ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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VSゲンガー メティオの塔

 レニアシティ復興祭を間近に控えた今日、修行の名目で各地にバラけていたダイたち四人組はそれぞれの特訓を修了しようとしていた。

 ダイはテルス山からルシエシティへ場所を変え、エイレムの屋敷とポケモンセンターを行き来する日々を送っていた。

 

「あ~~~~~~~~~~ん寂しいわコスモスちゃん! そうだわ、ママと一緒に来ない? ね、ね? そうしましょ?」

「奥様、そろそろご出立のお時間でございます。このままでは飛行機に乗り遅れてしまいますゆえ、程々に──」

「ダイくんからも何か言ってよ~! コスモスちゃんと一緒じゃなきゃヤ~~~~!!」

「奥様」

 

 結局、執事のブロンソによって車に放り込まれるまで延々とコスモスに泣きついていた。走り去る車に対して小さく手を振るコスモスを見て、ダイは苦笑いを隠さずに言った。

 

「ヒメヨさんの子離れ、いつになるんですかね」

「さぁ……私がお婆さんになるまで、でしょうか」

 

 つまりは生涯現役か、と呟きながらダイはなんだかんだあり得る未来のような気がしてならなかった。

 隣を見るとコスモスの横顔がある。遂に一ヶ月の間、毎日見続けた横顔だ。一緒に冒険していたアルバたちの横顔の輪郭が頭の中でボヤケている気がした。

 この二週間、ダイはジュカイン以外のポケモンもフルで用いての特訓をコスモスと行った。時折ヒメヨも教導に混ざったりしてくれて、ダイはポケモンリーグの入り口がどれだけ高いところにあるかを再認識させられた。

 

「今日は、行かなければならないところがあります」

「それって、"メティオの塔"ですか?」

 

 コスモスが行き先を告げる前にダイが言い当てると、コスモスは少し驚いたように目を見開いた。

 

「驚きました、どうしてそう思うのですか?」

「この間、コスモスさんが俺に隠し事をしてるって話をした日。レシラムと話をしたんです。そうしたら俺がレシラムと一緒に戦うために必要な真実はメティオの塔にある、って」

 

 だからダイはそろそろラジエスシティに戻らなければいけない今日、コスモスが切り出してくると予想していたのだ。

 ライトストーン、もといレシラムと話をしたとダイが言うと、コスモスは長い睫毛を少しだけ揺らした。

 

「では準備が出来次第、向かうとしましょう」

「俺はいつでも」

「そうですか、それでは少しだけ時間をいただきますね」

 

 コスモスはそれだけ言うと屋敷の中に戻っていった。それを見送ったダイは手持ち全てを一度ボールから出した。

 ジュカイン、ゼラオラ、ゲンガー、ウォーグル、ゾロア、メタモン。彼らはこの一ヶ月で、かなりパワーアップした。

 一時は進化出来ない個体だとされたゾロアも、コスモスから譲渡された"しんかのきせき"によって耐久力に磨きをかけた。

 

 さらにゼラオラも、積極的にバトルを行ったことで既にリライブ寸前まで心を開いていた。レニアシティでの戦いで取り戻した【プラズマフィスト】の練度も上がってきている。

 手持ちたちが大幅に強化されたことで、ダイも少しずつ自信をつけていった。だがそれでもまだコスモスから勝ちをもぎ取るところまでいかない。

 

 このままではポケモンリーグ出場が危ぶまれるが、最悪VANGUARDのメンバー証である"VGバッジ"をジークバッジの代わりにする事はできる。その場合、今度はレニアシティが誇る英雄の民カエンとのジム戦は避けて通れなくなるのだが。

 

 なんにせよ、まずはバラル団との決着である。そうでなければポケモンリーグは開催すら出来ないかもしれないのだ。

 

「お待たせしました」

 

 ちょうど全員のコンディションを確認し終えた頃、コスモスが肩掛けの小さな鞄を提げて現れた。黒いゴシックドレスに合うマホガニーカラーの鞄だった。

 コスモスはカイリューを呼び出し、ダイはウォーグル以外の手持ちをボールに戻してその背に飛び乗った。

 

