鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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「羅轟の月姫Ⅲ」

 

 

 

 ここ数日、公宮と町並みのそれを眺めながら、どうしたら脱走できるかを考えてきた。

 

 

 その間に起こったことは、一つはカーミエ以外の幼竜と出会えたこと。ルーニエという飛竜の幼子は、自分に突進をしてきた。しかし突進をして抱きつきこちらを見た後には興味を無くして去っていった。

 

 

『この間、朱い鱗の同族と出会ったから勘違いしたんだろ』

 

 

 エレンの説明で、竜の視界とはどのように広がっているものなのか考えつつ、素肌を晒しているエレンから目を逸らすことを必要とされた。

 

 

 今、自分の目の前に広がる光景はかなり幸せなものではあろうが、見ればあれこれと喧騒を巻き起こしかねない。

 

 

 そんな自分の気遣い空しく、副官でありティグルに厳しいリムアリーシャの見事な肢体を存分に見てしまい―――。

 

 

『俺の事は気にしないでくれ』

 

 

 聞きようによっては変態でしかない。というか変態である発言を聞かされたリムから打擲のそれを受けることとなった。

 

 

(まぁ興味が無いわけではなかったが……)

 

 

 エレンの二割増しかと言わんばかりのその肢体の美しさは目の毒である。

 

 

 第二には、やはり公宮において監視役を務めるルーリックの警戒そのものは落ちなかった点だ。

 

 

 今のように四六時中一緒というわけではないのだが、それでもルーリックの監視は聡く抜け目がない。

 

 

 そして、どんなに尊敬されても彼にはライトメリッツの騎士であるという意識が強い。

 

 

『もしもティグルヴルムド卿が戦姫様の家臣になれば私はその下に就いて第一の家臣にもなりたいものです』

 

 

 自分には老いた従僕と、幼い女の客将しかいないので、嬉しい限りではあるが、それは困難な道だ。

 

 

 ―――やはり自分は故郷に帰らなければならない。

 

 

「となるととりあえず街に出て情報収集しなければならないな」

 

 

 ガヌロンとテナルディエの動向も気になる。あれだけ覇権を奪い合っていた二大だ。王子殿下が死んだとすれば、ろくでもないことを行うために早速動くだろう。

 

 

 その際にアルサスがどうなるかを考えた結果、やはり狙われる可能性は高かったのだから。

 

 

 エレン及び公宮の兵士達に見つからないように慎重に公宮の外に出るルートを辿る。高い屋根を伝い、その上で安全に降りられるルートを探る。

 

 

 公宮から出るのは大丈夫だ。しかしそこから先のルート、つまりライトメリッツの城門となると、飛び越えることは難しい。

 

 

(エレンのあの風を使った跳躍―――竜具によるものなんだろうけれども、それと同じことが出来ればな)

 

 

 そうして街に至ろうとした瞬間に、一人の娘の姿を見る。市井の町娘な衣服を着こんだ―――銀髪の少女がこそこそと、自分も知らない所から出ようとしていた。

 

 

 公宮の外に出ようとするのに、まさかその人物が真正面からではなく隠し通路を通って出るとは思っていなかったから、気になり声を掛けることにした。

 

 

「何をやっているんだ?」

 

 

「ど、どうしてここに……!?……まさかお前、だっそ―――」

 

 

「いや町娘姿の暗殺者か『草』かと思ってな。一応世話になってる身だから警戒したんだよ」

 

 

 話の転換というにはあまりにも不自然だったらしく、怪訝な目をしてくるエレン。

 

 

 しかし彼女としても色々と準備してきたと見えるだけにやむを得ず同行しろと言ってくる。

 

 

「何でこそこそ出ていくんだ?」

 

 

「色々と訳はある。言うなれば―――身分を隠して、市井の噂を集めてどういったことなのかを知る」

 

 

「やっぱり草と変わらない」

 

 

「動乱の芽は早めに潰さなければならないからな」

 

 

 だが少なくとも何回か出て行った限りでは城下町の様子は悪いものとは言い難かった。寧ろ活気があふれて商売盛んないい街に思えていたのだが……。

 

 

 つまりは建前だ。ただ単に遊びたいだけなのだろう。

 

 

