「……なんの用だ?」
保健室脇の階段。俺のベストプレイス。
そこに突然現れた、半月近く接点の無かった五更に、俺は不機嫌さを隠しもせずに問いかける。
「別に。お昼を食べる場所を探していただけよ」
「他にいくらでもあんだろ」
「いちいち探すのが面倒だわ」
「……さっきと言ってることが違うじゃねえか」
「あらそう?私は以前誰かさんにやられた事をやり返しているだけなのだけど」
……そういやあったな、そんなこと。つーかそんな前のことよく覚えてんな、こいつ。俺だったら確実に「キモッ、ストーカー?」とか言われてるところだ。美人ってつくづくずるい。
五更は俺の返事を待たずに、ピンク色の女の子らしいハンカチを敷いて腰を下ろす。少し離れた所にだ。ぼっちの距離感ってものを分かってる。
俺は食いかけだったヤキソバパンを飲み込んでから改めて聞き直す。
「で、なんの用だ?」
「偶々よ」
「嘘つけよ。そこまで再現することねえだろ。何お前、ものまね士のAPでも稼いでんの?」
「随分細かい事まで覚えているのね。ストーカー?」
そう言ってくつくつと笑う五更。結局言われたよオイ……。
「別に用と言うほどの事ではないわ。少しお礼を言わせてもらおうと思っただけよ」
「……なんかお前に礼言われるようなことあったか?」
正面を向いたまま語り出した五更に疑問を投げる。
「ええ。お陰でどうにかコンテストに間に合わせることができたわ。結果は散々だったけれど」
「俺はなんもしてねえだろ。礼なら高坂京介にでも言っとけよ」
「先輩へのお礼は今日するつもりよ」
「……まだしてなかったの?」
「ええ。コンテストの結果が出てからにしようと思っていたから」
ふーん。それにしたって遅すぎる気がするが。……まあ、五更には五更で都合があるのかね。
「赤城瀬菜」
五更はそれだけ言って言葉を切った。続ける気配がないので仕方なくこちらから切り出す。
「……赤城がどうした?俺があいつと会ったのは、あの泣かせちまった時が最後だぞ。ああ、礼ってそのことか?お前あいつと仲悪かったらしいし」
「私が人任せだけで満足するとでも思っているのかしら、この男は……」
呆れたようにため息を漏らす五更。呆れるポイントおかしくね?
「質問させてもらうわ。あなた、何故彼女にあんな真似をしたのかしら?」
「……別に。気に入らなかっただけだ。気に食わんものは潰す。誰でもやってることだろ」
「そうね、その通りよ。ではあなたは、一体『何が』気に入らなかったのかしら?」
…………チッ。
俺の舌打ちを聞いて、五更の口元に薄い笑みが浮かぶ。こいつ、人に嫌がらせするの大好きだろ。
「当ててあげましょうか。あなたが気に入らなかったのは、赤城瀬菜が部に戻れなくなる事。意地を張って好きな事が出来なくなる事。彼女が自分を嫌いになってしまう事が我慢ならなかった。違う?」
「……ただの妄想だ。結果的に丸く収まったのかも知れんが赤城がゲー研に戻ったのはあいつの意志だろ。俺がやったことなんか何の意味も無かったろ」
「そうかもしれないわね。でもそうじゃなかったかもしれない。もしかしての話に意味なんて無いけれど」
「だろ?可能性なんか論じるだけ無駄だ」
「ええ、その通りよ。あなたは彼女を救おうと行動を起こし、結果、彼女は救われた。それが全てよ」
「…………チッ」
ダメだ。やはりこいつには勝てないらしい。
「……んで?仮に俺がそういうつもりで行動してたとして、それがどうしたってんだ?最終的な結果がどうあろうが、俺がしたのは後輩を罵倒して泣かせただけだぞ」
「そうね。最低で卑怯極まりないやり方だわ。これでは救われた側は感謝することすらできない。救われたことに気付けないのだから」
