鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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「光華の耀姫Ⅲ」

 

 

 

朝―――起きると同時に布団を除けて、己の身体の調子を測る。

 

 

どうやら大分いいようだ。不調は無い。しかしながら隣の光景に身体が熱くなってしまう。余計な熱だ。風邪ではないが―――風邪より厄介なものである。

 

 

前が開けられたシャツから零れる豊かなそれらは彼女の特徴でもある。金色の髪が丁度よくその豊かな丘にかかり妖艶さと神秘さを増している。

 

 

正常な寝息を立てる隣の美女―――ソフィーヤ・オベルタスを起こさないように寝台から這い出つつ、窓の外に広がる光景に、一先ずは安心だ。

 

 

(まさか朝っぱらから死体が路上に置いてあれば一大事だが……そこまで乱れているというわけではないか)

 

 

想っていたのと少しばかり違うが、そんなことばかり起きていればこの領地は遠からず人がいなくなるだろう。

 

 

治安維持に関しては問題ない。つまり領内における不穏分子は全て潰している。そこまではいい。問題は内政だ。

 

 

繁栄している街だ。多くの商人たちが今日の糧を得るべく準備にいそしむ様子から見ても、とてもではないがそこまでの悪逆無道が蔓延っているとは思えない。

 

 

「見える限りでは普通の街よね」

 

 

「そうだな……これ以上を知るためには街に下りなきゃいけないわな」

 

 

「ところで何で頑なに私の方を見ないのかしら?」

 

 

寝姿と寸分変わらずな格好のソフィーはイタズラっぽい顔でこちらの顔を覗き込んできた。先程までは後ろにいたというのに今では自分の隣に移動してきたので、その肢体の見事さに心奪われそうである。

 

 

「頼むから前ぐらい閉じてくれ」

 

 

「流石に温暖なブリューヌだから秋の季節が近づいていてもまだまだ暑いわね」

 

 

そういう問題じゃないだろ。と思いつつも暖簾に腕押し。この女性に対して倫理性などを説いても無駄だろうと思って朝食は、外で取ることを伝えると苦笑しつつため息突いたソフィーが着替え始める。

 

 

「それにしてもリョウって寝相良いのね。全然私の胸に顔を埋めなかったもの」

 

 

「お前の双丘には引力でもあるのかよ? というか男ならば誰しもお前の胸に魅力を感じると思うな」

 

 

具体的にはアスヴァ―ルでの禿将軍が筆頭だろう。あの男(?)の趣味は完全に病気である。いっその事、疑い無くても「倫理上の問題で遠流」とか進言すべきだった。

 

 

タラードが今でも将軍職にいるのならば、恐らくあの男は僻地に飛ばされており監視がかなりきついものとなっているはず。

 

 

それも絶対ではないことを考えるも―――当分の間は大人しくせざるをえないだろう。

 

 

「屋台とかでご飯にするわけだけど何を食べるの?」

 

 

「ブリューヌの料理がどんなものか分からないからとりあえずお勧めをいただこう。君が知っているならば君に任せるけど」

 

 

自分の後ろで着替えをしている女。衣擦れの音が生々しく聞こえながらも平静を装いながら返せた。

 

 

「いいわよ。それじゃ出ましょうか」

 

 

「ああ」

 

 

女は色々と用意が必要なのだと思っていたが、ソフィーの支度は意外と速かった。化粧の類も最小限にしたからだろうが。

 

 

対する男の方。自分はといえば新しい肌着に着替える程度だったので、簡単に終わった。

 

 

腰の脇に刀を差して、準備完了となる。後は旅袋を持ち部屋を後にするだけ―――。

 

 

「惚れ惚れする胸板だこと」

 

 

「そういう表現やめてくれ」

 

 

こちらはソフィーの着替えを見ていないのに、ソフィーはこっちの着替えを見るという理不尽を受けながらも―――ネメクタムの街に降り立つことになる。

 

 

 

† † †

 

 

 

執務室で門番の上役から報告を受けたフェリックスは、上役を下がらせてからどうしたものかと思う。

 

 

ザイアンの側仕えであり、テナルディエ家の秘蔵の「毒手」とも言えるサラは、現在の所、自由騎士の攻撃によって動けぬ状況だ。

 

 

そしてサラの知っている知識通りであるならば、自分の手持ちの駒であの男を倒す術は無いと見た方がいいだろう。

 

 

『大旦那様。無礼を承知で言わせてもらうならば、あの男に個人の武勇で挑むなど愚です―――西方であの剣客に伍するはナヴァール騎士団のロラン、そして七戦姫ぐらいでしょう』

 

 

そう恭しく言ってきたサラに重ねて問う。倒す術はあるかと―――。

 

 

