「ったく朝は酷い目にあった……」
チーズ多めのオムレットを食べてから、ティグルは一言を発した。口に残る美味な感覚とは逆に顔は苦々しすぎた。
「しかめっ面で朝食をとるな。幸運が逃げるぞ」
「寧ろディナントと前回の戦いで使い切った可能性もあるのでは?」
リョウとヴァレンティナからそう言われると顔は苦々しいままでしかない。というか二人してひどい言いようである。
食堂のテーブルには現在、リョウ、ヴァレンティナ、エレン、オルガ、ティッタ、そしてティグルの六名が就き、足元ではオニガシマ陶の丈夫な皿に盛られたご飯をカーミエとプラーミャが勢いよく食べている。
カーミエは、生に近い肉と雑穀の粥だが、プラーミャは良く焼かれた鳥肉とこれまた良く焼かれたライ麦パンを食べている。
我が家の幼竜は二度目の同族との邂逅で、目の前で違うご飯を食べている同族に首を傾げるように見ている。
訳すれば『おいしいのー?』といったところだろう。プラーミャ……火竜の幼竜は『ぼくにとってはごちそう』とでも言うように一度首を縦に振ってから、横に振った。
幼竜達が人間同士の微妙な朝食風景を気にしていない辺りに色々とあれではあるが、とりあえずリョウが作ってくれた朝食を取る。
流石にティッタ程ではないが、中々に味わい深い料理で舌と共に心も弾む。
そうして腹も満たされた辺りで、ティグルは話を切り出した。
「ありがとうな。ティッタの代わりに食事作ってくれて」
侍女が疲れていることを察して、彼らが、代わってくれたのだとは分かっていた。
「気にするな。息子の朝食のついでだ」
そう言うと、ご飯を食べ終えた火竜の幼竜はヴァレンティナの膝の上で丸まっていた。そんな幼竜に対して『食べてすぐ寝るとソフィーヤみたいな牛になりますよー』などと言いつつも止めさせるつもりはないのか、鱗を触り慈しむようにしている。
その姿を見て、ティグルも少しだけ疑問も浮かぶ。ライトメリッツの公宮にいたアレクサンドラの恋焦がれたのが、テーブルの対面に座る男であるならば、彼女は失恋したみたいなものではないかと……。
「詳しい話は省くが、プラーミャの親を殺したのは俺とティナなんだ。だからこの子が「成竜」になるまでは親代わりなんだ」
「帰る家が多すぎるパパでも、ママはちゃんとプラーミャを立派に育ててあげますよ」
「真実の斜め上の一端を突いたこと言うのやめてくれない。まるでダメ親父みたいに感じてしまうから」
そんな夫婦(?)のやりとりを見てティグルも納得する。つまり自分とカーミエとの関係と同じなのだろう。そして恋の鞘当ても行われている。
片や、我が家の幼竜はオルガではなく、ティッタの膝の上で微睡んでいる。
「何でティッタさんの方にばかり懐くんだろう? 私は母親として見られていないのか?」
「そんな恨めし気な視線向けないでよオルガちゃん。多分だけど暫く会っていなかったから、私に甘えたいんだよ」
半眼でカーミエを見るオルガ、その視線を笑って受け流しつつカーミエの肌を優しく撫でていくティッタ。
我が家の幼竜も他家の幼竜と変わらないのだと思いつつ……今度は変わることに関してティグルは、エレンに問いかける。
「エレン、君は今後どうするんだ? 一応アルサスは平和になった。君にとっての対岸の火事は収まったわけだが……」
「お前、今更そんな事を言うのか。随分と薄情だな。何の為に一昨日まで飲めや歌えやの宴会をやっていたのか分からなくなるぞ」
嘆息したエレンだが、ティグルとてそこまで鈍いわけではない。
つまりエレンは、今後も自分の戦いに付き従うということだ。テナルディエ公爵との私戦に付いてくる彼女の考え。
心強いと共に申しわけなさも出てくる。しかしエレンは構わないようだ。
「とりあえずお前の借金の担保として、このアルサス及びティグル、お前は私のものだ。その保全を行うというのならば安い投資ではあるまい」
不敵に笑うエレン。そんな彼女の言に口を曲げるオルガとティッタ。