と、ここまで前だけを向いていた五更が、初めて俺を見て口を開いた。
「だから、せめて気付いた人間が感謝することにしたのよ」
「……さっきも言ったが、全部お前の妄想だ。あれは、俺が俺の都合で勝手にやった事だ。誰かにどうこう言われる筋合いなんかねえよ」
「なら、私があなたに感謝するのも私の勝手よ。あなたにどうこう言われる筋合いなんて無いわ」
このガキ。さっきから人の真似ばっかしやがって……。
五更は、からかいを多分に含んだ人の悪い笑みを引っ込めると、一度真顔に戻ってから、今度は柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。私の友達を助けてくれて」
それは言葉通りの感謝の笑顔。
苦労だろうが、困難だろうが、一発で帳消しにしてしまう無敵の切り札。
卑怯はどっちだクソッたれ。ここでそんなカード切られたら、こっちはなんにもできやしねえ。
「……赤城と、友達になったのか」
「ええ」
「……そっか」
それが、俺の行動の結果。
それで、俺がこっそり満足できれば、それで上出来。それ以上は貰い過ぎなんだ。
だから、感謝なんか必要無い。
それなのに。
「…………そっか」
多すぎる報酬を受け取って、喜んでしまうのは間違いではないのだろうか。
「……まるでニブルヘイムの不死者王ね」
五更が俺を見ながら唐突に呟いた。
「……なんだ突然。低級霊からいきなりヴァンパイアロードとか出世し過ぎだろ」
「だからどうしてそんな事まで覚えているの、気持ち悪いわね。それとなんでこんな古いゲームネタを拾えるの」
はい、気持ち悪い頂きました。放っとけこのヤロウ。つうか通じないと思うようなネタ使うなよ。
視線で先を促すと、五更は謳うように語り出す。うん、中二スイッチ入ってるね。
「闇に蠢く亡者どもを束ねる不死の王。腐り爛れた眼差しで、神々に勝てる筈のない戦いを挑み続けた愚か者」
「なるほど。俺は目が腐ってて愚かだと」
「けれどもその実態は、世の穢れを一身に引き受け、虐げられし者達の剣となって暴虐なる神々と戦い続けた誇り高き戦士だった」
…………はい?
「いや、何言ってんだお前。俺が一体何と戦ってるってんだよ」
「さあ?私に分かる筈ないでしょう」
それでも、と五更は続ける。
「人々から蔑みの視線を受けながら、見返りを求めるでもなく、ただ己の満足の為だけに戦い続ける。そっくりじゃない」
だから俺は何と戦ってんだよ……。
「自己犠牲、などと言ったら怒るのでしょうね、あなたは」
「ったり前だろうが。ざけた事ぬかすとブン殴んぞクソガキ」
いやホントふざけんな。
俺は常に俺の都合で行動している。これは誤魔化しでもなんでもない。
俺は自分が大好きなんだよ。他人からどう見えるかは知らんが、俺は自分を犠牲にした事なんか一度も無い。
思わず本気の怒りが出かかった俺を見て、五更がニヤリと笑う。
「あら怖い」
「…………チッ」
何度目の舌打ちだろうか。やはりこいつとは相性が悪い。
ぼっちというのは誇り高い生き物だ。
人は心の中に、己を支える柱を持っている。誇りとはその柱の一つだ。
他には、他者との繋がりもそうした柱の一つに含まれる。こちらの場合、柱の数と太さは反比例する傾向があるが、基本的には数が多い方がより強固な自分を保てるようだ。というより、数が多いと柱の一つ二つが折れた程度ではさしたる影響が出ないというだけなのだが。
同じ理由で『誇り』という柱が折れても、友達の多いリア充にはダメージにならない。
しかしぼっちの場合、他者との繋がりという柱が存在しない分、誇りの柱が太く強固になる。その為ちょっとやそっとで折れることは無いが、他に支えるものが無い為それが折れてしまうと立ち直れない。
