ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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あけましておめでとうございます()


VSラグラージ 見定める者、聴き届ける者

 暗闇を走る、鬼の灯火。吹き上げられる濁流によって掻き消されては恨みを燃やして再度灯る。

 紫の炎がリエンの横顔を照らし出す。緊張感からか、それとも上がり続ける室温のせいか額から汗が一滴流れ落ちる。

 

「ソラ、平気?」

「うん……」

 

 その隣では、同じように疲弊しているソラが立っていた。腕の中に抱えた幻のポケモン"メロエッタ"は静かに戦闘を見守っていた。

 どういうわけかバラル団はこのメロエッタを捕獲しようとしている。ソラを認め、共に戦ったと言っても未だ野生のポケモンに分類されている以上、相手が捕獲に用いるボールには最大の注意を払わなければならない。

 

 だがそれ以上に気をつけなければいけないのは、今目の前でおどろおどろしいオーラを放つケイカとメガサメハダーだ。ソマリとメガサメハダーに変身したメタモンは至って正常だが、ケイカの方は違った。

 時を同じくして、暴走したイグナやガンダと同じようにケイカもまた"キーストーン・I"の影響で一方的にサメハダーに生命力を吸い上げられている。

 

「ッ、受け止めてラグラージ」

 

 勢いを増すサメハダーの【アクアジェット】を正面から受け止めるラグラージ。背後には閉じ込められたままのジョーイや恐らくは今日の復興祭に合わせて宿を取ろうとしていたトレーナーや一般人がいるため、見過ごすわけにはいかなかった。

 だがサメハダーはラグラージに押さえつけられたままでも水を噴き出し、加速を試みようとする。ラグラージの膂力を上回る勢いに達しつつあるサメハダー。

 

「だったら、【がむしゃら】!」

 

 ラグラージが更に腕力をブースト、サメハダーの進路を無理やり天井に変更させそのまま投げ飛ばす。その時、天井のスプリンクラーがサメハダーのぶつかった衝撃で破損し、水が大雨のように降り注いだ。

 このシャワーが降り注いでいる間はこの場の水タイプのポケモンは水技の威力が増す。即ちサメハダーの【アクアジェット】は推進力を増すということでもある。

 

 永遠に水を噴き出し続け、出鱈目な軌道で障害物全てを粉砕し突き進む海の魔物は味方ですらお構いなしだ。軌道上にいたソマリは舌打ちをし、受付のテーブルを足場に跳躍してサメハダーの突進を避ける。

 

「ケイカた~ん、もしもーし?」

 

 壁の縁に掴まったままソマリがケイカに呼びかけるが反応はない。背中を丸めて、ただ立っているだけだ。彼女から溢れるオーラがサメハダーと繋がっており、光の緒が薄暗いポケモンセンターの中を飛び回っている。

 ソマリは自分のスマホを取り出す。そのスマホはふよふよと浮き上がって、ソマリの周囲をひとりでに飛んでいる。

 

「ワース様に連絡、繋がらなかったらイグナっちでも可」

『ロ!』

 

 スマホに宿った"ロトム"が自分で通信を開始するが、両者とも繋がらない。当然だ、方やケイカと同じように暴走し方やそれに焼き殺されかけているのだから。

 画面に赤いバツ印が表示され、再びソマリが舌打ちをする。

 

「どうなってんだよこれ~……ま、いっか。ポジティブに考えれば」

 

 そう言ってソマリは意地の悪い笑みを浮かべ、階下のリエンとソラを見やる。メガサメハダーの姿から、再びメタモンが形状を変化させた。

 やがて見知ったずんぐりとしたフォルムにメタモンが変化する。ダイも連れているゴーストポケモン、ゲンガーだ。

 

「ちょっとお手伝いしてもらおうかな、そこのギャラリーにね!」

 

 ソマリがそう言うなり、ゲンガーが姿を消した。リエンとソラが警戒するが、ゲンガーが出現したのは固まっているトレーナーの目前。そして、

 

 

「【さいみんじゅつ】!」

 

 

 ゲンガーに化けたメタモンが不思議な音波と光を用いてトレーナーたちの意識を掌握、虚ろな瞳を浮かべたトレーナーたちがこぞって自分のポケモンたちを呼び出す。戸惑いを見せるポケモンたちにゲンガーが再び催眠術を用いて洗脳を始める。

 

「ソラ、こっちへ!」

 

