競技かるた。
平安時代が終わる頃の歌人、藤原定家。彼が持つ友人の1人である宇都宮頼綱の依頼で制作した、時代の違う多くの歌から名歌百首を選び取り、頼綱が住む屋敷の襖に飾った百人一首。
それが長い時間を越えて、一瞬の反応と戦略を競うスポーツへと姿を変えた物。
野球やサッカーなどに比べれば確実にマイナーであり、また、競技人口も少ない中で、滋賀の近江神宮では、高校生たちが一年をかけた戦いを繰り広げていた。
高校生の中でA級の部にいる猛者は少ない。が、そのレベルはやはり高く、読手が詠む歌に反応して、畳を叩き札を払う音が疎らに耳を打つ。
観戦者の多くが見るのはたった1人。
史上最年少で女性最強の座に着いたクイーン、若宮詩暢の一戦。
『こいすちょう――』
響く声の中で動く選手たちよりも一歩だけ速く、彼女の身体が動き出す。何百何千と繰り返された動きは、刀の刃のように鋭く美しい。
実力差は歴然だった。
東京の名門高校である北央学園。その中で次期エースと期待される甘糟那由多は、一首目から少しも動けていない。
次元が違う。
出場者も観戦者も、ただそれだけを感じていた。
(来いって言うのは何のためや? まさか、自分より弱い人を叩き潰すとこ見せに……はせえへんな。あいつの性格的に)
彼女が孤独の選手であると言うことは周知の事実である。かるた会には所属せず、テープが流れる中でただ1人、黙々と静かに練習する。
「つまらんなぁ」
一方的な試合。強者による弱者を蹂躙する行為は面白くないし見ていて気分が悪い。それがどんな競技であっても、同じように感じる人は少なくないだろう。
大口を開けて欠伸をしたくなる気持ちを抑え、視線を他の人へと移していく。
大きな人。小さな人。三年生。一年生。男。女。見た目も何もかもが違う人々が必死になって札を追いかけていく中で、定家は1人の女子生徒を見て視線を止める。
高い身長。長い手足。荒削りな技術ではあるものの、良い耳のおかげで力強く札を取る。自分が戦えば十中八九勝てるであろうレベルの彼女に、僕は何故か目を奪われた。
『つくばねの――』
陽成院が妻に向けて詠んだ恋歌。二字決まりの聞き分けがしやすいこの歌は、耳のいい人にとって格好の餌。相手よりも数瞬速く飛び出した手は、その札を見事に払う。
(詩暢みたいに綺麗やないし速くも無い。やけど、なんて言うか)
――おもろい。
(このまま調子よう行けばあの子が束行くか行かんかで勝つやろ。どっかで詩暢と当たってくれへんかな)
そう思ったのは、丁度詩暢が勝ち、相手に挨拶したのと同じタイミングであった。
◆◇◆◇◆
「何で僕が呼ばれたんや? なぁ詩暢」
一回戦が終わり、詩暢が出した記録は二十四枚差。他の試合の観戦を早めに切り上げた僕は、勧学館のソファでゆっくりお茶を飲む彼女を問い詰める。
「僕まだ中学生やから。まだ高校入るまで半年あるんやから来る必要なかったやろ」
「いや、昨日琵琶湖の鳥人間コンテスト終わったときにふと思ったんや。ウチがしんどい思いしてかるた取ってんのに定が涼しいとこ居るいうんは無性に腹立ってなぁ」
(あんたの私情で無駄な金を使わすなや!)
会場にいる人たちは突然クイーンと話す定家を気にしている風だが、定家と詩暢はそんなことを気にしない。
(なんかあの子可愛いな)
(クイーンの友達か?)
例えそれが、どんな話であったとしても。
「あの知的な感じタイプだわ」
「一人になったら声かけてみろよ」
ど、どんな話であったとしても。
「あんな女性と付き合いてぇ」
「あんだけ奇麗だったら彼氏ぐらいいるって」
ど、どんな話でもぉ……。
「泣いたらアカンやろ? 定」
「泣いてへんてぇ。お、女の子と間違われても泣いてへんてぇ」
「いや、泣いとるやないの」
定家が今身に着けているのは落ち着いた服装。常日頃から姉の着せ替え人形と化しているため、姉の趣味――男の娘――が全開である。白のインナーシャツの上に黒色のトップス。下はほぼスカートに見えるガウチョパンツ。
若干視界がぼやけている気がするが、とりあえず会話の線路を元に戻していく。
「それで? どないな理由でここに呼んだんや?」
「ああ、それは――」
「一条君! 一条君じゃないか! 久しぶりだね。元気にしていたかい?」
見事なほどに詩暢の言葉を遮って話しかけてきたのは、大会の運営に回っていた福井県にある南雲会の会長栗山先生。
「今日はどうしたんだい? 君が自分の出ない大会に顔を出すなんて珍しいじゃ無いか」
「あぁ、なんて言うんか、詩暢の保護者役です。この子放っておけんので」
ただ呼ばれただけで理由がわかって分からない僕は、取りあえずありそうなことをでっち上げる。
運営の者がやって来た時点で、ソワソワとこちらを見ていた高校生たちの感心は消え失せ、対戦相手が組まれていくことによって意識は次の相手へと向いていく。
「あ、そうだ一条君。悪いんだけど、決勝戦の読手をしてくれないかな?」
「……そうですね。それなら」
カードが並べられた机の前。相手の確認をしに行った詩暢の隣には、先程の女子生徒。視線が同じ場所を向いているということは、対戦するのだろう。
「声の感じも確かめたいんで、二回戦の読手もさせて下さい」
「おお。それはありがたい。専任読手が読んでくれるとなればみんな良い経験になる」
それじゃあこれで。そう別れた栗山先生は運営の所へと、僕は、二回戦の会場へと入っていった。