ロートリヒトの外れ。
多分使われていないビルの屋上。
深夜。雲から覗く月明かりと星、街から届く淡い光。
そんなステージで世界の歌姫と向き合っている状況。
涼にとって、どうにもリアリティが感じられない。
とりあえず意識を切り替えようと、シガレットケースを取り出した。
「何故、蝕武祭(エクリプス)の事を俺に聞くんだ?」
「少し間に、貴方、調べていたよね」
何故バレた?と自問する。
「シャーナガルムと接触してたね」
「そっちからか・・・まいったな」
ベネトナーシュ。
クインヴェールの諜報機関も優秀と言われている。おかしな経緯で捜査資料が持ち出された事に、すぐに気がついたようだ。
それは警備隊内部に情報源を持つという事だが、卒業生がいて当たり前。そこから情報を得るのもプロなら容易いだろう。何しろ涼にもできた位だ。
一応、風下に移動して煙草に火を点ける。
「で、何故知りたい?」
「人を探しているの」
「それは前も聞いた・・・ん?ひょっとしてそいつは参加者か、関係者か?」
「うん」
声が沈んだ。
思わず彼女の横顔を見つめる。
その表情は―――思い詰めている、と言うのはこういう表情を言うのだろう。そんな顔だった。
それを見た涼は、ため息のように煙を吐き出す。
「似合わないなあ」
「え?」
「世界の歌姫にそんな表情は似合わない、そう言ったんだよ。全く。そんな顔されたら言う事聞くしかないじゃねーか。ずるいねぇ」
「それじゃあ」
「ああ、条件はあるよ」
「・・・言って」
「まず一つ。委任状を一つ、星導館に送ってもらいたい。前回の六花園会議ではガラードワースに預けたみたいだが」
何しろ世界最高のトップアイドル。六花園会議といえども欠席せざるをえない事が多い。そういう場合はあらかじめ委任状を出して対応しているが、これまでは比較的関係が良いガラードワースに決定を一任してきた。そこを星導館に任せて貰えれば、評決が必要な場合有利になれる。
「そういう事ね。いいよ。もう一つは?」
「貴女の連絡先をくれ。ああ、エクリプスの関係データ、クインヴェールの生徒会宛にメールして良いならそうするが」
「それは困るね。いいよ。じゃあこれ、私のプライベートアドレスだから」
端末を取り出してチェックする。
必要な事とは言え、あのシルヴィア・リューネハイムのアドレスをゲットしてしまった。何というか、大変な事になったような気がする。
「それでは、資料はまとめてできるだけ早く送る」
「お願い。何かの手掛りになるかも」
「ああ」
あまり気の効いた返しは出来なかった、のだが。
彼女はそこで初めて帽子を取り、髪を解いた。光学制御も解除する。
「志摩 涼さん。今夜は会えて良かった。ありがとう」
本来の姿に戻り、笑顔でそう言うと身を翻す。
僅かなプラーナの煌きと共に、ビルの谷間に消えて行った。
「大したものだよ。全く」
思わずそう呟く。成程、流石トップアイドルだけの事はある。一瞬心を奪われそうになった。
でも。
あそこまで彼女が拘るとは。まあ男関係だな。
本当に罪な男もいたもんだ。
・・・その思いが全くの勘違いだった事に気づくのは、かなり後になってからだった。
思いがけない邂逅があったが、歓楽街の夜はまだまだ続く。
優を帰らせてしまった為、一人で夜の街を廻る事になる。
大きなトラブルは見なかったものの、本来の仕事はトラブルを起こさない事。その為にはここに存在している事が必要なので、結局手は抜けない。
もう良いだろう、と判断して引き揚げたのは夜明け後、すっかり明るくなってからだった。
陽が上ると夏の青空、朝から暑い事は今日も変わらず。
フェニクス関係で忙しいのも変わらない。
そして今は、ガラードワース相手の事件処理という余計な仕事が追加になっている。そこに今度はクインヴェール生徒会長に対する秘密案件がお代わりときた。
