クリア後のその先で   作:一葉 さゑら

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26【会交】

 借りた親父のスーツはどうも馴染まなく、つい袖についたボタンを触ってしまう。ぼさっとした髪の毛をまとめ上げ、今だけは枝毛も跳ね毛一つない自信がある(アホ毛を除く)。綺麗に磨かれた革靴は無骨に光を反射させている。

 

「すぅー、はぁー」

 

 大きく深呼吸を一つ。

 腕時計を最後に確認して俺は高層ビルに入る決意をした。

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 

「比企谷八幡様ですね。承っております。申し訳ありませんが、須郷は現在、急遽開催されることとなりました株主総会に出席しておりますので、今しばらくお待ちください。先ほど届きました連絡によりますと15分ほどでこちらに到着するそうです」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 株主総会?このタイミングで?

 この訪問だってたまたま空いていたからと2日前に決まったんだぞ。2日の中で株主総会が開かれるなんてことがあり得るのか?

 経営や経済に関しては全くと言っていいほど無知であるが、それでも素人ながらに株主総会が決算から3ヶ月以内に行う必要があることくらいは知っている。であれば、五月の初めに開催するのは何ら不思議ではない……そんなわけがない。3ヶ月以内であればギリギリまで引っ張るのが普通のことだ。

 それに急遽開かれることになったと受付けは言っていた。

 それはつまり、行われたのは臨時総会の方。であれば株主への通知は1週間前には行き渡ったはず。なのに須郷は俺との面会をこの日に選んだ。

 それに世論的に絶大な信頼があるラクト社が本ちゃんの総会前にわざわざ臨時を開く理由はあるのか……。そもそも開いた理由は何だ?

 

 ……駄目だ、まったく想像がつかん。

 

 とりあえず情報をメールで報告しつつ、待ち時間を利用して資料の確認をすることにする。須郷がなにを企んでいようが今はこれからに集中しなければならない。相手は腐っても日本を代表する企業の超重役。ここで生半可なことは一切できない。

 

 

 そしてきっちり15分が経った時、ついに受付に呼ばれる。

 

 

「比企谷八幡様。準備が整いましたので案内いたします。申し訳ありませんが念のためボディチェックはさせていたただきますのでご了承のほどよろしくお願いします」

 

 そう言って彼女は俺からペンと持ってきた資料、そしてプレゼンをさせてもらえた時のためのUSBを除くあらゆる所持品を取り上げた。

 いやに厳重ですね、と尋ねると素っ気なく、規則ですから、と返答される。

 規則なら仕方がない。長いものには巻かれる系男子かつ日和見主義者である身としては非常に納得のできる理由だ。念のためにと持ってきたICレコーダーを取られてしまったのが痛いが、大して重要でもない執務の空き時間にたまたま入れたような会談にすら規則を適用するその周到さを事前に実感できただけ良いとしよう。

 ないことの証明より存在することの証明の方が容易いのは今回も同じ。目標への道はなんら変わらない。ただ、託されたことを授けられた方法に則って言われた通りにすれば良い。そう考えれば、奉仕部より余程簡単な活動なのだから。

 だから、大丈夫。

 

 

「では、須郷がいるのはこちらの部屋になります」

 

 

 

 

 ー・ー・

 

 

 

 

 

「やぁやぁやぁ!待っていたよ!」

 

 待っていたのは意外にも積極的な歓迎だった。

 そう狭くない応接間の入り口近くで待っていたのは、以前雪乃の携帯で見た写真通りの顔。人の良さそうな、それでいて知的な印象を与えるいかにもエリートです、という顔立ちだ。

 今となってはあいつの携帯の中に存在することすら唾棄したい事実なのだが、俺はその歓迎に意気揚々と乗ることにした。

 

「いえいえ、こちらこそ会えてとても嬉しいです!前から一度でいいからお会いしたいと思っていました!今日はよろしくお願いします!」

 

 未だ嘗ておれがこんなにもエクスクラメーションマークを付けて話したことがあっただろうか。知り合いに見られたら恥ずか死する自信があるな。

 彼と同等か少し速いくらいのスピードで近づき、大事なものを扱うかのようにそっと相手の肘に左手を当てて右手を以って握手する。すると須郷はやや面を食らったかのような表情を見せながらも握手を積極的に交わしてくれた。

