猫がいる   作:まーぼう

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第6話

 閃光。

 そう形容するに相応しいパンチだった。

 俗にワンツーと呼ばれる高速のコンビネーション。老いてなお屈強な肉体から放たれた両の拳が、視認すら困難な速度で相手の顔面に突き刺さる。

 怯んだところを更に左、右、左と畳み掛け、体勢を大きく崩した相手の側頭を飛び後ろ回し蹴りが抉る。

 その勢いは着地後も止まることはなく、くるくると独楽のように回転し、連続足払いへと変化した。

 いや、その威力は足払いなどという生温いものではなかった。一撃で相手の脚が真横に弾け飛び、達磨落としのように落下してきた上半身を二撃目が捉えると、今度はその威力の為か真上へと浮き上がる。

 哀れな被害者は、まるで荒波に翻弄されるが如く上へ下へと身体の位置を入れ替え、当人には最早、自身がどのような状態にあるかも分からなかっただろう。

 だが彼の不幸は終わらない。

 老人の掬い上げるような掌打が浮いた身体の中心を穿ち、遥か天までかち上げる。

 木の葉のように舞い上がった男の真下では、この状況を作り上げた老人が、ゆっくりと腕を振り上げていた。

 まるで、内包されたエネルギーが溢れ出しているかのように老人の全身から放電にも似た光が迸り、それは振り上げられた拳へと収束していく。

 やがて――と言っても、時間的には2秒にも満たないだろうが――男が重力に従い落下を始め、老人はそれに合わせるように、否、実際に合わせて紫電を纏った腕を降り下ろした。

 落下のエネルギーに豪腕が加算され、男の身体が鋼鉄の床に、めり込んだかと錯覚するほど強烈に叩き付けられた。

 

 

 K.O!

 

「っしゃあ!」

「やったぁ!すごいよ八幡!」

「でかしたぞ八幡!それでこそこの世で最も邪悪な一族の末裔よ!」

「つ、強えーじゃねーかこのヤロウ……!」

「たりめーだ!ぼっちがゲーム苦手なわけねーだろが!三島流喧嘩空手の真髄見せてくれるわ!」

 

 やいのやいの。

 より集まって対戦祭りである。

 高難度AIとの綱渡りのような戦いも悪くないが、やはり対人戦は熱い。なんつーか裏のかき合いがすごく楽しい。

 

「わはははは!やるじゃねーか、楽しかったぜ!」

「どうも。そっちこそゲー研部長なだけはありましたね」

 

 交代して空いてる席で休んでいると、三浦先輩が豪快に笑いながら隣に腰を下ろしてきた。

 

「んで、勝ちましたけどこれでいいんすか?」

 

 ゲー研の情報を求めた俺に提示された条件というのが、ゲームでの対戦だった。先ほど、苦戦しながらもどうにか勝利を納めたわけだが。

 

「おう!何でも聞いていいぜ。単に遊び相手が欲しかっただけだからな。元々普通に答えるつもりだったぜ?」

「軽々しくそういうこと言わないで下さいよ部長。部員の個人情報にも係わることなんですから」

 

 気安く情報を開示しようとする部長を、同じくゲー研部員の真壁くんがたしなめた。

 

「お前はイチイチ警戒心が強すぎんだよ。そんなん悪用する奴なんかそうそう居るわけねーだろが」

「居るかも知れないでしょう。ていうかそういう問題じゃないですし」

「カッ!疑り深けーヤロウだな!お前ちっと裏切りの洞窟行って信じる心でも探してこいよ」

「僕、アイテム物語読んだことありますけど、あれってむしろ疑心暗鬼を誘発する呪いのアイテムみたいですよ?」

 

 俺は二人のやり取りをじっと眺める。

 最初話した時にも思ったが、三浦先輩は初対面の相手でもある程度好意的に解釈する人間のようだ。

 以前、リア充(真)と(笑)の違いを説明したことがあるのだが覚えているだろうか。判断基準は簡単、比企谷八幡に優しいかどうかだ。

 リア充(真)と(笑)の差は、主にその人間性にある。

 真のリア充は、あらゆる相手に対して優しく振る舞うが、それは他人を善人だと信じているからだ。では何故他人を善人と信じられるのか?それは自分自身が善人だからだ。

 人間は自分を基準に物事を判断する。

 程度の差や、自覚無自覚の違いはあれど、主観でしかものを見ることが出来ない以上、これは避けようのないことと言える。

 ほとんどの人間は、自分が善人ではないために、善人が存在することを信じ切ることが出来ない。

 善人の場合は逆に、他人が善良ではないことを理屈や常識で理解することは出来ても、本当の意味で人を疑うことは出来ないのかもしれない。

 

