【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

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34話のエンディングで、あろうことか原作のキーアイテムこと風の翼を焼き払ってしまったヒカル君。いや、ちょっと、なにやってんのよ君? 原作の流れに介入しまくってるじゃないですかやだあ。
こういう、目の前で起こったことを見過ごせないのが彼の性格で、長所でもあり短所でもあります。


第36話 砕けた夢、折れた翼では飛べない

 アリアハンの村は、大きな竜神湖のちょうど反対側に深い森があり、そこは自然の恵みの宝庫である。木の実や果物、キノコ、薬草などの植物、ウサギやイノシシ、シカなどの獣など、小さな村落の生活を十分支えられるだけの資源があり、水もきれいだ。村人達は自然と共に生き、金はないがある意味、とても豊かな暮らしをしているといえた。

 少年はそんな村落で生まれ、他の村人達と同じように、自然に囲まれ自然と共に生きてきた。そして今日も、いつものように食料調達のため、ウサギなどの小動物を捕まえる罠を設置しているのである。いくつかの罠を仕掛け追えると、少年、モコモコはやや離れた茂みの中へ身を潜め、音を立てないように気をつけながら、獲物がかかるのをじっと待つ。罠を放置しておいて、ほかの動物を狩りに行っても良いが、今日は少し霧が出ていて、これ以上森の奥へ進むのは危険そうだ。

 茂みに身を潜めながら、モコモコはここ数ヶ月の出来事を思い出していた。突如村に現れた、魔法使いだという男は別の大陸から来た貴族だった。その使用人だというエルフの姉妹、その妹の方が今、彼の家に住み着いている。いったい、何がどうなって、こんなことになってしまったのか、モコモコ自身にもよくはわからない。メラゴーストの攻撃から訳もわからずに、無我夢中で彼女をかばったが、結果的に戦いに決着をつけたのはミミの魔法だ。結局、自分は何一つできてはいない。にもかかわらず、目覚めたモコモコに向かって、彼女は笑ってこう言ったのだ。

 

「守ってくれてありがとう、みんなが助かったのはあなたのおかげだよ。」

「え? お、オラ? でもよ、オラ結局あのモンスターにやられて、ぶっ倒れてただけだぜ……?」

「あなたの勇気が、私に力をくれたの、だから、私はあの時自分を取り戻せたし、強い魔法も使えたんだよ。」

「は、はあ……。」

 

 きょとんとする少年の顔をうれしそうに見つめながら、エルフの少女は照れくさそうに顔を赤らめ、少しもじもじしながら、それでも意を決したようにゆっくりと、彼に継げたのだ。

 

「あの、ね、お願いがあるんだけど。」

「え?」

「ミミと、おともだちに、なってくれますか?」

「あ、え、そりゃ、別にかまわねえけど……?」

 

 その時、彼女が自分の手を握りしめたその感触が、こうして1人になったときでも時折、思い出される。思えば、彼の人生で、女の子から手を握って貰うなんて事が今まであっただろうか。村で同じくらいの年頃の女の子といえばティアラだが、彼女は昔から、アベルと一緒にいることが多く、おそらく彼に好意を持っているのだろう事は周囲の誰の目から見ても明らかだ。モコモコもアベルと張り合って彼女の心を射止めようとしたことが何度かあったが、今となっては何故あんなにムキになっていたのか自分でもよくわからない。

 

「けっ、思い出したらなんか腹立ってきたぞ。」

 

 先日あった嫌な出来事を思い出し、そうつぶやいてからはっとした彼は、慌てて仕掛けた罠の方へ目をやったが、時すでに遅し。案の定、罠まで後数歩と近づいていた野ウサギが、その長い耳をぴくりと動かしたかと思うと、一目散に森の奥へと走り去っていった。モコモコははあと軽くため息を吐き、再びうっそうと茂る草の中へと身を隠した。

 夕食のメインディッシュの調達には、今少し時間が必要なようである。

 

***

 