彼女の深謀がどこにあるかは分からないが、とにかく今は彼女の言う通りだ。
しかし同時に……勝ち目のある勝負なのかということも考えてしまう。
アリが「竜」に踏みつぶされるような戦い。そこにエレンのライトメリッツ軍が居てくれれば、「猪」ぐらいにはなるだろう。
だが、それでも公爵家はモルザイムでの戦力の十倍は出せる名門だ。勝ち目の無い戦いに恩人を巻き込んでいいのかという気分になる。
「とりあえずリムを代官として置いていく。詳細はあいつに聞いてくれ。そして私は国王陛下に謁見しなければならない……お前の『愛妾』に対する判断も含めてな」
言葉の後半で、面白がるかのように言うエレン。その言葉でオルガは急に固くなった。
固くなるのは当然。彼女はこれから「里帰り」をして、その上でどんな事になるか分からないのだ。
「あの……オルガちゃんをあんまり怒らないでください。色々と事情があったんですから、そこを考慮してください」
「私も出来るだけ弁護はする。そこの自由騎士と同僚にも弁護させるが……どう判断するかは、国王次第だ。分かっているな。戦姫オルガ=タム」
ティッタの遠慮がちな言葉を受けてエレンも別段遠ざけたいわけではないと言う。言葉の後半、呼びかけられたオルガは意志を込めた瞳でエレンを見る。
「分かっている。これは私の「戦い」だ。悪言、苦言、辣言を言われても何としても「勝つ」。けれど……ティグルに客将として雇われた以上、その務めは最後まで全うしたい。この戦いが終われば、きっと私はブレストに戻っても……戦姫としてやっていける気がする」
オルガもまたテナルディエ公爵との戦いに付き合うと言ってくれる。その為にも目の前の問題を解決しなければならない。
つまりは、正式な参戦許可を得るためにも―――彼女は里帰りをして、己の意志を示さなければならない。
だが、予定通りそうなるかは分からない。寧ろ、彼女の今後を考えるならば、正式にブレストに封じた方がいいかもしれない。
「何か色々と気にやんでいるようだが、どの道お前の選択肢は多くない。そして私やオルガのことはあまり気にするな。私達がお前の力になりたいから、そうしているんだ」
当然、オルガもそうだと言うエレン。
ならばもう一方は―――。
視線をこのテーブルにいるもう一人の男に向ける。視線を受けた人間は、微笑をこぼすのみだ。
反対にリョウの隣に座る戦姫、リョウのジスタートでの「雇用主」は口を開いた。
「私の方は難しいかもしれませんね。ただ私の夫を貸すぐらいはしてあげますよ。無論、武具兵糧も幾らかは融通してあげます」
無事に返してくださいな。と微かに笑うヴァレンティナ。彼女も支援はしてくれるようだ。
多くの味方がいて、ありがたいが……自分には返せるものが無い。
「次にまた会う時までに考えておけ。そして―――私達に答を聞かせろ」
エレンの発言から、五つの視線が自分に向けられる。
決意は……着いている。心も決めている。あとは―――勝算があるかどうかだけだ。
それを話すのは、今はまだ時期尚早に思えたし、何より勝算ある戦いでもないのに、せっかく出来た―――『友人』達を巻き込みたくもなかった。
† † † †
朝食を終えて、二階に戻りながらもティグルは、自室に戻らなかった。
家宝である黒弓を安置している部屋にそれはあった。弓も弓弦も黒一色である。赤い天鵞絨に包まれた台座。
そこに置かれたものを見つつ、いつもの礼をしながらも、その心中に敬意だけでなく怖れもあった。
あの時のような声も聞こえず、さらに言えば鼓動もしていない。飛竜を落とした時に「女神」は、初回だけだと言わんばかりに、力の大半を制御してくれていたような気がする。
事実、本来ならばろくな狙いもつけられないほどに力が溢れてザイアンとの戦いのときのようになっていただろう。
「―――魔弾の王か……」
リムの言葉だけならば、ただ単に不思議な武器だとだけ思っていただろう。
