「……え、だれ?」
退院時に迎えに来た親父の一言がやけに印象的だった。
息子じゃい。
ー・ー・ー
「お兄ちゃ〜ん、お兄ちゃ〜ん。ふふふん、お兄ちゃ〜ん!」
「随分とご機嫌だな、小町」
約1年振りに帰って来た我が家は、逆に驚く程変わっていなかった。家具の配置も、本棚に並ぶタイトルも覚えている限り何もかもが同じだった。恐らく、模様替え好きな小町が気を回してくれたのだろう。お兄ちゃん的に超ポイント高い。
「あったりまえだのクラッカーですよ!いい?お兄ちゃん。女の子はみんなイケメンが好きなの!それが例え血の繋がったお兄ちゃんであったとしてもね!しかも、一年も離れ離れになってお兄ちゃんが英雄で高身長でイケメンになって帰って来たんだよ!これが歌わないではいられないでか!」
「落ち着け、小町。キャラがぶれぶれになってるぞ」
英雄はともかくとして、高身長でイケメン。そしてついでにロン毛。
今の俺を余所から見た評価がこれらしい。正直言って、自分ことながら前より随分と進化したものだと思う。しかし、小町が飛んで喜ぶほどかといえば、それは違うだろう。自己評価が低いとかではなく、本当にそう思う。思うのだが……。
「新学期からは一緒に通うんだからね!」
こうもはしゃいでもらえると、なんだかそんな事どうでもいいように感じてくるから不思議だ。自信持っちゃって良いんですか? ではない、妹の言うことは絶対! だ。
あと、余談になるのだが、入院中ある日を境に小町以外誰もお見舞いに来なくなったから、理由を聞いて見ると『思った以上にカッコよくなってきてるから、サプライズ的にニューお兄ちゃんをお披露目しようと思うの』と言っていた。
ニュー八幡。明日、解禁です。
「そ、そういえばさ。お兄ちゃん」
「ん?なんだ?」
「私、最近料理やるようになったんだけど、食べる?」
「あー、もらおうかな」
本当は『イエスマイラブリーシスター!』とか言って土下座してでもお願いしたい所なのだが、なんとなくシスコンと思われるのが嫌なので、いたって平々凡々に返答する俺。だがよく思い返せば、小町に面と向かってそんな言葉を吐いたことはほとんどないので、いつも通りといえばいつも通りだ。
小町は緊張半分嬉しさ半分といった様相でキッチンへとスキップしていく。可愛いからお兄ちゃんもしようかな?
病院の送迎に来てくれた親父はデスパレードへと再び復列しに行き、母親も年度末の忙しさに奔走されているため、せっかくの退院というのに今夜は小町と2人きりだ。あんな親父に抱くのも悔しいが少しの淋しさを覚えるのも正直なところ───あ。
そうか。そういえばそうだった。
俺は、そんなことも忘れて小町と接していたのか。
……忘れていた、約束。
「小町」
「んー?なぁに、お兄ちゃん。いま玉ねぎ切ってるんだけど」
「そのままでいい、少し言いたかったことがあってな。……あー、その、なんつーか」
頭をガシガシとかく。照れ臭い、というより情けない。今の今まで忘れていたこともそうだが、こんな簡単なことすらさらっと言えないことが。
「悪いな。約束破っちまって。『小町が帰るときには必ず家にいるようにする』……一年もできなかったから」
小町が家出をするという比企谷家最大の事件の後にした約束。ただでさえ奉仕部に入ったことで破ってしまう日が増えて来ていたというのに、まさか、ゲームという戯けた理由で、しかもすっぽかしたことすら忘れてたなんて、兄としてやっぱり恥ずかしい!