 そうしてエレンの導きに応じてライトメリッツの公宮。今までは城門までの距離を測るそれだったのだが、遂に城下の殆どを見て回るということになる。

 

 

 落ち着いてみると様々に珍しいもの、食べ物がありティグルだけでなくエレンも目移りしているようだ。

 

 

 適当に買い食いをしていると、ふと一人の少女のことを思い出す。王都でのこと。自分は王宮の私生児だと思っている一人の女の子のことを思い出す。

 

 

 王子殿下が死んだとすればあの子はファーロンの直系だ。彼女がその身分さえ明らかであったならば、自分は少しだけアルサスに関して気を病まずに済み、他力本願ではあるが、彼女の助力で自分は助かったかもしれない。

 

 

 けれども不確定な事実ばかりであり、今はどうしようもなかった。

 

 

「なぁ、戦姫になる前は何をしていたんだ?」

 

 

「? お前、誰から聞いた?」

 

 

 腸詰めはさみのパンを食い終わったエレンに質問に質問で返される。そうして失言に気付く。自分はオルガから戦姫の選定条件や、様々なことを聞かされていたのでエレンもこのライトメリッツ由来の人間ではないということには気づいていた。

 

 

 その正体も真正の令嬢ではないということに関しても―――。

 

 

「アレクサンドラさんから聞いた。彼女も前は諸国を放浪する旅人だったって聞いたから」

 

 

 何とか繕って、そんな事を話すと一応、彼女は納得したようだ。

 

 

「ふむ、まぁいいだろう。私は傭兵だった―――とりあえずジスタート国内全てで転戦する傭兵だった。私の親は当時の傭兵団の団長だった。団長の言葉だけならば私はジスタート人かどうかすら分からない―――赤子の時に拾われたからな」

 

 

 失言に対して彼女は、そんな風に自分の来歴を明かしてきた。「白銀の疾風(シルヴヴァイン)」という傭兵団で生きるしかなかった彼女の―――壮絶な人生だった。

 

 

 語り終えると同時に空に向けて己の眼を向けた。

 

 

「だからかな。サーシャがどうこうという以前に、あの男が気に入らないのは―――、あいつは帰るべき土地がありながらも自由騎士などと名乗って、様々な武功を立てている。おまけに本当はヤーファの官職に復帰しようと思えばいくらでも出来るんだ―――。正直、羨ましかった」

 

 

 そうしてエレンは雑貨商の品物の中にある美しくも売れ行き良いオニガシマ陶を遠くを見る目で見ていた。

 

 

「同じ剣士、戦士でありながら―――ここまで、差が出るものなのか? けれど実際会って気付けた。リュドミラ…ああ、私と同輩のじゃがいものような戦姫のことだが、そいつが惹かれるのも分かるほどだった」

 

 

 彼もまた誇りと意地の為に戦っているのだと―――。それがエレンと比べるとリョウ・サカガミは大きいのだ。国や領地ではなく―――世界全体の為に動く。例えそれが大勢に影響を及ぼす戦いでなくとも全力を以て戦うことが多くの人を動かす。

 

 

 そんな英雄なのだと、だからこそリョウ・サカガミには多くの武功と成功が付いて回る。

 

 

「そんな風な人間にも通じるお前にも、そういう道を歩んでほしいんだ」

 

 

「俺に……自由騎士のような?」

 

 

「そうだ。お前は自分の弓がブリューヌで通用しないと評価されないと分かっていながら、認めてもらえる相手を探さなかった。いや、ブリューヌで努力することもまた道ではあるが、それでも―――お前が身に覚えた武、その力を誇りとして何かを成してほしい」

 

 

 エレンの言葉が染み渡る。

 

 

 アルサスを守る。それは今でも胸にある。

 

 

 けれども自分の誇りを大事にして尊大にならず、されど多くのものが「自分はティグルヴルムドの領民だ」と誇られるような領主であることも大事だったのではないかと思っている。

 

 

「リョウ・サカガミは大きなものに拘っていたが……俺は小さなものに拘り過ぎていたのかもしれないな……」

 

 

「そんな大層なものがあるものか、あの男はただ単に女ったらしなだけだ」

 

 

「お前、さっきと言ってることが真逆だぞ」

 

