346プロダクションアイドル寮第二棟   作:島村さん

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第一話 べちゃり

 

 べちゃり。

 そう、べちゃりである。

 およそ人に対して扱う擬音としてはいささか不適切な表現が、今この状況では驚くほどしっくりくる。倒れているとか寝ているとかではなく、べちゃり。まさにそんな感じ。

 

 ――フローリングの床に少女のような何かがべちゃりと転がっている。

 

  時刻は午前七時。朝起きて管理人室を出ようと扉を開けた僕を待っていたのはそんな光景だった。

 

「…………ふゅっ」

 

 関わりたくなくて引き攣った僕の口から何かよくわからない音が漏れる。鼻から吸って口から出すだけの深呼吸をしようとしただけなのに、思った以上に僕は動揺していたらしい。

 もしや寝ぼけていただけなのではという一縷の望みに賭けて一度扉を開閉してみるも、少女が寝返りをうっただけで状況は変わらない。

 もうこれはあれか、覚悟を決めて仕事をしろという事か。ちくしょう。

 

 仕方がないので鉛のように重くなった足を無理やり動かしながら少女を起こすことにする。

 そろそろ他の人たちも朝食を食べに起きてくる時間だしね。まかり間違って二次災害が発生したら僕なんかの手に負えなくなる。

 管理人だから寮民の管理ができると思ったら大間違いだ。一般的平凡男子の僕にそんな力はない。

 

 とりあえず相手が誰かは見た瞬間分かっていたので、うるさくならないよう声を掛けてみる。

 

「もしもし杏さん? こんなところで寝てたら風邪ひきますよ」

「……んあ?」

 

 お、一発で反応があった。珍しい。

 

「あれ? やっしーじゃん、何してんのこんなところで」

 

 いつもなら三回ぐらい呼びかけてやっと瞼が動く程度なのに今日は珍しく一回で起き上がってくれたこの少女の名前は双葉杏。

 小柄で背が低く、見た目小学生にしか見えない十七歳現役女子高校生。極度のめんどくさがりなのに要領は良く意外と面倒見の良い性格のようで、おまけに職業がアイドルというなんとも属性てんこ盛り少女だったりする。まあこの寮を使う人は全員アイドルなんだけど。

 

「はい、やっしーこと結城八代です。この寮の管理人として廊下で寝ている不届き者を起こしにきました」

「そっかおつかれ。頑張ってねおやすみ」

「起きろっつってんだよこのバカたれちゃん」

 

 ふざけたことを言ってまた寝ようとする杏の肩を思いっきり揺する。

 「うあーやめろー」などと抗議してくるが関係ない。問題が起きて怒られるのは僕なんだ! ってかなんでみんな僕が管理人代理してる時ばっかり問題起こすの!?

 

「もー、杏さっきまでハンターの仕事に明け暮れて眠いんだから許してよ。ちょっとトイレの帰りに力尽きちゃったけどさ」

「ゲームじゃねえか……ってか杏さんは自宅があるんですからわざわざ寮の宿泊システム使わなくてもいいでしょう?」

「だって寮の方が近いしご飯も出るし、ちゃんと許可も貰ってるんだからいいじゃん?」

「まあ……とにかく別に杏さんの日常生活に文句は言いませんが寮内のルールは最低限守ってください。後で寮母に怒られるの僕なんですから」

「あ、もう食堂空いてる時間じゃん。……よいしょっと、さあ行こう」

「聞けよこの妖怪飴くれ少女」

 

 そして何故さも当然のように僕が肩車しなければいけないのか。朝から厄介事なんかほんと勘弁してほしいのになあ。

 

「食堂までですよ。その後は知りませんからね」

「大丈夫大丈夫。帰りはきらりがのっけてくれるから」

「それは大丈夫とは言わない」

 

 もはやこれは退化である。あまりの怠惰ぶりに二足歩行の仕方を忘れた悲しき人間の。

 ともあれ確かに時間的には朝食に丁度いい。後三十分もすれば食堂は利用者で賑わい出すし、こんな姿を他の人間に見られたくもないしね。

 簡単に朝食を済ましてさっさと自分の部屋に戻ることにしよう。

 

 ……っとそうだ。

 

「千春さん、朝食行ってきます」

 

