「こんな貧相なバイクで二人乗りできんの?」
「失礼な奴だなぁ」
そんな会話を挟みつつ二人乗りバイクで千葉街道を爆走すること1時間近く。俺とキリトは東京上野近くまでやってきた。
今日も見舞いができなかったなぁ、とキリトにしがみつきながら思う。見舞いが妨げられたのはこれで2度目だ。二度あることは三度あると言うし、もしかしてこのままずっと見舞いができないんじゃねぇの?
キュッと音を立てて止まったのは知らない駅。知らないといえば、校門でもなんだかんだと言ってたらいつの間にかいろはと別れて、いつの間にかキリトにヘルメットを被せられ、そんでもっていつの間にかこんな見知らぬ場所に連れてこられていたんだったな、俺。全く、飴の誘惑なしに誘拐されるとかチョロすぎだろ。
「バイクしまってくるから」
そう言って俺を置いて駅のバイク置き場に消え去っていくキリト。時計は既に5時過ぎ。休憩にと止まったコンビニで遅くなる旨を一応小町に連絡したが、果たして俺は無事に帰れるのだろうか?
そもそものところ。つーか、ここどこだよ。
携帯で調べてみると東京の御徒町とかいう場所らしいけど……うん、どこ?
自動販売機にマッ缶がなかったり、やけに狭っ苦しい路地ばかりが目立つ住宅街に地元との差異を感じていると、キリトが「悪い悪い」と手を振りながら帰ってきた。
「いやぁ、この辺初めてきたんだけど意外と駐輪場が小さくてさ」
「お前は俺を始めての土地に連れてきてどうしたいんだよ。……つーか、お前、本当にキリトなのか?」
「それはこっちがそのまま返したい質問だな」
笑ってキリトはライダースジャケットから免許証を取り出した。
「……な?桐ヶ谷和人。苗字と名前から少しずつ取って『キリト』だ。……単純とかいうなよ?」
写真付きの二種免許には確かに言った通りの名前と16歳の記述。
「……お前学校とかは?」
「う……行ってない。というかしょうがなかったんだよ中二に捕まって起きたら卒業間近だし。というかそもそも……」
ブツブツと虚ろな目で早くキリト。成る程な、随分と複雑な時期に捕まったもんだ。どうせこいつのことだから中弛みして「ラッキー、ずっとSAOできんじゃん!」とか思ってたんだろうな。いや、どの歳でもなんだかんだやってそうだな。
「それじゃあキリトは新しい学校できるまで自宅待機か」
「通信教材は毎月送られてくるけどな。……というか、あ、えと、なんて呼べばいい?」
「比企谷でも八幡でもすきなように。プレイヤーネームは勘弁してくれ。リアルとゲームは分けたいからな」
「ばっちし俺のことキリトって呼んでるけどな!」
キリトはツッコミながらも俺の方を見ることなく、道の左右を見ては手に持った携帯端末と見比べるを繰り返す。一見初見の地でイマイチ道が分からない一般男性に見えるが俺には判る。こいつは俺と目を合わせるのを避けているだけだ。その証拠に携帯端末に表示されているのはホーム画面だし、そもそも左右を見たところで一本道だからまるで見る意味がない。
(それにしても、こいつでかくなったな)
目線の高さにおでこが見えるキリトを観察する。
身長も172、3はありそうだし、体もアバターに比べると随分と筋肉質だ。年齢的に、第二次性徴を迎えたのだろうが、寝たきりの栄養不足になりがちな環境でよくもここまででかくなったなと思う。
「キリト、随分と成長したな」
会話のタネにと口に出してみた。相変わらずこちらに目を向けることはなかったが、
「八幡に言われたくない」
即答された。
事実だった。
数分もすると時間帯も相まって人気の少ない路地に着く。キリトはスマホをしまうと(今度はちゃんと画面に地図が表示されていた)、小さく「よし」と呟いて小さな路地裏へと歩を進める。年下に負けてはいられないと謎の対抗意識を持って、それでもおそるおそると彼についていくと路地裏に突如として木製の扉が現れた。
「ここに入るから」
「はぁ?」
短くそう告げたキリトは扉を遠慮なく開けた。え?なに?もしかして秘密結社的なアレですか?もしかして俺、改造されちゃうの?
