【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

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※2018/12/30 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2017/9/26 新しいエピソードを加筆しました。
※2017/4/9 誤字脱字等を修正しました。


第1話 目覚めの時 異世界からの招き!

 赤々と暖炉の火が燃える部屋で、椅子に腰掛けた老婆が、静かにその炎を眺めていた。傍らの大きなテーブルには、表紙の絵柄のよく似た、しかし色の違う2冊の本が置かれている。この世界に伝わる、すでに伝説になろうとしている2つの別々の物語が、それらの本には綴られていた。

 この2つの物語は、ほぼ同時期の史実として伝わっており、人々の間でも非常に人気のある有名な話だ。いずれも、「勇者」が「魔王」を倒すまでの長い道のりをわかりやすくまとめたものである。しかも、この2冊の本を執筆した人物は、今この部屋にいる老婆その人である。2冊のうち、黒い表紙の本は勇者アベルが大魔王バラモスと戦う物語で、今から20年ほど前に書き上げたものであるが、もう一冊の緑の表紙の本は、つい先日ようやく初稿を書き上げたもので、まだ世に出ておらず題名もない。ここにあるものは出版前の最終調整をするために制作されたもので、つい先ほどまで最後の修正作業をしていたのである。

 老婆は目を閉じ、本に記された物語の元になった、もう五十年以上も昔の出来事に思いをはせる。それらは何十年たっても、彼女の記憶から色あせることはなく、まるで昨日あったことのように思い出せた。もちろん、物語として執筆するに当たって様々な人物から聞き取りを行い、自分が直接知らないことも盛り込んでいるから、すべてが彼女の記憶をたどったものではないが、伝説の時代に生きた当事者として、この物語は決して創作ではなく、彼女のこれまでの人生そのものと形容しても良かった。

 彼女は満足していた。自分の生きている間に、2作目の物語を書き残すことができてよかったと。勇者アベルと同じ時代を生きた、ある1人の男による、「もうひとつの伝説」を……。

 外はすでにすっかりと日が落ち、漆黒の闇が世界を覆っている。しかし、月の見えない新月の空にもかかわらず、その闇は決して恐怖を与えることなく、優しい静寂で世界を包み込んでいた。老婆は考える。いつもここへ遊びに来る子供たちに、真っ先に完成した新しい物語を読んで聴かせてやろうと。老婆の語る物語が大好きな子供たちのまぶしい笑顔を思い浮かべ、彼女は柔らかな笑みをこぼした。

 ゆっくりと立ち上がった老婆は、二冊の本を壁際の本棚の所定の場所に丁寧に戻すと、ややよたよたした足取りで、再び椅子に腰掛けた。そろそろベッドで就寝しなければならないが、やけに強い眠気を感じる。こんなところで寝たら風邪を引いてしまうかもしれない、暖炉の火を消して、ちゃんと寝室に戻らなければ。しかし、押し寄せてくる睡魔に打ち勝つことができず、彼女は再び目を閉じた。その顔はとても穏やかで、いつも以上に優しい微笑みをたたえていた。

 翌日、いつものように来訪した子供たちが、いつものように炉端で眠りこけてしまった老婆を見つけ、仕方がないなあと苦笑しながら、彼女を起こそうとするはずだ。それは繰り返される日常で、老婆はいつも、少しばつの悪そうな顔をして目覚めるのだ。

 しかし、閉じられた(まぶた)が再び開くことは、もはや二度とないだろう。

 

***

 

 そこは、どこともつかない曖昧な場所であった。広大な森に囲まれ、美しい花々が咲き乱れる丘や、清らかな水が涼しい音を立てて流れる小川など、普段から周囲の景色にあまり注意を払わない者であっても、この光景を見たのであれば感動を覚えることは疑いようがない。そんな幻想的とも言える景色の中心に、周囲の絶景に見劣りしないだけの存在感を放つ建造物があった。それは城のようでも有り、何かを祭る宗教的な建物、そう神殿のようでもあった。しかし、この建造物が何であるかを明確に言葉で表現できる者は、世界にほぼ皆無であるといってよいだろう。

