五時間目は得意科目である現代文の授業なのだが、非常に退屈だった。いろいろ原因はあるだろうが何よりも、担当教師が妙齢ということもあり、非常にモゴモゴとしていて、言ってしまえば話を聞き取ることがほぼ不可能だったのだ。例え面白い話であっても聞こえなければそれは雑音と変わらない。五時間目の雑音ほど眠気を誘うものはなく、そういうわけで俺は退屈していた。
ですからでして、と言葉始めだけはやけにはっきりと聞こえるのが逆に耳について、眠気が眠りに移行することすらできなく、自分の苛立ちは募っていく。
遂に『陰翳礼讃』の解釈を放り投げた俺は、いっそのこと寝てしまおうかと頬杖をついて右を見ると、今まで頑なに見ようとしてなかった一色と目があってしまった。
ニヤニヤと笑いだす一色。それみたことか、絶対余計なことを言いだすぞ。マッ缶一本賭けてもいい。
「先輩、もしかしておねむですかぁ?」
「集中しろ」
ほらな。
数学の時も落ち着きがないと注意されてただろうが。あの時の先生、普段あんなに穏やかな人なのに半分切れかけてたぞ。
一色はここぞとばかりに話しかけてきたがロクなことにならないことは目に見えていたので極力無視する。すると何を思ったか一色は鞄を漁りだした。
「先輩先輩っ」
一色は「じゃーん」と教科書に隠してスマホの画面を見せる。何を漁っているかと思ったらスマホかよ。丁寧に、見えやすいように限界まで上げてくれたらしい光量によって映し出されたスマホのスクリーンには、ラインのトーク画面が写っており、『先輩と隣の席になりましたぁ(はぁと)』の文字とともに俺が頬杖をついて目を閉じている写真が乗っけられていた。
いつの間に盗撮したんだ……というか。
「……おい、これなんだよ」
「えへへ。我慢できなくて雪ノ下先輩と結衣先輩に送っちゃいました!」
「怖いことするなよ!後でなんて馬鹿にされるか分からないだろうが」
あいつらなら平気で『あら、ダブったの?』とか言ってくるぞ!……い、いや、さすがに言わないか……言わないよね?
「ふふふ。と思うじゃないですかー?見てくださいよ、この慌てた反応」
スルスルとフリックしてラインについたレスポンスを見ると、確かに慌ててる。一例を挙げるならば、こんな感じ。
『ちょっと待ちなさい。そして彼から離れなさい』
『いろはちゃん?!ずるはいくないなー!』
『(刃物を持ったパンダのスタンプ)』
メールでは素直に感情を表すのか、とどこかずれた感想を抱きながら一色のスクロールに合わせてやりとりを流し読みする。初めのうちは一色を責める流れだったが、一色の煽りもあってか、いつの間にか俺を責める方向へ行きつつあった。
「おいっこれどうにかしろよ。せっかく戻ってきたのに知らぬ間に起きたもつれで関係がこじれるとか嫌だぞ。糸じゃねえんだからそう簡単に絡まってたまるか」
「何ちょっと上手いこと言ってんですか。割と余裕じゃないですか」
「とにかく!早くそのやりとりをなるべく穏便にすませるようにしろお願いします!」
「格好がつきませんねぇ……」
仕方ないと恩着せがましく呟いた彼女はぽちぽちと何事かをラインに打つ。そして、スマホを机に伏せて嗤った。笑うではなく、嗤う。それは厳密には嘲笑ではないのだがそれに近い。なんというか、愉悦な笑いだった。
「先輩、なんて書いたか見たいですか?」
「は?」
「見たいですかー?」
当たり前だろうが。小声で先生に気づかれないように伝える。まぁ、見た目結構なご老体だから聞こえてないだろうけど、そう言う容姿の人に限って地獄耳だったりするからなぁ……。
そんなご老体が「しかるに白熱灯と伝統産業とは……」と喋っているのに対して一色は非常に辛い影の落ちた笑顔を浮かべながら俺の気分を逆なでしていく。
「見せてあげなーいっ」
「……コロス」
割と大人気ない俺だった。年上?知らねえな。同学年だろうが。
「ふふふ、そんな怖い顔しても無駄ですよ!なぜなら私は、先輩にナニされようが嬉しいのですから!」
「……厄介な生き物だなぁ、おい」
それに何をされてもいいと言いつつも彼女の要求は彼女の中で決まりきっているという。タチが悪いこと限りなかった。
……しょうがない、白旗だ。両手を先生に見えないよう軽くあげた。
「参った。何が目的だ?」
「えへへ。……名前で呼んでください。あと放課後デートですねっ」
名前呼び、デート。えらくど直球な要求がきたな。受けるか受けないか。斜に構えた考えも直球勝負には滅法弱く、俺はにへ〜っと笑う一色を前にして思わず黙りこくる。
告白を断ったという負い目がある分、断りにくいという心と、告白したのだから断るべきだという心がせめぎ合う。しばし葛藤の渦に身を任せたが特に出口が見つかるわけでもないので、
「俺はお前のことを振ったのを覚えてて言っているのか?」
と絞り出すように口にした。それは、苦し紛れの言葉にしたってあまりにも意地の汚くて、性根の腐った逃げ言葉の投げ言葉だった。しかし、一色はそんな質問に対してカラッとした表情で答える。
「ええ、勿論です。先輩が私のこと嫌いじゃないと言ってくれたことも覚えてます」
「……お前のことなんて嫌いだ……」
「目をそらさず、照れた表情を隠して言えたなら多少は信じてあげますよ」
くそっ。だめだ、小悪魔相手に腹探りの知恵比べ口比べをするなんて無理だ。無謀だ。いや、そもそもの話、だからこそ白旗を上げたのだ。つまり、俺は敗者であり敗者は勝者に従うしかないのでありそして、俺自身もまた自分の心に従うしかないのだ。
つまり、『俺はこの後輩と遊びたい。そして少しばかりのゆとりを取り戻したい』という目を逸らしたくなるような自分の欲望に従うしかないのである。
けどこればっかりはご褒美だからとか、負けたからとか、そんな甘言と逃げ道に誘導されるのではなく、自身の意思で言わなければならない。
俺は、本物の青春ラブコメを突き進みたいのだから。
「……分かった、
「……はひゅ。と、とちゅぜんの名前呼びはどうなんですか?どうなんでしょうか?だめですよ!」
「声がでけえ、先生が気づくだろうが」
「す、すみません。……けど、言質はとりましたよ?私のターンはまだ続かせていただきますよ?いいのですか?」
「あぁ、その代わり帰りの約束をしちまった小町を説得するの手伝ってくれよ?」
「まかせんしゃい!」
シャァオラァ!と言わんばかりにガッツポーズを決めたいろはは早速デートスポットを調べますねとスマホをいじりだした。いじるなとは言わないが、交換条件なんだからやり取りをまずは止めてくれ。
「あぁ、忘れてました。こんな感じに収束しました」
見れば確かに、いろはの発言を最後に二人は沈黙をしている。自分のことながら、あれだけ騒いでいたのに急に静かになった理由が気になりふと最新のレスを見ると、一文。
『今日は、先輩に名前呼びしてもらってデートするので、邪魔しないで下さいね』
「……いろはさん?」
「なんですか?先輩」
「ふぁっきゅー」
「ぷりーず」
俺は、頭を抱えた。