鬼の戦士が飛び来たり、多くの敵船を潰すのは何気なく見えていた。敵も驚くが―――それは無論、味方であっても同様だった。
海賊共と戦っていた
「何か頼みたいことはありますか?」
甲板に下したティナが、エザンディスを構えながら、こちらに報酬の内容を聞いてきた。
少し遅れつつもやってきたプラーミャから刀を受け取り、答える。
「戦姫の異名を轟かせる戦いぶりを優雅にそして残酷に行ってくれ」
「承知しました」
言うと同時に、船首と船尾まで走っていき途中で乗り込んでいた海賊を切り殺しながら到達する。カムルティの戦士達は精強であり、海賊共を乗り込ませないようにしていたが、如何せん数に差があった。
船首付近の縁から敵船に乗り込み船尾からティナが乗り込んだ。
背後を取られた海賊達は、鮮やかすぎる手並みに驚く限りであり行動を遅らせている。
接舷から乗り込もうとしていた海賊達は、横からの襲撃にあっさり倒れていく。カムルティの戦士達の剣がこちらにも届いて来るが、それはこちらを掠めるだけで致命傷にはならない。
白刃が水飛沫のごとき輝線を描くたび、双葉の大鎌が赤黒の軌跡を虚空に刻むたびに血飛沫が上がっていく。
無心のままに振るった乱撃兵術が終わったのは、ティナのエザンディスと鬼哭がぶつかりあった時だった。
「敵甲板戦力は沈黙しましたよ。内部戦闘をお任せします」
「承知しました。オステローデの戦姫様」
流石に軍団長はこちらの素性を理解していたらしく、疑問も何もなく敵船を完全に制圧しにかかっていく。
「状況は?」
「いいですよ。もっとも私たちは全滅の危機でしたが」
鬼哭に付いた血を拭いながらカムルティの軍団長に詳しい戦況を聞く。
ガレアス船による中央突破は、敵を完全に混乱に陥らせて陣形も何も無くならせていた。しかし中央の危機に際して、右翼左翼のいくつかの船が舳先を翻して向かってきた。
今、自分たちがいるのは左翼側であるが、混乱しきった海賊船を仕留めるのは簡単だ。もっともそれは―――ルヴ-シュ軍も積極的にせめていたらばの話だ。
挟撃をしているとはいえ、一方が手控えていては、どうにもならない。
「流石に数の厚みも違いますからな。不運なものが何隻か出ました……何故、ルヴ-シュ軍は積極果敢に攻めないのか理解に苦しみます」
軍団長の不満は、戦おうとしなかったルヴ-シュ軍に向かっている。その事情は連絡船を通して全船に伝えられていると思っていたが、戦場に絶対は無いなとひとりごちる。
「その事なんだが――――――ということなんだ」
「サカガミ殿は、そのことを伝えにここまで?」
「いや、俺はルヴ-シュ軍を動かすには人質を取り返すのがいいと思って独断でここまでやってきたんだ」
カムルティの軍団長に説明をすると、彼は自分たちもそれに参加すると言ってきた。
「あなたの健脚でも残り三百アルシンを跳ぶのは苦痛なのでは? いや、それ以前に戦姫様の友人にそこまで苦労を負わせたくはありません。雷魚号はこれよりリョウ・サカガミ―――あなたと共に人質救出作戦を行わせていただきます」
「いいのか?」
パーヴェルキャプテンよりも若輩の自分より二、三ほど上だろう若い騎士の言葉に若干驚いてしまう。
「戦姫様がいれば、そのようなことを命じてくるでしょうから、それに……こんなことで勝ち戦の目を崩したくはありませんので」
確かに、これ以上まごついていると海賊共に立て直しのチャンスを与えかねない。激を飛ばしたところで他の国の軍が動くことはありえない。
やつらの後顧の憂いを断つことで動かす。
「リョウ。件の海賊船―――二隻に護衛されています」
「種類は?」
「ガレー船ですが、火砲装備が一隻に投石器装備が一隻」
「トレビュシェットか……」
横一列―――少し左右の二隻が前に出ている形の海賊船を相手に一隻で挑むには――――。