 

「……ああ、こちらこそよろしく」

 

 須郷の後ろに控えていた秘書と思われる男性が「お茶をお持ちいたします」と告げたのを合図に須郷は俺に席を勧める。見るからに高級そうなソファとガラステーブル。ソファの差がやたら低い理由の一つには帰らせないようにするため立ちにくくなっているためだと聞いたことがあるが本当なのか気になるところだった。

 

「その前に、こちらを」

 

 過剰にならない程度に背中を曲げて彼に手渡したの2日前に完成した名刺。

 

「アポイントメントを取らさせていただいた際にも紹介させていただきましたが改めて。この度はご多忙の中面会の機会を与えて下さりありがとうございました。私、特例有限会社ラース(、、、、、、、、、)所属《、、》の比企谷八幡と申します。今日はどうぞ、よろしくお願いします」

「ああ、これはどうもご丁寧に恐れ入ります。ははは、随分若い人だと思っていたからこれは一本取られてしまったかな?……では僕もこれを。レクト・プログレスのALO部門取締役の須郷信之と申します」

 

 名のある書道家のデザイナによる名刺なのだろう。名刺に書かれた文字は、整然とした止め跳ねの痕跡と文字の崩しとかすれが美しく調和している。決めるところはカメラが、臨機応変に、柔軟に、大胆に行動する彼を体現したかのような文字だった。

 もっとも、須郷がそうであるならば、の話であるが。

 

 受け取った名刺をテーブルに置き、着席した後にカバンから三つの資料を須郷に手渡す。

 

「シンプルな概要をまとめた資料、データ分析を詳細に掲載しました資料、現場の意見とこれにより上がるであろう成果についての意見をまとめた資料の三つをご用意させていただきました」

 

 用意したのは陽乃さんだけれど。出来た上がったの見たけど、どれもえげつないほどよく出来てました、はい。

 一方俺はといえば、プレゼンのための演技指導を受けていました。こっちはえげつないほど拙いと専らの評判でした。

 

「これまたご丁寧に。……随分とプレゼン慣れ、というか営業慣れしてそうだね。練習でもしてきたのかい?」

「はは、そう見えたなら幸いです。その実それはただの若造の虚勢ですからね。内心では初めての経験だということと『鋭勇』である須郷さんの前にいるということで緊張しっぱなしですよ」

「いやぁ……その名前を聞くとこしょぼったい気分になるなぁ。一応三十路のおじさんだし僕としてはそういう二つ名みたいのは勘弁してほしいんだけどね。根からしてそんな目立つキャラじゃないしさ」

「いやいや何を言っているんですか!ALOの方も須郷さんがチーフプロデューサーに変わってからは環境がとても良くなったとプレイヤーに好評じゃないですか。まさに、『鋭い思考と勇断的な実行力を兼ね備えたカリスマ』の名にふさわしいじゃないですよ」

「いやいや……」

 

 照れたように須郷は頭をかく。

 まだ一言二言しか交わしていないというのにこの薄ら寒いやりとりに早くも嫌気がさしてきた。厚い面の皮と調子の良いベロを駆使して世間を渡り歩く社会人のすごさをこんなところで知ることになるとは。

 そんなげんなりとした気持ちとは裏腹に会話は無情にも止まることなく流れていく。というか、立場の都合上こちらから切り出していく。お腹のキリキリを抑えながら。

 

「実は何を隠そう私もあのSAOに囚われていた身でしてね。言ってしまえば私は、須郷さんの英断によって助けられた命の一つなんですよ」

「……ほう、それは災難だったね。君がこうして出てきてくれたことを嬉しく思うよ」

「ありがとうございます。まぁ、情けないことに、そんな恩人の前にいることもあって、緊張と張り切りがあいまってもう胸のところがドキドキしっぱなしなんですよね」

「ほんとかな?」

「本当ですよ!」

 

 

 そう言ったところで秘書がお茶とお菓子を運んでくる。「どうぞ」といった彼の顔はゾッとするほど無表情で俺は見当違いにも、営業上がりじゃないのかな、なんて考えていた。サッサ、となれた調子で須郷と俺の前にお茶を並べた彼は一礼すると部屋から出ていった。