ショッカー系男子とかもう流行ってないだろ、なんてヤバそうな雰囲気に押されて意味不明なことを思う。要は現実逃避なのだが、そんな俺も「ほら」とかけられた言葉に「あ、あぁ」とどこかとぼけた返答をしてふらふらと扉をくぐってしまった。
扉を抜けるとそこは、雪国……なんてことはなく。
ただ、雪国にいそうなマッチョメンでダンディズムとワイルド味に溢れるガタイのいいおっさんがエプロンを着て立っていた。声をかけようとキリトを見れば、初対面なはずの相手に気楽な調子で声をかけている。
……俺と同じで内弁慶のコミュ障だと思っていたのに。失礼にも少しショックを受ける俺。
歓談を楽しんでいた2人はややあって1人佇む俺にやっと気づいたのか、軽い謝罪とともにキリトが中心となって紹介を始める。
「こっちが、この古ぼけた喫茶店の店主であるアンドリュー・ギルバート・ミルズだ」
おどけるキリト。それに答えたのか額に手を当てて「おいおい」と大男は外国然とした彫りの深いマスクを口角を上げた。気障っぽい態度が嫌に様になるヤツだ。
そして、どいつもこいつも単純なアバターネームをつけてんな、とアンドリューの変わらない顔を見て思う。
「調子いいこと言いやがって……と、悪いな放っといちまって。ダイシー・カフェのマスターやってるアンドリューだ。……ようこそ、《
「……もう店主はお前だと何回言ったら分かるんだ、《エギル》」
ましてや自治長でもないのだが。
もう1人いたのなら、そう続くはずの、所謂お約束のやりとりを2ヶ月ぶりに口にして、俺は寄ってきた190センチの大男に手を挙げた。
キリトはそれを見て「本当に【参謀】だったんだな……」と呟いた。まだ疑ってたのかよ。
ー・ー・ー
ブレンドコーヒーを使ったというミルクコーヒーの味を楽しむこと10分と少し。ジンジャーエールを飲み干したキリトがエギルにも同席を促した。
「───なぁ」
キリトを呼びかける。
「なんだ?」
「あ、いやなんでもない」
やけにそわそわとした様子のキリトを見て口をつぐむ。どうせ後で分かることだろうし、キリトが何か言いたそうにしていたためだった。キリトはちょっと怪訝な目を向けてきたがすぐにエギルを見やる。
「で、あれはどういうことなんだ?」
キリトが険しい目線をエギルに向ける。エギルもなんかキリッとした視線を交わしているし、なんか俺をそっちのけでハードボイルドをやっているような感じだ。さっきから問答無用の勢いで誘拐してきた相手を放置することがしばしばなんだけど、どうなってんの?20センチも離れていない距離の会話なのに1メートル以上の距離を感じる。例えるならテニスの授業中に葉山と戸部と大和の中に入れられた俺の気分。
別にいじけたわけではないが、コーヒーの入ったグラスを弾いて甲高い音を立てる。
しばらくむさっ苦しいお見合いをしていた2人だったが、おもむろに店長がテーブルの上に長方形のパッケージを置くことでそれは終わった。見たことのないサイズのものだが、どうやらそれはゲームソフトの入ったパッケージのようだ。
キリトと俺がパッケージを覗き込むと、そこには巨大な満月をバックに妖精が剣を持ったイラストと下部に飾られた《ALfheim Online》の文字。
なんて読むんだこれ?