 どちらともなく飛び立ち、朝の清々しい空を翔ける。ダイはタウンマップを取り出して場所を確認する。今はルシエシティを出て暫くの場所にある"17番道路"上空だった。そしてメティオの塔はラフエル地方南東の位置に存在している。つまりはこれからラフエル地方を縦断する必要があるのだ。現在は早朝だが、ゆっくり飛んでいれば到着する頃には昼を過ぎているだろう。

 

 ダイはちらりと、カイリューの背で淑やかに座すコスモスを見た。出発前と同じ憂いを秘めた横顔がどうにも気になったのだ。

 彼女の言う「隠し事」がそこまでコスモス自身に気負わせているのかもしれない。だがダイは、人が人に隠し事をしていると正直に打ち明ける場合、それがどういう意味を持つのか理解していた。

 

 そもそも、メティオの塔に行かなければ始まらないのだ。今はコスモスを信じて飛ぶしか無い、とダイも腹を括った。

 しばらく飛んでいると、テルス山を追い越し、かつてアルバとリエンとパーティを組んで冒険に出始めた14番道路と、モタナタウンの真上に辿り着いた。

 

「そんなに長い時間経ったわけじゃないのに、なんか懐かしいな」

 

 一人、ダイは呟いた。視界の端、浜辺の最果てにポツンと立っている小さな物置小屋が見えた気がした。そのまま海上を飛び続けているうち、ぼんやりと水平線に浮かぶ島が見えてきた。

 タウンマップを開くとその島が地続きではないことが分かった。今では巨大な橋が掛かっているため、陸路でもアクセスは可能そうであるが。

 

「見えてきました、あそこです」

 

 数時間ぶりに口を開いたコスモスが指差す先には黄緑色の短い草原にそびえ立つ一本の石造り。近づけば近づくほどわかる、天を穿つラジエスタワーに匹敵するその巨大な塔こそラフエル最古の遺跡。

 

「あれが……メティオの、塔」

 

 草原に降り立ったカイリューとウォーグルをボールに戻し、コスモスが先を行く形で塔への一本道を歩く。海が近いからか、強い潮風が横殴りに吹き続けている。コスモスの髪やフリルのスカートが強風に煽られているのを見て、ダイは小走りで彼女の隣、コスモスから見て風上の方へ並び立った。

 

「大した風除けには、ならないと思いますけど」

「……いえ、助かります」

 

 耳の脇で流れる髪を抑えながらコスモスが言った。ダイはいつだったか、コウヨウが潮風は女性の天敵だと言っていたことを思い出していた。せっかく彼女よりも背丈だけは大きいのだから、とダイは極めてぎこちなくコスモスをエスコートする。

 

 互いにそれ以上の会話の無いまま石造りの塔へと向かい、遂に古びた門扉を見上げるところまでやってきた二人。

 きい、と音を立ててコスモスが扉を開けた瞬間だった。

 

「この扉の向こうへ進むには英雄の民か、彼らの随伴が必須です」

「え……ここまで来たのに!?」

 

 振り返りながらコスモスが言った。それに対しダイは素っ頓狂な声を上げざるを得なかった。なにが悲しくて何時間も掛けて空を飛んできたのにも関わらず入り口で出入りを制限されなければならないのか。

 だがコスモスはそのまま敷居を跨いで荘厳の中へと脚を踏みれた。そしてダイに向かって、手を伸ばしたのだ。

 

「──これから先に立ち入るということは、()()()()()()ですので口外しないようお願いします」

 

「っ……マジか」

 

 ダイは思わず固唾を呑んだ。コスモスは決して、バレないよう不法侵入しようと提案しているわけではない。なぜなら、今日アポイントは取ってあると彼女が既に公言しているからだ。

 であるなら、答えは一つ。

 

 コスモスが、この扉を身一つで潜ることを許された人間──即ち、英雄の民であること。

 

「他に、知っている人いるんスか」

「エイレムの血を引く者と、ブロンソのような上級使用人だけです。ひと月前に一度カエンくんと訪れましたが、彼にも話していません。それ以外となると、この先に待つ人物だけでしょう」

「なるほど、そりゃ話のタネにはできそうに無いですね」

「ご理解いただけたようで何よりです」

 

