「匂う、臭うぜえええ…」
深夜の事であった。五良たちの住んでいる町の近くの海岸の海面に、大きな背びれのようなものが飛び出していた。生憎、ここは深夜帯であれば車は全く通らず、光に照らされることも誰にも見られることなく、その背びれはゆっくりと浜辺へ向かって動いていた。
「匂うぜ、あっちの方…人間の匂いがよォ…」
そう呟きながら。
やがて背びれの持ち主は浜辺に上陸した。鮫にそっくりな頭部には目が四つあり、ノコギリのように並んだ歯を剥き出している。確かに頭部から首にかけては鮫に似ており背びれも存在するが、それより下…胴体は奇妙であった。人間のように発達した両腕、足はヒレのようになっているもののしっかりとその巨大な体を支えている。
魚人のような風貌の生物は浜辺をのし歩き、そのまま夜の闇の中へ消えていった。
──────────
「へいらっしゃい!」
日曜の昼時は決まってどこの飯屋も混むだろう。今日の「イナミ亭」も例外ではなかった。
「ゴローちゃん、こっちみそね」
「へい!」
「ゴローちゃんこっち野菜マシね」
「へいへい!」
「コラ五良!客さんに出すどんぶり溜まってんじゃねぇか、はよ持っていけ!!」
店中を駆け回るように注文を聞きながらラーメンを運び、厨房内でせわしなくラーメンを作る父親の栄五。
「あーもううるっせーな、今やるよ!」
「お会計ー」
「へい、850円になりやす」
「なぁそれにしても五良…」
「なんでぇ親父…」
「忙しすぎないか?」
「忙しすぎるぜ!」
「ちょっと五良!出番よ!」
とその時、戸を勢いよく開けて五良の名を呼んだのは、凪であった。息を切らしており、どうやら急ぎのようだ。
「なんでぇ凪…俺ァ今見てのとおり暇だらけなのよ…おめぇに付き合ってる暇なん…」
「いいから来なさい!」
凪に腕を掴まれ、引きずられるまま店の外へと連れ出される五良。
「晩飯時までには帰って来いよ~」
「で、何だってんだよ?」
「出たのよ、新型の深海棲艦が!」
「マジか?」
二人は走りながら横須賀鎮守府へと向かう。敷地までたどり着くと、二本の槍を背中に装備した叢雲が軽トラックの上に立ち、こちらを見ていた。
「来たわね、仕事よ。また新型の敵が現れたわ」
「マジかよ…」
叢雲は軽トラの運転席に乗り込み、エンジンをかける。助手席に五良が乗ろうとすると、凪も一緒に乗ってきた。
「なんでおめぇも来んだよ、狭いだろ!」
「良いでしょ別に~」
「…もう時間が無いから行くわよ。今回のはちょっと最悪かもね…人を襲ってる」
「人を?死人も出てるのか…?」
「かもね。私も送られてきた写真でしか見てないけど」
「…前も言ったが、ソイツがあまりにデカくて強そうだったら…俺ァ逃げるぜ」
敵がいるとされる場所へ向けて、軽トラが動き出した。
「なぁ龍田、奴らまたどっか行っちまったぜ」
「そうねぇ~」
その様子を宿舎の窓から眺めていた天龍と龍田。
「こりゃ付いていってみるしかねぇな!」
「本当なんだって、おまわりさん~」
「って、言われてもねぇ…」
荒らされた工場の駐車場で、一人の男性と警官が話をしている。
「信じてくれよ、でっかいサメみたいなのが上から降ってきて、トラック全部ひっくり返しちまったんだよ…」
この男性の証言に間違いはない。その巨大な鮫は現在もこの付近を移動しながら潜伏しており、今まさにその牙を向けようとしていた。
とあるデパートの屋上から下を見渡す、鮫頭の魚人。その手には死にかけの大きな犬が握られており…千切れた首輪からして飼い犬だったのだろうか。その犬を口に放り込み、数度咀嚼してから飲み込むと、下へ向けて血と骨を吐き出した。
「んん~~やっぱうめぇわ、弱い奴を弄って喰うのはよ…。どれ、ここは人間どもも掃いて捨てるほどいるようだし次はアイツらだな」
「…何だアレ?」
通行人は上から降ってくる大きな物体を指差した。怪物は信号機の上に降り立つと、そこからデパートのガラスの壁に向かって飛び跳ねた。
「きゃあああ!」
「まず一人~」
デパートの中に上半身だけを突っ込み、何かを探るように腕を回した。今度は片腕で壁に捕まり、まるで猿のようにぶら下がった。もう片手には一人の女性が握られていた。
「オラ、他の奴は逃げてみろよ。せっかくここまで来たんだ…ゆっくり、楽しもうぜ?」
牙だらけの口を開け、いよいよ女性を手から離し口に放り込もうとしたその時。デパートの中で、その場から逃げずに立ち尽くす子供の姿があった。
「お…お母さああああん!!」
「あの子は…!」
逃げ惑う外の人々の中に混じっていた金剛は怪物の身体の隙間からチラッと見えた女性と子供に見覚えがあった。隣に住んでいる、あの親子だ!