 

「改めて考えるとやっぱり違うと思えた。あいつはただ単に虎視眈々とジスタート及び西方全体を侵略して統一王になろうという野望を隠し持っている!!  今の奴は羊の皮を被った狼だ!! いや犬のふりをした狼だ!!」

 

 

 その際に出来上がるだろう後宮(ハーレム)にサーシャが入れられるという考えを披露して、怒り心頭なエレン。どうやらこちらが一人考え事に浸っている間に、考えの変遷があったようだ。

 

 

 もしくは……こちらが脱走の考えを持っていたことを思い出して、話をはぐらかしたか。

 

 

「ティグル、あの射的屋、あれで品物全て取ってくれ!」

 

 

 そうして話をはぐらされた思いでいながらも、次なる露店に赴き、弓の腕前を見せてくれと言われて仕方なくそれに付き合うことにする。

 

 

 今だけはこの楽しさに浸るのも悪くないと思えたから―――。

 

 

 †   †   †

 

 

 窓の外には活気が満ち溢れている。だがその活気は正しいものとは今は思えない。父が戦費調達の為に若い娘を狩り出して娼婦、奴隷にするなどという計画が出た時に、それを慌てて理屈で以て止めたが……恐らく、自分はフェリックスの後継者にふさわしくないと思われただろう。

 

 

「若様、どうかなさいましたか?」

 

 

「ちょっとな……ディナントでの戦が終わってまた戦の為に、戦費を調達する……こんなことをしていて人心が治まるのか? どう考えても俺も父も縛り首になる。領内の騎士達にだって守るべき領民がいるのに……」

 

 

 ディナントでの戦いは大敗だった。ザイアンとて正面からの敵と切り結びつつ、軍団を展開出来れば、固まっている二万五千を広くすること出来れば、五千の兵などものの数ではないと思い、戦っていた。

 

 

 しかし、その命令は発せられず闇に光るかがり火を頼りに戦いつつも、望んでいた命令は無く変わりに聞こえてきたのは王子の死という声だけ―――。

 

 

 自分の監督役を務めてくれたスティード卿の進言なければ自分は死んでいたかもしれない。

 

 

「ですが、大旦那様は既に戦うことを決意なさっております。ガヌロン公と戦うことでどちらが王権を握るかを」

 

 

「滅多なことを言うな。ファーロン国王とて存命なのだよ……」

 

 

 無表情でともすれば不遜な態度で言う侍女に、やはり全ての人間がそういうものだと理解している。

 

 

 戦争が終わってまだそれほど日数が立っていないというのにすぐに次の欲を満たそうとする。

 

 

 この平原の王国はいつから「獣の王国」になったのだ! という怒りを覚えると―――胸が苦しくなる。

 

 

 まるで心臓を掴まれているかのように早鐘を打ち、全身に痛みが発した。

 

 

「!? 若様!」

 

 

 崩れ落ちた自分を心配したサラに大丈夫だと告げて、立ち上がる。

 

 

 最近こんなことばかりだ。病気の一種だろうが、心配をさせまいとして、今は平静を保っておく、ドレカヴァクに言われて薬草を採りに行った後から、こんなことになっているので何かしらの毒草を口に含んだのかもしれない。

 

 

 後でドレカヴァクに薬を――――――。

 

 

「ザイアン様、お父上がお呼びです」

 

 

「陰陽師殿……!」

 

 

 そうして考えていた矢先に、その当人から父の下に行くようにと伝えられる。自分の私室に音も無く入ってきたドレカヴァク、それに怪訝さを覚える間もなく、父フェリックスの下に行くと驚くべきことを伝えられた。

 

 

 巨大な竜の彫像、頭のみの下に玉座のごとく拵えた椅子に座る父。その姿と示す態度を鑑みるに、この男は元々そういう野望を持っていたのだと察せられる。

 

 

 まるで地下牢にでもいるかのような灯りの下で命令されれば気の弱いものであれば誰しも応じてしまいそうな雰囲気すらある。

 

 

 そういう部屋の主にして、この領地の主。自分の父親に対して口を開く。

 

 

「お言葉ですが父上……まだディナントからそれほど日は経っていません。兵士に騎士達と休息を必要としているものも」

 

