後日、戸塚や川崎、材木座と共に再会を祝いあった、さらにその翌日。
ついに俺は流動食を許され、リハビリを開始することになる。
することになったのだが……。
「なんでお前がここにいる。由比ヶ浜」
「えっと、実習……的な?」
まさかのマンツーマンレッスンだった。サマーレッスンなら大歓迎なんだけどなぁ……。
ー・ー・ー
「はい、いっちにーいっちにー」
「ちょ、ちょっと待て!テンポが早えって。俺の生まれたての子鹿のような足がお前には見えねぇのか!」
「折れかけのマッチ棒みたいだね。あと全体的に痩せてて、あれだね。スケルトンだね」
「詳細に実況するな、お前には気遣いの心がないのか。そもそもゾンビ属性があるのにスケルトン属性を足したら動くホラー映画になっちゃうじゃないか」
ちなみに、幽霊要素は影の薄さ。やかましいわ。
足を酷使してることを分かった上でまだやらせるとは、千葉県民の風上にも置けないやつめ。
千葉から離れすぎて千葉県民に対する記憶の美化が起こってる気がしないでもなかったが、それはどうでも良い。問題なのは医者もいない、看護師もいない。いるのは明らかにノウハウも持ってなさそうな実習生1人だけ、という状況でリハビリを受けなければならないこの状況だ。いくら
医者に何かあったのではないか? ひいひいと情けない声をあげながらへたり込んだ俺は由比ヶ浜に聞いてみることにした。
「おい、由比ヶ浜。なんで医者がいないのか知ってるか?」
「うーん……ちょっと分からないかも」
「心当たりとかは?」
「……心当たりといえば、この病院のVIP室にSAOサバイバーのお嬢さんが入院していたこと位かなぁ?」
「バリバリあんじゃねえか。……けどまぁVIPなら仕方ねえか。高い金払ってるわけだしな」
「ヒッキーもVIPじゃん」
「は?」
耳を疑った。
由比ヶ浜が知らなかったのかと驚きつつ教えてくれたことによると、この病院は雪ノ下家かかりつけの病院であり、以前俺が轢かれた時に入院した場所と一緒だという。しかも俺が入院していた部屋は、その中でもほぼ雪ノ下家専用となっているとんでもないくVIPな病室であるそうだ。
「おいおい、いつの間に俺はそんな身分になったんだよ。……というか、よくそんな部屋を雪ノ下の両親が貸してくれたな」
雪ノ下の雰囲気から鑑みるに、雪ノ下家の人達は家族以外には排斥感が強いという印象があったのだが。そうでなかったとしても、自分達の居場所を全く関係ない人に譲るとは思えない。
不思議に思っていると、由比ヶ浜は何かを思いだしそうな様子で頭に触り、うーん、と唸った。数秒後、閃いた!と言わんばかりに顔を輝かせた。
「あっ!そういえば、ゆきのんが条件付きで許してもらったって言ってたような気がするよ。なんだったっけなぁ……やんわりと教えてもらったんだけど、なんか抽象的で、私バカだからよく分からなかったんだよなぁ……」
「まぁ、馬鹿なら仕方がないな」
「むむむ!これでも医学部看護学科生なんですけど!」
「それが目覚めてから出会った中で一番の不思議だわ。初め聞いた時は、正直並行世界に生まれ直したんじゃないのかと世界を疑ったぞ」
総武高は確かに進学校だが、まさか由比ヶ浜が医学部とはな。専門学校とかじゃなくて、れきっとした国公立医学部だと聞いた時は「ほぇっ」って可愛い声が出ちゃったわ。嘘です、かすれ声でした。
「……まぁ、三年生の時は、ゆきのんとはるるん先輩に勉強みて下さいって頼んだばっかりに、とんでもない一年になっちゃったんだけどね」
「うわぁ……」
容易に想像つく。頭に手を当ててため息をつきならがら「こんなのもできないの?」という雪ノ下と、強化外骨格のような笑みにヒビを入れながら毒を吐く陽乃さんが。
「うん、絶対にあの姿はヒッキーには見せられない!」
「その心は?」
「ノーメイク、ノーヘアメイク、ノー生気!女子として終わってたよ!」
「そんなとこを威張るな。……けど、由比ヶ浜が看護師かぁ」
「もう馬鹿になんてさせないんだから!今ならヒッキーに数学教えられるまであるし」
3年次の思い出を思い出したらしく、遠い目で由比ヶ浜がそう言った時、リハビリ室のドアが開き、俺担当の医師がリハビリトレーナーと一緒に入ってきた。
「由比ヶ浜くん、八幡くん。遅くなって悪かったね。少し揉め事が起きてしまって遅れてしまった」
「あぁ、いいですよ。この病院のVIPに何かあっては困りますからね」
「……明日奈くんを知って……って、聞かなかったことにしてくれ」
「アスナだと?!」
俺の鎌かけに医師がうっかりこぼしたその名前はSAOサバイバーのほとんどが知っているであろう超有名人の名前だった。
【閃光】のアスナ。
細剣の達人にして【黒の剣士】の嫁であるプレイヤー。その美麗さは女っ気が少なかったこともあり、三倍増しに見え、男性プレイヤーなら一つ以上彼女の良いところを挙げられるとさえ言われていた。ちなみに俺としては、茶色いロングの髪の毛をかきあげる仕草がたまらなく好きだった。……何を言っているんだ俺は。
いかんな。思わぬ友人の情報に動揺しているようだ。
「……というかあいつ、本名プレイしてたのか」