だからこそ、ぼっちは誇りを傷付けられると、過敏に、過剰に反応してしまう。
これは習性というより、生物的な特性に近い。だから反応しないということはできない。
五更はそれを理解した上で、平然と俺の柱をつついてきやがった。
「……意趣返しのつもりか?」
「さあ?なんの話か解らないわ」
絶対嘘だ。お前さっきから、前に俺にやられた事やり返してるじゃん。
「で、何だって?自己犠牲?お前には俺がヒーローにでも見えるってのか?」
「馬鹿も休み休み言いなさい。ヒーローというのは、堕ちた人間を上から引き上げるものでしょう。下から押し上げるようなのはどこを探したところであなたくらいよ」
「……なぁ、お前結局何しに来たんだ?上げたり落としたりで、目的がさっぱりわからんのだが」
中二病というのは持って回った物言いを好む。五更もその例に漏れないらしい。お陰で何を言いたいのかまるで分からない。
しかしこれまでの事を鑑みるに、五更は材木座と違い、回りくどいだけで意味の無い事というのは言わない気がする。
だとすると、五更には俺に伝えたがっていることがある筈なのだが……。
「……忠告よ」
五更は重々しく口を開いた。
「人には人の領分というものがあるわ。手の届かない幻想を追うのは止めておきなさい」
カヲルくん、君が何を言っているのかわからないよ。
「例えあなたが闇の底の汚泥から産まれ出でた、あらゆる祝福から見放された存在だとしても、身の丈に合った生き方さえしていれば、それなりの幸せは掴めるものなのよ」
「やかましいわ、大きなお世話だクソガキ。つうか俺はバケモンかなんかか」
「化け物じゃない」
「オイ」
あまりと言えばあまりの言葉に思わず突っ込む。が、
「……私はかつて、力を欲していたわ。欺瞞も理不尽も全て跳ね除ける、世界そのものと戦える力を」
しかし五更のその瞳に、冗談の色は無い。
「その力を振るって、私を馬鹿にした連中を見返してやりたかった。世界に私を認めさせたいと思っていた」
まさに中二だ。だが、これがふざけているのかというと、そんなことはない。
そもそも中二病というのは、本人の真剣さ、その一点においては他の追随を許さないものだ。
つまりは五更も、過去に許せない何かがあったのだろう。皆が『当たり前』と受け入れている間違いを、認められなかったのだろう。
――俺と、同じように。
「私がかつて渇望し、結局は手にすることの叶わなかったその力を、あなたは当然のように体現している。これが化け物でなくてなんだと言うの?」
しかし、五更の口から出てくる言葉は過去形ばかり。そして俺に向けられた眼差しには、かすかではあるが憐れみが混じっている。
――不愉快だった。
「……えらく持ち上げるな。自分が諦めちまった物を持ってる俺が羨ましいってか?」
「褒めてないわ。忠告と言った筈よ。そしてこれも以前に言ったことがあったわね。……私は変わったのではなく、前に進んだのよ。諦めたのではなく、そもそも必要なかったことに気が付いただけよ」
五更はそこまで言うと、立ち上がって背を向けた。
「適当なところで止まりなさい。そのまま行けば、いずれあなたの強さに、誰も付いてこられなくなるわ」
そう言って歩き出す気配を見せ、留まった。
「……今日の放課後、先輩に告白するわ」
そのままそんなことを言う。
先輩というのは高坂京介のことだろう。なんの告白かは言わずもがなだ。
声は平静を装っているが、髪の隙間から覗いた首筋が真っ赤に染まっているのを、俺は見逃さなかった。
「見ていなさい。必ず成功させてみせるわ」
言葉少なに宣言して、今度こそ歩み去る。
五更が言わんとしていた事におぼろ気ながら気が付いたのは、それを見送り、五更の姿が完全に見えなくなって、さらにしばらく考えてからだった。