 その建造物の中庭のような場所で、1人の女性が憂いげに空を仰いでいた。しかしそこには雲一つなく、どこまでも澄み切った青が続いているだけである。よく見ると、背に一対の翼をはやした小柄な者が、その足下に跪き(こうべ)を垂れている。そんな足下に目をやることもなく、女性は空を見上げながら言葉を発する。

 

「そうですか、魔法によって時間が動いたと……。」

「はっ、大量の時の砂が効果を発したようです。もっとも、我々の存在する現在に、どのような事態が起こったかは、全く分かりません。申し訳ありません。」

「気にすることはありません。私たちもこの世界に住まうもの。私の力では時間にまでは干渉することはできません。時の砂が発動したということは、どこかで時間の逆行が起こったということですね。しかも今回は……。」

「はっ、術者の逆行が起こっておりません。したがって、原因も効果範囲も明らかにすることができません。」

 

 翼人(つばさびと)は跪いたまま、悔しそうに唇をかみしめた。そんな彼の雰囲気を察したのか、女性はようやく顔を翼人の方へ向け、穏やかな声で諭すように話しかけた。

 

「大丈夫です。確かに大きな魔力に呼応して、本来この世界に存在しないはずの邪悪な者を呼び寄せてしまったようですが、同時に希望の光も現れました。邪を拒む結界を張り直しましたから、当分は大きな動きは何もできないでしょう。」

「重ね重ねご心労をおかけして申し訳ありません。では、早急に『邪悪なる者』の詳細を調べ、対策を講じさせて頂きます。」

「お願いします。異世界から来た新たな勇者が目覚めるまで、今しばらくの時間を要します。くれぐれも慎重に、かの者に悟られることのないように。」

「かしこまりました。」

 

 翼人は立ち上がって礼をすると、背中の翼を羽ばたかせて、どこかへと飛んでいった。それを見送りながら、女性は長く美しい銀髪を風に揺らし、誰にも聴かれることのない言葉をつぶやいた。

 

「ごめんなさい。」

 

 それは、神々しい気配を放つ彼女が発したとは思えない、ひどく弱々しく、何かを懺悔(ざんげ)するかのような、苦しげな声色だった。

 

***

 

 滅多に人が入ることのない、険しい山々が連なるその場所には、この世界に並ぶもののない英知を携えた賢者が住まうといわれていた。しかし、その住まいがどこであるのかを、正確に知る者はほとんどいなかった。だからこそ、この場所で起こった異変に気づく者も、またほぼ皆無であるといってよかった。その男が、この場所で他者に発見されたのは全くの偶然であったし、大変な幸運であったともいえる。人里離れた場所というのは大変に危険を伴う。それは人が暮らす世界であれば、どこでも共通することである。特に、獣などより遙かに強力な力を持つ『モンスター』が生息するこの世界において、山中に1人で倒れ服していることの危険度は、想像を絶するほどに大きなものなのである。

 

「ここは……どこだ?」

 

 しかしながら、男は困惑していた。それはそうだろう。目覚めてみたら、全く知らない部屋にいて、しかも自分が生活している環境とは似ても似つかないような、そんな場所であったなら、誰もが通常の精神状態ではいられないはずだ。

 何一つ現状を理解できないまま、彼はベッドから起き上がり、とりあえず周囲を見渡してみた。どうやら木造の建物の中らしく、彼が寝ていたベッド以外には、簡素な椅子とテーブルがひとつ、窓際に置かれているだけだった。ベッドと反対側の壁には扉があり、これまた木製の簡素な作りであった。いわゆるログハウスのような場所にいるらしいことはわかったが、窓の外から見えるのは木々の緑ばかりであり、どう考えても記憶にあるいかなる場所とも一致しない。

 彼は混乱しながらも、自分がなぜこのような状況に置かれているか考えてみた。しかし当然のことながら、納得のいく答えなど出てくるはずがない。いったいどうなってるんだと叫びたい心境をこらえて、彼はとりあえず、最も近い過去……この部屋で目覚める前まで、自分が何をしていたのか思い出してみることにした。

