こちら、つごもり眼鏡店   作:みょん!

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こちら、つごもり眼鏡店

 とある町の、とある駅前に。

 小さな眼鏡屋さんがありました。

 歩道から見えるショーウィンドウには、修理用の工具と、古ぼけた展示用のマネキンと、ケースに入ったいくつかの展示用の眼鏡。

 

 そこは、どの町にもひとつはある年季の入った眼鏡屋さん。

 ただひとつだけ、他と違っているところがあるとすれば――――。

 

 『あなたの価値観、直します』

 

 見慣れない文句の張り紙が、入り口に張られているくらいでしょうか。

 

 

 

 【こちら、つごもり眼鏡店】

 

 

 ちりりん

 

 [営業中]と札が掛けられている扉は、力を入れずともするりと動いた。鈴の音が中に響き渡るのとその同時。

 

「あら、いらっしゃい。お客さん?」

 

 耳に入ってきたのは、フランクな物言いに落ち着いた女性の声。予想していた声とはまるっきり違う声に、あいの足は動きを止めた。

 

「…………?」

 

 眼鏡をずらして目を擦る。店の中は想像以上に暗く、夏の日差しからの変化に目が追いつかない。あいの目には視界の全てに緑色のもやが掛かっているように見えた。

 声がした方向に人が居るのだろうとは分かっても、その目はぼやけてうまく像を結んでくれなかった。そもそも――今の状態ではたとえ目が慣れたところで見えるかどうか、と言ったところだけれど。

 

「どうしたの? 修理? それとも新品の購入かし――あら、手で抑えてどうしたの、壊れたばかり?」

 

 再び降ってきた声はやはり女性の声。目がやっと暗さに慣れてきたのか、声がした方向でぼやけた何かが動いて、少しずつ近づいてきているのが分かった。

 

「あっ、えと……ちょっと近くの電柱に頭をぶつけちゃって、そしたらレンズが片方無くなっちゃって、あと全体的に曲がっちゃって……」

「あらあら、じゃあ今はあまり見えていないのね。ちょっとそのままで居て。椅子を持ってくるわ」

 

 ぱたぱたとスリッパが床を擦る音が聞こえる中――それにしても、女性の声だったなぁ。こういうお店は、大体男性がやっているイメージだったけど、店の人は居ないのかな? などとぼんやりと考えていると、ふとすぐ後ろの方でがたんと木がぶつかる音がした。それから背中に温かいものが触れたかと思うと、

 

「椅子を準備したから。そのまま、ゆっくり腰を下ろして大丈夫よ」

 

 耳元で、優しい声がした。

 

 

 ◇

 

 

 ――ことはほんの数分前。

 なんと言うことはない。いつものように学校帰りに本を読みながら道端を歩いていて、ふと誰かにぶつかりそうになったからいつものように逆方向に避けたら、ちょうど避けた先にあった電柱にごっつん。目の前に光が走ったかと思ったら眼鏡がその反動で体から離れて、かしゃんと軽い音を立てて。手探りで足の下にあったのを見つけたのはいいけれど片方のレンズが無くなっていた上、手で支えないと勝手にずれ落ちるようになった。端的に言えば眼鏡が壊れた。ただそれだけのこと。

 あい自信、周辺視野は広い自信はあったし、小中学校と続けていた行動でもあったし。駅前といえど通るのは自分も含めて通学の学生さんくらいだからそうそうぶつかるような人通りの多さでもないからへーきへーき――と高をくくっていたらこの有様。

 眼鏡を片手で支えながら周りを見渡したところ、『眼鏡屋』という看板が目に入ってドアを押して――。

 そして今に至る。

 

 

「ちょっと前失礼するわね。度数、これで合ってるかしら?」

 

 目に添えるようにして持っていた眼鏡を手に持ち、もうひとつの眼鏡を掛けられる。何度か瞬きをして、店の全体が見えるようになったあいは――。

 

「わ、ぁ……」

 

 眼鏡の数――――よりも。店内の壁一面を覆う本棚と、本の背表紙に目を奪われた。

 壁という壁、床から天井まで至るところに本、本、本。

 テーブルには白い布地にいくつかの眼鏡は置いてあるし、ショーケースのようなものもある。しかしそれ以上に、壁という壁は本棚で埋め尽くされていて、よく見れば、眼鏡が置いてある机事体も、ミドルサイズの本棚の上に天板を敷いているだけの代物だと分かる。

