音が弾ける、音が唸る、音が轟く。
ありとあらゆる音の祭典が今目の前で繰り広げられている。ダイ、アルバ、リエンは騒々しいという表現に片足を突っ込んだ空間にいた。
「すっげぇ盛り上がってんな……!」
「なにー? 聞こえないー!」
「盛り上がってんな―!!!」
「そうだねー!!!」
隣にいる人の声すら半端に届かない。それほどまでにステージから放たれる音は凄まじい。現在Try×Twiceのオープニングの最中だが、ダイは彼らのパフォーマンスが以前見たライブのそれとまるで違うことに気付いた。
ダイやステラとの交流を経て過去を振り切った清々しい笑顔がそこにはあった。もしミエルがこの場に来ていたなら同じことを思っただろうか、とダイは考えた。
「レン~! こっち向いて~!」
「サツキきゅん! お姉ちゃんって呼んで~!!」
「二人とも~! いいわよ~!! 輝いてる~!!」
周囲のボルテージも凄まじい。なぜか最後だけやけにオネエ風な喋り方の声援があった気がしないでもないが、ファンの性癖に壁など無いのだ。
ステージからレンのエイパムとサツキのペラップがセットで飛び出し、観客とハイタッチを交わす。
「あいつらも人気なんだな……」
レンとサツキだけでなくエイパムやペラップ、さらにはイワークやアイアントにルンパッパもファンから声援を送られている。
ルンパッパに進化しているということはラジエスシティでリエンがサツキにプレゼントした"みずのいし"をきっちり使ったのだろう、リエンがルンパッパに手を振ると軽快なブレイクダンスが返ってきた。
あっという間にTry×Twiceのオープニングメドレーが終了、MCを挟んで次のアーティストの準備が始まる。背後で忙しなく楽器類の調整を行っているスタッフの汗が光る。
着々と出来上がる楽器のセッティング、それを見てアルバがダイの肩を小突いた。
「そろそろじゃない?」
「そうだな、準備しておくか」
二人が話している内に設営は終わり、重厚なギターソロから現れるは稲妻の歌姫"Frey@"。
ダイたちが会場であるプールエリアに来た時、彼らを出迎えたのが他でもないフレイヤ自身だったのだ。
ソラの言っていた通り、プログラムの変更がありフレイヤが自身の持ち歌の前に"つながりの唄"をゼラオラに試してみようという提案があった。
だからダイはフレイヤが登壇するタイミングでゼラオラを彼女に預ける必要があった。ステージ上のフレイヤがダイに視線を送り、コクリと頷いた。
ダイがボールの中のゼラオラとアイコンタクトを取る。ゼラオラとも頷き合い、いざダイがステージにゼラオラを投げ入れようとしたときだった。
今からロックミュージックが流れるだろうと誰もが思っていた最中、どこからか艷やかなソプラノが鳴り響いた。それに合わせるように空気を震わせる大音量のポケモンの歌唱。
ピタリと、ダイの身体が止まった。アルバとリエンが顔を見合わせた。理由は簡単だ、微かに聞こえてきたその歌声が聞き覚えのあるものだったからだ。
加えてその直後に聞こえてきたポケモンの歌声、恐らくソラのポケモンが放った【ハイパーボイス】だろう。
ソラのチルタリスやアシレーヌは音技を歌に乗せて放つ。その癖を知り尽くしているダイたちだからこそ気付いた。
なぜソラの歌声が聴こえてきたのか、ダイは考えを巡らせる。今朝、ソラと話した内容を全て思い出す。
そして不気味なまでにカチリと全てが嵌まり込んだ。自分の推理力を今日ほど恨む日がこれから未来あるのだろうかとさえ、思った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
荒れ狂う音の波動が放たれ、対峙するコドラとバンギラスを吹き飛ばす。
イグナは自身の身体をも襲う音波を受けて歯噛みした。隣のガンダは体躯がしっかりしているため、暴虐とも思える音波に曝されても立ち構えているが線の細いイグナは身を屈めなければ吹き飛ばされてしまいそうだった。