 男の名は天野(あまの)ヒカル。年の頃は二十代も半ばくらいだろうか。日本という国の、とある大都市に住み、会社に勤めて給料をもらう勤め人、いわゆるサラリーマンといわれる職種の人間である。普段からブラック企業と呼んで差し支えない会社でこき使われていた。そんな仕事に疲れ果てたある日、昔大好きだったアニメのDVD全巻セットを偶然手に入れた。たまたま次の日が滅多に取れない休暇であったため、まるで厳しい現実から逃れるように、そのDVDを夜通しで見ようと、ビールとつまみを買い込んで自宅へ帰った。そして入浴もそこそこに、リビングでこたつに入りながらそのアニメを見ていたわけだが……。元々、日々の過酷な労働で疲れ切っていたところへ、つまみとはいえ大量の食物と、これまた相当な量のアルコールを摂取してしまったため、気がつけば眠り込んでしまったのだった。

 そして目を覚ましてみればこの状況である。記憶をできる限り掘り起こしてみても、結局何も分からないという現実は変わりない。いい年をして、本当に泣きたい心境になってくるのであった。

 そのとき、ガチャリと扉の開く音がして、誰かが部屋に入ってきた。

 

「おお、気がついたようじゃの。」

「へ?」

 

 部屋に入ってきたその人物は……いや人といっていいのだろうか。肌は妙に紫がかった色をしているし、顔から妙な突起のようなものをはやしているし、尻尾のようなものまである。何よりその脚は地についておらず、床から数十センチのところでふよふよと浮かんでいたのだ。このときの彼、ヒカルはまさに『ハトが豆鉄砲を食らったような』顔をしていた。

 しかし、彼が本当に驚いていたのは別の部分だ。いや、浮遊している明らかな人外に話しかけられたのだから、それ自体に驚かないはずはないのだが、彼は目の前の存在に見覚えがあった。そう、ありえない話ではあるが、彼が自分の部屋で見ていたアニメに、全く同じ姿のキャラクターが登場していたのだ。数多くの魔法を操る、古代人の末裔という設定の、名前は確か……。

 

「ザ、ザナック様?!」

「!!」

 

 今度は相手の側が驚愕に目を丸くした。当然だろう。見ず知らずの者に、自分の名前を言い当てられて、驚かないなどまずあり得ないことだ。しかし、ヒカルは同時に、どうしようもない現実を突きつけられることになった。

 

「おぬし、どうしてこのしがない年寄りの名を知っておるのかのう?」

 

 そう、目の前の老人が、彼の思い描いたアニメキャラと同じ名前であると認めたのだ。……これはアレだろうか? ネットの二次創作などでよくある、異世界転移というやつだろうか。いやまてまて、そんなことが現実にあるわけがない。ここに至っても彼は現状を受け入れられなかった。――いや、このような状況を即座に受け入れられる人間などそう多くはないだろう。彼はとりあえず、これは夢だろうと結論づけた。よくあるパターンで、夢の中でもう一度眠れば、次に目が覚めたときにはいつもの自分の部屋に戻っているだろう。そう考えた彼は、無言でもう一度ベッドに潜り込み目を閉じた。やはりまだ完全に覚醒していなかったのか、あるいは蓄積した疲労が抜け切れていなかったのか、すぐに眠気に襲われ、某ネコ型ロボットが活躍するアニメの、丸眼鏡の少年のように、速攻で眠りに落ちていくかと想われた。

 

「ザメハ!!」

 

 しかし、ザナックが発した言葉により、何か不思議な感覚が体を包んだかと想うと、ヒカルを取り巻いていた眠気は一気に霧散した。そして、この言葉、呪文を耳にした彼は、自分の想像したことが現実であると思い知らされることになる。

 

「人の名前を叫んでおいて、いきなり寝るでない! いったいおぬしは何者じゃ?」

「はぁ、いや、何者かと言われましても、な~んの芸も才能もない一般人です、ハイ。」

 

 そんな受け答えをとりあえずして、ヒカルは無性に悲しくなった。今までただ生活費を稼ぐためだけに働き、特技と人に誇れるものは何一つない。友だちはいないわけではないが、たくさんいるというわけでもない。現在は恋人も折らず、独身貴族と言えば聞こえはよいが、要するにさみしい独り身なのである。そんな現状をわざわざ口にすることは、自分で分かっていることでも涙が出そうになるのである。