 

「わぁ……。……え、と。ここは……眼鏡屋さん、……です、よね?」

 

 自分が入った店は本当に眼鏡屋なのか――不安な気持ちが言葉に現れているように、言葉が先細っていく。首を右にかしげると、右に一本に結った髪がふわりと揺れる。

 

「ええ、ようこそ、つごもり眼鏡店へ。そんな反応をしてもらえると、ディスプレイしている甲斐があるわ」

 

 隣でしゃがみこんでいる女性は、その様子を見て満足げに笑いかけた。

 

 

 ◇

 

 

 『(つごもり) 朔希(さき)』と胸に付いた札には、『店長』の肩書きが付いていた。

 栗色を明るくしたような髪色で、腰にまで届くほど髪は長く、文学を嗜む女学生がそのまま大人になったような、整った顔立ちをしている赤いフレームの眼鏡が似合う大人の女性。あいには目の前の相手にそんな印象を覚えた。数秒固まって、店長の名前札を見て、もう一度その顔を見て――。

 

「――えぇっ!? 店長さん、ですか?」

「そ、店長。――店員も一人だけど、ね」

 

 そう言ってから、朔希は鈴が鳴るようにころころと笑う。

 

「……こういうところ、男性がやってるものかと思ってました」

「ん、よく言われる。でもちゃんと出るところは出てるし、持ってるものは持ってるから、依頼をいただければ仕事はしっかりとするわよ?」

「え、あ、いや、そういう訳じゃないんですが……すいません」

「そこは謝る所じゃないわよ。で――持ってるもののことなんだけど」

 

 その話題を出した瞬間、あいはとたんに不安げな表情を見せる。えと、と朔希の顔と手元の眼鏡との間を何度か往復するのを見て、朔希の手があいの頭に乗る。安心して、と言葉で伝えるよりも効果があると思ったのだろう。せわしなく動いていた視線は朔希の目の一点で止まった。

 

「パッと見、フレームが歪んじゃってるから落ちちゃったんだと思う。どうする? 直そうとすれば直せるけど」

「直せる、んですか?」

「ん、時間は少し貰うけど、普段使いするには問題なくできると思うわ」

「よかったあ~……」

 

 やっと、あいの目から不安の色が消える。先ほどの本たちを眺めているときの、きらきらとした目に戻る。

 

「えと、お値段の方は……」

「手間賃込みで三千円くらいになるけど大丈夫? 親御さんに出してもらうことになると思うんだけど」

「えっ、そのくらいでいいんですか?」

「いいよいいよ。予約が立て込んでいるわけでもないし、暇してるから」

「あっ、はい。それだけなら、――怒られないでもすむと思います」

「そう。じゃあ後で領収書書いておくから、親御さんにお願いしてね」

「はい」

「それじゃ、作業の方に移るわね。――あ、そこらへんの本は好きなのを勝手に読んでていいからねー」

 

 そう言って、朔希はおそらく最初に座っていたであろう番台――銭湯に行ったときに番頭が座っているような形をしているのであいはそう名づけた――に向かい、工具やらをその上に乗せ始めた。

 

 

 それにしても――あいは綺麗になった視界で改めて店内を見渡す。

 この場所は、どちらかというと眼鏡屋というよりも――本屋かブックカフェと言ったほうがいいんじゃないかと思えるほど、本媒体の占める割合が多い。

 右を見れば、壁一面の本棚。左を見ても、壁一面の本棚に、そこだけくりぬかれたような窓がある。下を見れば机の脚の代わりになっている本棚が見えて、流石に上にまで本は無いけれど――文字通り至る所に本がある。

 ぎっしりと詰め込まれた本段の中には、ハードカバーから新書、文庫本から絵本のようなサイズまで。ありとあらゆる本が、この空間にあるように見える。背表紙とタイトルだけを見ても、ファンタジー小説からミステリ小説、戦記物からここ数年で流行っているライトノベルまで、知っている本、知らない本、数々の本が所狭しと並べられていて、ちょっとした異空間に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 三度のご飯よりも本が好きな当人にとっては、まるでそこは宝の山――。しゃがみこんで本棚に並ぶ背表紙を眺めては、気になるタイトルの作品を手に取り、中をぱらぱらと捲り、次の本へと視線を移す。ある程度見たか、と思えば自分が先ほどまで座っていた椅子がすぐそばに見える。 どこまで広いのよ……と独り言を呟きながら、次の本棚、ラノベ棚と思われる本棚に目を移して――。

