クリア後のその先で   作:一葉 さゑら

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23【黒の剣士⒉】

 桐ヶ谷和人は茫然自失としていた。

 

 それは、文字通り自失。感情の飽和が引き起こした一種の錯乱だった。

 

 脳内に反響するのは先ほどまで会話をしていた相手の粘った声。自身の心にこびりつくかのような彼の言葉群は心内反響の度に心の内壁を侵食していく。壁が喰われ切ったその先にあるのは諦観と絶望だけだと知っていても、桐ヶ谷和人にはそれを止める術を見失ってた。彼はデスゲーム培ったはずの、不屈の精神も、与えられた立ち上がる勇気も、喪失していた。

 

 彼の両目からは意味もなく涙が溢れている。

 否、意味は確かにある。しかし彼には分からなかった。

 何故流れるのか。何故、止まらないのか。とめどなく滴り落ちる涙が自らの情けなさからくるものなのか、あまりにも辛く暗い未来に対する悲しみからくるものなのか彼には判別つかない。

 自失の中、微かに生じては消えるのは最愛の彼女に対する謝罪と、奴に対する憎悪の感情だけだった。

 

 たった1人のためとしては過剰なまでの空間を持つ病室。徹底的にまで消臭されているお陰で、病院にこびりついた消毒液の匂いは全くせず、ただ、痛いまでの沈黙と、その沈黙をわずかに緩和するが如きの寝息と嘆きが病室全体を包んでいる。

 

 結城明日奈(asuna yu-ki)

 

 目の端に移るベッドに取り付けられたプレートが彼をより一層悲愴の谷底へと沈め混んでいた。

 

 

 どれくらいの間彼女にかかった毛布を濡らしていただろうか。

 窓の外の景色は皮肉なまでの青から、心の弱さを引き出す赤紫色へと変化していた。和人は涙こそ止まったが、崩れた体を起こす気力は湧かずただ呆然と崩れたマリオネットのように佇む。その構図は果てしなく続くかと思われたが、はっ、と意識を取り戻したのは意外にも早く、1分ほど後に鳴った扉の開閉音が聞こえた時だった。

 

 

「桐ヶ谷くん、そろそろ今日の面会時間は終わりますよ?」

「……小林先生」

 

 

 はっ、と小林医師も又、息を飲む。和人の尋常ではない思いつめた表情に。精神科専攻でありつつもなんやかんやでスポーツ医に転向した小林医師は少し目を伏せた後、余裕のない表情で俯く少年にこう告げた。

 

「……マックスコーヒー、奢ってあげる」

 

 その時の小林医師の頭に浮かんでいたのは、取り敢えず気分を変えてあげようとする医者としての考えと、ふと浮かんだとある青年について話してみようとする小林としての考えだった。

 

 ガランと空いていた待合室に移動した2人はコーヒーを片手にどちらからかともなく話し始める。その話は、初めは天気がいい1日だったというありふれてありきたりな世間話。次いで最近のVR事業に絡めた医療事情について話、和人の身辺話を経て、本題へと移っていった。

 和人が本題に入ってしばらくは、随分と遠回りな道のりだったなぁと小林が内心苦笑いで話を聞いていたが、話が進むにつれて内心だけでなく目に見える表情まで強張っていく。

 

「……と、いうわけなんです」

 

 話し終える。

 和人は勿論全てを話したわけではない。しかれども、頭の良い小林医師は彼の話で十分理解が及ぶ。それどころか脳内で和人がショックを受ける映像が再生される程度には想像される。これは、小林が今まで数え切れない人の数え切れない種類の表情と行動を見て来た経験の賜物であるが、もしそうでなかったとしても和人の話は100人が聞いて100人が顔をしかめる類の話であった。小林医師はしかめた表情で考える。手元で暑さをじんわりと伝えるコーヒーを一口啜ると無意識のうちに、ふぅむ。と声なのか息なのか判別つかない音が漏れた。

 

「……明日奈さんと会えなくなる、ですか」

 

 言葉を選びながら小林は話す。

 

「確かに彼女はVIPでありそれ相応の家柄の娘であると言えますが、私にはどうもその、君と彼女が離れる光景がイメージできませんね」

「……けど」

「そもそも、明日奈さんのお父さんは和人くんのことを大変感心した様子で話していましたし。ゲーム内での関係はさておき、友人としてはまず持って問題ない立派な少年だともおっしゃってました」

「そう、ですか」

 

 沈んだ表情は変わらないまま鬱々と相槌を打つ。

 それを見ていた小林医師はふと話そうとしてた彼についてのある一言を思い出した。

 

 

「ウイスキーと煙管」

 