 

「……本当はもう少し親睦を深めさせていただきたいのですが」

 

 ずず、と茶を啜った須郷を見る。数秒後カタンと、湯呑みをコースターに置いたのを確認して俺はついに、本題に入ることにした。

 

「どれでもいいですので、お手元の資料を適当に見ながら聴いていただきたいなと思います」

 

 

 

「では、概要から説明します」

 

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 

 

 大丈夫、と心に言い聞かせただけあって、何事もなくプレゼンは終了した。プレゼンの内容はこの会談の企画者にして最大の功労者である陽乃さんが骨を立て、ラースの優秀な皆さんが肉付けをしたものとなっている。なので、そんな背景もあって、

 

「成る程、言いたいことはまぁ、分かったよ」

「ありがとうございます」

 

 今の説明で分からなかったら逆にそれが分からないわ、という位には良く出来たものとなっていた。

 もっともその内容は、要は、おたくらについて広がりつつある醜聞を消すために良い人材を貸してやるから引続きSAOサバイバーのための支援を頼みます、というだけの話なのだけれど。プレゼンしてると普通だが、なんかこう書いてしまうと、まるでいちゃもんにかこつけたふっかけみたいな気がするなぁ。まぁ、そうなんだけど。

 役員である須郷もその違和感は感じ取ったようで、内容の把握はしたものの優れない顔をしている。

 

「ただ、難しいと思うよ」

「……と、言いますと?」

「まず、僕達に対して今殺到しているこの手の問い合わせは【閃光】に酷似した人物がALOの世界樹の頂上に映り込んだという噂についてのものが殆どだから、そんな事実がない、レクト社のしては無視すればいいだけの話だからね。それに、ラース社としては、ネットでまことしやかに囁かれているレクトの黒い噂とかを見て今日来てくれたんだと思うんだけど……やっぱりこの内容じゃあ正直、悪いけど一考にも値しないと言わざるを得ないよね。あまりにも前提条件が軟弱過ぎるよ」

 

 資料をトントンと叩いて須郷は苦笑いでそう言った。声の調子は攻めるというよりかは嗜める。眼中にないレベルで俺を下に見た物言いだった。

 しかし言い方はともかくとも、俺としても「まぁ、そう思うよなぁ」と言ったところだ。いくらプレゼンの内容がよくても、そもそも交渉に来た理由がこんな『週刊誌にもならないようなゴシップにかこつけてきました』みたいな奴がいたら俺だったらキレている。

 恐らく、須郷が話に聞いたほどの100分の1も頭に血を登らせず、余裕にあしらっているのは俺が学生であると改めて確信したからだろう。

 

 やはり社会の酸いも甘いも知らないような若造だったのか、と。

 

 足と腕を組んで時計を見だした須郷を観察して俺はそう思う。

 つい、口角の一端をあげて、そう思う。

 

 ───だからこそ、それでいい。

 

 舐めてくれるなら舐めもらった方が良い。

 

 舐めてもらった程度でこいつがお縄につくなら上々と言ったものなのだから、と。逆にこんな適当なプレゼンをしてどういうつもりなのかと見当違いに訝しみ始めたらそれはそれで儲けものだったのだが。

 つまり、彼と俺とは勝負のしどころが全く違うため(そもそも彼からしたらこれは小休憩のレクリエーションのようなものだから)負けがないのだ。

 どう転んでも勝ち。陽乃さんさまさまなプレゼンだ。

 

 俺はこまったなぁと言わんばかりに笑って見せる。

 

「……うーん、やっぱり難しいものですね、商談というのは」

「まぁ、よくできていたと思うよ。予め雪乃からはインターン志望の学生による交渉のマネとごと程度に聞いて欲しいと頼まれていたからね。大事な会議の後なだけあって息抜きにもなったよ」

 

 やはりか。まあ、そうだよな。雪乃ならそう言うだろう。

 話半分でいいから聞いてあげてくれないかしら?と高圧的懇願を約一回り上のおっさんにも遠慮なく決めているのが容易に想像できる。

 ただ、お前が雪乃を呼び捨てにするな。俺の雪乃呼びと同価値に思われたらどうする。『明らかにあなたの方が下だけれど?』 とか言われた日には1週間はふさぎ込む自信がある。

 

「……とはいえ会社所属ということで参りました故、何か成果が欲しいのですが……お土産程度でいいのですが……ダメですかね?」

 

 秘技、学生の身分を盾にした身もふたもないベーベ的要求法!良い子の社会人は真似しちゃダメだゾ!

