「ってなことがあったわけですよ」
私は電話の相手にどこまでもぶっちゃけた話をする。
私の言葉に対して返ってくる声は、電話独特のノイズがあるにも関わらず心地よく私の耳へと歓迎されていく。彼女はいわゆる聞き上手なのだ。私もお兄ちゃんに幾度となく聞き上手だと言われてきたけれど、電話の君のソレに比べてしまえば数段劣ると言わざるを得ない。流石それを職にしようと言うだけはある。よっ、先生!なんて思わず言ってしまいそうだ。
「それで、なんとか言ってやってくれないかなと思って電話したわけなんですよ……え?ああいや、そんな謙遜しなくてもこれ以上なく適切ですから!寧ろ私の中には他に候補がないくらいです!だから……やった!お願いしますね!」
と、こんな調子で約束をとりつけた。
後に思うのです。
この時私は世界を救ったヒロインになったのだと。
報酬はささやかなものだったけれど。
「なーんてねっ!」
「……はぁ?」
お兄ちゃんの部屋は五月なのに何故か寒く思えた。
それは多分、お兄ちゃんの生気が死んでるせい。
久し振りに目が腐ってるなぁ。
(……ん?)
「お?まてまてー?これはー?もしかしてー?」
「……なんだよ。俺の顔をじっと見て。俺の格好良さに見惚れたのか?」
そう言った後にお兄ちゃんは悶えた。お兄ちゃんに俺様系の才能はなさそうだ。
「いや、そんな照れながら言われても。……というか、兄の頰染めとか誰得なのさ?」
「妹が冷たい」
「兄が痛いからしょうがないね!……はいはい。ま、実際その通りだから別に照れながら言う必要ないと思うけどね」
「痛いって酷くない……ってはい?何言ってんの?」
いや、まじまじ。
目が腐ってる、にも関わらず格好良いのだ。
「?」
小首を傾げるお兄ちゃん。
これまでもしお兄ちゃんに対して『小首を』なんて書いたものなら、私は躊躇なくお兄ちゃんと自分を殴っていただろう。ゾンビに可愛い表現ってどんな特殊性癖だよ、と。
しかし、現在のお兄ちゃんはぶっちゃけ、目の腐りなど関係なく格好良い。小首で良ければ死ぬまで傾げてくださいと言えるくらいには。
王子様系からニヒル系へ。
皮肉屋気取り野郎がモノホンの皮肉屋になってしまっていた。
「……まぁ、いいや。あと10分でご飯炊けるから降りてきてね」
「了解」
くらりとするような笑みでお兄ちゃんは笑うのだった。
くらりとしていたのは多分、お兄ちゃんの方だけど。
「本日のメニュー。カレーライスです」
「いただきます」
「召し上がれ」
先日変えたばかりの電球は今までの白光とは違い、食卓を暖色に照らす。テラスを照らすなんてギャグが思いついたけど、それが口から出る前にカレーを頬張った。もぐもぐ。
「あのさ、お兄ちゃん」
テレビのボリュームを下げて話しかける。
「ん?なんだよ」
「昨日のことなんだけど」
「……」
頭に浮かぶのは、玄関にぶっ倒れたお兄ちゃんの姿。顔色は真っ白を通り越して土色になりそれこそホンモノのゾンビのよう。
そして、その光景をスルーするほど私は薄情でも(ある意味では)お兄ちゃん思いでもなかった。
「何かあったの?ううん、どんな嫌なことがあったの?」
私は昼に友達と話したことを思い出して言い直す。
大事なことは何があったのかではなく、何がお兄ちゃんを落ち込ませたのか、だ。
お兄ちゃんは聞かなかったふりをしているのか黙々とカレーを食べ続けているけれど、私はカチャンとお皿にスプーンを置いて言葉を待つ。話してくれなければ私はてこでも動かない所存だ。1分くらいむー、とお兄ちゃんの目を覗き続けると根負けしたのかお兄ちゃんはスプーンを置いて1つため息をついた。
「……なんでもないし、お前に言ってもしょうがないことだ」
「SAOのこと?」
「違う」
人の表情は言葉を聞いて0.2秒間本音を語る。お兄ちゃんもまた人である。
分かりやすく狼狽えたなぁなんて思いながらもう一歩踏み込むことにした。