対峙するのは、標的であるダイに化けていたソラだ。"イリュージョン"を備えたゾロアを使っての陽動にまんまと乗せられたのだ。
バンギラスがなんとか耐え凌ぎ、ソラのアシレーヌへ近づこうとするが隣のマラカッチがそれを許さない。
ソラが半音上げた状態で歌唱を続行、マラカッチは【おさきにどうぞ】でアシレーヌを補助、再びバンギラスやコドラよりも先に動き【ハイパーボイス】による音波をぶつける。
さらに特性"うるおいボイス"がアシレーヌの放つ音の技を水タイプに変えてしまうことで対峙する二匹の岩タイプポケモンへ抜群の破壊力を得る。
「ガンダさん、ヤツから仕留めたほうが良さそうだ……!」
「わかっとる、【ほのおのパンチ】だッ!」
イグナのコドラが全身をコンクリートへと擦りつけ、【いやなおと】を放つ。あまりの嫌悪感に思わずソラも顔を顰め、マラカッチが震え上がる。
その隙を突き、バンギラスの放った炎拳がマラカッチの胴体へ直撃する。しかしそれでも、ソラは歌をやめない。
主に合わせるようにアシレーヌは【うたかたのアリア】を放つ。それはマラカッチをも巻き込む形でこの場のポケモン全てを洗い流す旋律だったが、マラカッチだけはその攻撃でダメージを受けない。こちらも特性"よびみず"で水を吸収することで自身の特殊攻撃力を高める作用がある。そしてバンギラスの腕をマラカッチはきっちりと抑え込んだままだ。
歌唱に合わせて【はなびらのまい】をバンギラスにゼロ距離で叩きつける。度重なる水タイプの技と威力を高めた草タイプの技を受け、バンギラスも手痛いダメージを負う。
舞っている最中は攻撃する相手を選べない、無差別な技だが相手を逃げられない状態に追い込めば的は絞られる。
つまり、バンギラスはもう逃げられない。だがそれで終わるほど、彼らは甘くなかった。
「もうすぐタイムリミットだ。コドラ、【ステルスロック】!」
ソラのムウマージが放った【ほろびのうた】のカウントダウン。それが間もなくコドラとバンギラスに襲いかかってくる。
しかし怯まずにコドラは
そして最後の瞬間、コドラが【ほえる】攻撃でアシレーヌを吹き飛ばした。強制的にボールへ戻されたアシレーヌと、再び戦場へ引きずり出されたムウマージ。
この流れは非常に良くなかった。ソラが得意とするダブルバトルは、主にアシレーヌとマラカッチのコンビネーションで成り立っている。ムウマージはどちらかと言えばシングルで立ち回るタイプであり、マラカッチとの相性はそこまで良くない。
「ッ、【マジカルフレイム】」
ここに来て、初めてソラが口頭でポケモンに指示を出した。ムウマージの妖しい光から放たれる紫色の炎が力尽きたコドラとバンギラスを通り抜けてイグナとガンダへ襲いかかる。
「"オニシズクモ"」
「ギャラドスゥ!!」
──が、直前で現れた暴力の化身がその尾を激しく打ちならし、炎を吹き飛ばしてしまう。さらにもう片方の水泡ポケモン"オニシズクモ"は炎タイプの技を軽減する特性を持つ。
ムウマージが放った炎技を見事にケアする形で新手が現れた。
「やれ」
イグナが短く指示を出す。オニシズクモはギャラドスの攻撃の合間に糸を放ち、周囲にクモの巣を張り巡らせた。触れればくっつき離れない粘着性の糸は素早さの高いムウマージの動きを阻害する。
ソラたちの動きが鈍った隙を突き、ガンダのギャラドスが凍てつく牙でマラカッチを噛み砕いた。コドラの【いやなおと】がここで響き、マラカッチが力尽きる。
「……っ」
ジリ、と初めてソラが
さらにバラル団のユニフォームを見ているだけで、心臓はエイトビートを刻み続ける。今にも視界に鮮血の幻が浮かび上がりそうだった。鏡を見たなら恐らく最悪の顔色をしているだろうと、ソラは思った。
「ガンダさん、気付いてるか?」
