作品は多くの目を通ったほうがより客観的な意見を得ることができる。
事象に関しても語彙に関しても人によってまちまちで広義の解釈もできる場合があるし狭義の場合もある。
そのことを踏まえてエメラルド編集部では全員でネームを見て意見を交わすことを常としていた。
中学・高校生対象の漫画だけにどうしてもその年頃独特の感覚や行動がある。
多くの年代と接する大人社会とは異なるその社会は、とても狭く良くも悪くも閉鎖的で抑圧されていると言わざるを得ない。
懐かしいなぁと誰もが思うあの年代。
閉塞感から逃げ出したかったはずなのに、ちょっとした刺激でいつでも簡単に思考はそこに戻ることができる。
甘酸っぱいとはまさにその通り、怖いものばかりなのに怖いものがない、そんな矛盾だらけの不安定な時間を誰もが過ごしたはずなのだ。
「今回の山田先生のネーム、いいね。女子高って、なんとも禁断の園って感じだよね。」
美濃の感想は男子なら誰もが一度は思うことだろう。みなうんうんとうなずいている。
「男子校だとさあ、体育の後の教室なんて脂汗と制汗剤の臭いで、もうグッチャグチャだけど、
女子ばかりだとバニラみたいな匂いがするんじゃないかな?」
会議机の上の自分のピンクのペンケースをもてあそびながら木佐が言うと
「幻想見すぎじゃない?」と一斉にみな突っ込み笑う。
まあ・・・、結局誰も女子高のことなど知らないのだ。
エメ編には女性は一人もいない。
「そういえば以前佐藤先生が、女の子ばかりだと恥じらいが無くなるから少しは男子がいたほうがいいって言ってましたよ。」
思い出したように小野寺が言う。
女子高の何んたるかを知らない面々は、それにはウーンと唸るしかなかった。
「女子高だとおねえさま、なんて言ってるかわいい後輩がいるイメージだけどね。律ちゃんって共学?」
木佐が小野寺に話を返す。
「俺ですか?ええ、ずっと共学です。」
小野寺は一人ひそかに『後輩』というワードに反応しながら、書記としてその打ち合わせの内容を漏らさず打ち込むためにパソコン画面から目を離さず簡単に言葉を返した。
中学まではイマージョンプログラムを扱う私立の学校に通っていた。中学からは一貫教育をしているあの学校へ。そして高校は一年の1学期だけ通いその後は留学。インターナショナルバカロレア試験を経て大学もそのまま向こうだった。
経歴を聞かれても説明が面倒で笑ってごまかすことが多かったのだ。
「律ちゃんいかにも私立って感じだけどね。」
「木佐さんそれは偏見です。そりゃ私立の一貫校でしたけど・・・。」
資料を見ながら、入力の手を緩めずに再度小野寺は木佐に答える。
高校に関しては通ったといえるほどの時間を過ごしていない。
一貫校ゆえ思い出深い学び舎ではあったが、楽しい思い出より辛い記憶が大きすぎて呼び戻すことは控えている。
「一貫?そうなんだ。偏差値の高いとこ?」
「偏差値ですか?どうでしょうか。昔とは違ってますからね。もうわかりません。」
出来れば早くこの話題から離れたかった。
どうしたってその時の自分にはあの人が重なる。
ぐるぐるとした思考が脳の側頭葉の海馬をめぐる。
「イイトコの学校でしょ?」
話の終わらない木佐からの矛先をそらすことばかりを考えて油断した口から、発する予定のない言葉がこぼれた。
「高野さんにも聞いたらいいじゃないですか?」
「え!??」
小野寺の発言に一同なんで?と高野に視線を注ぐ。
高野は突然自分に振られて素で目を見張った。
「俺、そこ、高一の1学期までしか行ってないので・・・。」
言葉を続けながら先程の言葉を心で反芻した小野寺ははじめて顔を上げ、大きな失言に「しまった」という顔をした。
「あ、あ、あ、あの・・・。」
「律、失言!ペナルティだからな。」
突然の高野の「律」呼びにも反応できないほど小野寺はうろたえていた。