「投石器装備に接近しろ。火砲の方に無理に接近すると不味い」
「だが投石器も脅威です……」
「あれは長距離型だ。間合いが詰まっていれば、打っても当たらないよ」
ザクスタンから提出された資料を諳んじてアスヴァ―ルのラフォールの話から察して、投石器装備のガレー船に真正面から突っ込むように言う。
「臆していては何も出来ん。流れ弾は臆病者に当たるなんて格言を知っているならば、恐れず進め」
「怖くないのですか?」
「怖い。俺は弓が苦手過ぎて長距離兵器というものを上手く扱える連中は天性の殺人者だと思っているクチだ。だがそんな連中と戦う時も来るんならば、せめて虚勢でも何でもいいから進むしかないんだよ」
情けないことを告白しながらも、睨みつけるはトレビュシェットを装備したガレー船。あれから石弾が飛んできたとしても自分はそれを切り捨てなければならない。
鋭利な銛のような返しを着けたカムルティの船首と船底の衝角は丁度、雷魚の顎のようになっておりこの船の由来を想起させる。
その雷魚の突撃噛み砕きの前に、投石が行われた。遠い耳鳴りのような音が響く。大きな物体が高速で飛んでくる際に起こる音だ。
雷魚号ではなく後続にいたルヴ-シュ軍に放たれたものだ。普通ならば見過ごすところだが、当たればどんなことになるか分からない。
自軍の被害と同盟相手のことを考えれば―――あれを無力化すべきだ。
よってリョウは、船の上を擦過しようとした瞬間、帆柱を駆けあがりマストの頂点で跳躍して上空を飛んでいた石弾を「斬る」。
斬られた石弾は、途端に慣性を失いルヴ-シュのガレー船とこちらの船尾との間の海域に着水した。
一瞬のことであり誰もが目を疑っただろうが、それでも、必殺の石弾は効果を上げずに沈んだのだ。
「斬り捨て御免」
甲板に落ち鞘に刀を戻しながら、鍔鳴りと共にそう言うと全員が歓声を上げた。
「我らには勇者が着いている!! 戦神トリグラフの如き現人神がいるのだ!! 恐れず突き進め!!!」
雷魚号の船員たちは意気を上げて進んでいく波を掻き分けて進む雷魚は文字通り電光石火のごとく海を逝く。
「まさかあんなことをするなんて無茶も過ぎますよ」
「リプナの沖合での戦いを思い出したんだよ。あの時もサーシャと一緒に火砲の砲弾を切り捨てたらば連中、呆然としていたからな」
敵方の行動停滞を目論んだ結果だがまさか現人神などと称されるとは、味方から化け物扱いされたいとかはないが、それでも持ち上げられると困る。
鞘で肩を叩いて照れ隠しをしていたが、ティナはこちらの内心を機敏に察しており。
「可愛いですわねリョウ。そんな風に恥ずかしがらなくてもよろしいでしょうに」
からかうように頬を突いてくるティナに、どうにもこうにも言えなくなる。そんな風にしている間にも、海賊船との距離が縮まる。
雷魚の顎が海賊共に食いついた。正面からの激突に船は盛大に揺れたが混乱はあちらの方が大きい。
片やこちらは、既に戦闘状態だ。簡易的な縄梯子や釣床(ハンモック)を敵船に掛けることで足場とした。
怒号と共に騎士達が足場を渡っていき海賊の甲板に躍り出る。血飛沫と共に臓物が飛び出ていくさまは正に戦場のそれだ。
遅ればせながら海賊船に降り立つと同時に、一人の海賊を見つけて歩いていく。近づいてくるこちらに顔を青ざめるが、抵抗は無意味だとして武器を捨てた。
「一つ聞くぞ。客船クイーン・アン・ボニーの連中。特に貴族の娘達はどの船に乗っている―――正直に答えなければ」
船縁十チェート分が木端に変わった。丁度海賊の後ろだったその箇所を脅しの意味も込めて、居合抜きと共に千断した。
更に顔を青ざめた海賊はペラペラと喋ってくる。あの黄色い髑髏船はルヴ-シュ軍を騙す「サギ船」とのことで、既に人質でありいずれは自分たちの夜の相手である女は護衛の火砲船に全員乗せられている。
