【一時休載中】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説 作:しましま猫
※11/21 オカタヌキ様、誤字報告ありがとうございました。修正しました。
ドラン王都の、王城にほど近い一等地にある、兵士たちの訓練場の広場で、2人の人物が相対している。共に木刀を構え、間に立つ審判が下す開始の合図を待っていた。2名のうちの1名は男、といってもまだ少年であり、短く切りそろえられた黒髪に、切れ長の目が特徴的だ。対するもう1名は、短い金髪に整った顔立ちをしており、一見すると金髪の美男子のように見えなくもないが、その体つきからまぎれもなく女性であることが見て取れる。2名は木刀の他には、訓練用の革の鎧を身につけ、これまた訓練用のブーツを履いているのみである。
「はじめ!」
審判である男の手が振り下ろされると同時に、少年は木刀を構えて、ものすごい速度で女性に迫る。そのスピードは審判である男、王国近衛隊長のゼシアルの目をもってしても、動きをギリギリ追いかけられるかどうかと言うほど、常人離れした速度だ。もっとも彼は速さに特化した戦い方をするわけではない。近衛や騎士団の中には、ゼシアル以上、今のトビーと同じくらいのスピードを出せる者もいる。しかし、それは片手の指で数えられるほどでしかなく、いずれもドラン屈指の強者、英雄に片足を突っ込んだ領域にいる者たちだ。
「遅い!」
「くっ?!」
攻撃を受けている女性はその場から一歩たりとも移動することなく、繰り返される剣劇をすべて受け止め、流し、時にはその間隙を縫うように少年に一撃を浴びせている。それに苦悶の声を上げながらも、彼は倒れることもなく、攻撃を続けている。
「信じられない。あんな子供が、こんな攻撃を……。しかも、だんだん速くなっている、だと?」
ゼシアルが驚愕するのも無理はない。開始直後の速度でさえも、目で追うのがやっとだったのに、今や斬撃くらいしか捕らえられないほどに速くなっている。通常なら疲労が蓄積し、だんだんと遅くなっていくものだろうが、少年の攻撃は繰り返されるごとに速度を増し、女性の方は徐々に押されているようにさえ見える。
「そこっ!」
「むっ?!」
少年の気合いの入った声と共に、さらに速度を増した連撃が女性を襲う。それはやがて無数の閃きとなり、全方位から標的に向かい放たれた。
勝負あったか、と、信じられないという表情をしながら、ゼシアルが判定を下そうとしたとき、さらに信じられない事が起こった。
「……強くなったな、トビー。」
「う、わっ?!」
いつの間にか、女性の姿は少年の前から消えており、はっとした彼が振り返った瞬間、鈍い打撃音と共に、彼の側腹部に木刀による一撃が打ち込まれた。
「が、はっ……!」
「そ……それまで、勝負あり! 商社、アン!!」
自らが持つ獲物を放り捨て、崩れ落ちる少年の体を、女性は優しく抱き留める。その表情には先ほどまでの鬼気迫るものはなく、どこまでも優しく、また何かに満足したような柔らかなものだった。
「ふむ、正直驚いたぞ。あれは"さみだれぎり"、ふつう人間には使えない技のはずなのだがな。」
「げほっ、やっぱ、また一発も入らなかった……。」
「いや、そうでもないぞ。」
この試合の目的は一つ。少年、トビーが王国騎士団に入隊するに足る実力があるかを見極めること。その条件は、現在ドランで最も強い戦士、アンに一撃でも与えることだ。それが叶わなかったと悔しがる彼に、アンは自分の右腕を見せる。そこには、確かに何かで打ち付けられたような青あざがくっきりと遺されていた。
「どうですか、ゼシアル団長?」
「……正直驚いたよ。君に一撃入れられる者など、手加減された状態でも片手の指で数えられるほどしかいない。文句なしの合格だ。」
「……だそうだ。」
「あ、ありがとうございますっ!」
喜ぶトビーの顔を見て、満足そうに頷くゼシアル団長は、歩み寄ってくるアンに視線を向けた。そして、おもむろにこう切り出した。
