朝の光―――それを受けて、『剣』は主を起こすことにした。柔らかな風が顔をくすぐる。
「んっ――――」
ライトメリッツの寝台とは柔らかさが違うが、それなりに寝られたのは長い傭兵時代のたまものだろう。
起き上がり、硬くなっていた肢体を解すように伸びをしてから、立てかけられている『剣』に話しかける。
「おはようアリファール、良い朝だな」
その言葉にアリファールは己に風を纏わせて応答としたようだ。それを見てから、着替えをする。いつもの軍装に身を包みながら外の景色を見る。
昨日の宴の効果は抜群であった。ジスタート軍という外国の軍が常駐するという状況がアルサス住民に受け入れてもらうためにも、多くの酒と美味な食事―――そして、流麗な音楽は、アルサス住民とライトメリッツ騎士達の不信感を洗い流して、今後の礎となっただろう。
久々に三弦琴を弾いてみたが、我ながら実に良い音色が出たものだと思う。その音に合わせるように二胡を弾き鳴らす東方剣士に負けじと様々な曲を奏でた。
『びっくりした。すごかった。聞き惚れた』
とこちらを見ながら言うこの館の家主である赤毛の青年のことを思い出す。顔を上気させて何とも直線な感想を述べてきたティグル。
思い出すと同時に、エレンも少しだけ顔を赤くする。剣の腕よりも楽器の腕を褒められて嬉しくなるなど戦姫失格かもしれないが……。
「ティグルは朝が弱かったはず。仕方ないな。リムは外で寝ているだろうから、私が起こしにいってやろう。うん、それが上策だ」
ちっとも仕方なさそうな口調ではない持ち主にアリファールはため息突くように、風を吐き出してから持ち主の腰に収まる。
館の主人であるティグルがどこで寝ているかは理解している。どうやら侍女であるティッタは、階下で朝食の準備をしているようだ。
軽快な包丁さばきが聞こえている。それを聞きながら―――何となく忍び足でティグルの寝室に入り込む。
寝台にて正常な寝息を立てる男性。その姿に少しだけ心臓を高鳴らせながらも、どうしたらば起きるだろうかとエレンは考える。
捕虜である彼をサーシャが起こした手筈は覚えている「揺すり方にコツがあるんだよ。どうしてもだめならば耳元で甘い言葉でも吐く」。そんな事を現在、ヴァレンティナと同室の男にしていたのかと思うと、エレンは複雑な心境になる。
サーシャが婿を欲するというのならば、いくらでも見合いの相手はいただろう。けれど彼女の場合、血の病もありそういった話は断ってきた。
その事を憐れむのは仕方ない。それを承知でどこかにサーシャの病を知った上でも彼女と共に生きて行こうという男性はいないものかと―――――。
そんなエレンの努力を無にしたのは東方の剣士。異国の仁術、製薬などを用いて彼女に再び世界を歩かせることに成功したのだ。
それだけならばただの恩人程度で済むのだが、年頃の男性剣士、完全な二枚目ともいいきれないがそれでも二枚目半ぐらいの剣士はサーシャの心をつかみ取り、そのまま女性としての恋慕へと変化させてしまった。
何より、単騎にて戦乱ありし国を駆け抜けた英雄である。その意志の強さは巷の女性達を熱狂させるだろう。
(……認めたくないが、サーシャにとって必要なのはリョウなのだな)
悔しいが、そういう事だ。最初の諍いからどうにも感情的になりすぎていたが、サーシャの幸せがあの二枚目半の腕の中だというのならば、仕方ない。
ため息ついてから、リョウとは別の男を起こすことにする。それはエレンにとっては―――英雄の姿であり、求めていた男性の姿かもしれない。
「ティグル、おき―――――あれ?」
ベッドの脇に近づき、ティグルを揺すって起こそうとした時に、その掛け布団がティグルを真ん中にして両側が少し盛り上がっているような感じがする。
「……ん―――、あれだな。プラーミャとカーミエが入っているんだな。まったくいたずらっ子な幼竜どもめ」
しかしその膨らみは人間大なものを包んでいるようにしか見えない。予想している現実から少し逃避しつつもエレンは掛け布団をめくろうと――――。
「ティグルさまぁ……」「ティグル……」