 

「――――ん?」

 

 見慣れないデザインの背表紙が目に入った。

 自慢じゃないけど、文庫本くらいだったら背表紙のデザインだけで出版社とレーベルくらいまでは正確に言い当てる自信がある。けれどその一角にあった数冊の本だけは、自分の頭の中にあるデータベースには無いものだった。本を手にとると、とあるネットゲームのキャラクターが表紙に映っていた。確か、これは、艦――――。

 

「えっと、て、店長さん」

「朔希でいいわよ」

「じゃあサキさん。この本って、どこの本なんですか?」

 

 下を向いていた朔希は、眼鏡を眉の上にずらしながら顔を上げて――その表情が一瞬固まった、ようにあいには見えた。

 

「……ああそれね。んーと、いわゆる自費出版ってやつよ。本屋では売ってないわね。――――ところで、なんでその本に興味を持ったの?」

「え? いや、なんというか……目を引いたので」

「ふぅん」

 

 そっけない言葉が返ってくる。その口元には少しだけえくぼが見えた。

 

「作者の方は? 見慣れないお名前ですけど」

「…………わたし」

 

 外からの音で掻き消えてしまいそうな大きさで。しかしあいははっきりとその言葉を聞いた。

 わたし、わたし……。……目の、前。の?

 

「――――えぇぇっ!? サキさんも、じゃない。サキさんが書いたのですか!?」

 

 どうしてその中でそれを見つけちゃうかなぁ、とはにかみながら呟くその顔は、言葉以上に迷惑がっているようではなく、逆に少し嬉しそうな、そんな表情が見て取れた。

 

「これ、読んでもいいですか?」

「――好きなの読んでーって言った手前、ダメっては言えないわよね。いいわよ」

 

 眉を下げて手をひらひらとさせる。目はもうあいの方は向いておらず、自分の手元の方に向いていた。

 表紙のカバーを見て、とりあえずいつものようにカバーを外してカバー裏を見て、そして一ページ目を捲る。本のタイトルと、作者名、そしてもうひとつの名前が並んでいた。エピローグが始まって、第一章が始まったとき。

 

「――――ね、ところでさ」

 

 本の向こうから、声が聞こえてきた。

 

「……はい?」

「あなたも書くんでしょ? 作品」

 

 あいが顔を上げる。手を止めて、様子を伺うような目が自分に向いているのを見た。

 

「そ、ん――…………」

 

 その両目で頭の中を覗かれているのかと思った。

 ――そんなこと、この店に入ってから一言も口にしてもいないはず。いやそれは間違いない。なのに、どうして――。

 あいはそれ以上の言葉を発することができずに、つばを飲み込む音だけが耳に響いて。――くすくすと笑う声がした。

 

「なんで分かったかって顔してるわね」

 

 いたずらをする子どものように、仕掛けた罠の種明かしをするように、子どものような笑みを浮かべて、こっちを見る。

 

「目の輝かせ方が違うもの。本を読んでるときとか、本棚を眺めている顔がね、本を読むのが好きーって以上に、こんなのつくりたい! ってオーラが体全体から出てるから」

「オー、ラ……?」

「そ、小説書きだけが通じ合えるのかもね」

「……分かるもの、なんでしょうか……」

 

 あいの視線が自分の手のひら、腕、肩と視線が移っていく。最後に両方の手のひらをまじまじと見て、首を傾げる。サイドテールがその動きに合わせてゆらりと揺れる。その瞬間に前方から笑い声。

 

「なーんてね、う、そ。あなた『も』って言ってるのを聞いちゃったらもしかして同じことやってるのかなぁって。それだけよ。深い意味は無いから気にしないで」

 

 作業用なのか、ライトがついた眼鏡を眉の上にずらして、ころころと笑う。

 ――あ。そういえば言ってた。間違いなく言った。……なんだ。その時から分かってたことで、オーラとかそんなお話の中で聞くようなことじゃなかった。おちょくられていた、だけ?