 しかし、ザナックの名前といい、眠気を吹き飛ばす覚醒呪文(ザメハ)といい、やはりここは昔放送していたアニメ『ドラゴンクエスト』の世界なのだろうか? ヒカルが寝落ちする前に見ていたDVD-BOXがそれなのだが、アニメばかり見ていたからおかしなことになってしまったのだろうか? しかし、結局の所、考えてみても何も分かるはずがなかった。

 

「ふむ、(わし)にもなにやらよくわからんが……おぬしからは邪悪な気配はせん。何か訳ありのようじゃの……。」

「はぁ、それが……。」

 

 ヒカルはしばし迷ったが、自分で考えていても結局何も分からないと結論づけ、ザナックにすべてを話すことにした。自分がおそらくはこことは『別の世界』からやってきたこと、元の世界で語られている物語の中で、勇者と魔王が対決する話があり、その中にザナックが出てきたこと、ちょうどその話を読んでいたら寝落ちしてしまって気がついたらこうなっていたこと、それらを順を追って、なるべく文化の違いで混乱しないように配慮しながら話して聞かせた。アニメだのDVDだのは、この世界の文化からして理解不能であろうから、物語の書かれている本を読んでいたことにしておいた。そういった部分を除けば、ヒカルは自らの現状を偽りなくザナックに話して聞かせたのだった。

 

「むぅ、そうか、そういうことか。」

「え? いや、信じてもらえるんですか?」

 

 驚いたことに、やけにあっさりと納得された。どういうことかと首をかしげるヒカルの前で、ザナックは紫色の頬にこれまた紫色の手を当てて、なにやら考え込んでいる。

 

「いやな、おぬしはこの近くの森に倒れておったんじゃが、その周囲の空間に、わずかじゃがゆがんだ痕跡のようなものがあっての、ひょっとしたらと儂も可能性のひとつとして考えんでもなかったが、長い人生の中で、そんなことは経験したこともなかったからのお。」

 

 どうやら、ヒカルは『空間のゆがみ』というものに飲み込まれてこの世界にやってきたらしい。そういった超常現象的な変化を、この老人は感じ取ることができるようだ。多くの魔法を使いこなすだけでなく、それ以外にも様々な知識を持っているだろうこの老人に、ヒカルはダメ元で頼み事をしてみようと想った。

 

「あ、あの~。」

「ん?」

「いや俺、別世界に来てしまって、これからどうしたらいいか全然わかんないんですけど、ご迷惑かとは思いますが、しばらくおいてもらえませんか? 雑用でも何でもしますんで。」

「ああ、かまわんよ、ちょうど今、弟子を一人、育てておるんじゃが、これがなかなかに不出来での、いろいろ手伝ってくれるとありがたい。」

「わかりました、呪文とか唱えられないんで、ほんと肉体労働しかできないと思いますけど……よろしくお願いします。」

「ホッホッホッホッ、それで十分じゃよ、それに魔法なら、たぶん今後、使えるようになるじゃろうから、の。」

「え?」

「ホッホッホッホッホッ。」

 

 かくして、ザナックはヒカルの頼みを快く引き受け、ここに異世界での奇妙な生活が始まったのである。しかし、この出会いが今後の世界に与えていく様々な影響を、ヒカルはおろかザナックでさえも、まだ知るよしもない。

 

***

 

 そんなわけで、ザナックの道場に居候することになったヒカルは、彼の弟子という形で生活を共にすることになった。最初に約束したとおり、雑用はなんでもこなした。掃除に洗濯、料理など家事全般に、買い出しや薬草採取の手伝い、魔法の実験助手など、それはもう多岐にわたっていた。もっともザナックは料理は好きなようで、それは交代制で行うことになった。ザナックはふだんは畑を耕したり、狩猟や山菜の採取などをして自給自足をして暮らしている。ここの山々はホーン山脈といって、険しい山が連なっておりなかなか危険な場所だ。モンスターに襲われることもある。日常的にそんな環境であれば、生活していくうちに自然と戦闘力は身についてくるものだ。しかし元々科学万能の世界にいたヒカルの戦闘能力など一般人に毛が生えたほどにしかならなかった。せいぜい効率的に敵から逃げられるようになったくらいである。