「それで、気の早い話なんだが、トビーの配属先をどうしようか、騎士団内でも意見が分かれていてな。」
「ああ、まあしばらくは他の新入りと同じように一通り全部隊を回らせて経験を積ませ、その後はそうですね、騎士団なら三番隊、兵士団なら市場警備の日勤あたりから初めてみましょうか。何事もした済みの経験は大切ですから。」
この国の兵士や騎士は新入りであればすべての部署を回って一通りの仕事を1年ほどかけて体験し、その後最も適性が高いと考えられる部署へ配属される。ヒカルが元いた世界での新人研修の制度が、しっかりと確立されていた。アンの話を聞いていたゼシアルは、少し困ったような表情を浮かべ、言いずらそうにしていたが、やがて決意したように口を開いた。
「そのことなんだがな、実は彼の配属先について上から要望が来ているのだ。」
「こんな11歳の子供にですか? いったいどこから?」
「それが、姫様直々に、自分の近衛隊、それも直属の護衛として欲しいと……。」
「「はあ?」」
アンとトビーはほぼ同時に間抜けな声を上げてしまう。王女の護衛は近衛二番隊の役目だが、そもそもここに配属されるためには、ただ強ければいいというわけではない。もちろん強さも必要だが、王女仕えの騎士として、貴族社会に対する礼節なども重んじられる。従って、ここに配属されるのは経験の長いベテランばかりである。名家の子女であれば、若くても採用されることはあるが、それでも新人研修とは別に数年の経験を積まねばならず、たとえ伯爵家の関係者という肩書きがあったとしても、新人がいきなり研修後に抜擢されるなどということはまずあり得ない。
あれから、兄妹は結局シャグニイル家の養子にはならず、ヒカルを後見人として、トビーは王宮騎士であるアンの弟子として、ルナは教会の神官見習いとしてドラン国籍を取得している。形だけでも伯爵家の子息となっているのならまだ、形式上身分だけは要件を満たしているが、現在のトビーの身分ではどうやっても分不相応な部署であると言わざるを得ない。
「何かの間違いではないのですか?」
「いや、間違いなく、私が姫様ご本人から直接伺った、ここに書簡まで提出されている。」
「いったいどうなっているのですか? 姫様がこんなご無理を言われるとは……。」
「そのこともあって、人事の部署が大騒ぎになっているのだ。姫様のご意向となれば無碍にもできん。」
「それは、そうですが……。」
未だに状況がよく分からずに困惑するアンとトビー、だがそれはゼシアルにしても同じ事で、普段は兵士は愚か傍仕えのメイドの配置に至るまで、1歳口を出したことのないサーラ姫の突然の「おねがい」に、王宮内は混乱するばかりなのだった。
***
王城のとある1室、王宮内にしては珍しく、割と簡素といえる机と椅子、わずかな調度品だけが置かれた部屋で、ヒカルとサーラ姫が向き合い、魔法の授業が行われていた。
「さて、今日の復習です。まずはメラ系とヒャド系の呪文を、階級の低い方から順番に答えてください。」
「はい、メラ系はメラ、メラミ、メラゾーマ、メラガイアー。ヒャド系はヒャド、ヒャダルコ、ヒャダイン、マヒャド、マヒャデドス、全部で9つです。ただし、メラガイアーとマヒャデドスについては、実在するかどうか疑わしいという見方もあり、学者の間で意見が割れているそうです。」
「それでは、メラゾーマやメラガイアー、あるいはマヒャドやマヒャデドスを極大呪文と呼ばないのはなぜでしょう?」
「それは、両者とも熱エネルギーを操作するという意味では、同じ呪文といえるからです。温度を+側に操作すればメラ系に、-側に操作すればヒャド系になります。」
ヒカルの発問に、サーラ姫はよどみなく答えていく。今年11歳になった彼女は、相変わらずその年齢にしては考えられないほど理髪で、大人顔負けに気の利く才女に成長していた。王族として必要な知識に加え、魔法屋剣術、体術、兵法など戦いに関する知識、その基礎的な技術までも次次と吸収していた。もはや才女などというありふれた言葉では、彼女のすごさを表現しきれないくらいである。