だが、続いて響いたヴァレンティナの言葉の不穏さに自分は緊張をせざるを得なかった。
女神代行者―――魔弾の王。
それを求めてきたのはヤーファよりやってきた剣士。自分が憧れていた人物でありながら、彼は自分にこそ憧れていたと言う。
「それがお前を選んだのか、それとも逆なのか……分からないがな」
「家宝の部屋に勝手に入らないでくれよ……今更だけど」
気配を隠してやってきたのは、自分が考えていたヤーファの剣士だ。そして彼は自分の考えを読んでいたようだ。用件は何なのかを聞く。
「そろそろ俺も発つからな。暇乞いというやつだ」
「そこまでかしこまらなくてもいいよ」
「経緯はどうあれ、私情あれども俺とお前は君臣の間柄だ。その辺を弁えとかなければならない」
「けれどもそれだと俺は自由騎士を束縛していると世間から見られる。もしかしたらば……胡乱な想像をされるかもしれない」
「ごめん。その辺は考えてなかった」
お互いに心底嫌そうな顔をすることで言いたいことを疎通する。
昔から歴史に残る偉人、英雄、豪傑というのは、『変な想像』をされることもままあるのだから。
具体的にはアスヴァ―ルの覇王が結婚しなかったところから実は『同性愛者』だったのではなどと言われたり。
「オルガの参戦だが、確実に降りるだろう。ティナともう一人の戦姫は、ここにいると予想して様々な口利きをしていたみたいだからな」
リョウの情報はエレンよりも一歩先んじている。情報源は彼自身ではないのだが、多くの者から助力を得られるのも自由騎士の特権かと思う。
「彼女にこのままブレストに治めさせたらば人心は落ち着かないだろう。それならば、まずはブリューヌにて武功を積ませて、諸国で見てきたものを活かせるようにした方が建設的だ」
彼女のブリューヌ来訪は出奔ではなく、諸国見聞であり、それはブレストを治める上での必要な処置だったのだということになるはず。
そう言うリョウの言葉は自然と信じられた。彼もそういう人間だからだろう。
「大海を知らずに全てを背負わせるわけにはいかないか……俺は海を見たことないんだが、そういうことにしたのか、策士だな」
「本当の策士は俺じゃない。ティナだよ」
自分はそれに乗っかるだけだ。と嘆くように言うリョウ。二人のやり取りがどことなくヴァレンティナ有利に進む理由が分かった瞬間だった。
「あと言うべきことあるか? エレンの代官はいるけれどリョウの代官はいないから今のうちに言って欲しいこと、やるべきことを言って欲しい」
「そうだな……ティグル、こいつを弾いてみてくれないか?」
「―――弓、ヤーファ製か!?」
「嬉しそうで結構だ。持ってきた甲斐があったよ」
笑い呆れるように言われて、どうにもはしゃぎすぎたと自戒する。咳払いしてから、その朱塗りの弓を手に取る。
アスヴァールにあるという長弓に比肩しうるほどの長さだ。三日月状に張らせるだけでも、かなりの力を要するはず。
だが、弓使いとしてのティグルはそれの要訣を一瞬で分かったのでさしたる苦も無くそのヤーファの弓を弾くことに成功した。
「アメノノリゴト―――、別名として『生弓矢』という名称もあるんだ」
こちらのやったことに満足そうな笑みを浮かべながら、どういう銘の武器であるかをリョウは知らせてきた。
「イクユミヤ―――、これはどういう弓なんだ?」
「弓にもなるし『無限の矢』を与える矢筒にもなる」
少し興奮しながらも、聞くべきことを聞く。得られた答えから察するに、これもまた神器の類なのだと気付く。
「一番の特徴は……まぁ後々分かるだろうさ。ただ俺には扱えない神器なんだ。道具は道具。それを使うものの心情によって殺戮のものになるか生与のものとなるかが決まる。それだけだ」
言葉から察するに、どうやら自分の悩みは完全にばれていたようだ。自分にとっての策士は、どちらかといえばこの男かもしれない。だが、それが嫌なわけではない。