 

 こちらの言葉を遮る形で目の前の覇王は言ってくる。

 

 

「その戦果及び何も得るものが無かったディナントの補填として―――お前にはアルサスを奪い、焼き払ってもらう。兵士、騎士達には思う存分略奪させよ。よいなザイアン」

 

 

 遠方まで赴き略奪する。そこに至るまでの燃料及び兵站を考えるに、他の思惑があると思えた。

 

 

 風の噂でヴォルンが捕虜となったことは知っている。

 

 

 いっそ死んでしまえば後腐れはなかったかもしれないが、現実に領主が存命だが不在という微妙な空白地帯が生まれてしまっている。

 

 

 そこは先日までの戦相手ジスタートとの国境に存在しているのだ。

 

 

「取るに足らぬ領地とはいえ、放っておけばガヌロンが奪うやもしれぬ。かといってジスタートが来たらば面倒だ」

 

 

「……」

 

 

 ザイアンは黙って聞いていながらも父の思惑とはそこにあるのだと察せられた。しかし、領主不在の地を奪うというのは信仰にはあまりよろしくはないのではないかとも思う。

 

 

「お言葉ですが、そのような事をすれば神官達のネメクタムへの畏敬は無くなります。トリグラフの作法にも反しますし、戦の神を侮辱すれば――――」

 

 

「問題は無い。いつも以上に寄進をして、坊主どもは黙らせておけばよい。ただし神殿に対しての攻撃は禁ずる」

 

 

 その辺りを気にする辺りはまだまだフェリックスも胆が足りない。と後ろで聞いていたドレカヴァクは思っていたが、とりあえず黙っておいた。

 

 

 しかし黙っていないのはザイアンであった。

 

 

「父上、ここはご再考を、例えブリューヌに覇を示すためといえど、力による現状変更のみを与えればいずれにせよ人心纏まらず、例え権力の頂点に上り詰めたとしても、その地位は盤石ならず、己の命を危ぶむ危険にたえず晒されます! なにとぞご再考を!!」

 

 

 弱腰ではなくザイアンは、自分が村で一度殺されそうになったことを踏まえて話した。しかしそれでも彼らを助けねばならないとしてこれまで――――。

 

 

「ならぬ!!!」

 

 

 …だが、そんな息子の訴えをフェリックスは一言で封じてきた。

 

 

「ザイアン、貴様がそう考えるのは理解しよう……だが、貴様とてその力による保護あってこそ生きているのだ!! お前が勝手に離散した村の若者を近衛騎士として雇うも、見舞金支度金を渡すも!! それは全て、私が目こぼしをしているから出来ていることにすぎん!!! 貴様に何が出来ているのだ! 答えろザイアン!! 貴様が意見を唱えたければ己で何かを成してから言え!!」

 

 

 一切の反論を許さぬ大声、しかし軟弱なバカ息子の道楽と言われて少しばかりすっきりした想いすらある。ザイアンとて許せぬこともあるのだ。

 

 

「ならば、あなたが私の大切な者を凶手に仕立てているのはどうなのだ!? サラは私の侍女だ! あなたの野望の為の道具ではない!! 例え金の出所があなたにあれども、私が選んだ侍女だ。それを暗殺者にして血に塗れた手にして息子の世話を焼かせる。こちらに渡してあなたは何も感じないのか!?」

 

 

 もはや理解している。この男が皇太子を害したということも、そしてその主犯が誰であるかも。

 

 

 意見のすり合わせなどあり得ぬほどに、もはやザイアンとフェリックスは違えた。しかしながら貴族の責務として、ザイアンはそれでも最終的には命令を受け取った。

 

 

「ですが、もしもこれを成功させたならば―――父上、あなたには退位していただきたい」

 

 

「お前が……このネメクタムを治めるというのか」

 

 

「たかが寸土一つの功績でと仰いたいのでしょうが、私にも意地と誇りがある。王権に刃向う片棒を担がされるのだから、それ相応の何かをいただく。そういうことです」

 

 

 先程とは違い嘲笑うでもなく、憤怒するでもなく淡々と問う父上。それに捨て台詞のように吐きながら部屋を出て言われたことを実行する。

 

 