「撃沈される可能性もあっただろうに、随分と豪胆だな」
「ふ、フランシスの頭は、国すら乗っ取るつもりでいたんだ。ここでジスタートの戦姫を降して、その後に街をおもうまま―――」
「取らぬ狸の皮算用。というやつだな。考えが甘すぎる―――黒髭も、そしてお前も」
「ひっ!」
殺されると思い怯んだ海賊の延髄に手刀を叩き込み意識を落とす。流石に白旗を上げてここまで喋った相手を殺すのも忍びなかったので、慈悲として気絶させた。
「捕虜はいるかな?」
「罪人を全員殺していては国家が破綻しますわ。更生の見込みがあるかどうかは……レグニーツァの法務官に任せましょう」
「それが最善か。目的地は定まったが……逃げるよなぁ」
見ると二隻の海賊船は付近から逃げ出し遠くに見える十数隻に合流しようとしている。
不味いと思いながら、せめて伝書でルヴ-シュ軍に人質がどこにいるのかを伝えようとした瞬間に、轟音が聞こえた。
いかんと思ったのも束の間、追撃を仕掛けた後続のルヴ-シュ船に砲弾が直撃してしまった。失態だ。こちらが火砲船を叩き潰すべきだったのだ。
火煙を上げて、砕けていくガレー船。その間にも該船が遠ざかっていく。
「リョウ! あれに乗りましょう! カムルティの皆さんは、トレビュシェットで該船に牽制を」
「簡単に仰らないでください。我々にとっては未知の兵器なのですよ」
「未知の兵器ってもやり方は普通の投石器と同じだ。なんでもいいから救出作業を行いつつ該船への砲撃頼む」
そうして、追撃船の内の一隻、波濤を掻き分けて海原を往く細身のガレー船に飛び乗る。
甲板に飛び乗ると同時に、誰何の声と剣呑な武器を突きつけられる。
「レグニーツァの使者だ。あんたらもそれなりに知っているだろうが、あの火砲船に人質が乗っている」
「……そうなのか?」
どうやらここまで戦闘をしていなかったのか捕虜の尋問もしてなかったのか、いずれにせよ彼らは髑髏船を追う予定だったのだ。
「黄色い髑髏船を追っていたらばやられるぞ」
呆然とした言葉で再度問いかけてきた兵士に答えると、耳鳴りのような音が響いた。
回頭をした海賊船の投石器が空の詐欺船の周囲に盛大に落ちる。水柱の大きさが威力を物語っている。そして二撃目。波を掴んだ雷魚号をクルーの正確な石弾が詐欺船に叩き込まれた。
悲鳴が聞こえる。その中に―――女の声は無かった。次いで三撃目を火砲船に「わざと外して落とす」と、確かな声が聞こえた。
「当たりですね……!」
「カテリーナ号、全速前進!! 目標・敵火砲船!!」
ティナの浮かべた笑みの後には、ルヴ-シュ軍の船―――カテリーナ号とやらの速度が上がる。
如何な火砲船と言えども舷側さえ晒していなければ、そうそう当たりはしない。背中を見せて遁走へと入っている海賊船に衝角を向けて突進する軍船。
「シュトゥールム・プラルィーフ!!!」
「意味は?」
船長の発した号令の意味。聞きなれないジスタート語だったので隣のティナに聞く。
「『疾風の如く突破しろ』。
「最初はともかく二回目の通訳が悪意に満ちているように思える」
「リョウの剣を私の鞘に込めますか?」
「それはまたの機会だな」
その時、火砲船の船尾に体当たりが食らわされて先程と同じく白兵戦となる。衝撃で船体が揺れるが、そんなことで身体を揺らす鍛錬不足はこの船にはいなかった。
しかし海賊とて今度はそれなりに準備していたらしく矢に投槍などが投じられて、水際で乗り込むことを防ごうとしているが―――。
「無駄な抵抗だな!」「同意です!」
言うと同時に駈け出して、船首から船尾へと乗り移る。
投じられたハンモックを斬ることで兵士を落とそうとしていた海賊を一刀両断。橋頭保を確保すると共にルヴ-シュ軍が展開するまで守備をする。
「あらぁっ!!」