「じゃあ、雪乃先輩のこと?」
「違う!」
お兄ちゃんはノータイムで返答すれば嘘をついていないと思われると考えているのだろうか?そんな風に分かりやすく右上を向いて、片口端を上げていれば心理学やメンタリズムを知らない人だって嘘だと思うよ。
やっぱり、お兄ちゃんって表情を隠すのが下手になったんだなぁ。……可愛いけど。
「じゃあなんで、あんな吐いた後みたいな表情と顔色で倒れていたの?私の心配なんてドブに捨てられたゴミ以下の無価値なものだって言いたいの?」
「それも違う! そもそもお前が考えているような事は起こってないし、もし落ち込んでいるように見えたのならそれも気のせいだ!俺が落ち込んだ時は小町と話そうなんて思わないのは知っているだろう?」
確かに普段はそうだね。私にばれるのを恐れて話したがらない。
でも、お兄ちゃんは知らない。
本当に辛い時のお兄ちゃんは、それを逆手に取って私と話して隠そうとすることを。
「そして、そのほとんどが、私を巻き込む可能性がある時だったね」
「は?」
「こっちの話。……お兄ちゃんって本当に妹不孝だよね」
「いや、兄のことをポイント評価する妹よりは兄妹想いだと思うぞ」
「軽口を叩かない!」
「理不尽!?」
「理不尽も貴婦人もなにもない!大体お兄ちゃんは全然分かってないよ!分かってなさすぎて無知の知すらないレベルだよ!お兄ちゃんはそんなんだからいつまで経っても子供で厨二で高二で大ニなんだよ!」
閑話出題。
大二病。厨二を嫌う高二のひねくれ具合を嫌悪して、厨二病を一歩引いた心持ちで好む人種を指す病気。その実、高二病を嫌う俺カッケーみたいな高二病とどんぐりの背比べ的なアレである。
閑話終題。……休題だっけ?
お兄ちゃんは私の剣幕に目を白黒させる。
何を怒っているのかよく分からないようだ。
「あのさぁ、お兄ちゃん!私がいつ巻き込むなって言ったの?いつお兄ちゃんにSAOを引け目に思えって言ったの?いつ!私が!お兄ちゃんに雪乃先輩の事情に付き合わせるなって言ったの?!」
「小町お前、知って───」
「とっくに知ってるよ!須郷さんとかいう人と婚約したことも、お見合いしたことも!今週末結婚式を挙げることも!」
バン!とお皿の隣に二枚の封筒を叩きつけた。
「……今日、届いていた」
『結婚披露宴出席願』
雪乃先輩の直筆で書かれた住所の上に小さく記されたどうしようもない現実の言葉。
中身などどうでもいいことしか書いていないのだろうがお兄ちゃんは反射的に封筒を手に取ると震える手でそれを開封した。
「……はは」
乾いた笑いがお兄ちゃんから漏れる。その目は、腐った目に無理やり光を入れたような、乱雑な輝きを放っていた。
自暴自棄な気持ちが目に見えて表れていた。
「実はな───」
話されたのは、つい先日の惨状。
ー・ー・ー
侃々諤々。
私はついこないだまでこの言葉を『愕然』や『ガクブル』といった言葉が混合した『ちょーびっくり!』を表す言葉だと思っていたことを今告白したい。
そして、私はまた告白したい。
それでもなお思うのです、と。
侃々諤々。
兄の話にこれ以上に相応しい言葉はない。
「……」
カレーを一口頬張る。気分的にはお兄ちゃんの頬を張りたい気分だったけど。
「して」
ゆっくりとした動作で水を飲んで、ゆっくりとした動作でコップを置いて。
ゆっくりとした動作で口を拭いて私は、前置きを発言前に一単語置くように呟いた。さして変わりもしないいつもの食卓はなにもお兄ちゃんだけの独壇場じゃない。10分以上もお兄ちゃんに話させ続けるのはなんとなく気が引けたのだ。だから、仕方なく私は口を開いた。
とはいえ、まぁ、その十数分の間に事情は全て聞いたんだけどね。相槌を一切打つことなく、鬱々と語ってもらった。
侃々諤々と。或いは、喧々囂々と。
ただし、独りで。
それを聞いたからこそ私は仕方なしに尋ねてみる。
