鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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「煌炎の朧姫Ⅰ(前)」

 

その日、彼の姿はとても輝いて見えた。

 

 

 

公宮の中に設置されている練兵場。彼の姿はそこにあった――――。

 

 

 

レグニーツァの騎士達は、ここにて日々戦いの技法を磨いている。故郷である公国が何かしらの戦火に見舞われた時のために、彼らはそれを怠ることは許されない。

 

 

 

そして何より決戦の日は近づいていた。傭兵募集の触れ込みで集まった有象無象。山の者とも海の者とも知れぬ様々な人間達の中で彼は異彩を放っていた。

 

 

 

黒い異国の衣装に黒塗りの鞘に込められたレイピアとも、長剣(ロングソード)とも取れる得物。だがそれ以上に、彼は集まった人間達の中では若造だった。

 

 

 

その有象無象の実力を知るために設けられた丸太人型とでも言えばいいものをどれだけ斬れるかで受験者の技量を確かめていた。

 

 

 

「彼でしょうな。マトヴェイが乗せてきたヤーファ人というのは」

 

 

 

「うん。しかし……あれで丸太の人型が斬れるのか……」

 

 

 

カタナという武器はエレンなどから見せてもらったこともあったし、自分も何度か見たことがあったが、彼のは自分たちが見てきたものよりも―――細く、かつ薄い刃をしている。

 

 

 

傭兵達は前に出てきた若造を見てあざ笑う。矮躯とも言える彼に、携えた得物でその丸太が斬れるとは思っていなかったからだろう。

 

 

 

『それをもしもお前が斬れたならば、金貨十枚をくれてやるよ』

 

 

 

そんな挑発の言葉に、苦笑をしてから抜き放った刃を再び鞘に納めて腰だめに構える。

 

 

 

遠くから見ている自分にもわかるほど生と死の狭間に放たれる気が充満していき、抜き放つと同時に煌めく剣閃が、袈裟懸けに丸太を斜断した。

 

 

 

その上で抜き打ちの動きに連動して反対の手に握られた鞘が、丸太を殴打し木端に変えた。

 

 

 

(双剣―――いや、二刀流というものか!?)

 

 

 

文献でこそ知ってはいたが、ここまでの技巧とは思っていなかった。

 

 

 

一連の動作を終えた剣士―――リョウ・サカガミは嘲っていた傭兵に、手を差し出し。

 

 

 

『金貨十枚』

 

 

 

と短く催促をしていた。その様が少しだけおかしく思えた。先ほどまでは緊迫した闘気を発していたというのに、今では年相応の少年のような彼のギャップが本当におかしく思えた。

 

 

 

本当に同一人物なのかとおもうぐらいに、おかしかった。

 

 

 

だが丸太人型を叩き壊したのも彼ならば、いたずら少年のような表情をしているのも彼なのだ。笑みがこぼれる。

 

 

 

腹を抱えて笑いたくなる。あんな様を見れば隣の老執政官のように青ざめるのが普通かもしれないが、自分にはそうではなかった。

 

 

 

「東方剣士―――リョウ・サカガミか―――」

 

 

 

久しぶりだ。このような感覚は、他人に深くかかわりたいと思ったのは、本当に久しぶりだ。母の言から自分は少しそういうのを遠ざけていたが今は違う。

 

 

 

アレクサンドラ・アルシャーヴィンは何年ぶりとも言える初恋のような感覚で、見下ろした所にいる黒髪の少年とも青年ともいえる男の子の全てを知りたいと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

そんな風なアレクサンドラ・アルシャーヴィンの独白より時間は遡っていた時間。リョウ・サカガミは起き上がると同時に、何でこうなっていると疑問を感じていた。

 

 

 

「ティナ可愛いよティナ可愛いよ。世界中で一番美しく可愛い女の子だよ。その美しさの前では、華すらも恥じらいの蜜をこぼす―――」

 

 

 

「ていっ」

 

 

 

色んな所に謝らなければいけないことをする目の前にて押しかかっていた女性のでこを指で弾いた。悶絶というほどではないが、おでこを押さえるティナ。

 

 

 

「ちょっ、そのでこピンは少し痛いですよ。というか……リョウによって今、傷物にされてしまいました。責任を取って結婚してもらわなければ―――」

 

 

 