 塔の中は外の風の喧しさが嘘のように静まり返っていた。脚を踏み出す時の、靴底が微かに石畳を擦る音が爆音に聞こえるほどには無音の空間だった。そんな中、コスモスのブーツがカツカツと石畳とセッションし、小気味好い音を奏でながら階段を登っていく。ボロボロの壁に空いた穴からは外の日差しがピンポイントで降り注ぎ、それに照らされながら手ぐしで簡単に荒れた髪の毛を整えるコスモスの姿はさながら絵画の中の世界そのもので、思わずダイはため息を吐いてしまう。

 

 やがて上層階にやってきた時だった。ダイは肌に、突き刺すようなプレッシャーを感じた。そして数歩先を歩くコスモスの影が自分の影に比べて濃いことに気づいたのだ。

 そこからは、半ば反射で飛び出したように後ろからコスモスを突き飛ばした。

 

「コスモスさんッ!」

 

 突き飛ばされたコスモスが日差しに照らされた場所へ踏み込む。従って、コスモスの影が壁の影から独立することになる。そしてダイが繰り出したゲンガーが浮遊する腕を鋭く、コスモスの影へと叩き込んだ。

 だがその拳は、影の中から飛び出してきた()()()()()()()()()()()()()が受け止めた。ヌッと影から現れ出るは、同じくゲンガーだった。

 

「野生のポケモン……いや、違う!」

 

 少なくとも野生のゲンガーならば、このひと月で鍛え上げられたゲンガーの【シャドーパンチ】を受け止められるはずがない。

 そして何より、ダイが息を詰まらせるほどに濃いプレッシャーを放つとは考えられない。何者かが、このゲンガーをけしかけてきたと考えるのが妥当だった。

 

 返すように、相手のゲンガーが【シャドーパンチ】を放ってきた。それも両手が、凄まじい速度で迫る。もう一度浮遊腕を繰り出し、応戦するダイのゲンガー。

 目にも留まらぬ高速の乱打が二匹の間で繰り出される。スピードはダイのゲンガーの方が僅かに勝っているようだった。

 

「……ッ」

 

 だが、攻撃の精密さと精神力で勝っているのは相手のゲンガーのようであった。見れば、ダイのゲンガーが二撃繰り出すのに対し相手のゲンガーは一発。だが、その一発で拳の中心点を叩き最小限の力で跳ね返している。

 スタミナは有限なのだから、このラッシュの応戦が長引けば長引くほどピンチに陥るのはダイのゲンガーの方だ。

 

 

「──突き進め(ゴーフォアード)、ゲンガー!」

 

 

 だからダイは、深呼吸の後に声を張り上げた。ゲンガーの目つきが変わり、覚悟を灯す。凄まじい光が塔の中を照らし出し、ゲンガーが姿を変えようと光を纏う。

 左腕を突き出すダイから虹色の光が放たれ、ゲンガーは進化の繭を突き破って再度相手のゲンガーへと突進する。

 

「メガシンカ!」

 

 宵闇をその身に携えた、メガシンカしたダイのゲンガーが先程を上回る速度で【シャドーパンチ】を繰り出す。たった一発に拳を跳ね返されるのなら、さらにもう一発相手が反応できない速度で繰り出すだけのこと。

 距離を詰められたままでは不味いと悟ったのだろう、相手のゲンガーがコスモスの影から完全に飛び出すと闇色の魔球をその手に出現させる。

 

 ダイは逡巡の末、コスモスに視線を送った。コスモスは嘆息の後、ジャラランガ──パシバルを呼び出しその影に控えた。

 直後、メガゲンガーとゲンガーが同時に【シャドーボール】の雨を放ち合う。流れ弾が塔の壁にぶち当たっては石塵を散らす。

 

「ゲンガー、ストップだ」

 

 最上級の一撃を放とうとするダイのゲンガー、だがそれをダイが抑えた。それを見て、相手のゲンガーもまた魔球を消滅させた。

 

「どうしたのですか?」

 