「……うむ。もしや、とは思ったがな」
その時だ、イグナとガンダが神妙な面持ちで呟いた。オニシズクモとギャラドスが一度後退する。
「あの女が唄っている最中、ヤツの手持ちの攻撃が苛烈過ぎる」
「さらには歌が言葉の代わりに手持ちへの指示になっている。もちろん芸を仕込むことは出来るだろうが、その割に実戦経験の浅さが見える」
言葉にすると異質さが分かる。ソラが唄っているだけで攻撃や防御の指示となり、また攻撃の際はまるで不思議な力場にいるかのようにポケモンの勢いが増す。
そしてイグナは、ある仮説を立てた。
「あいつ、まさか
「ううむ……眉唾だと思っていたが、否定する根拠もないわな」
身動きの取れないソラと、ソラの能力を警戒しだしたイグナとガンダが睨み合いを続ける。しかし緊張の中、弾むような足音が響く。
キュッ、キュッとブーツの底がアスファルトに擦れる悲鳴が路地裏に木霊する。
「状況開始からおおよそ三十分、手こずってると思って来ちゃった。そ、し、た、ら~?」
ソラは一度、心臓が止まったかと思った。内蔵が全て口から出てくるんじゃないか、という極度の緊張も覚えた。
それもそのはずだ、バラル団の中で一番聞きたくない音を放つ存在が今目の前に現れたのだから。
「ソラちゃんじゃないですか~! ソマリだよ~、元気だった?」
バラル団スカウト班長ソマリ、悪意が人の形をしていると評される女が再びソラを睥睨した。
まるで【へびにらみ】に遭ったが如く、ソラの喉が麻痺する。思わず咳き込むソラ、その時ムウマージの動きが格段に悪くなった。
それによってイグナの仮説はどんどんと真実味を帯び始める。それを知ってか知らずか、ソマリは楽しげに一歩を踏み出す。
マラカッチの【はなびらのまい】で舞い散った花弁を踏み潰しながら距離を詰めてくるソマリ。ソラはムウマージに迎撃を指示しようとして、出来なかった。声の代わりに出てくるのは咳だけ。
「あれれ? 声が出ないのかな? ほら、頑張れ頑張れ。歌わないと死んじゃうよ」
そう言ってソマリが呼び出したのはドーブルだ。本来、人懐こい顔をしているドーブルだがトレーナーの影響か、いたぶれる相手を前に歯を見せて笑っている。
尻尾を手で掴み、クルクルと振り回して遠心力を集め繰り出す技は──
「【じごくづき】~」
「か……ッ!」
どこかで【スケッチ】を用いて覚えさせたのであろう、ソラにとって一番脅威となる技だった。インクが硬化し鋭く尖った尻尾の先がムウマージの横を通過しソラの鳩尾へと炸裂した。
腹部へかかる強い圧力にソラが呻く。鳩尾への強い打撃がソラに呼吸困難を引き起こさせ、突き飛ばされた先でソラが蹲る。
最初からソマリはソラに歌わせるつもりがなかった。それは一度ソラと戦っているソマリだからこそ取れるスタンスでもあったが、あまりにも趣味が悪かった。
起き上がれずにいる獲物目掛けてソマリが近づき、無理やり上体を起こさせる。覗き込む目から伝わってくる恐怖の感情は悪魔にとって最高の甘美だ。
「またイジメてあげるよ、今日はどういうのが良い?」
「ぁ……」
三日月の形に歪んだ口角を見ているだけで、視界が今にも紅く染まっていく気さえした。もはやソラに平静を保つ術は無かった。
手に覚え込まされた、肉に刃が突き刺さる重さ。幻だとわかっているはずなのに酷く心を引き裂く。
「うーん、だけど同じことするのもちょっと芸がないよね。そもそも死んじゃってる人をもう一回殺すのはソマリちゃん的にちょっと可哀想だったりするんだよね」
心にもないことを。そんなこと微塵も思っていないくせに。言ってやりたいところだったが、やはりソラの喉は音を発さない。
もはやソラ一人に任せておけばいい。本来の任務を優先しようと、イグナとガンダはソラが昏倒させた他の団員を揺すり起こしていた。
「──やっぱさ、死ぬって生きてる人の特権だと、そう思わない?」