くぐもった艶っぽい声が聞こえた時に、思わずエレンは固まらざるを得なかった。
そして意を決して、掛け布団をめくるとそこには―――――――。
シャツが半分はだけている青年。その両隣にはこのアルサスの侍女二人の姿―――日に透けて下着が見える寝間着姿が眩しい。
「なっ……ナニやっているんだーーー!!! 起きろティグル!!」
思いっきり力を込めて掛け布団をひっぺがすエレン。その様に流石のティグルも覚醒したようだ。
「!? なっ……! お、おはようエレン……。豪快な起こし方ありがとう。と言えばいいのかな?」
「ゆうべはずいぶんとお楽しみだったようだな」
「いや宴は楽しか――――あれ? 何でオルガとティッタが、俺のベッドに……!」
起き上がると同時に初めて見た顔が自分であったことを喜べばいいのか、それとも状況に対して怒ればいいのか分からないが、エレンは―――とりあえず皮肉を口にする。
「どうやらお前は楽器の三弦琴は演奏できないが「女」の三弦琴を震わせるのは得意なようだな……」
「いや、これは誤解だ。そして、とんでもない嫌味だぞエレン」
「分かっている。だがそれでも……何で『三人組手』をするというのに私を除け者にする……酷いじゃないか」
戦の後で男の状態がどうなるかぐらいはエレンも長い傭兵団暮らしで知っており、その都度雇われ先の「ヤリーロの娼館」などに行くのだ。
義父であるヴィッサリオンにも『そういうものだ』とだけ言われて納得しておいた。初潮を迎えて女性として「性行」を出来る歳になってからは、同じ戦場にいた男に誘われることもあった。
その度に誘った相手を硬軟の手段使い断ってきたが……。そういった風な経験がティグルの寝屋に入れなかった原因だとすると非常に悔しくなる。
「本当に俺も分からないんだよ! そして残念そうに言わないでくれ!」
そしてティグルとしては本当に身に覚えがなくて、誤解を解くのに必死にならざるを得なかった。
そんな二階の喧騒とは別に食堂にて朝食の準備をしていたリョウとヴァレンティナ、そして竈に火と石を入れていたプラーミャとカーミエの幼竜二匹は、騒がしいなぁという感想を漏らすしかなく。
「私は戦の後の殿方の鎮め方を教えただけなのですが、まさか即座に実践するとは思いませんでしたわ」
「お前が原因かよ」
やれやれと言わんばかりにコンソメスープの灰汁取りに卵白を入れたティナにツッコミを入れながら、リョウは卵黄とチーズを入れたオムレット…郷里で言えば「玉子焼き」に近いものを作ることにした。
◆ ◇ ◆ ◇
その日、一つの王政革命が為されようとしていた。
奇しくも、ティグルヴルムド・ヴォルンがモルザイムにてザイアン・テナルディエとに決戦を挑んだ時間から始まった戦。――――それは今、この瞬間に全て決した。
そういう意味では、その戦いの勝者はティグルヴルムドに「劣っていた」とみられるかもしれない。
しかし勝者―――『男』は、王政の打破を行ったのであり、かの青年貴族とは戦の大小で比較すれば、無論だが「男」にこそ軍配が上がった。
男―――タラード・グラムは、バルベルデの王城にて捕えられた男を睥睨する。
「無様なものですな。ジャーメイン殿下。まさかこんなにまでも早く陥落するとは思っていなかったですか? それとも私に負けるわけがないとでも思っていましたか?」
「農村部の支持と都市部の支持、それだけで貴様がこのアスヴァ―ルを収めていけるものか! お前に従わない貴族・騎士も多いのだぞ。平民上りがのぼせるな!!」
「それも―――本来あるべき「支配者」に返すだけであれば、何も問題はないでしょう?」
睥睨されて、膝立ちに服されている男。アスヴァ―ルの「正統」な「王」であるはずのジャーメインは屈辱に耐えつつも、何故ここまで簡単に自分が捕えられたのかが分からなかった。
太った体で、この体勢は辛いが、それでもジャーメインは、平民の男を睨みつける。
「ギネヴィアか、あのような姫ごときに何が出来る。貴様を王配として迎えたとしても無能の女王の烙印を押されるだけだ。ならば―――」