 コスモスが尋ねるが、ダイは周囲に目を向けたまま答えない。戦闘の終了に伴い、ゲンガーのメガシンカが解除される。さらに、相手のゲンガーが攻撃方法を近接(クロス)の【シャドーパンチ】から中距離(ミドル)の【シャドーボール】に変えた瞬間、【みちづれ】を自分に掛けたことにダイは気づいていた。運良く相手に魔球を直撃させたとしてもゲンガーは瀕死に持ち込まれていた。

 

 決定的だったのは相手の攻撃に敵意を感じなかったこと、明らかにダイのゲンガーを()()()()()と感じたのだ、だからダイは戦闘を中止した。

 

 

「──なかなか、良い洞察力をしている」

 

 

 その時だ、相手のゲンガーの影から逆に人影が現れた。その人物はフード付きのローブで素性を隠していたが、背丈と声音で辛うじて女性だと分かった。

 ダイはゲンガーをボールに戻すと、ローブ姿の女性もまたゲンガーを下がらせる。直感で、ダイはこの人物に会うためにコスモスは自分を連れてきたのだと悟った。

 

 そうして、それが分かったために彼女へ近づこうとした時だった。

 

「あぁ、三歩先に気をつけたほうがいい」

 

「え────?」

 

 ダイが突然投げかけられた言葉を咀嚼して、意味を理解するまでに三秒を要した。その間、進んだ歩数は三歩。つまり宣言された歩数を歩いたのだ。

 次の瞬間、ダイの体勢ががくんと崩れる。経年劣化で脆くなっていたのだろう、ダイが踏み出した三歩目によって踏み抜かれた床が音を立てて抜け落ちたのだ。思わず落ちかけたダイの腕をコスモスが引っ掴み、事なきを得た。

 

「あっぶねー……」

 

 コスモスの補助を経てなんとか持ち直したダイが一汗拭う。そして、改めて目の前の人物に視線を送った。

 ローブ姿の女性が立ち上がると、目の前に漂う水晶もまた彼女の胸の高さまで浮かび上がる。

 

「改めて。よく来たな、エイレムの末裔。そして──」

 

 フードの奥、微かに光を放つ眼がダイを射抜いた。見られている、と察知したダイが思わず硬直する。女性は徐にフードを捲りあげ、艶やかな褐色を晒した。

 緩やかなウェーブラインを描くその薄紫の髪は、厳密に色味は違えど今は遠くで頑張っている友達(ソラ)を思い出させる。

 

「直に顔を見るのは初めてだが……視たのはこれで()()()だな、白陽の勇士よ」

 

 薄く微笑みながらそういう褐色の女性にダイは訝しみを隠せなかった。どういう意味だ、と尋ねようとした瞬間バッグの中が熱くなるのを感じた。

 慌ててバッグからライトストーンを取り出すと女性は一度目を見開き、そして再び微笑みを携えた。

 

「見事だな、このひと月でここまで仕上げてくるとは。エイレムの末裔はよほど仕込んだようだ」

「貴女の予言を聞いてしまえば、そうもします」

 

 嘆息を隠しながらコスモスが言う。ようやく話が見えてきたダイが口を挟もうと一歩、今度は足元に注意しながら踏み出した。

 

「まずは名乗ろうか、白陽の勇士よ。私の名はサーシス、ポケモン協会の命によりここメティオの塔の管理を任されている。そして──」

「彼女は、ラフエル地方におけるポケモンリーグの四天王の一人でもあります」

「四天王……!? 最強の一角が俺のこと知ってるって、なんか照れるな」

 

 高揚を隠せずにダイが呟く。だが、自己紹介も終わりいよいよ本当の目的を果たすこととなる。

 

「ひと月前、レニアシティでの決戦時。私とカエンくんは彼女に会い、未来を()()もらいました」

「未来を……?」

「如何にも。四天王という任の傍ら、私は占い師を生業としている。故に私は人の未来を見通すことが出来る」

 

 その言葉を、ダイは疑わなかった。むしろそのためにサーシスはダイに向かって「足元に先に気をつけろ」と言ったのだ、ダイがそこで躓く未来が見えていたからだろう。

 加えて彼女は「その顔を見るのは三度目」と言った。つまりは、サーシスが視たという未来の中にダイの顔があったということになる。

 