 リエンがソラの手を取って引っ張った。逃がしはしないと、メタモンが闇色の魔球(シャドーボール)を放つ。すかさずフォローに入ったラグラージが魔球を弾き飛ばし、軌道を逸らされた魔球が観葉植物の鉢を粉々に粉砕する。

 まるでホラー映画のゾンビさながらにゆったりとした動きでリエンとソラに迫るトレーナーたち。それを見て、ソラは頭の隅に植え付けられた悪夢がフラッシュバックする。

 

「はは~ん! このタイミングで効いてきましたねェ!」

 

 それはひと月前のレニア決戦の際、ソマリが延々とソラに見せ続けた悪夢のバリエーションの一つだ。死人が自分に襲いかかってくるという、単純かつ効果のある悪夢だ。

 尤もソラにとって、襲いかかってくる死人が父や母の姿をしていたら普通の人に比べて精神的ダメージは大きい。その様が、今目の前のトレーナーたちに重なる。

 

 ソラはチルタリスを一度下げ、先程の戦いで唯一軽傷のまま戦闘を離脱したアシレーヌを呼び出すと【うたう】攻撃で洗脳されたポケモンとトレーナーを一気に眠らせてしまう。

 しかしそれでも止まらないポケモンがいた。"バクオング"と"ドゴーム"だ、ステージに立っているはずのDJがポケモンセンターに残っていたのだ。特性が"ぼうおん"の彼らはアシレーヌの唄では眠らない。

 

 歌を攻撃に転用するソラの相手として、これほど厄介な相手もそういない。

 

「ッ、【バブルこうせん】」

 

 アシレーヌがフェイクバルーンと本命の泡の奔流をぶつけて攻撃する。周りに水が溢れているため威力は通常よりも高く、攻撃されたドゴームが吹き飛びトレーナーもろとも昏倒する。

 だがバクオングは上手く泡の攻撃を避け、そのままアシレーヌ目掛けて突進してくる。飛び上がり、巨大な足での【ふみつけ】を行ってくる。

 

「音が通用しないなら……」

 

 鳴り響くデュエット。アシレーヌが歌い、【リフレクター】の効果を持つバルーンを展開しバクオングの攻撃を受け止める。

 そして破裂したバルーンから飛び出るのは果敢な踊り子(バイラオーラ)、メロエッタだ。【いにしえのうた】によってステップフォルムに変化し、そのままバクオング目掛けて【インファイト】を繰り出す。

 

 昏倒するバクオングを尻目に、ソラがリエンに合流する。ソラが洗脳されたポケモンたちの相手に戸惑っている間に、リエンはサメハダーとゲンガー両方の相手を強いられていた。

 ラグラージも奮闘していたがやはり二対一は荷が重かった。アシレーヌを前線へ出し、リエンに並び立つ。

 

「メタモン、ドーブル! ラグラージに【おにび】撃っとこう!」

「アシレーヌ、【ミストフィールド】」

 

 薄暗い空間に再び大量に現れる鬼の灯火、しかしアシレーヌが周囲に振りまく妖精の波動が周囲に霧を出現させる。怨恨の灯火はラグラージを焼くことなく消滅し、ソマリは舌打ちする。

 

「助かった、ありがとうソラ」

 

 頷きながら、ソラがソマリに向き直る。ソマリの戦い方は、もうイヤというほど熟知した。状態異常を用いての心理戦術を多用してくるのならまずはそれを封じるしかない。

 実際【ミストフィールド】の効果によって、この場では【おにび】と【でんじは】、さらには【さいみんじゅつ】を封じられてしまった。ソマリはさぞやり辛いことだろう。

 

 

「────ウ……ウアアアアアアアアアアアーッッ!!」

 

 

 しかし、搦め手の相方はそんな小細工を全て吹き消そうとする。吹き上がる紫色のオーラがサメハダーを覆い、幾度の衝突による自傷ダメージを無理やり治癒すると再度リエンたち目掛けて突進を繰り出してくる。

 鼻先の鋸が地面を抉りながらの突進は凄まじく、リエンとソラが左右に分かれて避ける。構造的に脆い扉にサメハダーが激突し、鋸によってまるで紙でも切っているかのように幾つもの傷が刻まれた。

 

 鋸が引っかかり、上手く動けなくなっているサメハダー。それを見てリエンとソラは攻め時を確信した。

 即座にラグラージとアシレーヌがソマリとメタモンへと飛びかかる。しかしゲンガーの姿をしているメタモンは、自身の影の中に身を隠してアシレーヌの【うたかたのアリア】を躱すとラグラージの背後から【ふいうち】を行う。