「それがどうしたの?」
ガツン!と食卓に悲鳴が上がる。
お兄ちゃんが小皿にフォークでヒビを入れた音だった。
「……悪りぃ、感情的になった」
「いいよ。質問に答えてくれたら」
おおよそ仲の良い家族同士の会話には見えない。捻った紙は自立しやすいというが、今の兄はまるでシワひとつない紙だ。ただし、素材はトレーシングペーパーの。
「……お前はまだ高校2年生だから分からないかもしれないが、社会にはどうしようもないことが沢山ある。否応無く増えていく残業とか、どう足掻いても増えない給料とか」
「うん、知ってる」
両親を見ていれば、特に。
「ならわかると思うが、というか今の話で分からなかったのが驚きだけれど、今回の事情もそれに当たるんだよ。なんの関係もない一般家庭のクラスメイトがどうして、お見合いなんて時代遅れな慣習を大真面目にやるような家庭の事情に首を突っ込めるというのか。……いや、時代遅れだと言ってしまうところが俺が一般である所以なのかもしれないな」
「……まあ、そうかもしれないね」
お兄ちゃんの話からは須郷さんと何らかの勝算をもって話したけれど失敗したということしか分からない。だから私はその深刻さについてお兄ちゃんよりも数段鈍感でいられる。
しかし、だからこそ分かることもある。
「それで、それがどうしたの?」
それが、鼻で笑えることとかね。
「いい加減しろ!」
お兄ちゃんは空になった大皿を揺らしてそう言うけれど、それでも思ってしまうものは仕方がない。仕方がないからそう言うのだ。
「だから、いい加減にしているんだよ。好い加減に、良い塩梅にしてあげたんだよ。お兄ちゃんに燻るその問題を」
「は?」
「確かにお兄ちゃんの話を聞く限り、須郷さんとの仲が劣悪になったことで雪乃さんを諦めてもらうのは絶望的になったよ。もっと言えば結婚披露宴の招待状は既に多くの人の手に渡っちゃったからそれを止めるのも絶望的」
こんな風に電撃的に私達の家に配られたことは常識はずれだとしか思えないが、どうせ須郷さんが何らかの事情で郵送を控えていたか、嫌がらせをしたかったのだろう。
「もっともっと言っちゃえば、そもそもの前提として、お兄ちゃんがSAOに囚われた時点で8割方雪乃先輩の婚約の進行を止めることは不可能だったと思うよ」
「……!」
「だから私はこうやって問いかけるしかできることがない。『それで?』『それが?』って。急かすように、背中を押すような気分で問いかけるしかないんだよ」
今までのような、ごく限られた人間関係についての問題だったなら私がどうこう言うことはできた。けど、この問題はお兄ちゃんの問題で、お兄ちゃんが考えるべき問題だ。だから、やっぱり私がこうしたらいいんじゃない?ああしたらいいんじゃない?と言うのは違うと思うのだ。
お呼びじゃないというか、及びじゃないというか。
事情を聞く前ならいざ知らず、聞いてしまった今、私のやれることはただ笑い飛ばしてお兄ちゃんの背中をぐぐっと押してやることくらい。
だから、もし。
「……悪りぃ」
お兄ちゃんがそう言うならば、私は。
「なら、仕方がないね」
こう言ってまた笑うことしかできないのだ。
ー・ー・ー
「……」
自己嫌悪に陥るほどの気力すら湧かない。
陰鬱だとか沈鬱だとか鬱蒼とした言葉を並べたところで今の気分には及ばないだろうと確信できる位には無気力状態。全身を舐めるように這う黒々とした負の感情は昨日以来1秒たりとも途切れることなく自分を取り囲んでいる。
まさか小町に当たってしまうなんて。
兄失格だ。兄として、とかもう言えないな。お兄ちゃんなんて呼ばれるだけで恥を覚えそうだ。
あぁ、恥ずかしい。一体何をやっているんだ俺は。時間がもうないと言うのに何故俺はベッドなんかで寝そべっているのだ。助けるんじゃないのか、救うんじゃないのか、あいつの人生に少しの奉仕をするのではないのか!