やってやろうという気分になる。持ち上げてくれることが悪い気分ではない。
「ありがとう。何だか心配してくれたみたいで」
「覚えがあることだからな。いらんお節介にならなくて良かったよ」
破顔一笑しているリョウ。そして階下からヴァレンティナの声が響く。どうやらそろそろ帰宅するようだ。
朱色の矢筒の形にしたアメノノリゴト。その中に一本の「短剣」が入っていた。気になり取り出してみると、鞘こそ簡素なものだが、鍔にかなりの細工がなされており、何だか竜具のような武器にも見える。
「弓に関しては俺の使命に関わるものだ。元々お前のために献上するものだった。短剣の方は俺からの―――「個人的」な餞別だよ」
「ティッタに渡した短剣もだけど、いいのか?」
何だかリョウからは色んなものを貰いすぎて申し訳なくなる。それが「人ならざるもの」との戦いに対する対価だとしても大盤振る舞いしすぎではないかと思う。
しかしリョウは構わずに短剣の説明を行ってきた。
「そっちの短剣は預かりものだ。『気に入ったヤツ』に渡してやれ。と知り合いの『おっさん』から言われている」
「何者だよ。その『おっさん』って、気前良すぎないか?」
苦笑しているリョウだが、正直こちらとしては笑えない。鍔の作りからして相当な業物だろうに、剣の心得が不足している自分には過ぎたものだ。
「鉈よりはマシだろ。果物剥いたり、適当に使え。道具なんて先程いった通り、持ち主次第なんだからさ。ではティグルまたな」
そうして自由騎士は、こちらに軽快な手振りをしてから階下に下がっていった。
見送りをすれば、何となく未練がましくなってしまいそうなので、ティグルは降りなかった。
入れ替わるようにティッタが上がってきた。
「ウラさんと何を話していたんですか?」
「悩みを聞いてもらっていた」
具体的に語ってもティッタを怖がらせるだけだと思っていたので、事細かに語りはしない。
「ガスパール様が聞いたらば嫉妬しそうですね」
「義兄さんが……そうかな? 何か想像がつかない」
ガスパールというのはマスハスの息子の一人で、自分も親しくしていた人間だ。兄弟同然の関係。確かに彼に一度自分の貴族…いやブリューヌの男子としての在り方で少し救われたこともある人間だ。
もしも親しいガスパールからも「恥知らず」などと言われていたらば、自分は酷く屈折した人間になっていたのではないかとさえ思う。
当時のティグルにとって「弓」が得意ということが、ここまで嘲笑されるとは思っていなかったからだ。
「それでティッタ、何か用があったんじゃないか?」
「あっ、そうでした。実はティグル様が帰ってくる前に……屋敷に王都の愛人様が来まして」
「ちょっと待て。愛人って何だ。そんなもの作った覚えは無いぞ」
言葉の後半で暗い空気を出しつつ言うティッタ。変な話だが同時に黒弓からも寒気を覚えた。
抗議したティグルに構わずティッタは話を続ける。
「いえ、愛人でないならばいいのですが、レギンさんが来たんですよ」
「レギンが? どうしてまた」
意外な来客というわけではないが詳細を聞くと……何とも間の悪いという感想が出てきた。
しかしレグナス王子が亡くなられたのだから、彼女が、そういった風なことを考えるのも分からなくもない。
「その後、彼女は……アルテシウムに行ったと……ガヌロン公爵の本拠地か…」
会いにいくのも困難だな。という感想をティグルは心中で漏らしつつ、ティッタの言葉は続く。
「はい。ブリューヌ王家の力を借りたければ、私に会いに来てくれとレギンさんから言伝を受けています」
その時、リョウから渡された「短剣」が日に当たり輝きを増した。丁度よく日光が当たった形であったのだが、ティグルもティッタも気付かなかった。
知り合いが、努力していくということを聞いただけであり、その剣の「意味」を知るものと「レギン」の来歴の詳細を知る「自由騎士」がいなかったことが、不幸な擦れ違いを生んだ。