クリア後のその先で   作:一葉 さゑら

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15【小町相談室】

「なるほどねー、つまりお兄ちゃんは自分が助ける権利があるのか、って悩んでいるんだねー」

「あ、いや、別にそんな優柔不断系主人公のような悩みを抱えているわけじゃないんだが」

 

 

 比企谷家。今日も今日とて二人飯。両親二人は新人教育。

 

 そういう訳で、時刻は午後8時。

 今日の夕飯は小町手作りのコロッケを始めとした4品だった。テーブルの上に並んだおかずの量は明らかに二人のキャパシティを超えている。気合入れ過ぎだろ。

 

 

「結局ね、お兄ちゃん」

 

 小町は箸を置いて言う。

 

「お兄ちゃんは、自分には助ける気がないって思う事でその先に思考を向けてないだけなんだよ」

「その先?」

「そう。その先、つまり、どうやって助けるか。なにをどうすることが助けたことになるのか。雪乃さんとお兄ちゃん自身の現状把握に精一杯でそれが見えてないんだよ」

「……じゃあ、どうすれば良いんだよ」

「そんなの決まってんじゃん」

 

 小町はあっけらかんと笑って応えた。

 

「疲れてるからごちゃごちゃ考えちゃうの。寝ればいいんだよ」

 

 

 ご飯を食べて風呂に入って時刻は午後9時半。

 

 そんなこんなで、俺は現在、自室のベッドで寝ることを強要されていた。今時、野球男児やサッカー男児もこんな早くに寝ないだろうという時間帯だ。しかし、俺は寝ている。

 

 小町の目の前で。

 

 ベッドの前で茶を啜り正座で見守る小町。入院しているわけでもなく、日常生活で、よもや妹に見守りながら寝る日が来るだろうとは想像だにしていなかった俺は、しばらくこそ黙って布団に入っていたものの、やがてこの雰囲気に耐えきれなくなり口を開いた。

 

「……なにこれ?」

「うん、ちゃんとできたね」

 

 カタン、と木製のコースターに湯呑みを置いて小町が笑った。何の話だ?

 

「やっと普通の表情ができたねって言ったんだよ。さっきまでのお兄ちゃんの表情、酷かったんだからね。『世界の終わりだー。もうダメだー』って、そんな感じ。小町が何の話してもそんな顔してるし。小町的にポイント低かったよ?」

「……あぁ」

 

 確かに言われてみればそうかもしれない。終わりの見えない迷路に迷い込んだような気分に沈鬱としていた気がする。未だに迷い込んだままだし、沈鬱としているけど。

 

「けど、少しは他ことも考えられるようになったんじゃない?これが、おふとんぱわーなのだ!なんてね」

「……そっか。ありがとな」

「いいんだよ、大好きなお兄ちゃんのピンチなんだから!あ、これ小町的にポイント高い」

「お兄ちゃん的にも高いぞ」

 

 小町の言う通り、少し気分が軽くなった気がする。病室よりも狭い自室の明かりをしばらく見つめていた俺に小町はそれじゃあ、と前置きを入れて話し始めた。

 

「お兄ちゃんの頭の整理をしていこうか」

「いや、小町がそんなことに付き合う必要はないぞ。十分によくしてもらったし」

「いやいや、こう見えて、奉仕部ですから。それに、私はお兄ちゃんの妹ですし?」

 

 胸を張ってドンときなさいと力強く頷いてみせる小町。そうはいってもなにをどう話せば整理されるのか分からないしなぁ、と俺はその事をそのまま小町に伝えると、小町は呆れたように笑って返した。

 

「お兄ちゃん、寝ることの役割って何だと思う?いや、筋力の休息みたいな事を聞いているんじゃなくてさ、頭と心の話だよ。そうそう、それそれ。1日の記憶の整理。大正解、満点の回答だよー。つまり、それをここでやろって言うんだよ。頭を使って整理するんだから、きっと沢山の数日分の整理ができると思うんだよね。そう思わない?」

 

 

 要は、そんなことどうでも良いから今まであった事すべて話してみろ、ということらしかった。とは言っても、今日の放課後のことはすべて話してあるんだけどな。

 それよりも、取り敢えず布団から出て良いかと聞いてみるが、にべもなく却下されてしまう。

 

「あのねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんの振り返るべき時は今日じゃないよ。全く、そうやってわざと鈍感になっちゃうとこは相変わらずなんだから」

「いらんとこまで察しがいいお前よりはマシだわ。……じゃあいつの話をすればいいって言うんだよ」

 

 まさか、今日の自己紹介か?あんなに恥ずかしいこと話すのなんてゴメンだぞ。断固として拒否する。

 そんな分からん様子を顔全体で表現しているのが小町にも伝わったようで、ワザとらしくため息をつかれた。そんなに冷たい態度取るなよ、お兄ちゃん泣いちゃうぞ?必殺の泣き落とししちゃうぞ?

 

「……ソードアート・オンライン。教えてよ。私はお兄ちゃんにこの一年のこといっぱい話したのにお兄ちゃんってば全然自分のこと話してくれないんだもん。教えてよ、この一年のこと」

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 ソードアート・オンライン。ゲームクリアから約1ヶ月経った現在もお茶の間を騒がせている今世紀最大の事件。主犯である茅場は長野の山荘で死亡したのを確認。囚われたプレイヤー達も徐々に回復して社会復帰を果たし始めている。今日のニュースでもまとめられていた情報だ。

 

「……そんなに話すことなんて無いんだけど」

「ふふふ、そんなこともあろうかと思って不肖小町、こんなものを用意してきたでござるよ?」

 

 じゃじゃーん!と腑抜けたトーンの掛け声とともに小町が何やら本を、それも新書を取り出す。

 

「【SAO全記録】です!」

「3秒以内に売っぱらえ」

 

 なんて恐ろしい物をこの愛らしい妹は出してくるんだ。

 SAO全記録と銘打ったそれは、あるプレイヤーが暇な入院期間に驚異のスピードで書いたことによって電撃出版された新書であり、つい先日ベストセラー入りした本でもある。

 俺がその存在に初めて気付いたのは材木座が何やら興奮した目でその本を抱えて持ってきたのが最初だった。訝しげながらも内容に目を通そうとして、目次に書かれた【黒の剣士の章】【閃光の章】の文字を見た時点でほとんど読む気をなくし、ちらっと見えた【狂目】の文字で投げ出したのを覚えている。材木座が興奮したということは、そういうことなのだろうなぁ、とあたりをつけて、俺が店頭でポップ広告を見る度に嫌悪感丸出しの顔をし続けているという、ある意味因縁の相手でもあった。

 

「ありゃりゃ、もしかしてもう読破済みなの?小町はこれ、結衣さんに教えてもらって買ったんだけど、もうびっくりしちゃったからさー、雪乃さんにも是非読んでって昨日薦めたんだ」

「……おぅふ」

 

 撃沈。天井を仰ぐようにして嘆く俺。身内だけならばともかく、身近にまで波及しているとは。いや、腐ってもベストセラーなのだからそりゃあ持っている人が身近にいたってなんら不思議ではない。いたって普通のことだ。けど、実際に知ることでダメージが倍増するのは何故なのだろうか。

 

「……小町、ちなみに聞くが、俺の事、書いてあるよな?」

「もっちろん!寧ろこれはお兄ちゃんが主役といっても過言でもないまであるね!だって、お兄ちゃんの話、幕間って書いてあるのにすっごく詳細に書いてあるもん。お兄ちゃんって、この【狂目】って人でしょ?」

「……黙秘権を主張する」

 

 いや、ほんと勘弁して下さい。恥ずかしい。オンラインゲームでロールプレイしてたら目立ち過ぎてリアル開催の公式イベントに呼ばれちゃったような恥ずかしさ。なまじ自分でも大それた仕事をしていた自覚があるからなお一層恥ずかしい。つーか、この本書いたのって俺の知り合いか?

