「う、うーん……」
うめき声と共に、そのフレンズはむくりと体を起こした。
きょろきょろと周囲を見渡す。空は見えず、薄暗い。どうやらどこかの洞窟の中らしい。
「あぁ、気が付いたかい?」
掛けられた声に振り返ると、首筋から何本もうねうねしたものが生えたフレンズが気遣わしげな顔で覗き込んできていた。
「えっと……あなたは……?」
「ん……自己紹介がまだだったね。私はしょくしゅ。さばんなちほーのフレンズだよ。ここはじゃんぐるちほーで、私の友達のポグルの住処なんだ」
「あ……私は……?」
「驚いたよ。君はいきなり空から落ちてきたんだ……たまたま空を見上げなかったら、地面に叩き付けられていたかも知れない……危ない所だった」
「空から……」
羽根と鱗を持ったそのフレンズは、頭をさする。
今までは寝ぼけていて頭に霞が掛かっていたようだったが、徐々に記憶がはっきりしてきた。
「聞かせてくれるかい? 君は、何故空から落ちてきたんだい? えっと……君は……」
「フリッシュ」
「!」
「私はフリッシュ、デス」
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フリッシュ。
二億年後の世界に現れると考えられている、魚の一種である。
遙かな昔、地球にはパンゲアと呼ばれる巨大な大陸があった。それが地底のマントルの流れに乗って動き続け、少しずつ引き裂かれていって気の遠くなるような時間を掛け、現代の七大大陸と七つの海が誕生した。しかし大陸の動きはまだ止まっておらず、今でもほんの僅かずつではあるが、大陸は動き続けている。
それが二億年後の世界になると、動き続けた大陸は再び一つに集まって第二パンゲアと呼ぶべき一つの超大陸へと変化すると予想されている。
大陸が一つとなれば必然、それを囲む海もまた一つとなる。
地球にたった一つの海。故に「地球海」と呼ぶべき、広大な海に。
一方、現代より一億年後の世界ではとてつもない地殻変動によって生態系が大崩壊し、あらゆる生命を滅びが襲う。地球史上7度目の、大量絶滅である。
闇と有害物質によって世界は覆われ、陸も空も、そして海でも滅びは連鎖していく。まず海面近くのプランクトンが絶滅し、海での食物連鎖が崩壊するのだ。
そんな大絶滅を逃れた深海に潜む僅かな生命によって再び生存競争が始まった時、いち早く進化して爆発的に勢力を伸ばすのはエビやカニといった甲殻類である。
生き残った魚たちは生存圏を奪われ、逃げ惑い……やがて、彼女たちの居場所は次第次第に海には無くなっていく。しかしここで彼女たちは思いも寄らない、驚くべき進化を遂げた。
海を捨てたのだ。
既に鳥類は地球から姿を消しており、その隙間に滑り込むようにして彼女たちは天空の支配者となった。飛ぶ事を覚えたのだ。
一億年という永い時の中で胸ビレは翼へと進化し、浮き袋は肺となった。
現代にもトビウオなど空を飛ぶ魚は居るが、しかし彼女たちのそれはあくまでも滑空でしかない。対してフリッシュ(正確には海の側で生活する彼女たちはオーシャンフリッシュと呼ばれる)のそれは本物の飛行。鳥類の十八番であった技能を、かつて海の住人であった彼女たちは身に付けた。
彼女たちは海上を飛びながら油断無く海中の様子を探り、波間の獲物を捕らえ去って行く。
二億年後の空を自由奔放に駆ける彼女たちこそが、現代の魚類の子孫なのである。
+
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「……あー、段々思い出してきたデスよ……私はいつも通り漁をしていたんデスが……今日は天気が悪くて……嵐に巻き込まれたんデス」
「嵐に? では、それで吹っ飛ばされて……じゃんぐるちほーまで……」
「そういう事デス。それで飛ばされた先で、あなたが助けてくれて介抱までしてくれたという訳デスね? 何とお礼を言って良いか……」
ぺこりと頭を下げたフリッシュは立ち上がろうとするが、すぐに顔をしかめて崩れ落ちてしまった。しょくしゅが、慌てて彼女に駆け寄って支える。
「い……いたたたた……」