「そう。だからといってあなたを生かしておく理由にはならない。民を顧みない王族など百害あって一利なしだ。連れて行け」
兵士達に引っ立てられていくジャーメインとそれに従う重臣達。彼らの末路はとりあえず良いものではない。
とりあえずジャーメインは死刑だ。絞首台の用意は出来ており、ギネヴィア姫殿下もそれを了承している。
「貴様は―――ただ単に王になりたいだけだ! 私と何が違う!!―――貴様が例え噂通りにカディス王国の―――――――」
連れ去られながら、未だに喚き、訴えるジャーメインだが、謁見の間からいなくなると遂に静寂が部屋に満ちた。
これが自分が望んだ結末だろうか。問いに答えてくれる『男』はいない。
「ジスタートでは随分と大活躍だったようだな。羨まし過ぎる。勇ましくも可憐な姫君連れて英雄道を歩くかよ。お前は……」
それに応える人間はいない。いるならば『そこまで大層なことはしていない』『俺は俺に出来ることをやっただけだ』などと言ってくるだろう。
空の玉座。そこを目指して歩いてきた。今までも、そしてこれからも……だが、いざ事の半分を成し遂げてしまうと空虚感を感じる。
何故ならば―――自分が、ここに至るまでにいるべきはずだった騎士がいないからだ。
東方よりやってきた昇竜。あの男は、自分からすれば半端なままに此処を抜け出した。けれども―――そんな恨み言よりも、何故自分を選んでくれなかったのかが悔しく思える。
たかが傭兵一人という損失、そう捉えるものは、自分の周りにはいない。愛想を尽かされたといえばそれまでだが……。
「嫉妬とは醜いですな」
「―――ルドラー、状況はどうなっている?」
「……まぁいいでしょう。現在バルベルデにおける抵抗は収まりつつあります。ギネヴィア様が正面切って凱旋したきたのが利いたようです」
赤い髪をした部下の一人に誤魔化しながら問いかけると無駄だと悟ったのか状況を教えてきた。
詳細を聞いていくとルクス城砦にいたレスターが寝返ったという話も聞く。クーデターの誤算というわけではないが、全国を支配していないと、こういったことは確実に起こる。
「サイモンじゃ流石にレスターを押さえられなかったか」
「多く見積もって五千の兵士が籠っていますからね。無論、兵糧攻めをせよというのならば、そうしますが」
「エリオットが支援の動きを見せれば一瞬で蹴散らせてくる程度では無理だろう」
「休戦条約がありますからね。そこまで大々的に動くことは出来ないでしょう。ただコルチェスターに逃げるぐらいは出来るかと」
「亡命か」
大陸と島との間で休戦条約が結ばれたのは、そんな昔のことではない。そんな状況を作り上げた男は現在ジスタートにて「色子」をやっているという話だ。
そしてこの分断状況。統一政府が無いという状況での革命はベストであった。あちらも軍を立て直す時間が欲しく、何より雇った海賊団を食わせていくのは容易ではなかったからだ。
休戦条約と同時に一部の『雇い止め』をした海賊団が、ジスタート付近に出回り、これらを倒したのもまた「リョウ・サカガミ」だとのこと。
「イルダー公王ならば、コルチェスターからの不審船を拿捕出来るだろうか」
「さて、レスターなど寝返った連中が、どうやってコルチェスターまで行くかにもよりますが」
頼むだけ頼んでおいてくれ。と言ってルドラーを下がらせる。謁見の間から出ようとしたルドラーだが、立ち止まり呟く。
「閣下は、王として『見捨てなければならない犠牲』を容認する方。無論、それを悔やんでいるかどうかにもよりましょうが、それがリョウをあなたから離れさせた一因でもあるんでしょうね」
「俺はあいつじゃない……何としてでも全ての犠牲を減らす方法をひねり出せる人間じゃない」
村一つを見捨てるという判断を下した夜。その際に喧嘩別れしたのを思い出す。
『ならば俺一人でもここを守るだけだ。俺は依頼を受けたんだ。あの麦畑を守ってくれとな』
それに対して、補償もするし何よりお前にもそれ以上の財貨を渡すと言った。だが、それでも彼は聞かなかった。
『お前は、ここにあるものが無くてどう食っていくつもりだ。俺たちが食っているパンはどんなものから出来ているんだ。ここで撤退すればあいつらは明日も明後日も襲ってくるぞ』
