鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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『モルザイムの戦い-Ⅲ』

 

 

 日が沈もうとしている。落日がモルザイムを赤く染め上げていた。そんな中を力無き放浪の民の如くテナルディエの軍勢は進んでいた。

 

 その歩みはとてもではないが、栄華栄達を誇る公爵家の軍勢とは思えなかった。

 

 

「何なんだ……あんな風なことあり得るのか……俺たちは悪魔の土地に攻め込んだんだ…」

 

「ちげぇ。天罰だ。ペルクナス様の教義とトリグラフ様の教義に違えたから……神様が人間に乗り移って罰を与えに来たんだぁ」

 

 

 歩兵達の力無き声が響く。しかし誰も指揮官ですらも、それを止めようとしていない。

 

 徹底的に痛めつけられた上に多くの兵達が罠にかかり完全に憔悴している。

 

 もはやザイアン達に従うもの達は、二百に届くか否かだ。

 

 

(いなくなったものは……罠にかかったふりをして逃げたのだろうな……これがあれだけの威容を誇った軍隊か……)

 

 

 ザイアンはどこを読み違えたのか分からなくなった。最大限の警戒をしていた。自由騎士と戦姫が立ちふさがった時点で、最上の策を放てたはずだ。

 

 一時はそれで追い込めた。あそこで―――閃光が飛竜を殺していなければ、否。もしくは自軍の被害を少し鑑みず、飛竜による「落撃」を仕掛けていれば。

 

 それでも―――、勝利出来ていたとは思えない。ザイアンは思い出す。あの黒弓―――、ヴォルンだ。ティグルヴルムド・ヴォルンが放った矢が―――飛竜を殺したのだ。

 

 その時―――幻かもしれないが、ザイアンの目には、天空に向けて怒りの咆哮を上げる黒竜に見えたのだ。それで己の身が震えるのを感じた。

 

 ゆっくりと行軍するしかない。後ろを気にする気力も無い。そして―――、落日の下に自分達とは違う威風堂々の軍が立ちはだかった。

 

 朱き落日を受けて黒い影も作る。図らずも日を背中にしている軍団。

 

 その強壮なる軍の中に巨大な赤竜と黒竜のイメージをザイアンは見て―――己の破滅を自覚した。

 

 

 

 †  †  †  †

 

 

 ライトメリッツ追撃部隊。三百人規模の軍団の中から先行して進むは、指揮官位にあるもの達だ。

 

 ティグルは多くの者がいなく、バートランなどもいない状況であることを確認出来たことが幸いである。

 

 バートランやアルサスの兵士達にはルーリックと共に、敗兵処理に参加してもらうことにした。

 

 これ以上の作戦にアルサスの兵士はいらないというのと、追撃戦に参加できるほどの体力が残っていなかったのもある。

 

 秘密が多くに知れる状況ではない。故にティグルは、思い切って自分の力に関して理解しているだろう人間に聞くことにした。

 

 

「そう言えば……リョウ、『フシキ』って知ってるか?」

 

「ああ、俺の遠いご先祖様だ。不死の鬼と書いて「不死鬼」と俺の国で呼ぶ」

 

 

 ぱからぱからっ、という軽快な馬の音の中で、ティグルはとんでもないことをあっけらかんと言われたような気がする。

 

 いや実際、とんでもないことだろう。ヴァレンティナを除く聞こえていた全員が、その発言に驚く。

 

 

「俺の国では仙人、妖怪、神獣との混血という家系が多いんだ。遠い昔―――まだ神と妖と人の境界が『未分』であったころの名残だよ」

 

 

 その頃に鬼の頭領の息子だったのが坂上家の直系「温羅双葉」(うらふたば)様であることを思い出す。そんなあっけらかんとした自分に呆れるかのような顔をするティグルだが、それを呑みこんだようだ。

 

 

「あっさり言うな……。それじゃこの弓がなんだか分かるか? この弓から響いた声がリョウをそれだと差していた。お前とこの弓の声は関係あるのか?」

 

「質問が多いが、一つずつ答えていく。その弓は恐らく神器の類だ。神々や精霊というものが人間に与えた武器―――お前もブリューヌに伝わるデュランダルは知っているだろ?」

 

 

 そう言われて、ティグルもブリューヌの建国神話を思い出す。

 

 真紅馬バヤールと神々より与えられし宝剣デュランダルを携え、ブリューヌの霊山リュペロンにて、神託受けし英雄王シャルル。

 

 シャルルの剣は確かに現存している。実際に見たことは無いが風聞で、ブリューヌ最強の騎士ロランの剣としてザクスタンの国境を血に染めているという。

 

 

「だがこれは弓だ……。弓の英雄なんて――――」

 

「いえ、ティグルヴルムド卿。ブリューヌであるかどうかは分かりませんが、弓を持つ英雄の話ならば―――私は知っています」

 

 