ゆっくり寝てなどいられない。
それに報告は早い方がいい。
朝の生徒会長室。
「おはようございます。涼さん。昨夜はお疲れ様です。大丈夫ですか?」
「俺達の世代は一晩寝ないなんて良くある事ですよ。会長こそちゃんと休んでいますか?」
と言ってもクローディアは普段と変わらず、輝くような雰囲気を纏っている。
同じトップレベルの美少女でも、昨夜の子とは違うタイプの美しさになるな。いや、何を考えているんだ。
「ありがとうございます。問題ありませんよ」
いつもの穏やかな微笑。
「そうそう。問題と言えば、風紀委員会から今夜の見回りに人を出せなくなったと連絡ありましたが、何か聞いていますか?」
今日の問題、一つ目が早速発生。
「ああ・・・それね。多分アレだ。優を怒らせたからだなぁ」
「あらあら。涼さんにしては珍しいですね。何があったのですか?もしかして他の女性に目移りしたとか?」
「それに近いが・・・何故わかった?」
「あの人を怒らせるというと、それしかないでしょう。気を付けないと、後を引きますよ」
「いずれ何とかするよ」
今は他にやるべき事が多い。
「それと変わった事が。クインヴェールから委任状が送られて来ました。何かご存知ですか?」
先方の会長さんも仕事が早い。
「その件で報告があります」
昨夜の状況と予想外の邂逅、その結果について話す。
「そうですか・・・彼女がそんな事を」
「まあこちらに不利益はないだろうと、情報提供には応じたんだが、まずかったかな?」
「構いませんよ。提供する内容は選びますよね」
「ああ。出し惜しみはしないけど、全て教えるのもやり過ぎだし」
「その辺りの判断はお任せします。上手くやって下さい。出来れば先方の事情ももう少しわかればいいですね」
「・・・そうだった!確かに言われる通りです。留意しましょう」
すっかり忘れていたが、シルヴィア・リューネハイムの妙な行動の理由を気にしていたのは涼自身だった。
思わぬ再会で頭から消えていたが、クローディアの一言で思い出した。
「ありがとうございました。では今日の仕事を始めます」
敬意と共にに報告を終える。
彼女の返事はいつも通りの美しい微笑みだった。
通常の生徒会業務の前に。
涼は生徒会フロアの片隅にある小部屋に入る。
ちょっと後ろ暗い作業をする時にたまに使う所。そういえば前回ここでエクリプス関連の調査を行っている。
これまた普段使わない端末を用意すると、データカードを挿入。
小さく現れた空間ディスプレイには、警備隊内部から得たエクリプスの捜査データや報告書の類が並ぶ。
それなりに数のあるファイルの中から、何を送るか考える。
それにもう一つ。
天霧遥の件はどうするか?
少し迷ったが、今の段階では控える事にする。
このせいで天霧綾斗に妙な関心を持たれても困る。何しろフェニクス開催中。そういえば明日の4回戦、彼らの試合だった。相当な激戦が予想される。
その件はともかくとして、関連資料の精査に時間を取られ、通常業務に入れたのは昼過ぎになってからだった。
生徒会室にて。
今日はフェニクスの試合が無い。そして今は本来夏休み中。
それ故にあまり急ぎの課題を持たない役員は休ませている。
当然そこには涼とクローディアはは含まれない。
学園としてフェニクス関係も重要だが、そろそろ来期の運営についても考え始める必要があり、クローディアはその作業に入っている。
何しろ星導館は(他学園もそうだが)セメスター制を採っている機関なので、後期にも入学式があり新入生が入ってくる。生徒会としても対応すべき事は多い。
「入学予定者の一覧、とりあえず送ります。多少の減少はあるでしょうが、まずはこれで決まりでしょう」
「お願いします。気になる方はいましたか?」
室内には生徒会のツートップに秘書のリオ。それに庶務を担当している高等部のサンドラ。他の連中は貴重な休日を謳歌していると思われる。