 内心、フェリックスは―――それを喜んでいた。自分の息子の成長を、もしかしたらば来るかもしれぬ新たな時代を―――。

 

 

 しかしこれに面白くないものがいた。後ろに控えていた老人。ドレカヴァクである。

 

 

 もしもフェリックスが退位したとしても、戦争は起こる。しかし……だ。こちらの思惑としては不味い。

 

 

 狂い落ちるほどに全ての人間が暗黒の時代を感じさせるための役者として、フェリックスには絶対に先頭に立ってもらわなければならない。

 

 

 そして、桃の「化神」を使い―――己が野望を果たす。人の世を覆す。それだけだ。

 

 

(殺すしかなかろうな……)

 

 

 アルサスを焼き払おうがどうだろうが、ザイアンには死んで貰う。

 

 

 しかし只で死んで貰うわけではない。漸く回りきった「障気」がザイアンを魔体へと変貌させるだろう。

 

 

 そしてザイアン・テナルディエという人間を魔に落とす。

 

 

 その為には―――、悪い考えでドレカヴァクは口を開く。

 

 

「閣下、ザイアン様は些か気が弱くなっております。ここは一つ竜を与えてはいかがでは?」

 

 

「貴重な竜をアルサスごとき寸土攻略に使うというのか」

 

 

 この男も所詮は器ではない。自分の息子が少しばかり成長したことに喜び、侮るドレカヴァクに気分を悪くする。

 

 

「ご懸念通り、ジスタートの介入あればどうなるか分かりませぬ。そして何より……閣下の武威を示すためにも必要かと」

 

 

「…………ならば地竜(スロー)三、飛竜(ヴィーフル)一、火竜(ブラーニ)一を与えよ」

 

 

「大盤振る舞いですな」

 

 

「戦姫の介入を考えたのだ。何より息子の成長を喜ばぬ親がいようか……」

 

 

 だから貴様は甘いのだよフェリックス。

 

 せっかく出来上がった「蟲毒」がこの調子では戦争に勝つことは出来まいとして、内心で嘲りつつも馬鹿息子の為に―――竜を与えることにした。

 

 

 それこそが最後の毒であり最大の魔体の完成の鍵だとも知らずに―――。

 

 

 †   †   †

 

 

 もはや待ったなしの状況が出来上がりつつあった。

 

 

 身代金は用意出来ずに、ティグルが虜囚のままに好きにされてしまうという現状。そしてこの領主不在という状況を狙ってか、二大貴族がここを狙ってきているということだ。

 

 

 行軍して己が威を示さんとしてやってきているそれを前にしてどの貴族も恐れおののいているそうだ。

 

 

「……マスハス様……わしらはどうしたらば……」

 

 

「まさか領主不在の地を代理として心穏やかに治める……などという心は無いじゃろう」

 

 

 だとすれば軍団を率いてやってくるわけがない。完全武装して全ての補給物資も自分たち持ちである以上……。

 

 

「これは完全な侵略行為じゃ……とはいえ、どうすれば……」

 

 

 王宮は完全な機能不全状態だ。ガヌロンが王の名代というわけではないが、塞ぎこんだファーロンに代り、幾つかの案件を仕切ろうとしているという話もある。

 

 

 既知である猫顔の宰相を思い出して、マスハスは歯ぎしりしつつも、この状況。即ちアルサスの民を落ち着かせて適切な判断と戦うための大義として―――領主の帰還。

 

 

 ティグルがここにいなければならないのだ。

 

 

 思案するもそれしかないと思う。不安そうな顔をしているティッタとバートラン、そんな中、一人だけ決意をしていた少女がこの場にいた。

 

 

 この館の主人が召し抱えた客将。しかし来歴不明な幼い少女のそれは―――自分の考えを代弁した。

 

 

「マスハス卿、わたしがティグルを連れてくる。この事態は……わたしが招いたようなものだから……」

 

 

「いやオルガ嬢ちゃんがいても変わらな―――」

 

 

「バートランさん。ティグルを連れて行ったのは戦姫って言っていた。だから……これはわたしの責任なんだ。戦姫に対抗出来るのは―――戦姫のみなんだ」

 

 

 バートランの言葉を否定して、そして己の戦斧を見せながらオルガは自分の来歴を話した。

 

