10月も中旬に差し掛かろうとしているその日、ようやく暑さも完全に消え、秋本番と言っていい1日だった。
午後の講義を終えて大学部校舎の正門に向かう涼の表情も穏やか、のんびりしたもので、とても犯罪的な計画を進めているようには見えない。
実際の所は、一昨日の深夜、再びレヴォルフ黒学院に忍び込んで周辺状況の確認をしてきたばかりだった。
事が事だけに、準備には慎重を期している。とは言え、そろそろ実行のタイミングを計る段階。
内心、その行動について考え込んでいたせいで、少し周りが見えなくなっていたようだ。
「ちょっとー。無視とはいい度胸だね」
「優か。すまんね。気が付かなかった」
校舎を出た所で風紀委員の優に捕まる。
といっても悪い事をした訳ではない(いや、しようとはしているが)
現在進行形で付き合いがこじれているせいだ。
「・・・」
冷たい目が涼を見据える。
ちょっときつい感じの整った顔立ちのせいでかなりのプレッシャーになる。
「あの? 何で睨まれてるの? 俺?」
「はん。あたし放っておいて、他の女と付き合うの?しかもレヴォルフの」
イレーネ・ウルサイスと会っていた事に気付いたか。だがそれはクローディア以外知らないはず。
「何の事かな?」
「とぼけたって無駄!警備隊のエコーレットさんから聞いたんだから」
「・・・あの野郎・・・」
なるほど学園の風紀委員ならシャーナガルムの隊員と面識があるのもわかる。
連中にとっては有力な人材供給源だろうし、OBとして訪問する事もある。実際涼も学園への立ち入りについて手続きした事があった。だが何でそんな話になったんだろう。あるいはいつも無理な注文をしている意趣返しか。
「で、どうなのよ」
「ま、お前たち次第だな」
「こっちのせいにする訳!?」
「だってお前らが俺の女になってくれんから」
「またそれ・・・。本気で言ってるの?」
「俺はいつだって本気だが」
「嘘ね。あなたは女には本気になれない。そういう奴なのよ」
「何だと?何故そうなる?」
それに答えて、何かを言いかける優。
だがその前に涼の目が他の誰かを捉える。
つられて優が振り返った先には、薔薇色の髪の美少女がいた。
「・・・」
そのまま無言で背を向ける優。
涼も黙って見送るしかなかった。
「すみません先輩。お邪魔でしたか?」
「構わんよ。何か相談かい?」
やって来たのは華炎の魔女《グリューエンローゼ》
ユリス・アレクシア・フォン・リースフェルト。
そういえば二人だけで直接顔を合わせる事はあまりなかったな、と思い起こす。
「ええ。ですがいいのですか?七海先輩の方は」
「気になる?」
「ええ。どんな話だったのか、少し・・・」
「大人の男女関係に起こった問題についてだけど、聞きたい?」
大人、と言ってしまうのは少し違うだろう。所詮は学生だ。
「・・・遠慮しておきます」
そう言ったユリスも微妙な表情になった。
「そうしてくれ。で、要件は?」
「志摩先輩、少し先の話ですが、冬季休暇のご予定はありますか?」
「今のところは何とも。何かあるのかい?」
「ええ。国元から、この前のフローラの件で、手助けしてくれた方々を招待すると。兄上が礼を言いたいそうです」
彼女の兄上というと・・・
「何とまあ国王陛下からリーゼルタニアご招待か。そんなに大した事はしていないんだがね」
思い起こすと確かに夜の街を奔走したが、当たった先は全部ハズレだった。バタバタしている内に何とか終わった、そんな印象しかない。
「それでもご尽力頂きました。どうでしょうか?」
「ん・・・。ちょっと待て。関係者という事は会長もか?」
「はい。クローディアも同行する事になりました」
「そうか。ならば遠慮しよう。会長不在ならば、俺が学園を離れる訳にはいかない」
実はそういう規則がある訳では無いが、涼の意思としてこれまでもそうしてきた。
「そう・・・でしたね。先輩はそういう立場でしたね。すみません」
「気にするな」
そう言ったが、まだ何か言いたそうなユリス。
涼はとりあえず間を置こうとシガレットケースを取り出して―――
「あ、いかん。リースフェルト。一つ頼まれてくれるかい?」
「何でしょう?」
「火を貸してくれ。ライターの調子が悪くてね」
そう言って煙草を取り出して差し出す。