 

「【ヘドロウェーブ】!」

「アシレーヌ、避けて……!」

「無駄無駄無駄、逃がさないよ~ん!」

 

 放射状に放たれる毒素の波がラグラージとアシレーヌ両方へと雪崩込む。さらに、毒タイプはアシレーヌに対して効果抜群であり先の戦闘のダメージも考えればこれ以上の戦闘は危険である。

 

「ぐ……ぎ、ぎ……」

「なんだってんだよ……これはァ……!」

 

 その時だ、今まで亡者のように意識無く立ち尽くしていたケイカが呻きながら、人格を入れ替えた。自分から生命力がサメハダーに向け勝手に流れ込んでいる現象にやはり眉を寄せるケイカ。

 サメハダーは放っておいても【アクアジェット】でそこかしこへぶつかっては身体に傷を作る。だがそれをケイカから流れてくる黒曜のReオーラによって無理矢理に治療し続けているのだ。

 

「力が、抜ける……!」

「クソッタレが……ぁっ! 止まりやがれ……!」

 

 もはや立っていることすら困難なのか、ケイカが手すりにもたれ掛かる。肩を喘がせ、荒い呼吸を繰り返す。

 その様を見て、リエンはもうケイカが戦闘不能に近い状態だと悟った。厳しい視線でソマリを睨むリエン。

 

「退く気は無いかな、彼女はもう戦えない」

「そうかな、サメハダーはまだ元気みたいですけど?」

 

 ネイルを気にしながら、ソマリはあっけらかんと言い放った。誰が見ても、このメガシンカが異常だとわかる。

 どこから見ても、これ以上の戦闘はケイカの生命を燃やし尽くすと理解できる。

 

 だがソマリにとっては些細な問題なのだ、仲間の生命も。重要なのはそこに快楽を見出だせるかどうかだけ。

 

「情報のフィードバックは必要だからね~、ケイカたんにはなんて言ったっけ……大黒柱じゃなくてさ……」

 

 頭に指を当ててうんうんと唸るソマリが、電球に光が灯ったように顔を明るくして言った。答えを得たのだ、邪悪にも。

 

 

「────人柱、だよ」

 

「この、人でなし……!」

 

 

 だから、憤った。眉を止せて、リエンがラグラージをけしかける。裂帛の勢いを以て放たれるは【アームハンマー】。

 空気を押しつぶすような音の後、しなる物体が空気を切り裂く音が響いた。

 

 信じられないようなものを見る目でラグラージが腹部を見やる。横一文字につけられた、打撃の痕。

 それはソマリのドーブルが尻尾を使って繰り出した【パワーウィップ】による傷だった。思わぬ一撃、急所へ叩き込まれた一撃がラグラージを吹き飛ばす。

 

「しちゃったねぇ、よそ見!!」

「っ……!」

 

 吹き飛ばされたラグラージがリエンに衝突し後方に倒れ込む。駆け寄ろうとしたソラの腕を何かが強く引っ張った。ヌメ、という粘着質の音が示すのはソマリの伏兵カクレオンの舌で。

 リエンと分断されたまま、ソラがソマリに目をつけられた。まずい、あの攻撃が来るとソラが直感した。

 

「そっちのお姉さんにも出血大サービス、とびきりの悲鳴を聞かせてちょうだいね!!」

 

 ソラが強く目を瞑った。見なければ平気、そんな道理を悪魔が許すはずもない。

 強引に瞼が開かされる。メタモンが【サイコキネシス】でソラの瞼を無理矢理開かせたのだ。

 

 

「マリちゃん監修の地獄フルコース、【ナイトヘッド】!」

 

 

 ソマリが考えうる中で最高級の悪夢をリエンとソラにぶつけた。ソラの方は即座に反応が出た。

 瞳は虚ろに濁り、呼吸が荒くなり始める。幾度となく見た光景ではあるが、飽きは一向に来ない。

 それほどまでにこの少女の苦しみは甘美だからだ。人が生きながらも心が死んでいく様は実に見目好い最期を彩る。

 

 だがソラの苦しみを良しとしないものがいた。それは彼女が保護していたメロエッタだ。

 思えば先程の路地裏の戦闘でも、メロエッタの歌声がソラの精神汚染を和らげていた。今度もそうやってソラを回復させようとするが、それをソマリは許さない。

 

「ドーブル、【じごくづき】!」

 