『個人の武勇で叶わなくとも、如何な英雄であっても「一人」ならば多くの連携の前には敵わないはず』

 

 

つまりは組織戦を展開すれば、あの自由騎士は倒せるということだ。だが、それをやるには小規模であっても五十人規模の隊を結成する必要がある。

 

 

「見過ごすしかあるまい―――しかし何故こちらにやってきた? オルミュッツからならばそのままニースに向かえばいいものを」

 

 

推測は色々出来るが、何はともあれ去ってくれるのを待つばかり……いっそ招待すればいいかもしれないが、何が起こるか分からない。

 

 

無論、いきなり斬り捨てられることはあるまいが、それでも……全容分からぬ剣士相手にフェリックスも強気は出来ない。

 

 

「……ザイアンはいるか?」

 

 

「いえ、昨夜から帰っておりませぬ。何でも山に行くとか……」

 

 

「――――何故、知らせなかった?」

 

 

側に控えていた従者の一人に冷たく問いかける。激発するかのような問いかけでなくともこちらの心情は分かっただろう。

 

 

「……閣下に申し上げれば、ザイアン様は己の「宝」を大事にするなと言われた気分になるでしょうな」

 

 

少しの怯えを含ませても抽象的な言い方だが、言いたいことは理解出来た。つまりサラ・ツインウッドの為にザイアンは山に入っていったのだ。

 

 

その事に対して怒りを露わにも出来ない。しかしながらザイアンは次なるこの領地の領主だ。

 

 

フェリックスからすれば最近のザイアンはこの領地の領主には似つかわしくないほどに穏やかになった。更には自分に反抗するようなことまで言うほどだ。

 

 

変化は嬉しくないわけではない。だが……それが今の時代に合っているかといえば合わない。いずれ内乱が起こった時に最終的に玉座につかんとして就いた後の後継者はザイアンだ。

 

 

「もしかしたらば……ブリューヌには新しい風が吹いているのか?」

 

 

自分が生を受けてから今に至るまで、西方は争いやまぬ呪縛にでもかけられたかのように戦いと混乱の時代だ。

 

 

しかしながら今、新しき芽が出ているのかもしれない。だとすれば自分はその芽を摘み取っているだけなのでは?

 

 

政(まつりごと)にかんして何も行わなかった皇太子―――「レギン」があのように、発言をしているところからも―――

 

 

「いいや、だが未だにこの西方は呪縛に囚われている」

 

 

仮に若者達の時代が来たとしても、今はまだこの西方は争いばかりだ。

 

 

アスヴァ―ルでは、東方剣士去った後にタラードなる将軍が王女ギネヴィアを立てて第三勢力として自治村群を中心としてジャーメインに圧力を掛けている。

 

 

ザクスタン、ムオジネルなどこのブリューヌの人的・物的資源を狙って何度も侵攻をしているほどだ。

 

 

ジスタートにおいては沿岸諸都市に海賊が軍団を指揮して襲いかかった。

 

 

「今の時代に秩序をもたらすのは力なのだ。力無くば何も守れぬ―――ザイアン、お前が好き勝手出来るのも所詮は私が目こぼししているだけだ。それをいずれは教えてくれる」

 

 

執務室から出て、ドレカヴァクに進捗を聞く。決戦の日は―――近づいている。

 

 

 

 

 

 

「………それがテナルディエ領の政治の仕方か……」

 

 

「感想は聞くまでも無いわね」

 

 

事情通だろう人間、当たり障りのない人間というのは結局の所どこでも酒場の主人なのだ。

 

 

隣にて平素の顔をしていながらも憤慨を隠せぬソフィー、喉を湿らせるためなのか果汁水を一気に呷るソフィーに先んじて酒場の主人に聞くことに。

 

 

「弱者は喰らわれるだけの存在? ふざけている。碌な教育や機会も与えない癖に、その運勢すらも人の価値として決めるのか」

 

 

「それこそがネメクタムの在り方です……まぁ私も今では酒場の主人に修まっていますが、村から奉公人として出された後に―――村は重税を課されて離散してしまいました」

 

 

自分の故郷はもはや無いのだと語る酒場の主人の言葉は虚無的だ。それを見てリョウも憤慨を少しだけ収める。本当の悲劇に晒された人の前で憤った所で、その人物の感情を逆なでするだけだ。

 

 

「お客様の憤慨はありがたいですよ。しかしながら公爵様のお陰で私は多くの酒や食材を扱えているのも事実ですから、恩もあれば恨みもあります」

 

 

こちらの感情を理解したのか、そんなことを言ってから骨付き子羊肉のローストを出す。その肉を食うのを少し躊躇いつつも食材には何の罪も無いとして豪快にかぶりつく。

 

 

「にしても何でそんな政治を行ったのかしら? 寧ろ、そんなことばかり行われていたらば民衆の蜂起も起きかねないわ。減税を課された地域があるといっても大半は貧しく暮らすしかないのだから」