 エレンの隣で馬を走らせる―――自分とリョウより少し前方にいるリムが話しかけてきた。

 

 

「ある男が女神より必中の弓を授かり、あらゆる敵をその弓で射抜き、遂には「王」になりおおせた英雄―――人は彼を「魔弾の王」と呼んだそうです」

 

 

 ジスタートの建国神話ともまた別のどんな時代の話かも分からぬものであるが、と付け加えたリムアリーシャ。

 

 その続きを担う形でリョウの馬に同乗していたヴァレンティナが指を一本立てながら、出来の悪い生徒に含めるようにして口を開く。

 

 

「―――魔弾の王は、女神の意志を地上に顕現する代行者なり。

ときに人の世にあらざるものを滅し、ときに人の世を終わらせる者なり、王道、覇道、英雄道を歩きながらも、魔道、鬼道、修羅道を歩く『勇者』にして『魔王』となる者である」

 

「女神の……意志……?」

 

 

 滑らかな口から放たれたどうにも不吉な言葉の羅列に呆然としたティグル。それを見つつ、リョウは考える。

 

 ―――女神代行者―――『魔弾の王』。

 

 死と闇と夜を司る女神より渡されし、この世に非ざる武器―――冥府魔道の底とも言える場所より作られたそれは―――自分にも関係が無いわけではない。

 

 

「それじゃ俺の聞いた声は……女神の声だってのか……!?」

 

「『女神』とやらが自分をどう思っているかは『神のみぞ知る』という感じだが」

 

 

 出来の悪い冗談だ。としながらも、驚愕したティグルの話をリョウは単純に信じられた。自分も似たような声を聞いたことがあるからだ。もっともその声は―――――。

 

 

「私やリョウの神技。その時、頭に響いた声は女神というには野太かったですよね」

 

 

 ティナの言葉にリョウは少し考えてから言葉を発する。

 

 

「女神じゃないんだろ。ヤーファの死の神も女神だが……もしかしたら「ツクヨミ」ということもありえるか。詳しい話は後にしよう。いずれにせよその弓は―――俺たち全員を壊滅から救ってくれたんだ」

 

 

 一先ずは感謝しておこう。それがあまり性質がよろしくない神様だとしても、人を救う以上は感謝しておかなければ罰が当たる。

 

 そうして落日が朱を作りつつあるモルザイム―――、先回りをしてテナルディエの敗残兵―――その中の首魁を捕えるか殺す。

 

 

 それで全ては終わりである。馬を停止させていると前の方から一団がやってくる。モルザイム最後の闘い『討魔』は始まった。

 

 

 

 

 神業、妖術のごとく自分達の先回りをしたアルサス・ライトメリッツ連合軍の姿は最後の戦意を打ち砕いた。

 

 決戦など望むべくもない。観念した想いでザイアンは身と共に喉を震わせて、副官であるスティードに頼みごとをする。

 

 

「これまでか……、スティード卿……頼みがあります。ここにいる者達を全員、ネメクタムまで返してください。そして父に厳罰課さないようにお頼みします」

 

「……何を考えてらっしゃる?」

 

「一騎打ちを挑みます。誰が出てくるかは分かりませんし、誰であっても勝てる気はしないですが……せめて私の首一つでこの忠臣達を生かしてもらいたい」

 

「弱気めされるな。まだ勝てないわけではありますまい」

 

「先回りされていた。そしてもはや戦う気力ない兵士達……我々が生きる術はただ一つ。そうではありませんか?」

 

 

 ここにいるものの中には自分が引き取った村の若者もいる彼らを近衛騎士として鍛えてきたのは、この日のためだった。

 

 しかし勝利の栄誉無く、敗北の土だけに塗れさせた以上は―――、一軍の将として責任を取るのみだ。

 

 もしもヴォルンが出てくれば、自分は徹底的に挑発しよう。そうすることで彼らの安寧を図る。

 

 

「そこにいるはザイアン・テナルディエか!?」

 

 

 そんな威容の中から進み出たのは、憎むべき「障害」。己の人生において交わることないと思っていた相手だ。

 

 最後に賽を投げて出た幸運はこれだけだ。これで自由騎士や戦姫が最初に声掛けしてくるようならば、どうしようもなかったが、己の幸不幸の天秤の揺れが分かったような気もした。

 

 

「ああ、そうだ。狩人領主が多くの英傑に担ぎ上げられて、一角の将軍のつもりか? 思い上がるなよヴォルン!」

 

「なんだと……?」

 

「自由騎士にジスタートの戦姫、それらの力を借りて勝利を得たというのに、落ち武者狩りすらする所業。おぞましき悪魔と契約でもして、我が土地の兵を更なる生贄にでもしようというのか!?」

 

「そんなつもりはないな。もしも俺たちが悪魔に見えるというのならばお前たちの中に、何かしらの疚しさがあるからだろう。何の由縁があってアルサスを襲った。答えろ」

 

 

