クリア後のその先で   作:一葉 さゑら

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28【邂逅⒉】

「感情のコントロール。魂レベルで行うそれは最早洗脳ではない。人格の恒久的改変と言っても過言ではないものとなってる。……そしてそれはもう殆ど実践段階に入った」

 

 

「……」

 

 

「全く茅場先輩も馬鹿だよなぁ!こんな金のなる木を作り出しといて放って逝くんだから!まるで初めて発見した阿片に溺れた哀れな航海士のようだと思わないか?その点僕はやはり天才だった!これからの主流となる産業の中核を抑え、まるで王のごとき力をこの手に宿したのだから!」

「……お前は、狂っている」

 

 捻くれているとかクラスのすみっこぐらしとかそんなレベルの話じゃない。コイツは性根が腐って、ズレて、崩れている。

 そうでなければこんな、核とさして変わらない力を平然と手元に置いていられる筈がない。ともすれば茅場よりもコイツは終わっているとすら思える。

 しかし須郷は指を振って俺の言葉を否定する。

 

「狂う? その考えは君の怠慢だよ。理解の放棄を意味した只の戯言でしかない。だって僕は王なのだから。王と違う方向を向いている君の方が異端で狂っているんだ」

「なら、それならお前は一体、何をしたいんだ」

 

 震える体を隠すこともできなくなった俺は、せいぜいのあがきとして目の前の狂人を睨む。俺の未知に対する恐怖なんて知ったことではないと言わんばかりに笑う須郷はいかにも不思議そうな口調で俺の言葉を繰り返した。

 

「何をしたいか?」

 

 小首を傾げ、「あぁ、そうだ」と口にした。

 

「そういえばもうそろそろ五月の中頃だね」

「……は?」

 

 気味が悪い。気味悪くて仕方がない。なぜこうも話をコロコロと転がす。なぜ、余りにも気楽な口調で話せる。

 

 不安で仕方がない。

 

「話を盛り返すようで悪いと思うのだが、比企谷八幡くん。君がさっき言っていた『親友』って誰のことだい?」

 

 

 ー・ー

 

 

「ああいや、明日奈の事でも雪乃の事でもある事は分かりきっているのだが、君の意思としてどう思っているのか知っておきたくてねぇ。ほら?知りたいだろ?なんてったって僕は【英雄】と【影友】の花を両手に持てるんだからさ」

 

 やれやれ、と肩をすくめてそう付け足す須郷は穏やかな笑みを讃える。

 

「……あり得ない。そう思っていますよ。アスナであろうと、雪乃であろうとあいつらが貴方と同じになるなんて事はない。そう思っています」

「人の嫁を名前で呼ぶなよ。『須郷夫人』と呼んでくれて良いのだよ?」

 

 スーツの内ポケットから須郷は紙を取り出した。

 

一昨日行われた(、、、、、、、)見合いの末に結ばれた婚約の誓約書だよ」

 

 下の方へと指が向いているので目で追って見ると須郷と雪乃、その両名が互いの筆跡で記されている。

 言っていた見合いは既に行われていたのか。

 ギリ、と奥歯を噛んで思考する。引き出さなければならない、雪乃を狂気の中に埋もれさせるわけにはいかない、と。

 

 

「そうだ。君がトロトロと下らないお遊びの計画をえっちらおっちらと粘土遊びのようにこねくり回している間にできた誓約書だよ。ははは。だから君は愚図だと言ったのだ。未来を見過ぎていてまるで本質が見えていない。やるべきことをやるのが遅過ぎるのだ」

「……数日後には警察のお世話になる。そうなれば、」

 

 

 

 

「だから無能だと言っているんだよ」

 

 

 

 

 

「いいかい、比企谷八幡くん。君は根底から間違っている。……一体いつから僕はそんな犯罪人になったんだい?僕はただ単に世界規模のビジネスを見据えて動いていただけだ。婚約もしっかりと互いの同意を得て成り立っているし、警察が動く理由なんてないじゃないか。そうでなかったとしても僕は、今となっては警察をお世話する立場なんだよ?」