 俺のような得体の知れない人間を、それも自分の所属するコミュニティに害を為すかもしれない者を、普通に誘って遊べてしまうあたり、三浦先輩は本質的には葉山なんかと同タイプの人間なのだろう。

 外見的には割と典型的なオタクで、いわゆる負け組に属する側に見える。だが本当に充実しているかどうかというのは、他人からどう見えるかは関係ないのだ。

 一方真壁くんは、リスクと利益を秤にかけ、常に他人の目を意識し、常識を盾にして行動する。

 それは極めて当たり前のことで、誰もがごく自然に行っていること。

 つまりは俺と同じタイプ。要するにただの小者だ。

 俺は真壁くんを説得することにした。

 

「そんな警戒すんなよ真壁。ちゃんと初めから説明するからよ」

「まぁ説明してもらえるなら、ってなんでいきなり呼び捨て!?さっきまでくん付けでしたよね!?」

「好感度上がったんじゃね?」

 

 三浦先輩がゲーマーらしい予想を口にする。

 

「今の会話でですか!?なんか上がる要素ありました!?」

「まあ確かに上がったかな。『よく知らん奴』から『どうでもいい奴』にランクアップした」

「おお!やったな真壁!」

「やってないですよ!ていうか上がってるんですかそれ!?」

 

 

「なるほどな。それでウチを嗅ぎ回ってたわけか」

 

 簡単に事情を説明すると、三浦先輩は鷹様に頷いた。こういうのがいちいち様になる人だな。

 

「しかし高坂先輩といい、愛されてますねぇ、五更さんは」

「その高坂先輩って高坂京介のことだよな?どういう人なんだ?」

 

 真壁から何気なく出てきた名前に反応すると、三浦先輩の方が食い付いてきた。

 

「なんだ、高坂のことも知ってんのか?」

「いや、噂くらいですけど」

「そうか!オレと高坂はな、同じ女を愛した、言わば義兄弟ってところだな!」

 

 ……今何角関係なんだよ。ヘキサグラムくらいいってんのか?

 

「一応説明しておきますと、二人して同じエロゲヒロインにマジ恋愛しちゃった痛い人って意味ですからね」

 

 それはそれで嫌だ。つうかエロゲ関連の噂はマジっぽいな。

 

「でもまあ、悪い人ではないと思いますよ。五更さんのことも気にかけて色々動いてくれてるみたいですし」

「そうなのか?」

「ええ。実は昨日も新歓会がありまして、それを利用して女子二人に仲良くなってもらおうとしたんですけど」

「ああ、そんなのあるとか言ってたな。駄目だったろ?」

「それが元々仲悪かったみたい断定ですか!?いや確かにダメでしたけど」

 

 赤城のあの言い草じゃな。正直うんこな未来しか見えん。

 三浦先輩が腕を組み、少し真剣な顔をする。

 

「つーわけでオレらもちっと困ってんだわ。なんか良いアイディアとかねーか?」

「部外者が口出ししちゃっていいんすか?」

「今さらってやつだろ。細けーこた気にすんな」

 

 そう言って歯を剥いて笑う。確かに今さらだ。

 

「それにあいつら、二人とも有望だからな。ウチとしても手放したくねーんだよ」

「有望って、そんなにゲーム上手いんですか?」

「それもあるんだがな、揃ってプログラミング経験者ってのがでかいな」

「え、ゲー研って作る方もやんの?」

 

 てっきりダラダラ遊ぶだけの部活かと。

 

「おう!今度遊びに来いよ。オレ様自慢の滅義怒羅怨をやらせてやるぜ!」

「はあ、行けたら行きます」

「部長、自信満々にクソゲーを勧めないで下さい。一応ゲームコンテストにも時々参加してるんですよ。上位に入ったことは無いんですけどね」

「そういうヌルい姿勢だからダメなんだよ!つうかオレのゲームのどこがクソゲーだ!?」

「全部に決まってるじゃないですか」

「お……ま……メチャクチャバッサリきやがったなテメェ!?」

 

