最高責任者なのである。さらにいうなら、ドランには魔法や魔法使いを扱う組織はこれまでになかった。それ故、魔法学校の

校長は必然的に、この国における「魔法」というものの「すべて」をとりまとめる役職なのである。

 

「あ~、俺、雇われたことしかないから、人の上に立つなんて無理だよ、絶対無理!!」

「大丈夫です、ご主人様なら何の問題もありませんわ。」

「なんでそういう根拠のないことを、君も妹も自信満々に言い切るの! 君たちがそんな態度してるから、周りだって俺ができる奴みたいな錯覚起こしてるでしょうが!!」

 

 元の世界でしがないサラリーマンだったヒカルには、管理職の経験など皆無である。いったい何をどう取りしきればいいのか、さっぱり分からない。しかも、彼の頭を悩ませているのはそれだけではない。彼が新しい一歩を踏み出すのをためらう要因が、もう一つあったのだ。

 

「いけませんわご主人様、伯爵様がそのように狼狽されましては、下々の者が不安がります。上位者というのはこう、もっとどっしりと構えているものですわ。」

「そう、それだよ、何だよ伯爵って!? よそ者に位を与えるとか、内紛の種にしかなんないだろうが?! 何考えてんだよピエール!! しかも没落した家名を新たに与えるから問題ないとか、俺はどこの銀河の英雄だよ?! 美男子でも金髪でもねえよ、こちとら黒髪黒目の日本人でいっ!!」

「???」

 

 すっかり動揺し、よくわからない用語をのたまいながらああでもない、こうでもないと悩む主人を見ながら、モモは穏やかな微笑を浮かべている。あんなことを言っていながら、ヒカルは着々と魔法学校の開校に向けた準備を、ピエール王や側近たちと進めていた。王とその側近たちは、彼にとても好意的且つ協力的であり、新たな事業を興すにあたってあらゆる援助を惜しまなかった。ドランの貴族たち、特に王が信頼を置く者たちは、ヒカルが考えていたような特権意識の塊、それこそ先ほどの彼の台詞に出てきたとある銀河の帝国貴族のような輩はほとんどいなかった。もちろん、貴族全体で見ればそういう連中も決して少なくはなかったが、権力の中枢にいる者たちは皆、真剣にドランの国と国民を思い、政務に励んでいたのである。そんな彼らが、今回の魔王事件を受けて、国力の強化を図ろうとする国王の妨げになることなどあり得なかった。

 

「盛り上がってるところ邪魔するぞ。」

「う~ん、もう腹をくくるしか……、ああでも、就任の儀式とかめんどいなぁ、略式とかになんないかなあ、ブツブツ。」

「やれやれ、まだ踏ん切りが付かないのか。こういうときは俺に任せろ位言ってのけるのが男というものだろう。』

「ああ、アンか、そうだな、俺に任せ……っておい、お前もそっち側かよ?!」

 

 いつの間にか、部屋に入ってきたアンは、窓際に立ち腕を組みながら、普段と変わらない、あまり動かない表情でヒカルを見つめている。その姿はいつもの全身鎧(フルプレート)ではない銀色に輝く高級そうな鎧を身にまとっている。それが王宮騎士団の標準武装であると気がついたヒカルは驚きの声を上げた。

 

「お、お前その格好……、受けたのか?!」

「ああ、王宮騎士団二番隊の隊長だそうだ。」

「なっ……! マジかよそれ?!」

 

 ヒカルはさらに目を丸くして驚いた。騎士団の二番隊というのは、この国では国王直轄の部隊、近衛の次に国王に近い兵士の集団と言える。そんな部隊の隊長に部外者を、しかも人間でないと承知の上で起用するなど、通常はあり得ないことだった。

 

「王様に頼まれたときは断ったのだがな、他国の、しかもモンスターなどを王族の側近に据えるなど、余計な争いを呼び込みかねない。……しかし、姫様に頼まれれば、な。ヒカル、君もそうだろう? 」