 やっと頭にそのことが伝わってきたところで、入っていた力が抜けたように頭がかくりと落ちた。

 登場人物が相手のペースに乗せられる――物語の中ではよく聞くフレーズではあるし、そう簡単に乗せられるほうが悪いでしょう、と読みながら思わなくもなかった。そうなのだけれど――いざ体験してみるといつの間にか乗せられていた、というのがよく分かる。やはり外から見るのと体験するというのとは違うのだと思うのと同時に、私は乗せられやすいのかなぁ、と。あいは少しだけ顔が温かくなるのを感じた。

 

 

 ◇

 

 

「ん、これで大丈夫」

 

 その言葉を聞くまで、あいは本から顔を上げるどころか身動きひとつしないで本に没頭していた。

 顔を上げたとき、窓の外はすでにオレンジ色をしていて、入ったときから大分時間が立っていることが分かる。その間、あいは夢中になってその本を読んでいた。文字通り時間が過ぎるのを忘れて。

 

「ん、元通りに出来てると思うよ。確認してもらってもいいかしら」

「はい。ん……うん。まったくの元通りです。ありがとうございます!」

 

 おずおずと手渡された眼鏡を手にとって、おそるおそる耳に掛ける。鏡越しに自分を見て、右を向いたり左を向いたり、きょろきょろと首を動かしてから、笑顔がはじけた。

 

「ん、よかった。じゃあ、これ請求書ね。あ、前金とかは特にいらないから、親御さんによろしくって伝えてね」

「はい! ……あ、それとお願いがあるのですが」

「何?」

「この本、お借りしてもいいですか?」

「えっ? え、えぇー……と」

 

 あいは表紙で自分の口元を隠しながら、まっすぐにその作者に向いて問いかけた。修理している間に読ませてもらったその本は、実際のところ面白かったのだ。そして終わっていない話の続きを読みたかった。けれどそれを直接、それも作者に、口に出すには憚られて。ただお願いの言葉だけがあいの口から飛び出した。

 自分の本というものもあるのだろう、返事に渋っているように思える。実際、自分が朔希の立場だったらどうだと考えると、確かに二つ返事でOKは出せないと思う。自分の作品を見てもらいたいというのはあっても、やはり、恥ずかしさだったりいろんな気持ちが混ざり合ってしまうだろうから、と。

 

「まだ読み終わってなくて。……続きが読みたいので」

「……いいわよ。ただし、読んだら感想聞かせてね」

「やったー! ありがとうございますっ!」

 

 最後の言葉がとどめになったのか、朔希は観念したように両手を挙げ、それを聞いて万歳をして喜ぶあい。大事に本を胸に抱えるのを見て、朔希は恥ずかしそうに、けれど満足そうに微笑むのだった。

 

 

 ◇

 

 

「ただいま!」

 

 あいは家に帰るなり自分の部屋に飛び込んだ。目的はかばんの中に入っている借りてきた本。帰り道の途中でも読みたくて読みたくて仕方が無かったが、同じ日に同じ理由で眼鏡を壊すわけにはいかない、と。本の読み歩きをこらえて家に帰ってきたのだった。

 飲み物、お菓子、準備よし。愛用のクッションを背もたれ代わりにして、いざ、続きを読もうとして――。電源が入れっぱなしになっていたデスクトップパソコンから呼び出し音が流れた。音声通話が出来るアプリがアクティブになり、表示されている名前を見て。

 

「うげ」

 

 年頃の女の子らしからぬ声が口から飛び出した。

 めんどくさい。一刻も早く本を読みたい。でも、出ないと結局面倒なことになることをあいは知っているから。

 

「はいはいなんですかー。あいさんは忙しいのですけれど」

 

 緑色の通話ボタンをクリックして、通話を開始させた。

 

「はいはいこちらも忙しいので手短にお話するわね」

「っていうか隣なんだから直接来てもいいじゃん」

「やだよめんどくさい」

「うん、あんたはそう言うわよねぇ……」

 

 ハスキーがかった声の主は隣の家に居る。画面表示されているハンドルネームは『カナ』、本名もそのまま。同い年で学校はもちろんクラスもなんだかんだでずっと一緒の腐れ縁のような存在で、唯一、自分が作品を創っていることを知っている人物だった。

 

「これから借りている本を読むんだけどー、何かあった?」

「あ、そうそう、あんたがこの間見せてくれた短編なんだけどねー?」

「ん、それなりに自信作だけど」

「あいってさー、◇×○って本、読んだことある?」

 

 パソコンの前で、自分の目が見開いたのを感じた。その本の名前にはとても聞き覚えがあったから。

 

「う、うん。っていうかつい一ヶ月前くらいに全巻一気読みしたけど?」

「や、なんかさー、あい、影響されてるなぁって思って」

「そんなに?」

「うん、とっても。――やー、影響されるってのは良くあることだからいいんだけどさー、ここ最近の読んでると今までのあいっぽさが無いっていうか。なんかあいらしくないっていうか。違和感があるんだよねー?」

 

 作品に、違和感。あい、らしさって? どういうもの?