 

 

「一つにはテナルディエ公爵が治安維持には完全であり容赦が無かったからです。更には領内の不穏分子にも同じく行ってきたからですな」

 

 

野盗の類は完全に殲滅をして残酷な処刑の様を見せて、同じく反乱者達もであり、その恐怖と暴力による支配は人々に不安を与える一方で安心を与えてもいた。

 

 

飴と鞭というやつだなと思いつつも鞭の比率が強すぎる。だというのに反乱が起きないのは各地に間諜の類が多いのだろう。

 

 

ブリューヌ全体がこうだったらばともかく他の貴族の治めている各地域の評判が届いていないわけではないのだ。逃げ出そうとするやつだっていないわけない。

 

 

「そしてもう一つは公爵様の人間性にあります―――」

 

 

聞かされた長い話―――その中に聞き逃してはいけないものがあった。

 

 

「『蠱毒の壺』か……」

 

 

「コドク?」

 

 

聞き返してきたソフィーに先代テナルディエ公の行いはある意味では、自分の知っている故事の一つに似ているという。

 

 

蠱毒とは一つの器の中に数多の虫や蛇などを入れて食い合わせることだ。狭い器の中で強制的に生存競争に晒された畜生共は、怨嗟を上げてお互いを食い合う。

 

 

「そうして出来あがるは一匹の「毒」……」

 

 

「おぞましいわね」

 

 

「本当だよ。そして本当におぞましいのは、生存競争を勝ち抜いたその「毒」を用いて「呪い」を掛けるという点にある」

 

 

呪術の類の話だ。と顔面蒼白のソフィーに言ってから皮肉が思い浮かぶ。

 

 

今の話に例えるならば、そんな兄弟同士の血みどろの争いを嗾けた先代テナルディエ公は、最高の毒であるフェリックス卿を用いてネメクタムに「呪い」を掛けたとも言える。

 

 

その「呪い」は未だにこの土地を汚染している。

 

 

それにしてもそんなことまでやっておきながら王政府は何もやっていないのだろうか? 民の不満は確かにここの領主に向けられるだろうが、あまりにもやりすぎるとその上の王族にまで向けられかねない。

 

 

その果ては反乱・革命・処刑のお約束ごとである。そうはならないように地方の動きにも目を向けていなければならない。

 

 

「恐らくだけど自治権を盾にして突っぱねたのね。そして王政側も処断するのは可能不可能でいえば不可能でなかったはず。けれどもーーーテナルディエ公という悪樹にある多くの枝葉が落ちてしまえばどうなるかわからない」

 

 

良く言えば乱世の奸雄とでもいえばいいのかもしれないが、それでもこの男とガヌロンの二人が出てくるまでブリューヌに乱は吹いていなかった。

 

 

そう捉えればただの逆賊でしかない。天に仇なす恐るべき蛇蝎である。

 

 

「……しかしそんな人間とはいえ、激情のままに斬り捨てるわけにもいかんわな」

 

 

「そんなことをしようと思っていたの?」

 

 

「場合によっては……俺が反乱軍を組織してこの領地を叩き潰してもいい」

 

 

実際、タラードに密かに打診された事をジャーメインに無断で行ってきた。

 

 

アスヴァ―ルでは自国の騎士が自国の領地で略奪をおこなうなどと言う下種の行いが起こっていたので、自治村の若者中心に自警団を結成させて、訓練をさせてきた。

 

 

例え、その村で騎士の死体が見つかっても知らぬ存ぜぬで通させる。無論、タラードはその戦力に自分の子飼いの連中を含めてジャーメインを落とすつもりなのだろう。

 

 

今の情勢がどうなっているのかは分からないが、予定通りならばそろそろだろう。

 

 

「過激な事を言うわね………とはいえ、今は王都に向かうのが先よ」

 

 

「分かっている」

 

 

こちらの言葉に射抜くような視線と妨げるような言葉を投げたソフィーに還しながら苛立ちまぎれに、最後に出てきたデザートともいえるフルーツの果肉がたっぷり乗ったケーキを喰らう。

 

 

糖分の補充が自分の頭を冷静にしていくような感覚を覚えながら、義憤はある。しかしながらそれを起こすには……大義名分がいる。

 

 

段平掲げて斬奸、仇討、平和を叫ぶには確実な義がいる。口上を述べるには確実な義勇が必要だ。ただ単にそれ無く人を斬っていては本当に剣はただの凶器に成り下がる。

 

 

「……仕方ない。ただ……何か出来ないもんかな」

 

 

「ならば、あなたはこの国の豪傑無双達全員に勝ちなさい。そうなればこの国でもあなたは自由騎士になれるわ」

 