 ボイスフォルムに戻ったメロエッタが歌声を響かせようとする。しかしドーブルが一足先に、インクが固まり鋭利となった尻尾の先端でメロエッタの喉を的確に突いた。

 今のメロエッタに悪タイプの技は効果抜群、さらには喉を攻められたことでメロエッタの歌が封じられる。

 

「ごめんね~、もうちょっとだけ静かにしててね~」

 

 あやすような言い方でメロエッタに放つソマリ。手すりを滑り、立ち尽くすソラを突き飛ばす。

 顔を顰め、頭を抱えるソラに顔を近づけるソマリ。メタモンをゲンガーから"ムシャーナ"に変化させ、再びソラが見ている悪夢を煙のスクリーンに映し出す。

 

「うっわぁ、エッグい。さすがはマリちゃん監修、効果てきめ~ん」

 

 ソラが見ているのは、過去。雪解けの日の追体験だ。

 あの日を後悔し続けているソラにとって、執拗な追い打ちを与える悪夢と言えるだろう。

 

 意識を持って再びあの日を体験しながら、何も出来ないのだから。

 雪獄へ赴く両親を止めることは出来ない。自分の言葉で送り出してしまったという悔恨が実体化した刃になって胸を、喉を突き刺す。

 

「そのまま壊れちゃえ」

 

 見下しながら、ソマリが放った。路傍のゴミを見るように、そしてそれから目を逸らすようにソマリは次のターゲットに目をつけた。

 リエンにもまた【ナイトヘッド】を掛けた。彼女なりの地獄を見ているはずだと、そう思っていた。

 

 しかしソマリは次に信じられないものを見る。

 

「確かに……こういうのを見せられるのは、最悪だね」

 

 リエンが意識を保って、そう発した。ありえない、ソラの様子を見れば間違いなくナイトヘッドは成功している。

 だのになぜリエンがこうも涼しい顔で立っているのか、分からなかった。

 

「な、なんで……マリちゃんの悪夢が効かないわけ」

「効いたよ。嫌なものも、もちろん見た」

 

 リエンが見せられたのは、もしもの可能性。

 幼少の時、プルリル──ミズが母親を海に引きずり込んで殺したかもしれないという、()()()

 

 

「────だけどね、敢えて言うよ。()()()()()()()

 

 

 だが、「もしも」は所詮可能性の一つ。リエンはそれに囚われない。

 ふわりと彼女の隣に並ぶミズ。それを見て、ソマリは悟った。

 

「予め自分に【ナイトヘッド】を掛けていた……ッ!? そんなの、精神が耐えられるはず……」

「それはどうかな」

 

 今こうして立っている自分がその証明だと言わんばかりに、リエンはソマリの目を睨み返した。

 悔しげに歯噛みしたソマリがドーブルとカクレオンを向かわせるが、それを復活したラグラージが受け止め、【アームハンマー】で一蹴する。

 

「チッ……!」

 

 ソマリがバックステップで距離を取る。それはリエンから離れたかったのもあるが、暴れるサメハダーが直進してきていたからだ。

 音をも置き去りにする突進、しかしリエンは避けない。鋸の一刃が頬を掠め、暖かな血が一筋滴り落ちる。

 

 ぽちゃん、雫が発する微かな音がリエンの心の水面を落ち着かせた。

 

 

「──私、実はあなた達に感謝してるんだ」

 

 

 それは謝辞。リエンとラグラージが身体から力を抜き、リラックスした状態で襲いくるサメハダーをいなす。

 いきなり礼を言われて、ソマリが戸惑う。当然だ、そんな道理など存在しないと思っていた。

 

 

「今まで誰かの鏡写しみたいに生きてきた。本当の私は、どこにもいなかった」

 

 

 脳裏に浮かぶのは、親友が生命を散らしたあの惨状。

 あの時、友の死に慟哭した自分(リエン)は、確実に存在する。

 

 

「だけど私は、あなた達のおかげで本当の(リエン)を見つけた」

 

 

 刹那、淡い虹色の光がリエンを中心に弾けた。中でも一際強く光を放っているのは右手の小指に輝く"メガリング"だ。

 七色の光が薄暗かったポケモンセンターの中を照らし、リエンはふとガラスに映った自分の顔をまじまじと見つめた。

 

 

────ほんの少し、横顔が君に似てきたかもね

 

 

 同じ空の下で戦う、橙色の髪をした友を想う。そのはずだ、リエンの旅は彼から始まった。

 彼無くして、今この境地に辿り着くことは無かっただろう。

 