 

「恥じらいの表情が可愛いお兄ちゃんなんてお兄ちゃんじゃない……」

 

 悶えているとボソッと小町が呟く。

 

「妹に可愛いなんて言われている時点でもうお兄ちゃん失格だわ……」

 

 顔に手を当てて返す。

 

「ま、お兄ちゃん。私が質問して行くから軽い気持ちで答えてみてよ。私の奉仕部の方針は雪乃さんよりも、もうちょっと理想を目指して【魚を取る方法を自分で見つけさせる】だからさー」

 

 そう言うと彼女は黒歴史をパラパラとめくり始めた。所々に付箋が貼ったかられている辺り、俺がこうやって悩んでいようが悩んでいまいが聞く気でいたことを窺い知れる。知りたくないけど分かっちゃう。

 一年間心配かけ続けたんだ、どんな問題にも答えてやるさと格好つけて答えてみせると小町は笑って、んじゃあさ、と俺に顔から手を離すように促してきた。

 すんません、それだけは無理なんでもう少し待って下さい。

 

 ー・ー

 

 小町が知りたがったことは俺の日常生活からゲームの風景、人間関係など多岐に渡ったが、どれもこれも大したことのない、言わば、一人暮らしの息子に母親が尋ねるような当たり障りのない質問ばかりだった。しかし、そんな普遍的な質問などの中にも意外と答えづらいものも多く結構どもることもあった(どもる原因の一つには、少しの生活の乱れであってもいちいち怒られたため言いにくかったこともあるだろう)。

 しかも、話の節々にやれ雪乃さんが心配した、結衣さんが涙目だったなど、痛い所をつかれるので、俺の居心地の悪さといったら小町の手に持つ本と相まってまさに、シン・バベルガ・グラビドン。思わず発狂して魔物になれるレベルであった。人民が養ってくれるような王様になりたいです、なんてな。

 

「じゃあさ、お兄ちゃん。テレビとかでも黒の剣士さんが、75階層で茅場を倒したって良くやってるけどさ、何で【黒の剣士】さんが茅場さんの正体を知ったのかって知ってる?本とか読んでも『黒の剣士が強い違和感を覚えて』云々カンヌンとしか書いてないんだよね」

「……それを聞くと、大分ゲーム内のイメージが変わるけど、それでも聞くか?」

「うん」

「……分かった」

 

 ゆっくりとベッドから起き上がる。流石に小町も空気を読んだのかそれを止めることなく見守っていてくれた。浅い吐息が口から漏れるのを止め、何から話そうかとあの時を思い出す。75階層。アインクラッドの4分の3番目の前階層。ムカデのようなバケモノが階級主だったあの場所。暗くて、ジメジメしていて、感じるはずのない冷や汗と悪寒がゾクゾクと本能に空気のヤバさを伝播していた空間で、キリトがヒースクリフと斬り結んでいたのが閉じられた眼前に浮かびあがってくる。

 劇的な展開に劇的な展開を重ね、劇的に幕を降ろすことになったあの時あの空間のこと。

 

 俺は、今でも思い出せる。あの、地獄を。

 

 

「小町の質問とは少し遠い場所から話が入るけどまあ、少し聞いてくれ。

 

「先ずは、あの時の最前線の話をしようか。俺は当時、恥ずかしながら情報ギルドを束ねるギルド長として、また、最前線の脳みそとして働いていた。例えばそれは、ボスに関する情報の収集だったり、その情報を元にボス攻略の人員を選出したりしていたわけだ。

 

「当時の環境として、最前線のメンバーに加え、中間層にいたプレイヤー達もゾクゾクと最前線の仲間入りをしていて、後半戦としては、ステータスだけ見れば最高の状態にあった。破格、と言っても良い。

 

「ステータスだけは、な」

 

「70階層を過ぎた辺りからだったか、SAOには、デスゲームならではの牙にして、最悪の爪である、とある伝染病が蔓延し始めたんだ」

 

「最悪の伝染病。それは噂だった」

 

「『後少ししか現実の世界の体は持たない』という噂を何処かの誰かが放ちやがったんだ。前線メンバーは口ではその噂を一笑にふしていたが、その噂が広まった70階層以降、明確な焦りが見えるようになっていってな。それは作戦会議での貧乏ゆすりであったり、ボス戦闘での凡ミスだったりと一見分かりにくいものではあったが、それがバカにできなくなるということは目に見えて分かるミス群だった」

 

 

 その焦りは自身の命の危険から来るものであった事もあり、日に日に焦りの程度は増加し、ペースを落とさないで攻略を続けるということ自体が異常だというのに、さらにペースを上げてくれという狂気じみた提案が出たほどだった。