 

「? 自由騎士?」

 

 

店主の怪訝な視線に忘却の御稜威を掛ける。忘却と言っても完全に記憶を消すわけではない。意識的にこちらの顔を思い出させないようにするだけだ。

 

 

いわゆる精神に対する干渉は完全に呪術・妖術の類だ。自分では出来ない。少しだけ呆然とした店主に勘定を頼みながら、嘆息しつつソフィーの顔を見ると舌を出して可愛らしく謝っていた。

 

 

それに対して特に感想を述べずに、勘定を終えて店を出る。

 

 

「むぅ、そんなに私は魅力ないのかしら? リョウってば本当に手強すぎる」

 

 

「……ティナは操られても構わないのさ。ただ君に操られるとなるとなんかそれはそれで嫌なんだよ」

 

 

「ちょっと悲しいわね。『虚影の幻姫(ツェルヴィーデ)は傷つかない』とかいうわけじゃないけど本当にあなたはヴァレンティナのことを信じているのね」

 

 

「その果てに待っているのが破滅だとしても俺は満足できそうなんだよ。武士として三人の「姫」の剣という誉れを得たのだから、というか微妙に語呂の良いこと言いやがって」

 

 

半眼で横を歩くソフィーに言いながらネメクタムの王都側の門まで着くと俄かに騒がしくなっていた。

 

 

「ザイアン様……ッ!」

 

 

「こんな恰好で通ってすまないな……悪いが今は急ぐんだ。この薬草を……サラに……」

 

 

人だかりの向こう側には山行きの軽鎧を身に着けた男……年頃は自分と同じくらいかの黒の短髪にそばかすの浮いた顔をしたのが、薄汚れた姿を市民に晒しながら、剣を杖として歩こうとしていた。

 

 

その姿に肌がざわつく。ひりひりとした感覚は間違いなくその男が……何かを「施術」された証拠だ。今は「発現」していないが、遅効性の何か呪術的なものを施されている。

 

 

腰の得物に手を伸ばしつつ、その男の素性が―――領主の息子であることが市民達のざわめきから分かった。

 

 

だとすればいかに魔のものになりつつあるとはいえ殺せない。もっとも屍兵とは違って深刻なものではなさそうだ。―――今のところは。

 

 

得物を下げつつ、殺気を押し殺すと―――上空から殺気が飛んできた。

 

 

しかし殺気の正体は―――家屋の屋根に着地をすると同時に、驚異の身のこなしでザイアン・テナルディエの前に現れた。

 

 

「若様、お怪我は!? なぜそのような姿になってまで……」

 

 

「サラ……傷はいいのか……いいわけない。まだ包帯は取れていないじゃないか! 早く家に戻るんだ! 寝ていなきゃ駄目だ」

 

 

慈しみの視線と焦燥の言葉でお互いにお互いを気遣う領主の息子とメイド服の女。その身のこなしと傷の程度から正体ははっきりした。

 

 

(あの時のくノ一……、テナルディエ公爵の「草」だったのか……)

 

 

侍女である女よりも領主の息子の方が疲労が酷かったのか侍女は自分が峰打ちした袈裟懸けの一撃とは反対の肩に領主の息子を乗せて空を走っていく。

 

 

重症の人間にとってはそちらの方が不味かろうが侍女であるサラの気持ちは既にザイアンを早く屋敷に還すことだけに向いていた。

 

 

かつてレグニーツァにて自分がサーシャを居館まで運んで行った時には、彼女の意識が完全に飛んでいたから出来たのだ。

 

 

「韋駄天の術……」

 

 

「? どうしたのリョウ、私の金髪よりさっきの侍女の金髪の方が気になるの?」

 

 

「いや君だって分かってるだろ。あの女は―――」

 

 

「ええ、まさかあんな早くからこちらの動向を探っていたなんて、あれがブリューヌ全体の密偵のレベルならば防諜体制を刷新しなければならないわ」

 

 

おどけた表情からいきなり真剣な顔になるソフィーの百面相に少しだけ黙りつつも、恐らくあのレベルなのは彼女ぐらいなものだろう。

 

 

第一、大規模戦争の一騎打ちを戦いの作法の第一としているブリューヌだ。そこまで間諜の類に力を入れているとは考えにくい。

 

 

「……とにかく急ごう」

 

 

「なにかをされる可能性もあるものね」

 

 

だが領主の息子の一大事なのだ。しばらくは大人しくしているだろう。第一、あの陰術が発生するにはまだ時間がかかる。

 

 

(助けてやりたいが……まぁ近づくことすら出来ないだろうな)

 

 

場合によっては手遅れということも考えられる。冷酷かもしれないが……。

 

 

星の巡りが悪かったということだ。あの男は近い将来命脈尽きる。それがどういった原因でなのかは分からないが―――。

 