 会話に乗ってきたな。こういったことに関してはまだ自分の方が上だ。愚直なまでの青年。民を大事にして明日の糧に感謝する領主。

 

 

(俺もそんな風になりたかった……)

 

 

 だが、それでも結局の所、力を持ちながら最後までフェリックスに従っていた自分とこの男とでは器が違ったのだろう。

 

 

「お前がアルサスを守るために武器を執るというのならば、俺は俺を慕ってくれたものの為に戦うのみだ……その為にはアルサスには犠牲になってもらうしかなかったのだよ」

 

「意味が分からないな」

 

「理解は求めん。だが、俺の最後を飾る相手として貴様に一騎打ちを挑む!! お前は俺の首が欲しいのだろう? ならば、それ以外は眼を瞑ってもらおうか、ここにいる敗残兵までも殺しつくすというのがお前たちの方針ならば、窮鼠猫を噛む一身で挑ませてもらうが、どうだ!?」

 

 

 その提案を跳ね除けて、全軍で殺しつくすことも出来た。しかしティグルには、この男が恐らく自分なりの責任を取ろうとしているのだろうぐらいには感じ取れた。

 

 ティグルの心が揺れる。だからといってザイアンを許すことは出来ないだろう。

 

 

「ティグル、どうする?」

 

 

 質問をしてきたのはエレンだった。彼女もまさかここまで敵軍が憔悴しきっているとは思っていなかったのだろう。

 

 精神的な疲労に加えて肉体的な疲労。それら二重の労苦が、彼らを無残な敗残兵に仕立てていたのは全員にとって予想外だった。

 

 

「ここで提案を受けない道もある。どうせモルザイムで早々に逃げ出した連中だっているんだ。こいつら二百足らずを殲滅しつくすことで、アルサスへの手出しのデメリットを首謀の奸賊に教えることも出来る」

 

「リョウは、結構怖いこと考えるなぁ……」

 

「戦は勝ちすぎては恨みが残ります。ほどほどに勝って従わせるのも手ですが……従うような輩ではありませんね。殲滅しましょう」

 

「反対意見を出しながら、ヴァレンティナもリョウと同じ意見だ……」

 

 

 本質的には似た者夫婦。と結論付けておく。

 

 しかし、敗残兵全てを殺すという意見を出されてティグルはどうしたものかと考えていたのだが、その時――――胸を押さえるザイアンの姿が目に入る。

 

 喘ぐように口を開いたままでいたザイアンに従者が近寄るが、その従者を払いのける。その払いのけた腕が―――従者の身を砕いた。

 

 臓物と骨の微塵の様子。あまりにも現実離れした様、それらに似た光景を、この一日で嫌になるほど見てきたテナルディエ兵の恐怖心は―――遂に最後の堤防を越えた。

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げていくテナルディエ兵。しかし何人かは残りザイアンに呼びかけている。来るなと叫ぶザイアンだが―――何かおぞましいものに見えてくる。

 

 肉が膨張して身体が拡張していく様が、この上なく嫌悪感を催す。

 

 

「いかん。この場で発現するか……!」

 

「! リョウ!?」

 

 

 瞬間、事態の急変を知った自由騎士が、ザイアンに走りながら鯉口を滑らせる。

 

 

「! ザイアン様を守れ!!」

 

 

 リョウの接近に気付いた十人ほどの近衛騎士達がザイアンの前に出て、武器を向けてくる。

 

 こいつらに構っている暇はないとして、リョウは―――武具全てを『風』で斬り捨てた。

 

 

「それで言い訳つくだろ! 帰っちまえ!!」

 

 

 武器も鎧も形無く塵となって攫われた。その現象に敵味方全員が呆然としつつも、自由騎士の急変が、事態の緊急を示していた。

 

 

御首級(みしるし)! 卑怯なれども獲らせてもらう!!」

 

 

 一騎打ちの作法ではないと分かっていても、ここで首を跳ね飛ばさなければならないとして、アメノムラクモが―――。

 

 いつの間にか、ザイアンの後ろに転移したヴァレンティナのエザンディスが―――。

 

 同じく首を交差しながら刈り取ろうとしたのだが、止められた。

 

 ザイアンの首が肉の瘤で盛りあがりきっている。その硬さは、通常の人体のそれではない。

 

 瞠目する暇あらばこそ、次の瞬間。

 

「――――!!!!!!!!!!!」

 もはや人の声ではない獣のような叫びがザイアンから発せられて、肉から刃物を引き抜き二人はこちら側に引き返す。

 

 モルザイム全体に響くのではないかと言う叫びは周りを威嚇して、圧倒する。

 

 

「リョウ! ザイアンはどうしたんだ!?」

 

「―――簡潔に言えば先程の魔弾の王に出てきた―――「人の世にあらざるもの」に落とされた。もはやあれはザイアン・テナルディエというヒトではない」

 

 

