クリア後のその先で   作:一葉 さゑら

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13【登校初日⒎】

「……え?あ、いや。……え?」

 

 

 雪ノ下陽乃、ここに崩壊する。

 

 金剛石よりも硬く、ゴムよりも柔軟な表情筋で覆う強化外骨格はトロイ戦争のようにいとも簡単に崩れ、彼女の表情は分かりやすく、ぶれていた。

 

 雪ノ下陽乃の困惑。まるでライトノベルのタイトルのようだが、その内容はかの本よりもとても容易で、稚拙で、愉快だ。あれほど彼女を責めていた筈のいろはも今ばかりは肩を若干震わせて「わぁ〜っ」とした顔をしている。八幡は陽乃を見るいろはを見て、「初めてヘラクレスオオカブトを見た時の俺みたいだな」などと考えていた。

 

 わぁ〜。

 

 結局、シリアスからの開放感も合わせて2倍ドンに浮ついた雰囲気は結構長いこと続き、店員さんが水を差す、もといお茶を差すまで止むことはなかった。どうでもよいが、その時来てくれたのは例の美技を持つ店員さんで、相変わらず片手に全ての食品を持っていた。

 

 

 砂糖とミルクを入れて八幡はお茶を啜る。仲介しようと思って口を出したはいいが、陽乃さんが予想外に大きな反応を示してくれたおかげで次に進めない、待っているうちになんだか萎えてきた。といった心境の一啜りだ。

 

 お茶、もとい水を差されたというのに再始動したのは八幡だけのようで、彼が二口甘ったるいお茶を口に含んだあたりでようやく、2人の時は動き出した。

 面白がっているいろはは臆面もなくニヤニヤと笑い出す。ふわふわ系非天然小悪魔は絶好調だった。

 

 

「……は、八幡くん?」

「はい、なんでしょう、雪ノ下さん。いえ、陽乃さん」

 

 

 今までとは違い、比企谷くんではなく八幡くんと呼ばれたから、こちらも名前で呼ぶべきかと思い言い直す。元々、隣り席ということで、とても近い距離にいた陽乃はにわかに信じられないという目で八幡を凝視し始めた。

 いろはと学校で再開した時はまず笑われたから、知り合いにじっと見つめられるのは陽乃さんが初めてか、と呑気に彼は考える。

 

 狼狽し、恐る恐る八幡(イケMAN)を観察していた陽乃さんは、はっと自分の動揺に気付くと慌てて居ずまいを直して、いろはにこう言った。

 

「き、気づいていたけどねっ!」

「「ブホォァ!!」」

 

 2人して口に仕掛けていたアップルティーを吐き出す。テーブルに飛び散ることはなかったが、汚いカップ内で渦が起こる。静かに、それでいてプルプルとした手つきでティーカップを置いたいろはは必死に爆笑したい気持ちを抑えながら、陽乃さんに向かって聞く。

 

「それは、いつからですか?」

 

 やめてやれよ、お前は鬼か。八幡はいろはにジト目を送るがしかし、彼も彼で、こういうところは姉妹そっくりなんだなぁ、と両名に失礼なことを思っていたりした。

 

「最初からだけど」

 

 負けず嫌いか。陽乃さんに呆れ目を向ける。

 陽乃さんはやや頬を赤らめて見返した。

 

「先輩、私ってそんなに尻軽に見えますかねぇ?」

 

 さらに追い打ちにかかるいろは。どうやら、デートを冤罪で邪魔されたのが、しかも邪魔したのが思うところのある陽乃だったのが、だいぶ頭にきているらしい。基本的にさっぱりとした性格のいろはが根に持っているということは、だいぶボルテージも上がっている証拠である。対して陽乃さんは、いろはについての誤解が解けた今、気まずさだけが残っているらしく、今までに見たことのないくらい借りてきた猫状態になっていた。

 

 どうやら、小悪魔対魔王の対決は、総合的には小悪魔の下克上となったようだった。ただし、小悪魔の機嫌としては勝った嬉しさなど微塵もないようであったが。

 放っておけば陽乃が見えなくなる位に縮こまるまで煽り続けそうだと察した八幡はいろはを宥めることにする。借り一つですよ、と何故か八幡に言って渋々黙るいろはを見届け、次に隣に視線を向けた。

 オロオロとしたその様子は、まるで、浮気現場のモテ男のようであり、それを見ていた(八幡を除いて)店内唯一のスイーツ男子斎藤くんは、『イケメンの醜態で今日も飯がうめぇ』と自身のブログに綴ることになる。

 

「……は、八幡くんが悪いんだからねっ」

「それは横暴ってもんでしょう、陽乃さん。確かに原因を辿っていけば俺に辿り着きそうですけど」

 