 漫才を始めた二人にトイレと告げ、俺はその場を離れた。

 

 

「疲れた……」

 

 一階のトイレで鏡に向かってため息を吐く。

 久しぶりに沢山話したせいで随分消耗したらしい。

 別に不快なわけではないのだが、俺の場合、根本的に「誰かと一緒に行動する」というのが苦手なのだ。社会に適合しようと思ったらリハビリが必要なレベル。やはり将来は専業主夫しかない。

 なんとなく上に戻る気が起きず、クレーンゲームのコーナーをフラフラと見て廻る。

 人の入りはそこそこで、混雑するほどでもなく、かといって寂しさを感じることもなく。ストレスを感じずに遊ぶなら理想的かもしれない。

 そんな中で、ある台と格闘する少女が目についた。

 長く艶のある黒髪の、思わず見惚れてしまうほどの美少女。下手をすれば雪ノ下にも負けないほどだ。最近どこかで見たような気がするが……まぁ気のせいだろう。

 俺より少し年下であろうその少女は、しばらく台と財布の中身を見比べると、ため息を吐いて去っていった。どうやら諦めたらしい。

 何を狙っていたのか見てみると、それは丸っこくデフォルメされたツインテールの女の子のぬいぐるみ。確か、星くずうぃっちメルルとかいうアニメのキャラだ。

 名前は知ってるけど、同じ時間にマスケラやってたから観てなかったんだよな。一般的にはこっちの方が人気あったらしいけど。こんなとこでも少数派なのね、俺。

 景品はまだ残っているが、位置や積まれ方を見るに取れそうなのは一つだけだ。さっきの娘はこれに挑戦していたのだろう。一つだけやたら取り易そうな形で転がっていた。

 

「……」

 

 なんとなく二百円を投入。

 クレーンは狙い過たずにぬいぐるみの重心をがっしり掴み、あっさりと持ち上げる。

 一発ゲット。つい取っちまったけどどうすっかなこれ。

 

「あ……」

 

 声に振り向くと、先ほどの少女が財布を片手に茫然と見ていた。

 どうも諦めたわけではなく、単に両替に行って来ただけのようだ。悪いことしたな……。

 がっくりと項垂れて立ち去ろうとする少女を、俺は呼び止めた。

 

「おい」

「え?」

「パス」

 

 胸元を狙ってぬいぐるみを投げる。反射的に受け止めた少女は、えっ?えっ?と、手元と俺とを忙しなく見比べていた。

 

「やる」

「そ、そんな!困ります!」

「んじゃ捨てといてくれ。俺、それ要んねえから」

 

 そう言って返事を待たずに歩き出す。ぬいぐるみなんか持ってても仕方ないしな。……フィギュアならともかく。

 それにこのまま別れれば『通りすがりの親切な人』でいられるかもしれないが、迂闊に話すとイメージ下がる一方だからな、俺の場合。

 もっとも今の時点で『なんかいきなり贈り物してきたキモい人』と思われている可能性もある。

 それを裏付けるようなセリフが飛んできた。

 

「ま、待ってください!通報しますよ!」

 

 ……状況を整理しよう。

 女の子が狙っていた景品をうっかり取ってしまい、すごいガッカリしてたからプレゼントしたら通報宣告。

 

「……俺何の罪で訴えられんの?」

「す、すみません!癖でつい!」

 

 なんだ癖か。……癖になるほど通報してるってどういうこと。少年探偵団にでも所属してんのか。

 

「んで、何の用?」

「ですから、これをお返ししようと……」

「だから要らねって。持ち帰るなり捨てるなり好きにしてくれ」

「でも、只で貰うわけにはいきませんし……」

 

 真面目そうなのは印象通りだが、どうもそれ以上に強情なタイプらしい。素直に受け取ってくれるのが、お互いにとって一番良いと思うんだが。

 

「……只でなけりゃいいわけか?」

「……え?」

 

 コクン、と小首を傾げる美少女が一人。

 俺はそれを見て唇を歪めた。

 

「なら一つ、頼みを聞いてもらおうかな」

 

 

「はいよ、お茶で良かったんだよな?」

「あ、ありがとうございます」

 

 新垣と名乗った少女にペットボトルを手渡し、俺はMAXコーヒーの蓋を開けながら隣に腰を下ろした。やはり千葉県民はこれに限る。

 

「んで、相談ってのはさ、後輩の女子二人が仲悪いのを何とかしたいんだけど」

 

 頼みというのがこれだった。

 只では受け取れないと言うので、相談に乗ってもらう謝礼、ということにしたのだ。

 打開策の見えない現状に、意外な目線をもたらしてくれるかもしれない、という期待もある。そっちはダメ元だが。

 初めは警戒心剥き出しだったのだが、冗談で人生相談と言った途端に態度が軟化した気がする。なんでだ?

