「お父さんやお母さんから聞いているかもしれませんが、子供を狙う怖い人がまだ捕まっていませんので、放課後は一人で遊びに行かないように」
6月に入っている。五月までとは比べ物にならないほど気温が上がり、毎日暑い日が続いている。そんな中、この小学校のある教室では帰りの会が行われていた。
「プリントを配ります。言えるかな、『いかのおすし』。いか…知らない人についていかない!の…知らない人の車にのらない!お…大声を出す!す…すぐに逃げる!し…近くの人に知らせる!」
「あれだろ、ハンニンって家の中までほうちょー持って追いかけて来るんだろ?」
「えー、家の中までー?」
下校中、数人のグループが先ほど話題に上がった不審者についての話をしていた。背負っているランドセルには「2年生」と書いてある。
「ちょっとショウくんやめなよ、ミカが怖がってんじゃん!」
「へへへ、リンは強いよなー。じゃーな!」
一緒に話していた男子たちが道を分かれてそれぞれの家の方へ帰っていく。
「リンちゃん、今日ウチでゲームしない?」
「あーごめん、私おるすばんなんだー」
「ひとりで?すごいねー!」
「うん、でも夜までだから大したことないよー」
「まず、ひとりで帰って来たことを知られないように。なるべく素早くカギを出して、家族がいるかのように…」
私は首に下げていた鍵を急いで服の下から取り出し、さっと鍵を開けた。これもお母さんや先生から教えてもらった、不審者避けの方法らしい。
「ただいまー!」
元気に挨拶して、ドアを閉める。
家に入ると、誰も居ないから当たり前なんだけどしーんと静まり返っていて、心なしかいつもよりも暗いような気がする。
やっぱ誰も居ないおうちはちょっと怖いな…ひとりでおるすばんなんてあんまりしないし…。
手を洗おうと台所へ行くと、机の上に何か紙が置いてあった。お母さんの字だ。
「おばあちゃんの病院にいってきます。ヒロコおばさんが7時にはきてくれるそうなので、それまで待っててね」と書いてある。
「やった、ヒロコおばさんが来てくれる」
私は机の上にある写真立てを見た。そこには私と、いとこのお母さんのヒロコおばさんが写っている。去年、みんなで遊園地に行ったときに撮ったものだ。
ヒロコおばさんは優しいし、かわいいから大好きだ。
「テレビつけて本読んでたら、7時なんてすぐよね」
そう言いながら私は台所の窓を開けて、手を洗った。そして茶の間にお菓子のビスケットとジュースを出して、今日学校の図書館で借りた本を読む。
…ピンポーン ピンポーン
「ん…寝ちゃってた…」
いつの間にか私は寝てしまっていたらしい。時計を見ると、時刻は6時を指していた。
「あ!ヒロコおばさんだ」
約束の時間より早いけれど、きっと私を心配してはやく来てくれたんだ。
私は急いで起きると、壁に設置してある呼び出し機のボタンを押して出る。
ピンポーン ピンポーン
「はいはーいヒロコおばさーん!待ってたよ、今玄関開け…あれ?」
しかし、インターホンのモニターを見ても、画面は真っ暗で何も映っていない。
「なんでモニター画面映らないんだろ?おばさん、壊れちゃった!」
「はいはーいヒロコおばさーん」
すると、マイク越しにそう聞こえてきた。でも、何だかおかしいな…いつものおばさんの声じゃない…。
「おばさん風邪ひいてるの?声枯れてるよ…」
「はいはーいヒロコおばさーん」
そう言いながら、向こうに居るおばさんは何度もチャイムを鳴らし、同じことを何回も言っている。私もさすがにちょっと怖くなって、一歩後ろへ退いた。
「なによぉ…はは…おばさん、さっきから同じことばっかり…」
そして静かに玄関に向かって歩いていく。
「はいはーいヒロコおばさーん」
「はいはーいヒロコおばさーん」
「はいはーいヒロコおばさーん」
「なんでおばさん、同じ事しか言わないの…?ふ、ふざけないで…」