その言葉は目を瞑りかけていたソラの頭を強く殴るような衝撃を残した。脳裏に浮かぶ、大切な三人の顔。
それだけはさせるものか、絶対に。瞑りかけていた目を見開いて、ソマリを正面から睨んだ。
「おっ──」
『La――――!』
無理矢理に精神状態を調えて、ソラが音を発する。直後、ソラを掴んでいたソマリの真横にムウマージが現れ
突然の乱入にソマリが思わず驚愕し、ドーブルに再度【じごくづき】を放たせた。しかし尻尾の先はムウマージを突き刺すこと無く、壁へ突き刺さった。
「
ドーブルが攻撃したのは状況を見守っていたゾロアが作り出した幻影だった。そして本物は真逆の方向からソマリへと迫っていた。
溜め込んだ岩石の力を秘めたエネルギー波、【パワージェム】がソマリの身体を吹き飛ばす。吹き飛んできた小柄な体躯をガンダが受け止める。
「遊び過ぎだぞ」
「オッサンの説教とか聞きたくないんですけど~、ってぇな……」
ガンダの支えを振り払うとソマリが【パワージェム】によってところどころを焼かれたキテルグマのパーカーを払う。お気に入りのアップリケが焦げてしまい、舌打ちが漏れる。
そうして噛んでいた風船ガムを吐き捨てて、新たにモンスターボールを二つ取り出す。
「そんなに遊びたいなら遊んでやるよ、玩具はソラちゃんだけどねェ~」
現れるのはソマリのエース、メタモン。ダイが連れているのとはやはり違い、相手を苦しめることに愉悦を覚える悪魔の眷属は主が求める最悪へと姿を変える。
リエンが連れているプルリル、その進化系である"ブルンゲル"。この場におけるソラのムウマージやゾロアの特殊攻撃を受けることが出来る壁にして、悪夢の帳だ。
ムウマージが【シャドーボール】を、ゾロアが【あくのはどう】を放つがブルンゲルと化したメタモンには効果抜群でさえ届かない。
そして、ぐつぐつと煮えたぎる水をメタモンが口腔へと溜め込んでいた。
「【ねっとう】~!」
ムウマージでも、ゾロアでもなくソラ目掛けて放たれたその灼熱湯を、ムウマージが割って入り自らを盾に受け止めた。
なんとか踏みとどまったムウマージだったが、目の前のメタモンが放つ闇色の波状攻撃。それらも全てムウマージの後ろに立つソラ目掛けて放たれていた。
避けるわけにはいかない。だが自分に出来る最大限を、と強い意志でメタモンを睨みながらその場に不思議な空間を発生させた。
それは【ワンダールーム】、この場における全てのポケモンの防御能力を逆転させる力がある。即ち、特殊防御は高いがもう片方はそうでもないブルンゲルを模したメタモンには効果がある。
反面味方のゾロアの防御能力を特殊防御と入れ替えることで、さらなる堅牢さを与えることが出来る。ムウマージが自分なりに結論を出した、ダブルバトルでの自身の活かし方だった。
しかしメタモンが放った【たたりめ】を受けたムウマージは今まで蓄積されたダメージと火傷のダメージで遂にアスファルトへと墜ちてしまう。
ムウマージと入れ替わりで再びアシレーヌをフィールドへ呼び出そうとしたソラだったが、次の瞬間意識外からの攻撃がソラの左腕に直撃しアシレーヌの入ったモンスターボールが弾き飛ばされてしまう。
遥か後方に弾かれたモンスターボールを回収しようとしたソラを襲ったのは首に纏わりつく
首に巻き付いたそれがギリギリと締め上げてくる。それにより呼吸が阻まれる中ソラが見たのはふよふよと浮かぶ赤いギザギザ模様、カクレオンの模様だった。
普段のソラならば、それこそひと月前のレニアシティの戦いのように隠れているカクレオンの場所すら"心の音"を聞き分けて特定していただろうが、精神状態を無理矢理闘争心で奮い立たせているソラにその芸当は酷だった。
「か、は……っ! うぐ……」
前方をドーブルとメタモンに、後方をカクレオンに挟まれ、戦えるポケモンもゾロアを含めてチルタリスの二匹しかいなくなってしまった。