 

 ほら、と奴の声に合わせて壁を見やればポスターが貼ってあるのが視界に入った。どこかの小学生が書いたであろう夏休みの課題のような防犯ポスターに安っぽいフォントが乗っかった、ごくありふれた注意喚起のポスターだった。

 最近よく目にするナーヴギアとアミュスフィアに関するポスターだった。

 

「あれは君達が寝ている間に始まったキャンペーンでね。VRゲームに関する犯罪の防止ポスターなんだよ。僕はそのキャンペーンの特別委員長を担っている。……つまり、君のように警察と友達の友達のような関係ではないんだよ。正当に対等な関係なんだ。君達がどのように如何やって何処の行政権力に頼るのかはないけれど、そんな僕を捕まえて数日以内に逮捕なんていうのは、証拠もなしじゃぁ難しいんじゃないのかなぁ?」

 

 感情コントロール云々だってあくまで副産物。たまたま木箱の構築中に見つかったにすぎないのだ。

 

 須郷は嗤い、手に取った誓約書に頬ずりをした。

 

 いい加減、限界だった。

 

 

「なら、どうやってお前はそんな外道な発明がパソコンと向き合っているだけで行われるわけない!どう考えたって人体実験以外にあり得ないだろうが!」

 

 

 感情のコントロール法も、魂のクローン化も、怪しげな物体についても。どれもこれもがてんで俺の日常から程遠い、ともすればSFの領域の話だ。だけど、それでもこれらが誰かの人体を弄ぶことなしに発見されるはずがないことくらいは、俺でも分かる。こいつの本性が現れる前に見せられた社外秘だという文書からしても、どうみてもそれは明らかなのだ。

 ただ、自分の口から言っていない。それだけのせいでとぼけられるのがどうしても許せなかった。

 こんな奴に雪乃の人生を奪われると思うと我慢がきかなかった。

 だから俺は問う。前に進むために。

 逃さぬために。

 

「須郷。数日の猶予ができたとして、あんたは一体何をするんだ?」

「亡命」

「……ッ!!」

 

 だがしかし、一方で俺は分かってもいた。

 追い詰めたハエは、その自慢の羽根で、(イト)意図(イト)の間を抜けさって外へと消えていたことに気付いてもいたのだ。だから、俺がこうも質問を繰り返していたのは、ただ単に、ただをこねるようなものだったのかもしれない。

 

 他人の用意した巣で構えた俺は、どうすべきなのか。

 

 いつの間にか見えなくなった道を問うこどもだったのかもしれない。自分のキャパシティを超えた話に俺は限界を振り切った脳みそに疑問を投げかけるしかなかったのかもしれない。その中に蜘蛛の糸があると信じて。

 

 懇切丁寧に亡命までの手順を説明した須郷はこう言葉を結ぶ。

 

「1週間以内に雪乃と共にアメリカへ移住するんだ。今頃雪乃は実家で最後の週末を楽しんでいるのだろうね」

 

 雪乃と共に行く。

 

 その話はつまり、アスナと結婚するとキリトに言った言葉とは決定的に矛盾する。

 

「……もし、その話が本当だとしたらアスナはどうするんです?まさか現実から王子様のように掻っ攫うなんてことはできないでしょう?」

「何のための木箱計画だと思っている?何のために魂のコントロールを確立したと思っている?」

 

 ゆらゆらと中身の入ったコーヒーカップを片手で揺らして須郷は軽蔑の笑みを浮かべる。

 

アスナの処遇について(クモノイト)

 

 俺は、この問いかけをした(に縋った)ことを一生後悔することになる。

 

 そのせいで、障害で通常出会う事のない純然たる狂気と向き合うことになったから、と。

 

 そして、痛感させられたから、と。

 

 どんなに話しても相容れない人は、存在するのだと。

 

 

 

 

 ───そして、須郷は宣言した。

 

 

 

「明日奈の肉体は破棄する」

 

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

「明日奈の肉体を脳死扱いにする」

 

 須郷は言い直した。

 

「……何を言っているんだ、お前は」

 

 漏れ出た言葉の最後に?マークが付くことはなかった。

 

 ありえない。ありえて欲しくない、ありえてはならない!