そこで私をぎょっとして立ち止まってしまった。
玄関のドアのすりガラスの向こうには人影が立っていて、インターホンのある場所へ手をやっていた。でも、その人影は真っ黒で、手足が長く、背もドアよりずっと高い。
「あれ…なに…?」
私は写真に写るヒロコおばさんを思い出した。全然違う。
「ヒロコおばさんじゃない…じゃあ、あれ、誰…?」
急に言いようのない恐怖が襲った。帰り道に友達の男子が言っていたことを思い出す。「ハンニン家の中までホウチョー持って追いかけて来るんだろ?」
「うそ…子供を殺す…ハンニン…!」
眼に涙が溜まり、足が震えて来る。
その時だった。黒い影は手をインターホンの場所からはずし、ゆっくりと下に降ろしてドアノブにかけた。
「はいはーいヒロコおばさーん」
あ、あたし、カギ閉めるの忘れてる!チェーンもぶら下がっている。
そう気づいた時には少し遅かった。人影はドアノブを回し、ドアをゆっくりと開けた。
「はいはーい」
ドアの隙間から黒い人影の正体が少しだけ見えた。
そのとたん、私は半狂乱になって、ドアに向かって駆けだした。
「うわああああああああああああ!!」
あわててドアを閉め、渾身の力で引っ張る。
「ヒ ロ コ」
しかし、またゆっくりとドアが開けられ、枯れたような声が聞こえた。
「おば さ あ あ あん」
真っ白い顔に浮かび上がる黄色い目が、私を見下ろすように見つめていた。すっかり恐怖に心を支配された私はそれが何かも確かめることなく、もう一度ドアを閉め、今度こそ鍵を閉めた。
やった…。目を閉じて息を切らす。
ドォン ドンドンドンドン
「ああけてええええ!!あそんでよおおおおお!!」
「きゃあああああああ!」
しかし、ドアの向こうのお化けはドアを何度も大きな音を立てて叩いた。驚いた私は叫びながらそこを離れる。
はやく、はやくどこかに行って!!
そう心の中で願いながらうずくなっていると、急にしんと音が止んだ。
「どっか…あいてるね…」
お化けはそう呟くと、玄関の前から離れて、ひゅっとどこかへ消えた。
「あいてる…?」
そこで私ははっと思い出してしまった。たしか、台所の窓…暑いからって開けたままだった!
「だいどころ!」
一方その頃、イナミ亭では。
「う~ん、今さらつけ麺開発は難しいんじゃねぇか?」
「くそう~やっぱりか…」
どうやら店の調理場では五良と父親の栄五が新メニューの開発の勤しんでいた。台の上にはすでに麺の伸びきった失敗作のメニューがいくつか置かれており、それほどまでに開発が難航しているのが分かる。
「じゃあよ、じゃあよ、ラーメンの上にブランデーを流して火をつけるのよ」
「味も変わってねぇのにパフォーマンスしたってなァ…」
「あれ何やってんの?」
凪がカウンターに立っている金剛にそう聞いた。
「新メニューの開発ですって。新しいラーメン屋に客を取られてるから…」
凪はふーん、と言ったように頷いた。
「カナエさん、すまねぇが出前のどんぶり下げてきてくれ」
「はーい」
一応、金剛が艦娘であるという事は栄五には秘密という事になっており、人間生活に紛れていたころの名前を使っているようだ。金剛は返事をすると外へ出る支度を始めた。
「なに、どんぶり取りに行くの?おつきあいしましょー」
「ええ、いいですよ」
「凪、おめーよっぽどヒマなのなー、とっとと帰りゃいいのによ」
「うるせーい」
金剛と凪は二人で店を出る。
「ほんとにいいのかしら?」
「だってほーんとに暇なのよ。どこん家だっけ?」
「えーと、西の…」
「はいはーい」
私は急いで台所にまで走っていく。敷いてあるマットに足を引っかけて躓きそうになるが、なんとか台所の窓の前まで来れた。その時、丁度窓の向こうから大きな黒い影と細長い腕がさっと現れた。
「ヒロコおばさーん」
なんなのアレ?おうちに入ろうとしてる!
