猫がいる   作:まーぼう

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第9話

「一体どういうつもりなのかしら?」

 

 奉仕部の部室にて、俺はまたしても正座させられていた。

 正面には椅子に腰掛け、ゴミクズを見るような目をした雪ノ下が。

 後ろには、仁王立ちで猛獣のシャドウ(ポメラニアン)を背負った由比ヶ浜がそれぞれ俺を見下ろしている。

 

「いやあのそのですね、やれることはもう大体やったし後は若い者に任せて年寄りは退散した方がいいんじゃないでしょうか、なんて」

 

 しどろもどろで言い訳になってない言い訳を吐き出す。

 これがどういう状況なのか。

 今日の昼、俺は一人で五更のところに赴き、勝手に依頼を打ち切ってしまった。その事を二人に責められているのだ。

 

「比企谷くん。あなたは何度も私を驚かせてくれるのね。これ以下には下がりようがないと思っていた評価が更に下がることになるとは思いもしなかったわ」

「ヒッキーどういうこと?五更さんのこと見捨てないって言ったのに」

 

 もっともこの二人が気にかけているのは、依頼の成否云々よりも五更の身の安全の方だ。つまり、五更に関わる口実が失われたことが問題にされているのだ。

 

「……あー、そのだな。五更なら多分大丈夫だろ」

「ちょっとヒッキー、適当なこと言わないでよ」

「適当じゃねえよ」

 

 これは本音だ。決して二人の追求を面倒がっているわけではない。

 確たる根拠が有るわけでもないが、俺は五更を信じることにしたのだ。

 

「……本気で言ってるの?」

「ああ」

 

 そもそも依頼について出来ることは、もう本当に残ってない。

 

「飢えた者に魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教える。お前が言った事だぞ、雪ノ下」

 

 五更の友人になれそうな相手を見付け、ゲーム制作というきっかけも用意し、お膳立ても整えた。

 ここから先は当人同士の問題だ。これ以上の手出しは奉仕部の理念に抵触する。

 

「もし、上手く行かなかった場合、それはあなたの責任になるわよ。それでもいい?」

「好きにしろ」

「……随分強情ね、あなたらしくもない。何かあったの?」

「たまにはそういう事もあるってだけだ。高坂京介は元々依頼の外のことだ。納得いかないなら好きにすればいい。だが、五更にはもう関わるな。そういう約束だ」

 

 雪ノ下はしばらく俺を見詰めていたが、やがて目を閉じると小さくため息をついた。

 

「……やはりダメね。ゲーム研究会が終わる時間を見計らって、今度は私と由比ヶ浜さんで五更さんと話しに行きましょう」

「あれ!?」

 

 由比ヶ浜が意表を突かれたような声を上げる。うん、俺も意表突かれたよ。おもくそな。

 

「……なぁ、今のって納得いかないながらもひとまずは認める流れじゃなかったの?」

「何を言っているの?納得いかないなら認める筈がないでしょう」

「いや、そうかもしれんが、ここは普段と態度が違う俺に免じてとりあえず信じてみるとか……」

「バカなことを言わないで。あなたに何か信用に値する要素があるとでも思っているの?あなたが関わっている、それだけで疑う理由としては充分でしょう」

「なるほど納得。表出ろこのヤロウ。前々からお前とは一度ハッキリ決着つけなきゃならんと思ってたところだ」

「ふっ、ついに馬脚を現したわね。口で勝てないから腕力に訴えようなんて、低俗な有象無象の考えなんていつも同じね。ところで私は合気道の有段者なのだけれど、本当に表に出てしまっていいのかしら?」

「額を地面にこすり付けますからいじめないで下さい」

「よろしい」

「ヒッキーカッコ悪……」

 

 うるせえ仕方ねえだろ。力に訴えようなんて低俗な有象無象の考えはいつも同じだ。暴力ダメ絶対。

 つうかなんなのこいつ?美人で金持ちで頭良くて運動出来て戦闘能力ありとかおかしいだろ絶対。ラノベのヒロインかなんかなの?

 戦維喪失して本当に土下座する俺を見下ろし満足気に微笑む雪ノ下と、蔑みを通り越して憐れみの視線を向けてくる由比ヶ浜に、どうしてくれようかと思考を巡らせている時のことだった。

 

 

『お兄ちゃんに言いつけてやるんだからっ!』

 

 

 どこかから、そんな叫びが聞こえてきた。

 

「…………なに?今の……」

「いや、俺に聞かれても」

 

 唖然と呟く由比ヶ浜に、思ったままを答える。

 

「……下の階からかしら?」

 

 雪ノ下がぽつりと漏らす。よく分かるなそんなもん。

 しかし下と言うとゲー研か?そういや聞き覚えのある声だった気もする。聞き間違いでなければ、あれは多分……

 記憶を探っていると、コンコン、とノックの音が響き渡った。

 