金の問題ではない。矜持と意志の問題だと言う―――リョウに、止むを得ず自分たちは一度引き下がった。
だが、それでも彼一人失えば折角盛り返した勢力図がまたもや変化すると思い、『援軍』を出すとだけいっておき、避難民の移送に準じた。
そして―――ようやく援軍を組織して向かうことになった時には、もう死んでいるのではないかと思っていた。
だが違った。彼は村の有志と共に二日に渡って守り抜いたのだ。その時の事は語り草になっている。
「万軍殺しにして邪竜殺し―――リョウの伝説ですな」
「……俺は玉座が欲しかった。だというのに今ではあいつに認められない方が悔しいぞ」
明後日の方向を見ながら言うタラードに、ルドラーは原因が分かっていた。
リョウは恐らく「王」なのだろう。どんなに善政を心掛けても出てしまう犠牲を許せず己の力を出し惜しむことなく使うあり得ざる「王」の姿。
現実は無情にもそういう小さな犠牲をどこでも生んでしまう。しかしリョウは、その小さな犠牲を許せずに動いて理想を実現する王なのだ。
そんな姿に保身と立身出世を目指すだけになっていた戦士達は焦がれてしまうのだ。少年の頃に憧れたジェスタの英雄のようなそれに―――。
副官のルドラーとしては、『それ』で良かったではないかと思ってしまう。最悪の場合、このアスヴァ―ルにおいて王位に就いていたのはリョウになったかもしれないのだ。
求心力において彼はタラードを上回っていた。暗殺するとまではいかなくても、遠ざけるぐらいは進言すべきだったが、上官であるタラードが、この調子なのだ。
(下手をすれば私の方が遠ざけられていたかもしれない)
だが結局の所、彼自身のタラードへの評価が辛かったのと、一応の戦争終結を見せた時点で、彼はアスヴァ―ルを出て行くことにした。
――――アスヴァ―ルにてもらった禄の九割九分九厘を復興予算や、村々に送ったりしてからだ。
『あんな金貨『樽』何個も持っていけるかよ。重すぎる。だからくれてやっただけだ』
ならば何の為に傭兵をやっているんだ。とルドラーは真剣に尋ねた。それに対して彼は一言だけ答えた。
「王様探し……か……」
廊下を歩きながら出した呟きに、ルドラーは嘆息する。
それは皮肉であるからだ。彼は武人としての務めを全う出来ればいいとだけ思っているのだろうが、それでも彼の頭上には王冠が煌めくのだから。
ともあれ、今考えるべきことではない。ルドラーは国を想って己の務めを全うする。
一先ずは、戴冠式の準備。ギネヴィア王女―――、いや女王へと就いてもらい、各国からゲストを招く。
その上でこちらにこそ正統アスヴァ―ルがあるのだと訴える。ジスタートはジャーメインを支援していたが、革命勢力である自分達では打ち切ることもありえる。
それを繋ぎとめるためにも、ジスタートには様々な便宜を図らねばなるまい。
ザクスタン、ブリューヌ……この二国も重要だ。しかし……ブリューヌは来ることはないだろう。
「先王ザカリアスが生きていれば、これ幸いと出兵していただろうが……運がいいのか悪いのか」
ディナントから既に一月あまり経っている。状況の程は他国にも知れ渡っており、抜け目ない連中は着々と軍備を整えている。
仮に自分たちが、この内乱に乗じて侵攻したとしても、これ幸いとエリオットは後ろから攻めてくるだろう。
(今は……様子見に徹するしかないか……)
その様子見の中には自由騎士の動向も含まれている。彼がもしもブリューヌにおいても「王様探し」をしているようならば、彼が従う軍にこそいるのだから。
「しかし更なる問題としては……」
『ルドラー、リョウはどこにいるんですか? あの失礼千万なヤーファ人には、王位に就いたらば言ってやりたいことがあるんですよ! 何としても探し出しなさい!! そして戴冠式に―――』
引っ立てろ! と言わんばかりに猛っていた我らが「ブレトワルダ」の言葉を思い出してルドラーは嘆息をした。
結局の所、タラードとギネヴィアが結婚したとしても、とんだ仮面夫婦になるのではないかと思って先が思いやられた。