 

「その二人ってなんで仲悪いんですか?」

「そうだな……片方は真面目で片方は捻くれてる。だから合わない」

 

 俺が言うなって感じだが。

 

「真面目な方に合わせればいいだけだと思いますけど」

「真面目だから正しい、ってことにはならんだろ。そもそも合わせられるくらいなら捻くれ者なんて呼ばれない」

「でも真面目な人なんですよね?なら失敗しても適当なこと言って話を誤魔化したりしないと思いますし、他の人もそっちの方が納得しやすいんじゃないですか?」

 

 おいおい、論点がずれてるぞ。今は『他の人』なんて奴は関係ない。

 

「周りが納得するのと当人が納得するのとは別問題だろ。捻てる方が正しくても真面目な方に合わせるのか?」

「それは……仕方ないじゃないですか。それまで周りに合わせてこなかった人が悪いんですから。捻くれてるってそういうことですよね?」

 

 ……仕方ない、ね。

 

「つまり君は、事実がどうであろうと数が多い方が正しいと、そう言うわけだ」

「……そんなこと言ってないじゃないですか」

「言ってるのと同じだろ。実際の内容よりも周りからどう見えるかの方が重要なんだろ?それはつまり、味方の多い方が正しいと言っているのと同じじゃないのか?」

「そんなつもりで言ったんじゃありません!それに味方が多いってことは、それだけ多くの人に認められてるってことじゃないですか。ならそれで間違ってないと思います!」

 

 少しキツい言い方に反発したのか、新垣がやや大きな声で反論する。先ほどまで多少は好意的な態度だったのが嘘のような剣幕だ。

 だがそんなことは俺にとっては別段珍しいことでもない。怯むことなく反撃する。

 

「数が多い側が揃って間違ってることだって珍しくない。ニュースなんかの間違った情報を鵜呑みにしてる連中とか典型だろ」

「じゃあ捻くれてる方が正しいって言うんですか!?」

「一方的なものの見方をするなって言ってるんだ。例えば君の友達が、君に理解できない趣味を持っていたとして、君はそんな理由で友達をやめるのか?違うだろ?」

 

 そこまで話すと新垣は鼻白んだように黙りこんだ。

 ちっと強く言い過ぎたな……。この娘にこんな厳く当たる必要なんかどこにもないのに。

 この手の話になるとついムキになっちまう。アドバイスを貰う立場でこれはないだろう。

 

「……まぁ、なんだ。君みたいな考えは多くの場合正しいんだけどな。それでも間違えることはある。自分の正しさを信じ過ぎると、大事な時に自分も他人も傷付けることになるから気ぃつけろ」

 

 ばつの悪い顔でそう言うと、新垣は目に涙を浮かべてみるみる顔を青ざめさせ、ってなんで!?

 

「ちょ、どうした!?」

 

 さすがに動揺して声をかけるがそれで精一杯だ。後はどうすれば良いか分からずオロオロするのみ。俺マジ使えねえ。

 

「すみません。大丈夫です……」

 

 新垣は涙を拭ってそう言うが、無理しているのが見え見えだ。本人も誤魔化し切れるとは思ってなかったのだろう。ぽつりぽつりと語り出した。

 

「このぬいぐるみ、友達にプレゼントするつもりだったんです。このアニメの大ファンらしくって」

 

 そりゃまた随分趣味の良い友達だな。所属するコミュニティも含めてそっち方面には縁が無さそうなのに。

 

「私、その娘のこと大好きで、尊敬してて、でもそんなこと全然知らなくて……」

 

 話しながら、また涙が溢れてくる。

 

「私ショックで、信じたくなくて、でも否定してくれなくて、私、もう付き合えないって言っちゃいました。二度と話しかけないでって、言っちゃいました……」

 

 極端だなオイ。どうやらフォローしたつもりで地雷を踏んでしまったらしい。

 