 馬を下りてこちらに近づいてきたティグルの言葉に答えながらザイアンの変化は止まらない。既に、ザイアンと認識できる部分が無く四足の獣のようでありながらも醜悪に肥えた豚にも似たものになっている。

 

 

「ティグル、どうする?」「今日は驚くことが多すぎたが、最後に世がひっくり返るほどに驚くことが待っていたとはな……」

 

 

 同じく馬を下りてきたオルガとエレンが、問いかける。この事態に対して一番対処出来るだろうリョウが動かずにいる以上、今できることは待つことだけだ。

 

 5アルシン、あるかないかの距離を保ちながらザイアンの変化は止まらない。その境界の向こう側は威嚇の声で動けなくなる「結界」だ

 

 その雄叫びが止まり――――肉体の変化も終わっていた。

 

「変化……止まりましたか?」

 

「よし、ティナ。やるぞ」

 

「はい、私とリョウの『愛の力』(神技)こそが世界を救うのですよ!」

 

「頼むから弁えて!」

 

 

 と言い嗜めていたが、ついに音による威嚇も無くなった。今、あの肉の獣は無防備だ。破邪の使命を知ってかアメノムラクモとエザンディスも輝くのだが―――――。

 

 

『もう少し待ちなさいな。いまあの魔体を殺せば、この西の大地全てが黄泉路迷子になるわよ――――』

 

 

 声によって発動が止められた。その声は神器をもつもの全員に響いたようだ。そして夕焼けのモルザイムに少し早い闇の帳が落ちていた。

 

 恐らく何かの「空間」に囚われている。

 

 

「痛っ!!」

 

「なんだ今の声…!!」

 

 

 オルガとエレンには、頭痛伴う形で聞こえたようだが、リョウ、ティグル、ティナには、滑らかに頭に響いた。

 

 

「……誰だ?」

 

『そこの神鬼の子の言葉を借りれば―――まさに『神のみぞ知る』といったところね。誰でもあるし、誰でもない―――そんな存在よ。何より私を形容するには「ヒト」は幼すぎる―――あんな像が私だと思われてもねぇ』

 

 

 饒舌な『女』だ。この口調で男ということはあるまい。しかし今はこの『女』の正体を置いておく。どこにいるかも分からぬのだから。

 

 だが……寄り坐し、憑り代(よりまし、よりしろ)がいないのに良くもここまで声を発せられるものだ。

 

 神職の血も引いているリョウに乗り移ってこない辺り、やはりこの『女』……。黒弓を媒介にして、声を上げている。

 

 

『手短に言うわ。今から最後の変化が起こる。炎と土と空の遺骸を食らいてあの『魔』は完成するわ。その時―――破邪を司る『矢』であの子を私の下に送りなさい』

 

「意味が分からない。さっきの『魔弾』とも違うのか!? あれでは『ザイアン』を殺せないのか!」

 

『滅ぼすだけならば簡単。けれど私の力では怨念を吸い取りきることは出来ない。後はそこの神鬼の子に聞きなさい―――この土地を死なせたくなければ』

 

 

 その会話。というよりも一方的な事を言いたいだけ言って―――打ち切られる。その注文の際に出来上がっていた「空間」が無くなる。

 

 

「エレオノーラ様、どうしますか?」

 

「……リム、時間はどれだけ過ぎた?」

 

「え?」

 

 

 寄ってきたリムアリーシャの声に、どうやら自分たちは―――空間に囚われると同時に時間の歩みからも遮断されていたようだ。

 

 そして、あの『女』の言う通り、火竜の首と、地竜の鱗、そして飛竜の翼が主戦場から飛んできて『ザイアン』に集まる。

 

 

「……リョウ、どうしたらばいいんだ? あの『ザイアン』を倒すには?」

 

 

 きつい目で変異した『ザイアン』を睨みながらティグルは聞いてくる。それに対する答えは、当然ある。

 

 

「破邪を司る矢……つまり、俺がティグルの矢に「力」を込めるということだろうな。しかしそれをするには時間がかかる。その間―――俺は無防備だ」

 

 

 御稜威を唱える。そうすることで『破邪の矢』が創られる。それを叩き込むことで、あの『女』の言うことが実現するのだろう。

 

 清め祓いの御稜威は、時間がかかる。祝詞の長さもそうだが、集中して一言ごとに霊力を込めなければならない。

 

 

「エレオノーラ、兵士達は下がらせろ―――ここから先の戦いで彼らに無駄な犠牲は出させたくない」

 

「リム、サカガミ卿の言う通りに、あの化け物は我々で討つ。生物としてはちょっとばかり珍しい竜といったところだろ」

 

 

 自分を罵倒しないエレオノーラに少しだけ不安を覚えつつも、それは仕方ないだろう。これから始まるだろう戦いは本当に人外魔境の全てだ。

 

 

「作戦を伝える―――俺が御稜威を唱える間、戦姫様方には―――あれの動きを止めていてもらいたい。頼む―――皆の命、俺に預けてくれ」

 