無論、海賊もそれを許さないとばかりに、かかってくるが、鈍い攻撃を食らうほどこちらも暇ではないので、急所を正確に斬っていく。
五分の間にルヴ-シュ軍は火砲船に乗り込み戦列を成して海賊に襲いかかる。
「この船にいる人質―――アデリーナ殿達を見つけるんだ!!」
声を聴きながらも、恐らく船内にいることは間違いない。怒号が響きながらも、斬音が静寂を齎していく。
「東方の奇剣――――やはり、お前は!!」
隊長格の言葉が耳に届きながらも、無心のままに殺劇を繰り広げていると、海賊はまだいるにも関わらず静寂が降り立つ。
鎌の一撃が、海賊の身体を上下に分けたティナも気付く。船室から幾人もの令嬢―――と見られる薄汚れた女達が出てくる。
下着だけの格好のものもいれば、ドレスが裂けているのもいる。数にして十数名。中には轡を掛けられているものもいた。
そして彼女らは鎖と縄で繋がれており、人間の扱いではない。その現状に絶望しきった顔のものもいれば、気高さを忘れないものもいる。
「剣を捨てな!! こいつらがどうなってもいいのかよ!?」
彼女らの背中に槍や剣を向けている外道共の言葉が届きルヴ-シュ軍は歯ぎしりをする。
しかしながら、ルヴ-シュ軍が剣を捨てる中、自分たちはそれをしなかった。
「サカガミ殿、義憤は我々も同じです。ここは一先ずあちらの要求を」
「残念ながらその必要は無いよ。悪いが俺はそのつもりはない」
後ろのルヴ-シュ兵の諌める言葉を聞きながらも、そんなつもりはリョウには無かった。
「聞こえなかったのか!? 武器を捨てろ!!」
「断る――――というか、その女達とて覚悟を決めているだろうさ―――いざとなれば死ぬ覚悟がな」
「……何だと?」
「轡を嵌めているのは自決されることを嫌ってだろう。そして轡をしている令嬢は随分と目が輝いている。たとえこの場で死んだとしても構わないという目だ。その覚悟を汚すことは俺には出来ないな」
言葉を連ねながら、御稜威の言霊を合間に挟んでいく。他者―――特に十数人分への「負荷」を掛けるとなると時間も必要だ。
「だったらどうするってんだ? そういう女以外もいるんだぜ」
「確かに―――ならば覚悟を決めろ。あんたらも貴族(ノーブル)の娘だってんならば、辱めを受けるよりも死を選べ。誇りよりも命が大事ならば、俺が助けてやるよ」
横にいるティナに眼で合図をした。こういった場合の対処は事前に話していた。そうしてから前方の全員を威圧する。
摺り足で一歩を踏み出すと同時――――東洋の神秘が令嬢に刃を突きつけている外道共に降りかかる。
「素は重、背に野槌、十重の大岩、二十重の大山、火圧し、地歪め、風鈍る!!」
外道の身体全てが重くなり、突きつけていた武器が下がる。しかしこちらがそいつらを一掃することはどう考えても遅すぎる。
呪術を受けたと感じた全員の奇異の視線がこちらに向けられた。注意が数秒こちらに注がれた瞬間。
彼らの背後に死神が現れた―――――。
可憐にして妖艶なる死神。彼岸花を思わせるその死神はその手にもつ大鎌を振り回し、首を斬りおとした。
それでも三人が残っていた。三人が後ろに眼を向けた瞬間に人質三人に繋がれた鎖をリョウは斬りおとした。
錠を外された令嬢三人に、
周囲にいた海賊達もあまりの早業に呆けていたが人質全てが奪われると思い、出てきたがあまりにも遅かった。武器を持たない令嬢達の前に進み出てリョウは剣戟を放つ。
殺す必要は無い。得物を全て破壊することで威圧する。流石に防戦においてそこまでリョウも強気には出れない。
刃を砕かれ鳴り響く甲高い金属音で、殺到しようとしていた海賊共が静まり返る。「鬼」の「哭く」声にも似たそれを聞いた一人が騒ぐ。
「こ、こいつ! ま、間違いない! 竜殺しだ!! アスヴァ―ルで、み、見たぞ! 百人殺しの現場で、こいつは―――」
喚いていた海賊の一人の首を一瞬で跳ね飛ばして更なる沈黙を要求する。