 

馬を走らせる。目指すはニース。立つ鳥跡を濁してばかりだが、まだ自分でどうこう出来る問題ではないのだ。

 

 

歯がゆい思いなどを持ちながらも、今は出来ることをするしかない。

 

 

 

† † †

 

 

 

「それじゃカーミエちゃん。これお願い出来るかな?」

 

 

居館の中にて一人の侍女と一匹の幼竜の話が通じている様子を見ると、何となくだが変な気分である。

 

 

竜というのは多くは人になつかない。第一、生態もあまり分かっていない。生殖方法しかり卵生なのか胎生なのかも……そんな幼竜はティッタの持っていた洗濯物の籠を器用に二本の角で支えながら持って行ってる。

 

 

そんな我がアルサスの新たな住人であり、セレスタの居館の家族の一人となったカーミエに対して―――。

 

 

「ううっ、カーミエ酷い。私よりも継母の方がいいだなんて……」

 

 

「ママハハ」ってどういう意味だよ。と思いながらも涙目で我が子を取られた母親のようなことをするオルガを見つつ、最近の領地に関する報告事項をまとめる。

 

 

牧場の事業はまだ軌道に乗せたばかりだが、様々なことを想定している。一つには仮にここが戦場となった場合だ。このアルサスは背面を山にする形で裾野に平野が広がっている。

 

 

山を越えた先はジスタートだ。そのジスタートの侵攻ルートとしてはアルサスは一般的ではない。第一、整備もされていない山道なのだ。

 

 

違う所から来るはず。後ろからの侵攻を考えないとすると考えられるのは近隣領主や大貴族達による領地侵攻。つまり内戦による被害。

 

 

その場合、ブリューヌの伝統的な合戦礼法からするに牧場を設定したモルザイム平原が主戦場になる可能性が大だ。

 

 

馬の避難ルートや、人員の誘導なども確実にやる。もっとも……あまりしたくないのだが、そのモルザイムの前にはこのセレスタの街がある。

 

 

まず確実に、セレスタを焼き払った後に村々を襲いかかるはず。つまりはセレスタに被害が集中している間に牧場を完全に無人・無獣としてしまえばいいだけ。

 

 

「あまりやりたくない手だな……」

 

 

領土の保全という意味でならばマスハス以外の近隣領主と連携を取れればいいのだが、あいにくティグルはそこまで付き合いたくない領主らしい。

 

 

マスハスの後ろ盾が無ければ会うことすら出来ないものもいる。

 

 

「戦か……」

 

 

数週間前に行ってきた王都での議場での顛末を考えると、その可能性は現実味を帯びてきた。あそこまで王政側と二大貴族との軋轢が表面化しているとなると、ティグルとしても考えなければならない。

 

 

リョウ・サカガミが来ても来なくても、内乱は起きると今では思う。帰り際マスハスに言われたことが耳に残っている。

 

 

『お主はあまり中央に出てこないから知らなかったろうが、最近では頻繁にみられる光景だ。儂も何度腰の得物に手を伸ばしかけたか分からぬ』

 

 

次にはレグナス王子からの言葉が再生された。

 

 

『ヴォルン伯爵、事業の成功を期待しています。それと同時に……出来うることならば武芸大会にも来てください。待っています』

 

 

柔らかな微笑と共に言われた一言。どこか不安げな顔をしているレグナス王子の言葉に臣下の礼を以て応えたが、正直弓上手が来ていい所ではないと思えていたので、レグナス王子もそんな風な言い方だったのだろう。

 

 

その笑顔が一日前に見たレギンの顔に似ていることはやはり彼女の出自とはそういうことなのだと察することが出来た。

 

 

色々なことを考えていると、少しばかり小腹が空いてきた。とはいえ今はティッタも忙しそうだ。となると―――。

 

 

「ティッタ、俺も洗濯物を干すの手伝うよ。今はそんなに仕事も溜まっていないしな」

 

 

「私も手伝う。だからティッタさん。私とティグルに小腹を満たす料理を」

 

 

「うーん。オルガちゃんはいいんだけど、ティグル様が洗濯物を干すと皺だらけになったりしますから……オルガちゃんだけお借りしますね」

 

 

主の申し出を悉く却下してくるティッタの逞しさをある意味心強く思いながらも、女衆に邪険にされたことを悲しみながら、ティグルは再び書類仕事に舞い戻ることにした。

 

 

(今頃、宮廷は大忙しだろうな。正直、ああいう場に憧れないでもないが、俺では主賓が務まらないだろう)

 

 

色んな意味で悲しい思いでティグルは空腹をやり過ごそうとしたが、それでもお腹は減る一方であり仕方なく……書類の一枚に眼を通しながら時間が過ぎゆくことだけを願っていく。

 

 

 

† † † †

 

 

訪れた王都は盛大なお祭り騒ぎと言ってもいいだろう。街中にはありとあらゆる所にブリューヌの国旗がはためき、更に言えば楽団や吟遊詩人達が喧騒というオーケストラに加えて快活な楽の音を与える。

 

 

ブリューヌの武芸大会は、ムオジネルにおけるコロッセオなどのような生と死の狭間にいる人間の様を見せるような興行ではなく一種の儀式なのだろう。

 

 

(御前試合みたいなもんだが……それと違うのは民衆の注目度かな?)