 アリアハンの村で手当を受けていたヒカルの体調が回復し、普段通り動けるようになったのは、彼がこの村に来てからちょうど1週間後のことだった。今までいわゆる『原作』に介入しないようにするため、彼はこの村に近づくのを避けていたのだが、強制転移呪文(バシルーラ)で飛ばされた先がアリアハンというのは、何かの因果だろうか。とにかく、体調が回復したら早々に立ち去ろうと、借りている空き家を引き払う準備を整えていたのだが、そういうわけにはいかなくなってしまった。

 

「やれやれ、国王直々の依頼、か。」

「……申し訳ありません。私の落ち度です。」

「いや、いろいろとタイミングが悪かった、決してモモのせいじゃない。まさか数年に一度の国勢調査が来るなんて予想外だったよ。」

 

 ファンタジーの世界だからと気にしてはいなかったが、この世界の国家にも国民を管理する戸籍があり、その調査が数年ごとに行われていた。アリアハンは小国ながら歴史が古く、国家としての制度自体は思ったよりもしっかりと整えられていた。村や町ごとに世帯数、世帯人員、収入とそれに対する税率が細かく記されていて、およそ5年ごとに更新されているそうだ。ドランではこういった国民の戸籍管理は王の直轄領以外は領主である貴族に任せられており、細かな部分が領地によって異なっている。しかしアリアハンでは戸籍はすべて王宮が管理しているそうだ。それはさておき、調査に来た役人が当然、村民ではないヒカルたちのことを何者かと尋ねてきたわけで、モモが主人の身分を話したことから、その内容がアリアハン王の耳に届き、王から直々の頼まれごとをされてしまったのだ。

 

「いいえ、私が旦那様の身分を適当に隠しておけば、このような面倒なことには……。」

「ま、嘘つくとどっかでぼろが出るじゃない? 俺等全員、嘘つくの得意じゃないし。こうなったらもう仕方がない、言われたとおり王宮の魔法使いの育成を手伝ってやるしかないだろう。」

 

 ヒカルはよっこらせと立ち上がると、魔法の道具袋を腰にゆわえつけた。玄関から外へ出ようと、ギシギシと音のする古びた木の扉を開けると、ちょうど2人の人物がこちらへ歩いてくるところだった。

 

「おうミミ、お遣いご苦労さん、モコモコも手伝わせて悪いな。」

「ご主人様、モコモコが手伝ってくれたからすっごく楽に終わったよ!」

「でへへっ、オラ力くらいしか取り柄ねえけど、そう言ってもらえるとなんか嬉しいな、でへへ。」

「助かるよ、うちの使用人2人は見ての通り非力な女子なんでね。さてと、オレはちょいと出かけてくるから、後は頼むぞミミ。」

「はい。行ってらっしゃいませ。」

「ルーラ。」

 

 ミミとモコモコに軽く手を振り、ヒカルは瞬間移動呪文(ルーラ)でその場を後にした。残された2人のうち、モコモコは目をぱちくりさせて今まで魔法使いの男が立っていた場所を凝視している。魔法というものを今まで間近で見たことのなかった彼にとって、最近は驚くことばかりだ。

 

「さ、行きましょ、手伝ってくれたお礼に、お昼、何か作るから。」

「ほんとか?! やった!!!」

 

 足取り軽く、家の方へ向かっていくミミの後ろを、薬草を山ほど詰め込んだカゴを背負って、大柄な少年は喜んでついて行くのだった。

 

***

 

 少女が顔を上げると、いつの間にか部屋の窓からは陽光が差し込み、村は夕暮れ時を継げていた。カアカアとやかましく鳴くカラスの声が、そろそろ夕飯の時刻が近いと教えている。作業机の上に広げた図面をきりの良いところまで書き上げて、少女、ティアラはぐっと背伸びをした。立ち上がって窓から下を眺めると、昼間の仕事を終えて家路につく村人の姿がちらほら見受けられる。その中に、見知った少年を見つけて、いつものように大きな声で名を呼ぼうとして、しかし、彼女はその言葉を飲み込んだ。……言葉などかけられるはずがない。ちらりと部屋の隅に目をやれば、何かの骨組みらしきものが立てかけてある。しかし、つい先日まで白く美しい姿だったそれを思い出すと、胸の中にこみ上げてくるやり場のない感情を爆発させてしまいそうになる。目元ににじんだ涙を乱暴に拭って、ティアラがもう一度階下を見下ろしたとき、そこには先ほどまで狩りで仕留めたのだろう獲物をぶら下げて歩いていた少年、モコモコの姿はなかった。