「俺が何者であるのかを察するとは、頭の血のめぐりが良すぎたな」
噴水のように血を流す死体を冷たく一瞥すると、もはや海賊達の戦意は失われていた。
寧ろ、戦意があったのは人質である令嬢の中でも轡をされていた連中であり、その手に持った剣が海賊を一人、また一人と殺していくと白旗を上げた。
「ぶ、武器を捨てる!! 投降する!!! だから殺さないでくれ!!!」
全員が殺される前に平身低頭してもう素っ裸になることで敵意を示さない行いは清々しいまでに白旗だった。
所詮、軍人でもない連中の意思などこの程度なのだ。
「久しぶりだなぁ。こういう化け物を見るかのような視線は、お陰で無駄な血を流さずに済んだよ」
「お互いにね。それにしてもリョウってば本当に戦いとなると冷静ですよね。ちょっと怖いくらいです」
「十人ほどの首を笑いながら刎ね飛ばした女に言われてもなぁ」
血に塗れた二人の姿に海賊は更に肝を冷やして甲板に額を打ちつけて、敵意の無いことを示す。
「全員を拘束しろ。この船の装備品は全て奪ってしまえ――――と、本当に助かりましたよ。ありがとうございますサカガミ卿、北東の戦姫様」
「お気になさらず。――――色々と不安になることを言って申し訳なかった」
敬服する騎士隊長に軽く言ってから人質となっていた令嬢たちに頭を下げる。自分の言動が彼女らの不安をあおったのは事実ですから。
「顔を上げてくださいサカガミ卿。縁も所縁もない私達を助けるために、ここまで来て下さったあなたを責める気持ちなど私達にはありませんから」
「そう言ってくれると助かる」
保護した女性達にティナが布を包ませていく。混乱している人はいないが、それでもこういう所では女性の方が色々と都合がいいだろう。
自分に礼を言ってくれた轡を嵌められていた令嬢たちは、視線で何かをこちらに訴えている。
「? 何でしょうか?」
「何故、私たちが―――武芸を嗜むと分かったのですか? 参考までにお聞かせ願えますか?」
どうやら彼女らは自分が、レイピアを渡したことが怪訝なようだった。説明をするのは簡単だが、まぁ言ってしまっていいものかどうか、少し悩む。
「筋肉の付き方、手にあるタコとかからそれ相応の術法は嗜んでいるように思えたのでね。細剣を渡したのは護拳がついている武器がそれしかなかったんだ」
扱いに苦しんだようには見えなかったが、選択を間違えたかと思っていたのだが、どうやらそうでないようだ。
「ありがとうございます。私達はこれから様々な者たちに色々言われるでしょうが、それでも―――あなたのような勇者の食指を動かしたともなれば、まだ女として捨てたものではないと生きています」
「ちょっと待て、先程の言葉のどこにそんな要素があった? いやまぁ強く生きてくれと言うことは可能だが、それでもいやしかし……」
確かに人質の身体を凝視して、武芸を扱えるものに当たりを付けていたのは事実だが、その最中にティナやサーシャと同じく女らしい身体に色々思ったりしなかったり――――。
「すごく心の中であれこれ思い悩んでいるのはわかりますけど、はっきりとそんなことは無いと言ってあげればいいじゃないですか」
「これから彼女らだって色々あるだろ。もしかしたら出家させられるかもしれないんだ。だったらアスヴァールで懸命に生きていた遊女たちみたいに自分の名前を貸すのもいいと思っていたんだよ」
心の中の葛藤を見透かしてきたティナは、少し怒っている様子だ。しかし本気で嫉妬はしていない。
彼女も元は貴族なのだから彼女らのこれからの苦境が想像は出来るのだろう。
完全に戦意を無くした海賊共を連行する作業を見ながら周囲の状況を見るとルヴ-シュ軍は元気を取り戻して今までの鬱憤を晴らすかのような攻勢に打って出ている。
それに対してレグニーツァ軍は小休止。というか同士討ちを避けるための再編成作業に入っていた。