なんとかカクレオンの舌を緩めて気道の確保を、と躍起になるソラ。しかしそれ故にソマリの接近を許してしまった。
「つーかまーえた」
ソラの瞼を無理矢理開かせたソマリ。そして主の後ろからソラの目を覗き込むメタモン、その時ソラは悟った。
自分にはどこまでも相性の悪いポケモンがいて、そのうちの一匹がこのブルンゲルというポケモンだったということを。
「【ナイトヘッド】」
ブルンゲルと化したメタモンの目が妖しく光り、ソラの意識に割り込んだ。
ハッと気がついたソラが見たのは、誰もいないレニアシティだ。今まで戦っていたバラル団もいなくなっていた。
痛いほどの静寂、不安に駆られたソラが走り出し出店のストリートへ出るが誰もいない。そんなはずはない、さっきまで人と人の間に空気があると言えるほどに人がごった返していたのだから。
ひょっとするとライブステージに人が集まってるのかもしれない。ダイも、アルバも、リエンも、フレイヤもそこへいるかもしれないと、希望を抱いて脚を向けるがやはりプールエリアも誰もいない。
張られたプールの水は波を作っていない、まるで鏡面のように沈黙している。
「誰か」
自分の喉を震わせて出たはずの声が、空間そのものを酷く揺さぶった。
「ソラ」
その時だ、ステージの上から求めていた人の声がした。太陽のような色の髪を揺らして、ソラに向かって微笑んでいた。
隣には瞳に豊かな色を宿した少年も、水面のように柔らかな佇まいの少女も立っている。三人がソラを呼んでいる。
安心感から走り出したソラがステージ上に上がった瞬間。晴れていた空は真っ赤に染まっていた。赤黒い空に気を取られていたソラは足元に転がる異物に気づかなかった。
全身が焼けただれた、見知った少年の死体。開いた瞳孔はもうピントを合わせようとはしない。
溺れ死んだように青白く横たわる少女の死体。中途半端に開かれた手は死の硬直を現していた。
息を呑んだ、こんなはずではと思った。目の前に立つ少年がゆっくりとソラに向かって倒れ込んだ。慌てて抱きとめた瞬間、ソラの身体を汚したのは鮮血だった。
少年の肩から脇腹に掛けて走る、竜の爪痕から湧き出す血がソラの身体を染め上げ鼻腔をぐちゃぐちゃに犯す。
「また一人ぼっちになってしまったわね、ソラ」
振り返ると、血染めのドレスの女性がいた。
「私達はもうそこにいないよ」
女性の隣に現れた、白のタキシードを同じく血の河川で汚した男性がソラの胸を指差して言う。
虚ろな瞳でソラを優しく射抜く二人。ソラが指された胸に手を当てる、心臓の音はしなかった。
「だから、ソラもおいで。こちらはネイヴュのように寒くないし、悲しくない」
この男と女は、父と母。ソラに血と肉を分け与えた存在だ。
それが子供を諭すように、こちらへ来いと誘っている。ソラは虚ろな瞳で振り返った、足元に横たわる三人の友達の亡骸が笑っていた。
「そう、彼らも待っているわ」
ゆっくりと手招きする。それは死の手招きだ。
だけどソラはそれに従ってしまう。一人は嫌だ、みんなが待っているなら、そこに行けるのなら。
考えるのを放棄して、ソラはチェルシーの手を取────
「はい、一丁上がり~」
ガクン、と意識を手放したように脚から力が抜けたソラを見て、ソマリが舌舐めずりをする。
味方の戦い方を見て、イグナは初めて嫌悪感を覚えた。やり方にケチはつけないが、あまりにも悪趣味が過ぎる。
「さて、じゃあせっかくだからこれ持ってダイくんのところ行こっか。うまく行けば物々交換でライトストーンが手に入るよ」
胸ぐらを掴んで強引にソラを引きずろうとしたソマリ、しかし進もうとするとグッと後ろに引っ張られる感覚。
振り返るとソラがふるふると首を振っていた。意識は刈り取ったはずなのに、なぜかソラは意思を持って抵抗していた。
「あれ、おかしいな。メタモン、手ェ抜いた?」