 言われたことはわかる。理解はできる。自分の実験に友だちを付き合わせて、失敗してケガをさせてしまった。しかし、驚いたと同時に怖くなり、彼女は自分でも信じられないような腕力で持ち上げた『風の翼』を担いで、この作業部屋へ逃げ帰ってきてしまったのだ。そう、その事件があってから、村の人たちも、いつも一緒にいてくれた幼なじみも、どこかよそよそしい態度になり、話を聞いてくれる人物は両親と、幼い頃からかわいがってくれた老人くらいになってしまった。しかし、元のような人間関係を取り戻したくても、ティアラには何をどうしたらよいのかわからない。だから彼女は、結局自分が夢中になれることに没頭して、辛い現状から逃げを打つ以外には、何も出来なかった。

 

「アベル……。」

 

 いつも自分を気にかけて、何かあると守ってくれた幼なじみの少年の名前をつぶやいてみる。しかし、弱々しいその声は、部屋の静寂に溶けて消えていき、委中の相手どころか、誰の耳にも届くことはない。

 

***

 

 ヒカルがアリアハンの魔法使い達を育成するという王の依頼を引き受け、しばらく経ったある日のこと、その日の日程を終えて滞在先へ戻ってきたとき、すでに太陽は西に傾き始めていた。村の女性たちが夕飯の支度を始めているのか、あちらこちらからおいしそうなにおいが漂ってくる。ヒカルも少し空腹を覚えて、今日の夕食について思いを巡らせた。いつも夕飯を用意してくれるモモは、アンの頼みで兵士達の訓練に救護係として同行しており、数日は帰らないそうだ。自分一人でも材料さえあれば、2人分の夕食くらい作れるが、従者であるエルフの姉妹は主人にそのようなことをさせるのをよしとしなかった。たいていの場合、ヒカルが外で活動するときにはどちらかが同行して身の回りの世話をしていた。ドムドーラの町へ赴くときも、安全のために屋敷にとどまらせるのに苦労した。彼女たちがそんなものだから、屋敷の使用人達も過保護というか、やりすぎなくらいに世話を焼くようになってしまった。それでも、周囲の人々のそんな振る舞いを、ちょっと困ったと思うことがあっても、本心から嫌だと思ったことなどはヒカルは一度もなかった。今日はミミがどんな料理を作ってくれているか、少し楽しみにしながら、ヒカルはやや早足で滞在先の住居へ歩を進めた。

 

「ん?」

「ヒカルさ~ん!!!」

 

 村の中心部を抜けた当たりで、大声で自分の名前を呼ばれ、声のした方に顔を向けると、ボサボサ頭で上半身裸という格好の少年が、魚の入った魚籠と銛を持ったまま、息を切らせながら近づいてくるのが見えた。

 

「アベルじゃないか、どうしたんだそんなに慌てて。」

「し、神父様が、すぐに来て欲しいって、モコモコが、大変なんだ!!」

 

 荒い息を吐きながら、途切れ途切れに話すアベルの言うには、今から少し前、深い傷を負ったモコモコが教会に運び込まれたとのことだ。どうやら高いところから墜ちたように見受けられるが、詳しいことはわからないらしい。この村で医者代わりをしている、アベルの親代わりでもあるパブロ神父が治療を試みたが、彼の手には負えず、モモであればなんとかできるかと探していたが見つからず、ヒカルが戻ってきたら相談しようという話になったそうである。

 

「わかった、オレも医者じゃないからどこまでできるかわからんが、とりあえず診てみよう。モモは数日は帰ってこないからな……。」

「お願いします!!」

 

 走り出そうとするアベルを手で制して、ヒカルは村外れの小さな教会を頭に思い描いた。魔力のフィールドで自分とアベルを包み込み、その力を解き放つべく発動句を口にする。

 

「天の精霊よ我らを神のもとへ導け、ルーラ!!」

 

