そんな、ティグル達が出立をする前日に―――。アルサスに一人と一匹の客人がやってきた。
「ここを超えればライトメリッツだな。もう少しでルーニエに会えるぞプラーミャ」
こちらの言葉が分かったのか、頭の上からこちらを覗き込む幼竜、そしてアルサスなる領地の中心には入るも、随分と慌ただしい。
ディナントからニース、そしてまたニースから直でアルサスに向かったので各諸侯の動向を把握していなかった。馬を預けつつ、宿を取ろうとする前に……ここの領主に挨拶をしておいた方がいいと思えた。
「多忙な所すまないが、ここの領主の館はあそこでいいのかな?」
適当な町人の一人に尋ねると怪訝な顔をされながらも、そうだと伝えられる。
そして詳しい事情を知らされた。
「あんたティグル様に用事かい? 悪いけれどもティグル様は今ここにいないんだ……そして何より早くセレスタから出た方がいいよ」
「何でだ?」
「……テナルディエ公爵の軍がここに迫ってきている…バートラン…アルサスの兵士長さん曰くそういうことらしいから皆で、避難と一応の戦準備をしているんだよ……」
暗い顔で言われて目を見開く。まさかそんな事をしてくるとは、それに対して―――、ここの領主は何をやっているんだ。と少しだけ苛立ちながら質問する。
領民にこのような顔をさせて己は何もしていないのか、という思いを一度だけ感情のままに吐き出したのだが……。
「ティグル様の悪口を言わないでください!!」
その時、自分の後ろに栗色の髪を二つに結っているメイド服の女の子がいた。先程の言葉は彼女だろう。
「ティグル様は、ジスタートに捕虜として捕まってしまっているんです! けれど法外な身代金を払えなくて王宮もそんな事してくれなくて……本当はここにいるべき人なんです。だからそんな風に言わないでください!!」
「ティッタやめなさい。……申し訳ない旅の人。ですが、この子が言った想いはここにいる者全員の意見でもあります。知らぬ方にあれこれ言われるのは正直、いいものではありません」
いい領主なんだろう。そう感じられた。民を想い善事を尽くしてきた人間。
しかし運の悪いことに彼は捕虜となって此処にはいない。恐らくディナントで捕虜になってしまったのだろう。
(俺が言った所で、あの女が解放するとは思えないな。第一、この様子から察するにテナルディエがやってくるまで日にちはないだろう)
「すまない。何も分かっていなくて……しかし、それでも民を想うならば領主はやってくると思うな。あなた方の気持ちから察するにここの領主は、良い男なんだろう」
例え不自由の身であっても男は立つべき時に立ち上がる。悪逆を行う武家一門を滅ぼすために、供のもの数名で金色の都にて金剛の武士とも言われた八艘跳びの男の如く。
帝に政権を取り戻すために立ち上がった五芒星のもの達の如く。
「男が牙を向けるべきは己の大切なものが脅かされた時だからな……帰ってくるんだろうな。そのティグルヴルムドなる領主は」
「……こちらこそ申し訳ありません。あの旅の方、ひゃうっ!」
「こらプラーミャ、やめろ。ってなんでそこまでこの娘に引っ付くんだ!?」
何かを言い掛けたティッタなる侍女にいきなり擦り寄る火竜。頬を寄せて甘える仕草を取るプラーミャだが驚くほど懐いている。引き剥がそうとしても離れようとしない。
「こいつは驚いた。オルガちゃんのカーミエといいティッタは竜に好かれるんだな」
「それと同じぐらいティグル様もティッタに好意を持って擦り寄ってくればいいのにな」
「か、からかわないでくださいよ! ……旅の方、お名前は?」
一度だけ咳払いをしたティッタは、こちらに名前を聞いてきた。それに対して何と答えるべきか。
「ウラ・アズサ―――ウラと呼んでくれれば構わない」
まさか正直にリョウ・サカガミと名乗るわけにもいかない。ここで武威を明かす名前では、余計な心配だけを与えることにもなりかねないのだから。
「ではウラさん。ご覧の通りの状況で宿も営業は出来ない状況ですので……ティグル様の館で一拍してください。お客様に何もせずに帰してはアルサスの品位にも関わりますので」
何よりプラーミャは、当分彼女から離れそうにない。となると彼女の側にいた方がいいだろう。
「すまないな。こんなどたばたしている時に……」
「いえ、それに……もしかしたらばもう今頃、ティグル様は向かってきているかもしれません。私の妹と一緒に」
彼女は自分の希望的観測とは別に何かあるらしい。領主ティグルヴルムドがここに帰還するだけの何かが―――。
そうしてティッタの案内で、館の方に足を向けたその時、館から何か……邪気ではないが、とんでもない霊力が吹き上がる。
(……!?)
それなりに大きな館の一角から吹き上がったそれは、常人の目には見えないだろうがリョウには確実に見えていた。
(まさか……ここにいるのか?)