ソマリが不思議と不機嫌の中間の顔でメタモンを問い詰めるが、メタモンは首を横に振って否定する。
ムウマージが張り巡らせた【ワンダールーム】のせいかとも思ったが、そうではないらしい。既に不思議な力場の効力は失われていたからだ。
「そうだよねぇ、アタシ監修のとびっきりの悪夢が効かないはずが……」
唸るソマリに対してソラの耳と、心はどこからか聴こえてくる不思議な音色を捉えていた。それはやがて近づいてきて、ソマリやイグナの耳にも聞こえるようになった。
ソマリが空を見上げた時だ。ビルの壁面を走るパイプの上に見たこともない不思議なポケモンが降り立った。
その瞬間、ソラのポケットから零れ落ちたポケモン図鑑がそのポケモンを認識し、画面に詳細なデータを表示した。
『メロエッタ せんりつポケモン 特殊な発声法で歌うメロディは聞いた者の感情を自在に操る』
それはユオンシティで出会った伝説に名を連ねるポケモン"ヒードラン"や、ダイの"ゼラオラ"と同格のポケモンだった。
しかしヒードランと違い伝説を表す"Legendry"と違い、"Mystical"──即ち幻のポケモンを意味するマークが表示されている。
ソラは直感した。自分の精神汚染が軽度で済んでいるのは、あのポケモンの歌のおかげだと。
幻のポケモン"メロエッタ"もまた、歌いながらソラを見ていた。メロエッタも唄っていたソラの声に惹き寄せられてきたのだ。
「アレは……
ソマリと共に、イグナやガンダも驚いていた。当然だ、幻のポケモンは滅多に人前に姿を現さないポケモンなのだから。
だからつい、保護対象という言葉を使ってしまった。敵対するトレーナーの前で、だ。
ソラはその言葉の意味を噛み砕こうと思ったが、後に回すことを選んだ。メロエッタに向かって手を伸ばすが、それをソマリに悟られた。
「──ちっ、小賢しいってんだよ!」
「うあ……っ!!」
逆上したソマリが胸ぐらを掴んだまま、ソラをビルの壁面へと叩きつける。背中にかかる冷たい圧力がソラの肺から空気を吐き出させた。
「別に悪夢が効かないってんならいいよ、ちょっと痛い目見てもらうだけだからさぁ──!」
叫び、ソマリがドーブルをけしかける。再び尻尾を鋭角化させてソラに襲いかかる。
しかしパイプから飛び立ったメロエッタがドーブルの前に立ちはだかり、歌唱で念力を起こし【サイコキネシス】でドーブルを吹き飛ばす。
「一緒に、戦ってくれるの……?」
『La!』
振り返ったメロエッタが鈴の音のような声で答えた。ソラも頷いて、ポケモン図鑑をメロエッタに向けた。
瞬間、彼女のタイプ、特性や使える技が表示されソラが戦術を組み立てる。
「やらせるか、グラエナ!」
その時だ、昏倒した仲間を起こそうとしていたイグナがエースであるグラエナを投入してきた。グラエナが遠吠えを放った瞬間、倒れているバラル団の手持ちである同種のグラエナや進化前のポチエナが自分でボールから飛び出しして群れを成す。元より野生のグラエナは群れでの行動を基本とし、そういった狩りを得意とする。
さらにメロエッタは"ノーマル・エスパー"タイプのポケモンで悪タイプを苦手とするポケモンだ。集団でかかれば、如何に幻のポケモンと言えどひとたまりも無いだろう。
──と、イグナはそう考えていた。だがそれはあまりにも、幻のポケモンのポテンシャルを甘く見ていた。
イグナのグラエナが先陣を切り、その強靭な顎で噛み付いて攻撃しようとした時だった。
メロエッタの周囲を取り囲む空気が変わった。そして放たれるのは、やはり歌。
しかしその歌自体が既に曲として完成しているメロディを持っていた。そしてそれは
迫るグラエナの首筋を狙って、メロエッタの後ろ回し蹴りが炸裂する。そのまま回転の勢いでメロエッタは姿を変えた。
今までの姿が
「【いにしえのうた】……!」
メロエッタが放った技はグラエナ、ポチエナの群れ全体に降り注ぎその音色に当てられた数匹のポチエナがそのまま眠ってしまう。