「はあ、まぁ、そりゃあ、な。あんなお願いの仕方は反則だ。」

 

 ヒカルはひとつ深いため息を吐き、面倒なことになったという表情を浮かべて頭をかき、しかしその後には、決意を秘めた表情で言い切った。

 

「まあしゃあねえ、乗りかかった船だ、……ずいぶんと大きな船に乗りかかっちまったもんだが……最後まで付き合ってやるさ。」

「ふふ、そうこなくてはな。なに大丈夫だ。辛いときがあったら、私の胸で良ければいくらでも貸してやるぞ。」

「なっ、もう2度とあんな醜態はさらさねえよ!!」

 

 顔を真っ赤にしながら手をわたわたと振るヒカルを、アンはおもしろそうに、もっとも他者からは変化の分からないだろう顔で、じっと見つめていた。彼の中では、もうとっくに答えは出ていたはずだ。彼はサーラのことを放ってはおけないだろう。きっと彼は、だれかの後押しが欲しかっただけなのだ。その背中を押す事ができた事実に、アンは満ち足りた気持ちだった。

 

***

 

 その日はよく晴れた、砂漠のオアシスにふさわしい天候だった。暦の上では春であるが、この国の気候は、年中ほぼ夏といって差し支えない。王妃が他界したときに降った雪などは、数十年に1度あるかないかというくらい珍しい者なのである。ドラン王都を震撼させた魔王事件から1年と数ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。国の創立記念日とされる今日、とある発表が国王から民に向けて行われることとなっていた。いつもは王宮の中央庭園を開放して行われるのが通例だが、今回に限っては場所が変更されていた。王都の中心街の西側に位置する、新しい建造物において、その布告はなされることとなっていた。その建物こそが、半年前から急ピッチで建造が始まり、つい数週間前に完成した新たな施設、優秀な魔法使いを育成するための新しい学校であった。

 

「うへえ、なんだあの人だかり。」

「ふむ、それだけ注目されている、ということだろうな。」

「魔法使いの養成学校なんて、世界でも聞いたことはありませんもの、当然ですわね。」

 

 校門前の広場に集まる人の群れを見て、うんざりとした表情を浮かべる主人の顔を、モモはおかしそうに見つめていた。彼の傍らではアンが、やれやれといった様子で彼の肩をポンポンとたたいている。そんなやりとりから目線を外し、モモは妹と友に来賓をもてなす準備をするため、今いるこの部屋……今日から主人の執務室となる校長室を後にした。

 本日午前十時、この学校の開校式典と同時に、ピエール国王から国民に向けて、重大な発表が成されることになっていた。その内容を知っているヒカルとアンは顔を見合わせ、

互いに目線を合わせ、ほぼ同時に頷いた。

 

「まさか、あれを公表するとは……良いのか?」

「まあ隠しているわけでもないしな。仮に隠していたとしても、いつかは知られることになっただろう。結局は同じ事さ。」

 

 ヒカルはアンの返答に、そうかとだけ軽く返事をし、再び目線を窓の外にやる。ちょうどそのタイミングで、2頭の立派な馬に引かれた豪華な馬車が、正面玄関前に停車するところだった。

 

「お、来たな。これから長い長い1日が始まる。あ~面倒くせえ。」

「まあそう嫌そうな顔をするな、王様も姫様も好きでやっているわけじゃないさ。」

「まあ、そうだな。」

 

 ヒカルは一度目を閉じ、長い息を吐き、呼吸を整えて気持ちを落ち着かせる。そしてゆっくり目を開くと、表情を引き締めてドアの方へと進んでいった。その傍らに、銀色の鎧をまとった騎士が寄り添うように並んで歩いていた。

 

***

 