「やれやれ、そんなところだと思っていましたが、結構、無茶いいますねリョウ……けれど悪くないですよ。気分が乗ってきました。ティグルヴルムド卿、私の夫が信じた貴方を私に信じさせてくださいな!」

 

 大鎌を担ぎ直し、苦笑してから意気を込めた顔で戦いに挑むヴァレンティナ。

 

 

「ティグル……大丈夫。これを倒して、みんなで帰ろう! ティッタさん、バートランさんがいるティグルの家、アルサスに!!」

 

 戦斧で大地を一度叩いてから、全てを割り砕くという決意を秘めたオルガ。

 

 

「お前は私のモノだ。勝手に訳の分からん女神だか魔物などというお伽噺のものに唆されたり、殺されていなくなるな。お前と―――明日を見るぞティグル。お前という男の果てを見せてくれ!」

 

 長剣を振りかざして、切っ先を倒すべき相手に向けるエレオノーラ。

 

 

 この場に集った戦乙女が―――ザクスタンの「ヴァルキリー」のように「二人の勇者」の援護をしてくれるのだ。

 

 

 

 

 黒髪の東方剣士。その目は大きなものを見据える。それを収めながらティグルは思いの丈を吐き出した。

 

 この男がどんな思惑でここに来たとしても、そんなものは関係ない。この男に多くの人間が夢を託したくなる気持ちが分かる。己の力を出し惜しみすることなく多くのものを救うために動く「王」の道。その隣に並びたい。己の夢を託したい。

 

 

「リョウ、今のおれは、ただの『ちょっと弓矢が上手くて小細工だけの小領主』だ。国を背負えるような人間、お前の隣にふさわしい人物になんかなれない。でもお前がいれば俺は最強だ! 誰にも負けたくない! 

誰にもお前の栄誉を汚させたくない!! だから―――俺を信じてくれ。どんな遠く―――地平線の果てにいても俺はお前に矢を飛ばす!!!  俺は俺を信じてくれたリョウを信じる!!」

 

 

 赤毛の青年領主。その若武者としての目は輝く。それを見ながらリョウも想いの丈を吐き出す。

 

 予言なんて知ったことではない。この男の果てを見てみたい。下から這い上がろうという気持ち。下にいる人間のことを真に理解している「王」の道。その器の行きつく先を見てみたい。

 

 

「俺はお前をこういう戦いに利用するためにこの西方に来た。けれど今は違う。ティグルと共に歩みたい。この戦乱だけの世の中において、お前がどこまで翔んでいくか、夢の果てを見てみたい! お前に俺の全てを賭ける! 

誰にもお前の歩みを止めさせない!! だから―――俺に何でも頼め。どんな高く厚い壁でも、どんな困難だろうと、お前を阻むものを切り裂く剣になる!! 俺に『先』を見せてくれたティグルを信じる!!」

 

 

 

 リョウとティグルの宣言の後に一際大きな咆哮が聞こえる。

 

 

「其は、祖にして素にして礎」

 

 その後には朗々と謳われる言霊。ティグルは矢を持ち―――番える前段階だ。

 

 言葉に合わせて、三人の戦姫達が飛び出した。初めに掛けられるは、火竜の炎だったが、ヴァレンティナはそれを前に大鎌を回して、どこかにそれを飛ばした。

 

 何処かへと消えてしまった火炎。それを見てから、エレンとオルガは左右で一直線に「ザイアン」に向かう。左と右からの同時攻撃を意図したもので、身体ごと振り回すことで、体当たりをかける。

 

 平原の土と岩が回転するようにして飛び道具としてぶつけられつつも、エレンは風で受け流して、オルガは斧で吸収して巨大な斧とした。

 

 粉塵突っ切り飛び出した戦姫二人の斬打が、「ザイアン」の肉を切り裂き砕く。狙ったのは前肢、まずは動きを止める。言わずとも戦闘における鉄則は心得ていた。

 

 

 しかし浅いのか構わず大地に直立する「ザイアン」。次は尻尾の打擲。おそよ五十チェートはある尾が鞭のように乱雑に大地を叩く。

 

 その乱打をある時は武器で受け流し、体で捌き接近のチャンスをうかがう。

 

 一際大きく振り上げて、勢いよく叩き付けられる尻尾―――のはずだったが、次の瞬間にはその尻尾は焼け焦げていた。もはや炭にもなろうかというもの。

 

 打擲によって尻から切り離される。振り上げた瞬間にティナのエザンディスで飛ばした炎が空間の終点で吹かれたようだ。

 

 

(こんな応用があるとは……あの女、隠していたな)

 

 

 恐らく自分たちと戦うこともあるとしての今まで隠していた。エザンディスは本人の転移だけでなく「現象」すらも転移させる。

 

 その間、その現象がどうなっているのかは分からないが……。エレンは仮に「竜技」の放出すらも「転移」させられたらと思うと……、ぞっとしない。

 