「はいはい。さっさと朝食に行こう。そして人の精神を支配するな」

 

 

 

「むぅ……」

 

 

 

身体を拭くのは後にしてティナと共に階下の食堂へと行く。というか色んな意味で朝は女の子の顔を間近で見ることは、不味いと思う。

 

 

 

「リョウの剣は、随分と立派でしたね。あれで貫かれる淑女に少し同情してしまうぐらい」

 

 

「やらしい表現するな」

 

 

「ああ、けど私には同情しなくてもいいですよ。望んでされることなんですから」

 

 

 

笑顔を見せながら、そんな事は言わないでほしいものだが、彼女に言うのはあまりにも無駄であった。

 

 

宿屋の女主人に軽い朝食を要求しながら水を杯に注ぐ。二つ分のそれを飲みながらさてどうしたものかと思う。

 

 

 

「今日、傭兵選抜が行われるそうだが―――君はどうするんだ?」

 

 

「ふむ、身分を隠してアレクサンドラの陣営に潜り込むのも一興かと思いますけど、どうしたものですかね」

 

 

「仲悪いのか?」

 

 

「戦姫同士は確かに個人的に仲の良いものもいるし、領地経営の際の商売関係など様々です。最悪なのは―――顔を見るたびに、罵詈雑言の掛け合いから竜具を持ち出しての刃傷沙汰に発展するようなのも」

 

 

 

槍と剣の戦姫というものは領地を王直轄領を挟んで隣どうしでいがみあっているという。

 

 

 

その争いは時には兵士同士のぶつかり合いにも及ぶこともあるという。だが、これがリョウにとっては少し変に思えた。

 

 

 

「戦姫達は、忠誠心が厚くないのか?」

 

 

 

ヤーファのように封建領主制度ではない国家などいくらでもあるが、仮にも公国として封ぜられている領主が、好き勝手なことをするなどあらゆる意味で変に思えた。

 

 

 

「確かに序列としては王が一番であり、その下に戦姫というこの枠組みを超えることは憚られる。しかしながら、その下のことは各戦姫達に委ねられる。建国以来、戦姫達の争いも収まらなかったそうで」

 

 

「もともとは敵対していた部族だもんな」

 

 

「ところが、事実というのは小説よりも奇なり――この竜具という武器。実を言うと血筋とかではなく武器そのものが「主」を定めるのです」

 

 

「なんだって」

 

 

 

驚嘆しながらも大きな声を出さなかったのは、褒められてもいいと思う。だが確かに驚きの事実だ。

 

 

 

「女性が選ばれるのは当たり前なのですが、先代の戦姫が死ぬか死ぬ前に後継者を定めて武器が、主の下に赴くのです。私は元々は貴族の娘でしたが、他の戦姫はどれも血統という意味では妙なのですよ」

 

 

 

騎馬民族の幼い子供が選ばれることもあれば、傭兵団の剣士、流れの旅人、貴族の落胤、その一方で「血統」に拘る武器もある。

 

 

 

意思を持つ武器。そう紹介されたエザンディスが少し揺れて蜃気楼のようにぶれるのを見た気がする。

 

 

 

「本人が知らないだけで建国王の妃の血が流れているという可能性は?」

 

 

「それは確かめようがないことです。どれだけの月日が流れていると思っているのですか」

 

 

 

仰る通りだ。としてスープを一口啜る。しかしそう考えると神宝というよりも呪具の類ではないかと思ってしまうほどだ。

 

 

 

「それで当代のレグニーツァの領主―――アレクサンドラ・アルシャーヴィンは、どんな人なんだ」

 

 

「年増です」

 

 

「一言で言いすぎだ。そして年増って……失礼だろ」

 

 

「しかし事実、戦姫の中では一番の年上ですし、まぁ私も三番目に上なのですが……最年長なのですよアレクサンドラは」

 

 

 

本人が聞いたらば竜具を持ち出しての闘争も厭わないほどに失礼千万なことを宣うティナ。

 

 

 

「まぁ歳のことはいいとしてどんな容姿なんだ?」

 

 

 

「それこそ言いたくありませんわ」

 

 

 

途端に不機嫌になりぷいっ、とそっぽを向くティナ。どうにも彼女の少女らしさが、野心家なところと相まって自分にはアンバランスな魅力に思えてならない。

 