「彼女の占いは、必ず当たると言われています。殆どが予言の域、とも」

「なるほどね……それじゃあ、今日俺が来たのは、もう一度直に占ってもらうため?」

「そうなります。お願いできますか」

 

 コスモスが尋ねると、サーシスは静かに頷いて水晶玉越しにダイの目を覗き込んだ。すると水晶玉が燐光を帯び始め、塔の中に淡い光が満ちる。

 するとサーシスの意識が水晶玉に入り込み、ダイはそれに引きずり込まれるように彼女と同じものを()()

 

 自分の肉体が消滅し、まるで体感型の映画を見ているかのような感覚。

 

 黒い雲に覆われた空の下、復活した白陽(レシラム)黒陰(ゼクロム)が無数の影と戦っている。ダイはレシラムの背に乗っている人物に目を向けたが、まるでそこだけモザイクが掛かっているかのように姿がハッキリとしない。そして二匹が戦っている相手である、無数の影。それは紫と青の体色をした見たこともないポケモンだった。というよりは()()()()()()()()()()()()生物感であった。

 

 場面が切り替わり同じく黒い空の下、荒れ狂う海の上で一際目立つ()()()()。海の上には難破寸前の大きな船が大波という暴力に襲われている。

 

「これは……これが、未来……?」

 

 ダイが呟くが、返事は返ってこない。さらにもう一度場面が切り替わると、そこはメティオの塔の中だった。現実に戻ってきたんだと理解したダイだったが、突然戻ってきた肉体の感覚に思わず尻もちを突いてしまう。

 すかさずコスモスが手を差し出し、ダイがそれに掴まって立ち上がる。すると先程と違い、顔を険しく顰めているサーシスの姿があった。

 

「どうしたのですか」

「以前、エイレムの末裔と共に視た未来ではそこな少年が、白陽と黒陰を引き連れ巨悪に立ち向かう姿があった」

 

 だが、そう続けるサーシスの意図が二人にも分かった。その先の言葉は、エスパーでなくとも予測ができた。

 

 

「──端的に言えば、未来が姿を変えた」

 

 

 その言葉に、ダイは言葉を失った。絶句した、とも。手の中で光を放つ白い宝玉の暖かさが途端に嘘くさくなった。

 しかしコスモスはというとそれを望んでいたのだろうか、至ってフラットな姿勢を保っている。

 

「『白と黒を従えし孤高なる勇士、その生命尽きても破を滅ぼす』……以前の予言では、そうなっていましたね」

「あぁ、そうだ。白陽の勇士が生命と引き換えにこの世界を救う、それが前回の予言だ。だが先程も言った通り、未来が姿を変えた」

 

 ボソボソと話し合う声にダイがハッとさせられる。全てが繋がった、コスモスがダイにしていた"隠し事"の内容が分かったのだ。

 

「つまり、俺がその、レシラムとゼクロムを従える孤高の勇士になって、人身御供にならなきゃラフエル地方は救えなかったのか……?」

「包み隠さず言えば、そういうことになります。黙っていたことは謝罪します、ですが──」

 

 

「──ふざけんな!!」

 

 

 コスモスが頭を下げるが、それを中断させるのは怒号だった。

 それでも彼が怒るのも無理はないと、コスモスは思っていた。甘んじてその怒りを受け入れようと目を瞑った。

 

 だが、ダイの怒りはコスモスに向いていたのではなかった。

 

「さっき俺が視た未来では、レシラムとゼクロムを引き連れいる人間が誰かわからなかった! つまり、()()()()()()()()()()()()()かもしれないってことだ!」

 

 思わずコスモスは顔を上げてしまった。歯噛みするダイの目尻には悔しげに揺れる涙があった。そうして、気づいてしまった。

 彼の怒りは、自分以外の誰かが生命を懸けなければいけないことに向いていたのだ。

 

「あなたは……自分ならその役を引き受けてもいいと思っているのですか……?」

「そうだよ!! むしろ合点が行ったよ! なんであの日、レシラムが俺を生き返らせたのか! 全部、その時のためだろ!!」

 