 胸の中にもやもやとしたものが湧き上がってくるのを感じる。なんだろう、これは。

 

「ん、気になったから伝えてみた。そんだけ。ほいじゃーねー」

 

 何も言えずにいると、ぴこん、と軽い音がして、通話は途切れる。画面には可奈のハンドルネームと、つい最近交わしたチャットログが表示されていて、暗くなった画面の向こうには変な顔をしている自分があった。

 作ってるものに、違和感。

 ――いわかん。

 言葉は音としてしか頭に入ってこなくて。その通話以来、その一言がずっと頭にこびりついて、それがぐるぐるとして離れなくて。

 その日、借りてきた本は一ページも読み進められなかった。

 

 

 ◇

 

 

 ちりりん

 

 放課後、丸一日ぶりに店のドアを押し開ける。朔希は昨日と同じ番台に座り、文庫本を読んでいた。

 

「あら、あいちゃんいらっしゃい。今日は――壊したわけじゃなさそうね」

「そう毎日毎日壊しませんよぅ……」

「いやごめん。分かってるわよ。なんだかしょんぼりしてたからもしかして――って」

「ちがいます。お代と、あとお母さんがこれ持ってってって。近所だからって」

 

 拗ねているような口調になったからか、朔希はころころと笑ってから指の腹で目じりの涙を拭う。本当に気にしなくてもいいのに……と箱を受け取った朔希は、名案を思いついた、とばかりに人差し指を立てて、あいの前にしゃがみこんで視線を合わせた。

 

「――せっかく来てくれたんだし、お茶でも飲んでいく?」

「いいの?」

「うん。お客さんが来るまでは自由時間みたいなものだし。話し相手が欲しいなぁ、なんて……」

「じゃあ、お願いしてもいいですか?」

「ん。じゃあ作業机の前に座ってて」

 

 これ、作業机、っていうんだぁ。とあいの小さなつぶやきを背中に聞きながら、朔希は番台の奥にある給湯室に向かう――フリをして、そこからあいの様子を覗き込んだ。

 朔希があいを呼び止めたのは話し相手が欲しかったから、というのももちろんあったのだけれど。入店したときのあいの表情に気になるところを見つけて、観察したいと思うところも同じくしてあった。

 給湯室の中で紅茶の準備をしつつ、扉の影からあいの様子を眺める。かばんの中から見慣れた本を取り出して、読み始めるのかと思いきや、本の表紙を食い入るように見つめたまま動かなくなる。唇を噛んで、眉の間には皺が寄っていて、朔希には、あいがこれから本を楽しむというようには見えなかった。

 自分の本がつまらなかった? との思考が頭をよぎったけれど、そうだったなら本を早々に付き返してくるはず。だとすれば、今机に座っている少女が苦しんでいるのは、本自体というよりも、本から思い起こされた何かではないか、と。

 暖めたカップに紅茶を注ぎ、お茶菓子が乗った皿をまとめてお盆に載せて、店へと戻る。

 声をかけずとも、紅茶の香りが漂ってくるのが分かったのか、鼻をひくつかせた後に上げた顔は、先ほど見せたものではなく少女特有の明るいものだった。

 

「鼻がすぅっとする感じの匂いがする」

「ミント系のものだからね、落ち着くでしょ」

「ですねぇー…」

 

 あいは借りていた本を大事そうに膝の上において、出された紅茶に口をつける。飲んだ後に息を付いて、目を細めた後。ふと一瞬だけ、またあいの表情にかすかに影が落ちた。

 お茶菓子のクッキーを食べるように勧めても、その瞬間はおいしそうに頬をほころばせるし、本についての話をしても、まだ途中までだけどという前置きの元、面白かった、想像力が止まらなかった、などと興奮気味に話す。

