29【兄妹⒈】
「今日は休むこと!いいね?」
「……はいよ」
「私も今日は部活休むから、もしも帰ってきた時にベッドにいなかったら怒るからね」
「分かった」
「……キツかったら電話してね?」
そうひとしきり言い残すと小町は登校した。
日付はあの悪夢のような会談から1日遅らせた火曜日。タイムリミットまで5日程しかなく、何をするにも時間が足りない現状だ。
……ただ。
それにもかかわらず、俺は。
何もする気にならなかった。
勿論、陽乃さんに報告はした。
迫られ、責められる覚悟での電話だったが、逆に謝られて困惑した。何を言ったか正直記憶があやふやだったが、陽乃さんの声色が印象的だった。それが昨日の玄関での出来事。
電話後、俺は気付けば倒れていたらしく目覚めた今はベッドの中で休養中。恐らく著しく精神が摩耗したせいだと思うが、頭の中は靄がかかり、身体は磔にあったかのように動かない。
心身ともに最悪な状態にあった。
それをどうしようとか思えない辺りが特に。
キリトから来たメールも開ける気になれず、放置している。ラースとの繋がりがあるならキリトもきっとこの理不尽な現実を知るだろう。砂上の楼閣のような猿知恵から生まれた馬鹿げた計画が、ただ権力のみによって奇跡的なバランスを保っているという、そんな現状。……もしかしたら、そんなやる瀬無い未来が待っていようが彼ならばきっと乗り越えてくれるのかもしれない。
なぜならあいつは、主人公だから。
俺の憧れた、主人公だから。
そんなことを考えて、俺は再び目を瞑った。
嫌な1日が始まりそうな予感がした。
ー・ー・ー
私には少し有名なお兄ちゃんがいる。
名前は八幡で、苗字はお揃いの比企谷。
現在高校三年生の高長身美形男子で、
あと、SAOサバイバーです。
「ぶちょー、聴いてますー?」
「んわっ!……き、聞いてた、よ?」
「うわぁ、分かりやすい嘘だぁ」
ごめんごめん、と謝りながら手元の資料をめくる。
今日は大事な部活の中でも特に大事な活動をやる週初めの日。
題して、『奉仕部大報告会』の日だ。
……そのまんまだね……。
「ほっときなよ。どーせ、愛しのお兄ちゃまのことでも考えていたんでしょう。新学期始まってからずっとこの調子じゃない」
「ぐぬぬ」
「あー、噂の彼ねー。たしか留学してたんだっけ?」
「まぁ、専らSAOサバイバーだって噂だけどね。……そこんとこどうなの?小町ちゃん」
「んー?そんな特別な人は身近にはいないかなー。幸いなことにね」
危ない危ない。動揺したそぶりを見せすぎて逆に自然に答えられた。初めに驚かされて助かったよ。変なとこで鋭いからなぁ、皆。
それにしても……お兄ちゃんといえば、今日は私の方が先に出てきたけど、ちゃんと起きたのかな?ずっとなんだか張り詰めた雰囲気がばりばりだったからなぁ……なんかあったのかな?
「部長!いい加減にして下さい!」
「んわっ!……き、聞いてたよ?」
「天丼はいいです。というか、天丼をするにしても前のボケの時との間が短すぎます!ちゃんと集中して下さい!」
「うひゃぁ、副部長ってば、ガチギレじゃん」
「うぅ……ごめんなさい」
もうっ、お兄ちゃんのせいなんだからね!これはもう、帰ったら30分ハグの刑に処すしかないやい!……でも、それだったらお兄ちゃんにとってはご褒美だよね。えへへ……。
「部長!」
「……はい」
すみません。
ー・ー
「……はぁ」
やっと終わったよ……。奉仕部って他校に比べて部活動の時間が長いんだよね。他の文化部が6:00位には自主切り上げしてるのに何故か奉仕部だけ体育会系と同じように7:00解散だし。依頼がない日なんてもう、時間をドブに捨てた気しかしないよ。
まぁ、そんな時は勉強してるんだけど。なんで真面目にやっているかだって?いやぁ、三年生の時の結衣先輩を見てると……ねぇ?