 

 今日何度目かの心の叫び。

 それはひとえに俺が、須郷の言った意味を『正しく』理解してしまったせいだった。

 今までのやつの言動と、見せられた資料がまるで国語のテストを解くかのように繋がったのだ。

 

「亡命に際してALOはサービス停止する。そして『ありがとうキャンペーン』として飛行制限を解除する。ネットが最近騒がしいし、こんなところで不安因子を作っても仕方がないからね。サービス停止の理由はSAO時に行っていた支援がたたってしまったことにしよう。というか、そうなっている。今日の臨時株主総会でそうやって説明したからね。そして、サービス停止と同時に未帰還者の8割を解放する。残り2割は明日奈を脳死扱いにするための方便として脳死してもう。まあ、不運だったと思ってもらおう。そうすれば、───ほうら、計画達成だ」

「どこがだよ!死んでいたら結婚も何もないだろうが!」

「キリトくんに聞いたのかい?全くオフレコだと言ったのだが、彼も口が軽いな。……あと、八幡君。分かりきったことを質問するのは馬鹿に見えるから止めろと何度いえば分かる。それは怠慢だと何度告げれば理解するんだ?」

「……!」

「たが、僕は今最高に機嫌が良い。だから、教えてあげよう。どうやって、明日奈を可愛がってあげるのかをねぇ……」

 

 どこか血走った目で攻撃的に笑う須郷を見て、思わず自分の肩を抱いた。

 

 腕を組むことは自分の中に籠ることと同義だという。なるほど俺はもう、何も聞かずに閉じこもってしまいたい気分だった。これ以上の狂った感情に晒されたくなかったのだ。

 耳を塞がんばかりに顔をしかめる俺を見て嗜虐心を一層くすぐられたのか、彼の声のトーンが一つ上がり、須郷はついに、聞きたくなかったその言葉を口にするのだった。

 

 

 

「魂の乖離。都市伝説的に茅場が死ぬ間際に行ったと言われているそれを僕は確固たる技術として成立させたのだ!あの天才が公表するに至らなかった技術を僕は!僕が開発したのだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 後に知る、ラース内でも(、、)行われていた実験の一つに電子クローンの作成というものがある。電子クローンとは、人格のコピーをプログラムとして電子世界上に複製するというものだ。ラースではそれを利用し、生まれたばかりの赤ん坊の電子クローンを量産することで加速させた世界の中に一文化を築き、ゲームとして(あるいは異世界として)成立させた。

 

 ここで、注目すべきことはその実験におけるある一つの失敗である。

 

 電子クローンに現実に存在する本人と会話させるとクローンの方が自己同一性を失い、自失してしまうというおぞましい失敗があった。そのアイデンティティの崩壊は、育ちきった知性が原因とされラースではその解決策として新生児のクローンを用いたのだが、須郷はここに一つの仮説を立てた。

 

 即ち、自我は思考外のナニカに存在するのではないか、というオカルティックな仮説を。

 

 それはすぐに実験の移される。

 やることは単純、一つの対照実験である。

 まず、現実で数時間の被験者に数百の質問を記した台本を読ませそれを撮影する。その後、被験者はフルダイブし、電子世界上で自ら撮影した問答に応対する。

 それをランダムに数回こなした後、被験者に無断で問答の応対者を被験者から被験者の電子クローン(クローンにはフルダイブ直前までの記憶を与えておく)と入れ替える。

 それを数回繰り返す。

 

 ただ、それだけのこと。

 しかし、ただ、それだけのことの結果は須郷に狂喜乱舞させた。

 