 けれどその端々に、何か別の色が見えたように、朔希には思えた。

 

「ね、あいちゃん」

 

 名前を呼んで、こちらを向かせて。一呼吸を置いて。

 

「もしかして――何かあった? たとえば、本のこととか。――作ってるもののこと、とか」

「――――」

 

 あいの、せわしなく動いていた手の動きが止まった。少しの静寂の後、外でトラックが通り過ぎる音が店内に響いて、あいは苦いものを食べたような顔をしてから、ゆるゆると顔を上げる。

 

「……サキさん」

「ん」

「……昨日といい、今日といい、なんで分かっちゃうのかなぁ」

 

 あいは大きくため息をついて、両手を上げる。昨日の万歳とは違う、降参のポーズろ。

 ――分かりやすいもの、とは朔希は言えなかった。もちろん、それも答えのひとつだったけれど、それよりも的確で、伝わりやすいほうの言葉を選んだ。

 

「……ふふっ、あいちゃんの年頃はね、色々あるものだから」

「いろいろ」

「うん、色々。それと、文字を書く人ってね、感覚的な人が多いから。――――私みたいに」

 

 私みたいに、を聞いて、初めてあいの表情が和らいだように見えた。私も一緒、と伝えることで、自分だけの問題ではないと思ったのだろう、あいはぽつりぽつりと今日のことを話し始めた。

 

 本を読むことは好きだということ。

 話を想像して書いちゃうのも同じくらい好きだということ。

 あいには子どものころから一緒の知り合いがいること。

 その子の名前は可奈ちゃんということ。

 作品の見せ合いっこをしていること。

 昨日帰ってからその子から連絡があったこと。

 最近の作品が自分らしくないと言われたことがもやもやとしていること。

 そもそも自分らしい作品ってなんなの? 

 って考えてたら手が進まないし本も読めないしもやもやもやもや。

 

「可奈ちゃんは、何が言いたいのか分からないの。自分としてはいい出来してるって思うのにさー。そうやって足を引っ張ろうとしてさー?」

 

 ふん、と荒く鼻息ついて、ずず、と紅茶を飲む。皿の上に乗ったクッキーを口の中に放り込んで、数回咀嚼したあとにまた話し出す。口の中にものが入っていても、その言葉は止まらない。

 

「◇×○は面白かったし衝撃を受けたわよ。あんな書き方があるんだーって。そんなゲームの世界のお話書きたいなーって。でも丸パクリってはいけないのは分かってるから自分なりに頭の中で想像して創造してのにさー?」

 

 もうひとつ放り込む。左手はぐーの形のまま、机の上に乗っていた。

 

「自分らしくない? じゃあどんなのがわたしらしいってのよ! むしろ教えて欲しいの。でも可奈ちゃんは教えてくれないからもやもやしてるの」

「なら言ってみればいいじゃない」

「言うまでもないわよ。私が何も言わなくてもああ言うんなら、言ったところで変わらないわよ!」

 

 皿に手が小さな手が向かう。その手は何もつかめずに空を切った。

 

「可奈ちゃんはいっつもいっつもそう! 言うことは言って、でも解決したことはひとっつもないの!」

 

 ばし、と机が音を立てた。一回では腹の虫が収まらないのだろう、二回、三回と乾いた音が鳴る。怒ってるんだから! と行動で起こっている様子を表しているあいに、朔希はその様子を静かに見守るだけ。

 数回その音が続いて、話すことが無くなったのか、怒りのボルテージが少し収まってきたところで、朔希が口を開く。

 

「ね、あいちゃん」

「なに」

 

 朔希は肘を突いて、ほほを膨らませているあいに向かって、少し困ったように微笑んだ。

 

「ちょっと、外の天気見にいこっか」

 

 そう言って朔希は立ち上がると、まっすぐに歩いてドアの外へ。鈴の音が止んで、店の中にひとりきりになったのに気づいたあいも慌ててドアを引いた。

 朔希は入り口の隣の柱に背を預けて、視線を上に向けていた。あいもそれをまねて上を見る。憎たらしいほどに青々とした空が、どこまでも広がっていた。

 外が大雨強風で雷でも鳴っていようもんなら、私の気持ちをあらわしてるんだろうなぁ――とあいは思うけれど、空はあいをあざ笑うみたいにどこまでも青空だった。

 