「ここに入院している事はオフレコで頼むよ?由比ヶ浜くんもSNSで拡散とかは勘弁してくれ。もしそんなことになったらこの病院も君の将来もパァになってしまうからね」
「そんなにいいとこの嬢さんなのかよ……。キリトも大変だな」
「キリト君というと、【英雄】くんだね?八幡くんは随分とビックネームとの面識が広いようだね」
そりゃあ、攻略組を相手取る事は多かったので。答える代わりにそんな言う必要もない言葉を心の中へと押し込むと、整ってきた息を確認し、俺はヨッコラセと体を持ち上げた。
「疲れは取れたかい?それじゃあトレーナーを付けて改めてリハビリといこうか。リハビリできることの幸せを噛み締めながら励みなさい」
医師はトレーナーによろしく伝えると部屋から出ていった。
「なんか感じ悪いね。好きでリハビリしてるわけじゃないのに。ゆきのんにお願いして担当を変えてもらう?……ってヒッキーどうしたの?そんなに怖い顔して」
「……ん?ああ!なんでもない。いや、医師はあの人がいい。適度な厳しさも治療には必要だからな。それよりもリハビリをしよう。早く元の生活に戻りたいからな」
由比ヶ浜に対して隠すことの叶わなかった引きつった顔を見せながら、垂れる冷や汗をこっそり拭う。
医師は言った。『励めることの幸せ』と。
つまりそのことを意味するところは……。
ー・ー・ー
「はい、じゃあ今日はここまでね。ゆっくり柔軟とマッサージをしたら風呂……はダメだから体を拭こうか」
「じ、地獄だった……」
「ヒッキーがアンデットからデッドに!」
失礼なことを言うな。今の俺はアンデッドなどではなく日々の勤めによってやつれていく『社畜レベル3』だ。由比ヶ浜の言い分が正しいなら、日本各地に羽ばたく社会人全員アンデッドになっちゃうだろ。そう考えると日本終わってんな、T-ウイルスに自主感染してんじゃねえの? 日本。
難儀な世界に戻ってきちまったものだ。名称のわからないバカでかいゴムボールに背中を預けて窓の外の景色を見る。羽ばたく黄色と白の蝶とその下で蜜を吸うアゲハチョウが今ばっかりは社会の縮図に見えて仕方がなかった。
「あっ、私、柔軟の手伝いくらいならできるよ! バランスボールを使った柔軟習ったんだよね! やってみる?」
「おー、お願いするわ。……いや、ちょっと待て。それ、なんていう柔軟法だ?」
「え?『これで痩せる!美尻・くびれ作成バランスボール柔軟法』ってのだけど。先月号の雑誌に載ってたやつ……あ」
「あ、じゃねえよ」
危ねえ。この体にダイエットって、最早美尻もくびれもあったもんじゃねえぞ。今でさえ目の窪みが酷くて目に光が入っていないというのに、さらにシェイプアップしたらオールマイトになっちゃうよ。
結局、トレーナーさんの指導のもと、柔軟をした。上体倒しの記録は10センチだった。硬くなりすぎだろ……。
「あー、風呂入りてえ」
「そんな鶏ガラみたいな体でわがまま言わないの。ほら、体拭くから後ろ向いて」
「あの、由比ヶ浜さん? なんか、俺に対して遠慮がなくなってません?」
ぞんざいというか、子供に対する態度というか。一応幾多もの死線をくぐり抜けて精神的にはひとまわりもふた回りも成長したつもりだったんだけど、もしかして勘違い?
「ヒッキー、痩せちゃってたから目立たないけど、身長伸びた?」
「え?まじ?足何センチ伸びた?」
「足の長さ気にしてたんだ……」
墓穴掘っちゃった。
けど、ズボンのサイズが上着よりも一つ下だとなんか心にくるものがあるんだよな。なんというか、服屋に馬鹿にされているような。特に外国産だと、155センチのがピッタリとかザラだからな。ZARAだけに。
「あー、出汁がとられるー」
「妙なナレーションは止せ。いや、どうせなら『垢のそこからは黄金の塊が……!』位やってくれ」
「それは嬉しいの?」
ああ嬉しいね。嬉しすぎて涙がでるね。
「あ、トレーナーさんに聞きたいことがあるのですけど」
「ん?どうした、鶏ガラ少年」
お前も言うのか。
「全国の痩せ型の男にいつ謝るのかというのが一点。もう一つは、俺以外のSAOサバイバーのリハビリはサポートするかどうかが一点です」
「ふむ。……まぁ、個人名は出せないが、することにはするぞ」
「そうですか……。そしたら、その人達に一言『ウイスキーと煙管』と伝えてくれませんか?」
「良いだろう。八幡君の名前は出していいのかな?」
「いえ、必要ありません。むしろ言わないでもらいたいぐらいです」
「分かった。必ず伝えよう……と、言っても私が担当するのは10人にも満たない人数だけれどね」
それでも良ければ、トレーナーさんはにかっと爽やかに笑った。
由比ヶ浜は、よく分からないというのが見え見えな顔をしていたが、拭いてくれてありがとう。と今までの俺では絶対言えなかった言葉を掛けると嬉しそうに笑った。
ここまで来て、由比ヶ浜相手に何かを誤魔化さなければならない自分が少し、嫌いになった。
時間は飛び、午後2時。
今日の面会相手は、尊敬すべき我が師。平塚先生だ。
そして、俺が久しぶりにあった先生に抱いた印象は、
誰だよ、この人。
だった。