「なんぼなんでもアニメでそこまで言うことねえだろ?」

「……いえ。詳しいことは言えないんですけど、それだけじゃなかったんです」

 

 アニメ以外にも手を出していたらしい。エロゲとか?ハハッ、まさか。精々エロ同人だろ。ねーよ。

 

「その時は、ある人の助けもあって仲直りすることができたんですけど、本当はやっぱり怒ってたんじゃないかなって。もうずっと連絡くれないし、嫌われちゃったんじゃないかって」

 

 もはや涙を拭いもせず、ボロボロこぼしながら独白を続ける新垣。友人というよりほとんど恋人に捨てられたノリである。

 

「このぬいぐるみも、次会った時にあげられれば、機嫌直してくれるかなって、でも、いつ会えるか分からなくて……」

「なあ、仲直りしたってどうやったんだ?二度と話しかけんなとか言ったんだろ?」

 

 延々と沈み続ける新垣に強引に割り込む。いや、単に雰囲気に耐え切れなくなっただけなんですが。

 

「……えっと、その娘の方から仲直りしたいって言ってくれて」

「でも君は拒絶してたんだろ?」

「……はい。私も仲直りしたいとは思っていたんですけど、その趣味だけはどうしても認められなくて。だからそんな趣味やめようって頼んだんですけど、絶対いやって言われて。私、凄いショックでした」

 

 絶対いやってのもすげぇな。いや、俺だって人から「認められないから趣味やめろ」とか言われたら反発するけど。

 

「私、その娘に偽者って言っちゃったんです。こんな人、私の親友じゃないって」

 

 つまり、珍しいパターンではあるがレッテル貼りの一種だな。

 通常、レッテルというのは相手を見下す為に貼り付けるものだが、この娘の場合は相手に理想を押し付けてしまったのだ。そして相手がその理想から外れた為に失望し、身勝手に糾弾した。

 よくある、とまでは言わないが、さして珍しい話でもない。探してみればいくらでも転がっている、ありふれた、下らないエピソードだ。だがまあ……

 

「なのにその娘は、私のこと大好きだって、私も趣味も、両方大事だから、絶対諦めないって。おかしいですよね?」

 

 そう、最後に俺に問いかけた新垣は、相変わらず涙でぐしゃぐしゃだったにも関わらず、どこか誇らしげに見えた。

 俺はそんな彼女に、先ほども思ったことを率直に伝える。

 

「大したもんだな」

「はい。凄い娘なんです。私には、両方手に入れるなんて思い付きもしませんでした。本当に彼女は……」

「いや、俺が言ってんのは君のことだよ」

「え?」

「許せなくて、認められなくて、絶交までして、それでもちゃんと仲直りして今も友達続けてんだろ?普通そこまで行ったらケンカ別れしてそれまでだろ。中々できることじゃねえよ」

 

 俺は友情だのなんだのと、声高に掲げる奴らが嫌いだ。そうしたものを取り扱った、安っぽいドラマも。けれど、

 

「そういった諸々に目を瞑ってでも友達でいたかったんだろ?」

 

 ならばきっと、その友情は本物なのだろう。俺は、本物は否定しない。

 

「相手の娘だって同じだったんだろ。でなけりゃ、そこまで言われた相手とわざわざ復縁したりしねえよ」

 

 だからあんま心配すんな。

 そう言うと、新垣はどうにか笑ってくれた。

 

「比企谷さん……ありがとうございます」

 

 

 

「すみません、お恥ずかしいところをお見せして」

「まあ、気にすんな」

「それに相談に乗る約束だったのに、こっちが愚痴を聞いて貰っちゃって」

「それはむしろこっちが謝らせてくれ。なんか悪かったな、やなこと思い出させて」

「いいえ、実は最近ずっと落ち込んでて。話を聞いてもらえて少し気が楽になりました」

 

 新垣はそう言って微笑むと、突然何かを閃いたらしく、そうだっ、と声を上げた。

 

「お二人に何か共同で作業させてみるのはどうでしょうか?」

 

 一瞬何の事だか分からなかったが、すぐに元々の相談、五更と赤城についてのことだと思い至る。

 

「私も桐……その娘に仕事で色々世話してもらっているうちに仲良くなったんです。だからそのお二人も、同じ目的を与えてあげれば仲良くなれるんじゃないでしょうか」

 