 ところが、驚いたことになぜか魔法の才能はあったらしく、少しずつ呪文が使えるようになってきた。火炎呪文(メラ)でも使えると火おこしに便利だったり、松明(たいまつ)の火種になったりする。戦闘以外にもいろいろな使い方ができておもしろいものだ。あれこれやっている間にまたたくまに数ヶ月が過ぎていき、いつの間にかザナックが交流しているふもとの村、リバーサイドにも師の遣いということで出入りするようになり、村人たちとも交流を深めていった。

 そんなある日、ヒカルはザナックの遣いで、薬を届けに村にやってきた。もうすっかり顔見知りになっているので、門のところで見張りの者と話をして通してもらい、早々に頼まれた薬を道具屋の店主に手渡した。どうやらこの家の一人娘がモンスターに呪いをかけられてしまったらしく、それを解呪する特別な魔法の薬を調合してやったらしい。何度も頭を下げて礼を言う店主に、師匠に伝えておくよと軽く返したヒカルは、休憩を取るためにザナックがたてた村外れの別荘へ向かう。

 

「あ~、ご主人様だぁ、おかえりなさい~♪」

「お、ミミか、久しぶり。」

「も~、最近ぜんぜん来てくれないんだもん、ミミ寂しかった~。」

 

 ピンクの髪をツインテールに結んだ、某美少女戦士アニメの小さな方のうさぎさんのような女の子が、とてとてとヒカルの方へ向かってくる。よく見ると、人間と違って耳がとがっているのがわかる。そう、ファンタジーの世界によくいる住人、この子はエルフなのだ。なので人間の10倍くらい寿命があるらしい。しかも肉体が若いままの時間が相当長いらしく、見た目から正確な年齢を推し量ることは難しいという。ミミと呼ばれた彼女も、見た目は12歳くらいか、下手するともっと幼く見えるが、この見た目で人間の老人よりもはるかに長く生きている。

 

「いい加減、その、ご主人様はやめような?」

「だめ~、お姉ちゃんとふたりで決めたんだから~、命の恩人には一生尽くすの~、身も心もご主人様のものになるのぉ~。」

 

 身も心も、とか、その外見で口にするのはなんとも危険な香りしかしない。どこかからおまわりさんが出てきて連行されるのではないかと、この世界ではありもしないことを連想してしまうヒカルだったが、そもそもミミは130歳を超えている。幼い少女に見えても、人間でいえば世界最高齢のお婆さんも真っ青な年齢なのだ。ただし、エルフの感覚では見た目の通り少女だということは聞かされている。寿命自体が極端に違うため、大人や子供の概念も人間とは違うのだろう。また当然ながら、子供であってもその精神が人間の子供と同じというわけではない。時間の感覚自体が違うのだから、これもある意味当然だろう。

 しかし、手をつないで歩く2人の姿は、どう見てもお父さんと子供か、とても歳の離れた兄妹にしか見えない。ミミの方も、手をぎゅっと握ったり、ぶんぶん振ってみたり、子供っぽい行動を取っている。それが本心なのか演技なのか、エルフは愚か、人間の女性との関わりですら経験が多いとは言えないヒカルにとっては測りかねることだった。

 

「ご主人様、お帰りなさいませ。」

「あ、ああ。ただいま?」

 

 目的の建物の前で、ミミと同じピンク色の髪、こちらはストレートのロングヘアーの女性が、優しい笑顔をヒカルに向けている。ミミの姉で、名前はモモという。もちろん彼女もエルフで、見た目は20前半だが、やはり人間よりはるかに長く生きている。実年齢はヒカルには秘密だと言っているが、エルフは人間の約10倍の寿命を持っているため、おそらく200歳は優に超えているだろう。

 

「……ところでさ、なんで君、ここにいるの?」

「お帰りをお待ちしていましたわ。」

「いや、そういうことじゃなくて……、いや、いい。」

「? さ、どうぞ、お昼ご飯の支度ができていますわ。」

「ああ、ありがとう。」

 