「結構、では最後の問題です。温度を操作するこれらの呪文の最高位に位置する呪文と、その効果を答えてください。」
「呪文はメドローア、効果はこの呪文の光に触れたあらゆる物質の消滅です。」
「はい、正解です。では今日の授業はここまで。」
「ありがとうございました。」
ヒカルとサーラは互いに短く礼をし、本日の授業はこれで終了となる。それを見計らったかのように、メイドが2人の前に紅茶のカップを、テーブルの真ん中にクッキーの盛られた皿を置き、速やかに退室していった。ヒカルは紅茶を一口飲み、上品な動作でクッキーを食べているサーラに問いかける。
「ところで姫様、トビーを護衛にしたいという要望を出されたと聞きましたが?」
「はい。」
「内容的にかなり無茶な要求だと想うのですが、何か理由がおありですか?」
サーラはクッキーを1枚食べ終えると、ハンカチで口元を拭い、それからヒカルの背後にある窓の外へ視線をやり、何かを思い出すように目を閉じた。
***
その日は砂漠の夏にしては気温もあまり高くなく、青空と
「へ、陛下、大変でございます!!」
「何事だ、騒々しい。」
「ひ、姫様の姿が、どこにも見当たりません!」
「……またか。最近はおとなしいと想って油断しておったわ。」
ピエール王はため息を吐きながらも、特に焦ったりうろたえたりする様子はない。王族が城からいなくなるなど大問題なのだが、おてんばなサーラ姫のこのような行動はわりと頻繁にあるため、いちいち騒いでいたら身が持たなくなる。
「婆や、グリスラハール夫人よ、そう慌てるでない。いつもの事だ。」
「し、しかし陛下!! もし、もし姫様に何かあれば、私は、私は……ううっ。おのれあのモンスターめ、それとあのメイドも、あとでこってりとお灸を据えてやらねば。」
「やれやれ、誰かある、近衛二番隊隊長をこれへ。」
「陛下、二番隊隊長マンセム、これに。」
「聞いての通りだ。姫を探して連れ戻せ。ただし、騒ぎ立てて民に迷惑をかけるでないぞ。」
「心得ております。マネマネとメイドはいかがいたしましょうか。」
「捨て置け、姫が逃げるたびに処分していたのではそのうち城内に人がいなくなるわ。それにモンスター達はメダル王の客人、くれぐれも無礼な振る舞いは謹むように。婆やも、良いな?」
マンセムと呼ばれた騎士は一礼すると、謁見の間を足早に出て行った。それでもまだ落ち着かずにうろうろする老婦人の姿に苦笑しながら、ピエール王は政務の続きに取りかかる。
「あのバカ娘が。」
「陛下? 何かおっしゃいましたか?」
「……何でもない。そなたも部屋に戻って休んでおれ。」
「かしこまりました。」
王がつぶやいた悪態は、耳の遠い老婦人に届くことはなく、彼女はゆっくりと執務室を出て行った。執務机の傍らに控えていた護衛の騎士がわずかな笑みを漏らしたことも、目が悪くなってきている彼女には、やはり気づかれることはなかった。
***
少年は困惑していた。日課である午前中の訓練を追えて、少し時間があったので、訓練用具の置き場として使っている倉庫の整理をしていたのだが、小屋の奥にある大きな酒樽をどかした先に、古びた地下への階段を見つけたのだ。まあそれだけであれば、この国の貴族の館はところどころ、王宮と地下通路で繋がっていて、緊急時にはそこが重要人物の闘争路として使われるということをトビーは知っていたから、どうということはなかった。しかし、今、彼の目の前には、ほこりまみれの倉庫には似つかわしくない、黒髪の美しい少女が立っていた。服装は、女性の兵士が王宮内でよく着ている革のドレスだが、彼女が兵士でないことは、その華奢な体つきから明らかだ。この地方では十分に色白といえるきめ細かな肌、つややかな髪、見るものを釘付けにして止まない美しく澄んだ瞳。確かに髪型も変わっているし、普通なら気づかないくらい完璧な変装だが、トビーに限ってはその人物を見間違えるはずがなかった。
「ひ、姫様? サーラ姫様?!」
「えっ、どうして……。」
サーラは驚き、明らかに動揺した表情を浮かべている。なぜ、目の前の少年は自分の変装を一発で見破ったのか。