 ランダムに無断で作成された電子クローンは、すべて自我崩壊を起こしたのだ。その問答が、撮影映像とであっても、本人とであっても関係なく自己破綻したのだ。

 

 それは、明確にクローンでない本来の自分の中にしか存在しないナニカがあることの証明であった。

 

 須郷はそのナニカに『完全証明物体』と名付け、その証明体へアイデンティティの保持を働きかけるものに『シンイ』の名を与えた。

 

 

 彼はラースと同じ失敗から魂を発見してしまったのだ。

 

 

 どうやってそもそもの失敗までたどり着いたのかは知りたくもない話だが、須郷の研究はその発見により飛躍的に伸びていくことになる。

 

 魂レベルのフルダイブ。完全自立型UI(ラース開発の自己進化型UIの完全上位互換のようなもの)。感情コントロール技術。

 

 その研究は大凡、人の持つ矜持と権利を著しく踏み躙る技術のオンパレードであった。

 

 

 つまり、須郷の先ほどのセリフを補完するならばそれは、『アスナの魂と精神を体から切り離して電子世界に閉じ込めて、会いたい時に会える次元を超えた現地妻にする』という反吐を出したくなるような最低なものであった。

 

 

「ふふふ、君は『そんな技術があるならばバレないようにクローンを持ち去ってしまえばいいだろう。本人に合わせなければ感情を操り放題の性奴隷の完成じゃないか』とは言わないのだね。まぁ、そんな味気ないことをするわけないと踏んでいるのかもしれないが」

 

 味気ない?何を言っているんだこいつは。そういうレベルの発想じゃないだろう。言わないんじゃない、思いつきさえしないんだ。

 俺は捻くれてはいるが、少なくとも狂っても捻じ曲がってもいない。

 こんな所にいるのが異常なくらいには普遍的な1人の千葉県民でしかないのだから。だから、一緒に、するな。

 

「まぁ、僕としてはそれでもよかったのだけれどね。どうも、限度を超えるとクローンの方だと勝手に自我崩壊してしまうのだよ。やっぱり、精神の強度が足りないのかな?」

 

 限度を超える。クローンの方だと(、、)

 

「ちなみに、そこに突っ立ってる秘書は既に弄くり回された後だよ。もはや忠誠心以外残ってないんじゃないのかなぁ」

 

 後ろをむけば、何食わぬ顔、素知らぬ顔、普段通りの、何事もない日常を今の今まで過ごしてきましたといった顔で軽く微笑み会釈する、秘書がいた。

 

 

 

 あ、これダメなやつだ。

 

 

 

 

 強化渦巻く一室で。

 

 

 

 比企谷八幡は嘔吐した。

 

 

 

 鼻を押さえて笑う須郷が印象的だった。

 

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 

 

 そこから先の話はよく覚えていない。というか、思い出すのを心が拒否してしまう。

 

 気付けば、胸ポケットに入れていた撮影機能付きのボールペンも没収され、資料も抜き取られ、財布とケータイのみがいれられたカバンを持って俺は帰宅の路についていた。

 

 なんてこともない、俺の敗けだった。

 

 まぁ、今から考えてみればさも当然のことだったのかもしれない。相手は社会的強者で海外とのパスも持っており、バックには失敗できない共同事業がある。

 

 頭の中にあった婚約に関する疑問も最早どうすることのできないものとなってしまった。

 

 

 意識を失う前に聞かされた言葉が頭の中に反射する。

 

 

 

「君との面談の条件に一つだけ雪乃に僕の願いを聞かせるというものがあってね。僕はそれを一緒に『一回電子世界に来る』事を願おうと思っている。その時が明日奈と雪乃が本来の意味で手中に収める時だ。楽しみにしていなよ?動画を添えたメールでも送ってやるからさ」

 

 

 

 

 俺は、どうするべきだったのか。

 

 

 溢れていった水はもう二度と手の平には戻らない。

 

 

 

 ───涙も出ない。

 


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