 ヒカルはモモに促され、ミミをつれて小屋に入る。何故、毎回自分がここへ来るのがわかるのだろうか? 突っ込んで聞いてみたい気もするが、なぜか心が全力で警鐘を鳴らすので、深く追及することなく言葉を飲み込んだ。居間のテーブルには粗末だが丁寧に作られたであろう食事が並んでいた。

 本当に、この姉妹にはいつも世話になっているなあ、とヒカルは改めて思う。もともと彼がたまたま、本当にたまたま彼女たちの命を助けた格好になったのがきっかけだが、それでもやりすぎなくらい世話を焼いてくれる。傍目から見てもあきらかに容姿の整った姉妹と仲良くしているのだから、男にとって悪いことではない、そのはずなのだが……。

 

「はいご主人様、あ~ん、してください♪」

「いや、自分で食べるから……。」

「あ~、お姉ちゃんずるい、ミミもご主人様にあ~ん、するのぉ~~。」

 

 世話を焼くといっても、明らかに度を超しているその様子に、見る者が見ればうらやましがり、特定の人種に至っては血涙を流して嫉妬することだろう。しかしこういった待遇になれているとはいえないヒカルにとっては、一歩も二歩も退いてしまう事態になっていた。

 

「今日のドリンクはミルクです。今朝絞りたてをもらって、魔法で冷やしておきました。口移しの方がいいですか? ご主人様?」

「いや冷えてるのに口移ししたらぬるく……って、そうじゃないそうじゃない! 自分で飲むから普通にこっちによこしなさい!」

「そんな遠慮なさらないで、あ、何なら私のミルクでも……。」

「ぶっ、おまえ昼間から何を言ってるんだ、胸を出そうとするな胸を! 子供もおらんのにそんな液体が出てきてたまるか、飯くらい普通に食わせろ!」

 

 異世界でエルフの女の子とイチャイチャしているとかいう、非現実を突きつけられている現状は、彼にとって「受難」であるといって差し支えないだろう。

 

***

 

「ごちそうさまでした。」

「お風呂が沸いてますよ、ご主人様。片付けは私がやっておきますから。」

「ん、あ~、ありがとう。」

 

 夕食後、ヒカルはモモに促されて、着替えを持って浴室に向かう。手早く脱衣して、体を洗い、湯船につかる。いつもながら、どういうわけか昼間から風呂が沸いていて、彼好みの温度に調節されている。

 

「は~、生き返る~。」

「ほんと、あったかいね、お風呂大好き♪」

「うんうん、風呂は生き返るよなぁ、ってあれ?」

 

 隣から、するはずのない声が聞こえてきたような気がして、ヒカルは振り返ろうとしたが、何故か何かががっちり体にくっついていて動きづらい。おまけに自分の左腕に、小さいけれども柔らかなふくらみを二つほど押しつけられている感じがする。気のせいだと思いたいが、ふくらみの先端もはっきりと自分の腕をつついてくる。

 

「えへへぇ~~。」

「う、うわぁあっ?! ○×□◎☆△!!!」

「もう、ご主人様、ミミがお背中流すから待っててって言おうと思ったのに、さっさと行っちゃうんだもん。はい、もう一回上がって、洗いっこしましょ♪」

 

 いつの間にか、楽しそうに笑う少女の顔が目の前にあり、ヒカルは情けない悲鳴を上げた。知らないうちに抱きついていた腕は解かれ、彼の前には少女、ミミの産まれたままの姿がさらされていた。湯気でぼんやりとしている部分はあるが、いつもと違って下ろした長い髪に、くりくりとした美しく青い瞳、なめらかな肌は桃色に上気し、膨らみかけの双丘の頂上では、小さな蕾がしっかりと自己主張している。そのままへそから下へ視線を向けそうになるのを、ヒカルは理性で無理矢理に押しとどめた。

 これはまずい。、いつかこういうことをされそうな気がしないでもなかったが、さすがに不意打ちすぎる。そもそも、いくら100歳を超えていると言っても、人間の感覚で見た目が10代前半にしか思えないようなミミと一緒に風呂に入るなど、許容できるはずがない。ヒカルはこの場から逃げることを選択し、入り口まで一目散に掛け出そうとした。だが、そのときである。