「危ないわ…」
金剛は移動する群衆の波に逆らって無理やりデパートへと入り込む。既に中にはほとんど人がおらず、全速力でエスカレーターを駆け上がる。確かさっきの場所は4階…服売り場だ。
「マーくん!!」
金剛はその場へたどり着くと、マーくんは消火器を抱えるようにして持っていた。自分の母親を助けるべく、恐怖を押し殺して子供ながらにして怪物へ立ち向かおうとしていたのだ。
金剛はこのままでは危ないと思い、もう一度走り出した。しかり、その間にマーくんはその消火器を、母親を掴んでいる方の腕にぶつける。
「イテェな、ぎゃはははは!!」
だがそんなものは意に介さず、もう片方の腕で軽くマーくんを殴りつけた。それを見た金剛は思わず絶句してしまう。
一方、騒ぎの起こった現場へと駆けつけた叢雲たち。叢雲と凪は、デパートの壁に見える怪物を見ていた。
「デカいわね…」
「しかも強そう…」
「大丈夫!?しっかりして…」
金剛は急いでマーくんの所へ駆けつけた。服が積み重ねてある棚にぶつかったようで、気を失っているが別状は無い。きっと殴られた時も消火器が盾になったのだろう。
「はっはァ、何だ女…だったら三匹まとめて喰ってやるぜ」
咄嗟にマーくんを抱え、背中を向ける金剛。その背中を、怪物の巨大な拳が激突した。
「ひどい…あの変なの、遊び半分であの人たちをなぶってる…」
「アレは金剛…!」
「五良、アンタこれ見ても何も感じないの!?アンタが行かないなら私が行くよ!」
「ええ、私の槍を一本貸すから前みたいに…」
が、凪と叢雲が気が付いた時には五良はすでに車の中には居なかった。
「あの男ならとっくに出ていったぜ?」
「あ、どちらさん…?」
開けられた車の窓からこちらを覗きこんでいる二人組。
「俺たちは天龍と龍田」
「ごめんねぇ、ここまで付いてきちゃった」
金剛は一度殴られただけで戦意を喪失し、その場でへたり込んでしまった。かつての自分であれば、こんな敵に臆することなく立ち向かい、勝利していただろう。しかし、10年以上もの間、無理に人間に合わせて生活し、人造人間の能力すら衰えさせ、その過程ですり減った精神はいとも簡単に折れてしまった。
「なァおい女と子供…教えてやんぜ。どん底まで弱ぇ奴にゃ、運の神様までそっぽを向く!おめぇにゃ何の助けも来ねぇのさ!!」
怪物はさらに身を乗り出し、顔を金剛へと近づける。
「あばよ、みんな食ってやっから腹ン中で仲良くやんな!!」
怪物が拳を振り上げたその瞬間、金剛は死を覚悟した。
確かに今の自分は弱い。かと言って強くなっても、今さら何になるのだろう。この時代、もう艦娘は誰からも求められていないのはよくわかってる。だから強くなったところで、何も…。
「てめえ、ゴルア!!」
突如耳に大きく響いたその一声。金剛が声のする方を見ようと首を回し、まず敵に目を移した瞬間。
怪物の鮫頭の頬に拳を深くめり込ませる一つの影。五良だ。そのまま五良は腕に力を込め、思い切り怪物を殴りつけた。
「何だァ、テメェは~~!?」
「面白れぇケンカ、してんじゃねぇか」
「おっとっと」
車から降りた叢雲は、殴られた怪物の腕から放り出されたマーくんの母親をキャッチすることに成功した。
「でも、なんで五良が…大きくて強い敵では逃げるって言ってたのに…」
叢雲が思わず疑問を口にする。
「うん…でも五良は、勝てない喧嘩はしないんだよ!」
「おいテメェ、まさかこんなヘボパンチでそのガキと女助けようってんじゃねぇんだろうなァ。1人は落っことしちまったけどよ」
「うるせぇな、誰がこんな奴ら助けるかよ」
確かに五良のパンチは怪物の顔を押す程度ではあったが、それきりだった。
「五良!」
その時、怪物の背後から叢雲が現れた。艦娘特有の身体能力を使い、信号機から壁を上って来たのだ。そして例の金色のドリルの槍を五良へ向けて投げた。
床に刺さった槍を手に取り、それを向けながら突撃する。
「バカな人間だぜ、そんな武器でわざわざくたばりに来るんかよ!」
怪物はもう一度拳を振り上げ、それを渾身の力で叩きつけた。床が衝撃で崩れ、瓦礫が五良を襲う。だが寸前でマーくんと金剛を瓦礫から守り、その瓦礫に埋もれてしまった。槍は五良の手から離れ、離れた場所へ転がってしまう。
「かかかかかか!気持ちいいぜ、俺のパンチで一発よ。やっぱあんなヘボパンチとは大違いだな。でも、あのガキ共も潰しちまったかな…」