「だめ!だめええええ!!」
ピシャ。
思い切り窓を閉めた。やった…?と思いながらもつぶっていた目を開けると、私は心の底から目を開けた事を後悔した。窓には大きな顔が挟まっていたのだ。
その顔は真っ白で、ヒビのような模様が入っている。黄色い目に緑色の瞳が光り、茶色の髪の毛が風で顔にへばりついている。
「いったぁ…え」
顔はそう言いながらミシミシと少しずつ私の力を押しやって窓を開けようとしている。
「ねぇ…ここ開けてよぉ…」
「あ…あ…」
「あそんでよぉ、あそんでよぉ…この手が入るだけ…なぁ…開けてほしいよぉお…!」
「もう…どうしていいのかわからないよ。ママぁ…ヒロコおばさん…」
「あけてよぉお…」
「わかんないよぅ~…」
「どんぶり下げるのこのウチでいいんだよね?」
「ええ、ここに」
凪と金剛の二人が出前を下げにやって来たのは、例のリンの家だった。
「こんなことに付き合ってもらっちゃって…」
「ははは、暇だったかんね…って」
そこで凪が異常に気付いた。金剛も凪に続いて気が付いた。この家の玄関のドアや周りの壁が大きく凹み、すりガラスが粉々に割れている。まるで何者かが強力な力で何度も殴りつけたかのようだ。
「なにこれ…?」
「これは…赤い水…?まさか…話に聞いた”海巡種”!?」
金剛はドアのへこんだ箇所に赤っぽい液体が付着しているのを発見した。そしてよく見ると、足元には赤い足跡がくっきりと残っていた。
「大きな足跡…こっちだわ!」
足跡はその場で何度も足踏みしたかのように何か所もついており、そして移動したのか、横に向かって伸びているではないか。金剛はまさか、と思いながら足跡を追う事にした。
足跡は家をぐるりと回りながら正反対の場所へと続いており、足跡はそこに有る窓の下で途切れていた。
「窓が開いてるわ!」
「ひょっとしたら中の人に危険が!助けないと!!」
二人が慌てるようにして窓から家の中へ入る。すると、すぐそばから子供の泣き声のような音が聞こえて来るではないか。
ふとその方へ目を向けると、小学生低学年ぐらいの女の子が冷蔵庫の影でうずくまっていた。
「だ、大丈夫?」
凪が駆け寄ると、その女の子はうんうんと何度もうなづいた。
「何があったか言える?」
「…変なヒトがおうちに入ってきそうになって…おねえちゃんたちの声がして…逃げていったの…」
「そう…よかったね」
と言いながら凪がその子の頭を撫でながら言ってやると、女の子は安心しきったのか再び大声で泣きながら抱き付いた。
「どうする、金剛ちゃん…この子ここに置いとけないよね」
「そうですねぇ、お母さんに連絡して”イナミ亭”に連れて行きましょうか」
「連絡できましたか?」
「うん、お母さんがイナミ亭を知ってたよ」
二人はリンと名乗った女の子と手をつなぎながら、玄関から外へ出る。玄関はボコボコだが開かなくなっていたりということは無かった。
「リンちゃん…だっけ、ちょっとお母さんをラーメン屋さんで待っててくれるかな?」
「うん!」
「もう…ほんとに怖い目に遭ったよね…」
「かわいそうに…」
「あれー、だめじゃん金剛ちゃん」
「え?」
「あたしらどんぶり下げに来たんだよ」
凪がそう言った。
「ああ~…」
「先に行ってて、私が取ってきたげる」
「ありがとうございます…頑張ってね」
「そっちこそね」
ミーンミーン ジーワジーワ…
