SAOサバイバーがもしもう一回VRMMOに触れようと思ったら、取るべき選択肢は主に三つある。
一つは、完全にまっさらな状態で始めること。新しいアミュスフィアを買い、再び身体をスキャニングし、アバターをつくる。つまり、もう一度初心者としてゲームを始めると言う選択。
二つ目は、SAO時代のキャラクターを完全に受け継ぐという選択。アバターも経験値もスキルレベルもSAO時代のまんま。ALOに関しては一部アイテムの引き継ぎまで可能だ。
そして、三つ目。部分的に、SAOのキャラクターデータを使う方法。これは俺が選んだ方法だ。どのような選択肢かというと、二つ目と殆ど同じだ。ただ、アバターがランダム生成としてやり直しになり、名前も再設定が可能になる。
キリトは『SAO時代のキリトはもういなくなったんだ』とかなんとかいって、心機一転、新しいキャラデータで遊んでいるらしいが、俺に言わせたら『知ったこっちゃない』という話だ。
経験値もスキルレベルも捨てるには惜しい。一年以上もの努力を捨てる気にはならない。
そんな俗物的な自分を誰が責めようか。
というわけで、キャラクリエイトの時間だ。
といっても、やることといえば、引き継ぎコードの発行とキャラネームを決めることぐらいだ。ALOでは体型から顔立ちまでランダムに決まってしまうのでやることが少ない。
名前は変に捻ることなく『ひきがやはちまん』の真ん中をとって『ヤハチ』、転じて『Yahachi』とした。昔は弥七みたいなプレイをしていたので丁度いい。
パララララ、と軽快な重奏のSEと共に、次に現れたのは種族選択。
それぞれの種族の特徴を表すような字体で書き表されることには、以下の10通りから選べるらしい。
風妖精 シルフ
火妖精 サラマンダー
影妖精 スプリガン
猫妖精 ケットシー
水妖精 ウンディーネ
土妖精 ノーム
工匠妖精 レプラコーン
闇妖精 インプ
音楽妖精 プーカ
光妖精 アルフ
ALO一年祭で新しくできた種族とは、『光妖精アルフ』のことであり、その特徴は貧弱なステータスと光属性魔法を使えることとなっている。
この種族はタイマンや前衛に全く向かない、アニバーサリー導入キャラに相応しい完全支援特化型で、その防御力の低さから『紙の使い』だとか『ドードー』だとか散々な言われようをされている。また残念なことにここに属するプレイヤー人口は一番少ない。
ただ、強力で範囲型のヒールやバフデバフを行使できる種族ということもあり、あくどい廃人プレイヤーなんかは新人プレイヤーにオススメすることの多い。
俺がこうも長々と話してきたのはつまり、そう、この種族を取るためだ。鈴を転がすような音を立てて、金の鱗粉を撒き散らし自分が飛ぶ姿を想像すると吐きたくなるが、この際しょうがない。なぜならSAO時代のステータスを活かすためにはこの種族に属するしか道がなからな。
敏捷力が高く、攻撃力が低い。所持スキルも殆どが補助スキル。それがSAOにおける俺のビルドだった。それならもう、否が応でも支援系のキャラビルドにしなければならないというものだろう。
すくなくとも、向こうで待っているあいつらと遊ぶならば。
自身に浮かぶ苦笑いを噛み締めて、『光妖精族アルフ』を選択する。
頼むから、まともなアバターにしてくれ。
そんなことを祈り続けること数分、ワールド読み込みとアバター生成が完了した旨がアイコンに表示される。
右瞬きで規約やプライバシーポリシーに同意のサインを入れる。
《WELCOME TO YOUR NEW WORLD!!》
仰々しいファンファーレがひびきわたり、虹色の閃光が浮かび上がった文字列から放たれる。
思わず目を覆いたくなるような光量は視界を塗りつぶしやがて真っ白になる。
そうして、目を閉じて、開ける。
瞬きの動作。
そして、目の前には──。
ー・ー・ー
森が広がっていた。
見渡す限りの木々は、絶対存在するはずのギャップを隠し鬱蒼とした暗さを演出きている。ついでに言えば、周りが暗いせいか、木々のわずかな隙間から漏れる光線がなんとも幻想的である。
俺はこうした風景に『暗いなぁ』とも『懐かしい景色だ』とも思う事なく立ち上がり、パッパッと膝を払った。
ALOに限らず、『シード』を利用したVRMMOは基本的にキャラ生成がランダムで行われる。どうやらそれはシードのプログラムがキャラメイクに適用していないというのが原因らしい。しかし、その理由が茅場明彦による恣意的なものなのかそれともただ単純にし忘れたのか、はたまたなんらかの事情によるものなのかは未だわかっていない。
視覚や聴覚に異常がないことを確かめつつメニュー画面を開く。
日付、プレイヤーネーム、バイタル値、そしてログアウトボタン。
世界樹を攻略した一年前とは違うのはメニューの端に『ALO一周年アニバーサリー』と書かれているくらいだ。SAOから復帰してもうなんどもVRにはきているけれども、やはりログアウトボタンを確認せずにはいられないのは染み付いたトラウマなのだろうか。
ほっ、と一息つく前にキリトが言っていたことを思い出し、俺はアイテムを上から下までゴミ箱にぶち込んだ。
別に思入れ深いものはなかったけれど、空っぽのストレージはなんだか寂しげに見える。同様に空っぽのフレンド欄を見て尚のこと思う。