 

 流石に拙いだろ……と先生、もとい静パイセンが首を振っていた陽乃さんの太鼓判押しのこの方法。実際に使うことはなんだかんだないと思っていたが、使っちゃいました。ポイントは唐突にキャラを崩すことだそう。

 類い稀に見る拙い方法だったけれど、須郷に受けが良かったようで見るからに態度が柔和した。

 

「はははっ!そこの商談は上手いじゃないか。いいだろう、何が欲しいんだい?」

「では、この資料を1ページめくって下さい」

 

 プレゼン用として自分が持っていたまるで別の資料だったものを須郷に手渡す。ここまで来たら彼にとってはもう余興のような時間なのか、特に何を言うでもなくめくってくれた。

 めくる際に見えた紙のたわみ。心の中の俺の笑み。

 そして、一直線に結ばれた須郷の口。

 

「……これは、一体どういうことなのかな?」

 

 なんて事はない。キリトとインターネットと、あとはチョロチョロと漏れていた情報をネットで結びつけてそれらしいデータと写真で偽った、レクトの真っ黒な、ある種の捏造記事のようなものだ。もっとも、ハッタリを効かせるために雪ノ下陽乃と葉山隼人を始めとした幾人かの協力が入った極めて信ぴょう性の高いものに仕上がってはいるが。

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 

「───随分と面白い記事が出回っているようだね」

 

 さもありなんといった調子で須郷は紙束をノックする。先ほどとは違って気持ち強めなノックだった。顔に表情を出さないのは流石の貫禄である。

 

「はい、救ってもらった身としては大変心苦しい誤解記事だと思っています。少量の真実を絡めているのがなおのことタチが悪い」

「真実?レクトの醜聞は全てと言っていいほどに法螺話であると思うのだがね。それよりも、この記事は一体どこの出版のものなのかな?」

「色んなところからの切り抜きですので一概にはどこからとは……。あと、真実だと言ったのはこの部分ですよ」

 

 指をさしたのは『未帰還者』に関する一文。

 須郷もああ、と頷いた。

 

「そしてこの部分が、どの記事も全ての根拠はここが源だとして捉えられるのですよ」

 

 大げさに首を振って答える。その方が帰って信頼性が増すとの演技指導による行動だった。

 

「うんうん、君の複雑な心境はよく分かるよ。全くの誤解であることは大前提だけれど、そして僕が言うことではないかもしれないけれど君にとって僕は命の恩人だ。しかしこの記事を鵜呑みにするとしたら、信じられないことに命の恩人が戦友の命を質として閉じ込めていることになるのだからね」

 

 その通りである。二つの意味で、その通り。

 

「話してみた後だから申しますが、初めはそのような猜疑心が確かにありましたが、今は全くないですよ。むしろ、なんでこんな記事を信じたのか不思議なくらいです」

「それは良かった」

「……だからこそ、今回聞いてみたいことがあるのです」

 

 語尾を少し小さく、口と眉をへの字に曲げて意気消沈とした表情を作る。ここ数日で仕込まれた陽乃さん直伝の表情筋はここぞという時に役に立つ。

 

「レクト最高の知能を持ち、最良の判断力を備える『鋭勇』に聞きたいのです。この未帰還者の現象の正体を。例え藁のような情報でもいい。私は、少しでも戦友の一助になりたいと思うのです!」

「……なるほど、ね」

 

 須郷が端的に呟くとすっと立ち上がった。そのまま奥に鎮座する黒光りする机の引き出しへと向かいその中から何やら髪を取り出す。

 

「……これは社外秘なのだけれど」

 

 差し出された紙には密のマークが印されている。

 