 砂漠の国の太陽は、まだ昼前だというのに王都をじりじりと照らし、環境に適応した者でなければふらついてしまいそうな熱気が街中を支配していた。それでも、本日お披露目となる「ドラン王立魔法学院」の校門前広場には人が押しかけ、これから行われる開校式と国王の言葉を待っていた。

 ドランにおいて、学校のほとんどは国が直接運営しており、入学式や卒業式に王族が来賓として訪れることはさほど珍しくない。開校式ともなれば、王族の誰かが必ず、何らかの形で訪問し、職員や生徒に声をかけるのが通例であった。しかし、それでも今回のように、一般市民が押しかけてごった返しになることはあまりない。魔法学院の設立は、世界初の取り組みとして、外交筋から世界各国へ情報がこまめに伝えられており、この国だけでなく世界中から注目されていた。加えて、王妃が他界してから初の、サーラ姫が参加する公式行事とあって、いつも以上に民衆の関心が高かったのである。

 

「これより、ドラン王立魔法学院、開校式を執り行う。」

 

 開会宣言と友に盛大なファンファーレが鳴り響き、関係者たちが見守る中、第一期生となる新入生が会場に姿を現す。数は40に届かない程度だろうか。職員や来賓の拍手を受け、やや緊張しながらも全員が所定の場所に整列し、正面玄関の前に据えられた演題に向かって礼をする。

 

「国王陛下、続いて王女殿下のおなりである。」

「おお、姫様だぞ、姫様がお見えになった!」

「まあ、大きくなられて……。」

 

 国王に続き、豪華な、けれど涼しげなドレス姿のサーラ姫が、静かに入場する。頭部には日の光を浴びて輝く冠を頂いている。母の死から1年と数ヶ月、ようやく公の場に姿を現した彼女は、幼さの中に母親譲りの美貌を感じさせる容姿へと成長を遂げていた。そしてその姿は、国民に希望を取り戻させるには十分だった。歓喜に沸き立つ民衆に見守られながら、式典は粛々と進行していく。

 

「それでは、王女殿下より、ドラン王立魔法学院初代校長へ、任命状の授与を行って頂く。」

 

 幼い姫はすっと立ち上がり、誰の補助もなしで壇上へ上がり、任命すべき臣下の名を口にする。

 

「ドラン王立魔法学院、初代校長に任ぜられる者、アザナード=ヒカル=メイデル=シャグニイル伯爵、前へ。」

「はっ!」

 

 呼名された男は静かに立ち上がり、ゆっくりとした足取りで王女の元へ近づき、ほどなくして小さな主君の前に跪いた。彼の動作が完了したことを確認すると、幼い王女は本当に6歳なのかという落ち着いた声音で、朗々と任命の言葉を紡いでいく。

 

「ドラン王立魔法学院は我が国、いえ世界で初めての、魔法使いを養成する学院です。この学院と我がドラン王国、ひいてはすべての国民と全世界のため、その力をいかんなく発揮し、邪悪なる者たちの脅威に立ち向かう力となることを望みます。」

「謹んで拝命いたします。すべての民のため、ひいては全世界のため、微力ではございますが誠心誠意、勤めさせて頂きます。」

 

 王女より差し出された任命状を、ヒカルは恭しく受け取り、ここに、ドラン王立魔法学院の初代校長が誕生したのである。ヒカルの胸の内には、今まで抱えていた漠然とした不安はあまりなくなっていた。完全に消えたわけではないが、先ほどよりはずっと軽くなっている。幼いサーラの一言一言が何か、言葉にできない力を与えているのがわかる。それこそが人を導く力、この世界では精霊神の代行者といわれる王族の力なのだろうか。己の立ち位置に戻り、一息つくヒカルをよそに、式典は予定通り進行していく。

 

「国王陛下よりお祝いのお言葉を賜る。」

 

 壇上に上がった国王は全員を見渡し、幾ばくかの間を置いてから、低く響く声で国民に語りかけた。

 