「先輩ごめんなさい!」
そしてさらなる失言を発し、エメ編のメンバーには困惑に勝る好奇の目が輝き、(気持ちの上では)すでに収集のつかない状態に陥ったのだった。
単なる上司と部下という関係だけでは納得できない特別な雰囲気を察していたメンバーだったが、
高野のざっくりとした説明で、二人が実は同じ中高一貫校で知り合いだったと知らされ途方もなく驚いた。
しかしそうであれば納得できる。先輩後輩の中だからこそあのテンションなのだろう。
たまに小野寺の発する「アンタ!」発言を思い出して腑に落ちたのだった。
「高校生のときの高野さんってどんな感じだったか教えてくれ。」
羽鳥が(表面的には)いつもと同じ落ち着いたままのテンションで(メモをもって)食いついてくる。
「どんなと言われましても学年も違いますし・・・。」
小野寺はもごもごと言いよどむ。
これ以上の失言は避けたい。
特に高野が小野寺の初恋の人で、二人が短い期間とはいえ恋人同士だったことなど悟られたら羞恥でもう会社には来れない。
なにより自分の知っているかつての先輩とここにいる横暴セクハラ上司とはあまりにもかけ離れている。
あの頃の嵯峨先輩は・・・。
「寡黙でした」
つい、という風に言葉が口からこぼれ出た。
その表情は花ほころぶとはまさにこれという雰囲気で、とてもいつもの小野寺とは思えず一同息を呑んだ。
「それから背が高かったです。」
「本をとってくれました。」
伏せられた睫がフルリと震えて頬を朱に染める。
「爽やかで・・・。」
更には遠い目をしてホウとため息をもらした。
「涼しげで・・・、優しくて・・・。」
どんどん思い出の世界に旅立つ小野寺の口からは徐々に形容詞が増えていく。
「いつも図書室の窓際の席で一人本を読んでいました。すごくすてk「それで!いつもおまえがストーカーでな!」」
「た!高野さん!」
バシッと頭に衝撃が走って見上げると、そこにはこめかみに青筋を立て、頭から湯気を出さんばかりに怒りをあわらにした編集長が仁王立ちをしていた。
「おまえ放っとくと何言い出すかわかんない。自覚ある?!」
「(は!俺は何を言おうとしていたんだ!)・・・。」
しかしうろたえながらもまだ織田律を引きずったままの小野寺は、現実には戻りきれず思い出の海を漂っていた。
かつて、先輩はいつも物悲しい目をしをしていた。
いつもあきらめているようで、でも何かを探しているようで、現実と夢想の間に存在しているような人だった。
だからいつも先輩のそばで先輩の話を聞いてあげたかった。
先輩が寂しくないようにいつでも背中をさすってあげたかった。
なのに、なのになんであんな欲張りな気持ちを持ったんだろう。
なんであのときに勘違いをしたんだろう。
なんでそれでもいいって思えなかったんだろう。
みんなみんな俺が・・・。
俺は、俺は、いつでも後悔ばかりしている。心は涙に濡れた。
「ん?律ちゃん熱ある?」
木佐が背中をポンポンと叩きながらぼそりとつぶやいた。
思い出に煽られて熱を出したのか、熱が出たから思い出に涙したのか、実際はどちらかはわからない。
小野寺はそのままパソコンのキーボードに顔をうずめ、きゅうっ~と音を立てるように倒れてしまったのだった。
「なんだか変だと思ったら発熱かよ!どうりで・・・。」
ツルリと秘密を暴露した小野寺を、高野がヤレヤレとあきれた目で見る。
「律ちゃんって昔からかわいかったの?」
木佐がニヤニヤと含み笑いをしながら聞くので
「俺が惚れたぐらいだからな。」
高野はまれに見るほどのどや顔でさも当然だとそう答えた。
エメ編は今日も平和だ。
そして現在、小野寺は隣人であり元恋人の愛ににさらされて、身動きもできないほどの苦しさを全身に感じていた。
明日の出社が恐ろしい・・・。
今日も一人後悔にさいなまれる小野寺律であった。