翌日、俺はどこか浮ついた気分で登校していた。
昨日一緒だった小町は奉仕部の活動で朝早くに出て行ったため、一人寂しい登校となっている。一人チャリを漕ぐ中で思い出すのは、昨日の小町の一言から分かった事。
『アスナを始めとした一部のSAOプレイヤーが囚われている』
あの時は動揺していたが、思い出してみれば俺は頭の片隅でそのことを知っていたのだ。
『リハビリできることの幸せ』
のらりくらりとした小林医師の言った皮肉にも聞こえる一言。あれこそアスナの容態を暗喩していたに違いなかった。
だとすれば、彼女をはじめとした意識不明の人々は初めから現実に戻って来ていないことになる。小町との会話を終えた後にネットで調べてみると、未帰還の理由として囁かれている噂には、大きく分けて三つあることが分かった。
一つ目は、脳の酷使による防衛反応。一年間に及ぶ膨大な情報処理の連続にほとほと疲れきった脳を休めるため、一時的に仮死状態に脳がしているというもの。
二つ目は、意識不明の者たちが既に死んでいるというもの。あまり可能性として目を向けたくないが、なんらかの理由で植物状態になってしまったというものだ。
三つ目は少しオカルティックだが、脳が迷子になっているというもの。オカルティックなだけあって要領の掴みにくい話だったが、簡単にまとめると、長時間の仮想空間へのダイブによって、自分の体へ戻る方法を魂が忘れてしまったという説だった。
1番嬉しい可能性は一つ目、最悪のパターンが二つ目、どうしようもなくて、どうしようにかできそうなのが三つ目といった印象だがいかんせん、判断するには証拠も情報も不足している上に、俺にとってあまりにも力不足過ぎる話だ。運命に導かれるように解決に向かわない限り、どうしようもない話。
悔しいが、俺にできるのはのうのうと学校生活を送ることだけだった。
アスナとキリトが笑い合う場面を思い出し、悶々とした感情を抱きながら自転車を漕いでいると、前方で誰かが手を振っているのが見える。後ろを向いても誰もいないので、俺を呼んでいるのかと思い、自転車にブレーキをかけた。
「どうしました?」
「ご、ごめんなさい!実は病院への行き方を調べてて!スマホを使おうと思ったら電池切れちゃったんで教えてもらおうと思ったんです!」
中高生くらいの女子が充電マークの浮かんだスマホを片手に涙ぐんでいる。今日は土曜日。新学期始めの週末でセミナーを入れてくるようなブラック高校は辺りを見回しても総武高くらいなもので、近所は専ら休日モードであった。……それにしても、病院か。
「……えーと、駅から来た?」
「は、はい!いつの間にか住宅街にいて……もしかして、登校途中でした?迷惑ですよね?すみません!」
申し訳なさそうな少女に言う。
「言いにくいんだが、病院は駅に向かって逆向きだ。駅から徒歩10分辺りだな」
「え゛!」
絶望の擬人化のような表情をする少女。その表情の豊かさに、何処か既視感を覚えながらも俺はつい漏れそうになった笑いを噛み殺しながら喋った。
「駅までの道のりはわかるのか?」
「……あー、いえ、はい」
「歯切れ悪いな。どっちだよ?」
「あえ、わ、わ、分かります!分かりますはい!」
「……?」
なら良いんだが。スマホでも一応地図で示してやりながら改めて伝えるとものすごいお辞儀をされた。いちいち大げさなやつだとまた、つい笑いたくなるが、やはりそれを噛み殺す。
「……あ」
呆けた声を出して少女が止まった。思わず漏れたとあった声に対してどうしたのかと聞くと、かぶりを振ってなんでもない、と応える。しかし、しばしの間があって苦笑いを浮かべて一言彼女は漏らした。
「初めてあった人にこんなこと言うのもあれなんですけど、今の表情、私に昔良くしてくれた人に似ているんですよね。……あ、いえ、別にお兄さんに対してナンパなんてしてないんですけど!ええ、はい!恐れ多いですし!」
わたわたと手を振る少女。快活そうな顔の裏に見える憂いと『よくしてくれていた』と言う過去形、それに前日聞いた終わっていないSAO事件とその犠牲者の話を思い出してつい俺は関連付けてしまう。顔を少しかめて軽く頭を下げる。
「……悪いこと聞いたな。すまん」
「いえ、別に良いんですよ。私から話したことなんで!というか、多分、いや、絶対にあの人なら生きていますから。死んでも死なない。寧ろすでに死んでいるような人でしたから!きっとどこかで元気にしてます!」
「なにそれこわい」
というか酷い。少なくとも、仮にも優しくしてくれたお兄さんにかける言葉じゃない、仲の良い友達を小馬鹿にするような調子じゃなくて、マジな感じなのが薄ら怖さを増長している。どんな関係性なのか少し興味も湧いたが、そこを特に追求するわけにもいかず俺は彼女との会話をまとめに入る。
「まあ、やぶ蛇じゃなかったなら良かったわ。えっと、その、病院に行ったらお大事に伝えといてください」
「あはは、はい。ちゃんと伝えておきます。まぁ、お兄さんがいくらイケメンでもあの子には決めた彼がいますから、何にも言わないと思いますけどね。いや、何か言ってくれたらそらはそれで、というか、寧ろ……」
わたわたからわちゃわちゃへと移行した彼女をさておいて自転車にまたがる。あの調子なら大丈夫だろう。というかそろそろ行かないと着いてすぐ授業になってしまう。俺はせめて15分前について一息つきたいタイプの人間なのだ。どうせ行っても話す相手なんかいないのにな。……なんてね!