「どうぞ」

 

 雪ノ下がドア越しに告げると、失礼しますという言葉と共に開かれた。

 

「どうも」

 

 そこには真壁が、どこか困り顔で立っていた。

 

 

「赤城さんが、逃げた?」

「はい……」

 

 雪ノ下の言葉に、真壁は力無く頷いた。

 真壁の話によると、五更と赤城のプレゼン対決は今日だったらしい。

 初めは赤城が優勢だったらしいのだが、決を取る段階になって、赤城のゲームにある致命的な欠点が発覚。結果、5対0の満場一致で五更のゲームが採用されることになったそうだ。

 赤城はそれにショックを受け、『プレゼンに負けた側が勝った側のゲーム制作を手伝う』という約束を放棄して逃走したらしい。

 ……致命的な欠点ってなんだろう。ガチホモゲーだったとか?さすがに無いか。

 

「……それって、大変なんじゃない?」

 

 大変だろう。本来なら真壁も俺達に構っている余裕は無いのかもしれない。

 にも関わらず、約束を守って律儀に状況報告に来てくれてるのだから、こいつも大概なお人好しだ。

 

「……五更はどうするって?」

「一人で作ると言ってます。でも、元々二人分の作業量でスケジュールを組んであるんで、正直厳しいと思います」

「みんなで手伝えばなんとかなるんじゃないかな?」

 

 由比ヶ浜から出た意見に、しかし真壁は首を横に振った。

 

「部長は手伝う気ないみたいです。新入部員の実力テストって名目なんで。高坂先輩は手伝うつもりですけど、こっちは完全に素人なので戦力にはならないと思います」

「それにこれは、あの二人に仲間意識を持たせる為のものだからな。ただゲームを完成させるだけじゃ意味が無い」

 

 真壁の言葉に補足する。

 このゲーム制作は、五更と赤城を協力させることが目的なのだ。

 いざとなれば部員全員で手伝うのもありだろうが、そこから赤城が抜けていたのでは本末転倒になってしまう。

 

「とにかく時間を置いてからもう一度説得に行ってみます」

 

 真壁は最後にそう言って退室した。

 

 

「さて、比企谷くんのせいで折角のゲーム制作が台無しになりかけているわけだけど」

「おい」

「……さすがに意地が悪かったわね。ごめんなさい」

「……」

 

 なんだろう。素直に謝られた方が百倍気持ち悪いってどういうこと?雪ノ下に対して気持ち悪いなんて思った奴、この学校で俺だけなんだろうな。

 

「それにしても困ったわね。赤城さんが約束を破って逃げ出すなんて……」

「そういうタイプの娘には見えなかったんだけどなあ……」

 

 雪ノ下の呟きに相づちを打つ由比ヶ浜には、少なからず失望が見える。

 まあ気持ちは分かる。俺も赤城が責任を放棄するタイプには見えなかったしな。

 とは言えだ。

 

「なんだかんだ言ってもまだ高校生になったばっかだしな。感情が制御出来ないことだってあるだろ」

 

 感情に流されることなく理性的な判断を下せることが大人の条件だとするなら、例えどれだけしっかりしてるように見えたところで、15やそこらのガキが大人として振る舞うのは無理な相談なのだ。

 実際、高校生なんてまだ子供だ。それは俺達だって変わらない。いや、良い歳した大人にだって、それが出来ない人間は大勢いる。

 筋が通っていないことが分かっていたとしても、それで納得出来るかはまた別の問題なのだ。

 

「とにかく、あたし達からも赤城さんに部活に戻るようにアプローチして……」

「いや、その辺はわざわざ俺らでやらんでもゲー研でやるだろ。寧ろ、ろくに接点の無い俺達がでしゃばっても不審がられるだけだ」

 

 由比ヶ浜の言葉を首を振って否定する俺に、雪ノ下が鋭い視線を投げ掛ける。

 

「では、どうすると言うの?」

「どうもしねえよ。初めに言ったろ、俺達に出来ることはもう終わった。後は当人同士の問題だ」

 

 雪ノ下は少し考える素振りを見せると、不快そうにため息を吐いた。

 

「……仕方ないわね。依頼はここまでだわ」

「……ゆきのん、いいの?」

「良いも悪いもないわ。出来ることが残ってないもの」

 

 そして俺を睨み付けて言った。

 

「言っておくけれど、別にあなたが正しいと認めたわけではないわよ。いいわね?」

「あぁ、わかったわかった」

 

 フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向く雪ノ下。

 どうも俺の言った通りになるのが気に入らないらしい。この負けず嫌いさんめ。

 

 

 