「未帰還者について独自調査をしたその結果なんだ」

 

 嘯く彼の表情はともすれば安心させるかのような慈母の如きの笑み。

 

「本当ですか?!」

「うん。ほんとに特例だけどね、熱意に負けたから、それにはちゃんと応えようと思ったんだ。……それかどんなに悲しいものであったとしてもね」

 

 驚き喜色満面の表情を浮かべる俺がどれほど滑稽に見えていたのだろうか。思わず浮かんだ奴の笑みの奥、舌を出して嘲笑う彼の心を幻視しながらも俺は震えさせた手で紙を受け取った。

 

「……は?」

 

 恥辱で止まらないその震えは調査結果を記したプリントに目を通しているうちに止まっていた。それは一重に、最悪を想像させる文面のせいであった。

 

 

 

 

 

【未帰還者に関する調査】

 

(中略)

 

『調査として反射が起こるかどうかを検査。結果、反応なし』

 

(中略)

 

『脳機能について調査。結果、脳の活動は健常者と同じように行われている』

 

(中略)

 

『生理的行動の有無。結果、SAO稼働時より推定1.5〜2.0ほどの低下の確認』

 

(中略)

 

『うわ言、寝言等が調査期間中全ての患者に見当たらないことから深いレベルでのリンクがなされていると考えられる』

 

(中略)

 

『以上のことから未帰還者に対する処方は健康の維持のみが有効であると判断される』

 

(後略)

 

 

 

 

 

 

 ようは、打つ手なし。しかし、キリトから聞いている身からしては何つらつらと戯言を連ねてやがるで終わる話

 

 ───などではない。

 

 

 

「これ、事実ですか?」

「残念ながら。……残酷なことだが、君が未帰還の戦友に対してできることは恐らく設備維持のための寄付、もしくは祈ることくらいだろう」

「そう、ですか……」

 

 相槌はかろうじて打ったものの、俺の頭の中を占拠するのは別のことだった。

 こんなところで正直に現状を渡してくるとは考えにくいが……それでももしもこれが本当のことなのだとしたら、こいつの行なっていることは、キリトに聞かされた以上に残酷な所業であるはず。

 

 もし反射が起きていないとしたら、もしうわ言すらないとしたら、もし、それでいて、脳機能が健常であるとしたら。

 それは、恐らく最低最悪に、醜悪な───、

 

 

 

「比企谷くん?」

「……すみません、ぼーっとしていました。少しショックで」

「無理もない。僕も三月には自分の無力に打ちひしがれたからね。未帰還者の中にはこのレクト社の仲間だった奴もいたんだ……」

「それは御愁傷様です。……この資料、持ち帰ってもよろしいですか?」

「いや許してあげたいのはやまやまだが、社外秘だから悪いけど断らせてもらうよ」

「駄目元でしたから気にしなくても大丈夫です」

 

 突然、須郷は腕時計を見て声をあげる。

 

「ああすまない!本当に悪いと思うのだがもうそろそろでミーティングが始まってしまう!」

「あぁ、そういえば結構な時間が経っていますね。では、続きは日を改めてにしましょう」

「次……ね。うん、機会があったら是非とも。君には未来がありそうだからね。先行投資として受け取ってもらってもいいよ」

「ははは、光栄です」

 

 今時そんななまっちょろい事を善意で打診してくれる奴がいるか。悪態を心の中で吐きながらも鞄に持ち帰るものを全て仕舞い、挨拶をする。別れ際の動揺を誘うような挨拶をしろというのもまた、陽乃さんのアイデアだった。曰く、気の緩みを狙う王道とも言えるこの作戦は王道なだけあって成功率が極めて高いとか。

そして、流石は陽乃さんというべきか、その作戦は功を奏すことになる。

 

 

ただ。

 

 

「今日は本当にありがとうございました。親友と結ばれる予定があるということでしたのでどんな方かと思いましたが、とても良い人そうで、安心しました」

 

 

 途端、瞬間、刹那、同時。

 

 

「───親友。それは明日奈のことかい?それとも、雪乃のことかい?」

 

 

 交渉の真似事は、終わる。

 

 

 

ただ、その功は、毒に見れた蜜のようなものであった。

 

 


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