こちら、つごもり眼鏡店   作:みょん!

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これは、本を中心としたなんでもない日常の中に込められた、ほんの小さなひとつのいたずら。

三度のご飯より本が好きな眼鏡屋の店主と、本を読むことが好きでたまらない少女のお話。『こちら、つごもり眼鏡店』の番外短編。


古本のいたずら

「…………しんじらんない…………」

 カウンターの近く、『お得意様専用席』――と言う名の読書用椅子――に座って文庫本にかじりついていた少女は、絞り出すように一言発したあと、両手で顔を覆った。

 いつもなら、本を読み終えたあとは幸せそうな顔をして紅茶をすするか、目をきらきらと輝かせて次の巻にすぐ手を伸ばすか、読後でテンションが上がったまま朔希(さき)に話しかけてくるか、のどれかの反応を示していたけれど、今日の彼女は違った。

 半月ほど前からこの店に本を読むために通い始めた少女、あいは両肘を机に付けて、顔全体を手で覆ったまま、ぴくりとも動かなくなった。

 一分が経った。動かない。

 二分が経った。動かない。

「…………ね、あいちゃん」

 流石に心配になった朔希は、あいの肩をぽんと叩く。じろりと朔希を見るあいの目は、怒っているようでもあり困惑しているようにも見えた。

「その本、なにかあったの?」

 あいの肘近くに置かれている本。大事そうに紙のブックカバーが付けられていて、タイトルは見えない。ある程度の厚さはあり、読み応えはありそうなものだった。

「…………ほんと、しんじらんない……」

 先ほどよりも強調された言葉が、あいの口から漏れる。朔希はそのまま言葉が続くかと思い口を挟まずにいたが、言葉はそこで止まって、店の中はまた静かになる。表情は手で隠されて見えず、かといって言葉で聞こうにも言葉は続かない。さてどうしたものかしら、と思いながらも、朔希は手元の作業を再開させた。目は手元へ集中させ、けれど耳だけはちゃんとあいの方にそばだてながら

 それからしばらくして、はぁ、と大きく息をつく音が部屋に響く。朔希が再びあいの方を向いたときには、その両手は顎の下にあった。ふてくされたような顔をして、目の前に置かれている文庫本を怪訝な目で見つめている。

「朔希さん、この本なんだけど」

「『信じられない』本?」

「……その本、4ページ目開いてみて」

 片方の手は顎の下に置いたまま、顔は正面を向いたまま文庫本を持った手だけを突き出す。空いた方の頬が膨らんでいて、朔希はくすりと息を吐いてからページをめくった。描かれているのは登場人物たちだろうか、カラーの口絵が目に入ってくる。次のページ、タイトル。その次のページは、目次。そして次のページ。冒頭には『登場人物』と書かれていた。

「……あら」

 登場人物のうちのひとり――先の方に書かれているからおそらく主要人物だろう――の名前に赤い蛍光ペンが引かれていて、その下には――――

「本に落書きするとか、本当信じられない。しかもよりにもよって冒頭からネタバレとか……本当、タチが悪いわ…………」

 朔希がその部分を見つけたのを分かっているようなタイミングで、あいの方からふてくされた声が聞こえる。

 その蛍光ペンが引かれた人物紹介の下には、鉛筆で大きく『死ぬ』と書かれていた。

「あらら、これは、また……」

「私だってねぇ、新品で買いたいわよ。でもお小遣いが足りないからしょうがなく中古で買ってるけど。結局お気に入りは新品で買い直すこともあるからなんとも言えないけどね。でもね、でもよ?」

 気がつけばあいの手は顔にはなく、拳の形で机の上にあった。

「古書店でまとめ買いセールやってるようなところで買った私も私よ? でも、流石に本に落書き、しかもネタバレを含むものがあるとか思わないでしょうよぉ!」

 はぁぁぁ、と大きく息を吐いて、がっくりとうなだれる。息を整えているのか深く呼吸を繰り返して、「しかも。」とあいは低い声を発した。

「話はそこで終わらなかったの」

「……と、言うと?」

 呪詛のような諦めのような、様々な感情がこもった声。朔希はどんな言葉が飛んでくるのかと身構えて――

「さっきその本を読み終えたんだけどね。……………………その人、死ななかった」

「…………」

 ――言葉を返すことができなかった。

「この本、宇宙戦記ものだから、まぁ人はよく死んじゃうわけなんだけど。なら知っちゃったら知っちゃったでどこでどう最期を迎えるかってのを楽しみに読むしかないじゃない。なのに!」