「今日ここに、邪悪な魔王の侵略より我が国を守る新しい力、魔法学院の開校式を無事に迎えられたことは大変喜ばしいことである。今後、本稿より優秀な魔法使いが輩出され、我が国民を守る力となることを確信している。そして、ゆくゆくは我が国だけでなく、広く世界に魔法を広め、その力をもって邪悪なる者たちを打ち倒し、世界に平和をもたらしてくれることを期待している。……魔王ムドーは見事、シャグニイル伯爵とその仲間たちに打ち倒された。あれから世界的に見ても、大きな混乱は生じていないが、皆の知るとおり、そう遠くないうちに、予言の書に記された大魔王が復活し、竜伝説に記された青き珠の勇者が現れるはずである。勇者を助け、この世界に永久の平和をもたらすことこそが、王として生を受けた余の使命である。」

 

 ヒカルとアンはそれぞれの持ち場で、ほぼ同時にゴクリとつばを飲み込んだ。王のここまでの演説は社交辞令であり、予言の書の存在、勇者と大魔王……バラモスの出現については国民にもあらかじめ開示されていた情報だったからだ。問題はここから先だ。

 

「さて……本日はここに集まってくれた皆、ひいては我が国民すべてに、伝えておかなければならないことがある。皆も知っての通り、我が王家に伝わる予言の書には、竜伝説や世界の理法(ことわり)について、様々なことが書き記されている。本日はその中で「モンスター」という存在について話さねばならぬ。」

 

 いつの間にか、周囲はしんと静まりかえっている。アンはゆっくりと、一度目を閉じ、気を落ち着ける。これから話されることは、彼女自身にも関係のあることで、その後の国民全体の反応によっては、この国を出て行かなければならないと、彼女は考えていた。

 

「昨今、倒すと宝石に姿を変えるモンスターが見受けられるようだが、あれらは本来の意味でのモンスターではない。モンスターとは古文書に寄れば、精霊神様の生み出された、世界の護り手、決して人間と敵対するような存在ではない。」

 

 にわかに会場がざわつきだし、列席している関係者も、広場に集まった人々も、困惑の表情を浮かべている。この世界において人間は種族としては非常に弱い部類に入る。モンスターは遭遇しただけで逃げ帰らなければならないくらい強い。故に、兵士や傭兵、冒険者などの戦いを生業とするものはその討伐を当然のことと考えていたし、倒して宝石になろうがなるまいが、その違いなど考える者はいなかったのだ。

 

「モンスターの中には知能が低く、野生の動物や魔王のしもべである魔物と同じように人を襲う輩もいるだろう。しかし、知恵あるモンスターは精霊神様の銘に従い、世界の行く末を見守り、弱き者の力となるのだ。ちょうど今から1年前、我が騎士団に迎えられた異国の騎士、アンのようにな。」

「なっ?!」

「正気でございますか陛下?!」

 

 これには、王の側近以外の式典に参列していた貴族たちも動揺を隠せない。事実にではい。国民へ向けて、王がそれを……王宮騎士団の二番隊隊長にまで抜擢した者が、モンスターであることを明かした事への動揺だ。しかし、王の言葉がまだ途中であることに気づいたためか再び口を閉ざし、広場の民衆もそれに習って、私語を止め、数分後にこの場は再び静寂に包まれた。

 

「……驚いたことであろう。しかし、我が忠実なる家臣たちよ、愛すべき民たちよ、心して聞いて欲しい、これは余の願いである。」

 

ピエール王は再びゆっくりと、低く重々しい口調でしかしすべての者に優しく語りかけた。

 

「予言の書にはこう書かれている……邪なる力、世界に満ちるとき、すべての種の垣根を越え、その心をひとつとせよ。人も、エルフも、ドワーフやホビット、妖精や異形の怪物に至るまで、すべて精霊神が作り給いし、この世界に住まう同志である。心合わさるとき、邪を払う青き珠は、勇者にさらなる力を与えるであろう……とな。」

 