 

物語の英雄達に憧れて、自らも伝説に語られる存在になろうとする子供らしさとでも言えばいいのか、それらが全てリョウにはティナの魅力に思えてならない。

 

 

とはいえ、今はその感慨を横に置いて彼女に理由を聞く。

 

 

 

「? 何でだ?」

 

 

「ご自分の胸に聞いてください。昨夜、私のプライドはひどく傷つけられましたから」

 

 

 

その言葉で、ああ。と納得してしまう。優雅に髪を掻き上げる仕草をするティナに苦笑してしまう。

 

 

 

つまりはアレクサンドラ・アルシャーヴィンという戦姫は短髪の装いの女性なのだということだ。

 

 

 

「ですが、彼女は見られないかもしれません。あまり身体が丈夫とは言えませんし、今回の海賊討伐も代官を立てて行われるでしょう」

 

 

 

「そんなか弱い女性も戦姫に選ぶのか、『お前』(エザンディス)の同胞は随分と容赦ないんだな」

 

 

 

「エザンディスが心外だ。とでも言わんばかりにあらぶっていますわ」

 

 

 

残像を何回も発生させる彼女の大鎌。封妖の裂空という二つ名を持つ大鎌。確かにこの武器には意思がある。

 

 

 

自分が持つ「   」と同様なのだろう。

 

 

 

「まぁお目通りは叶わないでしょうし、サーシャはあなたの目的に関しては何一つ知らないですよ」

 

 

 

「そうか。となるとここでの海賊討伐を終えたら君の領地に厄介になるのもいいかな」

 

 

 

「来てくれますの!?」

 

 

 

「行くあては無いしね。君の所で食客をやるのも一つだ」

 

 

 

プリューヌ、ムオジネル、ザクスタンなどに行くにも準備が不足している。目の前で大声と同時に身を乗り出した貴人の厄介になるのも一つだ。

 

 

 

「ただ、マトヴェイの依頼をこなしてからだ。彼の願いをこなさなければ俺はヤーファの剣士として情けなくて腹を斬りたくなる」

 

 

 

自分が持つ神宝ほどではないが、業物として知られる「鬼哭・真打」に誓ったのだ。

 

 

 

手に携えた黒い鞘込めの刀は、自分が元服と共に陛下より賜ったものなのだ。ある意味では神宝よりも大切なものだ。

 

 

 

「分かりました。では私は色々と情報を探ってみましょう。今回やってくる海賊の間諜などもいるかもしれません」

 

 

彼女は謀略を好む。というよりも謀略をめぐらすことを得意としている。無論、武芸も達者ではあるが、彼女の本領はこういう間諜戦に活かされるのだろう。

 

 

 

「頼む。それじゃ俺は傭兵に選ばれるように頑張ってくるよ」

 

 

 

「はい♪ いってらっしゃいませ。あ・な・た♪」

 

 

 

「なんか微妙にニュアンスが違うような気がするぞティナ」

 

 

 

「気のせいです。そしてお気をつけて」

 

 

 

言われるまでもないが、絶世の美女に言われるとどうしても張り切ってしまうのは男の悲しい性だ。

 

 

 

朝食を終えて、宿を出ると同時に方向を二つに分けて歩き出す。お互いにお互いの後ろ姿を気にしてしまうのは、どういった所でお互いに興味を持ってしまっているからだ。

 

 

 

だが、やるべきことをやらねばならない。公宮は質素な造りというか少なくとも領主が己の権威を示すためのものには見えなかった。

 

 

 

とはいえ、それなりの広さを持ったそここそが戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの居城なのだ。

 

 

 

「傭兵志願の者たちはこちらに並んでいただきたい」

 

 

 

勤めの兵士の一人が門の前でさし示していたのは、練兵場の一つであってそこでどんな試験が行われるかは知らないが、そこで振るいにかけられるはず。

 

 

 

「結構、広いんだな……」

 

 

 

何気ない感想を漏らしながら周囲を見ると色んな人種の傭兵がいた。肌が浅黒いムオジネル人が曲刀(シミター)を、ザクスタン人が槍を、人種の坩堝の中。見知った顔がいないかと見たが、どうやらアスヴァールで見た連中の殆どを上手くタラードは繋ぎとめているようだ。

 