「あ。そういえば、わたしったら余計なこと結構言っちゃったかも……」

 

 余計なこと。雪ノ下といろはの俺に対する好意のことだろう。やっちまったといった表情でいろはをちらりと見た陽乃さん。いろははため息を一つ。そして応えた。

 

「ま、別にいいですよ。私も雪乃先輩も告り済みですし」

「え?じゃあ、八幡くんは今いろはちゃんと付き合っているってことなの?」

「あれ?一色さん、じゃないんですか?」

「いろは」

「……むぅ。デートを邪魔されたんだから然るべき天罰だと思うのですが」

「後でなんか買ってやるからチャラにしろ……陽乃さんが」

「わ、わたし?!まあいいけど……」

 

 いや、俺関係ないし。

 とはいえ、陽乃さんの疑問はもっともなものだろう。事実、俺もさっき思ったが、ここにいる人に聞いたら一部のひねくれ者を除いてほぼ全員が俺といろはをカップルとみなすはず。

 いろはは、わざとかどうかは不明だが陽乃さんの質問に答える気が無いようなので代わりに俺が答える。

 

「恋愛的な意味では付き合ってませんよ。ただ、放課後の遊びに付き合ってるだけです」

「告白っていうのは?」

「……あー、その。断りました」

「断られました。ついでに言うなら、多分雪乃先輩も断られてると思いますよ」

 

 陽乃は眉を寄せて困ったような顔をした。

 雪ノ下陽乃、告白はされたことしかなく、断った後は告白した人と関係が続くというものが想像がつかない非常に初な乙女であった。

 

「そ、そう。……そう、なの」

 

 八幡といろはの関係が分からないながらも陽乃がそう呟いた、その時だった。

 短く連続したチャイムが陽乃さんのポケットから鳴り始める。彼女は2人に断りを入れてその場で出て短い会話をしたと思ったら、今度は身を乗り出して入口の方に向かって手を振り出す。

 

 そして、さっきまでと比べるといくらか元気のある声で陽乃さんは声を出した。

 

 

「こっち、こっち〜!」

 

 

 どうやら、陽乃は待ち合わせをしていたようだ。考えてみれば、陽乃程の人が1人でこんな場所に来るわけがなく、当然といえば当然なのだが。

 

 気落ちした少女の突然の行動に八幡は推測する。

 

(俺といろはと話している最中なのに構わず呼ぶと言うことは、今からここに来る人は俺らの知り合いか?……入口はシート席の後ろ側なので見ることは出来ないが、訝しげに入り口を見ていた筈のいろはがハッとした表情で陽乃さんを見た。つまり、いろはと陽乃さんの知り合いという可能性が高い……)

 

「「……まさか」」

 

 八幡といろは。2人が同時に、各々の理由から声を上げる。

 

 八幡は心当たりを見つけて。

 いろはは、その人物と陽乃さんの関係を疑って。

 

「……いろはちゃんの想像とは違うと思うけど、そうだね。八幡くん曰く、わたしといろはちゃんには大きなすれ違いがあるそうだから、その事も改めて擦り合わせたいかなぁ……なんて思うんだけど、どうかな?」

「は?良いわけないじゃないですか。わたしと先輩は只今楽しいデート真っ最中なんですから。……けどまぁ、今後のために仕方なく、ほんっとうに不本意ではありますが、その話に乗らせていただきましょう。……隣は代わってもらいますけどね」

 

 先程から陽乃の席を羨ましそうに見ていたいろはは恥ずかしそうに付け加えると、直ぐに憮然とした表情をした。可愛げはないが、可愛い。安心安全のいろはクオリティだった。

 八幡は来訪者について、大方予想がついたのか、嫌そうな顔をしながら注文票を確認して、メニューを見る。さらなる長丁場を覚悟したため、追加の飲み物の検討をしていた。

 

 落ち着いた規則正しい足音はタッタッタッとテーブルに近づく。

 

「……すみません。中々法学部の教授が捕まらなくて遅れました……って、あれ?いろは?なんでここに?……そして、君はいろはの同級生かい?」

 

 シュッと伸びた背筋に綺麗なシルエット。カジュアルに着崩した春物のジャケットがよく似合う、反吐が出るほどのイケメン。髪も過剰になりすぎない程度に染め、それをしっかりと見栄えがするように整えたその男。

 

 

「……お前、法学部に進んだのかよ」

「その声は、比企谷か?!」

 

 運動もでき、頭も良ければ顔もいい。3高確実の将来有望男。

 

 葉山隼人、大学1年生。法学部期待のモテ男である。

 

 

 

 


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