やっぱ勉強って継続が大事だよね!(震え声)
そんな話はさて置いて、やっとこさ帰れる。
お兄ちゃんの元へと帰ることができる。
私のお兄ちゃん。
もしも、そんなタイトルの作文を書くことになったら私はきっと困るだろう。
だって、書ききれる気がしないし。
別に、『生涯かけて側にいたとしても他人なんか理解することができないのに、家族だからって理由だけでそれが例外になることはない』 なんてお兄ちゃんみたいなことを言うつもりはない。ただ単に、私にとってお兄ちゃんと言う存在があまりにも大き過ぎるせいなのである。
さっきの言葉に習うなら、『生涯序盤にして書ききれない』ってところかなぁ?うまく言い表せないけど。
しかし、お兄ちゃんが昔から私にとって大きな存在だったかと問われるとそれは違うと思う。特に中学生活とかお兄ちゃんのせいでどれだけ私が苦労させられたか。あの時ばかりは上手く学生社会を立ち回れないお兄ちゃんを恨むところだったね。
ともかく。
昔は変な考えしてるなー、とか、そんな考えしてると損しそうだなー、とか。他には目をなんでそんなに細めてるのかなぁ?とか思う程度でしかなかった。お兄ちゃん子よりかはお母さん子よりだったと言うのもあるのかもしれないけど。
じゃあ、いつからそんなに大きな存在になったのか、と聞かれたらそれはもう、こう答えるしかないだろう。
『分かんない』ってね。
だって、いつの間にか大きくなっていたんだもん。
というか、『この時はもう大きくなってたなぁ』を繰り返しているといつの間にか私が生まれた日にまで遡っちゃうんだよね。お兄ちゃんの中学時代であろうとも、だ。矛盾してるけどね、矛盾しないんだよね。
パッと過去の一地点を思い出した時はそんな感じしないのにね。
結論を言うと、とりあえずお兄ちゃんは偉大なのだ。
さて、そんな偉大なお兄ちゃんと私が今の今までずっと一緒に過ごしてきたかといえばそうじゃない。お兄ちゃんはなんてったってSAOサバイバーなのだから。
ここ一年間、テレビでも新聞でもラジオでも話題の注目を集めてきたSAO事件。その渦中にいたのがお兄ちゃんらしいのだ。実際に見たわけでもないし、SAOサバイバーの友達がいるわけじゃないから本当かは知らないけど、世論を読み取るとどうもそうらしい。事実、いつかは閃光さんの名前を呼び捨てにしてたし。
SAO事件に振り回された、私やお義姉ちゃん候補達は揃って何か情報が出るたびに一喜一憂していた気がする。例えばそれは政府支援が決まった時だったり、肉体寿命が2年で終わるとかいうガセ情報だったり。今から思えば、植物状態の患者さんが世の中に沢山いるのにたった2年程度で専門治療を受けている人が死んじゃうはずがないというのに、それを信じちゃうってことはあの時の私達はやっぱり心の疲労が溜まっていたんだと思う。
まったく、1年も振り回すなんてお兄ちゃんは罪作りなんだから。……帰ってきてくれたから許すけど。
んぅ……なんか長々お兄ちゃんのことを考えちゃった気もするけど、たまにはそんな日もあるよね?ほら、うちも見えてきたし、お兄ちゃんもスーツなんか着て倒れてお見迎えしてれている。
……ん?
倒れてる?
「お、お兄ちゃん?!」
ー・ー・ー
火曜です。
お兄ちゃんがぶっ倒れて居ました。
不謹慎かもしれませんが、小学生の頃に読んで少しトラウマになった金色のくじらを思い出して心底取り乱しました。
何事もなくて安心……いや、何事かあったらしくて心配です。
「……」
「あら、今日は今日とてお兄ちゃんに想いを馳せてるのかと思ったけれど、ずいぶん難しい顔してるじゃない」
お昼。
いつもならお兄ちゃんの分も作るけど、今日はそれがないから少し手を抜いて焼きそばオムレツ。冷えると麺が固まるのが少し難点かな?
「……小町? 何かあったの?お姉さんに話してみなさいよー」
やたらお姉さんぶる同級生を傍目に1啜り。卵の甘味と焼きそばのしょっぱさがいい感じに口内調味されて美味しい。
……お兄ちゃん、ちゃんとおかゆ食べてるかなぁ?