 そこまで語り、ピエール王は1度、周囲を見渡した。人々は皆、王の言葉の続きを待ち、何も言葉を発してはいない。しかし、その表情は単純に驚いている者、モンスターという言葉に恐怖を覚える者、敵意を示す者など様々である。しかし、これは王としても予想の範囲内だ。ある程度のマイナスの反応があることは当然わかっていたし、それによって良くない事態が引き起こされる可能性もあった。だが、だからこそ、今更後戻りはできない。

 

「アンよ、余の元まで来るのだ。」

「はっ。」

 

 名指しされた騎士は、いつもと変わらぬ所作で王の下まで進み出、臣下の例を取る。その姿は鎧をまとった人間の女性、ほかの騎士たちと何一つ変わらないように、そう見えた。

 

「余はそなたをモンスターと知った上で、直属の騎士団へ招き入れた。そなたの口から、余とこの国に対する思いを聞かせてはくれぬか。」

「私は、人ならざる身、この身体は精霊神様より頂いたもの。私は弱き者を、力なき者を救うため、この剣を振るう覚悟を致しております。陛下の民を思うお心に添い、魔王の悪しき力に立ち向かい、陛下とこの国のため尽力いたす所存でございます。」

「うむ、人ならざる者にも、精霊神様は知性と、そして弱き者を慈しむ愛をお与えになった。今日この日より、我がドランの国は、この国の法を守る限り、種族にかかわらず入国、居住を認めるものとする。」

「なっ?! 陛下?!」

「お、おい、アン様が……、モンスターだってよ。」

「うっそだろぉ、どう見ても男っぽい美人さんにしか見えねえぞ?」

 

 ざわざわと、人々が思い思いの言葉を漏らす中、王が降壇し式典はさらに続いていく。しかし、人々には最早、形式的なその様子などほとんど目にも耳にも入っては来ない。

 ドラン王立魔法学院の開校と、それに伴う電撃的な布告は、この式典に招かれた各国の要人によって、世界中に喧伝されたのだった。

 

***

 

 日が傾き始め、空の色が黄金色からあかね色に変わりはじめる頃、校長室では一組の男女が、幼い少女と3人で和やかな時間を過ごしていた。応接用のテーブルの上には、飲み物と焼きたてのアップルパイが用意され、香ばしい良い香りが部屋を満たしている。少女、サーラ姫は小さく切り分けられたそれを、少しずつ味わいながらゆっくり食べ進めている。それを穏やかな表情で見つめながら、女性、アンは隣の男性に話しかけた。

 

「ようやく、今日一日が終わったな。さすがに丈夫な私も疲れたぞ。」

「姫様はもっと疲れただろうさ。もう終わりましたからね、少しゆっくりしても構わないと、陛下からお許しを得ていますので、好きなだけ休んでいってください。」

「ありがとう。」

 

 サーラは無邪気な笑顔を浮かべて、コップに注がれたフルーツジュースをこくこくと飲み、そしてまたアップルパイに手を伸ばす。そんなことを何回か繰り返した後、彼女はふと手を止め、対面のソファに座ってくつろいでいる男に視線を向けた。

 

「ん? どうかしましたか? 姫様。」

 

 サーラはしばらく無言のままでいたが、やがて意を決したようにヒカルをじっと見据え、こう言った。

 

「ヒカル、お願い、魔法で皆を、幸せにして挙げてください。魔王や悪いモンスターのために、私のような……父や母をなくすような子供たちが、これ以上増えないように。私は力がないから、戦うことはできません。けれど、たくさん勉強して、きっと、この国の皆の力になって見せます、だから……。」

 

 最初はハキハキしていた彼女の口調は、やがて何かを耐えるような涙声に変わってゆき、小さな唇は震えている。母をなくした彼女の心の傷は、簡単に消え去るようなものではないだろう。それでも、彼女は人の上に立つ宿命の元に生まれた人間、私情を捨て、為政者として前に進まなければならない。男児がいないドラン王家の第一王位継承者は、ほかならぬ彼女なのだから。