ヤーファより持ってきておいた「王」への「献上品」が輝きを発している。まるで霊気と共鳴するかのように―――。
館の主であるティグルヴルムドなる貴族はどのような男かを館に入りながら聞くことにする。
「いつも暇さえあれば寝てばかりいるような人です。けれどやるべきことはきちんとやって領民みんなが慕っています。ブリューヌの武士としては『弓』ぐらいしか取り柄が無い人で中央にいけば、馬鹿にされるけれども私たちは立派な領主様だと―――ウラさん?」
「……ああ、すまない。ちょっとだけ呆けていた…そうか、ここの領主は弓が得意か、もしかして俺と同じぐらいの」
ティッタの言葉で、まだそれだけでは確信が持てないのだ。弓が得意だというだけならば、タラードだってそうだった。しかし……リョウの中では既にここだと思えた。
「ええ、まだ若輩ですが、マスハス様などの助けを得て立派に務めを果たしていますよ」
ティグルヴルムドなる領主に本当に心酔しているのだと分かり、マスハスの言う友人の息子、ボードワンの言うレギンの心乱す男。
全てのピースがぴたりとはまるかのように一致する。少し詳しく聞けばすぐに会えたかもしれないのだ。だが、ここに至るまで自分は「魔弾の王」と会えずにいた。
しかし今こそ間違いなく使命を果たす時―――。
「お部屋ご案内しますね。こちらです」
「―――ありがとう」
ティッタに返しながら、自分の胸に小さな炎が揺らめくのを感じる。まだティグルヴルムドなる男の技量を見ていないというのに確信が持てる。
部屋に入るとティッタは、ごゆっくりとだけ言ってから、扉を閉めた。
プラーミャも一度だけ、名残惜しそうにしつつもティッタから離れて、部屋の中に入る。
「其は、祖にして素にして礎 はじまりにしておおもとにしていしずえとなる。高天原に神留まり坐す其の神より生まれ出ずる幾十もの神々、其は戦神、素戔嗚之神」
虚空に手を翳して出すべきものを出す。アメノムラクモではない。同じ戦神が握りし武器。それは自分が握っては真価を発揮出来ない武器だ。
「間違いない……『アマノノリゴト』が発動している……」
宙に浮かぶそれは、ここにいるだろう主の元へと飛んでいこうとするかのごとく光っているのだ。
確認だけをしてから、戻す。
「しかし、持ち主はエレオノーラの虜囚か……せめてもう少しだけ早く着いていれば違っただろうに……」
もっと言ってしまえば、あの時マスハスの話を良く聞いておけばよかった。
儘ならない運命。この場にティナがいればライトメリッツまで空間転移で向かえたのだが、彼女は王宮でディナントの雑事全体に首を突っ込んでいる。
迎えに行くか、それともこの場で待つか―――。
待つとしてもただ待つだけではない。テナルディエ公爵の軍団と敵対する。まずファーロン国王から言われていた候補からあの小覇王は除外された。
(王聖持つものであるならば、この危難の時に来ないわけがない。そして、俺は……ここを見捨てられない)
ペレス村での戦い。あの時、自分はエリオットの所業を許せなかった。だからこそ撤退の命令に背いて、それを行ったのだ。
そしてヤーファにおける七人の侍で、村を守った際のことを思う。まだ若輩の若造でしかなかった自分を立派な侍だと言ってくれた六人の師匠。
『刀を執れリョウ。我らは米を食いそして羅刹どもを斬らねばならない。農民が弱いのは罪ではない。しかし我ら武人が弱いのは大きな罪だ。―――人斬り、斬魔が出来ぬ神流の剣客など、生きる価値はない。だからこそ今は食い、そして多くを斬れ』
初めて人を斬った自分に掛けられた父の厳しき言葉。覚悟が足りなかった自分に掛かる言葉。そしてそんな父に負けず劣らずな剣客達の言葉が甦る。
(簡単な話だ。百だろうが千だろうが万だろうが―――斬り捨てるのみだ)
決意を込めて、再び小さなもののために剣を振るうのみだ。
だからこそ今は寝るのみだ。そして明日になればここの義勇兵として動こう。ただ不安なことは一つ……。
(ここの領主が弓上手だからといって弓が使えないやつは仲間外れにしてこないように願うのみ……)
頼むから戦わせてくれることを願う。それが叶わぬ時には自分の名を語ろう。嘘だと思われても、自分は戦う。
ベッドに眠りこみながら、明日の予定を立てる。己の意地と誇りを通すための戦いが、この地の王の礎となるというのならば、リョウはどこまでも戦えそうだった。
† † †
浴室には湯気が立ち込めていた。外から入るものには、詳細分からないだろう状況。中にいるものにとっては、誰がどこにいるかを簡単に分かる。
湯船に沈みながら戦姫オルガ・タムは、目の前にいる銀髪の戦姫を睨んでいた。先程まで―――、銀髪の戦姫と刃を向けあっていた時には自分の方が優位だった。
「どうした? そんなに見つめられるとアイツに裸を見られた時のことを思い出す」
「アイツとは……?」「推測してみろ。言わずもがなだろう」