 ふむ、一理ある。

 たとえ嫌いな相手であっても、仕事となれば最低限のコミュニケーションは取る必要が出てくる。そうなれば、友情は無理でも仕事仲間として能力を認め合うことは出来るかもしれない。

 ゲーム制作は共同作業とどこかで聞いたこともある。三浦先輩に提案してみよう。

 

「ていうか仕事って?」

 

 つい聞き流しそうになったところを聞いてみる。確かまだ中学生って話だったはずだが。

 

「あー……その、アルバイト、みたいなものです」

 

 少し困った顔で歯切れ悪く答える新垣。

 ……よくわからんが深く突っ込むと迷惑っぽいな。気にしないことにしよう。

 

「……比企谷さんが相手だとつい話しすぎちゃいますね。なにか調子が狂うと思ったら、知り合いにちょっと似てるんですね」

 

 おいおい、俺に似てる奴とかこの世に存在すんのかよ。

 

「ちょっとだけですよ、ちょっとだけ」

 

 新垣はそう言って、遠くを見るような眼をする。

 その眼は過ぎ去った何かを、もう変えられない何かを見ているようで、後悔と諦めが滲んでいるように見えた。

 

「……もし、一年前に会っていたら、私、比企谷さんのこと好きになっていたかもしれませんね」

 

 そんなことを呟く。

 

「なんだそりゃ。一年前だとなんか違うのか?」

「内緒です。ふふっ」

 

 いたずらっぽく言ってベンチから立ち上がる。

 

「それじゃ、そろそろ私、行きますね。今日は色々ありがとうございました」

 

 そうして最後に向けられたのは、見惚れてしまうような、まさしく天使の、としか形容しようのないとびきりの笑顔だった。

 俺は思わず顔を逸らしてしまう。やべ、顔赤くなってねえか?

 誤魔化すようにポケットをごそごそやると、指に引っかかったのは、今日戸塚と取った猫のストラップ。

 その内一匹を新垣に差し出す。

 

「これ、やるわ」

「え、でもお礼のぬいぐるみはもう……」

「こっちは泣かせちまった侘びだ」

 

 ホントは極上の笑顔を見せてもらった礼だけどな。ぬいぐるみ一つじゃ貰い過ぎだ。言わねえけど。

 

「……そういうことなら」

 

 新垣は猫を受け取ると、確かめるように握り締める。

 

「……あんまり女の子に優しくしちゃダメですよ?好きになっちゃったらどうするんですか」

 

 俺の場合、その心配はするだけ無駄だ。別に優しくもないしな。

 

「……ホント、変なところばっかり似てますね」

 

 なんのことやら。いや、ホント何のことだよ?

 

「はちま~ん、どこ~?」

 

 遠くから耳に甘い声が聞こえる。いつまでも戻らない俺を探しに来たのだろう。少し離れたところを、戸塚が可愛くきょろきょろしていた。時計を見ると既に結構な時間が経っていた。

 

「あ、彼女さんが迎えに来たみたいですよ?」

「ば!ばばばばっか、彼女とかそそそんなんじゃねーよ!」

「ふふっ、意外と可愛いとこあるんですね?私と一緒に居るとこ見られたら浮気と思われちゃうかも?」

「うっせ!もういけっ!」

「あははっ!それじゃあ本当にありがとうございました!」

 

 こうして新垣は俺をからかいながら去っていった。ったく……。

 今のやり取りが聞こえたのだろう。戸塚が俺を見つけてとててっ、と走り寄ってきた。

 

「八幡、こんなところで何してるの?」

「悪りぃ、ちょっとな」

「ふ~ん……可愛い娘だったね?」

「ああ、そうだな」

「……!はっ、八幡!」

「うおっ!?ど、どうした、戸塚?」

「今日は僕と遊ぶ約束でしょ!?」

「お、おう。それがどうかしたのか?」

「~~っ!」

 

 いきなり無言で、というより言いたいことがあるのに言葉にできない、という感じだったが、とにかく戸塚に強引に腕を引かれて歩き出す。

 戸塚が機嫌を直してくれるには、結構な時間がかかった。

 まったく今日はついてない、とは思わない。

 一日に二人も天使と話しておいて、ついてないなどと言ったらそれこそ神罰ものだろう。ゾンビは破魔属性が弱点だからそれは避けたい。あれ、神罰って万能だっけ?

 それはともかく、今日は中々に有意義な休日だったといえるだろう。小町にプリンでも買ってってやるか。


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