 サーラの頭に、優しく置かれた手が、不器用に動かされ、ゆっくりと彼女の黒髪を撫でていく。いつの間にか、アンに抱かれ、その膝の上で頭を撫でられていることに気づいたサーラは少し驚き、それから安心したように目を閉じた。

 そんな2人の様子を見て、ヒカルは穏やかに、安心させるように、できるだけ優しい口調で答える。彼女を王女としてではなく、1人の子供として扱うものなど、父王以外は彼らだけであろう。だからサーラは、それが王族に対する言葉遣いでなくても、気にするようなことはない。

 

「大丈夫だ、お前の母ちゃんと約束したからな。この国で、俺にできるだけのことをやってみるさ。……子供たちが、父ちゃんや母ちゃんと、笑って暮らしていけるようにな。そういうわけで、邪魔な魔王にはさっさと引っ込んで貰おうぜ。」

 

 目を開けたとき、サーラの心の中は温かいもので満たされ、先ほどのような思いはなくなっていた。彼女の悲しみが消えてなくなることはないだろう。それでも、このちいさな姫の願いを叶えようとしてくれる大人たちがいる限り、彼女は少しずつ前を向いて歩いて行けるだろう。

 

「ヒカル、アン、もうひとつ、お願いしてもいいですか?」

「ん? なにかな? 私達にできることなら良いが……、ああ、父上のお許しをちゃんともらわなければいけないぞ?」

「お父様にはもうお話ししてあります。2人に私の先生になってもらいたいのです。」

「先生? ああ、魔法とか武術とか、そういうことか? 王様がいいって言うなら俺も構わないけど、王宮には家庭教師とか、指南役とか、いくらでもいるだろ?」

「こらヒカル、まったく君は、変なところで鈍感なのだからな……サーラの気持ちをもう少し考えてやれ。」

 

 不思議そうな顔をしてサーラに問い返すヒカルに、アンはやれやれと肩をすくめる。相変わらず表情はあまり動いてはいないが、あきれている様子がサーラにもよく分かる。アンに指摘され、ヒカルはしばし困ったような顔を浮かべて考え込んでいたが、やがてぽんと手を打って、何かに気がついたようだった。

 

「おっ、そうか、まあ堅苦しい先生ばかりだと息が詰まるよな……サーラは本当は甘えん坊だしな。」

「あ、あまえんぼう……そ、そんなことはありませんっ! ちゃんと夜だって1人で眠れるし、今日の式典だって立派に……。」

 

 からかうようなヒカルの言動に、ムキになって反論するサーラの様子は、同じ年頃の子供と何ら変わることがない。ヒカルは彼女の頬をやさしくつついて、目線を合わせて語りかける。

 

「甘えん坊でいいじゃないの、子供は子供らしくしときなさい。まあ、王宮じゃ俺らもそれなりの態度とらないとダメだろうけどな。寂しかったらそう言えば良い、傍にいて欲しければ、そう言ってくれればいい、俺はお前が望むなら、俺にできる範囲で答えてやるぜ。」

「私は……サーラは、アンとヒカルに、もっと、そばにいて、欲しいです。」

 

 その答えを言い終わるか終わらないかのうちに、小さな姫の体は眼前の青年に抱き上げられ、高くなった視点から見下ろした先には、先ほどまで自分を抱いてくれていた女性が、めったに見せない明確な笑顔でこちらを見ている。

 

「分かったよ、ただし、俺らも仕事があるからな、あまりたくさんの時間はとれないぞ?」

「はい、お願いします!」

 

 彼女はぱっと顔を輝かせ、元気よく返事をする。その声にはもう、マイナスの感情を読み取ることはできなかった。

 

***

 