 それから数日が過ぎた。

 翌日から赤城は、部室に顔を出さなくなったらしい。

 真壁が説得に向かったらしいが『もう行きません』と言われてしまったそうだ。

 俺達は俺達で、苦肉の策として、葉山を通して兄貴の方から働きかけてもらおうともしたのだが、肝心の赤城先輩の機嫌が悪くて話にならなかった。

 どうも妹が口を利いてくれないらしい。そんなんなったら俺でもグレる、つうか多分死ぬ。

 

「困ったわね……」

 

 雪ノ下の呟きに、答えることも出来ない。

 どうにもならない状況が続いていた。

 ゲー研はゲー研で動いている。それでダメなのだから、部外者の俺達にはどうしようもない。

 ……本当に依頼は失敗かもしれないな。

 ふと、そんな考えが去来した、その時だった。

 バンッ!と部室のドアが勢いよく、というより寧ろ乱暴に開かれる。

 驚いて目をやると、由比ヶ浜がドアを開けたままのポーズで突っ立っていた。

 

「……由比ヶ浜さん、どうかしたの?」

 

 雪ノ下の問い掛けにもろくに反応がない。顔を青ざめさせて小刻みに震えている。

 

「おい、どうした?」

 

 その尋常ではない様子に改めて声をかけると、由比ヶ浜はどこか虚ろな声で呟いた。

 

「……五更さんが」

「!? おい、五更がどうした?」

「五更さんが、高坂京介の家に連れ込まれてるって……」

 

 

 由比ヶ浜が真壁から聞いた話によると、五更と高坂京介の二人は、赤城が抜けたにも関わらずコンテスト用のゲーム制作を続け、その作業を高坂京介の自宅で行っているらしい。

 つまり、作業中は二人きり。しかもこれは既に、数日間にわたって行われているらしい。

 ……まあ、確かに色々と妄想の膨らむシチュエーションではあるが、正直俺は、二人に何かがあるとは思っていなかった。

 五更にしても、高坂京介にしても、そういった事に積極的なタイプには見えなかった。

 無論、俺の勝手な思い違いという可能性もあるし、何より年頃の若い男女のことだ。雰囲気に流されることだって十分有り得る。が、それはそれで構わないとも思っている。

 だが女子二人が、そうは思わないことも分かっていた。

 

「あたし、五更さんと直接話してくる!」

「だから五更にはもう手出しするなって約束が」

「そんなこと言ってらんないよ!手遅れになったら……ううん、手遅れでも別れさせなきゃ……!」

 

 言うが早いか、由比ヶ浜は部室を飛び出して行った。

 放課後になってさほど時間も経ってないし、五更を捕まえることは出来るだろう。

 雪ノ下は由比ヶ浜を見送った後、ため息を吐いて自らも立ち上がる。

 

「おい、何する気だ?」

「由比ヶ浜さんが五更さんの説得に当たるなら、私はもう一人の被害者に会ってくることにするわ」

「……もう一人?」

「高坂京介の幼馴染みよ。確か田村麻奈実先輩だったかしら。ここのところ高坂京介は五更さんに懸かりきりで、田村先輩は放置されている状態らしいわ。今なら私の言葉でも届くかもしれない」

 

 そういやあったな、そんな設定。こいつよく覚えてたなそんなもん。

 雪ノ下は俺に向かって口を開いた。

 

「あなたはどうするの?このまま不干渉を貫くつもり?」

 

 それは単なる意志確認の言葉だったのかもしれないが、俺には『お前も何か動け』と言っているように聞こえてしまった。

 より具体的に言うと、『自分達が話している間、高坂京介を足止めしろ』と言われている気がした。

 俺はため息を吐いて首肯した。

 

「……わかった。もう一人とは俺が話しておくわ」

「そう」

 

 雪ノ下は素っ気なく、しかしどこか満足気に頷くと部室を出ていった。

 さて、俺も行くか。このまま放っといてbadendってのも気分悪いしな。

 

 

 

 学校から駅に繋がる道の途中にある丁字路。俺はそこで壁にもたれ、人が来るのを待ち構えていた。

 家に帰るにせよ、駅前に遊びに行くにせよ、この場所は必ず通る。

 ここ数日の間、目標の行動は定型化している。ならば、パターンを読んで先回りするのは難しいことではない。

 懸念材料があるとすれば、一度奉仕部に出てからここに来たので、もうとっくに通り過ぎた後でした、ってな可能性も十二分に有り得ることだったのだが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。

 目的の相手が、数人の女子とお喋りしながら歩いて来るのが見えた。

 俺は壁から身を起こし、その相手の前に立ち塞がった。

 

「よう」

「あ……ヒキタニセンパイ?」

 

 俺を見た眼鏡の少女、赤城瀬菜は目を丸くしていた。


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