序章
「クックック」
突然、笑い声が響いた。
その声は低く、それでいてどこか甘みを含む声だった。
笑い声を響かせている人間は、劇場に居た。
いかにも長い歴史のありそうな劇場にそんな笑い声はいかにも不適切であり、不気味だった。
その劇場には、笑い声を漏らしている人間以外、存在しなかった。
長身で、かの有名ブランドのスーツを着こなした、一人の男。
声と雰囲気からして、恐らく20代前後だろう。
だが、そんな普通の人間のはずが、何故か「普通でない」という空気が流れている。
劇場と笑い声が原因だろう。
その異常性に気付かぬまま、劇場でただ一人、その男は笑い続ける。
永遠に。
イギリス 時計塔
イギリスにある時計塔は、魔術師にとっては単なる観光地以上の価値を持つ。
有力魔術師の総本山。
これが魔術師にとって時計塔を特別にしている理由だ。
だがそれだけではない。
時計塔は、魔術師になるための最高学府でもある。
そんな穏やかな学舎で、穏やかではない会話がなされている事に気付いたのは数名だろう。
「なあ、ドイツで異常な霊脈の乱れが発生したって話、本当なのか?」
「俺に聞かれてもな…あっ、でも教授達が「霊脈の乱れにしては、期間があまりに長すぎるし、乱れの大きさが大きすぎる」て言ってたの聞いちまったぞ」
「いやー、ドイツの魔術師達がどうなろうと知った事じゃないが、こっちまで被害が及ばないように祈るしかないな」
「ああ、そうだな」
他愛もない話だ。
霊脈の乱れなど、よく起こる。
普通の人間がする、普通の話。
だが、二人が話していたときに横を通り過ぎた男子学生の表情が邪悪な笑みに変わった事に気付いた者はいない。
「封印指定魔術師」
それは、多くの魔術師にとってとても名誉のある事であり、同時に「安心」が得られなくなる事でもある。
つまり、今までは協会の保護が有ったが、今度は、教会に追われる事になるという事。
何故なら、その魔術師が使える魔術が、家柄と歴史を重視する魔術師達とって目障りだからだ。
だが、別に魔術の神秘を漏らさなければ、差し迫るような危険は無い。
魔術の研究には金がかかる。
家柄が良ければ、封印指定を受けても魔術の研究をしながら安心して暮らせるが、家柄が悪ければ、魔術の研究を辞め、生きていくのに精一杯になるという不条理。
時計塔内部が腐敗していると言われるのもこれが原因だ。
封印指定を受けた魔術師達がこれをどう思うかは、人それぞれだろう。
人それぞれ、とは、当然だが、憎んでいる者も居る。
家族の期待を背負い、魔術師自身もその事を誇りに思って居る者達だ。
そしてここにも、魔術協会に憎しみを向けている者がいた。
彼の名は、神谷 翔。
まだ、魔術師の家系としては4代目でありながら、封印指定を受けた魔術師。
彼が封印指定を受けているのは、彼の特異な魔術属性による。
虚数魔術。
それが彼の魔術属性であり、封印指定の理由。
魔術の世界で、5系統に属さない魔術だ。
ほとんどの魔術師の属性は5系統のどれかに属している。
5系統の中でも、風の属性の魔術師は少なく、珍しいという事で、「高貴」などと呼ばれているが、虚数魔術師は、そんなレベルではない。
虚数魔術をしっかりと使える虚数魔術師は、現代に生きているトキほど少ない。
だから、普通は魔術の家で守る。
だが、神谷家は彼で4代目だ。
4代しか続いていない家など、協会に対して大きな力を持っているはずがない。
だから、家では守れない。
そうなると、協会と教会から逃げる生活しか無くなる。
彼にとって最も大切なのは、いつしか、安心してゆっくり暮らす、そういうものになっていた。
だが、彼にとってはそれすらもないのだ。
そんなささやかな幸せすらも、教会と協会によって奪われた。
だからこそ、彼はその幸せを聖杯に願う。
普通の人間としての生活を。
そう決意を新たにし、彼は目を開けた。
彼がいるのは、森の中のコテージ。
いかにも、アウトドアな若者がキャンプに来た、そういった風情だ。
ふう、とため息をつき、彼は触媒を置いた。
その触媒とは、鎖だ。
世界最古の鎖。
それで召喚される英霊は、一体しかいない。
最古の槍兵、エルキドゥ。
神が人を神に縫い付けるために神が作った楔、それがエルキドゥだ。
彼自身が神造兵器だから、もし彼が聖杯戦争に参加したならば、神霊でも呼び出さない限り彼に勝つことは出来ない。
彼は右手を上げた。
その右手には、タトゥーのような赤い文様…令呪があった。
そして、彼は祝詞を紡ぐ。
「礎に銀と鉄、礎に石と契約の大公
祖には我が大師シュバイオンオーグ
降り立つ風には壁を
四方の門は閉じ、王冠より出で 王国に至る三叉路は循環せよ
閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ
繰り返す刻に五度
ただ、満たされる時を破却する
ーーーーーーAnfang
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーー
ーーー告げる
汝の身は我が下に 我が命運は汝の剣に
聖杯の寄る辺に従い
この意 この理に従うならば応えよ
誓いを此処に
我は常世総ての善となる者 我は常世総て悪を敷く者
汝三大の言霊を纏う七天 抑止の輪より来たれ
天秤の守り手よ」
魔力が収縮、暴発し、魔力の風が吹く。
膨大な魔力を消費し、彼に疲労が襲いかかるも、彼は立ち続けた。
だが…
「え?」
居なかった。
何も居なかった。
そこにあるのは先程と同じ、魔法陣が描かれたコテージの床。
何が起きたのか理解出来なかった。
サーヴァントが召喚されない?
どういうことだ?
召喚の呪文は間違えていないはずだし、令呪がこの手にあるのに何も反応が無いというのも明らかにおかしい。
エルキドゥがもう召喚されているのか?
サーヴァントが召喚を拒否した?
というかそもそもサーヴァントに拒否権なんてあるのか?
聖杯戦争で召喚されるサーヴァントというものは、呼び出した英雄自身では無い。
当然だ。
もし、英雄自身であれば、その英雄が敗退した時に、その英雄は「居なかった」ことにされてしまい、因果律の異常を引き起こす。
だから、サーヴァントは英霊の座にいる英霊の写し鏡、コピーだ。
英霊は聖杯戦争の度にコピーを作り出しているから、そもそも拒否権など無いと翔は思った。
彼はその後、2時間程その事を考えていたが、結局、手袋で両手を隠し、聖杯戦争を傍観することにした。
そうすれば、サーヴァントのマスターと間違えられて殺される事も無いだろうし、運が良ければマスターのいないはぐれサーヴァントと契約出来るかもしれない。少なくともキャスターは前には出ないから、相手のマスターの事など知る由もない。
まあ、マスターが他マスターの事をサーヴァントに話していたら、契約ができる可能性はかなり下がるが。
それに、この異常の事も少しは分かる。
マスターと勘違いされてサーヴァントに殺されるリスクよりも、聖杯戦争を傍観しているメリットの方が多い。
そして彼は、歩き出した。
ありがとうございました。
色々書きたいことはありますが、ネタバレをかなり含んでいるので近状報告を。
最近、リアルが忙しく、投稿ペースがかなり落ちます。今後も恐らく落ちていきます。ただでさえ亀並みの投稿ペース+見切り発車なのに…
努力します。はい。
とか言いつつ、なかなかいい言葉が見つからない時にラノベ書きさんはすごいなとか思う今日この頃であった。