「小町?」
「なんですか?お兄ちゃん相手にどもりっぱなしだった乙女Aさん。よくそんな精神構造でお姉さんを名乗れましたね」
「いや、あれは八幡先輩の容姿が悪い」
マジ顔、即答の少女A。まぁ、それも仕方のないこと。だってお兄ちゃんは実際かっこいい。
贔屓目を外してもかっこいいのだ。妹としては若干複雑な程に。
中学の頃は散々私と比べてお兄ちゃんが貶められていたけど、まさかその逆が行われそうな程にお兄ちゃんがかっこよくなるとは思わなかった。サラリとした髪。美丈夫で足長な高身長の体型。キラキラした目にシャープな輪郭。
紛うことなき王子様フェイスだ。
思い返せばヒキガエルだのなんだなと言われていたおにいちゃんだけど、その原因大元を辿っても結局のところそれは辛気臭い目とおどおどとした態度の、2つしかない。つまり、どちらも治せる範疇のものだ。だから、身長はともかく、こうしてお兄ちゃんが人気になったのはある意味必然的なもの。妹としてはこれまでの分も合わせていい思いしてくれることを願うばかりです。
「んで?その愛しのお兄ちゃんになにがあったわけ?あ!彼女ができたとか?!」
「ありそう!」
……うーん。話していいのかなぁ?当たり障りない感じならいいのかな?
「いや、そんな浮ついた話じゃなくてさ。お兄ちゃん、昨日倒れてたんだよね。玄関先でさ」
「え゛ガチヤバいやつじゃん。大丈夫だったのそれ」
「お兄ちゃん曰くただの熱だって。たださぁ、なんかこぅ、あんまりいい予感がしなくって。色々心労とか溜まっていると思うし」
事実、私の考える心労とはちょっと違うがお兄ちゃんの異常はストレス性のものであったため、この推測は割といい線いっていたのだが、それをわたしが確信するにはまだ材料が足りていなかった。
その言葉を聞いた大事な友達ま「ううん……」と悩んでくれるが、うまいこと原因が判明することはない。文殊の知恵など幻やはり想だというのだろうか。哀しい。
「……失恋、とか?」
Bちゃんはポツリと漏らす。失恋ねぇ……。
ないな。
お義姉ちゃん候補があれだけいる中で失恋することは天地がひっくり返ってもない。事実、最近ヤンデレに片足踏み込んでいるのではないかと私の中で話題のいろは先輩は何か勘付いたのか、お兄ちゃんの欠席を知った時からしきりにメールをしてきている。半日で50件て……怖いよ。
「うーん、それはないと思う」
「じゃあ、友達と喧嘩したとか?」
「それもない」
友達いないし。
「あ、勉強の成績が悪いってのはどう?」
「どうと言われてもね……」
今年一年はやる気ないっていってたしなぁ、お兄ちゃん。その代わり青春を取り戻すとか言ってたけど、その成果を聞く勇気がなかなか出ません。妹にもできることとできないことがあるのです。
「じゃぁもう、嫌なことがあったんだよ」
「えぇ……」
漠然、そして適当になった友達の言葉に思わず呻く。
嫌なことって。そりゃそうでしょう。嫌なことなくてあんな顔してたらびっくりだよ。
……けど。
「嫌なことがなきゃ、かぁ……」
「お?なんか思いあたるトコあったりするん?」
「んん……ま、言いにくいことだから言わないけどね」
私なりの候補として2つほどあるにはあるのだ。
ただ、そのどちらも私が手を出せる範囲を超えちゃってる。容姿云々の話なら私が手を貸せる部分もあっただろうけど、この2つが原因だとしたら、私にはどうしようもない。
1つは、SAO関連。もう1つは雪乃先輩の事情。
特にそうではないかと思うのは雪乃先輩の方。
つい先日のお披露目会のあの日。雪乃先輩が私にだけ言った言葉があった。
『……八幡君を責めないで下さい』
正直、雪乃先輩が私に敬語を使うことは(ほとんど)なかったからこの時点で嫌な予感がしていたのだが、その勘にに従ってちょっと探りを入れてみればとんでもない事実が明らかになった。婚約。今更どうこう言う気は無いけれど、雪乃先輩にはお兄ちゃんのいない一年間の間に厄介事を抱えてしまったようだった。
私が思うに、お兄ちゃんがそれを知ってしまったのではないか。あるいは、それに関して何か嫌なことがあったのではないのか。
心当たりといえばそんなものしかない。
そう、漠然。そして適当。
ただ、その適当が、テキトーなのか、適当なのか。
それが問題であるのだろう。
弁当の隅に転がる枝豆1つ。
掴みにくいその緑の一片がどうにも、私の現状と被っている気がした。だから、
ぶにょり。
お兄ちゃんの幸を願って潰してみる。
薄皮から漏れた果肉が気持ち悪かった。