俺は涙目でペダルを踏む。
「あ!ありがとうございましたイケメンのお兄さん!」
「気にするな」
そうだ、俺も放課後アスナのお見舞いに行こう。
唐突にそんな考えを思いついた俺は、手を振る少女を後ろに学校へ向かうのだった。
ー・ー・ー
「せんぱぁぁい!助けて下さいぃぃ!!」
「んだよ、朝っぱら騒がしいな」
教室を開けると同時にいろはが突っ込んでくる。勢い余って俺にぶつかると周りから色めき立つ声が上がった。
ギョッとして周りを見ると明らかにクラスの人数を超える人達の目がこちらを向いている。なにが起こったのかは分からないがとりあえずくっついているいろはを剥がして事情を聞くことにする。
「……なんなんだよ、一体。またなんかしでかしたのか?」
「またとは失礼な!勝手に人をトラブルメイカーみたいにしないで下さい!ってそうじゃなくて、これですよこれ!私も今日知ってびっくりしました!いろはちゃん大勝利ですよこれは!」
はあ?聞き返す前に差し出されたのはオシャレにデコられたいろはのスマホと、そこに映し出されたツイッターの画面。
そこには苦笑いを浮かべる美男子と満開の笑顔を浮かべる美女。済まして紅茶を傾ける少年に疲れた表情で机につっ伏せる美少女の写真が乗っけられていた。
というか、まんま俺達だった。
具体的には、葉山と陽乃さんと俺といろはだった。
『別世界過ぎてワロタwwwどこの少女漫画だよww』
『これはスカウトまったなしですねぇ』
写真と共に書き込まれた呟きには4桁代後半の拡散を示すマークが付いている。
「……は?」
「昨日取られてたみたいで、モザイクがかかってるけど、やっぱりわかる人には分かるみたいで集まってきちゃったみたいなんです……」
思わず頭をガシガシ搔く俺。どうしようもない現実にどうしようもない現実を叩きつけられ、なんだか踏んだり蹴ったりな気分だった。不幸中の幸い、よほど近くの人間でもない限り分からない程度にはモザイクがかかっているので、クラスの奴には保存するな消せ消させろと言って、とりあえず解散させる。皆は先輩の言うことともあり、まあまあ従順に解散してくれた。
別クラスがの奴らがいなくなるのを見届けて俺は思わず机につっ伏せる。奇しくもそれは、あの写真のいろはのようなポーズだった。
「……あー」
特に意味のない声が漏れる。
「人気者は辛いですねぇ。どうですか?今の気分は?」
いち早く回復したいろはがおちょくるような口調でほれほれーと頰をつついてきた。べしっと指をはたき落として気だるげに声を出す。
「どうしたもこうしたもねーよ。過剰に反応されるわ面倒臭いことは起きるわで良いことが何一つねえよ。つーか、俺、実は別の体に憑依したんじゃねえよな?こんなに持て囃されるとかマジありえないんですけど。ぶっちゃけありえない……」
「うわぁ、相当やさぐれてますね。……ふむふむ。しかし、もう大丈夫ですよ。これで名実ともに八幡先輩は私の彼氏ですから、いつでも頼ってくださって結構ですから!」
「名も実もそんな事実もねーから。そんな事起こるのは少し不思議を通り越してすごく不思議でSFだから」
それこそぶっちゃけありえない。
今この状況で誰かと付き合うとかどんな胆力の持ち主だよ。攻略定例会議前夜は毎回緊張で寝られなかった男には出来ない相談だな。
はぁ、とため息を一つ。やれやれ系にはなるつもりは無いが、こればっかりはため息をついてやれやれと言わざるを得ない。まさか、『つれぇわぁ、マジつれぇわぁ。注目浴びすぎてつれぇわぁ……』とか本気で言えそうな日が来るとは思わなかったが、それを本心から言う日が来るとも思わなかった。
いろははそんな俺の気など知らずパシャパシャと俺を撮ってくる。鬱陶しいから止めろ。
「そういえば、ネットニュース見ました?ALOで撮れた面白い写真があるそうなんですよ」
「ALO?なんだそれ?」