 日はすっかりと落ち、空にちりばめられた無数の星たちが少しずつ顔を見せる頃、真新しい魔法学院の校舎を背に、一組の男女が帰路につこうとしていた。サーラ姫を迎えの馬車に乗せた後、軽く後始末をして、守衛に後のことを任せ、門を出た頃にはもう、太陽は地平線の向こうへ姿を隠していた。

 

「さすがに腹減ったなあ、とっとと帰るか。」

「……今夜は私の家に寄っていかないか? 料理を一人分作るのは割と手間なのでな、一緒に食べてくれると助かるんだが。」

「おっ、いいのか? んじゃ遠慮なく。」

 

 ヒカルが伯爵として居を構え、アンが城の騎士として街の一角に部屋を借りてから、彼らは互いの住まいをよく訪れるようになっていた。たいていの場合はアンがヒカルの屋敷にやってくるのだが、たまに逆になることもあった。もっとも、仮にも爵位を与えられた者がおいそれとは外出できないため、ヒカルはこういうとき……アンが彼を誘いそうなときには仕事で朝まで帰らないという体裁を整えてから行動している。もっとも、そのことをアンは何も知らない。仮にも日中は王城に勤め、貴族社会の内情をある程度把握している彼女ならば、そのあたりに気がついてもおかしくなさそうだが、アンの心の中は、ヒカルと一緒にいられるということで浮かれており、普段なら気がつけることにも思い至ることはなかった。彼女は否定するかも知れないが、恋は盲目なのである。

 

「なあヒカル、。」

「ん? 何だ?」

「私達、こうして歩いていると、その、見えるのかな、恋人同士、に……。」

「へ? どうした急に?」

 

 立ち止まってこちらを見ているアンの表情は、薄暗がりの中でははっきりと分からない。それでも彼女の雰囲気がいつもと違うような気がして、ヒカルも立ち止まって彼女に向き合う形になる。

 

「姫様に、その、二人はおつきあいしているのですか、って言われてな……。」

「アノませガキ……。」

「いや、姫様はおつきのメイドから聞いたらしい、城内では私達がその、男女の仲だという噂になっているとか、な。」

 

 サーラのおつきのメイドの顔を、ヒカルはできる限り思い出してみる。噂好きの彼女たちがそういった話題を仲間内で口にするのは珍しくもないが、姫の耳にまで届いていると言うことは、おそらく城内ではある程度、広範囲に噂が広まっていると言うことだろう。

 

「考えたんだ、私はヒカルのことを、その、男としてどう思っているのか、って。」

「アン……?」

 

 彼女にそう言われて、ヒカルも考えてみる。何か大きなきっかけがあったわけではないが、気づけば2人はどちらからともなく近づき、一緒にいることが自然だと感じるまでになっていた。食事を共にし、様々なことを語り合い、寝所こそ共にしてはいないが、いつそうなってもおかしくない状況にはなっていた。しかし、なぜか一線を越えることはなく、今日まで仲間以上恋人未満のような曖昧な関係が続いていたことは確かだった。では、ヒカルは、アンは、お互いの関係に何を望んでいたのだろう? これから先をどうしようと考えていたのだろう?

 

「私は、知っての通り最早人間じゃない。この体は精霊神様が特別に残してくれたものらしい。だから、私が人間の君のパートナーにふさわしいのか、私にはわからない。今までいろいろ考えたんだ。でも、私は君の傍を離れたくない。ずっと一緒にいたい、ずっと傍にいて欲しい……、でも今まで言えなかったんだ。」

 

 ヒカルはここで、彼女が自分との関係に今まで悩み続けてきたことを初めて知った。彼女はそういった悩みや迷いを、あまり表面に出すことはなかったから、そういったことがわかりにくいというのは確かだ。しかし、今までかなりの時間をずっと傍で過ごしてきて、自分は何故それに気がつけなかったのかと、彼は後悔に襲われた。

