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どんよりと黒い雲に覆われた秋空は、今にも大地に雫を落としたそうにしている。太陽も厚い雲の向こうへと姿を隠し、薄暗い雰囲気が世を包み込む。
そんなお世辞にもいい天気といえない空の下、ザッザッ、と草履を鳴らしながら歩くのは、例のごとくあの天邪鬼だ。
秋静葉と共に神社付近の木々を紅葉させた数日。日々増していく気温の低下に、そろそろ暖をとるものが必要だと感じ、何かいいものはないかとこうして森を探し歩いているのだ。
しかしというかやはりというか、目当てのものは中々見つからず。果てには、いっその事人里にでも行ってしまおうか、などという考えを抱く始末。
「……そういえば、さとりが言っていたっけ」
あれはまだ夏の蒸し暑さが残っていた頃の話。いつものごとく、神社に足を運んできたさとりと、他愛ない会話をしていた時のことだ。
妖怪の山という未開の地へと足を運んだ天邪鬼は、案の定、さとりから冷たい言葉を浴びせられた。それはもう、今までにないくらいに。
確かに彼女の忠告を無視して足を踏み入れたのは事実なので、それは仕方ないと割り切り、天邪鬼は甘んじてそれらの言葉を受け入れた。
そんな説教まじりの話の中、ぽつりと、さとりはある言葉を漏らした。
鬱蒼と茂る木々が暗雲よりも深く光を遮り、湿った空気は重く息苦しい。そこらじゅうに生える化け物茸の胞子は、踏み入れたものを夢幻へと誘う毒胞子。
人間はおろか、普通の妖怪すら立ち入ることの少ない、その
「──魔法の森」
空が泣いた。
窓の外に映る景色は降り注ぐ雨に掻き消され、今は見えてはいるが、あと半刻もしないうちに十数メートル先に生える木々の姿すらも見えなくなるだろう。
「……降ってきたわね」
少女、アリス・マーガトロイドは裁縫途中の人形を置き、糸を通した針は可愛らしいピンクの針刺しへ。
そのまま窓へと近寄り、徐々に勢いを増していく雨を眺める。
彼女以外いない静かな室内では、雨が屋根を叩く音はもちろん、外の草木を鳴らす音までもが聴こえてくる。
別段、雨が嫌いというわけではない。陽の光を遮る暗雲も、この魔法の森に住んでいれば普通のことだし。しとしと、と鳴る雨音も耳を傾けていると心が安らぐ。
もちろん晴れている方が気持ちはいいが、雨の日も雨の日なりにいいところがある。雨景色を眺めながら、アリスがそう思っていると
「……んん?」
雨に遮られてやや見え辛くなったこの家への入り口。つまりは森の中。
一つの人影がアリスの視界に姿を写す。
「人間、かしら……?」
しかし何故こんな場所に──そんな疑問が浮上する。
雨が降りしきる中、いやそうでなくとも、森の中はあの毒胞子が蔓延している。そんな中をたった一人で歩いてきたのか、自身が住むこの場所まで。
気になりその人影を窓から観察していると、この建物を目にしたその人物は急ぎ足で玄関までやってくる。
そして
「誰か人はいるかい?」
ノックの後に聞こえてきたのは男の声。アリスは玄関へ向かい、木製の扉を開けるとそこには、黒い甚兵衛に身を包んだ男が、いや妖怪がいた。茶色の髪に包まれた頭頂部から覗く、白い小さな二本の角が、彼が人ではないことを物語っている。
その妖怪は家主がいたことに安堵した後、申し訳なさそうにしつつ口を開いた。
「急で悪いけれど、少し雨宿りさせてもらえないかい?」
「いやぁ助かったよ。降りそうだとは思っていたけれど、まさかこんなに強くなるなんて思いもしてなくてさ」
そう言い、窓の外を見つめる。その髪からは僅かに水か垂れ落ち、玄関に小さな跡を作る。
とりあえず濡れた体をどうにかするために、アリスは天邪鬼と名乗る妖怪へと拭くものを渡す。
ありがとう──そう言って受け取ると、髪、腕、脚などの部分の水を拭き取っていく。
困ったような笑みを浮かべる天邪鬼を横目に、お湯を沸かすアリスは静かに問いかける。
「あなた、どうしてこんな場所なんかに来たの?」
「友人からこの森があることを聞いたのを思い出してね。要は興味本位ってやつさ」