 リエンから吹き出す虹色の光が突風となってラグラージを包み込む。眩い光を疎ましく思ったか、サメハダーがトップスピードでラグラージへと突進する。

 しかし光が形成する進化の繭に阻まれサメハダーが明後日の方向へと弾き飛ばされていく。

 

 瞑目、精神統一を済ませたリエンが決断を下す。

 蒼き瞳が輝かせる光は、冷たく対峙する相手を射抜いた。

 

 

 

「ラグラージ、さぁ見定めて(ジャッジメント)────メガシンカ!」

 

 

 

 最初に進化の繭を突き破ったのは、腕だ。その太さは通常のラグラージの腕を二倍にしたかのような豪腕。

 そして頭部だ、ヒレが大きく突出しそこから伸びる首や体躯は巨岩のそれ。

 

 全身にあるオレンジ色の器官が空気を射出し、繭を突風で吹き飛ばす。

 風に解かれた繭が光になって散らばり、"メガラグラージ"はここに爆誕する。

 

「メガシンカだとぉ……!?」

 

 ソマリが歯噛みする。倒れていたドーブルとカクレオンが立ち上がり、二匹揃って再びラグラージに向かって突進していく。

 ドーブルは再び尻尾を使った【パワーウィップ】で襲いかかる。あの巨体だ、パワーを得るために素早さを犠牲にしているはずだ、とソマリは睨んだ。

 

 ふおん、としなる物体が空気を切り裂く音。それは即ち、メガラグラージが攻撃を回避したことを意味する。

 次いでその場の全員の耳朶を打つのは、ジェットエンジンの駆動音のような天を穿つ音。ラグラージだ、既にドーブルの背後を取っている。

 

「私は、あなた達みたいな人たちに、大事な友達をこれ以上傷つけられたくないの」

 

 物凄い音を立ててドーブルがカウンターの奥へと吹き飛んでいく。空気を噴出しながら加速するラグラージの豪腕はともすれば大木で殴られるようなもの。

 身体自体は小さく非力なドーブルでは到底耐えられない。ソマリの手札の中で、もっとも器用万能なポケモンが退場する。

 

「ッ、なんで……なんであんなに速いんだよッ!! あの図体でっ!」

 

 ドーブルが伸されるのを見て、カクレオンは戦慄する。しかし考え事をしている暇などないのだ。

 ソマリの言う通り、メガラグラージはその巨体からは信じられないほどの超スピードで眼下を駆け回っている。ともすれば「飛び回っている」という表現の方が正しいとさえ思える速度で。

 

「【くさむすび】ッ!」

 

 カクレオンがラグラージに対して唯一かつ絶対の有効打を放つ。巨体ゆえに重量は重く、更には水と地面タイプを併せ持つラグラージでは到底受けられない。

 だがラグラージは止まらない。ガコン、と音を立てて右手の空気噴射口が開くとそこから放出される空気が拳を緊急冷却し始める。

 

「【れいとうパンチ】!」

「しまっ──」

 

 た、ソマリが言い切るまでには既にカクレオンは効果抜群の氷技を受けて突き飛ばされていた。

 自分は今何を目にしているか、ソマリは目を疑った。そして、たった一撃であらゆるものを粉砕する暴力の化身が冷ややかな目でこちらを見ていることに気づいた。

 

「……メタモン、ケイカたんのミカルゲに変身!!」

 

 ゲンガーの姿をしていたメタモンがぐにゃりと再び姿を変化させ、小さな要石へと変身する。そこからぞわりと吹き出す本体がリエンを見つめた。

 リエンはかつてミカルゲに不意を突かれて敗北した経験がある。故に目を凝らして動きを慎重に見張っていた。

 

「鬱陶しい霧の効果が切れたねェ! 【さいみんじゅつ】!」

 

 ミカルゲと化したメタモンが放つ不思議な念波をリエンは微かに視線を逸らすことで回避。最初からラグラージではなく、リエンを狙った攻撃。

 リエンは即座にミロカロスを投入、返すように【さいみんじゅつ】を放つ。メタモンは避けたが、まさか催眠術を返されるとは思ってなかったかソマリは襲いくる眠気に歯を食いしばって耐えた。

 

 眠気と戦っているソマリを確認して、リエンはソラの側に近寄る。ソラの側ではドーブルの【じごくづき】を受けたメロエッタが心配そうに彼女を見つめていた。

 リエンは取り出したキズぐすりをメロエッタに使い、受けたダメージを回復させた。

 

「あなたの歌ならソラを起こせる?」

 