 

 自分と交代して、「ザイアン」に斬りかかっていくヴァレンティナを見ながら、エレンは今後のことを想って、少しだけ不安を覚える。

 

 戦姫個人の武勇のほどは、まちまちだが……それでもサーシャのようなのを除けば、『どっこい』であり、あとは竜技の応用と属性法の相性だ。

 

 

「はぁっ!!」

 

 

 腹の下に入り込んだヴァレンティナは大鎌を一回転させて前肢と後肢を斬りつけた。

 

 流石にこれの前にはバランスを崩して支えきれず大地に伏せる。土砂と粉塵が巻き上がりながらも、再び空間転移を果たして「ザイアン」の背中に移動する。

 

 

「無様ですね」

 

 

 縦横無「刃」とでもいいような様子で、優雅に歩きながら鎌を振るって、背中を切り裂き「ザイアン」に血飛沫を上げさせる。

 

 通り魔じみた戦闘が、どうにも彼女の性格を表している。

 

 次に狙ったのは翼の付け根、しかしそれを許すまいと身体を乱雑に振り背中の女を振り落そうとしてくる。

 

 それに―――諦めて素直に降りてきたヴァレンティナ。今度は転移を使わぬ優雅な跳躍であった。

 

 

「リョウのように上手くはいきませんね」

 

「いやもう少し頑張れよ! お前が踏ん張れば飛竜の翼を落とせたんだぞ!!」

 

「そうはいいますけど、ここまで再生が早いと無意味ではないかと」

 

 

 暖簾に腕押しなヴァレンティナの言動。それに食って掛かりながらエレンは気付く。

 

 ―――再生。なんとも不思議な単語が出て、改めてエレンは「ザイアン」を見ると―――自分とオルガ、そしてヴァレンティナが付けた傷が既に塞がっている。

 

 

「どういう生命体だ。あれは……」

 

「クラゲと同じようなものでしょうね。リョウに言わせれば「単細胞」の生命体といったところですか」

 

 

 エレンとオルガはともかくヴァレンティナの攻撃はかなりの深手だったというのに、それが塞がっている。

 

 異様な化け物の正体におぞましさを感じながらも、オルガが年長を残す形で決意する。

 

 

「とにかく動かさないようにしないといけない。お兄さんとティグルの攻撃までまだかかるんだから」

 

「……考えるより実践せよといったところか」

 

 

 オルガの単純明快な言葉にエレンは結論付けて再びの攻撃開始に参加する。

 

 

「はじまりにしておおもとにしていしずえとなる。高天原に神留り坐す其の神より生まれ出でし幾十もの神々、現世にあまねく在られる幾百もの神々」

 

 リョウの二言目にしてティグルは矢に「力」が込められていくのを感じる。そうして―――「ザイアン」の急所はどこなのか、目を凝らす。

 

 

 

 戦姫三人が戦い、「弓聖」と「剣聖」が最後の一矢を作り上げる作業の中、ここまで来ていた兵士達は、何かを出来ないかと考える。

 

 

「投石でも弓でも、何でもいい。あの化け物を側面から撃てるものを!」

 

「承知」

 

 

 ライトメリッツ軍の兵士達は即座に行動を開始する。このまま立ち尽くすだけでは案山子と変わらぬ。

 

 迂回する形で、馬を走らせる。これでは自分よりもルーリックが来た方が良かったな。とリムは考えながらも、やるべきことを行う。

 

 

 

 戦姫三人の攻撃は苛烈を極める。「ザイアン」は殆ど動かずにティグルとリョウを見据えながら戦う。その鈍重すぎる身体は動くには不自由すぎるのか、それとも考えていることがあるのか。

 

 強烈な一撃を放ち、火炎を放ち、短い当たりの数々で、こちらに中々に痛撃の機会を与えない。竜技の集中も許さぬそれだ。

 

 

「放て!!」

 

 

 声が響いた。「ザイアン」から十アルシンは離れた距離。左右から飛び道具というにはバラバラなものが飛来物として飛ぶ。痛苦を感じるようなものではないだろうが、それでも動きが止まった。

 

 斬る! 砕く! 裂く! 

 

 三者三様の意志が飛び道具の後に武器の攻撃と共に「ザイアン」にぶつけられる。

 

 裂ぱくの気合いと共に、振るわれた剣、斧、鎌の攻撃が血の噴水を上げさせる。その血が黒煙のように変化して―――周囲の植物を枯らせた。

 

 

 

 それを見て、リョウは「御稜威」の言霊を切らさないようにしておきながらも、まずいな。と本能的に感じていた。

 

 あの体積から察するに、あれをただの魔弾なり竜技で殺せば、「瘴気」が西方に「死」を撒き散らす。あの女の言は正しかったのだと知り、いっそう声を震わす。

 

 

「幾万もの神々に祈り、禱り、訴える。神直毘神を奉りて広く地を清め、大直毘神を奉りて一切の瘴気を吹く」

 