 男と少年は青白い光の矢となり、夕暮れに染まる村の上空を駆け抜けた。アベルが急な浮遊感に驚いた次の瞬間には、足は大地に着き、目の前には見慣れた教会が現れていた。一瞬、驚きで固まってしまうアベルだったが、すぐに状況を思い出し、教会の扉をノックもせずに乱暴に開け放つと、その中へと矢のような勢いで飛び込んでいった。

 

「神父様、ヒカルさん帰ってきたよ!!」

「お、おおアベル、すまない助かったぞ。」

 

 中から聞こえる神父の声も、彼の動揺を現すかのように、若干振るえている。事態が急を要するのだと改めて感じたヒカルは、アベルの後を追って小走りで教会の中へと駆け込んだ。

 

***

 

 小さな教会の1階、その一番奥の部屋に備え付けられた、大人用の割と大きめのベッドで、大柄な少年が苦しそうなうめき声を上げている。目を固く閉じて歯を食いしばり、顔からは脂汗がにじんでいた。全身に無数の打撲の後があり、手足が若干おかしな方向に曲がっているように見受けられる。

 

「これは……ひどいな。一刻も早く手当てしないと。」

「でも、この村に医者はいねえだよ……神父様の手に負えないと、あたしたちじゃあもう、どうにも……。」

 

 恰幅の良い女性がベッド脇に立ち、がっくりとうなだれている。名前は知らないが、彼女が少年、モコモコの母親であることを、ヒカルは知っていた。今の彼女は原作アニメに登場したときのような肝の据わった様子は微塵もなく、息子の容態にただ肩を落とすばかりだ。しかし、それも無理はない。この世界の医者はたいてい、大きな街にしかおらず、こんなへんぴな村に常駐していることの方が希なのだ。また、この世界における医療技術はヒカルたちの世界と比べて著しく低く、特に人間達の間では民間療法に毛が生えた程度でしかない。だから、たとえ医者がいたとしてもこの状況をどうにかできるかは怪しい。モモのいない現状で、治せる可能性があるとしたら、ヒカルの回復呪文くらいだろう。しかし、それにしてもこの状況では今すぐに治療することはできない。

 

「これは……たぶん何カ所か骨が折れてるな。しかもずれて変な方向を向いているみたいだ。これをなんとかしないと、オレのホイミだけじゃ完全に元通りにはならない。」

「そ、そんな、な、なんとかならないんですか? 父ちゃんが死んで、この子までいなくなったら、あたしは、もう……。」

 

 そんなことを言われても、今のヒカル1人の力では、この状況はいかんともしがたい。ゲームにおける回復呪文は、HP(ヒットポイント)という数値を増やすものにすぎない。しかし、現実における『治癒」とか『回復』という言葉を一口に表すのは難しいことだ。たとえば今回のような場合、折れてずれてしまった骨を元に戻す『整復』と、傷を回復するという二つの要素をどちらもこなさなければならない。魔法の効果は術者によってバラツキがあり、二つの要素を同時にこなせるのはごく限られた者だけだ。そういった人材、たとえば魔力のコントロールに長けたヤナックや、あるいは師匠のザナックであれば、治療は可能かもしれない。

 

「今は、無理だな。」

 

 そう、今回に限っていえば、彼らに助力を請うことはできない。他ならぬヒカルの依頼で、彼らには世界に散らばる伝説の武具の調査に行って貰っていた。ザナックに寄れば、修行を兼ねてヤナックを連れて数ヶ月旅に出ると言っていたので、今頃は世界の何処かを旅しているだろう。探すのは困難を極める。アンとモモを探し出して連れてくることにしても、騎士団の極秘訓練と言っていたから、すぐに居場所を特定して連れてくるのはかなり難しい。ルーラで行ける場所にいるとは限らないし、行けない場所にいる可能性の方が高い。

 

「ご主人様、お願い、回復呪文使えたでしょ? モコモコを助けて!!」

 

 急な呼びかけに驚いて良く見ると、ベッド脇の椅子に座り、モコモコの手を握りしめて、今にも泣き出しそうに顔をゆがめ、ミミがヒカルの方を見つめていた。彼女が自分たち以外の人間のことにこれだけ必死になるのは珍しいが、なんとかしてやりたくても彼1人の力ではどうにもできない。――いや、待て、もし、誰か協力してくれる者がいれば――と、こぼれ落ちそうな涙に揺れるミミの瞳を改めて見据え、ヒカルはあることを思いついた。