 いや、たぶん気がついていなかったはずはないだろう。アンはヒカルと恋仲になりたいと、面と向かっては言葉にしなかったが、彼に対する好意は明確に言葉や態度に表していた。その中にはかなりストレートなものもあったはずだ。ヒカルはそういったことにことさら敏感なわけではないが、かといってあまりにも鈍感というわけでもない。彼女の向けてくる明確すぎる好意に、気づいていないはずがなかった。

 

「ごめん、アン、今まで1人で悩ませてしまったんだな。」

「ヒカル……?」

 

 不意に、体を包み込む感触に、アンは少し驚いたが、自分がヒカルに抱きしめられていることにすぐに気づいて、顔が耳まで火照っていくのを感じた。幸か不幸か、この光量では、彼女のゆでだこのような顔は、委中の相手に見られることはないだろう。

 

「俺さ、小心者だから、分かってたけど、知らない振りをしてたん、だろうな。自分じゃそんなつもりはなかったけどさ。お前が何度も言ってくれたのに、一緒にいたいって。」

 

 しばらく互いを抱きしめ合っていた2人は、やがてゆっくりと、惜しむようにどちらからともなく離れ、暗がりの中で互いを見つめ合う。夜の王都を照らすものは大通りに並ぶ夜店の灯りと、家々の窓からわずかに漏れる光だけだ。そんな、互いの姿を輪郭しか捉えられないような場所で、互いを見つめる2人の沈黙は、長いようでも、短いようでもあった。やがて、どれくらいの時間が経ったのか、男は静かに、はっきりと自分の思いを口にした。

 

「俺もアンに傍にいて欲しいよ、だから、とりあえず……。」

 

 ヒカルはアンの腕をとって、その手をしっかりと握りしめ、ゆっくりと、大通りの灯りの方へ歩き出した。そこを抜ければ、アンの家はすぐそこだ。

 

「晩飯、作ってくれるか? いつもみたいに。」

「ああ、なんならこれから先、毎日君のために作っても構わないぞ?」

「え?」

「いや、何でもないさ。」

 

 見る人が見たなら、なんてもどかしいことかと、じれったく感じるのかも知れない。彼らの心の距離は近いようで遠く、遠いようで近い。明確に気持ちを言葉にしても、だからといって即、何かが変わるかと言えば、そうはならない。

 やがて2人はやや遅い時間に、小さなテーブルで夕食を共にするだろう。いつでも大切な人が傍らにいる幸せをかみしめながら。彼らはまだ知らない、自分たちがなぜこの世界へ呼ばれたのかを。彼らは知ることができない、この世界にはない、互いの「過去」を。光と闇は未だ大きく動くことはなく、伝説はまだその序章すら、終えてはいない。彼らが立ち向かうべき敵は、運命は、その臨各すら未だ、見せてはいない。だが、とりあえず……。

 魔法学院の校長、シャグニイル伯爵と、王宮騎士団二番隊隊長、アンが恋仲であるという事実は、公然の秘密である。

 

to be continued




※解説
ヒカルの貴族名:適当です。あまり突っ込まないでください。原作でも、アラビア風の民族衣装を着ているドランの王様の名前がピエールだったりと、けっこういろんなものが入り交じった設定になってました。なので、名前も適当な響きのカタカナを並べ立てて作っており、特に意味はありません。
ドラン王国の組織:こちらもねつ造です。手元には組織の概略を設定として起こしてありますが、必要があるものだけその都度、作中で説明します。一応、王族に近い方から、近衛、騎士団、一般兵士という序列になりますが、それぞれ役割が違うため、必ずしも近衛が一般の兵士より上位な訳ではありません。

こんだけ長文書いて、魔法ひとつもでてこないとか、大丈夫なのかこれ……。

さて、あと1話程度で次の展開へ進める、はずです。次回の話は本筋とは、無関係ではありませんが、そんなにお話は大きく動きません。あと、糖分高めの予定で、リア充爆発しろ的な展開です。

次回もイチャイチャするぜ!
あれ……?

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