その時、サーラは少年の首にかけられたペンダントを見て、あることを思い出した。そのペンダントを所有している人物は、自分を除けば今この国、いや世界に1人しかいない。だから、半年以上会わなくて、短い間に大きく成長して風貌が変わってしまった少年の名を、サーラは確信を持って呼ぶことができた。
「あ、あなたはもしかして、トビー? じゃあここは……。」
「はい、シャグニイル邸の倉庫区画です。」
サーラが自分の名前を覚えていたことに、トビーは多少驚いたが、彼女が恐ろしく記憶力の良い人物だというのは、ヒカルから聞かされて知っていたので、姫様って凄いんだなと納得して、それ以上考えることがなかった。彼女から送られたペンダントの意味と、それを約束通りいつも自分が身につけていることの意味、まだ幼い彼は、それを正確に理解できてはいなかった。
「そ、それよりどうして、姫様がうちの倉庫に……。」
「お城を抜け出してきてしまいました。だって、退屈なんですもの。」
さらっと爆弾発言をするサーラを、トビーはしかし、まったく違う感想を持って見つめていた。いたずらっぽく笑う彼女の表情が、彼を捕らえて放さない。美しい彼女に見とれてしまい、彼は結構な時間を沈黙していた。
後の人々は語った。ドランの王女サーラに仕えた1人の騎士は、幼少の頃からすでに、姫の騎士であったのだと。
***
トビーは考える、どうしてこうなった、と。あれから城に戻りたくないというサーラに押し切られる形で、教会に併設された孤児院に来ている。サーラは孤児達に交じりながら、かくれんぼをしたり鬼ごっこをしたりと、活発に動き回っている。
「モンド、つ~かま~えた♪」
「はあはあ、嘘だろ、サリーちゃん脚速すぎるよ。」
ここの孤児達は、トビーとルナの素性をほとんど知らないが、この少年、茶髪を少し長くして後ろで結っているモンドという少年だけは、彼らの素性をすべて知っていた。そんな彼にも、目の前で鬼ごっこの鬼をしている人物が姫だなどとは打ち明けられず、彼女は世話になっている男爵の家の令嬢で、騎士見習いをしているサリーだと嘘をついた。現在サーラはサリーという少女になりきり、モンド達がいつも遊び相手をしている、孤児院の小さな子供達と戯れていた。
「うわああん、痛いよう。」
「マリサったら、また転んじゃったの?」
「あ、血が出てるよ、速く手当てしないと。」
走り回っていた小さな女の子が1人、転んでケガをしてしまったようだ。しかも悪いことに、足に何かの破片が当たって切り傷を作っている。まだ4歳の彼女は、痛い痛いと泣きじゃくるばかりだ。
「あらあら、大変、ちょっと見せてみて。」
「こりゃあ、この植木鉢の破片で足を切ったのか。誰だよちゃんと片付けなかったの。」
「とにかく教会に連れて行って手当てしないと、けっこうぱっくり切れてるぞ。」
サーラがいちはやく少女、マリサに駆け寄り、モンドが傷の状態を確かめる。その後ろからトビーが心配そうに様子を見ている。確かに、きちんと血止めなどの処置をしないといけないくらい、大きな傷口からは思いのほか多量の出血が確認できた。
「大丈夫よ、マリサ、だったわね。ちょっと動かないでね。」
「痛いよう、うえええん。」
「大丈夫、すぐに治してあげる。マリサの血肉よ、その傷を癒せ。」
マリサの足にかざされたサーラの手から、淡く緑色の魔法の光が放たれ、それは少女の傷口を優しく包んでゆく。次第に痛みが薄れてゆき、マリサが目を開いたとき、彼女の目の前には優しく微笑む少女がいて……。
「ホイミ。」
開いていた傷口がみるみるうちに塞がって。数秒もたたないうちに、そこには出血した血液以外は何もなくなっていた。小さなマリサは、このとき、サリーという名前以外何も知らないこの「お姉さん」を、精霊神様の遣いだと、本気で思った。
「あれ、いたく、ない。すっご~い、おねえちゃん神官様だったの?」
「そういうわけではないわよ。これ以上難しい呪文は使えないから。」