「どうも今一つですね。もちろん成長に期待すべきなんでしょうが・・・」
とは言え一通り見た限りでは突出した才能は見られないので、涼の表情も晴れない。
「やはり今いる中からレベルアップを図るべきでしょう。幸いウチの学生のモチベーションについては問題ありませんから」
「そうですね。フェニクスで活躍した方へのフォロー、よろしくお願いします」
「はい。大会が終われば。今は夜の見回りの方がありますから」
「書記長、ホントに大丈夫?今からでも秀明、呼びだそうか?どうせ暇してるだろうし」
気遣うように提案してきたのはサンドラだった。
「おいおい、彼氏の扱いが酷いな。まあ遠慮しとくよ。あいつに荒事は似合わない」
高等部のスタッフ、書記をしている松岡秀明。確かに序列は上の方だが、商業エリアとロートリヒトはただ強いだけでは上手くやれない場所である。
「大体お前さん達、付き合い始めたばかりだろう。もっと大事にしてやりなよ」
「ん・・・そうだね。わかった」
「よし。じゃあ次だ。新入生のファイル、まとめようか。フォーマットを用意してくれ」
夕方まで事務処理を続けて仕事を終える。
今日は残った業務は無いので、解散して生徒会フロアを閉鎖した。
北斗食堂で夕食にする、と言う3人と別れて、駐車場に向かう。
どうせ見回りするなら、夕食も向こうで済ませればいい。
夕陽の中、車を走らせて商業エリアに向かう。
その車中、端末にメール着信。
画面を展開すると、差出人は例の歌姫様。文面は資料の提供についての感謝と、追加情報を控えめながら求めてきている。どうやらまだすべての情報を出していない事に気づいているようだった。
どう返信すべきか、一つ悩みが追加された涼だった。
再び、夜の街に入る。
トラブルに巻き込まれるのは遠慮したいが、トラブルを見て見ぬふりはできない。
何とも厄介な役割だ。
幸い、今夜も雰囲気は落ち着いている。
昨夜のようなイレギュラーさえ無ければ、街の中を適当に流れているだけで済むかもしれない。
夜の街の空気が嫌いではない涼にとってはそれ程嫌じゃない時間になりそうだ。
おかしな雰囲気を感じたのは、日付が変わってロートリヒトに入ってからだった。
適当なビルの屋上に飛び上がると、街を見渡す。
特に変わった物は見えない。
ただ低い空にある赤い月が目立つ位だった。
不吉、とは思わない。そんな話は迷信だ。あの色は大気中の光の散乱によるもの。光に関わる魔術師である涼にとってはただの現象に過ぎない。
だが、その方向で何かが赤く輝いた。
場所としてはロートリヒトを越え、再開発エリアに入っている。
「行ってみるか・・・」
転移で距離を詰め、地上に降りた。
周りを探りながら歩くと、それはすぐに見つかった。
何人もの男達が倒れていた。
死体の山、ではない。
だが、倒れ伏している連中の状態を見る限り、時間を掛けるとそうなる可能性は高い。
遠くで何かが動いた。
赤い月を背景にした人影。
女だ。それも鈍く輝く大鎌を持っている。
純星煌式武装、グラヴィシーズ。
つまりあの女は、言うまでも無く、イレーネ・ウルサイス。
レヴォルフの序列3位。天霧達の次の対戦相手。
どうやらこちらには気付かなかったようで、すぐに去っていった。
何となく状況を理解する。
ロートリヒトのカジノであの女が暴れていたらしいとの噂は聞いていた。当然店側とは揉めるだろう。
「・・・しかしここまでやるかねぇ」
正直目の前で倒れている連中の事はどうでもいいが、放っておくと夜明けには息の止まる奴も出るだろう。
涼はため息と共に、端末を取り出す。
仕事柄、何人か面識を得たロートリヒトの顔役の名前を思い出す。この事態、誰に言えば一番楽に収まるのか。
考えながら登録番号を検索する。
結局今夜も面倒になりそうだった。