 

 

ヤーファにおいてもこういったことはよくあった。自分も参加して多くの剣士と戦ってきた。そしてその剣士達に勝ち、サクヤの剣という立場に就けたのだ。

 

 

「賑やかねぇ。流石は王都―――本当に都会だわ」

 

 

「ポリーシャやシレジアも似たようなもんだろう」

 

 

とはいえ、やはり豊かな国は違うとでもいえばいいのか、都としての格が倍ぐらい違う気もする。神殿の規模もシレジアよりも大きく見える。

 

 

この国が狙われる理由も分かるというものだ。

 

 

だというのに挙国一致で外敵を追い払おうとせずに内乱ばかりをしているなど、正直理解に苦しむ。

 

 

中央の通りを歩きながら露店を冷やかしつつ、何かいい土産物はないかと目星をつけておく。

 

 

買っていく相手は様々だ。ティナ、サーシャ、リーザ、リーナ、ミラ、マトヴェイ、ドミトリー、ナウム……浮かんでいくジスタートでの自分の朋友の類に似合うものとなると土産物にも迷いが出てしまう。

 

 

「リョウ、ちょっと見て」

 

 

「? ―――ああ成る程。結構売れてるか?」

 

 

悪戯っぽい笑みを浮かべたソフィーの指が示すものを見て納得する。納得しつつ。その商品をさばいている店主に売れ行きを聞くことにする。

 

 

「お陰さまで、偉い人たちはジスタートの海軍基地だなんだと騒いでいるがあっしら商人にとっては綺麗な細工物や鮮やかな陶器類を扱ういい取引相手ですんで」

 

 

笑顔で濡れ手に粟だとでも言いたげな商人。

 

 

「オニガシマ陶」の数々。赤・青・黄―――最近では緑の釉薬も作りつつあるオニガシマの名産品は皆が興味を示して尚且つ買っていくものだ。

 

 

「ヤーファの陶器でしか出ていなかった色合いをまさかこの西方で見られるとは思わなかったな」

 

 

「この皿一式買わせてくれ。レストランの上客が所望なんだ」

 

 

暇な冷やかしから目を外して露店の商人は、会計作業に入っていく。

 

 

珊瑚を使った細工物や貝殻を使ったそれらに、乾物の類にもイルダーの公国の品物が数多くあり、これならばうまく行くだろうとしている。

 

 

しかもそれらは高値で取引されているのだから。「三割値付け」されていたとしてもオニガシマも潤っているだろう。

 

 

「本当に良かったわよ。おまけに海賊共の中でもどちらかといえばなぁなぁで着いてきた罪人達も真面目に働いているようだし……リョウが、アスヴァ―ルから呼び寄せた遊郭の女の子達も頑張っていたし」

 

 

「いつまでもそんなこと出来るわけないだろ。だったら新たな道を示すのも一つだ。そして情を交わしあえる男が出来たならば足抜けさせる。それが遊女の道だよ」

 

 

半眼で見てきたソフィーには悪いのだがイルダーの施策にアスヴァ―ルの現状を覆す手を加えさせてもらった。如何にジスタートの女達を連れてきても領民の大半が元は罪人では上手いことはいくまい。

 

 

男と女が情を交わし、子を成すと言うのならばちゃんとお互いにお互いを真っ直ぐ見つめられるものの方がいいだろうと―――過去に様々な傷を持つアスヴァ―ルの難民どうしあの公国で幸せになってほしいのだ。

 

 

やってきたアスヴァ―ルの開拓船の中にタラードの姿を確認したかったが、残念ながらおらず遊女の代表と船団船長が一枚の紙をそれぞれ渡してきた。

 

 

『武運を祈る戦友』『俺は俺の道を行く』

 

 

二枚の紙にはそんな短い文言しかなかった。何かの暗号か符丁というものだろうと思いつつも、何となく理解はしていた。

 

 

近いうちにタラードは反乱を起こす手筈なのだ。そしてそれが成功した場合に備えて、オニガシマとの交渉を成功させておきたい。

 

 

そういうことだ。

 

 

「だったらば来いと言いたいところなんだがなぁ」

 

 