サーラはマリサを抱き上げると、汚れを落として着替えさせると言って教会の建物の方へ歩いて行った。トビーもモンドも、驚きで呆然としてしまい、彼女たちを見送ることしかできなかった。
そんなことがあってから、サーラは時々城を抜け出しては、サリーとしてトビーと城下町を回るようになった。孤児院で子供達と遊んだり、買い物をしたり、祭りを見に行ったこともあった。そんなことがあるたびに、お城では婆やが大騒ぎし、周囲の者がそれに振り回されるという事態が起こっていたが、それは余談だろう。確かに、王族が供も連れずに街を散策して歩くなど、警備のことなど考えるともってのほかだ。しかし、サーラだって、内面は10歳そこそこの少女だ。年頃の子供達と一緒に遊びたい、普通に街を散歩したい、そんなことを願ったからといって、誰が彼女を責められるだろうか。もっとも、そのたびに捜索を命じられる近衛騎士達は気の毒ではあったが、王は別にサーラがその日のうちに戻ってさえいれば、小言の一言二言くらいで済ませていたから、近衛騎士達にとっても王の命令は形式だけのものであるというのは周知の事実だった。
「ねえ、トビー。」
「ん? 何代サリー?」
トビーとサリー、2人の会話ももう慣れたもので、この自然なやりとりを見て、サリーがサーラ姫だと気づくものなどまずいないだろう。最初はそういう「演技」をすることで何とか緊張を抑えていたトビーも、最近では自然と、普通の女のこと話すように会話できていた。
「手をつないでくれますか?」
「え?」
「だめ、ですか?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……。」
戸惑っているトビーの手を、サーラはしっかりと握り、2人は仲良く手をつないで祭りの喧噪の中へ消えていった。笑顔のサーラと、顔を赤くして照れるトビーと、彼らは周囲の人たちの目に、どのように映ったのだろうか。
***
テーブルに置かれた紅茶とクッキーはすでになく、空のカップと皿だけが置かれていた。先ほどまで対面に座っていた男はすでにおらず、部屋の窓から外を見つめる少女の目には、夕日に照らされる城下町が映っていた。ここは城の一番高い位置にある部屋。東西に2つある塔のうち、ひとつの最上階だ。ここからは城に近い区画の様子を一望することができ、行き交う人々が黒い点のように遠くに見える。それが、自分と他者との隔たりのようで、サーラ姫は一瞬、悲しそうな顔をしたが、胸の前で組んだ手をぎゅっと握りしめ、静かに目を閉じた。
「精霊神様、彼に、トビーに巡り合わせてくださって、ありがとうございます。」
サーラの首からは、トビーに渡したものと同じペンダントが下げられている。これは精霊神ゆかりの品であり、世界に一対、つまり2つしかない貴重なものだ。なぜそんな貴重なものを、トビーに渡そうと想ったのか、サーラ自身にも明確にはわからない。ただ、彼女にとってトビーははじめてできた、同世代の友だちだった。彼女が自分から、友だちになって欲しいと口にした相手は、モンスターを除けば彼だけだったのだ。
後の人々はこう言った、これは「運命」だったのだと。
「トビー、初めて会ったときの……私の9歳の誕生日の約束を覚えているかしら。……忘れてしまっているかもしれない。……でも、いいの、だって、あなたは、ちゃんと私を守ってくれたもの、そう、あの時も……。」
「あらあら、リンゴみたいに真っ赤になっちゃって、どうしたの?」
「えっ、べ、ベス?? いつからそこに?」
「ずいぶん前からいるわよ。……ふ~ん、トビーがどうしたって?」
「な、何でもありません!!」
サーラの頬が真っ赤なのは、決して沈みかけた夕日の光の性だけではないだろう。スライムベスのベスはおかしそうにケラケラと笑いながら、サーラの肩にぴょんと飛び乗る。そういえばそろそろ行かなければ夕食に遅れるなと、顔が赤いままの姫は真っ赤なスライムを伴って、父王と夕食を共にするため、部屋を後にした。