相手全てに攻撃出来る歌技でありながら、子守唄のように聞いた相手を眠らせてしまう効果がある。さらに、メロエッタの特性はそれを加速させる。
「【ローキック】」
唯一寝なかった、統率者であるグラエナ目掛けてメロエッタが飛びかかる。素早く潜り込んだ先で振るわれる下段の蹴りがグラエナの四足を薙ぎ払う。
足払いされたグラエナがアスファルトに倒れ込むが、戦意は健在。ここからどうすれば良いか、メロエッタはソラの方を振り返った。指示を待っているのだ。
「次は──」
ソラがポケモン図鑑の画面をスクロールする。フォルムチェンジし、"ボイスフォルム"から"ステップフォルム"に変わったメロエッタはエスパータイプの部分が格闘タイプへと変わっていた。
さらにステータスの数値も変化していて、ソラは初めて連携を取るタイプのポケモンに戸惑い指示が遅れた。
その隙を、突かれてしまった。
「【パワーウィップ】!」
横殴りの鋭い草鞭が棒立ちのメロエッタを襲う。その草鞭の正体はガンダが繰り出したとげだまポケモン"ナットレイ"だ。
叩かれたメロエッタだったが、器用に壁を足場としてそのままナットレイへと素早く接近し、【インファイト】を繰り出した。
しかし次の瞬間、顔を顰めていたのはメロエッタの方だった。
その理由はナットレイが棘玉ポケモンに分類される所以、"てつのトゲ"。接触する攻撃を行ったメロエッタの方が逆に傷ついてしまったのだ。
「如何に幻のポケモンと言っても、所詮出会ったばかりの付け焼き刃の連携!」
ガンダが吠える。合わせるようにナットレイが再び【パワーウィップ】の連続攻撃でメロエッタを襲う。ナットレイの先端が鋼になっている蔓の触手は触れたコンクリートを粉砕するほどの破壊力を秘めていた。
なんとか避けようとするも振るわれる触手の数が増え、さらにソラとの連携が疎らになっているタイミングでグラエナのフォローが入る。
先程攻撃された怒りを牙に乗せてグラエナがメロエッタの胴に食らいつく。【いかりのまえば】が、食らいついたメロエッタの体力を大きく奪う。
そのままメロエッタを投げ飛ばし、後ろ足による【ダメおし】で追撃を行う。蹴り飛ばされたメロエッタをなんとかソラが受け止めた。
「捕獲のために、少しのダメージはやむを得まいて! 悪く思うな!」
メロエッタを抱きとめるために前に出たソラを、ナットレイの【タネばくだん】の爆風が煽る。踏ん張りが効かず、大きく吹き飛ばされたソラが裏路地から人気のない通りに弾き出される。
ソラの腕から零れ落ちてしまい、アスファルトを転がるメロエッタがステップフォルムから再びボイスフォルムへと戻ってしまう。
「おっさんもなかなかド鬼畜ですなぁ、ウヒヒヒ」
下卑た嗤いを浮かべるソマリに無表情で返すガンダ。無反応に頬を膨らませたソマリがポケットから取り出した風船ガムを噛みだして膨らませる。
「ん~、そうだなぁ。マリちゃんの趣味じゃないけど、捕まえた後の扱いやすさを考えて"フレンドボール"かなぁ」
手で弄ぶは空のモンスターボールの一種。以前、ワース組がユオンシティでヒードラン捕獲作戦の折、モンスターボール工場の売店で入手していたものだ。
指先でクルクルとフレンドボールを回しながら、風船ガムを膨らませるソマリ。限界まで膨れ上がった風船が限界を向かえ、パチンという音を立ててソマリの口の周りにくっつく。
纏わりついたそれを舌でぺろりと妖艶に舐め取ると、ソマリの目は蛇のそれになった。
「それじゃあ早速、お友達になりましょう?」
倒れているメロエッタへフレンドボールを近づけていくソマリ。このままでは、抵抗力を失ったメロエッタは簡単に捕獲されてしまうだろう。
それはダメだ、させてはいけないとソラは
「いった! ソラちゃんさぁ、なんか今日頑張りすぎだよ!」