両腕を組んで胸の下に潜り込ませたエレオノーラにオルガは、浮力で浮き上がる島に恨めしげな目を向けつつ、少しの仕返しもする。
「別に……ティグルが大きな胸が好きとは限らない。第一今からそんなに膨れていたらば、数年すると「垂れてくる」から見るに耐えぬものになっている。若い身空でご苦労察する」
険悪な視線二つが光線とかすようにぶつかり合う。しかし折れたのはエレオノーラの方からだ。
「ちゃ、ちゃんと腕立て伏せをやっていれば、そうはならな―――」
「風を使えば重いものも軽く持てるはず。寧ろ己の重量すらも誤魔化して生活していれば余計に早まる」
覚えがあるのか、表情が固まるエレン。確かにアリファールを使って空中で寝るというのはいいものだが、それ以外にも確かに色々と重みを感じずに過ごしてきた。
言われればその通りだ。エレオノーラを現実的な恐怖が襲い、身を凍らせた。
(勝った)
声に出さずに、オルガは勝利宣言をした。しかし、それは前哨戦であり、エレオノーラは話の転換を図ることで、第二ラウンドに移行させた。
「……話を変えるが、オルガは何故ティグルを信じたんだ? リョウが東洋で言うゴギョウハッケに通じる神職に連なることを出来たとしても、それだけでティグルを運命だと何故信じられた?」
「……情けない話だが、私は怖かったんだ。国というものが……」
そうして、オルガは語る。ティグルのアルサスに至るまでの道程と何故ティグルが自分の「光」と信じられたのかを。
「……そうか、しかしお前がディナントに来てくれなくて良かったよ。あそこにはサーシャもいたからな……何を言われたか分からないぞ。お前は何だかんだ言っても私やサーシャと違って権力者の嫡流なんだからな。そんな奴がやらなければならないことをやっていないなんて、いずれにせよ怒られることは覚悟しておけ」
「そんなこと分かっていなければあなたの館で騒ぎを起こさない」
言われてみればそれもそうか、と思う。オルガにとってティグルは己を導いてくれた存在だ。ある意味、オルガにとっての「王」はティグルなのだ。
羨ましいと思う気持ちが出てくる。自分が白銀の疾風の傭兵として彼の土地に行くことあったならば、自分も「愛妾兼客将」として置いてくれとか言っていたかもしれない。
エレオノーラはある意味、そういう自由に主君を選べることを羨ましく思えた。
しかし、現実に自分は自由な剣であることを辞めて、依るべき土地で主でいることを選んだ。
傭兵であった頃とは比較にならない生活。責任も多いが、それでも充実した生活だった。その一方で不満もあったが、それを甘んじて受け入れてきた。
「その不満がお前にはないんだもんな……」
「私はティグルの為に戦う。あなたはこの戦い何のために戦うんだ?」
「私を信じてくれたティグルの誇りに応えてアルサスを守る。それだけだ」
先のことはどうなるか分からない。恐らく勝っても負けても王宮から何かを言われることは間違いない。
しかし、今は彼の心に応えて戦うのみだ。
「では後の事は、戦場に着いてからだオルガ・タム。お前の放浪生活中に身に付けた戦姫としての実力、存分に見せてもらうぞ」
湯船から立ち上がり、オルガを見つつ挑発する。それに対してオルガも立ち上がりエレオノーラを見ながら答える。
「エレオノーラ・ヴィルターリア。あなたは私にとって為政者としての憧れだった。けれど今だけはティグルの執着を得るためにあなたよりも手柄をあげて見せる」
自然な言い合い。お互いに戦う理由の一致を見た。戦姫二人が暴れる戦場がどういうものかをブリューヌの奸賊どもは思い知ることになるのだ。
着替えてエレンとオルガが戦陣作った中に進むと、真ん中にティグルとリムアリーシャがいた。
「諸々のことは道中にでも、今は神速でアルサスに向かった方がよろしいでしょう」
「だな。見る限りでは問題なさそうだ」
副官であるリムが全てを準備していた。後は号令を発するだけだ。一千の兵で足りるかという視線―――一度周りを見回してからティグルに問う。
「勝てる。奴らはアルサスなどの辺境には殆ど来たことが無い。俺には自領の地図はあるし、牧場事業の際に正確な測量もした。道中お前にも伝えるよ―――何より俺が信頼している竜の姫が二人もいるんだ。負けるわけがない」
「そ、そうか、わ、わたしも姫と呼ばれるぐらいか、改めて言われると恥ずかしいな」
「ティグル、今度は絶対に守る。そして勝つよ」
恥ずかしがるエレン、勢い込むオルガ、二人の反応を見てから―――ティグルも覚悟を決める。
己の武威で以て誇りを守るために戦うのだ。
この二人の姫が誇れるような戦士になろうと。
「
エレンの声と同時に黒竜の旗が翻る。
夜明けのライトメリッツより、黒竜の軍団が出発した。その先に待ち受ける戦いの苛烈さを予想しつつも誰もがこの戦いに赴けることをどこかで待ち望んでいた。
かつての剣奴王と戦姫のような英雄譚の戦士の如き戦いに赴けることに―――。
全ての戦士達を祝福するかのように日は上がり、戦士達の胸に火は灯りつづけていた。