 

 

そしてそんな人種の坩堝の中においても、やはりヤーファ人は奇異に見えるようだ。敵意でもなし、さりとて好意でもない。あえて言うならば興味の視線。

 

 

 

四方八方からの視線には既に慣れてしまったが、それでも良い気分はしない。

 

 

 

「坊主、得物が立派なのは結構だが……お前みたいなのが来るところじゃねえよここは」

 

 

 

「あんたは?」

 

 

 

そんな気分でいた所に声を掛けてきたのは、一人の傭兵。古傷を多く刻みこんだ顔に歴戦の古兵者と思しき武具で身を揃えた男だった。

 

 

 

歳は三十前半だろうか、見るものによっては後半か四十にも見える。

 

 

 

「ドナルべイン。お前は?」

 

 

 

「リョウ・サカガミ」

 

 

 

こちらの言葉に眉を少し上げるドナルべイン。その反応だけでどうやらこちらの名前を知っているものはいたようだ。

 

 

 

「お前が……騙りということは無いだろうが、それにしたって若すぎる……いくら傭兵とはいえ、お前ぐらいの歳で俺はまだ芋剥きぐらいしか任されてなかった」

 

 

 

「実力があれば歳は関係ないだろ。それにどんな噂も尾鰭が付くものだ。あんたが俺に関して何を聞いているのかは知らないがな」

 

 

 

アスヴァールでは大立ち回りしすぎたかもしれない。あの地に陛下の言う「妖」がいると思って、タラードに協力した。

 

 

 

それはその「妖」を焙り出すための行動だったのだが、狡猾に立ち回りこちらに影武者を斬らせるだけ斬らせて、斬ることが出来なかった。

 

 

 

(俺の勘じゃ、あのハゲ将軍こそがそうだと思うんだが、なかなかこちらの太刀の範囲に入ってこなかったな)

 

 

 

無論、それ以外にも理由はあったが、仕方なくここに来る前にリョウはタラードに「今すぐにでもジャーメインの首を取れ」と進言するに留まった。

 

 

 

もしくは第三勢力として独立すべきだ。ということを言うだけ言ってきた。

 

 

 

焚き付けるだけ焚き付けておいて、無責任かもしれないが本気で王位を欲して本気で人々の為に剣を取るのならばまずは、ジャーメイン程度の首は、真正面から切り捨てるべきだ。

 

 

 

そうして一年間の休戦をもぎ取った。一年間の間に、タラードがどう動くかで自分も再びあそこに行くことになるだろう。

 

 

 

「間接的に手助けをしてやるんだから、お前もさっさと―――動けよな」

 

 

 

ドナルべインは疑問符を浮かべたようだが構わない。所詮は独り言だ。そしてその独り言の内容を実現するためにも、今は前に出る。

 

 

 

列を作っている傭兵達。どうやら試験内容は、丸太で拵えた人型をどれだけ斬れるかということらしい。

 

 

 

所詮は正規兵ではない雇われ兵に求められることなどどれだけの腕力があるのかということぐらいだ。

 

 

 

重い剣を力いっぱい振り回す腕力があれば、それだけでも戦力になるだろう。もちろんそれ以外の試験もあったようだが、リョウはこれを選んだ。

 

 

 

抜き身の状態で刹那の呼吸で振るえば恐らく一刀だろうとして他の連中と同じく抜き身の状態にした途端、視線を感じる。

 

上からの視線。公宮の執政館であり居城館であろう場所からの視線。それを感じながらも無視した。しかし、次には無視できぬものを聞いた。

 

 

 

「それをもしもお前が斬れたならば、金貨十枚をくれてやるよ」

 

 

 

嘲笑いの声。ドナルべインがあからさまにその嘲笑をした傭兵を馬鹿にしていた。愚か者を見るようなそれ。

 

 

 

名を売るつもりはない。だが、自分の実力を侮られるのも癪だ。抜き身を止めて鞘に込めた刀。

 

 

 

腰を落とし抜き打ち―――抜刀術の構えを取り丸太人型に相対して鯉口を滑らせる。鞘から閃光のごとき光が走ると同時に、袈裟懸けに崩れ落ちる丸太人型、だがそれだけではなく、動くと右手とは別に鞘を押さえていた左手。

 

 

 