「空、青空ね」

「嫌んなるくらいはね」

「じゃあ、これを掛けてみよっか」

 

 朔希が取り出したのは、眼鏡の形はしているけれどレンズが深い緑色の、眼鏡のようで眼鏡じゃない、限りなく眼鏡に近い何か。遠くを見るためというよりも、芸能人が空港で付けているようなもの。

 

「……サン、グラス? 何で?」

「そ」

 

 朔希は一つ目の質問には答えたけれど、二つ目の質問には答えない。差し出されたものをまじまじと見つめていると、「掛けて」と言わんばかりにずい、とそれをあいの方へ近づけてきた。

 

「度数はあいちゃんに合わせてるから、見え方はそんなに変わらないはずよ」

「んー……」

 

 自分の眼鏡をケースにしまって、差し出されたものを手に取る。

 訳は分からないけれど、あんなことを言った後だから何か理由があるのだろう、とは思いながらも、あいは半信半疑と言った様子でサングラスを耳にかけた。

 

「……うわ」

 

 瞬間、あいの口からうめき声が漏れた。

 ――なにこれ。掛けた瞬間から周りが薄暗くなって、空もなんだか気持ち悪い色に変化して、白かった地面は苔のような色に、目の前の人物は写真のフィルムをそのまま見たときのように緑色の肌になって――あいは一気に変わった視界に、なんだかくらくらとするのを覚えた。

 

「ね、あいちゃん」

 

 そんなことを知ってか知らずか、朔希は外へ出るときと同じくらいの口調で、話しかける。その視線はあい本人ではなく空を向いていて、手を目の上にかざしていた。

 

「空、何色に見えるかしら?」

「深い緑……いや、灰色、みたいに見える」

「そう、ね。空は澄み切っていて、蒼々としてる。けれど、あなたには蒼じゃなくて灰色に見えてるのよね」

「当然でしょ? これ掛けてるんだもん」

 

 朔希さんは今更ながら何を言うんだろう。サングラスをつけていれば見えてるものは変わる、同然のことじゃない。あいは内心でだけ反論をしつつ、ずれないようにフレームを抑えながら、口を尖らせる。

 

「そうよね。当然よね」

 

 そう、当然。あいの言葉に、朔希は同じ言葉を返す。

 空から、あいへ。

 視線を移した朔希は、眩しいものを見るように目を細めて、ひとつ、息を付いて、言葉を紡いだ。

 

「――――あなたが感じていることって、そういうことだと思うの」

 

 

 

「――――」

 

 目をしばたたかせる。

 朔希から言われていることの意味が分からなかった。

 サングラスが、何だって? さっきは知り合いとのことを話ししていたはずで――。

 何度も瞬きをしているのを見てか、朔希はもうひとつくすりと笑って、声を遠くへ投げかける。

 

「さっき、空を見てどう思った?」

「――えっと、暗くて、汚くて、狭い?」

「じゃあ、それを取ってもう一度空を見てみよう?」

 

 朔希はそう言って、あいに掛けていたサングラスを取り外す。

 

「わっ……まぶ、しぃ……」

「最初はまぶしいけど、時期に慣れるわよ」

「うぅ~……」

 

 やっと光に目が慣れてくる。車に乗って、トンネルの中から外に出たときのような感覚を覚えて――ゆっくりと目を開く。さっきよりも鮮明な映像があいの目に映った。

 

「そのまま、上を見てごらん?」

「上?」

 

 朔希が指を刺す方向を見る。青々とした、雲がひとつもない空があった、緑色じゃない、灰色でもない、ただただ蒼い空があった。見比べてみてはっきりと分かる。空はこんなにも青くて深くて広くて、そして――綺麗だってこと。

 

「空ってね、青い時はこんなにも青くて、広いの。その時によって、いろんな表情を見せるの。時には曇り空だったり、雨降りだったりもする。でも、さっきあいちゃんが見た空って何色だったかしら?」

「…………灰色」

「もしサングラスを付けたままだったら、青空も、曇り空も、雨降りの空も、全部同じ色に見えちゃうの。でもそれはもったいないわ。だって、空ってこんなに青いんだもの。いろんな色を見せるんだもの。広いんだもの。それを感じないのは、もったいないわ」

「え、と……つまり?」

 