要するに五更は、あまり無茶をするなと、そう言っていたのだ。
己の身を削らずとも良いと。そんなことをしなくとも望む物は手に入ると。
俺にわざわざ告白のことを伝えたのも同じだ。
手本を見せてやる。そう言っているのだろう。そしてそんな言葉が出てくるということは、五更は五更で俺に似たところを見出だしていたということか。
「……クソガキが」
本当、生意気な後輩だ。
いいだろう。見せてもらおうじゃないか。ぼっちが幸せを掴む瞬間とやらを。
俺はMAXコーヒーの蓋を開けて喉に流し込んだ。
苦かった。
だけど、初めて五更と話した時よりは、少しだけ甘かった。
肩にかかるわずかな重みに目を覚ます。
どうも夢を見ていたらしい。見れば隣に座る戸塚が、俺の肩に頭を預けて眠っていた。
いつもなら舞い上がり、妙なテンションになって周囲の人間に気味悪がられるところだが、今はそんな気も起きない。いや、戸塚の寝顔は超可愛いけど。
寝ぼけた頭で今の状況を思い出す。と言っても、修学旅行の帰りの新幹線で眠ってしまったというだけなのだが。
俺はいつものように隅っこの席に座り、戸塚が隣に来てくれて、さらに材木座がわざわざ隣のクラスから押し掛けてきた。その材木座も俺の正面で寝こけている。……鼻ちょうちんとか初めて見たぞ。昭和のマンガか、こいつは。
他の連中も寝ている奴がほとんどなのか、行きと違って非常に静かだ。
由比ヶ浜と戸部も眠っていて、三浦と葉山がそれぞれタオルケットをかけてやっていた。
俺の偽告白の甲斐もあってか、葉山達も今まで通りにやれているらしい。……少なくとも表面的には。
昨日のことを思い出す。
由比ヶ浜を泣かせたのは二度目だ。一度目は職場見学の時。そのせいだろうか、あんな夢を見たのは。
結局、五更の告白は失敗した。
振られたわけではなく、相手側に何かトラブルがあったらしく、告白どころではなくなってしまったのだ。
それからどうなったのかは知らん。知りようもない。
つまるところ、ぼっちには幸せになる権利は無いってことなのかもな。
ざけんな。
よく言われることで、幸せの席の数は決まっているというのがある。だからその席を奪いあって、こぼれ落ちた人間は不幸になるのだと。
俺はそれが気に入らなかった。
どこの誰が決めたルールだかは知らないが、これでは必ず誰かが不幸にならなければならない。
そしてこのルールを決めた奴は、不幸になった人間を嘲笑っている筈だ。初めからそのつもりで考えたルールとしか思えない。
だから俺は、抗いたかった。その理不尽な決まり事に。
そこに落ちることは不幸だと言われる谷底で、抜け出さなければ決して幸せにはなれぬと決めつけられたその場所で、幸せを掴んでやると、そう決めた。
不合理なルールを定めた神を、落ちた者達を指差し嘲笑う世界を、見返してやると、そう決めた。
だからこの場所は俺の物だ。この底辺は、他の誰にも譲らない。踏み込む奴は叩き返す。
そう、決めていた。
ハッ。
思わず自嘲が漏れる。なんだこの中二病。材木座なんか目じゃねえじゃねえか。
そういや某中二病アニメの最終話でも言ってたな。中二病は一生治らないって。
結局のところ、五更の言うことは正しかったのだろう。
俺は身の程も知らずに突っ走り、結果全てを失った。いや、全てと言うほど悲惨ではないだろうが。
それでも雪ノ下を怒らせ、由比ヶ浜を泣かせてしまった。
平塚先生は今度こそ俺を見放すだろうか。
五更が今回の、あるいは文化祭での俺のことを知ったらなんと言うだろうか。
心の中で雪ノ下に謝り、由比ヶ浜に謝り、そして夏休みの間に転校してしまったという生意気な後輩のことを思い出しながら。
俺は再び眠りに落ちた。