左手に握られた鞘を動かして追撃を仕掛ける。

 

 

 

「素は重、背に野槌―――」

 

 

 

「御稜威」を使い己の身体に荷重を掛けた。本来的には相手に掛ける妨害のための術なのだが、使い方次第では、このように己の一撃の重さと速さを増すことも出来る。

 

 

 

鞘を振るう速さと重さが増して、横殴りの一撃が残っていた丸太部分を木端に変えた。風に攫われる木片の一つ一つを見ながら、残心。

 

 

 

一連の動きは数秒足らずで行われた。剣を鞘に納め、一際大きな金属音が静寂の練兵場に響いた。そうしてから後ろにて嘲笑いの声を上げた傭兵に手の平を差し出して。

 

 

 

「金貨十枚」

 

 

 

と短く言い己の言葉の責任を取らせることにした。呆然としていた男は気付き、震える手で金貨十枚を寄越してきた。

 

 

 

「己の言葉には責任を持たなければ、その身に納めた武も軽くなるぞ。眼を養いな」

 

 

 

――――その後、係の兵士から合格通知を貰うまで、たっぷり二刻。今度は少し恐怖を交えた視線に晒されることになった。

 

 

 

そうして帰ろうかと思った時に何やら騒がしくなっていた。先程まではいなかった老官の一人が兵士達に、何かを問いただしていた。

 

 

 

「いえ、我らも見ておりませぬ。しかしここから以外で出るとなると裏口など―――」

 

 

 

「料理人達も見ていないのだ。となると正面からなのだが―――」

 

 

 

「こんなむさ苦しい連中の中に戦姫様が来られればいくら我らとて気付けますよ」

 

 

 

何やらトラブルのようだが、あまり関係の無いことだと思って公宮の外に出る。

 

 

 

城下町には様々な人々がいる。異国人の中ではやはり自分は目立つのだろうが、少しの視線を浴びつつもこの後はどうしたものかと悩む。

 

 

 

合格通知を貰った傭兵は、後日様々なことを軍議にて決めるという。恐らく自分はただの一兵士という立場ではないだろう。

 

 

 

名前を聞いてきた時の兵士の驚愕の表情は、目に焼き付いていた。だが次の瞬間にはまた違うものが目に焼き付いた。

 

 

 

「まぁ適当に露店を歩いてみるか―――」

 

 

「君、ここは初めてかい?」

 

 

 

後ろから声を掛けられ振り向くとそこにいたのは白い上下の単衣―――この辺りではワンピースという名称のそれに身を包んだ―――女性がいた。

 

 

 

自分と同い年か一つ二つは上かという彼女の姿に一瞬、幻でも見ているんじゃないかと思う心地になった。

 

 

 

姿形もそうだが、その雰囲気が――――

 

 

 

「かあさ―――……いきなりだな君は、というか……あーその何というか危なくないか? いきなり帯剣している男に声を掛けるなんて」

 

 

 

己の出そうとしていた言葉を悟り、それをごまかすために声を掛けてきた女性の身を心配する。

 

 

 

質素な白のワンピースに身を包んだ黒髪を短く切りそろえた女性。見様によっては少女にも見える人は、心配いらないとでも言うように腰に下げている双剣を示してきた。

 

 

 

黒革の鞘に納められた双剣の刀身こそ見えないが鍔と柄から―――相当な業物であると見えた。

 

 

そんなものを下げた女性は旅人とも取れるし商家の淑女にも見える。アンバランスな人物だ。

 

 

 

「それよりさっきの見ていたよ。戦姫様の公宮であれだけの事をするなんてさ。あんまり目立つと暗殺者に間違われかねないよ」

 

 

 

「神殿には司祭や神官もいただろう。それに公宮にいる連中全員を殺して戦姫までいけるそんな離れ業を手際良く出来るわけがない」

 

 

 

「泥臭くならば出来るのかい?」

 

 

 

まるでそれが笑える冗談であるかのように、手で口を押えながら微笑を零す女性。白いワンピースと肌の白さとの境目が分からなくなるほどに白い肌だ。

 

 

病的といってもいい。そんな雰囲気がリョウの母親を思わせてならない。

 

 

 

「それで案内をしてあげようと思うんだが、どうだい? これでも自分の容姿にはそれなりに自信があるんだが」

 

 