「あなたの耳にはまだ入っていないかもしれないけれど、恐らくタラード将軍はクーデターを起こしたわ。まだ不確定情報だけど」

 

 

「ギネヴィアを旗頭にしてか」

 

 

「―――知っていたの? 王女殿下が生きていたのを」

 

 

「あの野郎が口説くのを手伝えと言ってきたからな。彼女自身あんまり乗り気じゃなさそうだったけれど」

 

 

そして何よりタラードはいい男なのだが、何というか……女心の機微には疎そうだった。

 

 

自分もそんなに敏感ではないが、それでもギネヴィア王女からすればタラードは自分を助けに来た白馬の王子という感じには見えなかっただろう。

 

 

自分を利用して成り上がってやろうと言う野心家の眼では身内同士の争いに心を痛めている女性の心をつかむことはできまい。

 

 

「で代わりにアナタが口説いたのかしら? 戦姫の色子さん?」

 

 

「可愛らしく首を傾げながらそんなこと言わないでくれるかな―――まぁ一応為政者として取るべき責任は説いたよ。サーシャを戦場に立たせるのと同じように」

 

 

苦い思い出を吐き出すようにして、リョウは口を開く。

 

 

『戦場に立てとは言わん。だがこの戦いに義が無いのは重々承知のはず。そして何よりこの戦いで犠牲となっているのは多くの辱めを受け死ぬような目にもあっているあんたと同じ『女』だ。それでも生きている人もいる多くの傷を負いながらもな。そんな風な人間を見捨ててここで安全に守られながら生きているあんたを軽蔑するよ』

 

 

こんな風なことを言ったはずだ。とてもではないが一応肉親同士の戦いに心を痛めている女性に掛ける言葉ではなかっただろう。

 

 

しかしながら、多くの女が恥辱に塗れ死にたくなるような凌辱を受けていたのだ。それでも生きている。生きて明日を信じているという人達もいた。

 

 

それなのにそこにいた女は喪服を着こみ亡き父親を弔うだけだと言わんばかりの態度だった。

 

 

「けれどどうして……? 今更?」

 

 

「さぁな。当初の予定では、そんな風にした後でタラードに優しい言葉でも掛けさせる予定だったんだがな」

 

 

「あなたのことだから本気の言葉だったんでしょ。進んで憎まれ役をするとしても己の胎にある思いを込めたんじゃない」

 

 

「仰る通り。事実、腹が立っていたわけだしな」

 

 

横目で通りの一角で情熱的なムオジネル式のダンスをする女性を見てから話を続ける。

 

 

だが彼女はこちらの言葉に憤慨した。流石に異国人である自分に何故そこまで言わなければいけないのか、という怒りだった。

 

 

しかしこちらはあちらと同じ言語で素早く反論をした。

 

彼女としても論で叶わず情で叶わないと理解していたのか、こちらの言論を抑え込む算段だったのだろうが生憎、こちとらそんじょそこらの剣客・論客ではないのだ。

 

 

『あんたがとりあえず安心してタラードを頼れるぐらいの状態にしてやる。それまでこんな所にこもっていないでとりあえず従軍看護師として動いてみろ』

 

 

その後に語ることは殆ど自分の武勇伝だ。ギネヴィアは自分をかくまってくれていた村民達に別れを告げてから従軍医師の手伝いをしながらアスヴァ―ルの現状を知っていった。

 

 

「ギネヴィア王女ね……それでその後はどうなったの?」

 

 

「どうもしないよ。まぁ彼女は彼女で思う所はあったようだな――――――。休戦条約を取り付けた後は、反乱準備なり謀殺状況が整うまで隠れてろと言っといたか」

 

 

「長い沈黙が問わずとも語るに落ちてるわよ」

 

 

だが本当に艶っぽいあれこれがあったわけではないのだ。ただまぁ―――「私ともう一緒にいてくれないのですか?」そんな言葉を目を濡らしながら言うのは卑怯だ。あまりにも卑怯である。

 

それに対して冷たく突き放せるほど、自分とてギネヴィアが嫌いなわけではないが―――それでも、「たぶんね」。と再会があるかどうかを期待させない言い方で終始しておくことにした。

 

 

「まぁ彼女は次期女王だ。タラードを王配として迎えれば、盤石だろう」

 

 

彼女が真に信頼できる人間はもはやいない。

 

タラードに全てを託すしかない彼女の現状を分かっていても自分にはもう一人の姫から託された大きな使命があるのだ。

 

それを放り出すことは出来なかった。そして自分は彼女の側にいつまでもいられる人間ではない。

 

 

「じゃあもしも私が苦難に陥って落ち込んだならば……リョウは助けてくれる?」

 

 

「ジスタートの戦姫様たちはか弱き女性とは正反対すぎて守り甲斐が無いんだが、まぁ状況次第だな」

 

 