普通だったら、こんな森に興味も何もわかないはずなのだが。暗いし、ジメジメしているし、毒胞子は舞っているし……一体何に興味を惹かれたのだろうか。
そんな普通ならば考えないことを口にする天邪鬼へ対し、アリスは”変わったやつ”という評価を下す。
「そう……あなたって変わってるのね」
「ははっ、よく言われるよ。でもそういう君こそ、どうしてこんな森に一人で?」
「この森に入る妖怪はそうそういないから、静かに暮らすのにはちょうどいいのよ。それにここの茸の胞子には、魔法の力を高める効果があるらしいから」
魔法──その言葉に天邪鬼は、おっ、と反応を示す。
「へぇ、君は魔法使いなのか」
「ええ。とは言っても、まだなったばかりの新米だけれど」
魔法使いになるためには捨食、つまりは食事を不要とする魔法を会得する必要があるらしい。そして捨虫、老化を止める魔法を会得すると完全な魔法使いへと至ることができるそうだ。
アリスはつい数年前にそれらの魔法を会得し魔法使いになった。新米というのはそういうわけだ。
魔法使いと言えば、杖に跨って空を飛ぶくらいの、典型的なそれしか知らない天邪鬼。魔法使いになるための方法を初めて耳にし、へぇ、と感嘆したような声を漏らす。
「魔法使いになるのって、思った以上に苦労するんだねぇ」
「苦労なんて言葉は、これからようやく使えるのよ。私はまだ夢への一歩を踏み出し始めたばかりなんだから」
そう言いながらアリスは天邪鬼へ歩み寄り、中身の注がれたティーカップを差し出す。
「ふぅん、紅茶か」
「あら知っていたのね。緑茶の方がよかったかしら?」
「いいや、こっちに来て初めて見たからね。少し感動していただけさ」
今まで川の水やらなんやらで喉を潤していたので、こうした味のある飲み物を見ると気分が高揚する。
天邪鬼は口元を綻ばせると、カップへ口をつけ。ゆっくりと、噛みしめるように紅茶を飲む。
「……あぁ、とても美味しいね」
「そう、口にあったようで何よりだわ」
褒め言葉にも表情一つ変えないアリス。これがさとりであれば、なにかしら面白い反応を見せてくれるのだが。などと、本人がいないことをいいことに、心の中でそんな失礼なことを思う天邪鬼。
噛みしめるように紅茶に舌鼓を打つ天邪鬼は、家の中を観察するように見渡し、あることを思う。
「この家、人形が多いね……君が作っているのかい?」
「えぇそうよ」
それは家の中にこれでもかと並べられた人形の数々。
そんな人形たちから視線をアリスへ戻すと、彼女は口を閉じ、黙々と人形作りに精を出していた。彼女の表情は真剣そのもので、むしろ何か鬼気迫るようなものすら感じ取れる。
人形を作る彼女を見て、そういえば、と天邪鬼は先ほどのアリスの言葉を思い返す。
「夢への第一歩って言ったけど、君の夢っていうのはなんなんだい?」
「あなた、初対面なのに結構踏み込んでくるのね。まぁ別に隠すようなことでもないけれど」
そう言い、アリスは人形を作る手を止め、金色の瞳を向ける。
「夢、というよりも目標といった方がいいわね。……私はね、意志を持った人形を作りたいのよ。誰かが操って動かす人形じゃなくて、自分の意志で動く人形が」
意志持つ人形。それが自身の目指す場所だと、アリスはそう語る。
人と同じように考え、同じように行動し、同じように喜怒哀楽を持つ。それは意志を持つというより、”心”を持つといった方が的確だろう。
”心”とはすなわち”
「……やっぱりおかしいわよね。無茶無謀だって思うわよね」
でも──
「私は絶対に作ってみせる。私のこれからを全部かけても、絶対に」
アリスの瞳には、確かな決意が宿っていた。いや、それもそのはずだ。でなければ、魔法使いになろうなどと思うはずもない。
不老という、人の範疇を超えてまでも追いかける夢。それにかける思いが半端なものなどであるなど、そんなことあるはずがない。
決して揺るがぬ堅固な意志を示すアリスに、くつくつ、と笑いを漏らす天邪鬼は
「確かにそんな夢を持つものは、君の他にはいないだろうね。僕自身も、話を聞いてわずかにだけど、無茶だと思ったよ」