起き上がろうとする金剛に、五良はまだ起きるなと頭を抑えた。
「え…?」
「こんなの、へでもねぇよ…」
「何抜かしてんだ人間!俺ァそのガキと女が気に入った!ソイツら寄越せばお前は助けてやんぜ、ホラ!」
震える金剛の肩を掴み、そっと耳元で囁いた。
「アイツの思い通りに成ると思ってんのか?でもよ、そんなんじゃ、面白くねぇだろ…」
五良は金剛を瓦礫の影に隠したまま起き上がり、立ち上がる。
「よォ、よく聞きやがれサメ野郎!!この稲見五良、クソがつくほどへそ曲がりなんでぇ!何かしてくれって言われりゃあ素直にやりたかねーし、ガキと女寄越せと言われりゃあ…やれねぇなぁ!」
「そーかよ!ならそこで死んじまえ~!!」
怪物はそう言い放つと同時に拳を振り下ろした。しかし、五良は横に走ってそれを避け、その太い腕に飛び乗った。更に腕を駆け上がり、怪物の頭部を両手で掴んだ。
「けっ、それがどーしたよ!?武器もねーでおめぇが…」
「…女と小せぇのを転がして遊んで笑いやがってよ…そんな最高なクソ野郎には…武器なんざいらねぇよ!」
「何だ、何だオメェ…まさか、おいおい!!」
五良は頭の上に立ち、そのまま拳を振り上げ、渾身の力を込めて振り下ろした。拳は怪物の鼻先にめり込み、顔を潰していく。怪物はバランスを崩し、上半身を壁に突っ込んだ状態から外れて下へと落下していった。それに五良もついていき、倒れ込んだ怪物の胸の上に着地する。
「なんで…だ…何で人間の癖に…そんな体張るんだよ…」
「テメェのケンカが、気に入らなかったからだ…」
「へへ、へ…信じ…らんねぇ…ぜ…」
怪物は蒸発するように大量の煙を発しながらその身体を溶かしていく。その勢いで五良は吹き飛ばされてしまうが、上手く凪がキャッチした。
消えた怪物が居た場所には、死に絶えた一匹の鮫が横たわっていた。
「こんなサメが…正体だったなんて…」
叢雲は鮫の体に付着している赤い液体に触れながらそう言った。血ではなさそうだ…と思った瞬間、触れた自分の指先が黒く変色し始めていることに気付く。慌てて液体をふき取り、不思議そうな目でサメの死骸を見つめる。
「ありがとうございます!」
その時、五良の腕を、先ほどのマーくんの母親が掴みながら礼を述べる。怪我は無さそうだ。
「ああ、礼はそこの銀髪女に言ってくれッスよ…」
「ありがとうございます…」
「え、ええ…私もいいのよ、当然のことをしたまでだから」
その様子を、トラックに寄りかかりながら後ろから見ている天龍と龍田。
「お母さん!」
「マサヤ!」
デパートの出口から金剛とマーくんが歩いてきた。マーくんは急いで母親の元へ駆け寄り、金剛はいぶかしげな顔でゆっくりと歩いてくる。
「さて、私たちも帰ろうよ五良」
「ああ…」
叢雲、五良、凪はトラックに乗り込み、帰る用意を始める。
「ちょっと待ってよ…」
「ん?どうかした?」
金剛は叢雲を引き留め、叢雲は窓を開けた。
「叢雲…貴方、前よりも強くなってたわね…。でも私には、なんでそこまでして貴方が強くなろうとするのか分からないわ…教えてくれないかしら?強くなって一体何になるって言うのよ?」
叢雲は金剛の真剣な表情を見て、エンジンを掛けながら少し笑って言った。
「そうねぇ…強くなったら、弱い者の代わりに戦う事が出来るわね」
「…!」
その言葉を聞いた金剛はもちろんの事、こっそりと聞き耳を立てていた天龍と龍田も思わず固まってしまう。
「じゃあね」
走りゆく軽トラを見つめながら、金剛はうつむいた。しばらくしてから、天龍と龍田と共に、先ほど五良たちに助けられた親子の方を振り向く。
「強くなったら、弱い者の代わりに戦える、かぁ…」
確かに、あの人たちは戦う術を持たない母子の代わりに怪物と戦っていた。その結果、母子は守られ、こうして生きている。
金剛は寂しそうな目で親子を眺め、そして振り向くと、決意を固めたような清々しい顔で顔で歩き出す。もうその顔には、先ほどまでの暗さは感じられなかった。
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その後、横須賀鎮守府に、新たな艦娘が配属となった。
「ヘイ、皆サンお久しブリー!金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」