 ばん、と机が音を立てる。

「なのに! なのになのに! ネタバレらしき落書きをしておきながらっ! その巻の最後までその人はのうのうと生き延びるって、一体どういう了見なのよぉ! もぉーっ!」

 息を荒くして言い切った後、また「しんじらんない……」と呟いてあいは机に突っ伏す。

 額を机に擦りつけ手のひらで机に何度も叩く様子は、怒っているというよりも、むしろ。

「――そのいたずらをした主の思惑通りになっちゃった、ってわけ、ね」

 あいは頭の動きを止めて、「ん」と机から声が漏れる。そしてまたごろごろと机の上で頭が揺れる。

 ――引っかかっちゃった自分が悔しいって思ってるのかしらね。

 目の前でいじけている少女がほほえましくて可愛らしくて。吹き出してはいけないと思っているとなおさらおかしくてたまらなくて。朔希の口から吹き出すような声が漏れる。

 少しの間を置いて、机から犬のようなうなり声が響いてくる。

「……ふふっ」

「うぅ……笑った」

「ごめんなさいね、あいちゃんの反応がかわいくて」

「…………うぅ~」

 今度こそこらえきれずに笑うと、あいの方からまたうなり声が聞こえてくる。

 ――あいはこうなるとなかなか機嫌が直らない、とここ最近で朔希は学んでいる。

 こうなったら最終手段、とカウンターの下から取り出したインスタントの粉をカップに入れる。あいの鼻先近くでお湯を注ぐと、ふんわりと甘い匂いが店の中に広がっていった。

 お湯を入れ終わるかどうかのうちに、あいは顔を上げて鼻をひくつかせる。とどめとばかりに、そのカップの中に白くて丸い物を投入。それは薄茶色の液体の上に浮かんだと思うと、やがてじんわりと溶けていく。

 目の前で作られたココアのマシュマロ乗せに、あいの目はきらきらと輝き始めた。先ほどのふてくされた顔はどこへやら、幸せそうな顔をして両手で持ったカップに口を付け始めた。

 

 

 

「ところであいちゃん」

「んー」

 ココアをおかわりして三杯目にさしかかったあいは、機嫌を取り戻したのか今は顎を両手を乗せて、にこにこと朔希の作業を見守っている。

 朔希の問いかけから返事まで多少の間があり、その声も幾分間延びしている。ココアの力は想像以上のようだった。

「その本、何巻まで読んだの?」

「ん、この本? まだ二巻よ」

「ふぅん、なるほど」

「――あ、何か知ってる顔だ」

 目ざとく朔希の反応を感じ取ったあいは、目を細めて朔希をじぃ、と見つめてニヤリと笑う。

「私は何も言わないわよ。その後の話ははあいちゃんが自分の目で見てちょうだい」

「意味深だー」

「さて、どうでしょう?」

 あいちゃんが読んだ時点の人物紹介なら、誰に線が引かれていようとも大体は――。なんて無粋なことは言わないし言えないわね。朔希は心の中でだけあいに語りかける。

 

 元の持ち主は、本が嫌いだったのだろうか。と朔希は考える。

 これは想像でしかないけれど――本を手放した人のちょっとしたいたずら心ではないか、と思う。

読んだ人はこの本の結末まで、もしかしたらこの人物が次の巻であっさりと死ぬところまでも知っているのだと思う。だからあえてこの人に線を引いて、意味深な言葉を書き込んだのだと。初めて読んだ人が『騙された!』と頭を抱える様子を思い描いていたのかもしれない。

 朔希個人としては本は綺麗に読みたいと思っているから、この行動は賞賛されるものでもないけれど。このように『仕込み』をすることは楽しみ方のひとつではないかと思う。この店の本は全部綺麗だし、決して自分からすることはないだろうけれど。

 

 ――それと。

 今日のあいの様子を見ていた朔希の頭の中に、いつからか別の考えが浮かんでいた。

 

 あいちゃんにトリック性のある本を読ませたら、どんな反応をするだろう?

 悔しがるだろうか、笑うだろうか、それともだまされたと怒るだろうか。きっと、面白い反応をしてくれるに違いない、と朔希は確信めいたものを感じていた。

 

 本を読んだ後の反応は人によって違う。だからこそ、読む本によってころころと表情が変わって、本当に本を楽しんでいるあいが読んだなら――――

 

 幸せそうな表情でカップを傾けるあいを見ながら、朔希はカウンターから立ち上がり、店の中へ。

 眼鏡を置く台の下から一冊の文庫本を取り出して、あいの目の前にそれを置いた。

 

「ねぇ、あいちゃん。あなたに読んでみてほしい本があるのだけれど――」




10月01日で「眼鏡の日」とのことで、眼鏡屋のふたりの短編。

なお、作者の実体験済みです。やられた作品は銀○伝。まさか本当にあるとは思いませんでしたよね……。

個人的に、本は綺麗に読みたい人でありますので、書き込みなどはほとんどしないです。(付箋は貼りますが)
なので、そうでない場合を好意的に考えてみました。

古本で買う場合はちゃんと中身を確認することが大事ですね。うんうん。
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