 

 たった10文字にも満たないこの言葉は、彼───比企谷八幡担当のリハビリトレーナーづてに小林が聞いた言葉だった。また、担当患者である明日奈が起きた際に伝えようと思っていた言葉でもあった。

 唐突な言葉に反応したのか、はたまたこの言葉に心当たりがあったのか。和人は伏せていた顔をあげ小林を見る。

 

「ある患者さんがいってた言葉なんだけどね」

「……その言葉」

「ふむ、聞き覚えがあるのかい?」

「……【参謀】の」

 

 ぼそりと呟いた和人の言葉は尻すぼみだったが、小林は【参謀】という単語を捉えてニヤリと笑った。それはつまり、八幡が望んだ言伝を与えるべき人だという証拠の他ならなかったからだ。笑みを湛えた彼は医者として0点な発言を決心する───とはいえ、小林の心に後悔はなかったのだが。

 

「……彼に会いにいってみればいい」

「でも、どうやって?」

 

 和人は当然の疑問を投げかける。

 小林医師はそれに答えることなく手荷物コーヒーを屑かごに入れると立ち上がって、手を振って去っていった。突然の行動に和人はしばし呆然とする。

 そして、こんなところで話を切り上げられても困ると和人が腰を上げた時だった。

 

「私は立場上、それ以上の情報を与えることはできないけれどね。……あっ、明日奈さんの病室に『明日奈さんのためのリハビリ参考データ』として残しておいた、『とあるSAOサバイバーの資料』を忘れてきちゃったかも……なんてね。まぁ、あったとしても年齢はともかく『所属』なんて書いてなかった『気がする』し、確認するのは明日でいいか」

 

 小林があっけらかんと後ろを向いたまま独り言(、、、)を吐いたのは。そして、わざとらしく和人の方を向いて「面談時間は残り5分だから早く帰りなよ」と言ったのだった。

 

 本来であれば記憶にすら残らないほど辛い思い出である須郷との邂逅の日。

 

 桐ヶ谷和人に降って湧いたこの小さなイレギュラーはやがて大きく未来を左右することになる。

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 時は変わって、というか戻って四月末の放課後。

 

「……おい、なんで俺まで行かなきゃいけないんだよ」

「私が怖いからに決まっているじゃないですか」

「いや、放っておけよ。その黒ずくめの男、教師は不対応だったんだろ?なら誰かと待ち合わせしているだけなんじゃないのか?」

「先輩には好奇心がないのですか!!」

 

 ビックリマーク二つ付けてまで強調する程殊勝な心掛けではない。人間としても、生徒会長としても。どちらかというと下衆な部類に入るであろう心づもりを抱いていた生徒会長(笑)は『俺だって怖いし、お前と違って見たくない』と嫌がる俺を引っ張っていく。面会時間が分からない以上、アスナの見舞いに行きたい俺としてはこんな所で無駄な時間を費やしたくないのだ。

 

 廊下の中を遠慮なく俺の左手をとって歩いていくものだから尋常じゃなく視線を集める。その上、いろははそんじょそこらの男児ならたまんねえ!と悶えるような笑顔を浮かべてあるものだから尚更視線を集める。

 慣れない視線と手汗が滲んだ左手に羞恥を覚えた俺は、繋がれたいろはの右手を弾くように解く。指を絡まされた。

 

「おいっ!」

「嫌です!」

 

 先回りした彼女はツンとして断る。デレのためにツンとする。ツンデレの新解釈の誕生だった。

 所謂恋人繋ぎによって、俄然湧き上がる黄色い視線に勘弁してくれと目線をやりながらも廊下を進み、2分と経たず下駄箱に到着する。

 教室を出る際に持たされたいろはの鞄を渡しながら靴を履き替える。その際に手は離したものの履き替えるや否やいろはが注視してくるので、しょうがねえなぁと言いながらポッケに手を突っ込んだ。これなら意識しないで済むだろう。

 

「そうじゃないですぅ。違いますぅ。先輩は早く手を出すべきですぅ。出さないと殺しますぅ」

「後輩が物騒すぎる件について」

「先輩がヘタレスケコマシすぎ」

 

 そこで切ったらただの罵倒だ。

 さて、総武高校は校舎の構造上下駄箱から校舎を出れば直ぐに校門が見える。

 

「……あっ、あの人ですかね?」

 

 つまり、件の人物はすぐ見つかる運びとなる。

 

 青のバイクに寄りかかる黒のジャケットを着た身長170センチ位の黒色短髪の男性。確かに手袋ヘルメットを黒で統一しているようだし、黒ずくめと言われれば黒ずくめだ。

 