尻もちを突いたソマリが抗議の声を上げる。対して、ソラはメロエッタを抱くようにして庇う。絶対にメロエッタは渡さないという強い意思の宿った瞳でソマリを睨む。
その視線が、ソマリは気に入らなかった。立ち上がるなり、ソマリはソラを足蹴にする。
「ざっけんなよ! 玩具の分際でさァ!! 遊ばれて壊れてりゃいいのにさァ!」
紫紺の髪を乱雑に掴みアスファルトに押し倒す。ギリギリとソマリがソラの首を締め始めた。
カクレオンの舌に首を絞められている時よりも激しい力で首を抑えられソラは、脚をバタバタと動かして抵抗するがソマリが上に乗っているせいで抵抗も意味がなかった。
「ガンダのおっさんさぁ、ナットレイ貸してよ! 良いこと思いついちゃった!」
ガンダは拒否しようとしたが、ソマリの有無を言わさぬ迫力に圧されたナットレイが渋々ソマリに従う。
「その鋼触手でこの子の身体ボッコボコのボコにしてやってよ、遠慮なくさァ! やっちゃえよナットレイ!!」
ナットレイは身体を支える触手の一本を振り上げた。
首を締め付けられ、だんだん呼吸が出来なくなってきたソラ。もはや脚を動かして抵抗するのも難しくなり始める。
玩具がその生命が終わりを悟り始めた瞬間、それがソマリの求める最大の甘美だった。
苦しげに顔を顰めていたソラはやがて、来るであろう悲劇を前に目を瞑った。
そして静かに祈り始めた。否、それは祈りと呼べるものだろうか。
もっと相応しい表現を探すならば、些細なお願いだった。
もしも、もしも願いが叶うのなら。
次に目を開けた時、最初に目にするのは愛しい友達がいい。
それから──叶うなら大好きな貴方にもう一度会いたい。
目を開けた時、貴方がいてくれたら────
「──────【リーフブレード】ッ!!」
刹那、ソラが目を見開いた瞬間。
駆け抜ける新緑の化身がソラのマウントを取るソマリとナットレイを弾き飛ばした。
咳き込みながら、ソラが身体を起こして振り返った。そして視線の先に、彼女は橙色を見た。
白を基調に、燃え盛る太陽の色だった。携える翡翠の色をした瞳が、自分を見ていると気づく。
「……間に合った、んだな」
その声音は、怒っているようにも思えた。呆れているようにも思えた。
だけどソラの心は、その音を、何よりも強い安堵の音だと認識した。
「生きてるよな、ソラ」
その声音は間違いなく彼のものだ。それは分かっている、視覚的にもだ。
それでもソラは目の前の光景が自分の脳が見せている幻なのではないかと、疑ってしまう。
「な、んで……どうして、ここが……?」
「んー、理由は色々あるけど……とりあえず、おら」
パチン、とソラの額を指で弾いた。ソラが小さな痛みに額を抑えて、彼を見上げた。
彼──ダイは微笑みを携えて、至ってフラットに告げた。
「お前が歌えるようになるまで傍にいてやる、って約束しただろ。まったく、忘れんじゃね―よ」
その言葉は、闇の中をひたすら迷っていたソラに差した太陽の光のようだった。
じわりと目尻に涙が溢れ出した。止めどなく湧き出し、やがて頬を伝った嬉し涙。
「お前の歌、ちゃんと聴こえたからな。だから、ちゃんとここに来れた」
わしわしと乱雑にソラの頭を撫でる。ソマリに乱雑に掴まれて乱れた髪が整えられていく。
その時、ソラは心からの笑みを浮かべた。今まで一度も見せたことのない、屈託のない笑顔だ。
ようやく今のソラの笑顔を見ることが出来て、ダイはスーッとした気持ちで立ち上がった。
「──おい、俺の友達に、俺に黙って、何してんだこの野郎」
笑顔は消え失せ、静かな怒りが顔を出す。友達のために、この男は怒るのだ。
今この場にいない彼の母がこの場を見たならば言うだろう。バラル団は間違えた、と。
誰よりも、彼──ダイは、タイヨウ・アルコヴァレーノは大切な者のために怒りを燃やすのだ。
それこそ常に燃え盛っている、
ソマリさんめっちゃ過激なキャラになっちゃったな、と書いてから反省中。