 

「……俺1人では無理だ。けど、ミミ、お前の力を借りれば、なんとかなるかも知れない。」

「えっ……私?」

「ああ、お前の能力を使えば、モコモコの体の状態を確かめたり、ずれた骨を元に戻すことができるかもしれない。」

「それじゃあ……!」

 

 ミミが生まれながらに持っている、魔法とは別の固有能力。それらのうちいくつかをうまく組み合わせれば、骨格を可能な限り正常な位置に戻し、その上で傷を治癒することができる。

 

「ただし、これはたぶん、かなり負担がかかると思うぞ。本当に実用できるかも賭けだしな。」

 

 そう、これはあくまで、ヒカルのこの場の思いつきであり、本当にできるかも確実ではなく、できたとしてもミミにはかなりの負担をかけてしまうだろうと予測できた。それでも、小さなエルフの従者が、主人に寄せる信頼が揺らぐことはない。

 

「私、やります! モコモコ、助けたい門!!」

「ミミちゃん、あんた……。」

 

 どうしてここまで必死になるのか、ミミ自身にも明確な理由はわからない。それでも、あのとき、迫り来る炎から自分を守ってくれた少年を何とか助けたいという彼女の思いは本物だ。数百年以上を生きるミミの寿命からしたら、モコモコと過ごした時間は一瞬のようなものだ。しかし、心のあり方を何よりも大事にする、エルフの彼女にはわかるのだ。モコモコの精神が、人間では非常に珍しい純粋なものであると。それ故に彼女は少年に惹かれ、ともに過ごす時間を心の底から楽しいと、そう思うようになっていた。

 

「……わかった。これから方法を説明するぞ。オレとミミの精神をつなげて、透視能力で全身の骨の状態を確認する。それから念動力で正しい位置に戻して、最後に回復呪文をかける、と、こんな具合だ。」

「うん、わかった、やってみる!」

 

 ヒカルは椅子に座り、ミミを自分の膝に座らせた。そして、彼女の発動した透視(クレアーボヤンス)に自分の魔力を同調させ、彼女と同じものを見ることができるか試みた。

 

「む、これは、すごい骨折だな……。左鎖骨、右肋骨3本、左上腕骨、右大腿骨と腓骨、……幸い脊柱は無事か。

 

 結果として、試みは成功し、ヒカルの視界にはモコモコの身体内部の様子が手に取るようにわかる。ミミに指示を出して、骨だけに意識を向けさせると、その部分だけが強調して映し出された。その状況はあまりに酷く、全身骨折の重傷だ。しかも、折れている肋骨の一部が肺に刺さる寸前まできている。不幸中の幸いというか、今のところ命に別状はないようだが、すぐに治療しなければ後遺症が残る可能性もある。

 

「ミミ、これからモコモコの骨を、俺が言うとおりに動かすんだ。回りの臓器を傷つけないように慎重にやるんだぞ。」

「う、うん、わかった……。」

 

 それから2人は、クレアーボヤンスと念動力(サイコキネシス)を駆使して、ずれている骨を正しい位置に戻した。個人的な興味で、人体について勉強しておいてよかったと、ヒカルは内心ほっと胸をなで下ろした。同じような作業を慎重に繰り返し、すべての骨が正しい位置に戻ったとき、窓の外から紅い夕焼けの光がさしこんでいた。

 

「お、わっ、た……。」

「おいミミ、しっかりしろ!」

「ミミちゃん!!」

 

 精神力を使い果たし、ヒカルの膝から崩れ落ちるように床にへたり込んだミミを、モコモコの母親が抱き留めた。涙を流しながら、ミミを抱きしめた彼女は、愛おしそうに彼女の髪を撫で、その労をねぎらった。

 

「ありがとうねえ、うちの子のためにこんなに一生懸命……。」

「ふうっ、なんとか上手くいった。ミミに感謝しないと名、俺1人じゃお手上げだったよ。」

「ご、しゅじん、様……。」

「そのまま寝てろ。後は任せな。」

 