「無理をしない方が良い……君は怪我がまだ治っていない」
「そ、そうみたいデスね……あたた……」
体をさすりつつ、苦笑いするフリッシュ。頭の翼が動くが、しかし他の鳥系フレンズのように体が浮き上がる気配は無い。
「どうやら、翼を痛めてしまったみたいデスね……これじゃあ飛べないデス……」
「ふむ……」
腕組みして、ついでに頭から伸びるうねうねもそれぞれ絡ませて考える仕草を見せるしょくしゅ。
しかしそうして考え込んでいたのも、ほんの数秒だった。
「では、私とこうらが君を海まで送っていこう」
「えっ?」
驚いた顔になるフリッシュとは対照的に、しょくしゅはどうして眼前の相手がこの提案に疑問を持つのかが分からないという様子であった。
「今の君は怪我をしてるし、それに飛べないのだろう? 一人旅は危険すぎる。最近はこの辺りにもセルリアンが多くなっているらしいからね……襲われた時、戦うにせよ逃げるにせよ、連れは居た方が良い……」
「い、いやしかし……見ず知らずのあなたに助けてもらって、手当てしてもらえただけでもありがたいのにこれ以上は……」
「なぁに、困った時はお互い様だ」
「……で、でも……」
尚も助けを辞退しようとするフリッシュに、しょくしゅは少しばかり困った顔になって、すぐに悪戯っぽい笑みを見せた。
「それじゃあ、こうしよう。次に私が困った事があれば、君が助けてくれ。つまりは君に貸しを一つ作る、という事さ。それなら問題あるまい?」
「……」
この申し出を受け、今度はフリッシュが考える仕草を見せるが……やがて諦めたようにふっと笑った。
「……そうデスか……では、今回はその申し出に甘えさせてもらうデスよ」
フリッシュの答えに、しょくしゅはにかっと、会心の笑みを浮かべる。
「ふむ……しかし、私は海に行った経験は無い……どう歩けば海に行けるのか……?」
「それなら分かるっすよ~」
相変わらず気が抜けるような間延びした声で、この洞窟の主であるポグルがやってきた。
彼女は手に持った光る板……かつてこれを作った生き物たちが”タブレット”と呼んでいたその道具を操作する。これを拾ったポグルは説明書など読む機会は無かったが持ち前の好奇心から様々な操作を試し、今では”げーむ”や”えいが”など多くの機能を使いこなす事が出来た。
ポグルは、二人に見えるようタブレットを差し出す。
画面には、今はジャパリパークの地図が表示されていた。しょくしゅは、さばんなちほーでかばんが見せてくれた紙で出来た地図を思い出した。しかし今、ポグルが見せてくれている地図はあれよりもずっと詳細で細かい地形の高低差などがよく分かる。
「おぉ~。こ、こんな物があったとは……」
初めて見るタブレットに、フリッシュは興味津々といった様子である。一方でしょくしゅは「ふぅむ」と顎に手をやって表示されたマップをじっと見詰める。
「海に行くにはまず……ここからさばくちほーへ抜け、こはん、そうげん、としょかんと移動して……ゆきやまを越えて……その先っすね~……けどかなり距離があるっすよ~」
「まぁ、のんびり行くさ……サンドスターが尽きない程度にね。では、行こうかフリッシュ。立てるかい?」
しゃがみ込むと、肩を貸してやるしょくしゅ。
「世話になるデス……」
そうして外に出る3人。外では、ファイアとこうらが、ジャパリカフェから持ち帰ったこうちゃを飲みながら待っていた。
「うわっ、大きい!!」
「ははは、こうらを初めて見たフレンズは、みんなこんな風に驚くよ……」
肩を揺らして笑いながら、しょくしゅは相方を見上げる。
「こうら、私達はこれからこのフリッシュを海まで送っていく事になった」
「……」
事後承諾で、しかもこうらも同行する事が既に決定しているかのようなしょくしゅの物言いだが、そんな相方に対してこうらは嫌な顔一つしない。
「……」
そっ、と大きな手をフリッシュとしょくしゅに差し出す。一言も喋らないが「乗れ」とそう言っているのだ。
満面の笑みを浮かべるしょくしゅ。こうらも同じように、にっこり笑って頷いた。
やはり自分たちは、気が合う。
困っているフレンズを助けるのは、当たり前なのだ。