 分かるようで分からないような。でもどこかすとんと落ちてきたような、不思議な感覚があいの胸の中にあって。けれどそれを口にすることが出来なくて、ただ次の言葉を促す聞き方しかできない。

 

「心にね、サングラスをかけている状態――って言えばいいのかな。『色眼鏡』って言葉、知ってる?」

「意味、くらいは」

「ん。心にも《目》みたいなものがあってね、その《目》で物事を感じとるの。綺麗とか、美しい、とか。そういった感覚ね。それをね、知らず知らずのうちに、その目が曇っちゃうことがあるの。さっきのサングラスをかけたときみたいに、自分で視界が狭まったり、色が見えなくなっちゃう」

 

 何かが胸にちくりと刺さるような感覚を覚えた。けれど、目を逸らしちゃいけない、と何かがそう胸に告げていた。

 

「想像する力って、やろうとすればどこまでもどこまでも広がっていくの。それこそ空みたいなものだから、自分で『どこまで見る』って制限をかけなきゃ、どこまでも広がっていくわ」

「今は、私がこれをかけている状態――ってこと、なんですね」

 

 あいは朔希の手元にあるサングラスを見ながら、眩しいものを見るように目を細める。

 

「自分がこうだって思いこむのは大事。でもね、それだけに縛られちゃいけないと思うの。それこそ、気がついたらサングラスをかけてることになるかも。――私も、だけどね」

「朔希さんなら。……朔希さんならそういうとき、どうしますか?」

「私なら……気分で眼鏡を変えてみるわ。そうするとね、視界が変わったように見えるの。違った目で世界を見ている気になって、そうしたらまっさらな状態で頭が働くようになるの。……まぁこれは私の家が眼鏡屋さんだからってのもあるかもだけど。だからあいちゃんはそれこそ――お友達が言うことを参考にしてみる、ってのはいいかもね。別の目で見る、って感覚、私は大事だって思うわ」

 

 ――他人の意見を聞き入れるって、なかなか出来ないけどね。朔希はそう言って、頬をかいて、歯を見せて笑った。

 

 

 その話を聞いていたとき、聞き終わったとき、自分は、どんな表情を浮かべていただろう。あいは思う。

 鏡を見たわけじゃないし、聞いたわけではないけれど――きっと、すっきりとした顔をしていたんだろう、と。根拠のない確信が、その胸にあった。

 

 

 胸に手を当ててみる。少しだけ早くなった鼓動を確かに感じて。

 気が付けば。この店のドアを開けた時に抱いていたもやもやは、いつの間にかどこかへ消え去っていた。

 

 

 ◇

 

 

 ――ねー、サキさん。聞きたかったことがあるんだけど。

 

 ――年齢とスリーサイズ以外なら。

 

 ――それは興味ないからいいわ。

 

 ――あら残念。

 

 ――表に張ってある張り紙って、あれ何? 『あなたの価値観直します』ーっての。

 

 ――ああ、あれね、私の先代の先代が張ったものらしいの。だからね、飾ってる言葉の意味は、実はよく分からないの。

 

 ――サキさんが張ったものかと思った。さっきのアドバイスとか、さ。そうなのかなぁって。

 

 ――残念ながら違うのよね。――ただ、ね。ここで眼鏡を変えた人がお店から出るとき、すっきりとした顔をして出ていってくれたらいいなぁって――私はそう思ってるわ。

 

 

 

 

 

 エピローグ

 

 

 ちりりん

 

 ドアベルの音と共に、店の扉が勢いよく開かれる。

 

「サキさーん、こんにちはー!」

「あら、今日はどこを壊したの?」

「壊してないです。いや、修理も何もないんだけどね?」

 

 あいは手を後ろで組んで、はにかむような笑みを浮かべる。

 

「サキさんのところに来たくなって」

「あらあら、じゃあお茶でも入れましょうか」

「わぁい!」

 

 

「この本、ありがとうございました」

「あらお粗末様でした」

「で、ね……その。…………これ」

 

 かばんから取り出したのは、紙束。

 

「あら」

「あの、もう一度まっさらになって書いて、みたから。えっと」

「読ませてもらっても?」

「――っ! もちろん!」

 

 

 

 今日も町の眼鏡屋さんは本と書く人と一緒に営業中。

 

 

 

 ちりりん

 

 ドアベルが鳴る。

 

「「はぁい!」」

 

 二つの声が重なって、店の中に響いた。

 

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