 その言葉を聞き終わると、ミミは静かに目を閉じた。彼女は信じている。主人はいつだって、彼女たちの期待に応えてくれた。彼が任せろというなら、彼女が心配することはもう何もない。

 

「さてと、これが最後の仕上げだ。契約した手の呪文をいきなり使う羽目になるとはね……。」

「は、伯爵様、いったいこれから何を……?」

「奥さん、うちの使用人を頼みますよ。」

「え? あ、はい。」

 

 きょとんとする神父と女性に背を向け、モコモコの傍らに立ったヒカルは精神を集中し、先日契約したばかりの呪文の詠唱をはじめた。

 

「モコモコの血肉よ、その傷を癒せ。大地の精霊よ、かのものにその生命の根源たる力を分け与えよ!」

 

 ベッドに横たわる少年は、今だ苦痛に顔をゆがめ、声も出せない。その身体にかざされた術者の手から、淡く緑色の魔法の光が注がれ、次第に全身を包み込んでいく。魔力が全身に行き渡ったことを確認したヒカルは、最後の発動句を口にする。

 

「ベホイミ!!」

 

 魔法の光が一瞬強くなり、やがてゆっくりと収束していく。無数の打撲や内出血の後はきれいに消え去り、モコモコは目を丸くした。

 

「あ、れ……痛く、ねえ?」

「成功だ……!」

 

 ベッドの上では、起き上がったモコモコが不思議そうに全身を動かし、痛みがないことを確かめている。彼の母親は腕の中で眠ってしまったミミを抱きしめ、息子の無事に涙した。

 

「あ、ありがとうございます、伯爵様……。ほんとうに、ううっ。」

「あ~、いいっていいって、とりあえず何とかなってよかったわホント。いやぁ、苦手な呪文って疲れるね、ハハハ……? あれ……?」

 

 灸に視界がぐらつき、ヒカルはその場にぺたりと尻餅をついてしまった。すぐに起き上がろうとするものの、次第に意識が遠のいていく。ミミだけでなく、ヒカルの疲労もかなりのものだったようだ。パブロ神父の呼ぶ声を遠くに感じながら、彼の意識は次第に沈んでいった。

 

***

 

 徐々に沈んでいく太陽を窓から眺めながら、アベルは改めて自分の無力さを噛み締めていた。モコモコとは小さい頃からよく遊んだ中だったし、意地を張り合ったりケンカしたこともたくさんあった。向こうがどう思っているかはわからないが、アベルにとってモコモコは間違いなく友といえる存在だった。そんな友だちが全身ボロボロになって、この教会に運ばれてきたときには心臓が止まるかと思った。相当に重傷らしく、パブロ神父の手持ちの薬では気休めにもならないと言うことだった。アベルも試しに、覚え立ての回復呪文(ホイミ)を使って傷の治癒を試みたが、いかんせん契約した手で慣れない呪文では効果がほとんどなく、同じくホイミが使えるようになった村人数人にも頼んで試して貰ったが結果は変わらなかった。彼らに魔法を教えてくれた伯爵の使用人であるエルフの女性ならば、高価だがよく効く薬を持っているだろうと尋ねてみたが、今日に限って留守にしていた。それで、伯爵の帰りを待ってこの教会まで来てもらった。今、彼とパブロ神父、モコモコの母親と、、それからずっとモコモコに付き添っていたエルフの少女、ミミが奥の部屋で治療を試みている。なにやらとても難しい方法をとるのだと言うことしか、アベルにはわからなかったし、今はできることもないので、こうして別の部屋で治療が終わるのを待っていた。彼の傍らには魚籠に入ったままの獲物が、差し込む陽光をその鱗に反射させている。事の重大さに慌て、この魚籠を持ったまま駆け回っていたことに、アベルは先ほど要約気がついたほどだ。何も出来ることがない、というのはもどかしいもので、アベルは今までにないような難しい顔をしている。いつもおおらかで、明るさを絶やさない彼だが、やはりこういったときには気持ちは沈んでしまうものだ。だが、彼がどこか思い詰めたような顔をしているのには、もうひとつ理由があった。

 

「あのケガ、それにさっきのティアラ……。」

 