 たった十五歳にして、自分が生贄になることに対しなんの恐れも抱かず、あまつさえ自分以外がその役を引き受けるかもしれないという事実に酷く憤っている。

 この少年は、ダイは、異常だ。狂っているとさえコスモスは思った。それはサーシスも同様で。

 

 そんな悲しい覚悟があってたまるか、と思った。だが覆そうにも、揺らがないエメラルドの瞳。

 

「おいレシラム。お前確か言ったよな、お前と一緒に戦うのに必要なのは覚悟だって。見ての通り覚悟ならとっくに出来てんだよ」

 

 白宝玉を掲げて、ダイが強めの語気で語りかけた。コスモスもサーシスも、ただ見守るのみ。

 明滅を繰り返すのみの宝玉目掛けて、遂にダイが怒鳴りかけた。

 

「だからお前も、俺と戦うって腹ァ括れよ、今ここで!! じゃなきゃ、マジで叩き割るぞ!!」

 

 石畳に置かれた白宝玉を睥睨するダイ、その姿は死に急いでいる愚者そのものでコスモスは思わず眉を寄せた。

 

「頼むよ……ダメなんだよ、誰にも死んでほしくない……あんな痛くて、寒くて、寂しいのは」

 

 一月前に経験した今際の際を、思い出す。身体を襲う酷い虚脱感と、生命という熱が身体から抜け落ちていくあの感覚は忘れることなど出来ない。

 言葉を一度でも交わした誰かが、あの痛みを味わうことを想像するだけで歯の根が震える。

 

「俺だけでいいんだ……慣れてるヤツの、仕事だろうが……ッ」

 

 悲痛な懇願に、白宝玉は応えない。ただ淡い明滅を繰り返すのみだ。

 静寂が場を支配する。それを打ち破ったのは、ブーツの底が石畳を少し乱雑に叩く音。そして、

 

 パァン! 

 

「……ッ」

 

 ──頬を打つ、乾いた音だ。

 というのもコスモスが歩調を強めてやってきた後、ダイに思い切り平手打ちを見舞ったのだ。

 

「いい加減にしてください。貴方が思っている()()は、私達も同じです」

 

 この一ヶ月間、コスモスが表情を歪めるシーンを見たことがない。それだけにダイは目の前の、悲しい激情を顕にするコスモスをまじまじと見つめてしまった。

 

「貴方が自分ひとりで上がりを決めるのは、貴方のお友達に対する卑劣な裏切りです。

 それに貴方だけじゃない、誰もがみんな、自分に出来ることをするために強くなろうとしているんです。どうして一人で背負うんですか?」

 

 ダイはハッとする。このひと月、死にものぐるいだったのは自分だけじゃない。

 アルバも、リエンも、ソラも、それぞれの戦いをしてきた。もう以前の自分たちではない。

 

 しかしダイはどこかでまだ三人のことを「守るべき存在」として、庇護するつもりでいた。

 彼らは許すだろう。だがそれは、人からすれば今している努力を無視されるようなものだ。

 

「何より、貴方はまた彼女(ソラ)を一人にするつもりですか? 彼女には貴方が必要なんです」

 

 決定打だった。それを言われてしまったら、ダイはもう無闇に生命を散らす選択が出来ない。

 だが、それならどうすればいいのか。示された未来によって、未来が閉ざされている気がした。

 

「少し、いいか」

 

 その時だ、未来の暗示をもたらしたサーシスがタイミングを図ったかのように割ってきた。

 

「そもそもな、占いとは本来未来の暗示に一喜一憂するいわば、娯楽だ。それに全てを託しきって、後はなにもしないということはあってはならない」

「何が言いたいんだよ、サーシスさん」

「つまり噛み砕いて言ってしまえば私は、私の視た未来を否定してほしいのさ。後は分かるな?」

 

 白陽と黒陰を従えし勇士は死ななくてもいいかもしれない。

 

 その勇士とはダイじゃなくても良いのかもしれない。

 

 そもそも、この地方を救うのにレシラムとゼクロムの力は必要ないかもしれない。

 

「未来は人の解釈次第でどうとでも姿を変えるんだ。大事なのは向き合い続けること。

 たとえ未来が暗い、荒れ狂う海であろうとも前へ突き進む強い意思。それこそが」

 