「てっきり黒ずくめと言っていたのでどんなバイクに乗っているのかと思ったのですが、青じゃないですか」

「本当に野次馬精神丸出しだな」

 

 カラーリングとフォルム、そしてナンバープレートから察するにヤマハの原付二種。二輪は中二の頃にすでに予習済みだから多分間違いない。ア-0930とよく磨かれたナンバープレートがバイクの整備がきちんとなされていることを主張していた。

 スタイルのそこそこいい痩せ型筋肉質な体型からもう嫌な予感がしていたが、案の定横顔は精悍なイケメンだった。通りで遠巻きに女子が立ち止まっているわけだよ。彼女のお迎えですってか?吹き飛べ。

 

「……話しかけないんですか?」

「お前が行けよ、生徒会長」

 

 言い出しっぺが俺の腰を肘打ちをする。なんだかんだ言って職員が対応取っているわけでもないため、俺もいろはも黒ずくめの彼に干渉する気はあまりなく、かと言って彼の前を素通りしたらしたで校門周りでたむろっている生徒達の(生徒会長を見る)目が痛いので、必然的に俺らも立ち往生する。あれ、俺関係なくね?

 どうしたものかと思っているとすぐ近くで『話しかけられちゃった〜』と話し合う女生徒が居たので、これはしめたものだと聞き込みをすることにし、いろはと女生徒に近づく。

 

「あの、彼について聞いてもいいですか?」

「へっ?生徒会長?」

 

 一年生らしい彼女は分かりやすく動揺する。適当に宥めつつ聞き出した話によると、彼は人探しをしているらしい。

 

「人探し?待ち合わせじゃなくて?」

「多分、ですけど。……えっと、『目が怖い俺くらいの身長の男子知ってる?』って私には聞いて来ました」

「目が怖いって、うちの生徒にそんな見てくれからして怖い人なんていましたっけ?」

「いや、俺に聞かれてもな」

 

 強いて言うなら腐っている少年ならいたけど……ってやかましいわ。

 

「……うーん、よく分からないなぁ」

 

 女生徒と別れた後にいろはが呟く。そして何を思ったのかずんずんと彼の方へと歩み始めた。

 

「お、おいっ!戻って来いっ」

「なんか面倒臭さくなってきたのでダイレクトコネクティングしてきます」

「言い方が卑猥だな」

「先輩の頭が卑猥なんです」

 

 そんなやりとりをしつつ、いろははすらすらと校門脇に立ついけてる面子に話しかけた。俺も気になったので野次馬程度に近づく。

 

「あのぅ、すみません。この学校の生徒……じゃないですよね?」

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 

 いろはの声にイケメンは分かりやすく狼狽した。目を左右に動かして「あー、うー」と声を詰まらせて手をワタワタと動かした。

 ティン!と俺の脳みそはコイツが他人とのコミュニケーニョンに不慣れな哀れな人間だと気付いたが、「俺もそうなんっすよ!」と半笑いで察し始めようものならイケメンだけでなくいろはにもドン引きされること間違いない。助け舟を出そうかとも思ったがなんとなく困った顔もイケメンなのが癪に触ったので放置を決め込むことにした。

 

「あ……っと、えと」

「あのー?」

 

 イケメンをのぞき込むようにするいろは。いろはのあざとさはコミュ障を例外なくどもらせる毒になる。つまり黒男も同様。

 

「あっ!ご、ごめんなさい!人を探してまして!」

「人?うちの生徒?」

「はい!目が人間離れしていて俺と同じ位の背の高さなんですけど!」

 

 男の背の高さは大体170と少し。……つーか、人間離れしてる目ってどんなんだよ。いろはも悩んだのち、そんな人いないと思うと答えた。

 

「そ、そうですか……。あの、俺、桐ヶ谷和人って言うんですけど、もし見かけたら『キリトが呼んでた。小林経由で連絡求める』って伝えてくれませんか?」

「!!!」

「……どうしたんですか、先輩?そんなに目を開いて」

「……」

 

 ……キリト……小林……。

 

 小林……。

 

 

 ……小林医師?

 

 

 

 

 

 ……あ。

 

 

 

 

 

「すまん、桐ヶ谷。1つだけ教えて欲しいんだが」

「先輩?」

「……なんですか?」

「……【ウイスキーと煙管】」

「!!!」

 

 

 口を上下に開け、目を見開く和人。……やっぱりそうか。

 

 

「……お前、【kirito】か?」

「はあああああああああ?!」

 

 

 

 アバター詐欺だろ?! キリトが叫ぶのを傍目に俺は、そうか、こいつも成長してるんだよな。と合点がいった。

 

 

 


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