「確約しなさいよそこは、私だって女なんだから頼れる男性に縋りつきたくなる時もあるのだから」

 

 

「君に何か危難が訪れたならば万難を排して、疾く疾く駆けつけてやる―――。こうして側にいる時に限ってだが」

 

 

憤慨して自分の腕に抱きついてくるソフィーの策略に対抗しながらも目的地が見えつつある。ニースの王城が見えてきた。

 

 

跳ね橋の向こう側に見える城には果たして何があるのか、城門の前には衛兵三人、その三人に渡されていた書状を晒す。

 

 

「確認を取らせていただきます。―――それと腰の得物も預からせてもらってよろしいですか?」

 

 

恭しく一礼をした後に、城の方に走っていく衛兵一人。残った二人も警戒心を解いていない。その二人にソフィーは魅力的な笑みを見せて警戒を解こうとしているが難しい。

 

 

彼らもこの城を守る第一の関門として、どんな人間であろうと警戒しておかなければいけないのだ。

 

 

職務に忠実であり誇りを大切にしている人間というのは往々にしてそういうものだ。自分とてそういう人間だった。

 

 

しかしそれだけでは駄目な時もあった。主の不義を諌めるのも忠節の道なのだと。

 

 

もっともサクヤは暗君ではなく名君であった。仕えるに値する人であったが……やはり年頃の乙女なので、悪戯心満載であった。

 

 

「ブリューヌの跡継ぎは、王子だけなんだよな?」

 

 

「あら? ここでも姫君を口説き落としたかったのかしら、本当に色子なんて不名誉付けられるわよ」

 

 

諌めるようなソフィーの視線と言葉に肩を竦めながら答える。

 

 

「違うよ。ただ単に……まぁ俺を騒動に巻き込む女がいなくていいなと思っただけだ」

 

 

「どちらにせよあなたは騒動に巻き込まれると思うけれど」

 

 

詰所の一角にて待機しながら言い合い考えていると、衛兵が戻ってきて敬礼をした。

 

 

「ジスタート大使ソフィーヤ・オベルタス殿とジスタート客員剣士リョウ・サカガミ殿ですね。確認が取れましたのでご案内させていただきます。どうぞこちらへ」

 

 

預けていた鬼哭を受け取りながら、衛兵の案内を受けながら歩き出す。ブリューヌの王城を見上げる。

 

 

見上げると同時に、鋭い視線を感じる。視線の方向は真正面。歩き出して見えてきた城門の前に一人の男。黒い甲冑に黒髪。全身を黒くしつつも、その心胆たるや正に武人という巨漢の男が立ちふさがっていた。

 

 

男の姿に英雄譚の忠臣の一人を思い出す。その男は何本もの矢を受けても主の為に門を通さぬとして「立往生」した武僧であった。

 

 

それと同じものを男に見る。かつては神仏を敬いつつも一人の君主の為に己の力を振るった「生臭坊主」。

 

 

「ロ、ロラン卿……!?」

 

 

「―――あんたが黒騎士ロラン?」

 

 

衛兵の驚愕した声にてブリューヌの英雄を思い出す。この男を倒すためだけに、ザクスタンとムオジネルはあのような兵器を作り出した。

 

 

睨めつけるような視線と険のある言葉にも関わらず男は淡々と返す。

 

 

「そうだ自由騎士リョウ・サカガミ、お会いできて光栄だ。ファーロン陛下は貴殿の来訪を心待ちにしていた。ここからは私が案内しよう。ケニーここまでご苦労であった。お前たちは陛下と殿下の第一の盾にして最強の盾だ。誇りを持って職務を全うしろ」

 

 

「……! はいっ! それでは失礼いたします!!」

 

 

感極まった声で震えつつ答えたケニーなる衛兵は、一礼してからもと来た道を戻っていく。

 

 

ケニーという男が完全に見えなくなると同時に、ロランは言ってくる。それは彼の忠節の在り方だった。

 

 

「―――案内する前に言っておく。俺は陛下に危害を加えるものならば何人であろうとも斬り捨てる。例えそれが隣国にて英雄と称えられている男であろうともな」

 

 

厳然たる宣言と共に、一つの予感を感じる。

 

 

この男とは剣と剣を使った闘争で分かりあうしかないのだと――――。そしてそれをこのブリューヌ王国は狙っているのだと。

 

 

つまりは―――ただの武芸大会の観戦で終わることはあり得ないのだ。

 

 

闘争の予感を感じながらもリョウは不安に駆られることはなかった。目の前に立つ男もまた最高の「剣客」の一人だ。

 

 

 

最高の剣客と最高の闘争が出来る―――久方ぶりに武と武の極みを目指せる戦いが出来るのだとリョウは、剣客としての本能が目覚めるのを自覚していた。

 

 

 


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