***
温かい暖炉の火が、部屋全体を優しく照らし、包み込んでいる。パチパチと燃える薪の音が耳に心地よい。ここ、シャグニイル邸の食卓テーブルには、これでもかと盛られたごちそうの山が、卓を囲む者たちの口に入るのを待っている。ヒカル、アン、トビー、ルナ、そしてモモとミミが食卓に着いている。本来、使用人であるエルフの姉妹達が主人と食卓を囲むことはあり得ないが、ヒカルとアンは彼女たちを、いや使用人すべてを家族と見なしているため、彼女たち以外でも、使用人が同じ食卓で食事を取ることは、この館においては日常の光景だった。最初は恐縮して遠慮していた者たちも、子供を作れないことをアンに打ち明けられ、家族になってくれと頼まれれば嫌とはいえなかった。この館で働くものは数こそ少ないが、ヒカルとアンが行く先々で人助けをした結果、雇われた者が大半であったため、主人に対する信頼は熱く、また親近感も強かったため、今では全員がひとつの家族のように暮らしている。
「今日はトビーの入団試験合格のお祝いです。料理長と一緒にごちそうをたくさん作ったんですよ。」
「うむ、まだ兵士団と騎士団のどちらに配属されるか、正式に決まったわけではないが、どうも近衛の二番隊に決まってしまいそうな勢いだな。」
にこにこと料理を皆に勧めるモモと、先の配属先の問題で頭を抱えるアンとトビー。それを困惑しながら、それでも食欲の方が先に立っているヒカルとミミ、それをあきれてみているルナなど、反応は様々だが、そもそも何故、サーラ姫はトビーを自分の護衛に指名したのだろうか。ヒカルはサーラにそれを尋ねてみたが、彼女が過去の回想と共に答えた内容、彼が唯一の「お友達」だからというのは、どうも決定力に欠けると想った。
「兄さん、何か心当たりはないの?」
「そう言われてもなぁ……、う~ん、……はっ! まさか、いや、でも……。」
「何か思い当たることがあるの?」
「まさかとは想うんだけど、実は……。」
ルナに訪ねられてしばらく唸りながら考えていたトビーは、やがて1つの出来事を思い出した。それは、この場の誰もが結末だけは知っているとある事件だ。しかし、その顛末をトビーが当時、頑として語らなかったため、結局詳細は分からなかった。トビーは静かに目を閉じ、その時の出来事を一つ一つ、記憶の糸をたぐって思い出そうとしていた。。
***
ドランの都には珍しく、昼過ぎから大粒の雨が降り出し、それは次第に激しくなって、1時間も後には王都は土砂降りに見舞われた。お忍びで教会の子供達の所へ遊びに来たサーラも、雨で外へ出ることもできず、マリサと何人かの小さな子供達を相手に、絵を描いたり物語を読み聞かせたりと、いつもとは少し違う穏やかな午後の時間を過ごしていた。トビーはモンドとシスター達の掃除の手伝いをしつつ、子供達の相手をするサーラを眺めながら、外はあいにくの天気だけれどもこういうのも悪くはないかと思っていた。まあ夕方には、雨の中を屋敷に引き返し、姫を見送る頃にはずぶ濡れになっているかもしれないが、それはそれで仕方ないかと苦笑し、棚にたまっているほこりをはたき落とす。彼に気づいたサーラが子供達の元を離れ、一緒に掃除をするとぞうきんを持ち出したときは少し困ったが、姫という身分を隠している以上、一緒にやらないと不自然である。端から見て仲睦まじく仕事をする少年と少女は、周囲の者たちにさぞ微笑ましく映っただろう。
彼らが一通りの掃除を追えて、サーラがどこからか持ってきたお菓子を子供達に配り、なごやかなティータイムが終わった頃、予想だにしない形で静寂は破られた。
「きゃああっ!!!」
突然、甲高い女性の声と、ドタバタという乱雑な足音に、子供達は驚いて硬直してしまう。いや、それはサーラやトビーを含む子供達だけでなく、その場にいた数名のシスターも同じ事だった。
「い、今の声、シスター・クリスの声だよな……!」
「さっきまで確か礼拝堂でステンドグラスのお手入れを……!!」
「急がないと!! モンド、シスター・エイミ、ここを頼む!」
「あ、トビー!!」
「サー、サリーはここで小さい子達を頼む!!」