内心悶えているとカタカタと小町の全身が震え始めた。
え、何? 怖可愛い。
カンッ、サク。
小町の手からポロリと落ちた包丁がシンクで跳ね返り床へと刺さる。危ないだろ、そう注意する間もなく小町は、
「お、お、おおおおお」
と、聞き取れない程度の声で唸りながらフラフラと俺の元へと近づきはじめた。その様子はまるでホラー映画のワンシーン。ソファに座っていた俺が身構えようとした瞬間、小町に抱きつかれた。
「お兄ちゃわん!」
「待て、俺の事をそんな食器とくっつけた名前で呼ぶな」
「お兄ちゃんちゃんこ!」
「だからといって、その中身とくっつけて欲しかったわけじゃない!」
ぎゅっと柔らかい感触が体全体に伝わってくる。
それでもあったかいなぁくらいにしか思わないから、うん、兄妹である。なすがまま、されるがままになること数十秒、いつの間にか妹に慈愛の目で見られながら頭を撫でられていた。めまぐるしい展開の変化に目を白黒させていると小町がもう!と抱きついて耳元で囁く。
な、なんだこの天国は!やはり俺は死んでいたのか?!
「お兄ちゃんが素直に育ってくれて小町は嬉しいよ、あっ、今の言葉は小町ポイント高いかもっ」
「どっちかっていうと婆さん的な意味での小町ポイントだな、それは」
どこに兄の成長を嬉しく思う妹がいるんだよ。まして、俺は非行少年でもなんでもない、ただの一般的な高校生だというのに。……いや、SAOに巻き込まれた時点でもう一般的とは言えないか。そう考えるとなんというか、厨二心が疼く境遇になってんだな、俺。どうりで材木座が不謹慎ながら羨しい!とか言うわけだ。あの時はぶん殴って悪かったな。
花が咲いたような笑顔を見る限り、約束については許してもらえたっぽいので、張り付いてくる小町をぺりぺりと剥がしてキッチンに戻す。そして、何事もなかったかのように会話を再開する。
「そういえば小町。ずっと聞けなかったんだが、俺以外にも身近な奴がSAOに囚われていたとかいう話は聞いたか?」
「……うーん、お父さんの会社の人が1人なったって言ってた位で、その他のことはあんまり聞かないなかったなぁ。知ってる限りだと同年代でβテストに受かったのお兄ちゃんだけだし、自費でナーヴギアを買える学生はなかなかいないからね」
「なら良かった」
話しながら持ち帰った鞄の中身を整理していると、今まで気づかなかったが、ポケットの奥にスマートフォンが入っていた。1年越しの再会だが、充電は幸いにも残っていたので、なかなか思い出せないパスコードを脳汁出してひねり出しながら画面を開く。……げ。
久しぶりに触ったスマートフォンにはメール受信数、ライン通知共に999件の表示がなされていた。Amazonと数人のしか登録してないというのにこの量とは何ゆえに。開いてみると、驚いた事に、奉仕部2人からの受信が合わせて5分の4くらいを占めていた。囚われている時にも受信しているので、何事かと思えば毎日の出来事を綴ったメールが大量に……。社会情勢の把握には丁度いいんだけど、普通に怖いわ。
けど、雪ノ下のものなんかは文章としても中々面白いので暇つぶしも兼ねて流し読みをしていると、トントンと野菜を切る音を立てながら小町が尋ねてきた。
「お兄ちゃんはさ、来年は総武高だけど、その後はどうするの?」
「あぁ、えっと……なんかSAOにいた学生を集めた学校に行く事になるらしいな。そこを卒業してからのことはまだ分からん。というか、考えてない」
「一箇所に集めちゃって、身バレとかしないのかな?」
「知らん。けど、俺なんかは前とは全然容姿が変違うらしいから特に気にしてないな。気づかれることはなさそうだし」
「(別の意味で目立つと思うんだけどなぁ。我が兄のことながら、貫禄もなんか出てきてるし)……まぁ、おいおいだね!」
「んぁ、そうだな。取り敢えずは久しぶりに家族の作ってくれた飯に舌鼓を打つとするわ」
そんな、事を話して、夜遅くまで退院祝いをしたのが、1週間前。
入院していて買うことのできなかった三年用の教材と、身長がこの歳で伸びちゃったので新調した制服の一式が届いたのが三日前。
小町の春休みの課題ついでに習いながら復習に励んだ二日前と昨日。
そして、小鳥がけたましく鳴き、カーテンの間から漏れた朝日が顔面に当たっている今。
なんだかんだ久しぶりに学校に行くのが楽しみな俺はよっこらせ、とベッドから起き上がるのだった。
「お兄ちゃん、ごはんー!」
「今行く」