 

美人の案内(ガイド)はいらないかと言ってきた彼女に一瞬考えてから、既視感を覚えるのは昨日にも似たようなことがあったからだ。

 

 

彼女を全面的に信用するのはどうかと思うのでリョウは『探り針』を入れることにした。

 

 

 

「俺はサカガミ・リョウ。ごらんの通りヤーファ人だ」

 

 

「僕は『アレックス』だ。一応言っておくけど……男じゃないからね」

 

 

「流石に、名前がそうだからといって間違うわけがないな」

 

 

 

そんなことを言いながら「アレックス」と共に街の通りを歩く。彼女は自分に何で声を掛けてきたのだろう。

 

 

 

疑問を隣を歩くアレックスにぶつけた。

 

 

 

「にしても何で、俺に声を掛けてきたんだ?」

 

 

 

「ヤーファ人は珍しいというだけでなく……君のことを良く知りたいんだ。とりあえずご飯でも食べないかい? リョウ」

 

 

 

適当な料理屋が見えてきたので、そこに入ろうと言うアレックスの言葉に、「まさか」という思いだ。

 

 

 

だが今はそんなことを言うつもりはなかった。とりあえず美人と食事を共にするという大概の男にとっては至福の時間を無くしたくなかったからだ。

 

 

料理屋に入ると、そこには先程まで同じところにいた傭兵達もちらほらと見えたが、彼らはこちらに注意を払っていなかった。

 

 

着席は淡々と行われた。昨日と違うのはどちらも流れの旅人と思われているからだろうか、それとも貴人とヤーファ人という組み合わせだったからだろうか。判断は着かないが、とりあえず注文をするとアレックスは酒を遠慮してきた。

 

 

 

「すまない。どうにも苦手でね」

 

 

「では果汁水をお持ちしますので、お待ちください」

 

 

「ごめん。君と祝杯を「俺は気にしないぞ。そんなことを気にされる方がいやだ。言いたいことは遠慮せず言ってくれ」―――ありがとう」

 

 

 

色んな人に気を使って自分にも気を使って、身体が丈夫でなかったというのに、それゆえに早死にしてしまった母親のことを思い出してしまう。アレックスを見ていると、そんな気持ちが湧く。

 

 

 

果汁水と麦酒の入った杯と共に軽食―――油をそんなに使っていない料理がやってきた。

 

 

 

「では僕たちの出会いが良きものであることを願って」

 

 

 

「乾杯」

 

 

 

杯を打ち鳴らしてから口を付ける。一口一口ゆっくり飲む彼女に、安堵する。しかしあまり見ていると、変な意味での望郷の念に駆られかねない。

 

 

 

あら汁―――この辺では「魚スープ(ウハー)」というものを飲みながら、昨日とは違い少しばかり家庭的な食事にほっとしてしまう。

 

 

 

「君のことは知っていた。アスヴァールにおいて万にも匹敵する軍を一人で食い止めた鬼のような剣士とのことだったのでね」

 

 

 

「実態はこんな人間だということだ。オーガ―のような大男でもなければ、化け物のような外見をしているわけでもないよ」

 

 

 

にしても万は言いすぎだ。第一、一人でそんなことが出来るものか。せいぜい乱戦で百を相手取る程度だ。

 

 

 

無論、神宝を使えればその限りではないが、それでもそんな噂が流れるとは、やりすぎたかと思う。

 

 

 

「他には娼館のご婦人方から人気だったり……随分と、『色んな意味で』英雄な人間だと、僕の誘いを簡単に受ける辺り本当にそう感じたよ」

 

 

 

笑う彼女に何とも言えぬ気持ちにさせられる。黒パンを口に放り込む彼女アレックスに自分はからかわれている。

 

 

 

「彼女たちにも生活というものがある。英雄を相手できたということが一種のステータスになるのならば、別に俺は彼女らに伽をお願いするのも構わないさ」

 

 

 

「ならば僕も相手してもらえば良かったかな。今みたいに剣士として大成する前は、色んなことをやって旅していたからね。ああ、けれども母親に似ている女の子を抱くのは君でも無理かな?」

 

 

 

見抜いてらっしゃる。せめて聞かなかったフリをしてもらいたかった。が、彼女はこちらをからかうネタが出来たとして喜んでいる。

 