 メロエッタはコクリと頷き、喉を震わせて歌い出す。しかし喉を攻撃された後遺症か、声はか細い。

 それでも柔らかなメロディがソラを苦しめる悪夢を和らげ始めた。ソラの荒い呼吸がだんだんと穏やかになっていく。

 

 

「────ダアアアアアアアアアアアアアアアアーッ!!」

 

 その時だ。長らく壁に突き刺さっていたサメハダーが抜け出し、リエンとソラ目掛けて突っ込んでくる。

 リエンが呼ぶまでもなく、ラグラージが間に立ちふさがり迫るサメハダーを受け止めた。だがサメハダーもそのまま直進を続ける。

 

「もう一度【アームハンマー】!」

 

 片腕でサメハダーの進行を阻止しながら、もう片腕を振り下ろしてサメハダーを叩き潰すように攻撃する。

 上から押さえつけるような打撃に、サメハダーが床に大きなクレーターを作り出した。さらには効果抜群と思われたが、あと一歩戦闘不能には届かない。

 

 トレーナーのケイカから奪い取るように生命エネルギーを吸収、自身の体力へと変換してしまう。しかしケイカから溢れる黒曜の光がだんだんと細くなっていることに、リエンは気付いた。

 もはや猶予はない。サメハダーを倒さねば、自分たちもケイカも危ない。

 

 今この場において、サメハダーを一撃で倒すにはソラの力が必要だとリエンは再確認する。

 それにはソラが自力で悪夢を跳ね除けるしか無い。それしか、現状を打開する術はない。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 刺すような、極寒の空気。ずしん、ずしんと何かが連続で地面を揺るがす。

 あの日だ、ぼうっとした視界で走りながらソラはあの日──"雪解けの日"を再び駆け抜けていた。

 

「お嬢様、お急ぎください!」

 

 自分の手を引くのは、当時コングラツィアの家のメイド長を務めていた女性、シャーリーだ。メイド長と言っても、メイドは彼女一人だからといった理由で長なのだが。

 ソラは口うるさい彼女が苦手だったな、とうっすら思いながら足を動かした。

 

 自身を俯瞰するように考えているうち、やがて「雪解けの日なら」と雷に打たれたように意識が覚醒した。

 

「っ、お嬢様!?」

 

 ソラはシャーリーの手を振りほどき、逆の方向へと走った。ネイヴュの刑務所ならそう遠い位置にはない。

 今ならば、凶刃に倒れる父と母を救えるかもしれない。これがソマリの見せている幻覚だと認識できないまま、ソラは走る。

 

 トンネルを潜った瞬間、視界が暗転したかと思えばソラは冷たい格子戸の目の前に立っていた。

 格子戸の先にはハンクが手入れを欠かさなかった楽器が無残に踏み潰された形で放置されていた。そして、血の着いた端切れのようなものが続いて落ちていた。

 

「パパ、ママ……!」

 

 この先にいる、そう確信したソラは近くで息絶えている看守から鍵束を引き剥がし、震える手で格子戸を戒める錠に合う鍵を探した。

 しかし鍵がひとりでに解錠し、まるでソラを招き入れるように格子戸が開く。開ききるのを待てないソラはそのまま奥へと進む。

 

 ソラは思い知る。この悪夢はソラを傷つけるためなら、どんな悪性すら用意する。

 ハンクとチェルシーが互いの胸に凶器を突き立て、支え合うように絶命する様が視界に映る。

 

 仲の良かった二人が殺し合うなど、ありえない。

 しかし結局の所、ソラはなぜ二人が生命を落としたか直接的な理由は知らないのだ。

 刑務所に赴いて、ただ殺された。それならまだ説明がつく、所詮は凶悪犯の巣窟だからだ。彼らにとっては人命など路傍の石のように軽いものだろう。

 

 だがもし、目の前の悪夢が真実だとしたら。

 そう思うと全てが虚構に思えた。信じていた全てが嘘に変わり、嘘が真実だとにじり寄ってくるかのようだ。

 

「また私達を殺すのね」

 

 目の前の悪趣味な骸のオブジェクトが塵となって消え去り、ソラはいつの間にか格子戸に囲まれていた。

 出口のない牢獄の中で、遺骸と化したチェルシーがそう言った。何度見せられたとしても、慣れることなど一向に無い。

 

「もう疲れたんだソラ」

 

 呆れたような声音でハンクが言う。彼はソラに対して、嫌悪を浮かべた顔を見せたことがなかった。

 だからこそ、そんな目で見つめられてソラは身動きが取れなくなってしまう。未経験は、何よりも強い衝撃を生む。

 