「マルガリータ号が来られるぞーーー!! 元気があるものは戦姫様の船に乗れよーーー!!!」
一艘の小舟に乗ってきたルヴ-シュ兵が海面に漂いながら、こちらに戦姫が乗る船がやってくると伝えてきた。
よってどうしたものかと考える。この場に留まるか、去るか。
「なぁティナ。エリザヴェータ・フォミナって戦姫はどんな人なんだ?」
「ヒス女です」
「……君のその人物評価を一言で断じるのやめた方がいいと思う」
余計なお世話かもしれないが、と付け加えてティナの言葉を検討する。
彼女の評価が正しいかどうかはともかくレグニーツァとの軍議における約定の感触、そして文の内容から察して、あんまりお近づきにはなりたくないかもしれないと感じてこの場は辞することにした。
「行かれるのですか? せめて我々でレグニーツァ軍までお送りさせていただきたいですし、エリザヴェータ様にもお会いしていただきたいのですが」
「上手い事言い訳しといてくれ」
「―――
少し焦っているカテリーナ号の責任者に言ってからティナの手を握りしめると一種の浮遊感を感じて、その後には――――船から二人と一匹はいなくなった。
遅れて到着したドレス姿の女性。戦姫エリザヴェータは、カテリーナ号の責任者と話して、事の顛末を聞くと少し不機嫌な顔になった。
「女性たちは丁重にエスコートしなさい。その上でカテリーナ号は捕虜を連れて戦線の離脱を許可します」
不機嫌な顔を消してから決然と命じるエリザヴェータ。
既にルヴ-シュの港町にはムオジネルの奴隷商人が待機している。この海賊共で損害を被ったのはザクスタンも同様なので捕虜がどのように扱われるかは、彼らに任されている。
「これから色々あるというのに海賊共が安堵した表情なのが気に食いませんね」
「万軍を相手にして勝利を収めた英雄の威光と畏怖ゆえかと」
恐れながら言ったカテリーナ号の責任者は、主への忠義と、戦士としての礼儀の狭間で揺れながら語った。
その言葉を聞いてから、指示を全て出し終えてから旗艦へと戻る。そうして遠くのレグニーツァの旗艦の方を見る。
「二度も姿を見せないとは、よほどやましいことでもあるのかそれとも彼女が会わせないのか、どちらにせよ。その顔は絶対に今度こそ拝見させていただきます」
宣言をしてから、この戦場はまだまだ続くと予感をしている。一度は算を乱して最新技術を披露することもなく終わるかと思っていた海賊団も反抗に出ているのだ。
この灼熱と閃雷鳴り響く戦場で――――出会う可能性はある。そう確信をしてからエリザヴェータは五隻ほどの塊となってやってきた海賊船。
おそらく人質を奪い返しに来たのに向き直り敢然とした様子で戦闘再開を告げた。
◇ ◆ ◇ ◆
その噂を聞いたのは、領地の巡回をした際のジスタートとの国境近くにある村でのことだった。
最近、夜な夜な動物たちの悲鳴が響き渡っており、また山に入った村人達が恐ろしい姿をした怪物を見たと証言してきた。
見間違いの可能性は無いのか? そうジスタートとの国境近くのブリューヌ領土アルサスを治めるティグルヴルムド・ヴォルンは尋ねたが、それが数十人単位ともなればもはや見間違いではすまされない。
「竜の可能性もある。みんな申し訳ないが暫く山には入らないでくれ」
「承知しました。ティグル様お供はいらないのですか?」
「ああ、夏の季節に男手は必要だろ。俺は暇をしている領主だ。こういう時にこそ動かなければならない」
父・ウルスとの会話は今でも覚えている。それを思い出して山に入っていく。
愛用の弓―――家宝の黒弓ではないが、それでも自分が信頼している得物と矢筒を多めに持った。
山はティグルにとって一番の戦場だった。平原での一騎打ちこそが戦の主流と言えるブリューヌにとって異端であることは分かっている。