 

 

「一応言っておくが、僕は生娘だ。いろいろ思うところあって男性には抱かれていないよ」

 

 

 

アスヴァールでもジスタートでも、何というか女性が積極的すぎてリョウとしては戸惑うばかりだ。

 

 

 

無論、貞淑な女性がいなかったというわけでもないのだが、それにしたってジスタートに降り立ってからというもの女性関連のことが多すぎて色々と堪らなくなってくる。

 

 

 

「君は何を求めてジスタートにやってきたんだ?」

 

 

 

「ただの武者修行だよ。免許皆伝を師範からもらったから、見聞を広げるためとして西方までやってきた。アレックスは何故、旅をしていたんだ?」

 

 

 

「想像してみたらどうだい? 僕は他人が受けるイメージ通りの人間だと思われるのが、すごく嫌なんでね」

 

 

 

肩を一度竦めてから、挑戦的な笑みを浮かべて、こちらを見つめてくるアレックス。それに応えるためにこちらも、本気でかかる。

 

 

 

「……住んでいた所を追い出されたという風ではないな。君の積極性から察するに自分で出て行ったな」

 

 

 

酢漬けの野菜を摘まみながら、アレックスに対する観察を開始する。

 

 

 

「双剣を持つ辺り、自らの非力さを自覚している。男の一人称を使うのは―――舐められないためだ。目的――は、正直わからないな。ただ君は必要に迫られて旅に出たわけじゃない」

 

 

 

「確かに努力すれば村にいることも出来ただろうけれども……僕は―――私は、長く生きられないと分かっていたから、目的のために故郷を出たんだよ」

 

 

 

思わず動悸が跳ね上がるのを感じる。先程とは違うアレックスの艶とでも言えばいいものが発せられる。

 

 

 

一人称を変えただけで、ここまで変わるものなのか。というよりも彼女の姿はこちらなのだろう。

 

 

 

「私の目的は私を力いっぱい抱きしめてくれる男性との間に『愛』を作りたかったんだ。それこそが私の生きた証になると思っていたから」

 

 

 

「今は―――違う。と」

 

 

 

「そうでもないかな。やっぱり当初の目的を果たしたい―――素敵な男性と恋をして子供を作りたい」

 

 

 

彼女の美しさや可憐さは、雨に濡れる紫陽花を感じさせるものだから引く手あまただと思う。しかしアレックスは長く生きられないと言った。

 

 

 

儚さと気丈さ。強さと弱さ。両極端な魅力を持つアレックスは、どうしてもリョウの母親を思わせて、そうして母性というのは原初の恋心ともとれるのだから。

 

 

 

―――このまま彼女を放っておけない。そういう気持ちにリョウはなっていた。

 

 

 

(ご先祖様―――『双葉』様と『梓』様もこんな出会いだったのかもしれない)

 

 

 

遠き日の自分の系譜―――「鬼剣の王」とその王の姫巫女であった女性の出会いを想像してから、目の前にいる女性に

 

 

 

「アレックス。俺が君の相手に相応しいかどうかは自信がないが……とりあえずこの街の案内を改めて頼むよ。俺は君と歩いていたい」

 

 

 

「――――、リョウ。君は自分のことをもう少し理解した方がいい。そんな真っ直ぐに見つめられて真っ直ぐに言われたら女の子は誰でもその気になってしまうんだ」

 

 

 

特に君みたいなかっこいい男の子には。と内心でのみ付け加えた「アレクサンドラ」は、どこに連れて行こうかと想像して、少し嬉しくなっていた。

 

 

 

こんな風なことが自分に起こるなんて思わなかった。アレクサンドラは恋というものを知らずに少女から女性になった。

 

 

 

その過程において、アレクサンドラは炎の双剣に選ばれてこの地の領主―――戦姫になるということもあり、その過程で青春時代というものが無かったようにも思えた。

 

 

 

だからこんな風に気になった男の子と一緒に街を見て回れるとは思えなかった。とても嬉しい。

 

 

 

(けれど……リョウが私のことを好いてくれているとは限らないんだよね)

 

 

 

そこを勘違いしてはならない。けれどもその嬉しさだけはアレクサンドラの気を軽くして彼女に付いて回る「血の病」を忘れさせてくれた。

 

 

 

 

 

 

 


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