少しあっけにとられたようなユリスだったが、何も言わずに魔力を行使。僅かなプラーナの煌きと共に煙草の先端が赤くなる。
「ああ、これ位でいいよ」
そう言って煙草をふかすと、手を振ってすぐ近くにある喫煙ブースに入る。
もう一度ブースの中から手を振る。
ユリスは小さく頷くと去って行った。
その凛とした姿を眺めながら、ある事に気が付く。
涼は一国の王女様に煙草の火を着けさせてしまった。
単に炎の能力を持つストレガだからちょっと頼む、みたいなノリでやらせたのだが・・・
「まずかったかな、これ」
短くなって行く煙草を見ながら、そう呟いて苦笑いした。
数日後。
その日の天気予報は夜まで曇と出た。
何の変哲も無い平日。
レヴォルフ黒学院も、特にイベント等は無い事は分かっていた。
実行、を決意する。
陽が傾きだした頃に準備スタート。
今回は潜入だけでなくそれなりの荒事もあるので、それを想定した装備とする。
まずは特殊部隊用のフルフェイスヘルメット。
もちろん本物ではなく、ゲーム用レプリカだが、頭部を完全に覆えればいいのでこれで充分だった。
衣服は適当だが、その上に黒い全身防汚服、トライヴェックを着込む。
本来はクリーンルームでの作業等に使われる工業用品だが、体から出る繊維、塵を完全に抑える。
当然服自体からの繊維の発生も無い。
靴とグローブも同じセットで揃えれば、目的地で多少暴れた所で文字通り塵一つ落ちない。
武器は市販の標準的な煌式武装銃。ただこれを使うつもりはなかった。
主武装はこれまた普通のロッドタイプの煌式武装。
そしてもう一つ、これは煌式武装でない鋼製ナイフを1本。
これで充分のはず。
防汚服のポケットにホルダーを入れ、粘着テープを使って固定した。
これらの装備で良い所は、全て一般で手に入るので、万が一他人の手に渡ったとしても足がつきにくい所だ。
代償は涼の財布がかなり軽くなっただけ。
装備完了。
鏡で自分の姿を見ると、怪しい事この上ない。
ただこの装備なら、激しく動いた所でほとんど証拠を残さないだろう。
いや、極端な事を言えば警備隊の科学捜査班が学園に入って、生徒会室周りを徹底捜査すれば何かが出るだろう。
そして当然、レヴォルフ側がそんな事をさせるはずもない。
これでよし。
何度か鏡像展開と転移を繰り返し、自分の姿を能力に馴染ませる。問題は無かった。
後は今日、これから起こる事が学園間にどう関係するかだが・・・
涼の考える限り、表面的には大きな影響は無いだろう。
クローディアの責任にはできないので、彼女には何も言っていない。最近の涼の態度からしても、察してもいないだろう。
彼女は知らなかった事にしなければならない。
もちろん先の誘拐事件、その報復と思わせないといけないので塩梅が難しいが、そこは涼の演技次第となる。
陽が落ちた。
窓の外は薄暮のアスタリスク。
「いいだろう。やってやるさ」
能力を発動。暗くなり始めた空に飛び出した。
再び空から見下ろすレヴォルフ黒学院。
前回と違うのは、校舎の周りにちらほらと学生の姿が見える事だ。
それなりに遅い時間のはずだが、多少は真面目にクラブ活動をしてその帰りか、あるいは補習の帰りか。
これまでの偵察で決定したルートに、より慎重にアプローチする。
光学制御を行いつつ、校舎内への侵入は問題無し。
学生が残っている時間だという事は承知しているので、さらに慎重に行動する。
と言っても生徒会フロアに人影は無かった。
まあ普通の学生にとって生徒会とは縁遠い物だろう。レヴォルフなら尚更だ。
認識阻害の能力を使いつつ、前もってチェックしておいた監視カメラを避けながら生徒会室に続く通路に出る。
会長室が見えた。
そしてその扉の前には、二人の警備員。
という事は、高確率で、生徒会長が室内にいる。
忍び足で接近するが、警備員はこちらに気付いた様子は無い。
いくらこの姿を見えなくしているとはいえ、この距離で何の反応も無しとは。
ジェネステラではあるようだが、完全な荒事専門らしい。恐らくここの卒業生だろう。
大した脅威では無い。
だが、彼らを倒せば会長室に入れるかというと、それは別の問題だろう。
異常を感じた中の人間に応援を呼ばれて終わりだ。
ここからが忍耐のしどころだ。