 

 

 矢が光り輝くのを見ながらティグルは何も疑問に思わなかった。

 

 弓弦に番えるまでの作業時間。刹那の数瞬であった。

 

 そして狙いを付けながら、弓弦を引き上げる―――それを見た瞬間に「ザイアン」は―――翼を使って空へと飛び上がった。

 

 

(脅威だと認識したな……そしてあの時の雪辱でも果たそうとしているんだな……ザイアン)

 

 

 空へと逃れていく「ザイアン」の姿を見つつ照準を変えていく。

 

 

「祓い給い、清め給え。守り給い、幸え給え」

 

 

 リョウの御稜威は、それで完了したのだろう。矢の先に一切の力が籠められるのを感じながら、「ザイアン」を狙う。

 

 

 

 もはやザイアン・テナルディエという男の脳すら無くなる中、男であり怪物である男の頭にあったのは、最後の戦いの相手のことだけだ。

 

 蔑んでいた狩人領主。その相手こそが自分に破滅を与えた。空飛ぶ飛竜にすら死を与える―――「英雄」。奸賊の息子として生を受けた以上、自分がこの役目だったのだろう。

 

 仮にもしもこのまま生き残って帰ったとして自分が自分で無くなると認識出来ていた。そして自分がもはや戻れないのだとも―――。

 

 ならば最後まで抗う。

 

 これが運命だとしても英雄の倒すべき怪物として脅威でいつづけてやろう。自分が自分で無くなる前に、英雄が自分を倒すか、それともこのまま生き残るか。

 

(最後の勝負だ。ティグルヴルムド・ヴォルン!!)

 

 

 自分が絶対の自信を持って行った攻撃。飛竜からの「弾道攻撃」と「質量攻撃」その二重を今度こそ行う。

 

 

 

『ザイアン』の攻撃、「黒い炎の砲弾」が『ザイアン』の口中から雨霰と放たれる。

 

 それは全ての人間を殺す攻撃だ。アメノムラクモを引き抜き上空から放たれるそれを飛び上がり斬り捨てていく。

 

 瘴気が、自分を――――『強化』しつつもそれに呑みこまれずにティグルの射線を確保すると同時に落下をする。

 

 

「最後の勝負だ。ザイアン・テナルディエ!!」

 

 

 ティグルの矢の先に、黒い光が螺旋を巻きながら、吸い込まれていくようで拡散している。

 

 しかしその光が―――蒼白のものになっていく、しかし力の多さにティグルの姿勢がぶれようとしている。

 

 不味いと思うと同時に、アメノムラクモとアリファールが共に『風』でティグルの弓を安定させていく。

 

 瞬間、『ザイアン』は咆哮を上げた。大気が震えて再びティグルの姿勢を崩れようとしているが、揺れる大地から分断するように、ティグルには不動の大地が与えられた。

 

 見るとオルガのムマとティナのエザンディスが光を放ち大地を虚空に浮かばせ、されどティグルを逃さずつっかえのように足場を固定する土の押さえが出来上がっていた。

 

『ザイアン』との距離が、800アルシンに至ろうかという時に、ティグルは矢を天空に放った。

 

 爪弾かれる弓弦、流麗な音の後には他を圧倒する轟音と共に矢が放たれた。破邪の矢は風の力を吸い過ぎて、物質としては無くなっていた。

 

 しかし目にも見える「光の矢」は、『ザイアン』を一直線に貫いた。天空に放たれた矢は過たず『ザイアン』の額から入り込み、尾部へと突き抜けていく。

 

 再生することもなく、二つに分かれる『ザイアン』の身体。あふれ出る瘴気は入り込んだ矢によって浄化され白い光となって『ザイアン』の中を満たしていた。

 

 夕焼けの中に白光が満ちて、破裂して――――上空にて轟音を撒き散らした。

 

 

 轟音にモルザイム平原が揺れながらも、それは一瞬のことであり、いなくなった『ザイアン』、肉片一つすらない死に様によって悪夢は―――終わったのだと全員がゆっくりと認識していった。

 

 

 

 †  †  †  †

 

 

 

 

 勝鬨の声を上げるものは誰一人いなかった。落日の下――――先程まで怪物との戦いに従事していた人間の殆どは座り込むなり倒れ込んでいた。

 

 赤に染まる草原に、大声は無かった。ただ誰もが粛々とやるべきことをやっているといったところだ。

 

 そんな様子を見てからティグルは声を掛ける。

 

 

「ザイアンは……あれで死んだのか?」

 

「恐らくな。ああして変異したものは、死んだとしても骸は残らない……首を手に鬨の声を上げられないのは残念だがな」

 

 

 ちっとも残念そうに聞こえないリョウの声を背中越しに聞きながらティグルは、弓からあの声が聞こえないことに不信感を募らせる。

 

 