 

「精霊たちよ、かの者を惑いの霧の中にとらえよ……、マヌーサ♪」

 

 急に、ヒカルの視界がもやのようなもので覆われ、ただでさえ湯気でぼやけていた周囲の状況がますます把握できなくなった。幻惑呪文(マヌーサ)、対象者を魔法の霧で包み込み、惑わす呪文である。レベルの高い魔法使いならば精巧な幻影を見せることもできるといわれているが、ミミの唱えたものは周りを見えづらくする程度のものだ。だが、彼女にとってはそれで十分、出口さえ正確に把握できなくすれば、大好きなご主人様はこの場から動けなくなるのだから。こういう行動一つをとってみても、彼女が見た目通りの子供でないこと、同時に人間ではない存在であるということがはっきりと分かるのである。

 

「こ、こらミミ、やめなさいっ!」

「洗いっこ~~お♪」

「助けてくれ~、誰か出してぇ~。」

 

 ヒカルはこの後何があったのか、ぼんやりとしか覚えていない。思い出したくないとも言う。ただ、のぼせてモモに介抱されたことだけは確かである。

 このように、いろいろとドタバタした騒がしい日常を送っているヒカルではあったが、訳も分からず異世界に来てしまった身の上としては、幸せな生活を送っていると断言してよいだろう。少なくとも、命の危機にさらされたり、とんでもなく理不尽な目にあわされたりということは、今のところ起こっていないのだから。エルフ姉妹の桃色の髪はヒカルのいる世界ではありえない色だった。だからこれが現実ですと言われてもどこか違和感があったのは確かだろう。しかし、ピンクの髪の女性と言っても、異世界から来た男を犬呼ばわりしたり、身分を笠に着て服従させようとしたり、挙げ句の果てには逆らえば鞭を振るって報復してくるような危険な存在に比べたら、多少度を超していても、かいがいしく世話を焼いてくれる存在がいるというのは、右も左も分からないヒカルにとっては大きな心の支えになっていたのである。

 

***

 

 『アベル伝説』の舞台は、科学がまだ発達していない世界として描かれている。人々はお世辞にも便利とは言い難い不自由な生活を送ってはいたが、高度な文明が発達していない分、空気はよどみなく、水はどこまでも澄んで、どこでも豊かな自然が満喫できた。そんな訳だから、水質汚濁などという言葉を知る者も、その概念を持つ者も、誰1人いなかったし、仮にそういう現象がゆっくりゆっくり進んでいたとしても、初期の段階で気づける人間はまずいなかっただろう。

 いつのころからか、ゾイック大陸と呼ばれる大陸の東の方から、徐々に死んだ魚が流れてくるようになった。ゾイック大陸に暮らす者たちは、東にある今は滅んだエスタークという古代人の都の跡地が、死せる水という汚れた水で満たされた沼地になっていることを知っていたため、何か不吉なものを感じていた。特に、自然と医師を通わせて強力な魔法を行使できるエルフなどは、何か悪いことの予兆ではないかと警戒を強めていた。しかしそのような存在は世界全体から見ればほんの一握りで有り、多くの人々、いや人間以外の種族であっても、この世界の水が、徐々に汚染されているということに気づいてはいなかった。また、水の汚染といってもごくわずかな地域にとどまっていたから、大多数の者たちは普段と変わらない生活を送ることができていたのである。ヒカル、エルフの姉妹、リバーサイドの人々、ザナックやヤナックでさえも、それは同じであった。

 そう、まだ、この時点では、世界は平和だった。だが、ヒカルは忘れていた。この世界を脅かす『悪』の存在たちを。そしてそれらはまだ、彼の前に姿を現してはいなかった。

 

to be continued




※解説
ザメハ:眠っている仲間をたたき起こす。パーティ全員に効果がある便利な呪文。ゲームでは僧侶が眠ってしまって使えないことも多々ある。
マヌーサ:相手に幻影を見せて攻撃を空振りさせる。初期に敵に使われるとやっかい。今回はエッチな使われ方をした。ミミちゃんマジ犯罪、容姿的に。

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