「翅は、やっぱり金色なのな」
アルフのビジュアル的特徴の一つは多種族も共通して持つ翅にある。
アルフの翅は金色で、翅というにはやや大きく翼に近い形をしている。つまり、とんでもなく薄い翼の形をした翅だ。
ビジュアル面でいうとこれまでの種族にない特別感を煽るフィルムだが、実はというとこれもアルフという種族を『紙装甲』と言わしめる要因である。
ALOは一年前、飛行制限が撤廃され完全自由に飛び回れるようになった。しかしそれと同時にとあるシステムが新たに導入された。翅の部位破壊判定の導入だ。つまり、アバターの翅を斬りつけると飛行制限が付いてしまうのだ。そして、制限の判定は欠損した翅の面積の割合に比例する。
ここまで言えばもう分かるだろう。アルフは翅の面積が大きい。要するに、飛行制限がかかる可能性が高いのだ。自慢の翅の端っこを切られたが最後、ただでさえ足手まといがさらに足を引っ張る存在になってしまう。
そりゃあ、
自嘲気味に自分の翅を手でしならせて離した。鈴を転がすような音が響いた。
「翅自体に感触はないのか。……けど、背中には付いてる感覚がある──うおっ、意識するだけで動くのか」
バタバタと空気を掬う感覚が翅の付け根を通して伝わってくる。翅は小刻みに動くだけで浮く気配はない。どうやら翅を意識しただけで飛ぶことはなさそうだ。
「そして、こいつがアルフの最大の特徴の『
薄い金色の半透明の尻尾がふさりふさりと揺れているのを見る。
スコットランドかどっかの伝承を基にした姿らしいが、これが男女問わず付いていると思うと(実際に自分についていることもあり)なんだかげんなりする。
ALOがこの一年で行った大きなアップデートの一つに『妖精の特徴付け』がある。
ケットシーには猫耳と猫尻尾が与えられている。しかし、他の種族には翅の色の以外の差異がない。そのことに不満を感じた幾人かのプレイヤーの声に応える形で実装されたアップデートだった。
まとめると、
風妖精シルフには常時3センチ浮遊の恩恵
火妖精サラマンダーには感情が高ぶると体の周りに火が散る恩恵
影妖精スプリガンには影を踏むと身体にペイントが浮き上がる恩恵
水妖精ウンディーには感情が高ぶると体の周りに水が浮遊する恩恵
土妖精ノームには鉱石を持つと手がその鉱石になってしまう恩恵
工匠妖精レプラコーンには金属のように硬い髪の毛とプラスマイナスの形の瞳孔。
闇妖精インプには背中の窪みとヤギのような角
音楽妖精プーカには歌を歌うと体の周りに音符が舞う恩恵
光妖精アルフには背中の窪みと牡牛のような尻尾
が与えられたのだ。
どれもこれもなんの効果も持たないエフェクトだけのもので、なんならオンオフも可能だ。
自分のぴよんぴよんと揺れる尻尾は翅と同じく金色の鱗粉をその軌道に撒き散らす。りぃんりぃん、と音を立てながら。
側の木に体を預ける。翅が自動的に畳まれる。
無意識に動いて状況に適合するなんて、まるで昔から自分の体の一部であったかのような挙動だな、なんて考える。
「……帰ってきたんだなぁ、この世界に」
剣だけじゃなくて、翅も魔法もある世界だけど、確かにこの世界は俺が濃密に生きていたあの世界だ。酸いも甘いも、善も悪も、幸も不幸も、生と死すら経験したあの世界がまた目の前にある。
正直にいうと、それは目眩がしてしまいそうな事実だ。正気を疑うと言ってもいい。けど、そうであってくれることに納得してしまう自分もいることに納得する自分がいることもまた事実だ。
破茶滅茶な理論で生まれて、滅茶苦茶な時間を経て、それでもなお存続するVRMMO。人がそれだけこの世界を待っていた証左そのもの。
なら、俺はそれに従おうと考えてしまう。
その理由は比企谷八幡がもとよりそんなスタンスで生きてきたということもあるが、なによりも、それが一番もっともらしく納得できそうな理由だったから。
世界が望むなら、それでいい。
世界と自分を同化させることで納得するなんて、そこまでしなければ納得できないならむしろゲームなんてする必要がない、なんて考える人がいるかもしれない。けれど、そうもいかないんだ。
後輩が誘ってくれた。先輩に借りを返さなくちゃならない。
確かにそうだ。けれど、そうじゃない。
なによりも、俺、つまり、比企谷八幡がこのゲームをプレイしたがっている。
その事実、その正直を認めるためには、SAOと同ジャンルであることを認めなければならない。その為には、先の理由が最も都合が良かった。ただそれだけの話なのだ。
言ってしまえば、僕はどうやら絶対になるまいと誓っていた馬鹿になる決心をしたのだ。信じて、やって、失敗して、原因を解明して、同じ轍を踏まぬように封印した事をそのリスクを承知の上で、そのリスクが解消された
君子であろうと決め、危きを踏み抜こうというのだ。
それも、まるでウブな子供のように期待に胸を躍らせて、笑みを抑えきれずに。
1人しかいない森の中でその可笑しさに喉を震わせる。結衣あたりに『ヒッキーの引き笑い』なんて頰が引きつりそうなギャグを言われてしまいそうな笑い方で。
一しきり笑い切り、俺は吹っ切れた調子でふう、と息を吐いて前を向いた。
「───よしっ、そろそろ連絡取るか」
我ながら、清々しい口調だった。