「あの自称・女神サマからの声も聞こえない以上、あの鼠賊の魂がどこにいったかは知らないが……親しかったのか?」

 

「いや、ただ……少しだけ、理解しあえた部分もあっただけだ。本質的には交わらない相手だったんだろうな」

 

「そうか」

 

 

 気に病んでいないならば、それでいい。と思いつつ漸くリョウは立ち上がった。支えを無くしつつもティグルはバランスを崩さず立ち上がる。

 

 向き合いながら問いかけるは、ただ一つのこと。

 

 

「ティグル、お前は―――王になりたくないのか?」

 

「………それが、リョウの使命に協力する対価か?」

 

 

 黒弓を手にしながら険のある視線をぶつけるティグル。だがリョウは、それとこれとは別の話だとしておく。

 

 

「今後お前は「私戦」とはいえ、王権の片割れと「敵対」していく。それはつまり図らずもブリューヌの玉座を巡る戦いに巻き込まれるということだ。その際に経験上そういったことからは逃れられないということを教えておいただけだ」

 

 

 リョウの放った現実を見抜いた言葉にティグルも考え込む。

 

 嫡男を失ったテナルディエ公爵家は必ず復讐に出てくる。つまりアルサスは未だに平和になったとはいえない。

 

 そしてまたテナルディエに対抗するガヌロン公爵、レグナス王子失いし王宮、ジスタート側の動向。

 

 全てが絡みつき、もはやティグルも今まで通りの田舎貴族というわけにはいかないと思っていた。

 

 しかし不安は無かった。

 

 どんな困難や苦難が待っていたとしても、それは一人では片づけられないものかもしれない。けれど―――。

 

 

「二人ならば、どこまでも飛べる。西方に新たな風を巻き起こした「剣聖王」の戦いに俺も付き合うさ」

 

「ならば俺もこの乱世を吹きとばすほどの一矢を放つ「弓聖王」の戦いに同行させてもらうよ」

 

 

 お互いに皮肉のような礼賛を行うも、お互いがお互いの価値を認め合っているからこそ、こんな風な掛け合いが生まれてしまう。

 

 そうしていたら、ティグルとリョウは誰かに小突かれた。やったのは銀髪の乙女であった。

 

 

「ったく闘い終わって男二人でベタベタして、気持ち悪いぞ。お前ら」

 

『ベタベタしてない』

 

 

 重なる言葉が半眼のエレオノーラに掛る。しかし女四人全員が、そんな風な表情で見ていたので、そう見られていたならば仕方ないとはしておく。

 

 

「ティグル、おまえに言っておくことがある。そこの好色サムライを男娼としようが、斧のちびっ子を愛妾としようが構わない。けれど―――お前は、私のものだ。それは覚えておいてくれ」

 

 

 頬を掻きながら照れるように言うエレオノーラを見て、リョウは自分の称号である「戦姫の色子」の襲名(?)も間近だなと思う。

 

 

「リョウ、何か結構失礼な事を考えていないか?」

 

「いやいや。今まで俺に突っかかってきたエレオノーラにも女らしい所があったんだなと感心していただけだよ」

 

 

 今度はティグルが半眼でこちらを見てきた。勘の鋭い王様だと思いつつ、誤魔化しておくリョウ。

 

 躱されたと感じたティグルは、苦笑いを一度してからこういったことでも負けたくないなとも感じていた。

 

 

「さてと、色々と考えること、やることは多いが……一先ずセレスタに帰ろう。みんなにティッタ達が作ったアルサスの御馳走を振る舞うよ」

 

「宴があると知っていれば社交界用のドレスを持ってきましたのに、残念です」

 

「お前の格好じゃ区別はつかないだろうが、というかそんな暇は無い。……まぁ私も三弦琴を弾くぐらいはしてやるが」

 

「ライトメリッツに軍楽隊は無いのか? だったら私も馬頭琴を奏でる。宴には音楽が必要だから」

 

「そう言えばサカガミ卿は「二胡」が弾けるんでしたね。よろしければエレオノーラ様と共に戦勝の音楽を奏でててください」

 

 

 次々に宴を盛り上げる案を出されつつリョウは、「弦楽器」ばかりで協奏曲が出来るだろうかと疑問に思っていると―――。

 

 ふと後ろに視線を感じた。モルザイムから撤退をしていく一団から少し離れる形で歩みを止めて後ろ―――五アルシンほどの所に、ヒトの輪郭をした蒼白いものがいた。

 

 その輪郭は、詳細には分からなかったがそれでも―――こちらに『一礼』すると同時に煙のように消えた。

 

 正体はなんとなく程度には理解出来ていた。ただそれを言葉にはしない。

 

 進んでいった一団から早く来るよう促されて、そちらに向けて走り出しながら一度だけ眼を瞑る。

 

(彼の魂に安らかな眠りあれ―――)

 

 心中でのみ祈っておき、決して引きずらない。それこそが生き残ったものの礼儀でもあるからだ。

 


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