 

 その言葉はまるで懺悔をするようでありながら、自分がしてしまった悪事を話す子供のようであった。

 

 

 全てを話し終えて、誰かからの罵声を覚悟していた。

 

 

 一番には自分によくしてくれた侍女長ともいえるティッタであったが、それは無く―――彼女から頭を撫でられた。

 

 

「ありがとうオルガちゃん。私……本当はね。知っていたんだ……オルガちゃんがジスタートのお姫様だってこと」

 

 

「え」

 

 

 見上げると、撫でてきた姉貴分のティッタの顔は優しく微笑んでいた。そしてティッタも語ってきた。時折、自分とティグルが内緒の話をしていることを知り、その内容を隠れて聞いていたことを……。

 

 

「最初は本当に…オルガちゃんは間諜の類かと思って、警戒していたの。けれども……出征の数日前にティグル様を本気で心配している声と言葉を聞いて、ううん。その前からそんな心配は無いってわかっていた」

 

 

「だったら……ティッタさんも…わたしに味方してティグルを守るように……」

 

 

 言ってくれれば、自分ひとりでは駄目でも、彼女の言葉もあれば、ティグルは自分を連れて行ったかもしれない。

 

 

「それでも……ティグル様の言う通り私もオルガちゃんに無用な責を負わせたくなかった。私にとっても、もう『妹』なんだよオルガちゃんは、私たちのために真剣にやった結果として、誰かに怒られたり、怒鳴られたりなんて見たくないよ」

 

 

 涙がふいに溢れる。こんなに良くしてくれていた人を自分は裏切っていたのだ。

 

 

 自分達の身と主が危ない状況だというのに、自分に気遣いしてくれたアルサスの人々。そして自分の『姉』の想いがとてつもなく自分を熱くさせる。

 

 

「それでも……こればかりはわたしが行く……戦姫エレオノーラ・ヴィルターリアを破り、ティグルをアルサスに帰す。例えどんなに困難であってもわたしが全身全霊を以て、ティグルを―――「家」に連れ戻す!」

 

 

 あふれ出た涙を乱暴に拭いながら、オルガは決意する。今度こそ、誓いと義務を果たす時だと思った。それこそが自分がここにいた真の目的なのだから

 

 

「決まったようじゃの……バートラン、お主は万が一に備えて避難を、奴らとて山狩りまでして非道を行うまい。その上で余裕あれば戦闘準備を―――儂も何とかガヌロンとテナルディエをぶつけるように仕組んでみようと思う」

 

 

 現在、やってきている二大勢力の内、ガヌロンの遠征軍はマスハスのオードを通る形で進軍しつつある。そこで歓待して、うまいこと乗せることでテナルディエにぶつけること出来れば労せずして領土保全を狙える。

 

 

 そして仮にティグルが帰ってこれなくてもマスハスは無き友、ウルスの愛したこの地を両名の好きなようにはさせたくなかった。

 

 

「戦姫オルガ・タム―――どうか私の『息子』をよろしくお願いいたします」

 

 

 一通りの指示を終えてから、マスハスは向き直り頼むべき相手に頼む。

 

 

「頭を上げてくださいマスハス卿。わたしにとってもティグルヴルムド卿は大切な人、かならず―――ここに帰します」

 

 

 決意の目でこの屋敷からも見える山脈を見る。

 

 

 その向こうにいるだろう赤髪の青年。それを連れ戻す―――あの時は無茶な密入国でここに来た。

 

 

 そして今回も同じく、しかし出し惜しみする気はない。

 

 

 今、義理立てするべきはライトメリッツではなく、アルサスなのだから―――。

 

 

 ―――そうして羅轟の月姫は再び旅立った。

 

 

 無くしたもの、失われるべきではないもの全てを取り戻すために―――。

 

 

 己を導いてくれた光を取り戻すために、戦姫は戦姫を倒すことを決めたのだった。

 

 そうして、主不在、将星ありしもの達無くなりし、その領土に一人の戦士が近づきつつあった。

 

 

 朱い鱗持つ幼竜を供にして、東方の剣を携えし―――鬼の侍が。運命と邂逅すべく――――――。アルサスへと足を進めていたのだった。

 

 

 

 


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