「アルフ……いや、ALO───あぁ、そういうことか」
口の中で小さく呟く。そして、気づく。
というか、繋がる。
思い出したのはいつかのいろはとの会話。
『ALOの世界樹の中にアスナ似の女性がいた』
つまり、エギルはこれを知った時にキリトに連絡をしてキリトは詳しく聞きにここにきたということなのだろう。
……マジで俺必要なくね?とは思うが。
「……アミュスフィア?」
1人納得しているとキリトがボソッと呟く。
「あぁ、オレたちがSAOにいる時に発売された新しいハードだよ。ナーヴギアの後継機で今度こそ安全だからと結構普及したみたいだな」
「俺がそれを聞いたときはおもわず笑ったな。現在進行形でSAOが行われてるっていうのにのうのうと好景気発売してしかもバカ売れしちゃうとか、日本の平和ボケはどうなったんだってな」
しかも、平然とVRMMOが横行しているときたもんだ。捕まった身で何を言っているんだと思われてもしょうがないが嘆かずにはいられない。それが実際に安全だったかはともかく、当時に購入した奴はどれだけリテラシー面で阿呆なのかと。
「妖精か……。パステルな雰囲気だし、剣が一応書かれているけどスローライフメインのまったり交流系なのか?」
「それがそうでもなさそうで、どのつくスキル制度、プレイヤースキル重視、PK推奨のハード系らしい」
ニヤリと笑ってエギルは続ける。
「簡単にいうとレベルの排除されたSAOで、各種スキル数値が使用度に応じて上昇するって感じだな。違うのはソードスキルが魔法スキルに、プレイヤーの背中には翅がつくってトコだ」
グラや精度もSAO並らしいぞ。肩をすくめるエギル。
スペックを聞いたキリトはマジかよと言った感じで口笛を吹くかのように口をすぼめる。よもや、天才茅場明彦の手を一切借りずにそのレベルのゲームが作れたとは到底信じられないが、 俺は俺で気になることがあり聞いてみることにした。というか、話を進めることにした。
「飛べるってのは、どういうことなんだ?あと、これを見せたってことはつまり、あの画像が本題か?」
「ああ、そうだ。フライト・エンジンによって飛行を可能にしたらしいが、オレもまだプレイしたことはないからよく分からないな。───そして、本題はご察しの通りこいつだ」
スッ───。
ALO同様机上に滑り置かれたのは予想通りの一枚。
鳥籠に囚われた1人のアバターの姿。
ギリ。キリトが歯噛みした音がする。小さく「……野郎」と呟いていたのを俺は聞き逃すことはなかった。
「アスナだ」
しばらく沈黙していたキリトが断定する。随分と擦れた荒い写真であったがやはり彼もその結論に至ったらしい。そこまで話が進んだのなら後は早い。俺は残り少なくったミルクコーヒーを一気に飲み込むと「んで、」と一人ごちるように呟く。……俺にとっての本題を。
「それで、キリト。お前はなぜ俺をこの場に呼んだんだ?」
ー・ー・ー
キリトは比企谷八幡という青年について抱く印象はどうしてもSAO内でのものが強く反映されている。様々な印象と出来事と要因とをごちゃ混ぜにした結果、出てくるものは《いい奴》というものに落ち着くのだがキリトにはどうもその結論に腑に落ちないものを感じていた。
それは、比企谷八幡が持つ自己犠牲を選ぶことができるという理性を端的に捉えようとした結果のモヤモヤであるのだが、SAOでそんなに関わりを持ってこなかったキリトにとってソレを理解するというのは不可能に近いことであった。
五月をそろそろ迎えようというこの日、キリトが比企谷八幡をエギルが経営するカフェに連れてきた理由は主に2つあった。
1つはエギルに合わせたいというもの。
1つは明日奈の救出を手伝って欲しいというもの。
片方はともかく、彼は八幡に依頼をしたいと考えていたのだ。
須郷と初めて会ったあの日は、ただなんとなく会ってみようと思っていたキリトだったが、つい先日エギルから情報をもたらされた時からは、もう一回あの【参謀】の力を借りたい、そう考えるようになっていた。多少の美化が入っていたが、彼に相談しておけばいい結果に繋がると経験則から思考した結果だった。
だからこそ、アスナであろうと思われる写真を見た後の問いには素直に、
「八幡の力を貸して欲しい。明日奈を助ける手立てを考えて欲しい」
と答えた。
無論、現時点の情報では明確な助ける手立てが出ることなどはなから期待もしていなかったし、彼ができるとも思っていなかった。
しかし、もしもこれからの情報次第で何か任せたいことがあったら助けて欲しい───例えばMMOでパーティに誘うような軽い気持ちで依頼しよう───とキリトは考えていた。
ただ一度の依頼も断らず、ただ一度たりとも完遂しなかった依頼のない情報ギルドの総本山、そのマスターにたった1つの依頼をしたい。
明日奈に対するいっそ切ないまでの献身と未来に対する思い。
キリトは縋る思いで彼に依頼をした。
「断る」