そう言い残して、まるで放たれた矢の如く、少年は乱暴にドアを開けて部屋を飛び出した。さっきのシスターの悲鳴から、嫌な予感しかしない。子供達が過ごしていた大部屋から、隣の建物、教会の礼拝堂までは1本の廊下で一直線に繋がっている。空は分厚い雨雲に覆われ、昼間だというのに薄暗いそこを、トビーは迷うことなく走り抜けた。
果たして、彼が見たものは、冷たく光るナイフをシスター・クリスの喉元に突きつけ、神父を脅しているとみられる薄汚れた、ずぶ濡れの、眼光だけは嫌にギラギラとした男の姿だった。
「食い物と金を出せ!! この女がどうなっても……。」
「やめろおぉぉっ!!!」
「な……ぐはっ、うごっ?!」
後先考えず、男に向かって一直線に突き進むトビーの体当たりは、見事男に命中、というか激突し、男はものすごい勢いで壁にたたきつけられる。何が起こったかわからないという表情をしている男の腕に、鋭い痛みが走り、彼は苦痛に顔をゆがめた。
「て、てめえ、このガ……がっ?!」
「……相手が自分より大きい場合、まず手足の自由を奪う!!」
「げご?! ぎゃあっ、オレの腕がっ?!」
男の反応は常に後手後手に回っていた。目の前の少年はいつの間にか、彼の獲物であるナイフを手に、男の両腕を、子供のものとは思えない鋭いナイフ裁きで切りつけ、それは性格に上腕二頭筋腱――力こぶを作っている筋肉の腱――を、深々と切り裂いていた。男はこれで、肘を曲げて力を入れることはできない。
「く、くそう、ちょこまかと!! ぐっ、なん、だと?!」
「はあはあ、これで、もう身動きは、とれない、はずだっ!!」
両腕の傷に気を取られていた男は、今度は足に走る痛みに顔をゆがめた。少年の持つナイフは、男のアキレス腱を性格に、これまた子供の所業と和思えないほど鮮やかに、スッパリと断ち切っていた。彼はとうとう立つことすらままならなくなり、その体を床に打ち付けた。ここまでわずかに数秒、トビー自身は気がついてはいないが、彼に元々才能があったことと、地道に続けていた基礎訓練のおかげで、彼の戦闘能力はその辺の大人でも手に負えないくらいのレベルにまで達していたのだ。
「と、トビー? 大丈夫なの?」
「はあはあ、シスター・クリスも、ケガはないですか?」
「おお、2人とも、無事で何よりだ。」
「神父様、この男はいったい……。私にはなにがなんだか……。」
「判らない。とりあえず兵士団の詰め所へ連絡して、捕まえに来て貰おう。」
「わ、私が行ってきます。」
遅れて礼拝堂に入ってきた中年のシスターが入り口を開け放ち、傘も差さずに飛び出していく。神父とシスター・クリスは現状にやや混乱しながらも、倒れている男を担ぎ上げ、壁際に座らせた。腕と足の剣がことごとく切られているのだ、最早人を傷つけるどころか、自力で立って歩くことすらままならないだろう。そう考えて気を緩め、男に背を向けた彼らは、その口元が歪んだ笑みを形作っていることに気がつかない。
「さ、さあ、もうすぐ兵士さん達がここへ来る、おとなしくするんだな。」
「ククク、それはどうかな?」
「な……に?」
別の方からした声に振り返ったトビーは、その光景に絶句し、また自分の詰めが甘かったことを後悔した。そこには、小さなマリサを小脇に抱え、反対の手でその喉元にナイフを突きつける、もう1人の男の姿があったのだ。
「うわあああん! 怖いよう! お兄ちゃん、お姉ちゃん!!」
「マリサ、マリサを離しなさい、この下郎!!」
「うるせえ、このガキ!!」
マリサを取り戻そうと食い下がるサーラを、男は乱暴に蹴り飛ばす。彼女の体はゴロゴロと床を転がり、トビーの近くで停止する。苦痛に顔をゆがめながら、しかしサーラは樹上にも、震える足を叱咤して立ち上がる。体は恐怖に震えていても、その瞳はしっかりとマリサを人質に取る男を見据え、その心は未だ折れてはいない。
「ひ……サリー、大丈夫なのか?!」
「だい、じょうぶ、です。ちいさなマリサの恐怖に比べたら、こんなものっ!!」
「チッ、気にくわねえガキだ、わかってんだろうなァ!? 少しでも動いてみろ、こいつがどうなってもしらねえぞ。」