 管理人室の隣の寮母室の小窓を開けて、奥で寝ている人物に届くように声を掛ける。

 一拍遅れて、相手がひらひらと手だけで反応したのを確認してそっと小窓を閉める。こうやってちゃんと声かけとかないと後で〆られるのは僕だからな。

 

「千春さんいたんだ。最近忙しそうだよね、寮母なのに」

「ここが346の寮になる前にやってたもともとの仕事も続けてますからね。その所為で俺が巻き込まれたわけですけど」

「親戚なんだし別にいいじゃん。就職決まって大学の単位も取り終わって後一年暇なんでしょ。杏たちの面倒見るだけで衣食住付き、残りは自由だなんて羨ましすぎるよ」

「今まさにその自由を杏さんに潰されているのですが」

「そうだ、ついでに杏も養ってよ。代わりに自宅警備は任せてくれていいからさ」

「……家事は?」

「全力で応援するよ」

 

 シシシと笑う杏の脛にとりあえずチョップをかましておく。

 先に言っておくけど、別にさっきから両耳辺りにふにふにと柔らかい杏の太ももが当たってるから強く言い出せないとかそんなんじゃないからね? ”女性には優しく”それが僕の信条だから。いや本当に。

 

「ま、いいや。今は朝ごはんを奢ってくれるだけでも良しとしとこう」

「なんか既に事実が捏造されてるんですけど」

 

 そんな軽口を言い合いながら、僕たちは食堂へと向かうことにした。

 

 

 

 

 346プロダクションアイドル寮第二棟。本棟が大幅な改修工事のため臨時で建てられたその一番片隅の部屋に僕の居住スペースはある。

 7畳1Kでエアコン完備。家賃免除、食堂完備の食費なし。実働時間に応じた給与体系などなど。寮母が不在時に管理人代理を務めるという契約はあるが、大学卒業が確定且つ就職活動も終わって一年暇な身としては最高の物件だと言っていいだろう――

 

 

 ――などと一人浮かれていた数か月前の僕を思いっきり殴ってやりたい。……いやまあ半分は騙されたようなものだけどさ。

 

 そう、僕は騙されたのだ。

 もともと住んでいた建物が346系列の寮に変わる折「衣食住付き家賃なしで寮母の手伝いをするだけで後は自由でいいから管理人代理しない?」という従姉の巧妙な甘言に。

 今なら言える。世の中そんな甘い話はないんだぞ、と。でもあの時の僕は他に可愛い女の子がいっぱい入ってくるという事実で頭が一杯だったのだから仕方ないだろう。

 

 で、これだ。

 

 寮だというのは別にいい。寮母がいるのだからそういう形になるのは仕方ない。若干住民同士の繋がりに気を使うだけで、寮も賃貸アパートも中身はそんな変わらない。

 けど女子寮ってなんだ? 僕自身何も知らされてなかったからてっきり社員寮か何かかと思ったわ! おかげで初日から警備員に捕まったじゃねえか畜生!

 まあそれでも百歩譲って女子寮でもいいとしよう。女性だけの寮生活では何かと男手が必要になるときもあるだろうしね。

 

 それよりも何よりも僕の心を打ちのめしたのはアイドル専用ってところだ。

 もうね、これは生殺しといっても過言ではないと僕は思う。それは何故か。答えはアイドルは恋愛禁止だから。まあ明確にはどうかは知らないけど、基本的には駄目なはずで。とりあえず僕が彼女たちに手を出すことは寮母から固く禁じられている。

 おかげで僕が密かに計画していた”隣人から始めるめくるめく一大恋物語”は始まる前に頓挫した。否、僕の妄想で完結してしまった。

 

 では男らしく強引に契約を破る選択肢はどうか。

 ……無理だ。あの武術マニアの従姉の前では僕の命がいくつあっても足りやしない。本人は護身術なんて嘯いているが、僕は襲われた覚えしかない。あの人、ゴリラぐらいなら素手で倒せるよ。たぶん。

 

 だから僕はもう諦めた。

 確かにここには可愛い女の子がいっぱいいる。

 もうそれだけでいい。変に彼女たちに関わって寮母に絞殺されるのも嫌だし、アイドル生活の邪魔をするのも憚られる。

 幸いにも目の保養にはなるわけだし、どうせなら一生分目に焼き付けておくことで満足としよう。

 