金剛とリンの二人は公園のすぐ横の道を通っていた。木にとまっているセミがうるさく鳴いている。
「今日…あのおうちに帰れる?」
「そう思うけども…どうしてかな?」
「だってあのおうち好きなの…いごこちがいいし、食べ物もおいしいし、なにより服が可愛いんだもん、ずうーっとあんなおうちに住みたかった…。自分があんなおうちの子供だったら、どんなにいいだろうって思ってたんだ」
「…そうなんだ。あ、この公園を突っ切るのが近道だから、こっちから行こうか」
「うん」
二人は公園に入っていった。もう時刻は6時を回っていたからか、子供や人は誰も居ない。虫の声以外はとても静かだった。
ピロロロロ…
「あら、電話ですね」
金剛はポケットから携帯電話を取り出して電話に出た。
「はい…そうですか、私もです」
金剛が電話をしている後ろで、ベンチに座っていたリンはふと立ち上がった。ゆらりと揺れながら足を踏み出し、口をかっぱりと大きく開いた。
するとその身体が徐々に大きくなり、筋肉質な猿のように変貌を遂げる。頭に付いた電探パーツが現れ、黄色い目を光らせた。
「艦娘だよ…いずれ私の正体に気付くねぇ…その前に、殺してしまうかよォ!?」
手に大きな包丁を握り、金剛の後頭部を背後から串刺しにしようと襲い掛かる。
「雪風、そこまでデスよ」
「…な!?」
金剛に名を看破され、狼狽える雪風。その瞬間、どこからともなく別の影が現れ、包丁を持っている腕を蹴って逸らして見せた。
叢雲であった。叢雲が現れ、雪風の前に立ちはだかる。
「艦娘は希望の象徴…人に寄り添うべき存在…それが、実際に力で傷つけてどうするの?」
再び飛び上がり、雪風の顔面を足で蹴り上げた。
「ぶげ…ぬ、ぬかせえ!!」
雪風はもう一度包丁を握り直し、それで叢雲を斬りつけようとする。しかし、叢雲は間一髪でかわし、宙を舞った。避けられたか、というように顔をしかめると、雪風は叢雲を追ってそちらへ体を向ける。
その瞬間だった。
「テメェ、小せぇ子をすげぇ怖がらせたんだってな…」
突如茂みの中から現れた五良が、ドリルの槍を握り、頭の上へ大きく振りかぶった。
「ゴキゲンだぜ!」
それを振り下ろし、雪風の脳天へと命中させた。
雪風はふらふらと後ろへ後ずさり、どさっと座り込んだ。
「な、なんでわかった…?」
「アナタが私と凪ちゃんに連れられて台所から玄関へ向かう時、泥の足跡がついてマシタ…どうやらアナタはあの家に入るとき、裸足だった様子」
「あ」
「ちなみにさっきの電話はアナタが入れ替わった女の子を救出し、五良と叢雲にそれを伝えたという電話だったのデス」
「しょ…しょんなぁ…」
雪風の身体から蒸気が噴出し、彼女はどっと倒れ込んでしまった。
ピンポーン ピンポーン
「あ…いけない、寝ちゃってた…」
リンはインターホンの音に慌てて飛び起きると、時計を見る。時計は夜の7時を指していた。
「あ、ヒロコおばさんだ!」
走って玄関まで行き、玄関を見る。心なしか前よりも綺麗になったような気がする玄関のすりガラスには、自分のよく知るヒ
ロコおばさんが立っていた。
「リンちゃん、ひとりでお留守番えらかったぞ~」
「へ~、イヤ~な夢見たねリン」
おばさんが作ってくれた晩ごはんを食べながら、私はさっき見た夢について話した。
「うん、それでその後に悪い雪風ちゃんって女の子が謝りに来てくれたんだから」
私は笑顔でそう話しながら、ハンバーグを口いっぱいに頬張りました。