 もはやソラは二人の顔を見ることができなくなっていた。大好きだった父と母が、精神的ダメージの要因となっていたのだ。

 大好きな二人の顔を思い出せない。ソラは頭を抱え、冷たいコンクリートの上にへたり込んだ。耳を塞いで、何もかもを拒絶しようとした。

 

「もう、やめて……パパ、ママも……」

 

 こんなに苦しめるのなら、もういなくなってほしいと願った。

 いっそ大嫌いになれてしまえば、とさえ思った。

 

 諦めて、しまいたかった。

 

 

 

 

 

『本当にそれでいいの?』

 

 

 

 

 

 だから、その声が届いたときは思わず顔を上げてしまった。以前、視界は冷たい牢獄の中だ。

 その時だ、強い光が一気に視界の中のありとあらゆるものを吹き飛ばした。ハンクとチェルシー、ソラ自身もだ。

 

 虹の洗礼を受けながら、ソラは真っ白い空間に立っていた。先程までの寒さは感じない。むしろ逆で、空間そのものが光のようで時折熱さすら感じる暖かさだ。

 やがて光は晴れ、青空の中にある庭園のような空間へと辿り着いた。

 

「ソラ」

 

 チェルシーがソラの名前を呼ぶ。ただ名前を呼ぶだけの行為だが、チェルシーの"心の音"が伝わってきた。

 それは紛れもなく、あの日に失われた母の本当の音だ。

 

「ママ……なの……?」

 

 尋ねるも、ソラが一番分かっている。煩いほどに、チェルシーの音が流れ込んでくる。

 隣で暖かな視線を向けていたハンクが追いかけるように喉を震わせた。

 

「彼女のおかげだ」

 

 ハンクはそう言って、遠くを見つめる。ソラがその視界を追いかける、舞い降りるのは歌姫(メロエッタ)

 メロエッタは歌いながら、チェルシーの肩へ降り立った。その頬をチェルシーが指先で撫でる、そうやって人の頬をくすぐる様は間違いなくチェルシーだ。

 

「この子の歌が、あなたをここに連れてきてくれたの」

「ここは、どこなの?」

「そうね、言ってしまえばあの世かしら」

 

 チェルシーの言葉に、ソラはサッと青褪める。それを見てチェルシーは舌を見せて少女のように笑う。

 

「なーんてね、ここは……"余所の楽園"よ」

「余所の楽園……?」

「ソラも聞いたことがあるだろう? ラフエル神話の"対極の寝床"を。ここはそれに連なる、ラフエル地方にある異界さ」

 

 ハンクは嘘を吐いていない。さらに言えば、チェルシーも。

 ここはまさしくあの世で、()()()()()()辿()()()()()()()()()。しかし不思議と不安感は薄れていった。

 

「あの……わたし……」

「大丈夫よ、全部分かっているから」

 

 言葉に詰まるソラを、チェルシーが抱きしめる。その温もりこそ、もう無い母のもので。ソラは自然と涙が溢れるのを感じた。

 

「話してちょうだい。あなたの今を」

 

 ソラは一人になってからのことを話した。チェルシーもハンクもただ静かに頷きながら、娘の話を聞いていた。

 ひとしきり話し終えたところで、楽園に掛かる虹がスクリーンを作り出す。

 

 倒れている自分(ソラ)を守りながら、止まることを知らない海の魔物と戦うリエン。

 

 そして別の、同じ空の下で虹を纏いながら、立ち上がり突き進むアルバとダイ。

 キセキルカリオとキセキジュカインも倒すためでなく、助けるために拳を握っている。

 

 それが分かった。だけどソラはこの暖かさが手放せなかった。ここで手放してしまえば、もう会えないと思ってしまったから。

 

「いきなさい、ソラ」

 

 ハンクが言った。それは行けという意味であり、生きろというメッセージだ。

 顔を上げる。チェルシーは優しく微笑んでソラの目尻の涙を拭った。それでも止めどなく溢れてくる生命の川。

 

「パパとママは、一緒には来れないの……?」

「えぇ、私達はここであなたを見ているから」

「そんなのやだよ……一緒にいてよ、もう離れたくないよ」

 

 駄々をこねるソラを困ったという風に見つめるチェルシー。強く出れないのは、やはり愛しい娘の願いだからだろう。

 しかしそれは出来ないと、ソラをゆっくりと突き放した。そうして肩に乗っているメロエッタに向かって頷く。メロエッタは旋律を変え、ソラの肩へと飛び移る。

 