しょくしゅとフリッシュは、こうらの掌に上に乗った。そのままエレベーターのように、こうらの肩へと運ばれていく。
「海へ行くのね……最近はセルリアンも増えているし、気をつけて行くのよ。まぁ、こうらが一緒なら心配要らないか」
「フリッシュを海に送っていったら、帰りにまた寄ってくれっす~。次こそ、げーむであんたに勝つっすよ~、しょくしゅ」
ファイアとポグルに見送られ、しょくしゅとフリッシュをそれぞれ両肩に座らせたこうらは、ずしんずしんと地響き立ててじゃんぐるちほーを進んでいく。
差し当たって目指すは、さばくちほーだ。
「あっ!! あれは!!」
同じ頃、さばんなちほー。
二人組のフレンズ、アライさんことアライグマとフェネックは、草むらに座り込んでいるフレンズを見つけた。
そのフレンズは、頭に何か被っている。アライさんとフェネックに背を向けていて、二人にはまだ気付いていないようだ。
またとないチャンス。アライさんはそのフレンズに向かって突進した。
「早くも見つけたのだ!! たぁーーーーっ!! ふぃっ!!」
「うわっ!?」
後ろから飛びかかるアライさん。完全に不意を衝かれたそのフレンズは、あっさりと組み伏せられてしまう。
「いきなり何をするか!!」
がぽっ!!
「むぐっ?! むぐぐっ……?」
そのフレンズ、バブカリは怒ってすぐ側に置いていた籠をアライさんの頭に被せる。視界を塞がれた形になったアライさんは右往左往していたが、フェネックが籠を外してやるとようやく落ち着いたようで、荒くなっていた息を整える。
「アライさん、大丈夫?」
「平気なのだ、フェネック……それより、取ったのだーーっ!!」
アライさんは籠を被せられても手放さなかった戦利品、バブカリが頭に被っていた物を高々と掲げる。
「って……あ、あれ……?」
しかし、すぐに違和感に気付いた。
「な、何か違うのだ……」
困った顔になるアライさん。
バブカリが頭に被っていたのは探していた”ぼうし”と似ているが、細かい所があちこち違う。そもそもこのぼうしは植物の茎で編まれているが、探していたぼうしはもっと柔らかくてふんわりした手触りだった気がする。
「何なんだ君たちは……」
少し怒ったような顔と声で、バブカリが話し掛けてくる。
「じ、実は……これと似たものを被ったヤツを探しているのだ。あいつを早く捕まえないと、パークの危機なのだ!!」
「多分間違いだけどね~」
フェネックはちょっぴりからかうような口調だった。
「うーん……それは多分、サーバルと一緒だった彼女の事だろう……」
「知ってるのか?」
「あぁ」
バブカリは頷き、アライさんが手にしているぼうしを指さした。
「そのぼうしは、彼女が被っていたのを参考にして作ってみた新作だよ……中々、良く出来た」
今、アライさんが手にしているそれはかつて”麦わら帽子”と呼ばれていた道具に、酷似していた。
「アライさん、やってしまったねぇ」
「う……これ、返すのだ。飛びかかったりして、ごめんなさいなのだ」
ばつの悪そうな顔になって、アライさんは頭を下げるとバブカリ製のぼうしを差し出した。
「いや、良いさ。間違いは誰にだってある。しかし次からは気をつけるようにね」
バブカリはぼうしを受け取ると、被り直す。
「サーバル達は、としょかんに行くと言っていた。もし追いかけるつもりなら……ちょっと待って……」
バブカリは近くの木の洞に手を入れると、手頃な大きさの籠を取り出してアライさんとフェネックに差し出した。
「これは……」
「おぉ~」
覗き込む二人。
中には捕ってきてさほど時間が経っていないのだろう。殆ど痛んでいない魚が何匹か入っていた。
「道のりは遠いからね。これを持って行くと良い。お弁当だ。お腹が空いたら食べてよ」
「あ、ありがとうなのだ……」
「お姉さんありがとぉ~」
「よし、元気百倍!! 出発なのだ!!」
「アライさん、急いじゃダメだよ」
弁当片手にアライさんが走り出す。フェネックはのんびりマイペースに、その後ろを付いて行く。
バブカリはそんな二人を見送っていたがやがてその背中が見えなくなると、再び座り込んで籠を編み始めた。