「アルヴヘイムオンラインですよ。リリース当初は物凄い話題になったんですけど知りません?目覚めてから聞いたことないですか?SAO事件中に1番槍として発売されたVRMMORPGなんですけど」
「……あー、聞いたことあるような気もするなぁ……」
この国も遂に平和ボケで頭がおかしくなったのかと、かつて幽閉されていた身ながらに思ったのを覚えてる気がする。つまりあやふや。
「……ん?いろはがサブカルに、しかもネットニュースを見るほどに興味があるとは意外だな」
「先輩が閉じ込められちゃったからVR系のニュースがあるとつい見ちゃうようになったんですよ。それで特にプレイしていると言うわけではないですけど、知識だけは詳しくなっちゃって……えへへ」
あざとい。けど、ありがたい話だった。
不覚にも感動した俺は、俺らしくもなく素直にお礼を彼女に伝える。しかし分かりやすく調子に乗るのでデコを軽く叩いて面白い写真ってなんだよ、と疑問を投げかけた。
「……あー、これなんですけど……」
見せてくれた写真に思わず目を剥く。
明らかに仮想現実のものであると分かるような色合いとライディングの写真。かなり引き伸ばしたものであるソレは画素こそたしかに荒かったが、驚愕の風景が映し出されていた。見間違いようのないその人物は、昨夜知った現在意識の戻っていない彼女。
「……アスナ」
下から無理やり覗いたかのような構図の写真。金の格子模様の奥に写し出された如何にも王室のような部屋の中で椅子に腰掛ける栗色長髪の少女。
透明な羽にとんがった耳など、多少の違いこそあれ、彼女は確かに【閃光】、アスナだった。
百合のような繊細さと、菊のような満開の笑みを浮かべていたあの表情は、写真内では何かに耐えるように口を一文字にした、見ている人に否応なく悲痛さを感じさせる表情になっている。
突っ伏した体を思わず起き上がらせいろはの肩を掴んで問い詰める。
「おい、これは一体なんだ!」
「ちょ!落ち着いてください!逆にどうしたと聞き返したいですよ」
「す、すまん」
ぷりぷりと起こった彼女はスマホを見ながら概要を教えてくれる。読まないでいいから見せろよとは思ったが、それで機嫌を損ねられても困るので、ありがたく拝聴することにした。このパターン何回しているんだか……。
「えっとですねALOには、中心地に世界樹というのがありまして。今回の写真はなんかの企画で、その世界樹の上を覗こうというプロジェクトの中で撮られたそうです」
「と言いますのもですね、ALOはプレイヤーが数種類の妖精の中のどれかになるという特徴があるんですけれど、その全種族共通の特徴として、飛べるんですよね。時間制限付きで」
「そこで今回は、正攻法もあるのですがそうではなくて、こう、ロケット鉛筆みたいに肩車して順々に切り離し飛んで、切り離し飛んでとやって、世界樹の中を撮影したんですよね。ダメ元の方法だったのですけれど、それがこんな写真が撮れたので、今はALOはお祭り状態ですよ」
「一時期は世界樹の攻略は元々させる気がなくて無理ゲーなんだと言われていた位ですから、その成果があるという確証が得られた今、どこの領土でもいち早く攻略しようと血気盛んに活気付いているらしいです」
と、いろはは説明した。
さらに言うと、どうやらその種族が持つ飛行制限が世界樹のクエスト攻略の報酬として解けるらしい。そして、そのクエストというのが無限popかつその量も関数的に増えるという鬼仕様だとか。殆ど攻略に参加などしてこなかった俺からすると、無限湧きなら経験値得放題じゃんとか思ってしまうのだが、そう簡単な話でもないんだろう。
……しかし、キリトはこれを知っているのだろうか。
ともすれば、通学中にも悩んでいた、未だ抜け出せないプレイヤー救出の手立てになるかもしれない話を頭の中に刻み込みながら俺は【英雄】の姿を想起するのだった。