 ソラの身体がふわりと浮き上がり、楽園を離れていく。

 

「パパ……! ママ……っ!」

 

「忘れないで。あなたが唄っている限り、それは私達に届くから」

 

「ソラ。僕たちが最後に送ったプレゼントは、まだ持っているよね?」

 

 ハンクが言った。二人が最後にくれたプレゼントは、今もしっかり身につけている。ソラが喉元のチョーカーに触れる。

 宝石のような感触があるが、それを覆い隠す布がすっと消滅する。そうしてソラは気づく、宝石の正体に。

 

「まだ、伝えたいことがあるの……! 私、友達が出来たの……!」

「とても良い子たちみたいね。仲良くするのよ? ずっと、ずっとね」

 

 どんどん小さくなるハンクとチェルシー。届けなければ、とソラは声を張り上げた。

 

 

「好きな人も、出来たの……! 

 一緒にいると暖かい、パパみたいな人! 

 私の歌を褒めてくれる、ママみたいな人……! 

 

 何があっても、駆けつけてくれる人……!! 私も彼の力になりたい……! だから……」

 

 

 ハンクは少し寂しそうな顔をし、やがて笑顔でソラを見送った。

 チェルシーは最後まで笑顔を絶やさずに小さく手を振った。

 

 

「ちゃんと見てて────」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 それは突然だった。薄暗いポケモンセンターの中を照らし出す、極大の虹。

 リエンがラグラージにサメハダーの相手をさせながら振り返り、口元を僅かに綻ばせた。

 

 

「大事なことを、忘れてた」

 

 

 ぽつりとソラが零した。それは自責であり、悔恨。

 頬を伝う涙が虹の光を受けて七色に輝き、雫としてスプリンクラーの水溜りへと滴る。

 

 虹色の光はソラの喉元、チョーカーに嵌め込まれたキーストーンが放っていたのだ。

 ソラはゆっくりと立ち上がり、チルタリスを呼び出す。綿竜の首に、ポーチの底で眠っていたネックレスを掛けるとソラは一歩前へ出る。

 

 

「パパとママはずっと、ここにいてくれたんだ」

 

 

 喉に。

 

 胸に。

 

 ソラはそっと触れる。音を楽しむ心をゆっくりと思い出す。

 これを武器にしてしまうことは、とても悲しいことだ。本当ならば、避けたい。

 

 だがソラは言った。彼の、みんなの力になりたいと。

 ならばもう迷わない。この力を誰かのために振るおう。雪が解ける音はもう、響かせない。

 

 

「心があるから、まだ立てる。前を向ける」

 

 

 ソラの瞳に強い光が宿る。涙はそこで流れ切り、決意の光が溢れ出す。

 同じようにチルタリスが身につけたネックレスからも強い光が放たれる。埋め込まれたメガストーン"チルタリスナイト"が最高の輝きを放つ瞬間を待っていた。

 

 

「────まだ、(たたか)える……!」

 

 

 リエンが放ったのと同種のエネルギーがソラを中心に広がり、チルタリスへと流れ込む。

 進化の光が繭を作り出し、それに合わせてソラが歌声でさらなる力を送り出す。それを見てソマリは眉を寄せた。

 

「この期に及んで歌……! 歌が、何をするってんだよ……!?」

 

 投げつけられた疑問に答えるように、ソラはボリュームを上げた。

 メロエッタが歌声で束ねるは、この地に流れるReオーラ。

 

 

「チルタリス、聴き届けて(リッスントゥマイハート)────! メガシンカ!!」

 

 

 

 歌声は光を呼び、風を巻き起こす。悲しみは決意へと変わる。

 虹色の奇跡が爆発し、ソラとハミングしながらメガシンカを経てメガチルタリスは再臨した。

 

「助けよう」

 

 力強く、ソラは言った。それは少し意外で、リエンは尋ねた。

 

「本当にいいの、ソラ?」

「ホントは今も許せない。でも、みんなはきっとそうする。ダイも、アルバも、リエンも」

 

 だからいい、とソラは言った。変わったのだ、ソラもまた。

 それを聞いてリエンは頷いた、答えは得た。だからまた、リエンもまた自分(リエン)の心に従う。

 

 

「行こう……!」

 

「うん……!」

 

 

 並び立つ、二匹のエースを従え少女たちは立ち上がる。その身に、虹の輝きを抱きながら。

 

 


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