 モコモコが教会に運ばれてくる少し前、ボロボロになった何か大きなものを担ぎ上げて自宅へ引き上げていくティアラを目撃したのだ。何かあったのかと話しかけようとしたちょうどそのタイミングで、傷だらけのモコモコが担架に乗せられてきたため、タイミングを逃してしまいそれっきりだったのだが、モコモコのあの怪我は、ティアラの『空を飛ぶ実験』に付き合わされた結果ではないのか? そんな考えが、アベルの頭の片隅にこびりついて離れなかった。自分も前に実験にかり出され、失敗して落下したことがある。そのときはあまり高い位置からではなかったのと、下が竜神湖のほとりの砂地だったから事なきを得たが、もし、あのときより高い位置から、あるいはもっと固い地面に落下していたらどうなっただろうか。そう考えると、背中にイヤな汗が伝い墜ちるのを感じるのだった。

 

「アベル、ここにいたのか。」

「あ、神父様、治療は……。」

「うむ、なんとか無事に終わったようじゃ。……すまんが、村の男衆を何人か呼んできてくれんか。伯爵様が疲労で倒れてしまってな。」

「ヒカルさんが?! わ、わかったよ、オイラ急いでいってくる!!」

 

 とりあえず、何かを考えるのは後だ。アベルは神父の言いつけで、大人の男達の手を借りるため、教会を飛び出していった。いつの間にか、日は西の空へ沈み、半月(はんげつ)と共に姿を現した星たちが、村を静かに照らしていた。

 

***

 

 見上げた星空はどこまでも続いているようで、きらめく星の光がすべてを包み込んでくれるようだ。たくさんの星たちにまつわる物語を、幼い頃から母に聞かされて育ったためか、少女は星を見るのが大好きだった。それが高じて、星空を拡大して見ることができる望遠鏡というものを、家の倉庫で眠っていた古い本から再現して見せたことが、彼女が様々なものを作ることを趣味とするきっかけだったのかもしれない。ちょっと面白い遊び道具、生活に役立つものなど、彼女が制作したものは多岐にわたっていた。無論、失敗作も数多くあったわけだが、幾多の失敗にめげることなく、彼女は様々な『発明』を繰り返し、父親に作業場を与えてもらえるまでになった。村の大人達にも誉められ、好きな発明に没頭し、彼女は幸せな日々を送っていた。

 どこで、何を間違えたのだろう。あの日、傷ついたモコモコを放って、逃げ出してしまったその時から、彼女の夢の翼は折れ、その心は自由に飛べなくなってしまった。それでも、あきらめられない空への憧れが、彼女の胸を焦がす。

 彼女は気づいていない、夢を叶えるための実権の対価として払った代償はあまりにも大きく、そのことに気づけない彼女の行く先には、本来の『物語』よりもはるかに過酷な運命が待ち受けていることを。

 『彼』が現れなければ、この世界は『原作』と同じような歴史を辿ったのだろうか。それは誰にもわからない。しかし、すでに運命の歯車は狂いはじめ、世界はかつてない混沌の中へ陥ろうとしている。しかしながら、それに気づいている者は、異世界転移してきたヒカルを含め、この世界に1人もいなかった。

 少女の心とは裏腹に、どこまでも優しく静かな闇が、村全体を包み込んでいるようだった。明日もよく晴れた、穏やかな気候になるだろうことは疑いがない。しかし、少女、ティアラの心に立ちこめた暗雲は、いつ晴れるとも知れなかった。

 

to be continued




※解説
クレアーボヤンス:透視能力。対象の内部構造を見ることができるほか、意識を集中すれば見たい部分だけを強調表示することもできる。呪文を用いないため、魔法とは認識されず、呪文では妨害できない。ただし、魔王の念力や結界などを用いれば防ぐことはできる。

普通、空飛ぶ実権で友だちケガさせたら、ただじゃ済まないですよね? ということでこんな話になりました。ティアラにとっては過酷な運命になりますが、聖女になるために必要な『愛』と『知力』(ソフィアが作中で明言しています)のうち、知力の方はともかく、愛が、原作の彼女には大きく欠けているように感じます。これから彼女が本当の『愛』を見つけることができるのか、見守って挙げてください。

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