しかし、そんなことはティグルには関係なかった。普通の貴族ならば害獣駆除などは領民を徴兵して山狩りをして莫大な費用がかかるところだろうが、自分ひとりで為せるというのならば、それは良い費用節約になる。
(竜の可能性と言ったが、どちらかといえば浮浪者の類なんだろうな。食い物がなくて、山で生活をしているというところか)
山賊であれば、目撃者を殺して金品を奪っていたりするだろう。ティグルはそんな当たりをつけて山の半ばほどまで登っていった。
証言によればこの辺りのはずだ。矢を番えて何か動くものがいないかと視界を広げていく。弓手にとって目の良さというのはただ単に「見える」ものだけではない。
空気の流れ―――触覚。匂いの強弱―――嗅覚。目に見えるもの―――視覚。
それらを総合して放つのだ。強く引っ張るだけでなく己の全てを矢に込める。そういう作業なのだ。
ティグルの「眼」が、何かが動くのを感じた。照準を合わせるとその先にいたのは――――鹿だった。大きな鹿が、木々の間から飛び出してきた。
だが、その鹿がただ単に出てきたのではないことは理解していた。怯えている。何かから逃げているという感じだ。
そして鹿に遅れて何かが飛び出してきた。目を爛々と輝かせて、鹿を追う「ナニカ」、昼間だからこそ分かる。夜ならばお伽噺に出てくる怪物を思わせただろう。
しかしその正体は―――人間だった。薄汚れた旅着を着けて鹿を追っているものに警告の意味を込めて足元に矢を放つ。
「待ってくれ。こちらはブリューヌ―――」
警告の後の名乗りは最後まで言えなかった。旅着の裾から剣呑なものを取り出した人間―――少年は、こちらに向けて走ってきたのだ。
三百十アルシン―――あちらからして仰角であるからさらに距離はあるだろう。その距離を踏破して少年はこちらに斧を振り下ろそうというのだ。
「風と嵐の女神エリスよ……」
祈りを捧げて、必中の矢を射掛ける。耳鳴りのような音を響かせて矢が空間を走った。少年の持ち手を狙った矢は少年が二百六十アルシンに達しようという時に当たるはずだった。
だが―――――――。ばたん!と少年は、前のめりに倒れた。後には山の地面に突き立つ矢が一本と鳥と虫の鳴き声だけの普段の山の中に戻る。
しかし、鳥と虫の鳴き声以外の音が聞こえてきた。それは盛大なまでの腹の音だ。
無論、ティグルのものではない。まさかと思いながら、少年の近くまで下りていくと更に大きく聞こえてきた。
「大丈夫か……?」
「お……」
「お?」
「お腹が空きました……」
その言葉の後には少年は、動かなくなってしまった。死んだわけではないだろう。なんせ腹の音は未だに鳴り止まない。
沈黙を破ってティグルはため息を一つ突いてから、少年を担ぐ。良く見ると少年が持つ斧が木こりが持つようなものではなく煌びやかな装飾を施した戦斧の類だと気付かされる。
そして旅着が担いだ拍子に外されて―――少年ではなく―――「少女」なのだと気付かされる。
「女の子……」
自分より二つは下かもしれない身長、薄紅色の髪に、閉じられた瞼の睫毛の長さ、身体の軟らかさが性別を告げる。
「人騒がせな……とはいえ、どうしたものかなぁ……」
この旅人の処遇をどうしたものかと考える。人的被害を出したわけではないし、金品を強奪したわけではない。
行き倒れではあるが、今の村々は種蒔きの時期であり、こんな行き倒れを食わせる余裕は無い。無論、下の村に余裕があれば別だが領主としてそんなことを命じたくは無い。
「ティッタには迷惑を掛けるかもしれないけれど、仕方ないよな」
アルサスにおいて一番余裕のある家は自分の家なのだ。
不審者を下の村に預けるのも悪いと思ってティグルは、少しだけ気を重くしながらも―――下山を開始した。
その出会いが一つの運命であることなど露知らず―――。王は運命を拾ったのだった……。