涼の能力は、自分が認識していない所に鏡像展開できないし、転移もできない。
会長室の中がどうなっているかわからない以上、この先には進めない。
となると、誰かがあの扉を開ける必要がある。そうすれば扉の前に転移して、そのまま中に跳び込めばいい。
あるいは室内からターゲットが出てきた瞬間を狙う手もある。
何にしろ、人の出入りが全く無いとは考えられない。
その瞬間まで、何時間でも待つつもりだった。
実際は、そこまで待つ必要はなかった。
体感時間で30~40分程過ぎた時だった。
涼の見つめていた扉が開く。
「!」
中から出てきたのは小柄な女子。確か会長秘書だったはずだ。
さっと音を立てずに室内が見える場所に移動。
中に向かってぺこぺこ頭を下げている彼女の向こうには重厚なデスク。そこには小太りの赤い髪の男の姿があった。
決まりだ。
扉が閉まり始める。そのタイミングでナイフを抜きながら男の隣に鏡像展開、転移実行。
上手くいった。
扉が閉じた時、涼のナイフはディルク・エーベルヴァインの首筋に接触していた。
「動くな」
「・・・!」
背後から服の襟をつかみ、ナイフの刃を軽く引くと、一筋の赤い線が浮かぶ。
「下手な真似をすると死ぬよ。ああ、そこにいる猫さんも大人しくしな。ご主人の首が落ちるぜ」
確かに聞いていた通り、近くから妙な気配を感じる。
これが黒猫機関の者か。涼の目でもはっきりとした姿は捉えられなかった。
「貴様・・・。何者だ?」
「流石に動じませんなあ、会長さん。突然の事で失礼ではありますが、これも上からの指示なんでね」
言うまでもなく、はったりである。
「何が目的だ?」
「いやね、おたく、夏のフェニクス本戦中に競技妨害やらかしてるでしょう。星導館相手に」
「何の事だかさっぱりだな」
瞬間、涼の手が彼の頭をつかみ、机に叩きつけた。
「ちっ・・・。てめえ!」
「すみませんねえ。あんたがとぼけたらこうしろって言われてたもんでね」
これも当然嘘。涼は多少イラっとしたので、思わず手が出た。ちょっと強めに打ちつけたので、かなり痛むはずだ。
頭を引き上げると、磨き上げられたデスクに血が数滴垂れる。
「貴様・・・。影星か・・・?」
涼は否定も肯定もしない。
「どうでしょうね。まあ良く考える事をお勧めしますよ」
自由に使えない面があるとは言え、星導館の諜報機関である影星はクローディアの指示で動く場合もある。
ここは判断を混乱させておきたい所だった。
ちなみに先程からの一見チンピラじみた態度も背後関係を深読みさせる演技だった。
つまり、ロートリヒトの関係者と思わせる為。
「・・・何が望みだ」
「いやなに。次におかしな真似をしたら、これよりもっと困った事になりますよ、とまあそういう訳です」
「・・・」
「まあ返事は期待してないですがね。せめてお土産はもらっていきますよ」
そう言って今度は頭を机に押し付ける。
掴んだ髪の根元にナイフを走らせる。
癖のある赤毛がバッサリと切れて、特に後頭部の髪形がおかしな事になった。
切った髪をポケットに入れると、大体の予定は完了。
部屋の扉に目をやって集中し、その向こう側を意識する。
入った時とは違い、今度は扉の向こうの様子は知っている。この短距離、障壁があっても集中すれば転移は可能のはず。その為の練習もしてきたが―――よし、いける。
転移成功。
涼は生徒会長室前の通路に立っていた。
「なっ!?何者だ!」
警備員が気付く。面倒になった涼は認識阻害を発動。姿を消した。
数分後。
前もって用意しておいたセーフハウス(といっても再開発エリアの廃屋)で装備の処分をする。
使わなかった煌式武装はそのままで、ナイフは刃を折って下水道に別々に放り込む。
服とヘルメットは適当な鉄の箱に入れると、ハンディ・バーナーで焼く。
可燃性ではないので燃えて灰になる訳ではないが、変質してしまうのでこれで充分。
『お土産』の方は、ビニールパックに入れて持ち帰る事にする。何しろ奴のDNAが手に入った事になるので、何かの役には立つかもしれない。
計画していた事のほとんどが終わった。後は帰還するだけ。
そこまで大きく息を吐く。意識はしなくてもかなり緊張していた。
涼は暗い、いや黒い空を見上げると、その姿を消した。