トビーは恐怖を抑え込んで立つサーラの姿に、なんて強い姫様なんだろうかと、心の底からそう思った。その姿を見ていると、何故か自分の心のそこからも闘志が湧き上がってくる。彼は全身に闘志の力……
しかし、状況は今のところ著しく不利であると言って良い。先ほどは男の不意を突く形での特攻であったため、相手が対応策をとる前に無力化できた。しかし今は、正面から敵と相対しなければならない状況だ。トビーと男が1対1であったのなら、勝機は十分にあっただろう。しかし、幼いマリサを人質に取られ、うかつな手出しはできない。そんな状況を好機とみたのか、男は先ほどの仲間と同じ要求を繰り返す。
「食い物と金を出せ、このガキを殺されたくなかったらな……。」
「失せなさい下郎。」
「んだとぉ?!」
誰もが、男の要求を呑むしかないと、考えた。しかし、その中にあって、サリー、サーラ姫だけは、男の要求を明確に拒否した。そして、憤怒の様相で彼女をにらみつけ、様々なあおり言葉で威嚇する男に多少引き気味になりながらも、傍らに立つ少年にだけ聞き取れる小さな声で、こう言った。
「トビー、私のことを、助けてくれますね?」
「えっ。」
「これからひとつ、攻撃呪文を試してみます。相手に隙ができれば、あなたならなんとかできるでしょう?」
サーラは握りしめた右手に魔力を込める。少年の答えは聞かない、だって、彼女には判っているから、トビーが、必ず彼女の助けになってくれると、そう信じて疑わないから。それくらいの時間を一緒に過ごしてきたと、彼女は確信していた。
「風の精霊よ、刃となりて切り裂け。」
小声で紡がれた言霊は、彼女の手元から小さな風を巻き起こし、やがてそれは収束し、見えざる刃となって顕現する。それに気がついているのは術者である彼女と、傍らに立つトビーだけだ。
「バギ!」
「なっ ぐぎゃあああっ!!」
放たれた
「くっ、そう……!」
「今だ!!」
タイミングを計ったように飛び出したトビーは、バランスを崩した男に迫り、抱えられているマリサをひったくるように抱きかかえ、あまりのことに呆然としている神父に押しつけるようにして手渡すと、反転して追撃すべく駆けだした。
今までのパターンであれば、バギの一撃を食らった男が立ち直るより、トビーの追撃の方が早かっただろう。先ほどの男程度の実力ならば、今のトビーには太刀打ちできない。しかし、それはこの、もう1人の男も同程度の実力だったなら、の話だ。
「さ、サリー!」
「う、ううっ……。」
「まさか呪文とは……な。重ね重ねナメたマネしてくれんじゃねえか、ええっ?!」
バギのダメージに耐えた男は、悪鬼の如く凶暴な笑みを浮かべ、足下に伏する少女をさらに痛めつけるべく、右手のナイフを振りかぶった。それはもはや、憤怒などと言う表現を通り越し、ほぼ狂気と呼んで差し支えない感情を宿していた。
to be continued
※解説
精霊神のペンダント:精霊神がある理由から、幼いサーラに与えたアイテム。世界に一対、つまり2つしかなく、ひとつをサーラが、もうひとつをトビーが身につけている。すべての状態異常無効、呪文、ブレス威力半減、ステータス上昇、回避率上昇、精神体制上昇などの、この世界では破格の効果が付与されているが、サーラ自身はそれを知らない。このアイテムは2つそれぞれに明確な装備車がいるときに限り、ある条件を満たすと発動する強力な隠し効果がある。
今回の戦闘描写ですが、まあ所詮ゲーム的な世界の話しだと想っておおらかな目で見てくださいね(汗)。ちなみに、人間は正しい姿勢で直立している場合は身体の筋肉にあまり力を入れていませんが、下腿三頭筋、ふくらはぎの筋肉だけは常に明確に収縮し使用されています。
トビー君とサーラちゃんが大人相手に善戦しているように見えるのは、半分は解説にあるアイテムのおかげです。まあ、トビー君は今の段階でもかなり強いですが。
な、なんかヤバい奴に襲撃されてますけど、大丈夫なんですかこれ?! 過去回想だから大丈夫なはず、ですよ、ね??
書いてる私も不安になってきました(をい)。
じ、次回もっ、ドラクエするぜ!!!