 

 

「問題が起きたのは74階層。当時最大規模の人数を保有していたギルド【軍】がボスエリアに単独突入した。60人規模の大規模な編成だったと伝え聞いている。勿論知っていたら全力で止めていたが、運の悪いことにその時は攻略会議前日で、俺が74階層のボス情報をまとめるのに追われていた時間だった。いや、多分その時間を狙ったんだろうな。突入を知ったのはもう日が傾き始めた時だったよ」

「それじゃあ、その軍って人達は全員死んじゃったの?」

「その本には書いてなかったのか?……【黒の剣士】が双剣スキルを初めて見せてボス討伐したんだよ。たしか【閃光】も同行してたんだったっけか?」

「あ!それ知ってる、【双剣乱舞の様子はまるで鬼神の如く】って書いてあったよ!」

「……やっぱその本見なくて正解だったわ」

 

 げんなりしながら息を吐く。小町が材木座みたいに感化されないことを祈りながら続きを話す。

 

「んで、そんなこともあったからどうにかしねえといけねえってなったんだよ」

「それで75階層の変になるの?」

「そんな変テコな名前が付いているのかはさておいて、言っちゃえばそうだな。ただ、随分と回りくどいやり方で探り探りやって、9割9分9厘こいつが茅場だって分かってからだけどな」

「……へえ。けど、よく茅場を見つけて倒そうって案が出たよね」

 

 不思議そうに首を倒す小町。

 

「あー、それは順番が逆だ。分かったから倒したんだ」

「うん?どういうこと?」

「つまり、茅場が身近にいるかもしれないという事が分かったから秘密裏にあぶり出したって事だ」

 

 きっかけは、またしても根も葉もない噂。『前線メンバーの中に茅場がいる』というもの。今となっては70階層でくだらない噂を流した奴との一致を疑うが、当時は状況が状況なだけに、そんな特定をしている余裕もなく噂は70階層の時とは比較にならないほど早く広がり前線の状態は混迷を極めた。

 そもそも続いていた噂に74階層での軍の独立行動。それに加えて明らかになったボス戦闘での結晶アイテムの使用不可。そして最後の一押しとばかりに茅場に背中を預けているかもしれないという噂。信ぴょう性のあるなしに関わらずそれらはプレイヤー達の不安を煽るには十分だった。

 命を賭ける前線ともなれば、尚更のことでもあった。

 

 やってられっかと辞退する前線メンバーも現れる中、キリトとヒースクリフが(厳密には違うが)痴情のもつれで決闘することになる。この時点で俺の頭はすでにパンク寸前で、ボス情報を集めるのもギルド運営も投げ出して釣り人になってやろうかと本気で悩んでいた。決闘後、キリトが妙なことを言い出したので、それが叶うことはなかったが。

 

『ヒースクリフが茅場かもしれない』

 

 当たり前の事だが、初めはキリトの話を信じることはせず、与太話は他所でやれと追い払おうとしたが、キリトはすべての装備を賭けてもいいと言い出した。装備コレクターとしても地味に名高かった女顔がそこまで言うなら何か感じるものがあったんだろうなと、例の噂の存在という後押しあり、俺は久し振りにオカルトを信じるという、あまりにも合理性に欠いた判断をした。

 

 結果としてファインプレイだったが、よくもまあ、あんな選択をしたもんだと今なら思う。

 

 

「ふうん、そんな運命のような勘が働いたってことは、じゃあこの【黒の剣士】さんと【閃光】さんのシステムの限界を超えた動きっていうのも本当の話なんだ?」

「……まあな」

 

 多少のインチキがあったものの、確かにあれは、あいつらの意思のなせる技であったと言えるだろう。端から見ていてもあいつらの表情と意思には思わず鳥肌が立つような感覚を覚えたからな。誰から見ても、剥がしても剥がれそうにない、お似合いの二人だった。

 

「そうなんだ。そんなにお似合いの二人だったんだ。……じゃあこれもまた、きっと乗り越えられる運命なのかもね」

「……なんの話だ?」

「なんのってそれは───」

 

 

 

 

 

「───【閃光】さんの意識が戻ってないことだよ?」

 

 

 

 


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