けど──
「どうしてだろうね。君になら、それができる気がするって……そう思うよ」
「冗談や同情で言っている……わけではなさそうね」
「他人の夢に同情なんて茶々、入れる訳ないだろう。僕はただ純粋に、君にならできるって、そう思っただけさ」
そう言い、彼は飲み干したティーカップを机に置き、近くに置いてあった人形へと視線を向ける。
これだけの数の人形を作っているというのに、どの人形も丁寧に、ほんの一欠片の妥協も許さずに作られている。綻びの一つもない、まさに完璧な仕上がりだ。
天邪鬼はその内の一つを手に取り、優しく笑みを浮かべ
「付喪神って知っているかな?」
唐突に問いかける。
付喪神──それは長い年月を経た道具などに神や精霊が宿ったもの。
なぜ天邪鬼が唐突に、そんな質問をしたのかというと
「きっとそうしたものっていうのは”愛情”がこめられているんだと思うんだ。数十年、もしかしたら百に届くかもしれない時間を、ある者からある者へと移りながら。大事にしよう、大切にしようっていう思いが」
「……話が見えてこないわね。つまり、あなたは何が言いたいの?」
「ははっ、まぁなんてことはない話さ。要はね──」
そう、本当になんてことない。天邪鬼が抱いたのは魔法など全く知らない、無知な素人の思い至った、ただの仮説だ。
そして、彼が口にした言葉は
「愛の力は偉大だ……ってことかな」
いつの時代かに使い古された、そんな言葉だった。
「あい……愛、ね……。そんなこと、考えたこともなかったわ」
「そんなってひどいなぁ。愛の力って、結構すごいんだよ?」
「そう言われても、あんまり説得力を感じないわね。それにそんな抽象的なもの、私が信じると思う?」
確かに、彼女がそんな感情を抱くなど、今の天邪鬼には考えられない。人形一筋に生きているのだから、抱くとしても相当先の話になるだろう。
臭い台詞を吐いたうえにそんな反応をされて、さしもの天邪鬼も気恥ずかしそうに鼻っ面を掻く。
「まぁでも、折角のだし、頭の片隅にでも入れておいてあげるわ」
「そりゃどうも、ありがとうございます」
「あら、拗ねちゃった? ふふっ、のらりくらりしてそうで、以外と可愛らしいところもあるのね」
くすくす、と笑うアリス。花が咲くような笑みにつられ、天邪鬼もまた、はははっ、と笑い声をこぼすのだった。
雨もやみ、空にかかっていた暗雲が徐々に厚みをなくしていく。
代わりに雲間から覗く月が、途切れ途切れになりつつも、優しい光を地上へ送る。
雨はすっかり上がったので、雨宿りということでお邪魔していた天邪鬼は、これ以上ここにいる意味もなくなり。
「どうもすまないね。急にお邪魔した挙句、お茶もご馳走になって」
「いいのよ。どうせいつも一人だから、偶にはこうしてお喋りするのも悪くはないわ」
玄関にて、扉の
雨も上がったことで、外の気温はまた更に低くなり。アリスは開いた扉から家に流れ込んでくる冷気を感じ取る。
「そういえばあなた随分と寒そうな格好しているけど……大丈夫?」
「ははっ、実のところ寒くてね。冬までにはどうにか、暖をとれるものを探さないといけないんだ」
見るからに寒そうな甚兵衛姿。天邪鬼の言葉にアリスは、ふむ、と顎に手を当てて
「そう、なら私が作ってあげましょうか?」
「……気持ちは嬉しいけど、僕にはお返しできるものはないからねぇ」
「そしたら時々ここへ来て、庭の掃除とか手伝ってくれればいいわ。それならあなたでもできるでしょう?」
「それはそうだけど……いいのかい?」
初対面の少女にそこまでしてもらうのは、どうしても気が引けてしまう。
しかしアリスは一つ返事で承諾し
「あなたとの話、なかなか面白かったから。申し訳ないと思うのなら、話のネタを切らせないように頑張りなさい」
「それはそれは、大変なものを引き受けたもんだねぇ」
また一つ、笑い声が響く。
「それじゃあ、気をつけて帰りなさい」
「あぁ、また来るよ──アリス」
最後に、互いに小さく手を振り、天邪鬼は森の中の小さな家を背に歩き出した。