 なにより僕としても就職と大学卒業を控えた身、ここで問題を起こして就職取り消しなんて食らったら洒落にもならない。

 だから寮ではなるべく面倒事を避けて大人しく管理人しておこうと、僕はそう決めたのだ。

 

 

 そう、決めたんだけど。

 

 

「だから杏さんもあんまり面倒ごとは起こさない方向でお願いしますね」

「わかったわかった。あ、そだ。杏、今度新しいゲーム買おうと思ってるんだけど、前みたいにやっしーバイクで連れてってくんない? で、一緒にやろうよ」

「杏さん僕の話聞く気あります?」

 

 これである。

 どういうわけか、ここの住人は皆ことあるごとに僕を巻き込もうとお誘いをしてくれるのだ。あまりに遠慮が無いので最初はついに僕にもモテ期が、なんて思ったけどどうやら違うようで。

 

「いいじゃん少しくらい大目にみてよ。アイドルって結構制限厳しくてさ、常に人目も気にしないといけないし」

「……杏さんが人目を?」

「こらこらそんな懐疑心の塊みたいな目で杏を見ないの! とにかくアイドルはストレスを溜め込みがちになっちゃうんだよ。その点ここは知ってる人しかいないし、制限も割と緩いじゃん? それになにより――」

 

 言いながら、珍しく杏が満面の笑みを僕に見せてくる。凄く良い笑顔のはずなのに、杏だとかなりうさん臭く見えるから不思議だ。

 

「――管理人のやっしーと仲良くなっとけば色々便宜図ってくれるしね」

 

 とのことである。

 ようは管理人である僕を巻き込んでおけば、いざという時にスケープゴートとして生贄に捧げることができると、そういうことだ。

 うん、全然まったくこれっぽっちもさっぱり意味わかんない。

 

「僕はもう杏さんの話は聞きませんし信じません」

「あ、そういえば昨日の夜、美穂ちゃんがやっしー探してたよ。手作りクッキー持ちながら」

「なにそれ詳しく」

 

 なんとも心躍る、実に興味深い話題に先の発言も忘れて前のめる僕の様子を、杏は実に楽し気な様子でけらけらと笑っている。

 いいから! 笑わなくていいから詳細はよっ!

 

「まあ、嘘だけど」

「なんで? いまそこで嘘つく必要ありましたかね?」

 

 悪魔だ。今僕の目の前にいるのは小さな妖精の皮を被った悪魔に違いない。杏が天使の衣装来てPRしてる飲料のCMに詐欺だってクレームいれるぞこの野郎。

 くそっ、僕の純情を返せ!

 

「あー、なんかごめん。そんな絶望的に悔しそうな顔するとは思わなかったんだ」

「悔しくなんてございませんっ!」

 

 とまあ千春さんがいて、仕事がない日の僕の朝はいつもこんな感じである。

 朝起きて軽く寮内を見回りして、途中で会った誰かと一緒にご飯を食べる。契約こそあるけど、実際ほぼ毎朝こうしてアイドルと顔を合わせてご飯を食べれるのだから役得といえば役得だ。

 

「あ、きらりからメール……うえー、もう部屋で待ってるって早くない? 仕方ない、そろそろ杏は行くよ。ご馳走様、ゲームの件よろしく」

「気が向いたらね」

 

 ひらひらと手を振りながら、やる気なさげに去っていく杏をいつも通り適当に見送る。これもいつもの事でもう慣れた。

 そうそう、慣れとは恐ろしいもので最初こそアイドルという事で気を使っていたが、今では気安い隣人のような感覚でお互い遠慮もない。一応仕事としての時間は年下でも敬語を心掛けているけど、最近はそれも怪しくなってきてるし。

 

 ま、堅苦しかったり他人行儀なのよりは全然マシだからいいんだけどね。

 

「さてと、他の人が来て邪魔になる前に退散しますか」

 

 見ると、食堂にもちらほらと人影が見え始めている。そろそろ他のアイドル達も起きてくる時間帯だ。

 こぼさない様に残っていたコーヒーを胃に流し込み、食器を持って立ち上がる。

 

 

 ここはアイドルが集う場所、346プロダクションアイドル寮第二棟。

 めんどくさがりの寮母と、暇を持て余した管理人、そして数多のアイドルが共同生活を送る場所。

 

 そんな個性豊かな人間が集うこの場所で、僕は今日も元気に管理人をやっている。

 

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