 

 彼女の視なかったたった一つの未来を引き寄せる、同じくたった一つの奇跡、

 

 

「私は『運命(あした)を切り拓くヒトの力』だと思っている」

 

 

 出会ったときから変わらない微笑みを向けられて、ダイは次第に頭が冷えていくのを感じた。

 それこそ決まった未来だと決めつけて、足掻くことを最初から諦めていたように思う。

 

『落ち着いたかい?』

「ようやく喋りやがって……だけど、そうだな。目は覚めたよ」

 

 ピシャリと頬を打つダイ。隙間から入り込んできた微かな風がすっと胸を通り抜けていく。

 まるで、透明になったみたいだと髪を揺らす風を受けてダイは思った。

 

 バラル団との戦いである以上、相手方が所有しているダークストーンをどうにかして入手する必要がある。誰が持っているのかすらわからない今、バラル団に接触しなければ始まらない。

 幸い、VANGUARDとして戦う機会はいくらでもあると、ダイは考えていた。

 

「ありがとう、コスモスさん。知らないままだったらきっと、未来で直面した時もっと狼狽えたかもしれない。サーシスさんも、アレが本当に来る未来だとしても……」

 

 手のひらの上のライトストーンと、モンスターボールに収まった六匹の仲間、そして今はいないもう一匹の顔を思い浮かべてダイは自然と笑みを浮かべた。

 

 

「──俺は運命と戦ってやる」

 

 

 そして勝ってやる、とは言わなかった。その意気込みと覚悟は、十分伝わっただろうから。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 場所は変わり、ある地下の街では灰色がそこかしこを跋扈していた。それぞれが思い思いに、仄暗い笑みを浮かべているのが分かる。

 そんな中、パンパンと手を打つような音が響いた。

 

「注目ゥー!! 整列!!」

 

 赤毛を逆立たせながら怒号に近い声音で下っ端たちに整列を掛けるのは、バラル団の通称"ワース組"と呼ばれる人員の中で班長を務めるロアだった。

 班長クラスの号令により、下っ端と彼より下のランクの班長たちが軍隊のように綺麗な隊列を作る。

 

「これでいいか?」

「堅いねェ、俺たちゃ軍隊や警察じゃねぇんだぞ。お前ら、楽にしていいぞ」

「だったら最初からテメーが号令かけりゃいいじゃねえか!! なんだったんだよさっきの!」

「だってデケー声出したら疲れるだろうが、反面お前はハナっから声がデケーし適任だろ」

「ふざけんな! おいオッサン! ゴラ!!」

 

 ギャンギャン喚き散らすロアを横目に、整列した下っ端たち総勢三十人ほどの顔を順繰りにワースが見ていく。

 顎髭を撫でるのは、査定の一貫。自身の勘を最大まで高めるゲン担ぎのようなものだ。

 

「ワースさん、指示通り指定されたメンバーを集めたが、これで良かったのか?」

「おう、今回の任務は隠密班が主力になる。となればお前さんが選んだ人員が一番信用できる」

 

 未だに騒いでいるロアを無視して、ワースはフードを深めに被った隠密班長イグナの肩に手を置いた。

 そのイグナの後ろに並んでいるのは、彼が選りすぐった隠密班の人員だ。そんな中、ワースはイグナの数人後ろで青い顔をしている一人の下っ端に気づいた。

 

「お前さん、名前は?」

「は、はい……"エス"といいます」

「新人だな、前に査定()た覚えがねぇ」

 

 くすんだ金髪の少女は震えながら頷く。するとイグナがワースに提言した。

 

「少し前に、ソマリが連れてきた追加人員……After thawing(雪解け水)です」

 

 雪解け水、それはバラル団が決起したあの"雪解けの日"以降にメンバー入りした新人を揶揄する言葉だ。

 彼らがバラル団に加入するに至った経緯は様々だ。真実に気づいた者、バラル団の理想に興ずる者。

 

 だがエスは違う、彼らの仲間入りを果たした理由はひとえに、恐怖があったからだ。

 