なぜ、俺はこんなにも無感動で無感情でいられるんだ!
心の表層、つまり理性は自分の堕落を幾らでも責め立てることができる。しかし心の深層、本能はどうしても震えて立つことができない。
分かっているのに、叫ぶことはできても動くことがどうしてもできない。
こんな心、幾らでも殴ろう、恣に嬲ってやろう。
それでも動かない。
詰った。動かない。
責めた。動かない。
諭した。動かない。
願った。動かない。
終いには泣いたが動くことはなかった。
一度でも寝たら次起きるのは全てが終わった後になりそうで寝ることすらできない。
一体なんで俺は動かないんだ。考えるうちになぜ助けたいのかと本能に問いかけられるようになった。
好きだから助けたいのか。助けてもらったから助けたいのか。友達だから助けたいのか。調子に乗って言ってしまったからなのか。図に乗って助けられると思ったからなのか。
なら、それなら別にいいではないか。助ける必要などないじゃないか。
そもそも、助けなど求められていないじゃないか。
手を出すなとすら暗に言われたじゃないか。
甘えればいいじゃないか。諦めればいいじゃないか。
穿って見る必要はない。捻って捉える必要はない。勘繰る必要はない。
助けなくていいと言ったのだから、助ける必要はない。
諦めればいいだけの話なのだ。例えば中学生活を諦めたように。
人生は繰り返しだと言う。なら、今がその時なのだ。
諦めを繰り返すだけ。俺は何も悪くないし、悪いのはひとえに境遇と社会だけだ。
だから、俺は、泣いて、忘れて、しまえばいい。
此処でも、彼処でもそうだったように。
そうすればいいだけの話だった。
「……ははっ」
口から笑いとは思えない声色の笑いが漏れる。
ここに帰ってきてからの俺はこんな感情ばっかりだ。
喜んだのは初めのうちだけで、あとはずっとこんな調子な気が来る。困って苦しんで戸惑って。少し慣れたと思ったら寄せては返す波のように困って苦しんで戸惑って。
入院した時のように。復学した時のように。キリトと再会した時のように。
そしてこれからも、諦めては災害にぶつかるを繰り返していくのだろうか。
こんな思いをし続けなくてはいけないのだろうか。
SAOで味わった苦しみよりもリアルで、SAOで与えた苦しみよりは軽いと思わなければいけない苦しみを。
報いのように。助けられなかったプレイヤーからの呪詛だと思い続けていくのだろうか。
自分が原因だとわかっていても、動かなくては解決しないとわかっていても。
俺は、あいつらにそれを押し付けて勝手に耐久していくのだろうか。
……。
そういえば。
雪乃はこれからどうなるのだろうか。
須郷が言ったように、あの会談の対価として電脳世界に連れ込まれるのだろうか。
そして、洗脳でもされて、幸せに暮らすのだろうか。何をされても幸福を感じるように弄られて、幸福のみを享受して生きてしまうのだろうか。
アスナもきっと同様に弄られるのだろうか。世間的には死んだことにされて電脳世界に閉じ込められて、ある意味幸せな現地妻になるのだろうか。
そうなれば、
須郷も雪乃もアスナも幸せな未来になるのだろうか。
───なら。
───ならそれは。
────そうならそれは、全員がしあわ───
ピロン!
徹夜明けの意識が吸い取られるように消えゆく最中、甲高い電子音が耳を打つ。
滅多に聞くことのないその電子音。
「……メール」
陽乃さんとの電話以来触ってなかったことを思い出して枕元に手をやる。
いろは辺りだろうか。
「……ははは」
スマホを開いて口から再び笑いが漏れた。
なぜなら、メールの差出人は俺が会いたくない二人の内の1人。
奉仕部No.3。由比ヶ浜結衣だったのだから。