「使えるのか?」

「少し動かしてみましたが、実働補助から人払い、電気系統の破壊工作に役立つかと。特に今度のミッションは、祭りの最中を狙うわけですし」

「ふぅん……」

 

 ちらり、とワースはエスを見る。かたかたと小さく震える尖兵は些か頼りなく思えたが、イグナがこの場に連れてきたということは彼が彼女の手腕を買っているという何よりの証左。これ以上の口出しは野暮というものだ。

 

「そうだよワースさぁん、マリちゃんの人を見る目も信用してほしいなぁ~」

 

 その時だった。エスの肩を後ろから抱くようにして現れるのは、バラル団のスカウト班長ソマリだった。イグナの言う通り、エスを見つけた張本人だ。

 まるでアーボの祖である"蛇"と呼ばれる生き物のように、鋭くも粘ついた視線をエスに向けているソマリ。

 

「あン? なんだよ、お前らも来るのかよ」

「そうでーす! ハリアー様からの直々のお達しでーす! ほら、ハリアー組(うち)がそもそも実働補助の本元だし~? ちなみにケイカたんも一緒で~す!」

 

 ソマリがそう言うと、どこからともなく暗部班長のケイカがスッと現れた。あまりの気配のなさにイグナの部下がざわめき出す。裏切り者や大物の()()が主な任務のケイカの噂を知っている者なら当然の反応だろう。

 

「……ま、人手が多いに越したことはねェか」

「ぶーぶー! 信用してないな~? まぁいいですケド~」

 

 文句を垂れるソマリをも無視してワースは再度前に出る。ソマリと入れ替わりで落ち着き払っていたロアに指示を出し、大型のトランクケースを用意させた。

 それはこの集会が始まる前からロアが持ち運んでいた荷物だ。それを開ける準備をロアが始めると、イグナが尋ねた。

 

「ワースさん、これは?」

「おう、うちの研究班が遂にやってくれてな。完成したんだよ」

 

 ガチャリ、重々しい音を立ててトランクが開くとそこには漆黒の宝玉と、黒いバングルが複数個収まっていた。

 イグナがその黒い手のひらサイズの宝玉とバングルを手渡され、光に透かしてみる。すると見辛いが中にはDNAの螺旋を模した"進化の紋章"が刻まれていた。

 

「"キーストーン・I(イミテーション)"、研究班が開発した、いわば量産型キーストーンとメガストーンだ」

 

 あまねく奇跡を、人の力とした。祝福の虹は冒涜の黒へと塗り替わった。これは、そういう類の黒だとイグナは思った。

 

「問題なく動くようだがな、グライドの野郎は今回のミッションでこいつの実戦データを取ろうとしてるらしい。つーわけで、一つ頼まれてくれねえかイグナ」

「良いのかワースさん、俺たちの本領は隠密行動だぞ」

「そう言うと思ったぜ。だがな、相手はあのオレンジ色だ。それもこの一ヶ月、ライトストーンを目覚めさせるために特訓漬けらしいじゃねえか」

 

 つまりは、こちらも擬似的な奇跡を身に纏わなければならない。イグナは瞑目し、首を縦に振った。

 

「わかった、任せてくれ」

 

 イグナは自分のポケモンに対応した《メガストーン・I》をロアから受け取るとそれを手持ちのヘルガーへと持たせた。

 さらにイグナの手持ちにはコドラがいる。進化後のボスゴドラもまた、メガシンカが可能とされる種のポケモンだ。

 

「そっか~、オレンジ色……ダイきゅん、って言ったっけねぇ彼。今もまだ頬がヒリヒリしてるよ」

 

 ひと月前の戦いで、思い切り殴られたことを思い出すソマリ。お礼参りももちろんだが、ソマリの目的は別にある。

 

「もち一緒にいるっしょ、ソラちゃん。また遊べそうだなぁ……!」

 

 それはソラだ。悪意が再び芽吹き、立ち直った少女へと迫ろうとしていた。

 

 

「ヒヒッ、キヒヒヒ、ヒハハハハハハッ!! ヒャーハハハハハハッ!!!」

 

 

 だから悪魔は、愉悦に笑い狂う。一度味わった甘露を、再び舐めしゃぶるように。

 

 


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